finalventの日記

2008-11-30

本質かもよ

 ⇒恋は悪質

 では、カラオケ

どうして どうして僕たちは

出逢ってしまったのだろう

こわれるほど抱きしめた

 

どうして どうして私たち

離れてしまったのだろう

あんなに愛してたのに

 

どうして どうしてできるだけ

やさしくしなかったのだろう

二度と会えなくなるなら

 恋の真実性が、人生と世界の真実性を打ち破るように、人間はしくまれているんだと思いますよ。

ありふれた日常が急に輝きだした

心を奪われたあの日から

孤独でも辛くても平気だと思えた

I'm just a prisoner of love

Just a prisoner of love

 たぶん、そうした本源性みたいなものは、死を乗り越える装置として脳に仕組まれているんだと思いますよ。

 それはそれとして。

 老いというものは、そこを裏切ること。

 (そうでない老いもあるけど。)

 死を乗り越えていく恋みたいなものから、無残に取り残されて、なお生きる意味があるとすれば、それはなんだろうと問うことが老いることですよ。

遠く遠く離れていても

君が泣いた時は会いに行くよ

 

どんな時も 会いに行くよ

 なんとなくだが、老いていくと、死の向こうに、あるいは死の向こうから、会いに行くという情感は生まれる。

今日の大手紙社説

 特にテーマとなる話はない。個別には各紙、社説の質が上がったように思えた。

日経春秋 春秋(11/30)

卒業時の景気次第で人生が大きく変わる。就職氷河期の卒業生には、今なお厳しい環境で働く人も多い。

 私の父の世代は戦争で、人生がめちゃくちゃになった。父もその一人だった。ただ、生きているだけでもうけものでもあった。

 人生というのは、過ぎ去ればそう長いものでもないし、過ぎされば、富や権力も無になる。どう生き延びているかについては、40歳半ばあたりに見えてくるものがあり、五十にして天命を知る、というのは、至言だろう。あるいは、天命を知り得ないことを知るというべきか。あるいは、その挫折こそが天命だったと引き受けることか。

日経社説 行き詰まったチベット対話

 これもまた強いご意見が。ある意味、偉いな日経。

 ダライ・ラマはすでに浮いている。彼もそれを知ってはいるし、たぶん、彼の命運ももう尽きるころだろう。「リトルブッダ」みたいな展開になっても私は驚かないし、それが女の子であっても。

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リトル・ブッダ [DVD]: ベルナルド・ベルトルッチ, キアヌ・リーブス, ブリジット・フォンダ, クリス・アイザック, アレックス・ヴィーゼンダンガー: DVD

日経社説 ソマリア沖の海賊対策に日本も加われ

 これまた強いご意見が。

 ただこの正論は正論で、ホルムズ海峡に問題があってからでは遅いというのはある。

 海洋国家・日本の生存は、世界の海の安全にかかっている。ソマリア沖と聞けば、遠い海を想像するが、その安全が決して人ごとではないのがグローバル化した世界の現実である。早急な法整備が求められる。

 皮肉じゃなくて中国とうまくやっていくのが利口にも思えるが。

 民主党の小沢一郎代表は、国連決議がなければ、自衛隊の国際協力活動は認められないとする。ソマリア沖の海賊対策に関しては安保理決議があり、小沢氏の持論との衝突もない。逆に活動根拠を補強する。

 小沢の政治的命運はもうすぐ尽きて、民主党と小沢の関係は消えるんじゃないかと懸念するのだけど。

毎日社説 社説:空自撤収 イラク再建支援はこれからだ - 毎日jp(毎日新聞)

 一方、イラクの治安は昨年夏以降、改善に向かい、特に北部地域は比較的安定している。とはいえ、宗派、民族間の抗争が深刻であることに変わりはない。マリキ政権への国民の信頼が希薄であることも、国内の対立に拍車をかける要因となっているようだ。

 こう語る社説子クルド地域の認識はないんだろうな。

 中東諸国が石油輸入先の約9割を占める日本にとって、イラクに対する支援は国益にもかなう。

 これは石油というものがよくわかってないご様子。日本にとって重要なのは自由市場。それと、イラクとOPECの立ち位置も考慮したほうがいいけど。

 ブッシュ米政権がイラク攻撃に踏み切った直接の理由は「大量破壊兵器の存在」だった。しかし、同兵器は存在せず、「戦争の大義」は失われた。その米国に追随した日本の責任は重い。

 追従しなかった国の経緯も少し考えたほうがよいよ。追従せよとは思わないし、私は誤解されているみたいだけど、私は小沢のように国連構想の人なんで、国連と異なる有志連合には危機感を持っている(ま、国連というのは調停機関会議みたいなものでこの件ではお墨付きみたいのはあるけど。

毎日社説 社説:年金記録改ざん 国民だました「国家の犯罪」 - 毎日jp(毎日新聞)

 舛添要一厚生労働相の調査委員会が、改ざんの疑いがある6万9000件の年金記録について調べ、社会保険事務所での組織的な改ざんを初めて認定した。

 私の誤認かもしれないが、この暴露は舛添の強い意志の結果ではないか。彼がもうちょっとぬるかったらこれはまた曖昧になっていたようにも思う。ただ、こうした強い意志が全体に利となるかについてはよくわからない。

 最後に指摘したいことは責任の問題だ。組織的な改ざんを放置し、公務員の信頼を失墜させ、さらに年金不信を一層強めてしまった責任は重い。調査委も「国民への重大な裏切り行為」と批判し、職員・幹部を再度調べて懲戒処分するよう求めた。組織的関与を指摘されたからには、幹部が「知らなかった」では済まされない。現場にすべての責任を負わせるだけでは、国民は納得しない。調査に基づいて厳正な処分を行わない限り、年金不信解消はできない。

 この問題はそう理念的には解決しない。

読売社説 事故米調査報告 食の信頼回復への出発点に : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 それはそれとして、関連でそろそろ手を打たなければやばい問題もあるかと思うが。

読売社説 社会保障目的税 財源確保への意義ある一歩 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 並行して中期プログラムを議論している自民党税制調査会も、この方針に同調する見通しだ。安定財源確保のため、政府・与党が歩調をあわせる意義は大きい。

 諮問会議では、民間議員が〈1〉税制抜本改革による増収額はすべて社会保障給付の必要な増分に充て、官の肥大化には使わせない〈2〉行革の推進と歳出規律を維持する――など、抜本改革の3原則を提案し、基本的に了承された。

 消費税を社会保障目的税とすることには、政府税制調査会も前向きだ。麻生首相に提出された来年度税制改正答申では、昨年の答申を踏襲する形で、消費税を社会保障財源に充てることを選択肢に検討を進めるよう求めている。

 消費税は、本来は地方税にすべきだった。それが地方に実現可能かといえばそうではないとしても理念としては。

 与野党、というか、右派左派ともに大きな国家を志向し始めていくことに私などは危惧を覚える。

朝日社説 竹崎新長官―国民と共に歩む最高裁を : asahi.com(朝日新聞社):社説

 こういう社説もありだろう。というか、よい着眼だと思う。

 さらに、憲法の番人である最高裁のトップとして重要なことは、時代の変化の中で、新たな憲法判断や判例変更をためらうことなく行うために最高裁大法廷を積極的に開くことだ。

 島田前長官の下で大法廷は今年、結婚していない日本人の父とフィリピン人の母の間の子ども日本国籍の確認を求めた訴訟で、「国籍法の規定は、法の下の平等を定めた憲法に違反する」と判断した。土地区画整理事業の取り消しを求めた訴訟では、計画段階での提訴を認めなかった42年前の判例を変更し、行政訴訟の門戸を広げた。

 ここは微妙なところだ。「最高裁大法廷を積極的に開く」べきかは私にはよくわからない。しいていえば、法というのは社会に寄り添わないといけないので早急な改革に繋がることは避けるのが基本だ。ただ、社会が早急に変わるときにはという問題もある。

 国籍の問題については、「島田前長官の」という文脈で捉えるのはどちらかといえば間違いで、ただ、司法は司法の動きをしているだけと考えたほうがよい。

 このところ、司法の動きはそれなりに活発化している。世代代わりがあり、より緻密な頭脳が機能しているのではないかと思うというか、日本を変えている。静かな革命ともいうべきかもしれない。むしろ、それへの期待とのズレから司法のほうが困惑しているようにも見える。

晴れ

 温泉でゆったりしたのはいいが、その分、寝付かれず、しかも暖の問題でもないと。しばし坐禅。そして、しかし眠った。このところ、意識のレベルが深く、というか、ステートが下がることがある。単に、脳の劣化かもしれないが。夢は忘れた。

2008-11-29

未来が見える不幸みたいな比喩

 七瀬ふたたびで、未来が見えるという超能力(未知能力)があるけど、ああいう感じにおそわれることがある。別段、オカルトとかいうこっちゃなくて。

 社会的な問題がわかる。予想できる。でも、どうにもならないな。実際、問題になる。どうにもならん。

 知性を持つことになんら意味のない、シーシポス的な苦悩みたいのがある。

 いや、前もってわかるなら、きちんと言え、おまえの言い方がわからんからいかんのだよ、みたいなことも言われるし、仄めかしているだけで、わかってないだろみたいにも言われる。

 ま、そうかもしれない。

 外れることもあるしね。

 中国社会の崩壊はまだ来ない。来ない方がいいどころじゃなくなった。

 米国住宅ローンバブルは崩壊するとわかっていたけど、ここまでひどいとは思わなかった。

 トルコクルドの関係があぶないと思っていたが、とりわけどうということもなし。

 パキスタン問題については自分の想定通り。もうこれは考えるだけ激鬱もの。

 そう考えると、別だん、わかるわけでもないな、俺はただの凡庸だなと思う。っていうか、思う分にはそう思う。

なんかなぁ

 トラバもらって、ざっくりみて、ま、トラバとしてはええんでないのと思うけど、何言ってんのかまるでわからん。

 ⇒【第二の観点】ネットで人生が破壊されるただの「読者」と、ネットを有効活用できる「記述者」の違い(3) - 別館:ポスト・ヒューマンの魔術師

アルファブロガーの中には、小飼弾氏やid:finalvent氏のように膨大な読書量を誇る活字好きなご老体もいらっしゃるご様子だが、その「書評」とやらが演出できているのは、いつも夕暮れ時まですすり泣くだけのあの<梟>を超えるものではない。

 まあ、あれね。

グーテンベルク銀河系の教養戦略が時代遅れなのは、メディア論者たちが次々と明らかにしてきた。ニクラス・ルーマンが「旧ヨーロッパ的」と呼び、リチャード・ローティが「体系的哲学」と呼んだ古風な大知識人たちの偉大な業績も、現代の超複雑性を前にしては何の役に立たない。

 つまりローティとかの被り物をすれば、そりゃそうだし、それは別段、「アルファブロガーの中には、小飼弾氏やid:finalvent氏のように」って言及するもんでもないし。

 し、っていうのは、ローティのことについては触れたんだけど、読んでないでしょ。

 ⇒極東ブログ: [書評]〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組(須原一秀)

 あと、僕にもし知性というものがあるとしても、現代的な側面にモデレートしているのは、たまたまこの世界にいるからであって、本来はこんな形態してないよ。ハイデガーの「詩作」的なものなんだけど。

 こういうのも、通じないんだろうな。たぶん、ハイデガーなんか、ふふふんのふんで、終わっているんでしょ。

ポイントは苺柄か、山ほどか

 ⇒家の掃除してたらチープな苺柄の包装のコンドームが山ほど出てきた

こんなん使ってるのかうちの親は・・・・・・

両方もうすぐ50なのに・・・・・

 仲がよくてええじゃん。

 50歳でばこばこっていうのは健康ってことだよ、たぶん、かなり、きっと、すげえ。

 そのレス⇒http://anond.hatelabo.jp/20081129164238

 そういえば、自分が若い頃、アイドルだと思ってたピンナップみたいなものはみんな捨てちゃったな。自然に捨てちゃった。浅野ゆう子のビキニ写真とかもも。林真理子の乳首とかも。石井めぐみのヌードも。山田詠美の……。

自分も

 自分も気違いに見られることがあるし、そういう人に親近感を覚えてしまう部分も大きいけど、正義とかの信念をもっちゃう人にはついてけないなと思う。ああ、引くわ、俺、っていう感じ。

 なにかが正しいと思える人っていうのは、私からすると、つまり相対的に気違いディスプレースメントが働くから、逆に私からは、気違いに見えてしまう。まあ、そんなことは言えないから、黙る。

 ブログを始めたころ、いろいろ対話できないものかなと思ったけど、最近は、もう自分の限界がはっきりしてきた感じ。ああ、通じないやと2度思ったら、あきらめることにしている。負けることにしている。本当は、3度くらい我慢したほうがいいかなと思うけど。

 というワケで、もちっと某氏の話相手になってやってもよかったようにも思うけどだめでした(自分が)。

 あと、ついでに。

 よく弁当翁、打たれ弱いと言われるし、まあ、そうなんだけど、ネガな人に、もうちょっとわかって貰える可能性はないかと、これでもうじうじ考えるんですよ。なんか、そこで打たれ強くなっちゃたら、あかんのじゃなかろうか、と。

 まあ、でも限界はあるね。

 自分って、小さな玉だなと思いますよ。

NHKドラマ 七瀬ふたたび 8

 ⇒次回予告・各回のあらすじ | NHKドラマ8 七瀬ふたたび

 面白かった。

 パクス・シエンティアの扱いが面白い。科学と善意によって人類を平和に導こうとする……科学が善意に結びついて独裁的な傾向を取ることの怖さというのを、青年期から知っておくとよいと思うな。

 ドラマとしてもあと2回。

今日の大手紙社説

 タイ情勢と党首討論が話題。特になし、という感じ。しいていえば、新聞各社で大連立をよく根回ししておけばよかったのかな(皮肉です)。

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 晴れ。

 露天風呂に行ってきた。紅葉がきれいだった。

2008-11-28

今日の一冊 「わら一本の革命」福岡正信

 ⇒大倉正之助さんの私の1冊「わら一本の革命」福岡正信 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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自然農法 わら一本の革命: 福岡 正信: Amazon.co.jp

 読んだのは随分昔。私もマクロバイオティックスとか一巡やったことがあるしみたいな時代。

 読者評が。

どこが 「自然 農法」なのだろうか?, 2007/2/21

By cantarou pe (日本) - レビューをすべて見る

 表題に「自然農法」銘打っていますが、よく読むと、養鶏場で一生、土を踏むこともなく飼われた鶏の糞を肥料とし、除草の薬剤を使用しています。誇大な表現ではないでしょうか。

 果樹園の林床を草で被う草生方は、非常によいと思います。泥ダンゴも、コート種子のさきがけを成していて、優れた先見性と思います。ただ、砂漠に、多湿な気候条件の日本の野菜の泥ダンゴ種子を蒔いて、本当に育つのかは、かなり疑わしいと思います。読み物としてはよいかも知れないが、実用性は希薄と思う。

 私の理解では、福岡正信は科学者なんだと思います。ある種の合理性の結果なんだろうと。だから、彼が語る部分と実践の技術にはずれがありそう。

 というあたりで、能楽師大鼓奏者大倉正之助については特に思うこともない。

 福岡正信の直接の言葉は忘れたけど、これだけは決定的に影響を受けたという思想が一つだけあって、「コメ食っているかぎり、おまえら天皇制の奴隷だよ」ですね。天皇制をいくらイデオロギー批判しても、ご飯おいしいとか食ってるようじゃ奴隷のまま、と。もちろん、暴論だし、福岡が直接そういっているわけではないけど。

 もうちょっと広義にいうと、人類の最大の環境破壊農業でしょ。そして、それによって定着した王政を生み出して自らを疎外していくという文明史そのものに、ちがうんでねーのという感覚は、あってもいいんじゃないかと思う。

今日の一冊 「人間交差点」作・矢島正雄/画・弘兼憲史

 ⇒柴田理恵さんの私の1冊「人間交差点」作・矢島正雄/画・弘兼憲史 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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人間交差点(ヒューマンスクランブル) (1) (ビッグコミックス): 矢島 正雄, 弘兼 憲史

 柴田理恵の話は普通に面白かった。

 作品については、私は弘兼憲史が苦手なんでなんとも。あと、この手の人情話がどうも苦手です。

 紹介されていた、「白い返事(メッセージ)」についても。

 これね⇒YouTube - Tie a yellow ribbon round the old oak tree

 解説⇒黄色いリボンの謎 ドナドナ研究室 9-3

 ま、そんな感じ。

今日の大手紙社説

 インドテロが話題。論点としては突発的に社説に書ける内容でもないせいか、散漫な印象。

日経春秋 春秋(11/28)

ムンバイは、昔地元民が崇拝した女神の化身にちなむ名だそうだ。それにふさわしい安寧を取り戻せるよう祈りたい。

 ⇒歴史 : ムンバイ - Wikipedia

ボンベイという名はポルトガル語のボン・バイア(良港)に由来するといわれるが、当時漁民の信仰をあつめていたシヴァ神妃パールヴァティーの異名、ムンバによるとの説もある。

 ⇒パールヴァティー - Wikipedia

後にドゥルガーカーリーとも同一視され、パールヴァティーの変身した姿、あるいは一側面とされた。

 実質はコルコタなどと同じカーリー信仰ではないかな。

 ドゥルガー⇒ドゥルガー - Wikipedia

ドゥルガー(Durga)は、ヒンドゥー教の女神。外見は優美で美しいが、実際は恐るべき戦いの女神である。10本あるいは18本の腕にそれぞれ神授の武器を持つ。神々の要請によって魔族と戦った。シヴァ神の神妃とされ、パールヴァティーと同一視された。

 ⇒カーリー - Wikipedia

カーリー(काली Kālī)は、インド神話の女神。「黒き者」とも呼ばれる。血と酒と殺戮を好む戦いの女神。シヴァの妻の一人であり、全身黒色で4本の腕を持ち、チャクラを開き、牙をむき出しにした口からは長い舌を垂らし、髑髏をつないだ首飾りをつけ、切り取った手足で腰を被った姿で表される。カーリー・マー(黒い母)とも呼ばれ、シヴァの神妃パールヴァティーの化身とされる。仏教名(漢訳名)は大黒天女。

 ⇒http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Kali_002.jpg

f:id:finalvent:20081128090142j:image

ムンバイは、昔地元民が崇拝した女神の化身にちなむ名だそうだ。それにふさわしい安寧を取り戻せるよう祈りたい。

日経社説 タイの混乱は国益損なう

 こうなると、なるところまでなる、国王が出てくる、中国がなんかする、くらいかな。

毎日社説 社説:インド同時テロ 不気味な「点と線」を追え - 毎日jp(毎日新聞)

 その意味では米国の「インド重視」政策は問題なしとしない。インドを「世界最大の民主主義国家」と呼ぶブッシュ政権は、米印原子力協定を結び、これを原子力供給国グループ(NSG)に追認させた。NPT非加盟のインドとの核ビジネスを例外的に認める措置を、日本も承認したのである。

 ブッシュ政権の問題で限定されるかはもう少し見たほうがよい。

アフガンでは27日、首都カブールの米大使館近くで自爆テロがあった。ムンバイテロとの関係は不明ながら、インドとパキスタン、アフガンの情勢は不気味な「点と線」で結ばれていると見た方がいい。

 オバマはそこに手を突っ込むかもしれない。

朝日社説 財政赤字―新目標で政治の決意を : asahi.com(朝日新聞社):社説

 ここにもハイヒール?

 しかし、読売から出ないで毎日、そして朝日という流れがいいな。

朝日社説 ムンバイ・テロ―新興大国を襲った恐怖 : asahi.com(朝日新聞社):社説

 このときインド側は、パキスタンの情報機関やその影響下にあるイスラム過激派が関与したと非難し、パキスタン側は否定した。両国カシミール地方の領有をめぐって長年争っており、関連するとみられるテロもこれまで多発してきた。

 今回は規模は大きいがその一環というか不穏な流れとしてはなんら不自然でもない。妙にメディアが騒ぐのはなぜかと思ったら、日本人の被害者がいたということのようだ。被害に遭われたかたには哀悼したい。事件自体は時事的に見るのではなく全体構図で見た方がよい。

小雨

 天気図を見ると低気圧が3つ並んでいる。珍しい。午後には晴れるのだろう。

 夢は。チャペルで吉田拓郎ピアノ弾き語りをすると聞いてみんな集まっているというのだが、俺はいいよと思いつつ、後から覗く。なぜか人々の背が低く、後方の私からでも拓郎が見える。拓郎ももう爺だろうと思うが若い。30代くらいだろうか。これって拓郎か?と私は思っているが歌唱は拓郎だ。これはあれかな「古い舟をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」かな、とか思っている。

2008-11-27

紙資源高騰のせいじゃね

 ⇒朝日新聞が初の赤字転落 - MSN産経ニュース

 大手新聞社の朝日新聞社が21日発表した平成20年9月中間連結決算によると、最終損益が前年同期の47億円の黒字から103億円の赤字に転落した。営業損益も74億円の黒字から5億円の赤字となった。朝日新聞社が中間決算で最終損失と営業損失を計上したのは、中間決算の公表を始めた12年9月以来初めて。

 原材料である紙の価格が大幅に値上がりしていることに加え、広告収入、部数ともに減少したことが響き、営業損失を計上。またグループ会社のテレビ朝日株などを売却したことによる投資有価証券売却損として44億円を計上したことなどから103億円の最終損失となった。

 売上高は前年同期比4・4%減の2698億円。減収は中間決算としては4期連続。

 短いし事実が大半なので、メモコピ。

 直接的には単にテレビ朝日の問題かな。

 このところ、社説に奇妙な迷走があるのはそのせいかな。

 この赤字で、だからぁ、紙媒体はオワタとはちょっと議論できなさそう。

 っていうか、基本的に日本の新聞は広告媒体なんで、その全体構図が問題かな。

恋と期間と

 「ナインハーフ (ハヤカワ文庫 NF (121))のオリジナルは「Nine and a Half Weeks: Elizabeth McNeill」で、9週間半のこと、という意味だ。なにかの洒落なのかよくわからないが、恋、というか、この小説は恋とは違うが、そうした濃密な関係が、崩壊する9週間半のこと。

 ふと思ったが、63日と3日で、66日という含みだろうか。

 まあ、雑駁にいえば、ある種の恋のような熱情が続くのは、2か月。

 逆にいえば、そうした情念を巻き込んだ関係や話題はそのくらい冷やしたほうがよいのかも。というか、忘れていくというのもあり。

ひと昔前W3C主義小僧がうるさいなぁと思ったものだけど、これだけめちゃくちゃなAjaxが広まるご時世となるとなんかなぁ。

 はてなもなぁ。

 クライアント側はちょっと危機的だなぁ。

 チョロメが解決策とならないだろうけど、っていうか、今にして思うと、Googleなりの弁解ってやつかな。

今日の一冊 「翔太と猫のインサイトの夏休み」永井均

 ⇒川上未映子さんの私の1冊「翔太と猫のインサイトの夏休み」永井均 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫): 永井 均: Amazon.co.jp

 簡単にいうと、永井均版「ソフィーの世界」なのではないかな。で、私は、こういう子ども向けに哲学を分かりやすく書くという本はもう読めないんで、まいったな、と。私は、子どもには哲学を薄めるんじゃなくて、本物の哲学の本質をどーんとぶつけていいように思いますね。つまり、学問としての哲学というのは、ある意味、アート(手技)になっていて基本的な西洋哲学史とかの素養が必要とされる。しかし、そうしたものは中島義道がさっさと言ってのけたけどそれほど本質的なものではないわけで、というか、デカルト方法序説もそうしたところから始まっているし、プラトンの著作なども、体当たりできるように書いてある。だから、体当たりすればいいかな、と。ただ、これももうちょっというと、こういうものに体当たりして本当に考えると、近代人ではなくなる。そのあとは近代人を偽装して生きていくことにはなる、とは思う。

 で、一部朗読や川上の話を聞くのだけど。

 朗読のなかで、現実世界と可能世界というのが出てきて、現実世界は可能世界の一つのいうくだりがあって、あ、痛いたたたとか思ってまいった。可能世界というのは、たぶん、この本では独自の定義をしているだろうけど、きちんとした定義があるんで、まいったな、と。それと現実世界というのは、基本的にはフッサール的な生世界として取り出せるもので、こういうと先の体当たりとは矛盾するけど、それなりにきちんと哲学の基本で考えたほうがいい。まあ、でも、まいった。

 ⇒可能世界論 - Wikipedia

 ⇒Lifeworld - Wikipedia, the free encyclopedia

 あと、死とハイデガーの話が出てくるのだけど、ここもまいった。死については、本当に体当たりするとどうしても一種の不可解な問題に直面する。近代はそこを公社会のために隠蔽する仕組みというか、個人幻想への抑制として機能するけど、死の問題は、むしろ生物的な本能というかそういう部分の生得的なフレームワークがありそうだ。まあ、このあたりはよほど注意して議論しないと誤解されるけど。

 ハイデガーについて、「存在は存在しない」は、れいのCopulaとして現れる印欧語特有の疑似問題なんです。余談だけど、西洋人の頭のなかにおけるCopulaというのは、文法論的には等号みたいに見えるしそういうふうに、解説もあるんだけど、「繋辞」ってやつね、でもそれは文法論とかでまとめた学の表出であって、日常でCopluraを使っているときの、彼ら特有の存在感覚というのがあるんですよ。このあたりこそ、ハイデガー読んでいて私も分かったけど、彼らのいう存在とは、日本人のいう「感」に近い。孤独「感」、幸福「感」、つまり、これは、彼ら的には、孤独として「有る」ということ、幸せとして「有る」ということ。で、この「有る」=「感」を支えている本体はなんだろうという問いなんで、日本人的な思考では、そうした感は、人「間」じゃないけど、間主観的な了解が先行してしまう。雑駁にいえば、欧米の存在論は疑似問題だし、ハイデガー=デリダ差延というのも、存在論がCopulaであるという疑似問題のパラドックスに過ぎない。

 で、最近わかったけど、デカルトはむしろ、これに体当たりしている。というか、体当たりのような取り組みをしたということがデカルトの蛮勇だし、一種の行動哲学でもあった。というか、方法序説というのは、まだにデカルトの系譜でモデュレートされた世界の子孫としてではなく、デカルト的な歴史世界のなかで体当たりすると、実は、かなりトンデモないことが書いてある。簡単にメモ的にいえば、デカルトは夢の世界と身体を持たない自分の存在について考えて、そして夢の身体から、身体なくしても成立する魂としての自分をこの世界の原理としたとういこと、もうちょっとぶっちゃけていうと、ドリームタイムを否定したことなんですよ。ま、しかし、どうでもいいか、こんな話。

 川上未映子については、短い文章くらいしか読んでいない。ブログがあるらしいが、知らない。個人的にこのタイプの人には抵抗感があって、自分はだめだぁという感じくらいだし、これはべたな偏見なので、なんとも言い難い。ただ、今回の映像で、対話中、川上が人差し指を立てた右手を机に置いてこねこねいじっていたのが印象的だった。この仕草は、私には強烈すぎる。

今日の大手紙社説

 特になし。

日経社説 ドル信認の薄氷踏むFRB

 歴史評価としてはバーナンキは失格となるのかなとちと思った。

 大筋では、中国米国と統合するかの問題。メキシコの先にちょっと湾があって中国が繋がっているというか。その間に微妙な島があるにはあるが。

産経社説 【主張】クロマグロ 「魚食文化」を取り戻そう - MSN産経ニュース

 これは逆で、マグロはいずれ養殖にして新しい「魚食文化」を作るしかない。というか、技術と歴史というのはそういうのが基本だと思うが。

 ところで、日本国内での魚の食べられ方はどうだろう。若年層を中心に国民が魚を食べなくなっている。魚食文化が世界的な長寿を支えてきたと考えられているだけに、非常に気になる傾向だ。

 魚離れの原因の一つには「調理の面倒さ」もあるようだ。魚食文化が衰退していく中で、マグロが高い人気を保ち続ける理由は何だろう。高級感のある食味としてだけでなく、切り身で売られている手軽さが根強い消費を支えているとしたら、寂しいことである。

 地域が魚屋を支援することだよ。魚屋さんがいい魚を仕入れたら、それを買うことだよ。「これ、うまいよ」「じゃ、それ」ってね、値を聞かずに買う心意気だよ。

毎日社説 社説:派遣切り 労働者を使い捨てにするな - 毎日jp(毎日新聞)

 そうでなければみんなで痛み分けするわけで、そのみんなの痛みを議論したほうがよいように思うが。

毎日社説 財政審建議 なぜ憎まれ役に徹しない : 社説:財政審建議 なぜ憎まれ役に徹しない - 毎日jp(毎日新聞)

憎まれ役をやめた財政審に存在意義はない。

 あ、これいいなぁ。言論の世界に必要なものはヒールだ。高度なヒールだ……以下略。

曇り

 暗い。夜が続いているみたいだ。いくつか難問に簡単な解が与えられそうな感じがして、それも不思議な気がするというか、歴史というのは、本当に試行錯誤の歴史だし、錯誤を歩むものだなと思う。

 疲労感というか神経系の疲労感が深い。いかんな。夢は忘れた。

2008-11-26

はてぶの注目リストを見ていると、他人のRSSを見ているような錯覚に陥るが、その他人って誰なんだよ。

 kanoseさん?

それはどうか知らないが

 それ⇒夕刊フジBLOG:痛風はビールで治せ!?

 私は尿酸値、随分下がった。沖縄である時、7近くなって、知人に、もっと親しくなれますね、楽しみですね、とか言われていた。

 私の民間療法は、ビタミンCかな。人間ってアスコルビン酸の代わりに尿酸使っているような希ガス

 まあ、希ガス程度の話。

ぁぁなんつうか

 ⇒中東について知っておくべきほんのささいな10のこと - GIGAZINE

4:シーア派というのは、キリスト教でいうカトリックのようなもの

彼らは強力な聖職者のもと、教義を忠実に実行しようとしています。対してスンナ派プロテスタントのようなもの。彼らは、聖職者に対してよりも、神自身との、より直接の関係をたもとうとしています。

 ぁぁなんつうか

 これですべてわかるわけではないけど。よい本ですよ。

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イスラーム文化—その根柢にあるもの: 井筒 俊彦: Amazon.co.jp

5:イランの人々はアラブ民族ではなく、ペルシア民族

 ぁぁなんつうか ⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Iran_peoples.jpg

6:アラブ民族もセム人

セム人=ユダヤ人という認識がありますが、もともと「セム」と言う言葉は「セム語圏の人」という意味を持っているので、アラブ民族もセム人ということができます。アラブ民族を「反セム主義者」と呼ぶのはすこしおかしいのです。

 ぁぁなんつうか

このリストは欧米人向けに書かれたおり、こうして互いを知ることが争いをなくす第1歩なのかもしれません。

 微妙。

今日の一冊 「方丈記鴨長明

 ⇒福原義春さんの私の1冊「方丈記」鴨長明 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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方丈記 (岩波文庫): 鴨 長明, 市古 貞次

 話の趣向としては、資生堂名誉会長福原義春が語る、古典というものは、20代で読むときと50代で読むときは違うという話。バブルで世の無常をといった話もあり。

 私は、方丈記は好きではない。これは単に好みの問題だろう。徒然草が好きで三年前読み直していた。

 ⇒極東ブログ: 「徒然草」を読む

 歳をとって、ある程度の日本語理解の深まりが出てきて、ふと古典が自然に読めるようになった。その一番の衝撃は「正法眼蔵随聞記」だった。道元の「正法眼蔵」となると、まあ、これはさらにランクが高くてすらすらとは読めないが、魅了される。

 日本語のなかに半世紀も生きていると、自然に千年前の日本語も読めるようになるものかとも思ったが、そうでもないのかもしれない。自分はそういう不思議な経験に遭遇した。

 正確にいえば、きちんと読めているわけではないが、自然な馴染み感はある、ということ。

 日本語の恵みのようなものを思う。

今日の一冊 「ノラや内田百

 ⇒岩合光昭さんの私の1冊「ノラや」内田百 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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ノラや (中公文庫): 内田 百

 百里録わず嫌いというか、荷風もそうなんだけど、なんとなく読んでいない。このあたりの文章の好みというのは人の資質というのがあるのだろうと思う。

 「ノラや」についてはこの紹介を聞きながら、自分も兎を10年飼っていてその死に遭遇した痛みがいまだに消えないので、率直にいって、この手のものはつらくて読めない。

 岩合光昭の奥さんのエピソードが面白かった。飼い猫が死んで家の下で白骨化していたが、彼女のいつもの定位置だったという。猫にはそういうものがあるというのだが、まあ、この手の話は、オカルトとか理解するもんじゃない。まあ、人生生きて見ればそうした味わいというか理解はある。

ネガコメ5のぶこめを非表示にすることのデメリット

 他のエントリのぶこめが読めなくなる。

inspired by 自分には釣り師の才能がないらしい

今日の大手紙社説

 二次補正先送り問題が話題。正論は正論だけど、政局でもつれるのはしかたない面があるし、基本的にこれこそ首相に委ねられている問題だしな、くらいかな。

日経春秋 春秋(11/26)

今回の容疑者は単独犯とみられるけれど、自らの思考への狂信ぶりはどこかカルトを連想させておぞましい。

 そう。

日経社説 実務派を核に経済再建めざす米新政権

 債務が膨らんだ消費者金融機関を中心に、米国は大規模なバランスシート調整を迫られている。その過程では需要の大幅減少は不可避で、金融安定化策と併せて、財政面からの下支えは欠かせない。急増しそうな失業者の救済策も求められる。

 一方、経済悪化に伴って政策対応が内向きになることは避けるべきだ。サマーズ氏やガイトナー氏は市場経済自由貿易を重視する穏健中道派。保護主義や行きすぎた市場への介入とは一線を画すとみられる。

 たぶんね。

毎日社説 社説:シティ救済 危機の出口はまだ見えない - 毎日jp(毎日新聞)

 結果論からいえば上出来の手順だったようにも見える、ということこかな。

読売社説 米新経済閣僚 危機に挑む実務型の布陣 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 社説は特に読むべきはないが、米国にしても英国にしても、まあ、ドイツフランスイタリアもとしてよいか、野党が政権を取れる国はよいな。

朝日社説 補正先送り―「逃げない政治」はどこに : asahi.com(朝日新聞社):社説

 フジテレビ「新報道2001」の先週の首都圏世論調査では、経済対策と総選挙のどちらが先かという質問に、58.4%の人が総選挙と答えた。政治の閉塞感(へいそくかん)は深まるばかりだ。

 へぇと思うのと、朝日がフジテレビを出して、しかも首都圏に注目するのは、もしかして込み入った洒落かなと思うのと相半ば。まあ、自社の世論調査ではどうなんでしょうかね。

曇り

 そういえば、曇りガラスという言葉を聞かなくなった。今でも、その名前で呼ばれるものがあるだろうが、たぶん、私がその言葉で思い出すそれではない。セロハンテープを貼って覗き見るあの世界を仕切るあれではない。追記 曇りガラスではなく、「磨りガラス」だった。

 子どもの頃、ボール遊びをすればたまにどこかの家のガラスを割ったものだった。そしてあやまりに行った。そのまま、笑って許す大人もあり、大人同士の弁償ということもあった。子どもを叱ることもあったが、居を構える人たちは叱る意味を知っていた。まあ、その世界がよい世界だったということがいいたいわけではない。そういう世界があった。

 夢は忘れた。寝付かれずにいて、もしかして、また体が冷えているのかなと思ったが、そんな感じはしない。しかし、ぬくめると眠った。そうして老いて、最後は醒めない夢に消えていくというのもよいんじゃないかという心地よさはあった。人生に目的というのはたぶんない。が、それでも、人生を遂げたことの祝福というものはあるようにも思う。そして、本当はその祝福は私のものではないという贈与を受けるとき、その分、私は私のためではない人生の価値を考えていかなくてはならない。

2008-11-25

ぶくまの仕様が変わったみたい

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ekkenさんは、話は通じないが、洒落は通じる人、のはず。

ライフハック〕必ず成功する方法

 inspired by [知識][ライフハック]必ず成功する方法

  1. 最初の事例で成功する
  2. 次の事例で最初の成功事例を成立させる
  3. 2をその次の事例に適用する

そんなもんかね

 ⇒時事ドットコム:半数が「理科は苦手」=小学校の学級担任−科技振興機構など

公立小学校の学級担任の半数が理科の指導に苦手意識を持っていることが、科学技術振興機構国立教育政策研究所の共同調査で分かった。3割の教員が「大学で理科をもっと勉強すればよかった」と答えた。

 重力理論回りとか難しくなったなという感じはするか。

グロ〜ぉぉおおぉぉぉリア♪

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):日本初、カトリックの「列福式」 長崎の野球場で - 社会

 17世紀に江戸幕府のキリスト教弾圧で殉教した188人を聖者に次ぐ尊崇の対象の福者(ふくしゃ)に列するカトリックの儀式「列福式」が24日、長崎市長崎県営野球場であった。日本での開催は初めて。ローマ法王の代理が列福を宣言し、国内外から集まった約3万人の信者が祈りをささげた。

今回の列福は、81年に当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が長崎を訪問した際に嘆願運動が盛り上がったことがきっかけ。片岡千鶴子長崎純心大学長らが約5万人に及ぶ殉教者の歴史を調査。07年にローマ法王庁に列福が認められた。

今日の大手紙社説

 特になし。

日経春秋 春秋(11/25)

 あのニュースをどこで聞いたか、50歳以上なら、多くの人が記憶しているはずである。38年前のきょう、作家の三島由紀夫東京市ケ谷の陸上自衛隊・東部方面総監部に入り、総監を監禁し、バルコニーで演説、割腹自殺した。

▼亡くなったとはいえ、三島の行動は、明らかに刑法に触れる。つまり犯罪である。でも三島作品は書店の店頭から消えなかったと記憶する。逆に多くの三島本が並んだ。作家と作品が別人格とすれば、当然だろう。ノーベル賞候補だった作家の行動に、どんな文学的背景があったのか、世の読書人は知りたがった。

 文学じゃないよ。政治思想としては、その立場は許容できるものではないけど、理路に間違いがあったわけではなかった。檄を感情を抜きにきちんと政治思想として読めば、そこにはきちんとした理路があり、日本が存続する限り拮抗するものがあるよ。そういうふうに読める日本人がいればのことだけど。

毎日社説 社説:新型インフルエンザ 国の危機管理体制が問われる - 毎日jp(毎日新聞)

 指針案は、新型が蔓延(まんえん)した場合、抗インフルエンザ薬を電話診療で処方できるとの指針案を示した。ただ、これはかかりつけ医のいる慢性疾患の患者が対象で、感染拡大を防ぐ決め手とはならない。

 米国は、個人が家庭でタミフルなどを備蓄することの是非も検討している。抗インフルエンザ薬は万能ではなく、服用のタイミングや誤用の防止など課題は多い。ただ、さまざまな備蓄方法を検討し、法律や制度を見直しておくことは日本でも必要だ。

 なんか、泣いてもいいですか的なお話。

 浜先生ぇぇぇ! ナニワの浜六郎先生ぇぇ!

読売社説 APEC声明 WTO交渉合意の誓約を守れ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 これはちょっとスジが違うかなと思うけど、日本にはよい状況かな。WTOなんか死んでいたかに思われていたから。

朝日社説 不況と温暖化―「緑の内需」の出番だ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 いい話だなぁ……ってやつですよね。四年ぐらいして読み返してそれが続いているといいけど。

 もうちょっと途上国の問題に触れてもいいかな。ただ、途上国の問題はこういう雲の上の問題じゃない、普通の悪政の問題があり、ある種帝国主義的善意の終焉から奇妙な問題になっている。ジンバブエとか一つの典型で、ここでも、アフリカのなかで解決できるという、いい話だなぁ、をどう受け止めるか。というか、露骨にいうと、先進国の人の命と途上国の人の命は、なんだかんだといっても主権に阻まれて、別の問題になっている。吉本隆明に言わせればそんなものだろうが。というか、もうちょっと言うと、人道主義の危機が世界を覆っているのだけど。

 と書きながらふと思ったのだけど、よく「仄めかし」と私は揶揄されるけど、あまり踏み込んでいうと飛躍や失うものも多いので、そこに留意しているということもあるのですけどね(というのが仄めかしみたいだな)。

晴れ

 空気は澄んでいるが西の空がくもり、富士山は見えない。

 夢は。私がなにか旅館のとような学生リトリート施設のようなところで、お酒を飲みながら気楽にインタビューされているということ。一応番組もまとまり、どうですかとモニターも見ている。メッセージがうまく伝わっていないなと思いつつ、映像作家なりの思いがあるのだろう。ある意味、凡庸な人間の思い入れというのは滑稽なものだからな。つまりピエロを演じるのが書き割りか、と思っている。そう思いながら、なぜ私にインタビューなのだろうとも不思議に思っている。どうせ一種の醜態のドキュメントのようでありながら私にある思想を問おうとしているようにも思える。私にとりわけ思想なんてものはないのにな。著名人でもないしと思っている。夢のなかでは特にブログがどういう話はない。また、私はまだ30代で若い。

2008-11-24

人間到る処青山あり

 カンゴロンゴが微妙におかしい。

 それはそれとして。

 ⇒人間到る処青山あり : NHK 世直しバラエティー カンゴロンゴ | これまでの放送

「人と人との間には、目には見えないが、美しい青い山があります。」

「その言葉は、願いの言葉です。『人と人との間には、いつもみずみずしい青い山があってほしい』という、人間の希望の言葉です。不思議なことに、人間が希望をもつと、青い山は、たしかに現れる」

 という話で、おいギャグにしてもそれは違うだろと思ったけど、僅かに死所ということはちらと解説で触れていた。

 ネットのほうではきちんと触れている。

「人間到る処青山有り」は「故郷にこもらず、外の広い世界に出てゆこう」という意味です。

出典は江戸時代の僧、月性(げっしょう 1817年〜1858年)が若いときに書いた漢詩です。

「男児 志を立てて郷関を出ず

 学 若し成る無くんば復た還らず

 骨を埋む 何ぞ期せん墳墓の地

 人間到る処青山有り」

(ダンジ、こころざしをたててキョウカンをいず。ガク、もしなるなくんば、またかえらず。ほねをうずむ、なんぞキせんフンボのチ。ニンゲンいたるところセイザンあり)

 

この詩の意味は「わたしは、学問をきわめるため、これから遊学の旅に出る。男たるもの、志をとげるまでは、故郷に戻らない。旅先で死んでもかまわない。人の世のなか、どこにでも、骨を埋めるにふさわしい『青い山』があるのだから」というもの。

 月性は日本人なわけだけど。

 この墳墓の地というのは、日本人にはちょっと通じがたい感情がある。というか、沖縄で暮らして、むんちゅう墓とか見ながら華人の思いというが少しわかったというか、蒋介石の思いとか。墓が台湾の地に着かないように浮かしてある。

 逆に死者の墓を暴くという発想もそこから出ている。

 蒋介石も小平散骨を望んだ。墓で安住できないことをよく知っていた。

 カンゴロンゴの話に戻ると、女ができてそこが死所という洒落気も込められているのだろう。

NHKドラマ7 七瀬ふたたび

 ⇒次回予告・各回のあらすじ | NHKドラマ8 七瀬ふたたび

 面白かったですよ。これで7回め。脚本に破綻がなく、進展もいい。

 こういうとなんだけど、ここまでひりひりと痛い感情に訴えるというか訴えてくるっていう作りはありかなと思った。演技がずばぬけてよいというわけでもないのだろうけど、カメラとか音楽とか、なんか総合的に圧倒的な実力で作成されている感じがする。

ノーベル賞、メモ

 ちょっとメモ。

 ⇒ヨハネス・フィビゲル - Wikipedia

ヨハネス・フィビゲル(Johannes Andreas Grib Fibiger、1867年4月23日-1928年1月30日)はデンマークの病理学者。1926年にノーベル生理学医学賞を受賞した。

 あまり書いてない。

フィビゲルは1907年にネズミの胃癌を比較研究している際、線虫の一種 Spiroptera carcinoma を発見した。この線虫はネズミのえさとなっていたゴキブリを宿主として広く分布しているものであった。胃に異常が認められないネズミに線虫が寄生したゴキブリを与えると、高い確率で胃癌を発生することを確認した。フィビゲルは1913年、世界で最初に人工的にがんを作り出したことになる。ついでネコに寄生する条虫を用いて、ネズミに肝臓肉腫を起こすことにも成功した。

 

当時はフィルヒョーの反復刺激説が議論されており、フィビゲルの仕事はフィルヒョー説の有力な証拠とされた。後年の研究により、線虫によってがん化するネズミはまれな系統に属するものだけであることが分かっている。

 というか、はっきり書いてない。英語のほうもそう。

 ほいで。信州人、上田の人。

 ⇒山極勝三郎 - Wikipedia

幻のノーベル賞

当時、癌の発生原因は不明であり、主たる説に「刺激説」「素因説」などが存在していた。山極は煙突掃除夫に皮膚癌の罹患が多いことに着目して刺激説を採り、実験を開始する。その実験はひたすらウサギの耳にコールタールを塗布し続けるという地道なもので、すでに多くの学者が失敗していたものであった。しかし、山極は、助手の市川厚一と共に、実に3年以上に渡って反復実験を行い、1915年にはついに人工癌の発生に成功する。

 

その一方で山極による人工癌の発生に先駆けて、デンマークのヨハネス・フィビゲルが寄生虫による人工癌発生に成功していた。当時からフィビゲルの研究は一般的なものではなく、山極の研究こそが癌研究の発展に貢献するものではないかという意見が存在していたにもかかわらず、1926年にはフィビゲルにノーベル生理学・医学賞が与えられた。

 ま、そう。

後年、フィビゲルの研究はごく一部のネズミにのみ再現可能であることが実証されており、現在の人工癌の発生、それによる癌の研究は山極の業績に拠るといえる。

 

当時の選考委員のひとり、スウェーデンのフォルケ・ヘンシェンは来日した際に「山極にノーベル賞を与えるべきだった」と当時の選考委員のミスを悔やんだという。また、選考委員会が開かれた際に「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」との発言があったことも明かしている。[1]

 つまり、フィビゲルの研究が間違いとも言い切れないが、ノーベル賞はミスだった。

 ただ、このウィキペディアだけでそう言えるかというと、ちょっと微妙。

 ちなみに、山極勝三郎の英文の項目はない。

 先の言及の典拠はこれか。

cover
100人の20世紀〈上〉 (朝日文庫): 朝日新聞社, 朝日新聞=

 漫画のネタにもなっていたのか。

cover
栄光なき天才たち (4) (集英社文庫―コミック版): 森田 信吾, 伊藤 智義: Amazon.co.jp

 ある世代には影響のある漫画なんだろうな。

 これには間違いと書いてある⇒How to Win the Nobel Prize: An ... - Google Book Search

 概ね、フィビゲルのノーベル賞受賞は間違いでしたというのは、定説としてもよさそうな感じだな。

そういえばついでに大内氏

 ちょっと連想でメモと。

 ⇒大内氏 - Wikipedia

出自

百済の聖明王の第3皇子である琳聖太子の後裔と称する。琳聖太子が日本に渡り、周防多々良浜に着岸したことから「多々良」と名乗り、後に大内村に居住したことから大内を名字としたとする。しかし琳聖太子の記録は古代には無く、大内氏が琳聖太子後裔を名乗るのは14世紀以降とされるため、この伝説は信憑性に乏しい。代々周防国で周防権介を世襲した在庁官人の出であること以外は不明である。

 史実はよくわからないのだけど、「大内氏が琳聖太子後裔を名乗るのは14世紀以降」というのはガチ、としてよさそう。というその時代に、「琳聖太子後裔を名乗る」という日本ってどういう日本だったのか、イメージが湧きづらい。

 ネタでよく取り上げられる⇒高野新笠 - Wikipedia

新笠の出自

(この記事や節の内容に関する文献や情報源を探しています。出典を明記するためにご協力をお願いします。)

父の和乙継は百済系渡来人の子孫で、姓(かばね)は和史(やまとのふびと)と推定されているが明らかではない。

また、淳陀太子の没年と高野新笠の推定生年(710年 - 720年)には200年以上の開きがあり、和氏が百済系渡来人といっても百済王氏のような今来(いまき)の帰化人ではなく、相当な古来である。和乙継の名前をみても相当日本化した帰化氏族だといえる。

 たしか、この点については、今上がけっこう明言されたことがあったかと思う。

 いずれにせよ、百済系の帰化氏族が天皇家と関わってるし、桓武帝に大きく関わっているのは、ガチ、としてよさそう。

 こうした、なんというのか、明治時代以降の天皇家伝説と違う、半島出自の伝説が、中世においてどういうふうに理解されていたのか、現代からは見えづらい。

そういえば天皇家泉涌寺の檀家

 ⇒泉涌寺 - Wikipedia

 近代の感覚からだとわかりづらいかも。⇒天皇家は代々仏教徒だった?泉涌寺の謎 - 作品一覧

 仏教徒というより、天皇家というのは、仏教の頂点でもあったはず。たしか、このあたり網野善彦が以前いろいろ書いていた。

 というか、このあたりの国家鎮護というか国家権力としての仏教も、近代の感覚からはわかりづらくなっている。

 これはまあよくある話⇒泉涌寺散策 : 納得できない『逆説の日本史』(補論)

 井沢もフライングというか、これ、小林惠子説のトンデモ度を薄めたネタなんだけどね。

 これらから導かれる穏当な推測は、この寺は13世紀の四条天皇の山陵造営から皇室菩提寺としての性格が芽生え始め、遡って当時の都である平安京の初代天皇と、その父と、やはり直系で有名な天智天皇までを奉祀の対象に設定した、ゆえに平城京の天皇もそれ以前の天皇も、原則として奉祀されていないのだ、というものではないでしょうか。

 そう言いたい気持ちもわかるけど、それもまた推論。

 どう考えてよいかは難しいのだけど。(伊勢神宮と天皇家のアンビバレンツな問題がある。)

 明治時代神道的な天皇家の感覚としては、最初が大化の改新、で、次が、建武の中興、で、明治のご維新、というストーリーなわけですよ。

 で、このストリーを作り出したのは水戸学。ちょっと端折ると、朱舜水

 で、この時代に、弘文天皇が、産まれる!、とまで言うのはなんだけど、まあ、ざっくり言えばそんな感じ。

 なので、近代天皇家のイデオロギーというのは江戸時代に仕組まれていたわけなのだけど。

 ど、というのは泉涌寺まわりがね。もうちょっと古い。

(前略)13世紀までは別に皇室の菩提寺でも何でもなかったことが分かります。

 つまり、仮に「天武以後称徳女帝までの八代」を祀らないという意図があったとしても、それは13世紀以降の意図であるということなのです。

 このあたりなのだけど、この時代の天皇家の理解というのは、現在明治維新後に万世一系的にずらずら暗唱されるようなものとなにかと違っていて、さらに、この時代、「古事記」はないし、扶桑略記なんかも並列していた。

 天皇家の歴史がどう理解されていたが、いまひとつわからない。

 というのと、天皇家の歴史が位牌化されるということ。

 関連して、墓ができるのもこのあたりの時代で、それまで、墓っていうのはなかったんですよ、というと言い過ぎなんだけど。

 墓はたぶん、阿弥陀信仰ができてたものかな。もうちょっと言うと、骨信仰。

 骨の意識が阿弥陀信仰と結託してくる中世になんかあったんだろうな、と。

 それまでの仏教では、廟、なんですね。

 まあ、このあたり、なにかと概念や歴史の層を整理しないといけないし、私の知らないうちに誰か仕事しているかもしれないけど。

 あ、そうだ。

 骨ついでにうと、特に髑髏も信仰されているっぽい。

 立川流の影響というよりも、むしろその源流じゃないかな。

昭和天皇崩御の時

 ⇒なんたらかんたら: 天皇崩御をリアルタイムで見た人ちょっと来て欲しい

 ⇒はてなブックマーク - なんたらかんたら: 天皇崩御をリアルタイムで見た人ちょっと来て欲しい

 時代だなあ。

 で、私。

 ⇒極東ブログ: 終戦記念日という神話

 余談だが、昭和天皇が崩御したその時、私は東京駅にいた。職場に向かうはずだったが、こんなことは人生にそうあることでもないと思って、そのまま二重橋に走った。明治大帝が亡くなったとき、あるいは敗戦時を連想させるような光景がそこに出現するだろうかと期待した。が、何も無かった。静かだった。人も少なかった。私はしばらく虚空を見ていた。歴史に遭遇するというのはそういう感じかも知れない。

徳川時代の面白さ

 猫猫先生『カムイ伝』に挫折した私 - 猫を償うに猫をもってせよ

 まあ単純に、筋が面白くないから面白くない。その根源を尋ねると、徳川時代というものが面白くないのである。たとえばフランスの小説なら、フランス革命から、それ以後のいくつかの革命を舞台としたものがたくさんある。しかし徳川時代には、革命は起こっていない。なのに白土三平は、革命が起こるような世界を描こうとしている。しかし史実は変えられない。だから面白くないのだ。徳川時代そのものが、フィクションの題材として面白くないのである。現代日本も、徳川時代に似てきた。

 その感覚は半面ではよくわかるなと思う。

 あと半面は、だから、小林秀雄の「本居宣長」の問題、つまり、静かに行われた思想の劇ということがある。

 そしてこの静かな劇を小林はまるで宣長のように洗練した形で現代に召喚してしまった。いや、理解されてないから、召喚失敗かもだが。

 この問題にどれほど劇が潜まれているかは、「現人神の創作者たち」を待つことになる。

 それとは別に、江戸時代というのは、経済システムとしてみると非常に面白い。

今日の大手紙社説

 元厚生事務次官殺傷事件が話題といえば話題。特に創見はない、どころか、社説のありかたに危惧を覚えた。単純な社説への批判ということでなく、我々の社会の倫理の微妙な感性はどこに行くのだろうか、と。

産経社説 【主張】チベット人会議 中国は自治拡大に応じよ - MSN産経ニュース

 あまり日本で報道されていないようだが、ダライ・ラマの問題は以前より深刻になっている。ただ、大筋では中印問題であり、広義には米国のグリップの問題だ。ブッシュ政権はいろいろバッシングされたしが、結果論からみるととても理性的な行動をとっている。私はむしろオバマ政権に不安を感じている。

毎日社説 社説:連続殺傷事件 背後の事情と動機の解明急げ - 毎日jp(毎日新聞)

 注視すべきは、事の当否はともかく、事件発生後、多くの市民が連続テロの可能性を感じ取ったり、テロが起きても不思議ではないと考えている様子が明らかになったことだろう。年金をめぐる混乱がいっこうに収拾されないだけでなく、いわゆる格差社会の深刻化、雇用情勢の悪化などを背景に、人々のいら立ちや社会不安が広がっている証左ではないか。

 そこがまさに問題なのだが、錯綜している。

 毎日新聞をバッシングする意図はないが、このオピニオンは、私の市民感覚では、社説に載せてよいものではない。

 朝日社説のほうで先走って書いてしまったが、「人々のいら立ちや社会不安」という物語が欲しいという大衆心情がたぶんこの狂気と通底しているのだろう。その感覚のもつ危険性、というか、その恐ろしさへの感性が今、眼前で崩落していく様を見ている。

読売社説 元厚生次官襲撃 出頭男の動機が見えない : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 社説の体をなしていないが、ある年代上の人の感覚はうまく表現しているから、この社説もありだろう。

 狂気というのはその内部の論理性に従うことで理解できる。

 これはすごい本だよ。

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知覚の呪縛―病理学的考察 (ちくま学芸文庫): 渡辺 哲夫: Amazon.co.jp

 ただ、ある意味、本当は身も蓋もない本でもある。

 そして、たぶん、ある種の「悪」が問われてくるが、そこでとても不思議な問題になる。

 余談にそれていくが。

 人がそうした不思議な問題に直面したとき、現代の心性の水準では、宗教のようなオカルトみたいなことになりかねない。宗教がむしろ資本主義に結託している現状では、宗教性はより非合理的なものになる。そこで、それは非合理ですと割り切る臨界はどこに現れるか。市民社会の原理としては、広義の科学性と市民運動だろう。そして後者は、こういうとなんだが、科学的であっても非科学的であってもよい。ここは誤解されるだろうから、補足すると、結果として非科学的な端緒をもっても、市民社会に止揚されるものは必ずや近代学的なものに変性するプロセスを踏むからだ。

朝日社説 裁判員制度―まず、尋ねることから : asahi.com(朝日新聞社):社説

 こういうとなんだが、たぶん自分には当たらない。当たっても全然いいので、この件は自分にはあまり関心がない。そしてなにより私はこの制度に賛成だし。

 ただ、350人に一人というこはかなり世間の騒ぎになるのだろうなという感じはするな。

 その騒ぎがよい方向になればいいけど。冷静に考えると、そうではないのだろうけど。

 市民であることが問われる機会が増えれば、日本は市民社会に変わっていく、ととりあえず思う。裁判員制度もそうだし、そして本当は、納税を天引きにするのを辞めるとタックスペイヤーが意識できるようになる。でもそこも目覚めさせればいろいろ混乱は起きる。冷静に考えると、以下略。

朝日社説 元次官宅襲撃―凶行の理由が知りたい : asahi.com(朝日新聞社):社説

 朝日新聞が望むような理由はないかもしれませんよ。これが陰謀論的なスジであれば、たぶん苫米地先生のスジでしょう。そのあたりのスジは、常人には読めないし、仮にそうであってもそのスジなら常人はそう読まなくてよいという結果だけはガチのように思える。

 この事件の背景にあるものは、男の個人的な問題なのか。いまの世の中に広がる閉塞(へいそく)感のような、社会全体の問題もどこかでからんでいるのか。これから注目していかねばならない。世の中の不安を解消するには背景を明らかにすることが不可欠である。

 男が警察に出頭した日、犠牲になった山口剛彦さんと妻美知子さんの通夜がいとなまれた。被害にあった人たちと家族の怒りや悔しさにこたえるためにも、警察は全力で事件の解明にあたってもらいたい。

 この社説が典型例だけど、「世の中に広がる閉塞」という物語が欲しいという大衆心情は、たぶんこの狂気と通底しているのだろうという感覚が重要なのではないかと思う。

 警察には尽力していただきたいけど、そうした物語に答えるようなありかたは、それはそれでよくないだろう。

晴れ

 寒くなりそうだ。私事気ぜわしいことが重なり滅入る。

 午後には雨と聞く。この季節の冷たい、惨めな雨は、独自の詩情があって嫌いではない。

2008-11-23

幼稚な事件ではないでしょう

 ⇒【元厚生次官ら連続殺傷】「今の40代は幼稚な人多い」識者コメント - MSN産経ニュース

 「今の40代は幼稚な人多い」は50から60を含めてもいいと思う。戦争経験のない時代の世代は幼稚なもんですよ。で、それが悪いというものでもないでしょうが。

 で、この事件だが、幼稚な事件ではないでしょう。

 殺害者選別も殺害状況も、幼稚とは、私にはとうてい思えない。ま、幼稚な私が思うでたいした推測でもないが。

 ただ、家を物色した、小銭を取ったという話も聞いたので、そこは、末端的なありがちな犯罪っぽい感じはする。

 というか、なにより世田谷一家殺害的な経緯を辿りそうなものが、こういう展開になるというのが、幼稚とはとうてい思えないところかな。

 ただ、個人的にはあまり真相には関心ないし、戦前の昭和史みたいなテロとは違うようには思う。

 そういえばこの事件、20歳から40歳と当初は言われていたが、この容疑者がそうだとすると、46歳だったかと報道されている。

 自分が若いとかいいたいわけではないが、私なんぞは身のこなしとか見ていると20代くらいに間違われるだろうなとそのとき思った、つまり、犯人は意外に40過ぎだろうな、と。

 

追記

 意見を変えました。

 ⇒極東ブログ: 元厚生事務次官殺傷事件、雑感

 ちょっと気持ちの悪いものが残るのだけど。

ま、なんというか

 この標題は何回目かな。

 自分はブロガーとして間違っていたかな、というか、間違ってきたかなと、このところ思う。

 またブログが書けない期に入ってきた。

 いよいよブログ終了かな、と、思う。それならそれはそれでいいだろう。

 で、まいど、孤独だしな、通じないし、とか思うのだが、が、というのは、それでも継続的に読んでくださるかたもいるし、実は応答のない方ほど通じていたりすることも、パソ通からブログをやっていて、後になってわかるということもあるので、こうした泣き言を書くと不必要に心配をかけかねない。

 まあ、その意味ではいたって暢気です。ご心配なく。

 本などをぼそぼそと読んでいるが、特に書評めいたことも書く気はしない。

 そういえば、この時期、っていうか、晩秋は、よく人生に転機がおこる季節だった。

 話が連想みたいだが、1944年産まれのセリグマンにたしか7歳くらいの子どもがいる。反面、長男は40歳くらいか。ど、どんだけぇとか思うが、人にはいろんな生き方があるだろうし、自分もいろんな生き方みたいな人生を歩んできた。

 変わらないのはこのところか、あるいは別段隠す意図はないがブログで語る部分が変わらないのか。しかし、過去に書いたものを見ると、今の自分とはだいぶ変わっている。

 そのあたりに、ああ、自分はブロガーとして間違っていたなというのもある。

 無意味に敵を作りすぎたなとは思う。

今日の大手紙社説

 元厚労省次官殺傷事件については朝日が扱っていたが、他紙は様子見で明日触れるのだろう。特に進展はないだろうと思うが。

産経社説 【主張】小学生の暴力 家庭もしつけに責任持て - MSN産経ニュース

 昨日の朝日新聞と同じ。似た主張の新聞なんだろうなというのがよくわかるケース。

毎日社説 社説:米国と中東 対話の枠組みを広げよう - 毎日jp(毎日新聞)

 ブッシュ大統領はパレスチナ問題の仲介も熱心ではなかったが、「イスラム嫌い」と思われぬよう任期中にイスラム圏との対話に努めてはどうか。それは対話重視のオバマ次期政権にも役立つはずだ。

 ライスはいろいろ努力していたと思うが。

 というか、レーガン時代あれだけ騒いだリビア問題をとりあえずブッシュ政権は解決したように見えるが。

朝日社説 元次官殺傷―全容の解明を急げ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 ネット外から聞かされたが、それほど関心が持てなかった。本人の意志から黒幕かということが問われるのだろう。オウム事件の村井暗殺を思い出した。

 なんとなく迷宮入りになるかと思ったがそうでもない。ただ、真相はわからないのではないか。

薄曇り

 疲労感。嫌なことは重なるものだなと思う。ただ、あまりそうしたものを考えなくなった。

2008-11-22

今日の大手紙社説

 特になし。

毎日社説 社説:郵政株売却凍結 政策転換なら国民に問え - 毎日jp(毎日新聞)

 国民が望む結果にしてその責任を負えばいいのではないかな。

読売社説 日米株安連鎖 GM救済の迷走が落とす影 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 みなさんが支持したオバマがなんとかしてくれるのでしょう、たぶん。

朝日社説 海賊対策―日本ができる貢献もある : asahi.com(朝日新聞社):社説

 標題につられて読む。

 これらの海賊対策は、あくまで対症療法でしかない。根本的な解決策は、ソマリアの内戦を終わらせ、統治力のある政府を作り出すことだ。

 95年にソマリアでの国連平和維持活動が失敗に終わって以来、国際社会の関心は薄れていたが、再建に向けた支援を強化する必要がある。

 海賊という「海」の問題は、無政府状態という「陸」の問題の解決なしには終わらない。

 これが答えなんだろうか。

朝日社説 子どもの暴力―いら立ちの芽を摘むには : asahi.com(朝日新聞社):社説

 テレビゲーム、パソコン、携帯電話子どもたちの周りには、かつてなかった仮想社会が広がっている。生身の人と接することで自然に鍛えられた心の耐久力が弱まっていることは確かにあるだろう。学校裏サイトなどネット上の陰湿ないじめが広がっていることも、それと無縁ではないはずだ。

 ではどうすればいいのだろう。何より家庭の役割が重要なのではないか。

 荒れる子どもに共通しているのは、日頃からいら立ちやストレスを感じていることだという。特に、親による勉強へのプレッシャーなどが原因となっている例が目立つようだ。

 自分の子どもは日々、何にいら立っているのか、細心の注意を払おう。テストや通知表ばかりに目をむけていると、SOSを見過ごしてしまう。

 そうなんだろうか。

 朝日が「家庭の役割」というのもちょっと不思議な感じがする。

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 あまりサバトっぽくなかったな。きれいな晩秋の日だ。

 生牡蠣を見つけて、買おうかどうか少しまよってやめた。おいしいのはわかるのだが、なんとなく予想がついてしまうのは気が萎える。

2008-11-21

ブログサバト

 おっと。

 

追記

 ちょっとコメントした。

 というか、事実上、ブログサバト、なし。

これはある程度予想されていたのでは

 ⇒NHKニュース 血糖値下げるメカニズム解明

研究を行ったのは、東北大学大学院医学研究科の片桐秀樹教授のグループです。インスリン血糖値を下げる働きをするホルモンで、すい臓にある細胞から分泌されますが、研究グループは動物が肥満状態になるとこの細胞が増殖することに注目しました。そして、マウスを使った実験で、肥満状態のときに肝臓の中で活性化する酵素の働きを強めたところ、すい臓のインスリンを分泌する細胞が増殖し、最終的に2倍以上に増えました。一方、この肝臓とすい臓を結ぶ神経を取り除いて同じ実験を行ったところ、細胞は増殖しなかったということで、研究グループでは、肝臓にある酵素の働きが神経を経由してすい臓に伝わることでインスリンを分泌する細胞が増殖することが証明されたとしています。片桐教授は「糖尿病の治療のため、1日に何回もインスリン注射をしている患者がたくさんいるが、注射をしなくても済む治療法につながることが期待される」と話しています。この研究結果は、アメリカの科学雑誌「サイエンス」に掲載されます。

 べたに読むと、肥満状態では血糖値が下がりやすいから、肥満解消のホメオスタシスのような印象もあるが。

 

追記

 私の理解が逆だったみたい(つまり間違い)。コメント欄を参照のこと。

今日の大手紙社説

 麻生首相の失言問題が話題の一つだが、言葉尻の域をあまり出ていない。毎日が少し背景に触れたが、本当はその背景にきちんと触れたほうがいいだろう。

 もう一つは子どもの暴力の問題。ネットいじめとは別に議論していいとは思う。まったく分離される話題ではないが、身近で身体的な暴力に遭遇する子どもを即刻に保護する必要があるはずだ。

日経春秋 春秋(11/21)

▼大声で叫びたい中高年が、世の中にこれほどいるとは驚いた。今月末に最終選考会を開く「日経おとなのバンド大賞」の参加者が、全国から合計3000人に上った。40歳以上の年齢制限がある。プロ活動をしている人も応募できない。普通に働いている普通の勤め人が仕事の合間に、楽器や歌の練習に励んでいる。

▼予選会を見てまたびっくり。仕事一本ヤリにみえた知人が、マイク片手にシャウトしていた。しばらく会う機会がなかったが、いつの間にか髪は白くなり、お腹(なか)も大きくなったような……。「名もなき者たちよ立ち上がれ」「とりあえず飲みに行くか」。自作の哀愁ブルースは、疲れた管理職が若手に奮起を促す。

▼バンド競演会だけではない。街の音楽スタジオも、年末にかけて40―50代のグループの予約で一杯(いっぱい)だという。学生時代の音楽仲間が、年を経て何かを感じ、歌で訴えたくて再び集まる。

cover
流星課長 (Bamboo comics): しりあがり 寿

日経社説 消費低迷が影落とす米株安

 カネ余りを背景に、米家計は負債を膨らませて消費を続けた。家計の負債総額は過去5年で1.5倍になった。負債圧縮は始まったばかりで、適正水準になるまでは消費の本格的な回復は難しいとみるべきだ。

 対米輸出に頼ってきた日本企業の収益構造も改めて問うている

 締めの方向がやや違うような。

 方向はこっち⇒輸出頼みからの脱却を 日・独・中への処方せん――フィナンシャル・タイムズ社説(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

 これらの国が輸出経済から脱却すれば、各国の収支不均衡が是正されるだけではない。今までは日独中のような経常黒字国から赤字国へ資金が流れ込み、これが赤字国の信用ブームを膨張させてきた。そういう世界経済の不均衡にも、ついに改善へのメスが入ることになる。

 日独中のどの国でも、カギを握るのは政府だ。財政拡大が必要になる。ただ、各国の経済には大きな違いがあるため、対策の内容も異なるはずだ。

一番難しい立場にあるのは日本かもしれない。政策金利はすでに0.3%まで引き下げられ、もはや金融政策は大した助けにならない。政府債務残高の対GDP比が約170%と、先進国中で最も高い借金大国では、財政政策にも限度がある。政府は先月、財政支出額5兆円の経済対策を発表した。正しい方向へ一歩を踏み出したといえる。ただし肝心なのは消費者への説得力、つまり、財政拡張が今後何年間も続くという確信を消費者に与えることだ。今は、消費税を引き上げたり、医療費年金の給付を削減したりする時期ではない。

 ブログで扱うかためらっていたらgooで翻訳が出ていた。

 フィナンシャルタイムズはこのところいろいろ日本に注文つけていたけど、日本のジャーナリズムはシカトしていたみたいだった。

 とくに⇒極東ブログ: フィナンシャルタイムズ曰く、じたばたせずリフレしろ、日銀

日経社説 反改革を勢いづかせた首相の郵政発言

 私たちは郵政民営化は景気動向にとらわれず着実に進めるべきだと考える。政府の信用を盾に巨額の資金を国民から吸い上げた郵政事業は、資金の出口となる財政投融資も肥大化させた。この仕組みを解消し、国民の金融資産を民間が有効に活用することは経済活性化に必要だ。行革徹底を主張する民主党が民営化見直しを支持するのも筋違いである。

 もちろん、政府保有株の売却は株式相場や民営化企業の経営状況を見極めて決めるべきだ。相場が低迷する時に無理して株式を売っても政府に入る売却収入は低水準にとどまり、民営化で生まれた果実を十分に国民に還元できない。新たな売り圧力として市況に悪影響も及ぶ。

 だが、1年以上も先の10年度の株式市況が予測できるはずもない。いま首相が売却目標の先送りに言及するのは、選挙目当ての軌道修正と受け取られても仕方がない。日本郵政が株式の早期上場を念頭にした中期経営計画の発表を遅らせるなど、現場も混乱している。これに限らず首相発言の軽さは最近とみに目に付く。郵政改革を進めるのか、止めるのか。態度を明確にしてほしい。

 そう思う。

 これだけきちんとした意見が読めるのはよいな。

産経社説 【主張】道路特定財源 一般財源化の理念に戻れ - MSN産経ニュース

 地方は国と違って基礎的財政収支が黒字であり、使途自由の財源が要るなら地方の道路特定財源を一般財源化すれば済むはずだ。仮に1兆円を地方に回すなら、せめてその分を本来の地方交付税から差し引くのが筋だろう。

 仔細がわからないのだけど、そうなんじゃないかな。

産経社説 【主張】酒酔い警視 これで飲酒運転撲滅とは - MSN産経ニュース

 ドライバーはだれも飲酒運転法律に違反しているとの自覚がある。しかし、少しぐらい飲んでも事故は起こさない、という過信が後で取り返しがつかなくなるということを、肝に銘じるべきだ。

 これまでは、飲酒運転をした場合、一定期間の免許取り消しや免許停止処分にしてきたが、今後は1回で永久免許取り消しなどの厳格な処分が必要だろう。そうでもしない限り、飲酒運転の根絶など実現できまい。

 理性が働くならね。泥酔して理性がないのが問題なのでは。

毎日社説 社説:荒れる子供たち 調査結果を具体策に生かせ - 毎日jp(毎日新聞)

 今回、暴力行為増加が注目され、その背景に何があり、緊急にどのような対処が必要なのか方策が求められている。机上論や内輪話にとどめないためには、実例に立ち、経緯や要因、対応の成否や工夫など現場の経験と教訓を広く共有しなければならない。

 という文脈からするっと。

 事態は旧来の経験則より先に進んでいる。

 例えば、携帯電話やパソコンを使って中傷する「ネットいじめ」は、加害者、被害者の立場が簡単に入れ替わったり重なったりする。外からは気づきにくく、調査では、いじめ認知件数全体の6%足らずだが、前年より2割も多い増え方をしており、かなり潜在している可能性が高い。

 ネットいじめに移る。

 私が問題だと思うは、教育現場における暴力の増加ということは、明白な身体的な暴力の被害者を産んでいるということなのだから、それの実際的なプロテクションが最初に議論されるべきことだと思う。

 このあたりの問題には、いろいろ識者の議論もあるかと思う、というか、識者をいわゆる教育的・倫理的な方向性だけじゃなくて、動物行動学みたいな部分も含めてよいように思う。その結論をどう反映させるかは慎重な対応が必要だとしても。

毎日社説 社説:「医師は常識欠落」 麻生さん、「失言」では済まない - 毎日jp(毎日新聞)

 全国都道府県知事会議で医師不足への対応を問われた麻生太郎首相が「自分で病院を経営しているから言うわけではないが、医者の確保は大変だ。(医師には)社会的常識がかなり欠落している人が多い」と述べた。地方の医師不足の原因が医師側にあることを指摘したかったとみられるが、乱暴な発言だと言わざるを得ない。これには医師の団体だけでなく、首相を支える政府・与党からも批判や苦言が相次いだ。異例のことである。

 ジャーナリズムが困ったことになったと思うのは、このあたりの思考回路。毎日をバッシングという意図ではないのでそこんとこよろしく的に。

 「地方の医師不足の原因が医師側にあることを指摘したかったとみられるが、乱暴な発言だと言わざるを得ない」というなら、「乱暴な発言」でなく、その指摘が紳士的になされていたらどうかというのが、問題の本質。というか、「乱暴な発言」とやらは見ていくかぎりごく表層的な問題というか、失礼は失礼だしそこは謝罪して終了。

 医師の団体が医師抑制を働きかけたことは事実だが、それを後押ししたのは自民党だった。医師不足を医師側の責任と主張するのなら、客観的な事実を示すべきだ。自らの病院経営の中で感じたことを話したのだとすれば説得力がない。首相発言は医師不足の現状を打開する手がかりになるどころか、混乱をもたらすだけだ。こういう発言こそ「社会的常識」を欠いたものと指摘せざるをえない。

 「客観的な事実を示すべきだ」は首相に問うべきではなくて、ジャーナリズムの仕事。というか、反語的に言うのであれば、そこをもっと厚く。つまり、「社会的常識がかなり欠落している人が多い」のは「自民党」なのか? そこに説得力がない。

 私の印象だが当時の報道をみると、自民党はその背景団体の利権を配慮していたように思える。

 次に。

 「医師不足の現状」だが、これは誰か指摘しないのだろうか、というか指摘されているのを私がよく知らないのか。ちょっと資料を探すのがめんどいが、医師は不足していないはず。このあたりだが、10年前の医師減らしの予想は間違っていないはず。

 打開されるべき現状というのは、地域の医療拠点となる病院の医師不足であって、つまり、医師は開業医にシフトしているということではないか。

 そしてそれは大筋では正しい方向というか、正しい以前に、自由主義国家の発展の必然に近いものだと思う。

 ジャーナリストさん、お仕事してくださいよという感じ。

 

追記

 毎日社説 社説:「医師は常識欠落」 麻生さん、「失言」では済まない - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記

2008年11月22日 NATROM 逃散 「ちょっと資料を探すのがめんどいが、医師は不足していないはず」。それはぜひとも資料を探してください。お願いします。

 すでにご存じではないかと思いますし、私の読みが間違っているかもしれないけど⇒http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/07/dl/s0728-9c.pdf

読売社説 いじめ調査 実態を本当に把握できたのか : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 問題はいじめではなく”暴力”のようだが。

 文科省は、同時に実施している児童生徒による暴力行為の調査では、該当する具体例を示している。いじめの調査についても、これと同様、例示すべきだろう。

 ネットいじめとこの”暴力”は区別して議論してもよいのではないか。

朝日社説 麻生首相―言葉が軽い、政権も軽い : asahi.com(朝日新聞社):社説

 この社説はダメだと思う。

 政治家の発言の言葉尻をとらえて、いたずらに批判するのは本意ではない。それを十分わきまえた上でも、このところの麻生首相の発言の迷走ぶりは見過ごすわけにはいかない。

 一昨日、地方の医師確保の難しさに関連して、首相はこう述べた。「(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い。価値観なんかが違う」

 何を言いたくてこの発言になったのかよく分からないが、これでは過酷な長時間労働に耐えている病院の勤務医や地域医療に携わる医師たちに失礼だろう。

 医者たちに失礼なのは明白だし、そのことを首相は謝罪した。その件はそれで、社会的に終わりだ。ジャーナリズム的には終わりではない。ジャーナリズムは、「何を言いたくてこの発言になったのか」を妥当に推論して問わなくてはならない。それが初っぱなから放棄されたら、それはダメだと思う。

 こうした失言を、文脈から切り離してバッシングするというのはもうやめるか、文脈のなかでその意図をきちんと推論し、何が間違っているかを指摘しなくてはならない。つまり、冒頭「政治家の発言の言葉尻をとらえて、いたずらに批判するのは本意ではない」が見事に転倒している。

 文脈と思われるあたり⇒asahi.com(朝日新聞社):首相「医者は社会的常識欠落した人多い」 会議後に謝罪 - 政治

 麻生首相は19日の全国知事会議で、地方の医師確保策についての見解を問われ、「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って社会的常識がかなり欠落している人が多い」と語った。

 首相はさらに「(医師不足が)これだけ激しくなってくれば、責任はお宅ら(医師)の話ではないですかと。しかも『医者の数を減らせ減らせ、多すぎる』と言ったのはどなたでした、という話を党としても激しく申しあげた記憶がある」と続けた。その上で、医師不足の一因とされる臨床研修制度の見直しなどに取り組む考えを示した。

 関連⇒毎日社説 社説:医師の増員 舛添さん、今度こそ成果を - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記

晴れ

 すっかり冬の日だ。富士山が今日もきれいだ。

 昨晩はくったり疲れた。体をぬくめつつ、グリューワインをちびちびと飲み、本を読み、眠くなってしばらくして寝た。なんか老人になったような感じがするな。

 夢は覚えていない。どんぱちと派手な夢だったような感じがするが。

 ネットを見ていてなんとなく思うのだが、今北産業ふうな解答を鵜呑みにしてその知識の有無で他者をバッシングするような傾向があるように思う。自分もそれから免れていないのかもしれないとも思うが、世界の事象というのは、歴史でも科学でもそう簡単に解答がでないものがある。ではどうあるべきかというと、わからない、という言うことだし、それに適切に対応できる方法論的な確認に留めるべきだと思う。特に、科学というものは、未知について謙虚な一つのありかただと思うが、どこかで科学=真理になり、そしてそれを個対個的な関係の言説に権力の構図として持ち出されるようになった。エンゲリスム的なものかもしれない。しかし、社会にあっては科学的真理とはその方法論的な姿勢に対する委託でしかない。その意味で、科学とは科学教であるという揶揄は揶揄としては本当は成立しない。

 私は科学少年だった。身近の不思議な現象にどう科学が説明するのかに関心をもった。あのころの科学爺たちは、科学とは不思議だということをよく知っていた。その不思議に魅力があるのだということも伝えた。

 先日NHKの番組でトビウオを見た。トビウオがなぜ飛ぶのか。私は水中での加速で空中にロケットのように飛び出し、そして翼のように羽根を広げるのだと思っていた。まったく間違っていた。私が「トビウオは水中での加速で空中にロケットのように飛び出した」と説明すれば偽科学だ。しかし、その偽科学をきちんと修正することには科学の営みというものが必要になる。そしてそれは難しい。難しいという方法論的な本質に、実は、科学と社会の関係における真理の意味合いがある。重要なことは、偽科学を断じることではない。推論に危うい部分があるときは、可能な科学的方法論の限界のなかで謙虚に留まることだ。それが社会と科学との対応なのだということは、社会の側から、科学よりより確実な原理としてきちんと打ち立ておくべき……なのだろう。

2008-11-20

きらいじゃないな

 微妙なアンビバレンツはあるけど。

 ⇒YouTube - Bill Evans - Waltz For Debby

That's not Scott Lafaro.

 ⇒ワルツ・フォー・デビイ - Wikipedia

 くるくまはよく行ったな⇒YouTube - Waltz For Debby

 ややにがて⇒YouTube - Waltz For Debby - Chick Corea & Gary Burton

 ⇒まいふぅりっしゅはぁと 11:01 : 2008-11-20 - 南無の日記

 あらまほしき。

いただいた「重要なお知らせ」

この度、お客様がご使用の携帯端末より以前ご登録頂いた【ポータルサイト】から無料期間中に退会処理がされてない為に、登録料金が発生し現状未払いとなった状態のまま放置が続いております。

通達から翌日の正午までにご連絡を頂けない場合、認可ネットワーク認証事業者センターを介入し、発信者端末電子名義認証を行い利用規約に伴い、お客様の身辺調査に入らせていただきます。

調査完了後は、回収業者による御自宅やお勤め先への料金回収、又は裁判による少額訴訟を行う可能性があります。

退会処理の詳細につきましては下記までお問い合わせ下さい。

尚、ご連絡なき場合明日の正午より手続き開始となりますのでご了承下さい。

 wktk

まちょっと、本のこととか

 ネタ元⇒ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場

 儀礼上ネタ本のほうはアフィらないことにしときます。

1 人間性の心理学モチベーションパーソナリティ

 分裂君がA.H.マズロー好きなのはわかるので、まあ、かな。たしか、松永さんも好きだったかな。私は、正直に言うと、マズローは偽科学だと思っているのでなんとも。ただ、それをいうならユングフロイトもそうだけど。じゃ、どっちもどっちかというと、以下略な感じ。

2 道徳の系譜 (岩波文庫)

 これは普通に読まなくていいんじゃないかな。日本の伝統とは違うし。

3 ツァラトゥストラ (中公文庫)

 私もこのヴァージョン持ってます。が、あまりお勧めしない。西尾幹二もそうだけど、みなさん、ツァラトゥストラを警句的に読み過ぎ。物語の構造がわからないと全体で何を言っているのかわからないのでは。

 ⇒若い頃ニーチェをよく読んだ時期があった - finalventの日記

 これがよいけどプレミア⇒「ツァラトゥストラ (教養ワイドコレクション (024)): ニーチェ, 秋山 英夫: Amazon.co.jp: 本」

 ダウンロード販売している⇒【楽天ダウンロード】ニーチェ ツァラトゥストラ

 あと、これとこれが実はハイデガー注に近い。

 ⇒「このようにツァラトゥストラは語った 上 (1)(講談社文庫): ニーチェ, 吉沢 伝三郎: Amazon.co.jp: 本」

 ⇒「このようにツァラトゥストラは語った 下 (2)(講談社文庫): ニーチェ, 吉沢 伝三郎: Amazon.co.jp: 本」

4 ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

 これは普通に読んでおけですね。

5 グローバル経済を動かす愚かな人々

 これもそうかな。ちと古い。

6,7 マンキュー経済学

 ま、テキスト。現実社会へのマンキューの示唆は私的にはクルーグマンよりがち。

8,9 富の未来

 これも読んでおいていいけど、これ、あれね、事実上かみさんの著作。

10 マズローの心理学

 1に同じ。

11 完全なる経営

 10に同じ

12,13 人を動かす道は開ける

 ここはごく個人的にまるで関心がない。

14 ニーチェ入門 (ちくま新書)

 これはけっこう良書だと思う。たぶん、哲学専攻の人たちは嫌うでしょう。というか、哲学専攻で生き残れる人たちってデリダとか普通に受け入れられる鈍感さがないとね。

15 これがニーチェだ (講談社現代新書)

 これは分裂君の好みかな。私は永井均はわからない。正直にいうと浅薄な感じ。哲学好きな人は竹田にそれを感じるだけろうけど。

 たぶん、竹田青嗣について改めて読むというなら、これだけかな。

 ⇒「 人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想: 竹田 青嗣: 本」

16 はじめての哲学史―強く深く考えるために (有斐閣アルマ)

 微妙かな。一般向けならよいかも。

17 現代思想の冒険 (ちくま学芸文庫)

 これは今の時代で読むとけっこう粗い本かな。逆にその粗いところに面白い視点が生き残っていたりする。

 竹田青嗣については考えてみると著作で取り上げたことはなかったな。

 参考⇒竹田青嗣 - Google 検索 極東ブログ

 竹田については在日問題でもとても重要なことを言っている(あと姉がクリスチャンだったか)のだけど、彼自身その問題を止揚しつくしちゃった。実はこの思想のある意味で徹底性が竹田のすごいところなんだけど。あと、著作集にも収録されてないんじゃないかと思うけど、径書房だったかの冊子で天皇制について語るものがあるんだけど、いわゆる左翼に天皇制なんか問題視することがあほくさみたく軽くいなしていた。あれはすごかった。ちなみに私は竹田に同意するわけじゃないけどね。

18 転校生とブラック・ジャック―独在性をめぐるセミナー (双書・現代の哲学)

 15に同じ。

19 知の構築とその呪縛 (ちくま学芸文庫)

 ここは分裂君と私の考え方がとてもオーバーラップするところ。そして、たぶん、ネットとかで嫌われる要素。

 この本だけど、客観的に見るなら必読とはいえないと思う。この著作がないと大森がこんなに東洋古典読んでいたとは知らなかったなというのはある。ついでにいうと、大森は仏典もよく読んでいた。たぶん、仏教にはなんにもないなと思っていただろうと思う。大森は絶望した紳士なので、身近な人でもあまり心情は語らない。

20 不幸論 (PHP新書)

 これは中島義道では普通レベルかな。

21 「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・ (角川oneテーマ21 (C-1))

 これは本当にすごい。特にカントの神髄はここにある。

 あと中島義道についてはこれのほうがお勧めかな。あまり中島義道と考えずにさくさくと難問のエッセンスだけが読める。というか簡単に読めすぎて、私はも何度も読みましたよ。

 ⇒「「私」の秘密―哲学的自我論への誘い (講談社選書メチエ): 中島 義道: Amazon.co.jp: 本」

 読み回数が増えるにつれて、ぞっとするような本。

22 よその子―見放された子どもたちの物語 (トリイ・ヘイデン文庫)

 単純に知らない。

23 <トリイ・へイデン文庫>シーラという子--虐待されたある少女の物語 (ハヤカワ文庫 HB)

22同

24 どん底の人びと―ロンドン1902 (岩波文庫)

 これは、へぇな感じ。

 ジャック・ロンドンは大学生のとき課題図書だった。ああ、難儀。

 普通に文学として面白いと思うけど⇒「 火を熾す (柴田元幸翻訳叢書) (SWITCH LIBRARY 柴田元幸翻訳叢書): ジャック・ロンドン/柴田元幸 訳, 新井敏記: 本」

25 サル学の現在 (上) (文春文庫)

 立花隆さんの科学ものは敬遠

26 政治をするサル―チンパンジーの権力と性 (平凡社ライブラリー)

 知らない。古そうな印象。

27 利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか

 26同

 

 ざっと見て思ったけど、ぶこめみたいけだど、けっこう偏っているかなという感じはする。それが悪いということではないけど。でも、もうちょっと言うと、偏ったり、あるいはいかにも定番にクセ玉を混ぜる今月の文藝春秋の立花・佐藤の100冊とかも、なんか、年寄り臭い感じがする。

 人生を根底から豊かにする、というとき、私は、大切なのは、愉快だな、楽しいなということだと思う。だから、本も、書かれた内容より、ああ、これって愉快だ、ああ読むってこんなに楽しい、っていう本がよいと思いますね。人によっていろいろ違うでしょうけど。

 これとか面白いよ⇒極東ブログ: [書評]西遊記(斉藤洋・広瀬弦)

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - まちょっと、本のこととか - finalventの日記

2008年11月20日 pbh 他人が推薦したものを批判するよりも、別の25冊を推薦してくれた方が読者としてはありがたい。

 実はそういう書籍リストの形態じゃないけど、ほぼ等価の推薦リストはすでにこの日記に書いてあるのですけどね。

2008年11月20日 soylent_green どれか読もうとは思うが、どれ選んでもたぶん1週へたすると一月費やして、そして理解できないというオチが怖い

 このリストだと、たぶん、「4 ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる」かな。他は、率直にいうと私はあまりお勧めしませんよ。

今日の大手紙社説

 昨日こぼした朝日、毎日、産経次官宅襲撃を扱う。特にどういうことはないが、朝日のテンションが変。

日経春秋 春秋

 夕暮れのひととき、家々に灯がともるころを昔の人は「逢魔(おうま)が時(とき)」と呼んで恐れた。この時分は化け物や妖怪のたぐいがうろつき、悪さをするという言い伝えだ。だから早めに帰ってきなさい、と子どもを戒める意味もあったのだろう。

 間違っているというのではない。私の語感としては、これは易に関連していると思うのだが、手元の資料ではわからなかった。ネットにも情報はなし。

産経社説 【主張】元厚生次官宅襲撃 許されない行政へのテロ - MSN産経ニュース

 政治家首長へのテロは、過去にも起きているが、官僚やその家族が連続して凶行の標的になった例はない。もし、テロだとすれば行政官が萎縮(いしゅく)して職務などを執行できなくなる恐れもあり、行政機能の崩壊につながりかねない。

 地方レベルだと殺人とまでいかなくても暴力の威嚇は常態だと思うけど。

産経社説 【主張】国籍法改正 不正排除へもっと議論を - MSN産経ニュース

 衆院法務委の採決では、DNA鑑定を念頭に父子関係の科学的確認方法導入の検討や、虚偽届け出への制裁の実効性を高めることを求める付帯決議が行われた。父親による扶養や同居などの実態を考慮すべきだとの指摘もある。

 なんかなぁ。

朝日社説 麻生首相―景気対策まで先送りか : asahi.com(朝日新聞社):社説

 なんとも不毛なにらみ合いである。いくら会期を延長したところで、実質的に政治は足踏みを続ける。まさに「政治空白」である。

 衆院の解散・総選挙を先送りしたい与党、早期解散を求める民主党。福田前政権以来の綱引きが、麻生政権でもそのまま再現してしまった。

 これは与野党双方の責任だね。そしてそれは民主主義のルールにのっとっているのだから、そういうものだというだけ。

 打開するには、やはり早く総選挙をするしかないのだ。国民の信に支えられた政権をつくらない限り、政治の正常化への道は遠い。

 ここがわからない。国民は与野党ともに信を置いてないというのが世論から見えるところではないか。選挙をすれば混迷が深まるだけだし、その決断はまさに首相に法的に委託されているのだが。

 そして手続き上、選挙をする正統性はないと思うが。

 その意味で、この混乱の責任は首相が負わねばならない。一時は就任直後の解散を決意したようなのに、金融危機や与党に勝算が立たないことなどからずるずると決断を先送りしてきた。

 解散しないと決断したのだから、現下の混乱の責任は首相が負うというのは、まあ、そういえばそうか。でも、それは普通そういうもんじゃねえの以上はないと思うが。

 首相は勇気をもって与党を説得し、堂々と2次補正を出すべきだ。これもずるずる先延ばしでは、ただただ国民の審判を逃げているだけではないか。

 結語がよくわからない。

朝日社説 元次官宅襲撃―社会の敵を許さない : asahi.com(朝日新聞社):社説

 昨日日和った後ろめたさなのか妙にテンション高い。

 その上で気になることがある。事件のあと、インターネット上に「狙われて当然だ」というような書き込みがあった。ごく一部の人だろうが、あまりにも無責任で、背筋が寒くなる。

 そんな話はブロガにまかせておけばよく、社説に書くほどのことじゃない。2ちゃんでも見ない限りそう目立つわけでもないのだから。

 今はけがをした被害者の早い快復を祈るとともに、一刻も早い事件の解決を望む。犯行の連鎖はなんとしても防がなければならないし、厚労省も決してひるんではならない。社会を守るために総力をあげたい。

 結語の文脈がわからない。最後の2文のつながりや主語というか主体もよくわからない。

晴れ

 富士山がきれいだ。冬だな。昨晩街の灯りを見に繁華街に出たが昨年に比べてしけていた。まだデコレーションができてないというのだろうか。それなりにできているみたいだが。

 夢は忘れた。

2008-11-19

テキストも読もうよ、バイナリーだけじゃなくて

 82 A0 81 5B 81 41 93 C1 82 C9 88 D3 96 A1 82 CD 82 C8 82 A2 81 42

ないすなつっこみ

 ⇒はてなブックマーク - 元厚生次官宅・連続襲撃:年金テロなのか/官界に卑劣な刃(その1) - 毎日jp(毎日新聞)

2008年11月19日 yuyarin 毎日, 釣り, wikipedia wikipediaの編集時刻はUTCなので事件の6時間前ではなく3時間後

 知らない人もおるのかもね⇒協定世界時 - Wikipedia

 って、Vistaみたら、GMTだった。まあ、ほぼ同じ。

 ネタ元⇒元厚生次官宅・連続襲撃:年金テロなのか/官界に卑劣な刃(その1) - 毎日jp(毎日新聞)

 ◇ネットに犯行示唆? ウィキペディア吉原さん「暗殺」

 吉原靖子さんが刺された事件の約6時間前に、インターネットの「フリー百科事典・ウィキペディア」に犯行を示唆する書き込みがあったことが分かった。

 ウィキペディアは百科事典のネット版で、誰でも新しく項目を追加したり、自由に編集できるサイト。書き込みがあったのは18日正午すぎ。「社会保険庁長官」という項目で、「歴代の社会保険庁長官」というタイトルの下に「×は暗殺された人物を表す。」というただし書きがあり、一覧表の中の吉原さんの名前の前に「×」がつけられていた。

 利用者の書き込み履歴によると、「Popons」と名乗る人物が、18日午後0時27分、「下村健」(故人)の前に「×」を記入。同29分には、この「×」を削除し、「吉原健二」の前に「×」を記入。タイトルの下の「×は暗殺された人物を表す。」は同32分に書き込まれた。

 同日午後11時の時点で、書き込みはすべて削除されている。アクセスの記録などから書き込みがなされたパソコンが特定できるとみられ、捜査本部は慎重に調べている。

毎日新聞 2008年11月19日 東京朝刊

 こんなんもあった⇒YouTube - 誤報を報道

 詳細⇒利用者‐会話:Popons - Wikipedia

私の書き込みが社会保険庁長官の件で、ご遺族の方々、捜査関係者の方々にたいへんなご迷惑をおかけしましたことを反省いたしております。先ほどのニュースで知りました。申し訳ございませんでした。大変申し訳ございませんでした。特にご遺族の方々、申し訳ございませんでした。私は北陸在住でプロバイダもそちらのものです。 ただいま、地元警察のほうへ、連絡し、謝罪の電話をいたしました。申し訳ございませんでした。--Popons 2008年11月18日 (火) 21:35 (UTC)

 

wikipediaの私の書き込みは事件後です。--Popons 2008年11月18日 (火) 21:57 (UTC)

 

×を被害者では無い方に記したのは、単なる編集ミスです。--Popons 2008年11月18日 (火) 22:09 (UTC)

 

追記

 ⇒おわび:「ネットに犯行示唆?」の記事について - 毎日jp(毎日新聞)

 元厚生事務次官の吉原健二さんの妻靖子さんが宅配便を装った男に胸などを刺されて重傷を負った事件について19日未明、「ネットに犯行示唆?」などの見出しで、ネット版の百科事典「ウィキペディア」に犯行を予告するような書き込みがあったと報じましたが、書き込みの時刻は事件前ではなく、事件の報道後でした。おわびして訂正します。

毎日新聞 2008年11月19日 11時35分(最終更新 11月19日 11時36分)

 紙面は上記と違う⇒http://f.hatena.ne.jp/TERRAZI/20081119190845

吉原健二さんの妻靖子さんが刺された事件に関連し、ネット上のサイト「フリー百科事典・ウィキペディア」に犯行示唆と受け取れる書き込みを示唆したとする人物が19日、「たいへんなご迷惑をかけました。私の書き込みは事件後です」との文書を同サイト内に掲載した。

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):「ネットに犯行予告?」記事で毎日新聞がおわび - 社会

 毎日新聞社は19日午前、19日付朝刊の社会面と同社のウェブサイトで、元厚生事務次官宅の襲撃事件をめぐり、「ネットに犯行示唆?」などの見出しで報じた記事について、「書き込みは事件前ではなく事件の報道後だった」として、おわびを出した。

 記事では、ネット版の百科事典「ウィキペディア」の社会保険庁長官の項目に、吉原健二・元次官の妻が襲撃された約6時間前の18日正午すぎ、「×は暗殺された人物を表す」とのただし書きとともに、吉原さんの名前に×が付けられた、と報じた。書き込んだとされる人物のネット上の名前も記した。

 しかし、ウィキペディアへの書き込み日時は原則として、「協定世界時」で表示されるため、日本時間に直すには9時間加えなければならない。毎日新聞社長室によると、この書き込み日時を日本時間と勘違いしていたという。社内で誤りに気付き、サイトの記事を削除した。

 ウィキペディアには19日午前、書き込んだ当事者と同じハンドルネーム(ネット上の名前)で「私の書き込みは事件後です」と新たに書き込まれている。

 

追記

 ⇒毎日新聞「ウィキペディアで犯行示唆」と誤報、実際は事件後の記述 Internet Watch

 毎日新聞社社長室広報担当では、記事を担当した記者が時刻表記の協定世界時と日本標準時を誤認したことが原因と説明。また、記事では「アクセスの記録などから書き込みがなされたパソコンが特定できるとみられ、捜査本部は慎重に調べている」と報じていたが、これについては「書き込みの内容は参考情報として捜査当局にも伝えていた」としている。

 UTCを知らなかったというのは、ITに詳しくない人たちならしかたないなあ、誰でもポカミスするよなと思うけど、「捜査本部は慎重に調べている」と「捜査当局にも伝えていた」はすごく違うというか、これって、単純に「毎日新聞、嘘つているじゃん」とか捏造とかの問題なんじゃないの。

今日の大手紙社説

 朝日と毎日、そして産経が、元厚生次官宅襲撃への言及がない。この遅れはなんなのだろう。

 この事件だが、私も皆目わからない。一例だけなら世田谷一家の事件のようにスポラディックな印象もあるが、二例となるとテロ事件性は強い。すでに退官した人を狙うというのはどういう知的な背景があるのかもよくわからない。未遂事件ではすでに脅迫があったかのような報道があった。だとすると、そのあたりは重要だろう。

 事件については、Googleですぐに現場がわかった。それも変な時代だなと思う。

 宅配業者がしばしやりづらくなるだろう。というか、宅配業者に求められるのは人柄というのはあるな。コンビニでもそうだが、普通に人のよさそうな人を見ているとなごむ。

 はてなとかみていると若くて向上心溢れる人が多いのだろうが、人なんてただよい人として全うするだけでもよいものだし、それに日々心配りしてもよいものだろうと思う。なかなかそういうライフハックはみかけないね。

産経社説 【主張】海賊被害続発 日本は傍観者でよいのか - MSN産経ニュース

 よくないと思うよ。いずれ手痛いしっぺ返しがあるかも。

毎日社説 社説:国会も迷走 「政局より政策」がむなしく響く - 毎日jp(毎日新聞)

 毎日新聞は目的も効果もあいまいな定額給付金は白紙に戻すよう主張してきた。しかし、政府・与党が別の対策を作り直すのならまだしも、単に先送りするというのでは、まったく筋が通らない。これこそ政治空白というべきである。

 「毎日新聞は」という書き方は悪くないと思う。他紙もそうするとよいのに。

 この社説の内容については、ま、どうでもいいでしょ。

読売社説 元厚生次官襲撃 テロは断じて許されない : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 この事件は驚いた。テロなんだろうかと疑問を持っていたからだ。今でもまったく疑念がないわけでもないが。

 ところでこの話題、読売が扱ったところを見ると、朝日が扱わなかった理由が気になるな。

朝日社説 オバマ時代―中東政策への期待と現実 : asahi.com(朝日新聞社):社説

 ブッシュ政権になって以来、中東地域では戦争とテロの日々が続き、強い反米機運が広がった。だが今、次期米大統領になったオバマ氏には好意的な視線が向けられている。

 おやま、基本的に中東地域は親米とみてよいのではないか。というか、民主主義が定着せず王家のあるところは。イラクですら、大衆は親米的だと思う。まあ、しかし、親米か反米かというのは文化現象と見るべきであって、それほど政治・外交上の要素にはなりづらい。

 そうしたこの地域の不安定さの根底にあるのが、パレスチナ問題だ。ブッシュ大統領は就任以来、イスラエル寄りの姿勢が目立った。それが中東で米国が信頼を失った原因でもあった。

 サウジもね。

 で、社説を読んだけど、イスラエルの現況については触れていない。

 このあたりも朝日新聞というかその親近感の人々も結局後期のブッシュ政権の外交・軍事というのをよく理解していない。オバマになったからといって大きな変化はないし、変化があるとすると、たぶん、ろくでもない結果になる。

 というか、クリントン政権時代を思い返してもよいとは思うが。朝日新聞的な言い方をすればブッシュ政権が翻弄されたテロの時代の種を撒いたのはクリントンだと言えないこともない。まあ、言うこともないが。

朝日社説 飲酒運転―魔の誘い断ち切るために : asahi.com(朝日新聞社):社説

 飲酒を感知すると車のエンジンがかからなくなる装置などの実用化にも、もっと力が注がれていい。

 もはや、かけ声だけではどうにもならない。あらゆる工夫が求められる。

 これで終わりの社説か。

 意外と難しい問題なのかもしれない。

 私は軽度の飲酒は運転にはそれほど影響はないでしょ的に米国人のように考える人だったが、Wii Fitをやるようになって考えを変えた。微量の飲酒でもバランスに変化が出る。呆れた。

晴れ

 冬の朝のようだ。富士山が偉容を見せている。

 昨晩もまた寝付かれないかと思い、そういえばと体をぬくめるといつか寝た。なんかそういうことなのかとそれはそれでなんとも。夢は見たが忘れた。

2008-11-18

自分としては、人生を豊かで納得のいくものにしてくれる本より、人生ってなんか根源的に理不尽なものだなと納得させてくれる本のほうがよかった

 ああ、人生ってそんなもんだよね、というか。

 別のところでなにげにアフィってあるので特にここでは再録しない。

 っていうか、そういう大切な本については、あまりなんか言いたい感じはしない。

そうあれね

 ⇒はてなブックマーク - ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場

2008年11月18日 zakinco 自分のお勧めはラッセルの幸福論

 ああ、そだね。

 これをふと思い出す。

Where outward circumstances are not definitely unfortunate, a man should be able to achieve happhess, provided that his passions and interests are directed outward, not inward.

 

置かれた状況が決定的に不運というのでなければ、人はなんとか幸せになれるものだが、条件は情熱と関心が、内向きじゃなくて、外に向いていることだよ。

 ⇒若きバートランド・ラッセルが自殺を思いとどまった理由 - finalventの日記

 ⇒ラッセル幸福論 - finalventの日記

 ⇒鬱な増田 - finalventの日記

自分が中年男になって気がついたこと

 自分の人生なんだから、もちょっと自分を大切生きよう、と。

眼は悪いのだが老眼にならない

 たまにブコメで、爺、老眼とか揶揄されるのだが、どうも一向に老眼にならない。眼は悪いのだけど、老眼にならない。

 近眼乱視だからか。

 小さい字はなんかめんどくさと思うのだが、老眼というより、タイプフェースの美観をえり好みしているだけみたいな感じだ。

 なので。

 手書きの文字も小さく書いてみた。

 実は、高校時代によんだ文庫本の端書きに、シャープペンで書いたようなちっこい字で、自分で書いた感想というかメモがあって、そういえば若いとき、こんなちっこい字を書いていたなと思い出した。

 で、今も書いてみた。

 なんら問題なく書ける。

 なんか、へぇと思った。

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - 眼は悪いのだが老眼にならない - finalventの日記

2008年11月18日 pbh 「頭は悪いのだが老害にならない」かと思った。嘘( ´∀`)/ボクもid:finalventを「翁(おきな)」って表記する事が有るけども、揶揄ってよりも、やがてボクらが到達するであろう高齢ブロガーの体現として尊敬しての事

 それでもいいけど。

 っていうか、実態は、老害になっておるのではなかろうか。

僕がブログを書く時に気をつけていること

 リアル気違いに適切に対応すること。

 inspired by 僕がブログを書く時に気をつけていること - GoTheDistance

長文を読ませるためのたった一つの方法

 読者の読解力を向上させること。

 inspired by 長文を読ませるためのたった一つの方法 - Orbiter

演出といえばそうだけど

 偉いよね⇒BBC NEWS | Americas | US Elections 2008 | Obama vows to 'work with' McCain

US President-elect Barack Obama and his former rival John McCain have vowed to work together in a "new era of reform" to restore trust in government.

今日の大手紙社説

 ひき逃げ、党首対談、GDP下落、が話題といえば話題。でも、社説としては特に読む価値があるのはない。しいていえば、日経春秋の指摘くらい。なんか日本人、普通の法の意識がなんか変になっているんじゃないかな。というか、法を理解せず特定の倫理で社会をよくしようとするというのは、私なんかにしてみると、それこそ軍靴の音だと思う。誰もが自分の正義だと主張していいけど、対立正義もあるのだから、基本的にそうした調停の仕組みに謙譲していくのが第一義なんじゃないか、民主主義っていうのは。

日経春秋 春秋(11/18)

 あ、これはよいコラム。

男は少年を7キロ以上も引きずったらしい。当然ながら警察は殺人容疑も考えているというが、死亡ひき逃げ事件でこれを適用するのは必ずしも簡単ではない。そんな法の壁もある。

 そういうことなんじゃないの。

日経社説 世界的不況の長期化に備えを怠るな : NIKKEI NET(日経ネット):社説・春秋−日本経済新聞の社説、1面コラムの春秋

 正論なんだけど、そう言ってどうよ的な感じ。

 経済の落ち込みを最小限にとどめるとともに、中長期の経済活性化につながるような政策を積極的に打ち出すべきだ。たとえば、新エネルギーの利用・開発や一段の省エネに結びつく投資を財政支出や税制優遇によって促すことは有益だろう。地球温暖化対策に熱心な欧州諸国がすでに積極的に進めているこうした施策は、新たな需要を刺激するとともに産業の構造転換にも役立つものであり、日本も検討に値する。

 対応が違う感じ。

毎日社説 社説:ひき逃げ続発 飲酒運転を許さない仕組みを - 毎日jp(毎日新聞)

 全国で2万件弱で推移してきたひき逃げ事件が一昨年から減少傾向にある。福岡市で幼児3人が犠牲となった事故を契機に道路交通法が改正され、ひき逃げや酒酔い運転が厳罰化された効果とみられる。死亡ひき逃げの検挙率はほぼ9割を超えている。

 だが、いくら厳罰化を進めようとも、飲酒運転の常習者が相手では限度がある。家族や同僚など身近な人が、飲酒常習者に厳しい目を注ぐなど社会全体で監視することも必要だ。

 つまり、ぶっちゃけ、限界なんじゃないの。

 で、「社会全体で監視することも必要だ」がまた出てきた。このパーマネントはやめませう的な倫理はどうにかならないのだろうか。

毎日社説 社説:日米欧景気後退 有益な「公共投資」で回復図れ - 毎日jp(毎日新聞)

 ああ、なんか標題をみてうっとりしてしまった。

 有益な「公共投資」ってなんだろなんだとワクテカで読んで。

 では、公共投資はどうみるべきなのか。日本では公共事業は評判が良くない。「土建国家」という言葉に示されているように、建設業界や族議員の食い物にされてきた経緯があるからだ。その意味で公共投資の削減は正しい政策だ。

 うんうん。

 ただ、高度成長時代に整備した社会インフラの老朽化は放置できない。必要な更新投資は着実にやらなければならない。予算は増やさなくとも、大胆な事業の組み替えや改廃などで、効果の出方は大きくなり得る。

 なんか方向がちがくない?

 国民的ニーズが高く、需要が今後とも高まることが確実な介護を円滑に進めるため、報酬の引き上げは広い意味での社会資本投資ととらえることができる。有益な公共投資の出番が来ているのだ。

 え、これで終わり、かよ。

読売社説 ひき逃げ多発 殺人につながる悪質な犯罪だ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 この問題がさっぱりわからない。何を騒いでいるのか。たまたまそういう事例が二例あっただけなのではないか、と思っていた。

 この5年間で、警察が交通事故に殺人容疑を適用したのは、ひき逃げで被害者を引きずって死なせたケースなど29人を数え、殺人未遂は35人に上る。

 ひき逃げは、1990年代まで年間8000件程度だったが、2000年以降急増し、昨年も死亡ひき逃げ188件を含む1万5500件に達している。

 ひき逃げは増加しているということ、ひき逃げによる殺人というのはちょっとスジが違うというか、ようするに、「警察が交通事故に殺人容疑を適用し」出したということなのか。

 5年間で約30人。年間、6人。二か月に一人。こんな殺人がよいとは到底思えないけど、交通事故の総体からみて、これって社会問題なんだろうか。

読売社説 GDP速報 マイナス成長が促す軌道修正 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 ぐだぐだを除くと。

 景気の悪化を「長く」「深く」しないため、政府・日銀が政策を総動員することは、いわば国際公約と言える。

 まずは、27兆円規模の追加景気対策の実現を急ぎ、追加措置の必要性も検討すべきである。

 一方、景気悪化による法人税収の減少などで、今年度は大幅な歳入不足が確実だ。2011年度に基礎的財政収支を黒字化する財政健全化目標は達成できまい。

 この期に及んでこの後段だものな。暢気でいいよ。

朝日社説 麻生首相―政策も政局も混迷模様 : asahi.com(朝日新聞社):社説

 単純な話、私はこの社説理解不能。なのでスルーでよいのだけど。

 きのう、小沢代表と首相の党首会談がきゅうきょ開かれ、民主党側は補正予算案の提出を強く求めた。受け入れなければ、補給支援特措法と金融機能強化法の改正案の参院採決には応じられないと迫った。

 この党首会談なんなんでしょ。と斜に構えてしまうのは、なんかどうでもいいやみたいな感じもしてきたからか。

 朝日はこの会談に好意的なのだが、別段党首会談がどうという話でもないし、そもそも、これに対する民主党の内部はどうなってんだろ?

 政府与党内が補正予算案の提出先送りに傾いてきたのは、越年国会を避けたいという思惑があるためだ。参院の主導権を握る民主党など野党が審議を引き延ばせば、補正予算の自然成立に1カ月、関連法案の再可決のためには60日もの日数が必要になり、大幅延長になってしまう。

 しかたないんじゃないの、そういう制度なんだから。

 自治体に細目を丸投げした定額給付金をめぐる混迷や田母神(たもがみ)前航空幕僚長論文事件など、野党が政府批判にてぐすねを引いている問題は多い。その一方で、道路特定財源の地方への1兆円振り向けなど、与党内で決着していない問題も少なくない。とても長期の国会審議には耐えられない、という事情が大きいようだ。

 田母神前航空幕僚長問題なんて政局関連でいえばこの時期に掘り出したのがバカだったんじゃないの。そもそも疑似問題なんだし。これで祭りをやったってなんにも出ないし、司法に持ち込めるスジでもないし、スジというならきちんともう終わっている話だし、終わってない部分についてはまさに政局の話ではないし。

 ようするに「長期の国会審議には耐えられない」の民主党とか自民党の反麻生勢力でしょ。

 首相には、就任直後から解散をずるずると先送りしてきたツケが次々と降りかかっている。どう打開するつもりなのか、首相の本当の考えを知りたい。経済対策が先なのか、解散先送りの方が大事なのか。国会の機能停止が許容される時ではあるまい。

 目下の状況で解散すれば国民は目鼻もつかない状態なんだからさらに混迷するだけ。というか、こういうときにきちんと世論調査の分析すればよいのに。

 それにしても、有権者が聞きたいのは首相と野党第1党の党首との直接討論ではないのか。金融危機への対応や自衛隊文民統制など重大な問題が噴出している時だ。首相や与党は乗り気なのだから、小沢代表は逃げるべきではない。

 で、締め。直接討論してどうなる問題でもない。金融危機については、実際には景気後退問題なんで、これにはきちんと対応するしかないし、そういうきちんとした問題に、朝日新聞も理解していない「自衛隊の文民統制」とか持ち出して政局をめちゃくちゃにしているのはメディアでしょ。

朝日社説 GDPマイナス―不況を生き抜く戦略を : asahi.com(朝日新聞社):社説

 これだが。

 世界不況の長いトンネルの入り口を、日本もくぐってしまった。内閣府が発表した7〜9月期の国内総生産(GDP)統計はそう告げている。

 この期間ね。

 さらに大変なのはこれからだ。今回のGDP統計には、9月中旬のリーマン・ブラザーズ破綻(はたん)によるショックや、その後の円高・株安の影響はほとんど織り込まれていない。

 つまりこの騒ぎ、今回の金融危機とは関係ないのな。景気低迷はその前から予測されたこと。

 ⇒極東ブログ: フィナンシャルタイムズ曰く、小泉だったら日本は成長できるのに

 というわけで、GDPが愕然と下がったとわかって騒ぐのは今の時点ではないのだけどね。

 金融サミットでは各国政府が内需拡大に努めることで合意した。ところが麻生政権の政策は迷走を深めている。

 次世代を担う環境分野などの新産業や、医療・福祉など内需関連の有望産業を政策的に刺激していくことこそが必要だ。歳出構造の思い切った転換や大胆な規制緩和など、構造転換に向けて明快なメッセージを発しないままでは、政治が景気の足を一層引っ張ることになる。

 この前段と後段が実は繋がってない。内需拡大が「次世代を担う環境分野などの新産業や、医療・福祉など内需関連の有望産業」というレトリックで呼応しているだけ。「次世代を担う環境分野などの新産業や、医療・福祉など内需関連の有望産業」が目下の内需を拡大させるわけないじゃん。

 「歳出構造の思い切った転換や大胆な規制緩和など、構造転換」が目下の対策のわけないってば。

晴れ

 薄曇りもあるか。明日はもう冬の天気配置になりそう。

 夢は。交換機かなにかの搬入担当を私はしているのだが、私と気まずい関係にある恋人との関係の渦中で、そのビジネス上のトラブルが起こる。私は搬入でちょっとしたミスで大きなミスを犯すのだが、私のせいでもあるまいとごまかして、発覚を恐れている。そのことを恋人が知っているのではないか、知っているに違いない。彼女は私を裏切るだろうかと煩悶している。いろいろ登場人物があり、トラブル発覚に巻き込まれていく。原因探求の係は私と恋人の関係がこのトラブルに関与しているのではないかと疑っている。私は悩みながら吉祥寺ペストリー屋に行くとスペシャルの4階が出来たという。登っていくと、レバー味のペストリーができたから赤ワインでどうぞと言われる。ぼんやり階下を見ていると恋人と担当係がいる。私はついに年貢の納め時かと思っている。

2008-11-17

江戸時代から明治時代脚気の原因はカビ毒によるものだったか

 以下のエントリは、当初「偽科学発見テスト」と題されていて、科学的な言説と非科学的な言説をどう考えるかという、一つのテストケースとして考えていました。

 想定していなかったいくつかの契機があり、また私の考えも変わったので、その点については、書き改める予定です。

 変化の経緯⇒Eijkman shared the 1929 Nobel Prize... - finalventの日記

 以下は、それまでの過去の経緯として、ご関心のあるかたはその心積もりで参照してください。

 


 

 ウィキペディアの以下の項目に含まれている引用部分は、極めて偽科学的説明である可能性が高い。科学的説明の逸脱とその理由を説明しなさい。

 ⇒脚気 - Wikipedia

江戸時代の江戸では、富裕層のあいだで玄米に替えて精米された白米を食べる習慣が普及し、将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった。江戸時代末期には一般庶民も発症し、江戸患いと呼ばれた。大正時代以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及し、副食を十分に摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで二大国民病とまで言われた。

高木は海軍において西洋式の食事を摂る士官に脚気が少なく、日本式の米を主食とし副食の貧しい下士卒(兵曹および兵。のちの下士官兵)に多いことから、栄養に問題があると考え、明治17年(1884年)軍艦筑波に、この前年別の軍艦が行なった遠洋練習航海と食生活以外は全く同じ内容で遠洋練習航海を行なわせる試験案を上策し、それが採用され、結果として西洋食の艦において脚気患者が出なかった。このことから栄養障害説を確信したとされる。下士官兵にはパン食は極めて不評であったので、西洋食(パン食)から、同じ麦を食材とした麦飯に海軍の食料は変更された。これによって、海軍における脚気は根絶された。

問題の枠組み

 まず、この2つの記述ですが、過去の事象を扱っています。ゆえに、実験などによる検証対象というものではなく、どれだけ、後の仮説によって妥当な説明が与えられるかが、科学的であるかの評価になります。

 この場合注意しなければいけないことは、後の仮説、たとえば、「ビタミンB1不足が脚気を起こす原因である」を前提とした説明をしてはいけないことです。

 ここでの記述、特に前段をこの点で見なおすと、まずその基本的な手順に間違いがあるために、科学的な説明とはなっていません。

 後段については、白米に問題があるだろうという推定しかできません。これは、「ビタミンB1不足が脚気を起こす原因である」という仮説とは、論理的な飛躍があります。

 実際に高木の実験は歴史的に見ればたんぱく質不足を想定したもので理論と実験の関連は、ビタミンB1不足とはまったく関係のないエピソードです。それが後代の仮説によって、それを例証するものであるかのように記載されているのは、手順的な誤りです。

 歴史的な考察から言えることは、白米に問題があるというだけです。

 そこから「白米だからビタミンB1不足なのだ」という仮説の妥当性の強度が問われます。

 歴史を見ていくと、脚気の原因説には、栄養説、細菌説、中毒説があり、細菌説は棄却された(そのような細菌は発見されない)ものの、栄養説と中毒説は並立しています。

 問題に戻って、ここでの記述において、中毒説による仮説の妥当性の強度はどうでしょうか。

 コメに問題があるということしか述べられないのであれば、コメに付着したカビ毒による中毒説はここからは棄却されません。

 つまり、栄養説と中毒説において、この記述を見直す必要があります。

 そして、「歴史的な脚気」が、カビ毒による中毒説として見たほうが妥当であれば、ここでの説明そのものが、科学的な説明としては妥当ではなくなります。

 ここで、仮説の組み合わせは次のようになります。

 

  1 栄養説のみが正しい

  2 栄養説と中毒説は脚気という歴史事象について、適応を棲み分けるように妥当性がある

  3 中毒説のみが正しい

 

 1であれば現時点でのウィキペディアのこの説明は、記述の手順に問題があるとしても、科学的な説明としては概ね妥当となります。

 3であれば、それは明白な誤りとなります。

 1と3は並立しません。

 2であれば、説明の妥当性において問題があるでしょう。


議論の骨子

20081211133544

 ビタミンB1不足説は、すべての脚気はビタミンB1不足(欠乏)によって起こるとする説です。設問のウィキペディアの引用および、設問設定時のウィキペディアでの脚気の説明はこの説を暗黙に採っています(カビ毒説への言及はなし)。特に、ウィキペディアの説明では、脚気は、実際には、「心臓機能の低下・不全(衝心)を併発する」脚気衝心を指している点に注意してください。

脚気(かっけ、英 beriberi)は、ビタミンB1欠乏症の一つで、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから脚気の名で呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心(しょうしん))を併発する事から、脚気衝心と呼ばれることもある。

 脚気原因については、中毒説を発展させたカビ毒説が存在します。

 心臓障害による致死性の高い衝心性脚気がカビ毒によって発生することは証明され、国際機関で認知されています(例えば、FAO文書、"Mycotoxin prevention and control in foodgrains - Contents

")。また、その仕組みは毒性によるものです。

 カビ毒説については、衝心性脚気がカビ毒で引き起こされるが、衝心性脚気以外の脚気はビタミンB1不足によっておきるとする棲み分け説があります。これを部分カビ毒説とここでは扱うことにします。(ただし、ウィキペディアの説明では、脚気の問題は「脚気衝心」つまり、衝心性脚気に焦点が当てられている点に注意してください。)

 部分カビ毒説に対して、すべての脚気の原因がカビ毒であり、ビタミンB1不足(欠乏)は各種身体不調などを起こすとしても脚気という症状を直接引きおこすものではない(そうではなく、カビ毒説では、ビタミンB1は神経保護として働くので不足は保護を弱めるだけだ)とする強い考え方があります。これをカビ毒説とします。(なお、部分カビ毒説では、この保護説を採らない。)

 病理学的に見た脚気は、ここでは、生理的な関係が見えるものを指します。たとえば、カビ毒の毒性が神経に与える毒性などはこれに含まれます。結核がストマイによって治癒されるのもこの考えかたです。

 疫学的な見た脚気は、ここでは、統計的に因果関係が問えるものを指します。脚気は多数の死者を出す(出された死者の大半は衝心性脚気)という点で、社会的な事象として捉えることができます。統計的に見て捉えた場合がこちらに含まれます。結核が国民の栄養向上によって克服されたというのはこちらの考え方です。

 評価ですが、△は弱い説、○は妥当性のある説、◎は妥当性の高い説です。

 ビタミンB1不足説と、ここでいうカビ毒説は両立しません。(カビ毒説でのビタミンB1の役割は、神経の保護として働くので毒性に対する防御の機能がある、だから、カビ毒においてもビタミンB1は改善に働くが、ビタミンB1欠乏自体が疾患の原因ではない、ということ。なお、このビタミンB1による保護説は、部分カビ毒説には含まれません。部分カビ毒説では、衝心性脚気とその他の脚気の機序を分けます。)

 部分カビ毒説がもっとも妥当性が高く、脚気衝心、つまり衝心性脚気以外の脚気を否定するものではありませんが、設問中のウィキペディアの引用の実態は、ウィキペディアの説明が脚気を「心臓機能の低下・不全(衝心)を併発する」脚気衝心とするとあるように、脚気衝心をさします。ゆえに、その脚気衝心の原因はといえば、カビ毒と推定するのが妥当でしょう。

 ⇒参考書籍・論文

 

推移


中間的まとめ

 話がある程度進んだので、自分なりの少し中間的なまとめをしておきましょう。

 ウィキペディアの引用に関して、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題だけを単独に取り上げるなら科学的に間違っていません。これは病理学的な説明です。その機序は科学的に解明されています。

 では何が、偽科学的な説明だといえるのでしょうか?

 その前に。

 科学的な探求で最初に重要になることは、対象を明確にすることです。

 脚気についてのこの話題で、この話題、何が対象なのでしょうか。

 もちろん、「脚気」です。

 しかし、この引用で語られている脚気は、社会的に発生した脚気で、疫学的な対象です。

 病理学と疫学はどう違うのでしょうか。

 たとえば、「タバコを吸うと肺がんになる」と言われます。これは科学的でしょうか?

 私の知識では、この命題は病理学的には証明できていません。明確な機序の説明はできません。

 ではこれは、非科学的、あるいは偽科学なのでしょうか?

 より広義に、「タバコは健康に害がある」はどうでしょうか?

 そこも病理学的説明は難しいはずです。

 しかし、タバコのパッケージにもそう書かれており、それは科学的な言明であるかのように見えます。

 市民はその説明をした科学者に信を置いています。

 その科学とはなんでしょうか?

 疫学です。

 「タバコは健康に害がある」は疫学の主張です。

 病理学的にはわからなくても、疫学的には主張できます。疫学は科学です。

 病理学と疫学の関係の理解を深める別例を挙げましょう。

 「ペニシリンをきっかとする抗生物質によって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。

 これは科学的な説明でしょうか?

 病理学的に抗生物質によって結核は治癒できます。ですから、そう言えそうに思えます。

 しかし、ここで言う結核は疫学の対象です。

 では、疫学的には、この命題は正しいでしょうか。

 疫学的な対象としてみると、社会が結核を克服したといえるレベルにまで抑制した要因は、栄養の向上です。

 その意味で、この命題は間違っています。だから、この主張は偽科学です。

 脚気の問題に戻りましょう。

 社会的に大きな問題となった脚気という事態がほぼ克服されたのは、ビタミンB1不足が解消されたからだ、と、言えるのでしょうか?

 ここでも、先の問題が出てきます。科学を問うている対象はなにかという問題です。

 当時の脚気と呼ばれた社会現象は、ほんとうにビタミンB1不足による脚気だったのでしょうか?

 この説明も、疫学によることになります。

 そして、疫学的に問い直してそれに妥当な説明ようとすることが科学的な説明になるはずです。

 それは、いくらタバコに病理学的に害が証明できなくても、疫学という科学でタバコの害が証明でき、それが科学的説明になるというのと同じ水準で問われうるものです。

 脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるのでしょうか。

 そこが科学的説明であるかが問われるところなのです。

 疫学の枠組みで捉え直すとき、最初の問題はどう見えるでしょうか。

 

仮説と科学的探求

 科学において重要なことは、対象を明確にし、次に仮説を立て、その可否を探求し、科学的な説明にまとめることです。

 対象は、疫学的に見た「脚気」です。

 方法論は、疫学的な手法をとります。

 では、次に仮説を考えましょう。

 「脚気」という疫学的な現象に、歴史的には、次の3つの仮説が立てられました。

 

 1 伝染説

 2 タンパク質不足説

 3 中毒説

 

 そして未知の仮説を含めて、4つの仮説にしましょう。

 

 4 その他の仮説

 

 ここで歴史的に見ると、ビタミンB1不足説は4に分類されることに注目してください。

 では、これらの4仮説による科学的探求はどのような推移をたどり、「脚気」についてどのような科学的説明に至るのでしょうか。

 仮説が棄却されていく過程とその評価が重要になります。

 そして、それらの探求と科学的説明から、最初の問い掛けを見直してみてください。

 

想定質問

 補足的に想定質問をあげておきます。

「脚気の問題は、どのように疫学的に妥当な説明ができるのでしょうか。」というとき、高木兼寛から始まり、脚気に取り組みビタミンB1発見に至るまでの経緯こそ、疫学そのものではないでしょうか?

 「我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」の結語「脚気の問題は現在の疫学の問題でもある」に対して、私が「そう、だから、このウィキペディアの項目を取り上げたのですよ」とコメントしたのはそこです。

 ここは分かりづらいかもしれませんし、実際、ここまで経緯を見ても、ご理解されているかたがいらっしゃらないようなので(いえ、私が間違った認識をしているかもしれませんが)、補足すると、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という命題(一見科学的に見える命題)は、病理学的な命題に見える、ということでした。また、話の流れから、とりあえずそうしておいたほうが煩瑣にならないからです。

 しかし、中間点を過ぎたのですから、ここも疑問を喚起しておくほうがよいかもしれません。

 私の知る限りという限定ですが、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらす」という病理学的な機序はわかっていません。これは病理学的な基礎が十分でないと言ってよいでしょう。たとえば、Beriberi: Overview - eMedicineのPathophysiologyなどを参照のこと。

 では、この疫学的命題を支える科学性は、疫学的に捉え直したとき、どのように正しいと言えるのでしょうか。

 ポイントは、脚気を疫学的に捉えるということは、この命題を科学的としてきた特定の小集団での限定された実験と、本来疫学が対象とする社会での統計の扱いにあります。広く脚気の衰退の現象を疫学の視点で見たとき、なにが決定的な要因となって、脚気がほぼ撲滅されたかに見えるのでしょうか? 

 もう一つ、関連して、「ビタミンB1欠乏が脚気をもたらすという病理学的な機序はわかっていないということはどういう含みがあるのでしょうか?

 

テストの意図について

 あえてこれまでこのテストの意図については明示してきませんでしたが、同種の循環した主張が出そろっている感があるので、そろそろその理由を説明しておきます。

 当初、「偽科学批判者の科学的資質を問うための、偽科学発見テスト」としたのですが、「ニセ科学批判」については私の理解が及ばなかったために、運動のかたにご迷惑をかけました。この点は、申し訳ありません。なお、これに併せて、当初冒頭にあった、【偽科学批判者の科学的資質を問うための、偽科学発見テスト】というリードを削除します。

 私は当初、「ニセ科学批判」の方の運動は、自身たちが科学的な考えに立ち、他の人の考えを科学的ではないと非難してしているものと思っていました。なので、では、その科学的な立場がどれほど科学的なものか、比較的難しい事例で検討してみたいと思ったのです。

 「ビタミンB1不足が脚気をもたらす」ということが科学的な見解であるとのみ主張され、その主張の根拠が、科学という名の「信」にしか行き当たらない様相が、続々と提示され、人間関係的な圧力で押しつけてくるような状態(誹謗中傷や人格攻撃)になれば、意図(科学を標榜する人が実際にはそれほど科学的な思考を持っていないのではないかと疑念をいだかせる状況の実例)は半分達成されます。

 しかし、現時点では、私は「ニセ科学批判」の方の運動を非難するものではありません。

 テストの意図も、単純に、科学的な考え方ということに転換しています。

 この偽科学発見テストが、どのようにテストかということですが。

 

 科学とは私たちの社会では、特定の科学集団への「信」として問われます。

 「信」であるからこそ、科学的な思考は要求されません。信じればよいのです。

 しかし、科学的な思考とは、「信」を必要としません。

 特定の科学集団の見解についても、科学的な思考をもつ人は、自由に批判を持つことができます。

 つまり、

 この問題(疑念や異説を多く含みうる記述を問うこと)において、

 

 科学的であることが、「信」として表出されるなら、偽科学発見テストではゼロ点です。

 そうではなく、疑念の可能性として示され、そこに合理的な理路を持つなら、偽科学発見テストは50点です。

 あとの50点は、科学集団の諸見解から、「信」ではなく、合理的考えを自分で導き、社会的な「信」との関係を自身のなかで整合させることができるかです。

 

 以降、この話の後半、つまり、「信」ではない、疑念の合理性に移ります。

 

 

 では、具体的にこのテストの文脈で、「ビタミンB1不足が脚気をもたらす」という説(「信」)は科学的に正しいのでしょうか?

 私は、突き詰めて言えば、正しくないと考えています。

 たとえば、次の見解も誤っていると考えています。

 ⇒脚気病原因の研究史 ビタミン欠乏症が発見,認定されるまで(PDF)

 大家の書かれた見解であり、科学が社会的な信によって成り立つとした場合、私のこの否定こそ、「非科学的」「トンデモ」といった分類になり、多くのかたが、ブックマークコメントやトラックバックでご指摘されたように、私のほうが非科学的、無知蒙昧、アルファブロガー(笑)といったことになるでしょう。

 それらの評価は評価としてお受けしたいと思いますが、私は私として、いずれこの「脚気病原因の研究史 ビタミン欠乏症が発見,認定されるまで」のどこが誤っていると考えるかについて言及します。

 

予定

 3つの話を予定しています。

  1 脚気におけるマイコトキシンとチアミンの役割

      総括的な言及について

  2 衝心性脚気と脚気は違うのか

      1940年に英国で実施されたビタミンB1欠食の実験

      ウェルニッケ・コルサコフ症候群の再考

  3 マイコトキシンに着目した脚気研究史から見えてくるもの

      ・インパール戦の隠された惨劇

      ・臨床に示唆されること

      ・現代日本人に忍び寄る問題

 

 なお、私の珍説が開示されるかと思っておられるかたもいるかもしれませんが、これらの考察においては、それぞれ一定の権威ある諸説を検討し妥当な議論を行うだけです。その意味で、別段、私が行わなくても、科学的な思考の手順からごく普通に導かれるところに限定されます。

 話の内容は以下の参考書籍・論文の域を出ません。話を早急に知りたいかたは以下の参考書籍・論文をお読みになるとよいでしょう。

 

参考書籍・論文

議論の参考となる書籍論文

  

基礎知識となる書籍


エントリ関連の履歴

関連の追記

 「ニセ科学批判」については、シンプルに私は誤解していたなというのはあります。科学論とかの話ではなく、市民運動なんだな、ということです。これは誤認していました。自分が悪かったなと。悪い分の責めは受けるべきかな、と。

 この辺ね⇒はてなブックマーク - finalvent氏の不誠実さについて :: Archives

 私は市民運動というのは、多様にあればいいし、それにじゃまするというのをしたくないんですよ。なので、ああ、まずったな、自分の認識不足で余計なことしたなというのがありました。

 これをいうと傲慢かもしれないけど、市民運動の人に科学論とかやりたくないというのもあるんですよ。これはもっと広義に、普通の市民に科学論とかやって益なんかあるわけないんです。

 ちょっと飛躍かもしれないけど、オウム真理教事件など、市民が普通に近代科学を「信」じていたらあれほど参加者はなかったのだろうな(もちろんそうでもないか、普通にカルトはあるかという議論もありうるけど)、ところが、彼らは比較的インテリで(つまり無知蒙昧だから麻原を信じたという簡単な話ではないんですね)科学論の限界とか意外と知っていた。

 

誤解前の経緯

私のエントリに偽科学批判ぽい言説を投げかけたがゆえに回答を期待してる人のリスト

 回答をいただけたらリンクを付けておきます。言うまでもないけど、皮肉じゃなくて、なるほどっていう回答を求めていますよ。

  id:takanorikido

 

既回答

  id:dlit解答してみる - 思索の海

 ご回答ありがとう。明晰なお答えでした。

 全体としては主食を白米にすることと脚気にかかることとの直接の強い因果関係が容易に想定できるように書き過ぎている、ってところなんでしょうか。

 ええ、要点はそこにあります。科学とは基本的に因果関係の説明であり、これがこの記述ではとても「直接の強い因果関係」で書かれています。そして、「直接の強い因果関係」は科学的な説明とみなされがちです。しかし、この記述には、その割に、それを支える科学的な説明はなく、しかも、ビタミンB1の欠乏が誘導されている点で、私はこれは間違った、科学的説明であると考え、例題としました。

 話はもうすこしあるにはあるのですが、もし機会があったら書きましょう。

 余談ですが、コメント欄での、lets_skepticさんとの対話を通して、「ニセ科学」の問題領域がなんとなく以前よりわかったように思えました。もしそれが前もってわかっていたら、この問い掛けはしなかったかと思います。その点で、お手数をかけて申し訳なく思います。

 このような問い掛けは終了します。

 

参考

 最初にいうと、私がざっとぐぐった感じでは、この問題を解くための、ネット上の情報がめっからなかった。その意味ではネットの限界指摘にもなるといいなとは思う。追記:探すとあるにはあった。

 それはそれとして、科学的説明とはなにかの参考になるリンク。

 ⇒第8章 科学理論と科学的説明

 

ぶくまレス

 ⇒はてなブックマーク - 偽科学発見テスト - finalventの日記

2008年11月18日 rspub わからない。偽科学というのではなく、偽科学的説明、なんですよね?結果として患者が出なかったり、根絶されたり、というのはわかりやすすぎる結果という点でそれっぽいけど、それが事実なら仕方ないし。。

 偽科学と偽科学的説明の際にはちょっと難しいけど、とりあえず、このウィキペディアの説明に含まれている偽学的な思考はどこかという問題に捉えて下さい。

 個別にいうと、これって、何の「結果として」なのか、因果関係あたりがポイント。

2008年11月18日 kuroiotona 例題としては大変興味深い。でも、科学ではなく論理的思考の問題だと思うんだ。

 論理的思考に加えて、この問題には、さらに背景があります。その他の仮説、その妥当性の評価。統計の検討など。

2008年11月18日 mihrdat /(全面書直)山下政三の本読んだ。wikipedia記事の分量考えればあげつらうほどでもないじゃん(一つの類例はミリカンかな)。研究史のこの手の行過ぎは普通。少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?

 このあたりから難しい領域に入ってくるわけなんだけどね。まあ、「少くとも「偽科学」は明らかに大げさ。知識自慢したいだけ?」というのは、甘んじて受ける部分はあるかな。というか、たしかにそういう面もあるとは思う。

2008年11月20日 shokou5 科学, 科学哲学 科学は論理的営みであると同時に技術的営みでもある。実験して論文を書いて査読されて…というネットワークの中に根付く技術知がかなりある。単独の言説だけから科学か否かを問うことは「究極的には」不可能。

 いえ、科学的言説は、特定の方法論がもたらす、市民社会における一つの妥当な合意が目的となるから、究極を問う必要はなし。

2008年11月21日 complex_cat science, logic 切られ役のWikiの引用が論考を展開する上で,適正な材料であるように感じないのです。噛ませ犬かあるいは,相撲の土俵に,「同じ裸だから」競泳のアスリートを引っ張り上げて叩いたような感がするのですが。

 まだ第二段階の議論を展開していないせいもあります。

2008年11月21日 nanahusi まず出題者がどういう意図を持って出題しているか推測して、その後に出題者がどういう風に「偽科学」という言葉を捉えているか推理する。なんか論理思考を試すってより国語の問題を解いている気分になった。

 まず単純にこれは科学的記述じゃないなということがわかることが第一段階で、そのレベルで、これは間違っているということになります。

2008年11月22日 mori-yoshiro 「偽科学批判ぽいのを投げかけられた」ってたった二人なのかいな?それでこんなキレなくても・・・。しかも話全然変わっトル。

 ああ、キレてないですよ。mori-yoshiroさんが、「finalventは偽科学的」とかぶコメされると三人目になれますよ(冗談です、為念)。

2008年11月22日 ochame-cool a. ☆☆☆, c. 科学技術 finalvent文体で人生を語る分には深みがあってよいと思うけど、その文体で科学を語られると論点整理などめんどくさいかな。↓「国語の問題」フイタ。

 結論から整理して書けばすっきり書けるんですけどね。

2008年11月22日 kmiura えー。finalventさんはそもそも非科学的なところがよいもちあじなわけで、ニセ科学とかそうしたレベルではないと思っていたのだが。議論するだけムダだと思う。というか、非科学は科学を内包するからなあ。

 この文脈でこう言うといけないかと思うけど、ラカトシュとか出しても、前提的に通じない感じはしてますよ。そこは最初から議論にならなかな。余談ですが、反証可能性とかでネットで人気にあるポパーですが、エックルズなんか一緒にとんでもない世界像を出しているんですよ。

2008年11月22日 yukitanuki うお、あれからこんなことに

2008年11月22日 kana-kana_ceo 議論 「ごめんなさい、ごめんなさい、もう許して、ひー」って、なってる。

2008年11月22日 kamezo ニセ科学, ニセ科学批判批判, 科学, 議論, 読まずに書く人, 過度な一般化, リテラシー, コミュニケーション つくづく知らされた。頭の良い人や知識豊富な人には、それゆえの不幸というか落とし穴があるのだと。apjさん(の切れ味、明晰さ)には頭が下がる。finalvent氏には新エントリで整理を付けていただきたいなあ。

 もうそれで終わりでいいしょ。「ごめんなさい、ごめんなさい、もう許して、ひー」。

2008年11月22日 NATROM 医療 「「ペニシリンによって結核が治癒されることで、社会の結核は事実上克服されたといいレベルまで抑制された」という命題です。これは、科学的に間違いです」。その通りだろ。

 つまり、「科学的に間違いです」は間違い、と?  あ、ストマイでしょということですね。

2008年11月22日 NATROM 科学 finalventさんが何を言いたいのか理解できない。科学的資質を問う問題を出せるほどの科学的資質をfinalventさん自身が持っていることを示して欲しい。

 「科学的資質を問う問題を出せるほどの科学的資質をfinalventさん自身が持って」いないことでFA、でよいかと。

2008年11月22日 world3 疑似科学と間違った科学は全然別ですよ。疑似科学について語るなら、ポパーの反証可能性基準は必須の教養では?反証可能性基準には批判も強いが、議論はそこから始まるはず。

 そうでもないですよ。「反証可能性基準には批判も強いが」はラカトシュを想起させますが、ファイヤアーベントの批判をかなり本源的に解消していないはずです。とはいえ、もとに戻って、「疑似科学と間違った科学は全然別ですよ」との違いを私は率直なところ理解していません。なので、wrold3さんのご指摘が正しいのかもしれません。

 あと、個別の文脈でいうと、高木の仮説はたんぱく質不足でした。ですからこれで反証可能性を考えると、変なことになります。この問題は、疫学的な枠組みで見る必要があります。

2008年11月22日 y4su0 pseudoscience 出来が悪い国語のテストを経て、さらにぐだぐだな方向へ。

 そうですか。「中間的まとめ」と「仮説と科学的探求」の項目を含めて、もういちど全体を読み返すと、あれ?と思うことがあると思いますよ。そこがわかると、この問題の難所と、真の問題所在が見えてきますよ、というか、関心がうまく喚起されればなんだけど。

2008年11月23日 na23 finalvent, ニセ科学周辺 みんなの間違った知識をそれが常識になるまで熟成させてから指摘する嫌らしさについて…ではないことが最後まで読むとわかるw

 na23さんの科学観に示唆できる最後をお見せしたいとは思いますけどね。

2008年11月23日 mihrdat これはひどい, アルファブロガー(笑) "現時点では、まったく同意です。しいていうと、そういう活動があることにまったく同意しますということです" すると当初はその存在も否定してたという事?それなのに「批判」?それより早くapjさんの質問に答えろって

 違いますよ、当初はその存在がわかっていなかった。というか別のもので批判すべきだと思っていたというか、だから理解してなかったんですよ。そんだけですよ。アルファブロガー(笑)なんですもの。

2008年11月24日 yoyoprofane なんか読んでるうちに、自分のオツム(あるいは人生)の水準は、頭のいいほうではなくて、ニセ科学信奉者のほうに限りなく近いんだな、ということがわかってきた。

 「オツムの水準」はさておき(私なんか最低と見られているし)、この問題がいわゆる物理学的な因果論を問う病理学の枠組みではなく、疫学の枠組みで問う問題であり、その問題のフレームワーク認識が科学性に関連しているというあたりを、さっと見取った人は意外なほどいなかった(いても可視にはならなかった)かな。

hwalker これはひどい 敗北宣言のくだりが酷すぎる。卑怯な逃げ方しかできないのに議論好きのオッサンすぎてゲラゲラ笑った。 2008/11/27

 いちおう形の上では礼儀は尽くしたつもりなんですけどね。

y-mat2006 finalvent かんべむさし水素製造法を思い出したり… 2008/11/27

 つまり⇒水素製造法 - Wikipedia

 「参照用の国語辞典のみを頼りに回答を得ようとする。語句を引いていくうちに、どんどん奇天烈な回答が生み出される様子を描いている」という印象なわけですよね。

ublftbo 科学 2008年12月7日現在、停滞中。書く気はないと判断して良さそう。 / 今後書くか書かないか、ということすら書かない、という大変残念な態度でした。 / ほのめかしは勘弁して欲しいですね。 2008/12/07

 「書きますよ」とすでに書いてありますよ。あと、急いで知りたいなら、ほのめかしもなにもなく、参考文献を読めばわかりますよ。

naya2chan これはひどい 表現手法が所謂ニセ科学屋さんにそっくりだ・・・ 2008/12/14

 表現方法で決めるんじゃなくて、内容も検討してみるとよいかもですよ。

Pz-4 これはひどい まだgdgdやってたのね。仄めかし屋の思ってるような議論とは、一般には連想ゲームと言います。 2008/12/14

 白組加藤キャプテン

papersearcher なんだろう、科学者or研究者にひがみとかコンプレックスとか持ってるのかなぁ 2008/12/14

 お前の内心はこうだろという話ですね、ありがとうございました。

 

とらばレス

 ⇒Interdisciplinary: テストだそうです

たとえば、finalventさんは、ゲーム脳や血液型性格判断が何故ニセ科学と言われているか、押さえておいでなのかな。

 その問題は、レベル低すぎ。

 ゲーム脳は、定義とローカリゼーションに失敗している。血液型性格判断は心理学的(統計学的)に否定されている。以上。

 で。

そうじゃ無くて、ニセ科学に関する知識の無さをどうにかすれば? じゃないかと。

 いやそうじゃ無くてと言いたいわけです。つまり、「ニセ科学に関する知識」を丸暗記して教条的に対応している人たちに科学的な考え方の資質はありますかのテスト。

 ある言説がニセ科学的であるかどうかを個人で頑張って判断する必要は無い。解らなきゃ訊けばいいんだし。

 これも同じこと。教条主義に陥るだけ。宗教と同じなる。つまり、まったく偽科学批判にならないということ。

ある言説がニセ科学的であるかどうかというのは、様々な資料を検討して行われるものだから、どう答えるべきか判然としない。

 いえ、様々な資料を検討してごらんなさいというのがこのテスト。

 補助線的擬制の疑問。

  ・腸内造血説が偽科学である理由はなにか?

  ・結核を社会的に克服したといえる水準まで抑えたのはペニシリンをきっかけとする抗生物質か?

 次。

 ⇒現代の知識で過去の行動を判断する愚 :: Archives

 基本的にその言い分が当てはまるなら千島学説もおK。

 なお、ここに書かれているのは歴史文書ではなく現代の見解。

 そして。

 脚気が、食物摂取におけるビタミンB1欠乏以外の理由で起きるかどうかについては、私も知識が無いのでわからない。何か、代謝異常を起こすような病気があれば、脚気を発症することがあっても不思議ではないが……。しかし、当時問題になっていた、広く国民の間で発症していた脚気の原因は、ほとんどがビタミンB1欠乏によるものであったと考えられるので、まれに発症する別原因による脚気があったとしても、この文脈において考慮する必要はない。

 この程度。

 なお、「スキャンダルの科学史」には、史実としての記述として、高木が、「脚気は栄養のバランスの問題」であると考えるに至った理由として、監獄食と海軍食の比較からだと書かれている。が、これも、史実をどう確認するかという問題であり、擬似科学の問題ではない。

 偽科学は非科学的な思考・方法論の帰結であって、同質。

 また、同じことを繰り返すけど、「史実をどう確認するかという問題」ならエジプトミイラは復活しますな。

もし、高木の推論の仕方や試験への持って行き方が、今の知識を基準とした場合に何か問題があるものであったとしても(同じことを今実行したら擬似科学と呼ばれるものであったとしても)、それは当時の実験医学の水準の限界によるものであり、現代の科学の知識を元にして批判すべき対象ではない。

 占星術の解明は23世紀を待てとか。

 次。

 ⇒わかってないのに「わかってしまった」人 - Skepticism is beautiful

現在行われているニセ科学批判*3において、もっとも端的な「ニセ科学」の定義は以下のようなものになる。

 

   科学を装っている*4

   科学ではない

 

これを批判するのが「ニセ科学批判」であり、それ以上でもそれ以下でもない*5。

 これは単純にわからない。

 科学における間違いは、間違いとわかるまで(正確に言えば社会に妥当な水準でその真理と虚偽の合意が受け入れられるまで)は、ただの科学であり、それ以降は、たんに間違いであり、科学ではなくなる。

 「ニセ科学」を間違った科学と別に定義を必要とする理由が、単純にわからない。

 あるいは百歩譲って「ニセ科学」なるものが独自にあるとしても、通常の科学方法論とその考え方さえあれば、対処にまるで困らないし、むしろ、教条的に「ニセ科学」のリストを暗記したかのように批判することで、科学的方法論がスルーされてしまう。

 次。というか。

 ⇒finalvent氏のコメントにさらに突っ込んでおく :: Archives

 基本的に前回と同じ、および、コメント欄の展開と同じなので、私としては再コメントはない。それをもって、finalvent敗北宣言とされてもかまわないし、「思い上がるな」はまさに、そうかもしれないなと反省の契機としたいと思ってますよ。

 あと、めっけられたこの資料はよいですね。

 ⇒「我が国の被感染性疾患疫学的研究の歩み」(pdfファイル)

高木の研究について山下政三はその著書の注で、以下のようにコメントしている。「この業績は高木兼寛が功なり名遂げ、引退後に回想として述べているのが中心であり、実態が修飾されているように感ぜられる。環境因子の調査にしても全海軍の実地調査には膨大な数の調査員と、期間が必要であり、それには記述されている1年半くらいではできなかったのではないか。また探しても海軍には疫学調査の成績、記録が存在しない。高木が書類調査を実施したとしても、当時の海軍には疫学に役立つような記録はほとんどなかったようであり、新たに調べる必要があった。高木は根拠となった疫学的調査の成績を一部しか示してない。N対C比の改善にはいくつかの方法が考えられるのに、なぜ、一挙に洋式を採用しようとしたのか。またパン食の評判が悪いとなると、すぐ翌年麦飯に変更している。こうした検討を最初になぜしなかったのか。彼は初めから「タンパク質不足、米食の害」を原因と仮定してその検証に邁進したのではないか、高木は脚気伝染説、中毒説には一顧もくれないほど、全く発言をしていない、これは何を意味するのか、」などと疑問点をのべている。大学での研究者や森林太郎らが指摘したように、脚気発症や予防機序についての科学的根拠については、高木はN対C比以外に何も示していない。しかし病の予防法は、証拠がそろわなくても、機序が推測でも、実施できるわけで、理論は後から判明することも少なくない。ただ高木の場合はその後理論的な研究はあまり発表していない。高木の脚気N対C比仮設は、その後の各種の動物実験追試で否定された。

 特に。

脚気の問題は、医学研究は如何にあるべきかを考えるよい例である。結局疫学的研究が結論に至る道程におおきな役割を演じたことである。しかし確率論的な研究結果に対する認識はきわめて低かったので、解決には数十年を要した。わが国では伝統的に決定論大きな比重を置いており、確率論的な研究に関心が少ない。このことは、現在の医学研究における疫学の立場を見てもわかる。脚気の問題は現在の疫学の問題でもある。

 そう、だから、このウィキペディアの項目を取り上げたのですよ。

 次。

 ⇒「偽科学」と「ニセ科学」? - 『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録

 ご指摘の件、つまり、「ニセ科学」を私が理解していなかったというのは、まったくそのとおりなので、それはそれにて。

 あと、「レベルが低い」について、同エントリに寄せられたコメントに同意する部分多々なので、つまり、BSE騒ぎとかタミフル副作用騒ぎとか、原発耐震性とか、ミサイル防衛とか、科学的評価が難しい領域を積極的に取り上げて、マスコミを啓発してくれたらいいのに、とそういう感じです。

 私に対して「finalventは水伝がわかってない」と言われても、うーん、「ニセ科学批判」の意味合いはわかってなかったと思うけど、そもそも水に語りかける人については、ちょっとねという感じです。

 ⇒重要なのはニセ科学と科学の判別そのものではないとは言え館

 「科学的知見を問う問題」については、ごく単純にまだ道半ばですよ。ご関心のあるかたがあればまだ続きます。

 ⇒答え合わせ : 2008-11-23 - Log of ROYGB

 単純に抗生物質は栄養ではありませんよ。そのレベルで非科学的とフィルターアウトされるだけの話ですよ。

 ⇒「『ニセ科学批判』批判」問題、というかなんというか。 - 残雪日記

 ここで、id:finalventさんは、十分に(たぶん、標準以上に)知的な人だと思うが、一方で、ニセ科学運動の外側の人であり、それについて議論を積み重ねえてきた者から見れば、蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない。

 finalventさんが知的かどうかはかなり疑わしいという多数の意見をいただきますが、それはさておき、ご指摘されるように、この件については、「蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない」というのはまったくそのとおりだと、認識できました。

 今回のこのエントリ、なんてバカなことをするんだという多数の意見もいただきましたが、私としてはシンプルには、ああ、「蒙昧で稚拙な素人、つまり大衆の一人に過ぎない」ということが理解できてよかったなと思っています。そこはあまり伝わらないようにも見えますが。

 あと、「ニセ科学批判」運動の枠組みではなく、普通に科学論の一つの実技的アプローチとしてみると、話はようやく半ばかなというところですが、そのあたり(病理学ではなくて疫学だよ)にご関心を持つかたは少ないようですね。そこをある程度理解していただかないと、この話の最終部にはうまく繋がりません。ただ、こういう書き方は、ネットでいう上から目線というか偉そうな響きがあるので、この部分については、もっとシンプルに進められたと思います。

 ⇒liber studiorum: ある陰謀論

 ええ、finalventは結果としてヒールでよいと思う。というか、そう思うに至っている。そのあたりまでフォローしたエントリにするとネタを超えて他山の石になってよいのではないかな。あるいは、そこまでのすでに意図に含めてのエントリであるかもしれないけど。

 ⇒こういうのって子供がよく言い出す話だよね

 まだ終わってなかったりして。というのと、この先の話の展開が理解できたら、たぶん、驚きますよ。あと、みなさんが気にしている「解答」はいずれ公開します。

 ⇒これはナポリタン問題w - alice日記

短時間ではあるがそれなりにネットで検索したであろう氏に対して、

 その逆で、ネットには情報ないなと思った。

 この問題に関心を持つかたが、ネットの情報にプライマリーに当たるかな、と思って、ネットの情報に当たった。そのあたりの話は、いずれわかるよ。

科学的思考法(クリティカル・シンキング)という概念からいって、疫学と病理学を区別する必要はないかも知れないが、それを区別してみようと思いつく氏の思考方法は科学的といえるのではないか。

 「氏の思考方法」には、わけがあるんだけど。まあ、半分くらい書いた。

 ⇒科学的ではなかった『科学的素養を他人に問うたテスト』の枠組みと出題者 - A_lie_sunの日記

(感想)

 それこそ「(比較的)肯定されている」と「否定されていない」の『妥当性の強弱』を考えて下さい。

 そこを再考してみましょうということですよ。FAOの文書を読んでご覧なさい。

(感想)

 ビタミンB1で改善したという過程(報告例)を無視しておいて妥当性の強度も糞もありませんね。

 『歴史的な脚気』の定義からして確定してないのにカビ中毒説が妥当というのも無茶な論理展開です。

 ここはただの誤読ですよ。強いカビ毒説ではビタミンB1の改善は保護です。部分カビ毒説ではビタミンB1と衝心性脚気は別です。

 「『歴史的な脚気』の定義」ですが、衝心性脚気に注目されているということです。体調が悪いなというくらいではなく、心臓停止で数日で死者がでるという問題でした。

(感想)

 妥当性の強度を議論するなら『AのみかBのみ。さもなくばAとBは等価』なんて単純な三択にはなりません。そんな乱暴な考え方は全く科学的ではない。

 エーテル説も有りとか?

 現在の所は最も妥当だと認められる説を覆し得る妥当な説明が、相応の手続きを踏んで科学であると認められない限りは、現在の所最も妥当だと認められている説明こそ妥当であると認めるのが最も科学的な態度に近い。

 マイコトキシンの学説史を知らないだけでは?

さておき、少なくとも私は今のまま肝心な所の説明をしないfinalvent氏を科学的であると認める事は無いでしょう。

 まあ、そういうA_lie_sunさんに認められてしまったらそれはそれでなんですが。

 ⇒科学として有効な質を持つ情報を扱わない論は、科学的にはならない - A_lie_sunの日記

これまでの議論と合わせると、finalvent氏の言う『歴史的な脚気』とは、

『衝心性脚気症状を起こした脚気(様の症状)で、ビタミンB1欠乏で発症する脚気とは別物』

 という理解で確定させていいのでしょう。

 ええ、それでいいですよ。もっと強い仮説もあるけど、それも検討してみたらと思ったけど、奇っ怪な誤解が蔓延しただけなので。

言い換えると、

『衝心症状を呈する重度の脚気は全てカビ毒によるものであり、ビタミンB1欠乏で脚気は起こらない』

 「全て」という言明のはこういう疫学的な命題では科学的ではないのですよ。それと、「衝心症状を呈する重度の脚気」ではなくて、衝心性脚気は、アビタミノーゼによる脚気とは異なるでしょ、ということ。

 finalvent氏はカビ毒説は証明されていると言ってますので、同時に以下の事が証明されていると言っている事になります。

1.現代においてビタミンB1の不足で発症した脚気を放っておいても衝心症状は起こらない

2.カビ毒中毒による脚気症状が軽い段階でビタミンB1を投与しても症状は改善しない

 2はどこから出てきたのはよくわからない。というか、衝心性脚気を理解していないんじゃないかな。

 他は、そうだと思いますよ。あと科学的な信憑性というのが特定の公的に信頼されている科学集団で形成されていなければ、でなければFAO文書なんて出ないじゃないですか。

 あと、以上の話は、

 ⇒「 カビがつくる毒―日本人をマイコトキシンの害から守った人々 (科学のとびら): 辰野 高司: 本」

 の辰野先生の説を逸脱していませんよ。

 なので、finalventは非科学トンデモということで、辰野先生もご一緒にトンデモというなら、なんか光栄な感じがします。

 finalventなんかどうでもいいから、辰野先生のご本を読まれたら。この件、以外にいろいろ学ぶことがありますよ。

 ⇒衝心脚気の原因はカビ毒か? - NATROMの日記

 衝心性脚気がすべてカビ毒によっているとまでは言えない点は、不正確であったので後日訂正したいと思っています。

 それはそれとして、とりあえず簡単なコメント。

  • 『心臓障害による致死性の高い衝心性脚気がカビ毒によって発生することは証明された』は実験から証明されていると考えます。
  • 『衝心性脚気はカビ毒で引き起こされるが、衝心性脚気以外の脚気はビタミンB1不足によっておきるとする「部分カビ毒説」がもっとも妥当性が高い』ですが、この問題についての私の考えは辰野・浦口を超えるものではないので、彼らの考えが疑わしいということであれば、そこは同様に私の限界なので、そういうものかなと。
  • 「FAO文書に書いてある」のを根拠とするというより、国際機関で定説扱いになっていますよということで、ハリソン内科学1958年度版を信じるのとそれほど変わらないと思います。

 加えて。

  • Pathophysiologyとしては、脚気の原因はDryとWetを含め、Beriberi: Overview - eMedicineなどを見ても原因はわかってないのが現状で、その点では、まだ多くの仮説に依拠しているもの、つまり、仮説だと思います。
  • Uraguchi,1969(Uraguchi K. Mycotoxic origin of cardiac beriberi. Journal ofstored products research, 1969, 5: 227±236.)でOgata et al,1924の参照からですが、浦口の言う「衝心性脚気」では死亡時にアビタミノーゼを惹起していないことが確かめられています。
  • カビ毒による脚気症状と、アビタミノーゼによる脚気は異なる病気であるとすることも可能ですが、明治期以前には区別されていなかっただろうと思われます。

 ⇒米の検定は脚気死亡数に影響せず - NATROMの日記

 脚気死亡者数については、基礎知識となる書籍に挙げた「 最新 ビタミン学―基礎知識と栄養実践の手引き(糸川 嘉則)」にも含まれており、浦口の解剖調査と前半までは合致しているが、1920年代以降の死者数がカビ毒による衝心性脚気によるものが含まれているなら説得力はないなというのは知っていた。これをどう考えていたかだが、米の検定がこの時点でそれほど十分ではないからかと思っていた。

 uraguchi,1969及び辰野をその点で再考するなら、NATROMさんのご指摘のように、その限界があると思う。よってそこに基点をもって考えていた自分の立論には、同様の限界で、説得力がないと思うにようになった。

 NATROMさんの考察、「かつて日本で猛威を振るった脚気はやはりビタミンB1欠乏が原因であり、米によるカビ毒は主因ではない」ということだが、ご指摘を受けてみると、「主因ではない」という主張は妥当であると思う。

 (なお、関東大震災の影響はあるかなとはちょっと思っていた。もしそうならそれほど浦口の考えで違和感はないが。)

ま、そうかな

 ⇒合理ゆえに我信ず - 地を這う難破船

 丁寧に考察されている。

 あと、小林秀雄と偽科学については「感想」(参照上参照下)を実際に読んでみるとよいと思う。小林秀雄という人がどのようにテキストを読むかがわかる。ただ、結論からいえば、物理学的には時代的な制約もありどっちかといえばトンデモなんだけど。ただ、それが、「感想」の失敗だったとも言い難い。

水からの伝言が物理法則の合理性において世界を記述し「説明」するとき、それは「真理」と世人に誤解されがちな科学的認識の、誤解を承知しての横領であり、すなわち社会資源の概念的な横領であり、物理法則の合理性において世界を記述しようとすることの、まさにポパー―クーン的な倫理に対する「冒涜」であり、物事を合理的な帰結として了解することの――物理法則の合理性の絶えざる確認がセッテイングする人間存在とその内的世界の不合理に基づいた――陥穽としてあります。

 もっと簡素に言えるとは思うけどスタイルはそれとして、「ポパー―クーン的な倫理」という水準がどう成立するかということ。

 私が最近思うのは、知は、「ポパー―クーン的な倫理」の倫理はさておき(正確にいうとsk-44さんは誤読されているように思うけど)、「ポパー―クーン的な知」というものが、知によって易々と読み込まれ、知識人スキーマティックに理解されることで、その了解が社会的に次の地平に立つというものではないこと、つまり、彼らが演じた劇の性質の了解に問題があるのだろうということ。

 その意味で、その劇が、市民社会の倫理として、つまり、我々の社会がどのように科学を了解・合意する市民社会的なプロセスのために、きちんと追体験ができていないことで、別種の権力---それこそが市民社会の倫理によってそこから保護されるべきだったもの、あるいは啓蒙の持つ危険性が---露出していることに危惧を覚える。ま、そこまでいうと、sk-44さんと同じ結論かもしれない。

 別の言い方をするとローティ的な問題。

 ⇒極東ブログ: [書評]〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組(須原一秀)

セント君、Web2.0を語る

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):「せんとくん騒動、社会の病感じた」生みの親が吐露 - 社会

仏教の日本伝来にも言及。「インドチベット朝鮮半島などを通じて伝えられた仏教は、長い時間をかけて日本の思想などにあわせて変わってきたもの。インドから来たカレーも日本流になってきていることと同じように、誇りを持っていい」と語りかけた。

f:id:finalvent:20081117092942j:image

「あのアルファブロガーのように…? クリリンのことか… クリリンのことかーーーっ!!!」

 ⇒はてなブックマーク - アルファブロガー神話の終焉 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

2008年11月17日 dokumenta アルファブロガーまで批評。仲俣さんの「攻め」の姿勢を感じる。弾とかモッチー、爺の虚像も、ここまで影響が大きくなってくると、誰かしっかり突っ込んでおくべきなのは確か。

 爺って、爺って、示威って、辞意って、自慰って、いじって⇒おちんちんさわらないで

ネガコメの陳腐さ

 まあ、誤解されるけど、私自身としてはネガコメ、別にいいじゃんなのだけど、まあ、本心を読みたいかたが勝手に読まれるので……。

 それはさておき、なんとなく、ネガコメの陳腐さに、さすがに飽きてきたなという感じがする。気にするなとかじゃなくて、そこにウンコすんなよ、また、下痢便かよみたいな。

 あと、陳腐さでいうと、若い女に言い寄られるのはまんざらでもないが(いやまんざらだが)、兄さんやおっさんにネガネガラブラブされてもなぁみたいな。

 なんか、単純に、ネガコメーな人をサクサクフィルタしていいんじゃないかと思えてきた。

 というか、ぶくまが改変したら、「私がフィルタしたブコメIDリスト」でも公開しようかな。

 みんなに嫌われるブコメIDというのをWeb2.0で共有してもいいんじゃないかな。

 システム的には、「finalventはこのブコメIDがきらい」を登録して、それをお気に入りにするとか。

 あるいはそうした、きらいきらいを集積して適当な係数をかけて、ネガコメー指数を出して、その数値を指定するとか。

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - d:id:finalvent の新着ブックマーク

2008年11月17日 Parsley blog, web, どーよ そういえば「システム・スルー力」ってどうなったんですか?

 自分は今でも基本的にそういうふうに考えているけど。

 ⇒システム・スルー力 - finalventの日記

 ⇒システム・スルー力の副作用 - finalventの日記

 けどというのは、一つには自分の場合は、基本的にそれでいいんだけど、ブログ全体とは違う状況になったかな。

 それと関係するけど、当時はブログが基軸だったけど、最近はブコメが基軸になってそこからエントリが振り回されている状況っぽく見える。というか、エントリはブコメのネタでしかなく、かつての主従が逆転したみたいに見える。そして、そのことが普通のブロガーにとってあまりよくないんじゃないか、と。

たぶんそうだと思いますよ

 韓リフ先生⇒G20(金融サミット)でわかる欧州の衰退と新興国の遅れ : 2008-11-16 - Economics Lovers Live

むしろ利上げスタンスが日本と同様にユーロ圏の不況入りを早めていたのであり、今回のG20で必死な調整役をしたのならばそれはユーロ圏の経済的ダメージの深さとユーロ圏独自の制度的対応に限界が来ていることのなによりの象徴であろう。その意味では一部でいわれているようにドル基軸通貨の終焉ではまったくなく、それに代ると目されているユーロの「基軸通貨候補終焉」ともいえる事態ではないだろうか? 

 そうだと思います。

 私なんかがいうと、別に思惑に取られるかもしれないけど。

 対ドルで落ちたあたり、もう。

 このあたりは朝日新聞みたいな理念はそれはさておき、現実を冷静に見ないと。

 話はずっこけるけど、共産党すごいわと思う。手品を見ているよう。

今日の大手紙社説

 G20が話題。あまりピンとこない。

日経春秋 春秋(11/17)

生態系保全温暖化対策をあざ笑う机上の空論がもてはやされる今の日本、実態からの逃避と知的衰弱はかなり深刻だ。

 心情はわかるし、ブログとかだと言えることかな。

毎日社説 社説:金融サミット 歴史に残る協調を形に 保護主義の台頭を許すな - 毎日jp(毎日新聞)

 どこが間違っているというほどではないが全体的になんかずれている感があるのはなぜかなと思う。日本の立ち位置に対する冷やりとした感触だろうか。世界第二の経済大国、しかも今こそ第二の意味が問われるというのに。

読売社説 金融サミット 発信された危機打開の決意 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 オバマ氏は、ブッシュ政権に比べ、保護貿易主義的な主張を続けてきた。しかし、世界経済を活性化し、成長を加速するには、自由貿易の推進が重要だ。オバマ氏の考え方はいずれ、修正を迫られる公算が大きい。

 軍事についてもそうだろう。

 あと日本からあまり見えないが米国南米問題も抱えているか。

朝日社説 G20緊急サミット―この結束を緩めるな : asahi.com(朝日新聞社):社説

 特にメリハリもない社説だがこんな感じかな。そううまくいくとも思わないが。

 新しい世界像がどうなるか、まだ誰も描けない。それを組み直す作業は、オバマ新米大統領が就任してからG20の間で本格化するだろう。

 このあたりはブッシュ叩きのツケが回ってくるのではないか。オバマができることは最善の妥協であり、それは米国益に傾かざるをえない。

 そういえばこの社説には世界の、経済外の危機的状況との対応は少ないように思えた。

 それは「米国一極支配」が決定的に転換することにも重なる。米国は冷戦終結後、突出した軍事力と、情報技術や金融をテコにした経済力で世界をリードしてきた。それがイラク侵攻でのつまずきと金融危機で崩れつつある。世界秩序の動揺を乗り切るため登場したのがG20体制だといえよう。

 このあたりのブッシュ叩きをまだやっているのは頭の切り替えが難しいのだろう。ブッシュ政権は実際にはラムズフェルドが消えてライスが出てきたあたりで大きな転換がある。また金融危機はグリーンスパンが自身でかぶった面もあるがあのFRB面子にはバーナンキもいた。バーナンキの対応も後から見れば完璧とは言い難いというか完璧であってできることはあそこまでだった。

 端的にいえば、わかりやすい理念で世界を見ることができなくなったというのを組み込んでいかないといけないのだが、それでもおそらくわかりやすい視点は存在するようには思える。

晴れ

 よい天気だ。いろいろ思うことはあるがまとまらない。昨晩はまた寝付かれないかと、グルーワインを飲み、もしかして体の芯が冷えて眠れないだけかと思いぬくめるとそのまま寝た。こういうのは老化というやつだろうか。夢は。忘れたと書こうとしたとき思い出した。バーチャルリアリティ関連の製品ということで、DVDメディアがあり、それを装着系だったか自己催眠的な再生装置にかけると、過去の光景が再現されるというもの。最初これはストリートビューみたいだなと思ってみていると、なるほどこれは過去の世界だと私が驚く。随分ディテールまではっきりしているな、こんなところに路地があり、店があり、ここに椰子の木なんか生えていたのかと過去の世界をさまよっている。ディテールだけがあるので、かなり鮮明な夢を見ていたのだが、夢の意識のなかではそれは過去の世界だった。しかし、今覚醒した意識で思うとその過去は私の過去の世界でかならずしもない。

2008-11-16

ココログの投稿画面に「ブログのネタ」といううざいものが表示されて

 ああ、ニフティはあれだな、有料会員のことすっかり忘れているんだろうなと思った。

 今見たら、表示のウザさが弱くなっていたので、すこし我慢するか。

 ブログのネタがあって、ネタにぱくっとエントリを書くようにする、というご配慮なんだろうけど。

 まあ、そうやって書くなとも思わないけど。

 はてぶなんかもそうなんだけど。

 なんかなぁ、ブログの世界の流行ネタや、世間のネタにぱくぱくっていうのは、なんかなぁ。

ある意味で地政学的に考えるとことは簡単なんだけどね

 あまりに簡単過ぎると陰謀論みたくなる。

 ま、簡単にいうと、日本という国家は、その領域として北海道沖縄を放棄できない。 北海道は資源的にもそうだし。

 沖縄はシーレーンでもあるし、実際に日本の海域のかなりの部分が沖縄が担っている。

 そして、これ(日本の領域というものが)がようするに、中国ロシアの蓋になっている。なんための蓋かというと、アジア米国のね。

 つまり、冷戦のままでもある。

 領土的なナショナリズムというのは冷戦に機能するように出来ている。

 現状ではもうそうでもないんじゃないかと思うが、そういう機能はそのままある。

 で、この領土というのは、ようするに地方ということで、日本は地方を切り離して合理的に存立させることは、できないよという前提がある。

 あと、妄想論的にいうと。

 いずれ東京は壊滅する。

 意外と言われているほどには間近ではなさそうだ。

 地方分権ということで、いかにもきれいそうな絵は描けるけど、実際には、こうしたナショナル部分への負担というのは続く。

 しかたないというべきなのかよくわからないが。

また少し現成公案メモ

 こんなことに関心を持つ人がいるかわからないし、仏教や道元に関心を持つ人でも、私が何を考えているのかバカみたいに見える人もいるだろうけど、そこはご愛敬で、メモ、と。

 諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり修行あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり。

 「諸法の仏法なる時節」という限定節が何を意味しているかが、まず難しい、のだが、これは単に「時節」であり、「時」ということだと思う。ここで現代人が道元を誤解するのは、「時」に対する基本的な認識を異にしている部分が大きいだろう。

 道元にあっては、時とは有であり、彼は有時といっている。有るということは時である。ここで、おそらく道元がその前半生で悩んでいた問題は、たぶん、ゼノンパラドックスと同じだろうと私は思う。飛んでいる矢は止まっているということだ。もちろん、道元はゼノンパラドックスは知らないし、その思考の枠組みで考えているわけではない。

 ただ、たぶん、道元は、「飛んでいる矢」そのものの有を有時としてみたとき、それが有るということは「飛んでいる矢」であることとして理解していると思う。つまり、有るというのは名辞行為における時間の静止である。時間が静止しているわけではない、名辞が静止したかのような時の様相を示すということだ。

 だから、と、やや飛躍するが、「諸法の仏法なる時節」とは、仏法が仏教だどうのという愚論ではなく、コスモスにおける諸存在が諸存在として存在している、まさにコスモス的な名辞の秩序の理法を仏法とかりに呼んでいるだけで、そこには取り分け「仏」という意味合いはない。

 「諸法の仏法なる時節、生あり死あり」とは、生や死と名辞される存在がこのコスモスの秩序に現れているウアドクサ、根源的ドクサの状態としてまず提示されているということだ。そしてそれが存在だとされるものだ。

 ここでさらに飛躍するのだが、名辞の行為というとき、認識主体や名辞者が問われるし、私も観察者としての独我が問題になると思っていた。昨日瞑想しながらわかったのだが、ここはそうではない。諸存在の生命的な関係(広義のエコロジー)が、自であることで他と関係しあうまさにその関係のインタフェースとして広義の名辞が現れるということだ。名辞行為があるのではなく、自存在が他存在と共存して関わり生の全体性を営むとき、諸存在は自他のインタフェースを持ち、それが名辞に近いものになる。だから、流水にとって岩を転がすとき、そこに広義の名辞がある。この比喩はやや危ういかもしれない。というのは、こうした広義の名辞の行為は生命現象そのものだからだ。

 むしろ、そうした生命現象が自他の臨界を生み出して、存在をたらしめるところに仏法の「仏」の意味あいがあるのだろう。

 そして、この「諸法の仏法なる時節、生あり死あり」は次の部分に呼応する。

 たき木、はひとなる。さらにかへりてたき木となるべきにあらず。

しかるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。

しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。

前後ありといへども、前後際断せり。

 道元の不死論は、薪は灰とならないということに尽きている。生は死にならない。春は夏にならない。

 なぜか。

 それらは仏法によって名辞としてその時に存在していて、その一時の位として永遠を得ているからだ。ここは表現を間違うとかなりオカルト的になる。

 禅の本質はおそらくすべてここにある。

 一時の位の永遠を知覚することが禅そのものだからだ。人の意識は、過去とつながっており、ゆえに時間の流転を知覚するかのような錯覚を持つというか、日常の意識は、運動や変幻を含み込む。しかし、禅によって修証するとき、「一方を証するときは一方はくらし」となる。このとき、時が、前後際断する。

 ただ、ここはまだよくわからない。

身心を挙して色を見取し、身心を挙して声を聴取するに、したしく会主すれども、かがみに影をやどすがごとくにあらず、水と月のごとくにあらず。

 そしてこれ。

 人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。

月ぬれず、水やぶれず、ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。

 ここで、聴取とさとりをうるが別のこととして理解されているのかもしれない。

 なので、このあたりの私の解にはまだ自信はない。

 文脈を戻すと。

万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。

 「万法ともにわれにあらざる」という時において、無が提示される。ここは時が有であるなら矛盾する。無である時が提示されているかだ。ただ、これはおそらく、運動を含んだ上位の時そのものに無が内包されているということだろう。

 諸生命の名辞の関係は存在を提示するがそれらが、自他を意識しない状態では無になる。ここは名辞の比喩がわかりやすい。人類が存在しなくなれば、東京タワーは存在しなくなる。東京駅も存在しない。人類の痕跡すら存在しない、なぜなら、認知しないからだ。そこに生の関係を取り結ぶものがなければ、それは有りながらにして無になる。

 字義的に難しいのは、「われにあらざる」で、ここは古来諸法無我として理解されるし、それはそれで間違いではないのでないのだが、道元が開示しているのは、諸法無我の意味であって議論が逆だ。

 ここは次の箇所に呼応している。

 人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸を見れば、きしのうつるとあやまる。

 目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむを知るがごとく、身心を乱想して万法を弁肯するには、身心自性は常住なるかとあやまる。

 もし行李をしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。

 この「万法のわれにあらぬ道理」が、「万法ともにわれにあらざる時節、生なく滅なし」ということだ。

 つまり、ここでは一義的には認識の主体、つまり独我の方法論への否定であり、インド哲学的にはアートマンの否定だ。ただ、この否定が議論上明確になっているわけではない。

 そして、私は長く勘違いしていたのだが、この独我というのは、いわゆる独我論的な独我というより、諸存在の自他意識そのものを指すのだろう。諸存在が自他意識を持ち、相互に存在を名辞によって意識する活動全体が、「きし」の常住を表している。

 ここで仏教の難所がでるのだが、そうした全一なる存在を道元は常住として見ているのか。基体というか。

 ここで道元の本義が出てくる。れいの「一切衆生悉有仏性」だ。これを「一切衆生には悉く仏性あり」と読めば道元は外道だというのだ。

 諸存在に仏性があるとするのは仏教ではないと道元は断じる。おそらくその意味での仏性はアートマンでもあるのだろう。

 道元は、こう読まないかぎり仏教はないと断じる、つまり、「一切は衆生なり、悉有は仏性なり」。もちろん、漢文としてはこう読めるわけがない。

 ここは全一が語られているとも読める。

 さらにやっかいなのは、「切衆生悉有仏性」に「如来常住無有変易」が続くことだ。

 道元的には、こう読まざるをえない。「如来は常住なり、無あり有あり変易あり」と。実は、これこそがまさに現成公案そのものだからこそ、仏性が事実上、正法眼蔵の巻頭に置かれている。

 この「如来は常住なり」の如来は、諸存在の生命活動そのものを指すだろうし、これは後の仏道の運動性そのものだろう。

 というか、時間の運動そのものが生命存在の根幹であり、それが運動=生命=コスモス=仏道という、言い方はわるいがアニミズムであるともいえるだろう。やや言い過ぎだが。

 その意味で、全一またその人間的な現れである如来は、存在するということになる。そしてそう考えればそこに実体が産まれ、一見仏教ではなくなるかのように見える。

 ただ、道元としては、運動を含む時が有であるというのは、有の前提であり、いわゆる実体論的な無限を支えるような実体は否定されているということかもしれない。ここは私もまだよくわからない。

仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。

 ここはすでにもう自動的に理解できる。仏道は「豊倹より跳出」しており、ゆえに、有・無を超出した運動として現れることを言っている。ゼノンパラドックスというより、この運動の世界のありのままを捉えているだけだ。

 そして、ようやく人間と仏教と関わりになるのが。

しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。

 一般に世諦と読まれるが、愛惜・棄嫌という「苦」の認識は、記憶と時間の錯誤にあることが提示される。花が散るとき、散るの運動を超えて過去に実体に咲き誇った花は無である。記憶は存在するがそれは存在ではない。

 しかし人は運動のなかにあって、仏道を習うしかない。そしてこの仏道はすべての生命的な諸存在の全一のなかにある。苦は必然に内包される。

 が、悟りはその有無の構図を自身のなかに宿すこと、前後裁断することで、苦という過去を生きることを断ち切る。苦が解放され、人が「しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく」というのはそのことだ。

 と、書いてみて、なるほどなとわかったことがあった。

 悟りというのは、そこが到達ではなく、ただ、人がまっき生きるという日常の所作であり、ゆえに。

 得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。

 証究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも見成にあらず。見成これ何必なり。

 証究すみやかに現成すは禅によって生きる人のあり方そのものであって、禅は「密有かならずしも見成にあらず」だ。仏教をいかように知ろうとも苦から免れない。知によって「見成これ何必ならんか」は否である。よって「しかあるがごとく、人もし仏道を修証するに、得一法通一法なり、遇一行修一行なり」とそれだけのことだ。ただ生きることがただ禅をすることになり、この世界には神秘も解放も存在しない。

 しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにも、みちをうべからず、ところをうべからず。

 同じ事だ。

 以鳥為命あり、以魚為命あり。

 以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。

 諸存在がただそのあり方として生を営む、よって「諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず」ということになる。

 ただ、そこに苦はあり、苦を滅する仏の教えがある。

 と。

 しかし、私はまったく間違っているのかもしれない。

 こうして見える道元はとても不思議な姿をしている。

 

追記

 ちょっとテクニカルな部分で追記しておこうかな。

 道元とゼノンパラドックスについては、ちょっと勇み足な部分があるので、ここはもう少し丁寧に見たほうがよいのだけど、道元がなぜ薪と灰を持ち出したかについては、龍樹「中論」がある。その意味で、道元が中論を踏まえているともいえる。

 このあたりの興味深い議論はこのあたり。考えようによっては珍書。

20081116213046
ウィトゲンシュタインから龍樹へ―私説『中論』: 黒崎 宏

 ついでに。

 これはちょっとねなんだけど⇒「ウィトゲンシュタインから道元へ―私説『正法眼蔵』: 黒崎 宏: Amazon.co.jp: 本」

今日の大手紙社説

 特になし。特になしでいいんだろうかとはちょっと思うが。

日経春秋 春秋(11/16)

かつて親の職場と子供の距離は今よりずっと近かった。農作業の傍らで子を遊ばせる。商店では店番を任せる。住宅街の町工場に勤める親はわが子に何かあれば「ちょっと家に帰る」ことができた。工場は大きくなり、会社と住居は離れ、小売店のチェーン化も進む。効率は高まったが、融通は利きにくくなった。

 微妙かな。

日経社説 ネットから個人情報を守ろう

 Googleマップの設定とストリートビューは別、なので話が混乱。

 一方、利用者も注意が必要である。最近はネット上で友人と情報交換するサービスが人気だ。日記代わりにネットを使う若者も多いが、情報が漏れる危険性を絶えず忘れてはならない。学校でも今後はネットの使い方を教えていく必要があろう。子供のほうが詳しいといわれるが、教師に対する教育も必要だ。今回の出来事はそれを端的に表している。

 情報が漏れるというけど、実はこれ、いわゆるオールドメディアではだだ漏れだったというか、だだ漏れに構造化された産業があったりもした。まあ、問題はそう簡単ではないよ。

毎日社説 社説:中期プログラム 消費税上げは前提ではない - 毎日jp(毎日新聞)

 一瞬標題に驚いたが、中身は……。

 09年度からの基礎年金国庫負担引き上げなどの財源としては、定額給付金の財源にもする財政投融資特別会計の金利変動準備金を充当する方向になっている。ただ、この準備金は財投残高の減少にしたがい減っていく。政府は、当面、こういった「埋蔵金」にかなり依存するだろうが、それは安定財源とは言い難い。

 中期的に、消費税のみならず、個人所得税、法人税など基幹税の位置付けをどうしていくのか、国民に提示することが政治に求められている。消費税を上げれば年金財政は安定するといった話ではないのだ。

 こういう動きを見ていると、経済の動向というのはある種の必然のようなものはあるなと思う。端的にいえば官僚主導的な経済運営の絶対的な限界が比較的見えやすい時代になったのだろう。

読売社説 金融サミット 危機克服へ役割が増した日本 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 アイスランドなど、危機に陥った中小国向けのIMF支援が相次ぎ、IMFの機能充実が緊急課題となっており、各国は日本提案を前向きに評価した。

 IMFの改革については、これまでの米欧主導を是正し、新興国の発言力を増大させるべきだとの指摘がある。危機を未然に防ぐ早期警戒機能の強化も含めて、こうした課題を早急に解決することが肝要だ。

 日本という国はIMFだとWTOだのの錦の御旗を掲げるほうが得策だし、IMFについてはどうせ動けないドルを拠出したほうが国策にかなう。

 ただ、このカネなのだが、おそらく実質はパキスタンかな。

 「強いドル」を掲げる米国に対し、サルコジ仏大統領は、ユーロを念頭に、「ドルは唯一の基軸通貨ではない」と牽制(けんせい)する。

 麻生首相は、「ドル基軸体制の維持に努力すべきだ」とする姿勢を示している。

 ドルの信認が揺らいで、急落すれば、世界経済や金融市場の波乱はさらに拡大しよう。少なくとも当面は、ドル基軸体制を支える必要があるだろう。

 ここなんだが今回の金融危機でドル安が日本から話題になったが、ドル対ユーロで実質ユーロがこけたに近い。ああ、ドルだなとむしろ思った。

朝日社説 太陽光発電―「得だ」感を出せないか : asahi.com(朝日新聞社):社説

 この話は複数のケースでケーススタディをしたほうがいいと思う。不可能ではないのだが、ディテールにいろいろ問題がありそうだ。簡単にいえば、ある種の利権を植え付けないかぎり地域的には成功しないだろう。

朝日社説 高齢者の犯罪―孤立させない手助けを : asahi.com(朝日新聞社):社説

 地域社会でもできることはある。

 民生委員だけでなく、住民もお年寄りが孤立しないよう目配りする。生活に困っていないか声をかけ、生活保護など福祉への橋渡しをする。NPOの力を借りる手もある。

 その現場を取材してごらん、もの凄いことがわかるから。いや、ここは端的に言っておこう。その地域社会でこうした対応をしている主体がまさに70歳近い高齢者なのだ。そしてそこが刃こぼれのような悲劇を産んでいる。もちろん、理想的なケースもある。だからそこでまた美しい物語を作られても困るのだが、全体で見れば悲惨だ。善意の人々をすり潰していくような悪魔のようなしかけにすらなっている。

 晩秋。昨晩は寝付かれず。坐禅瞑想ともにダメ。静かな音楽を聴いているうちに眠くなった。夢は覚えていない。

 いろいろ物思いをしているのがいけないのだろうと思ったが、心が思うことは思うことなのでそれを追っていく。50歳になってみじめな自分というものがあり、そしてこれはあと生きていてもただその減衰でしかないのだろう。あと10歳、20歳若かったらなと夢想した。もちろん、その反面の心で、もうあの時代は十分というのはある。そして、今の自分のありかたは十分神の恵みではないかとも思う。ただ、もし気力があれば何をするだろう。何を学ぶだろう。それは少し思った。やはり答えは出なかった。今でも無力だが20歳のころの無力の自分を思った。未来があった。今のその未来に到達した。

2008-11-15

NHK 菅野美穂 インドヨガ 聖地への旅、見たよ

 ⇒NHKアーカイブス 保存番組検索: プレミアム10 菅野美穂 インド・ヨガ 聖地への旅

 途中たるくて飛ばしたところもあったが。

 ぐぐったら。

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菅野美穂 インドヨガ◇インドヨガ 聖地への旅◇美しくなる16のポーズ: 菅野美穂: Amazon.co.jp: DVD

 そういう企画でしたか。

 途中やっているヨガはきれいにできていた。一年であれだけというのは、素質もあるのだろうなと思った。

 番組はなんか最初から偉いグルに会って感激みたいな設定になっていたのでしょう。まあ、そんな感じかな。

 私もヨガはよくやっていたので、いろいろ思うことはあったけど、なかば関心を失った。

NHKスペシャル 病の起源 第3集 腰痛、見たよ

 録画リストにあったので見た。

 ⇒NHKスペシャル|病の起源 第3集 腰痛 〜それは二足歩行の宿命か?〜

 二足歩行が腰痛の宿命?とかサブタイトルにあったので、くだらねかなと思ったら存外に面白かった。

 アフリカの狩猟採集の部族の男たちに実質腰痛がないというのも、ほぉと思ったし、腰痛が農耕文明から始まるというのもそうかなと思った。

 で、ほぉと思ったのは、腰痛の原因の85%はわからない、素直に放送していた。そう。

 そして心因性ストレスに焦点を当てていた。

 特に面白かったのは、脳波の状態で、物理的な損傷がない痛みが視床下部を経由していないことだった。前頭葉だけで痛みが作成できるようだ。

最近、その現代の腰痛を引き起こす意外な原因が明らかになってきた。痛みは腰ではなく脳の中で作られていた。大きな原因はストレスと考えられている。ストレスは、どのようなメカニズムで人間の弱点の腰を襲うのか、時代を映す鏡のような病、腰痛の正体に迫る。

 ストレスを与えた場合に、背筋に不要な緊張がかかるという実験も面白かった。このあたりはフェルデンクライスは知っていただろうなと思った。

 これについては触れていなかった。

 これ⇒極東ブログ: [書評]サーノ博士のヒーリング・バックペイン(ジョン・サーノ)

 サーノ仮説は案外検証できるのかもしれない。

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サーノ博士のヒーリング・バックペイン―腰痛・肩こりの原因と治療: ジョン・E. サーノ, John E. Sarno, 浅田 仁子, 長谷川 淳史: Amazon.co.jp

シンクロニシティについてちょこっと

 このところシンクロニシティについて考えることがあり、なんとなくメモ。

 ウィキペディアはれいによって疑似科学撲滅運動の対象のようになっているが、歯切れが悪いというか、この問題の難所がよく理解されていない。それ以前にパウリがよく考察されていないふうもあるが。

 ⇒シンクロニシティ - Wikipedia

 この問題は、れいのブラックスワンにも関連するが。

 確率的に有り得ないような事象が発生することで、コンテクストが変わってしまうということがある。

 そうとらえたとき、問題は、またしても「確率」にある。

 科学は、確率が出てきたとき、いつも奇妙な陰影を持つ。

 「明日雨が降る確率は60%」という命題がどんな意味が持つか、たぶん、哲学的には分かっていない。

 日常的にはわかっている。過去の事例を考えてみると、この状況では、そうなる確率が60%「だった」ということ。つまり、これは過去への観察だ。

 ところが先の命題は未来に投げられている。

 このあたりはそれほどアポリアでもなく、ようするに、科学とは「再現可能」でなくてはならないし、いわゆる反証可能性というのは、反論しうる、ではなく、論理の是非を実験によって付けることが可能であるということだ。当然、時間の再現性が含まれており、つまり、それは、レーベンズヴェルトの時間ではない。

 この確率の奇妙な振る舞いは、おそらく量子力学の不可解さと同じで、経路積分の似たようなものだ。

 そして、それは、実験系では、正しい。だから正しいとなるのだが、ここで一個の量子についてはなにも言及できない。

 トンデモ科学を言うようだけど、我々の人生というのは、実は、私という一個の人生という観察者を持っていて、実は、なんにも未来がわからない。人はすべて死ぬ、ソクラテスは人である、ソクラテスは死ぬ、はただの冗談でしかない。時間は含まれていないし、そもそも人が定義で可能であったのは、ソクラテス的インスタンスの経路積分のようなものだからだ。

 話を戻して。

 シンクロニシティとは、ようするにそれが意味というかコンテクストに浮上するから意味をもつわけで、おそらく事象の多様性には、観察者なくしてはなんの意味もない。おそらく、仏教で言う無というのはあるいは雑駁に空というものは、そういうことなのだろうと思う。つまり、べたな存在論ではなく、一種の名辞論なのだろう。人が存在するのは、人が意味了解可能だからということであり、その了解における意識そのものが名辞の行為と同一であるということだろう。たぶん、道元はそう見ている。

 ブラックスワンのような問題は、だから、コンテクストが予定されているような意味了解可能な地点で発生することがあり、それは、結局は確率事象ではあるのだろう。

 ここでやっかいなのは、すべての知覚は現在であり、認識は過去という物語と現在の知覚によることだ。こういうといいかもしれない。ブラックスワンがやってくることはない。確率的にほぼゼロだ。すべてのブラックスワンは過去の物語だ。そして過去が物語れること自体、確率を無視しているというふう文脈を再構成するしかない。つまり、それなくして我々はありえないという現在の存在がそれに依拠している限り、確率は存在しない。

 そんなアホな、というところだが、生の時間はそうした構造を持つし、そもそも過去によって確率を排除したような意味論から成立してしまう。

 その意味で。

 シンクロニシティとは、既知なる未来へというか、文脈の変更への意志なのだろう。

 というか、およそ意志とはそういうものでしかないのかもしれない。

 ややオカルトがかるが、世界の意味を変えたとき、シンクロニシティが発生する(了解する)。

 実際の実経験において、やっかいなのは、しかし、グレースワンとでもいうべきものか。

 卑近な例で。ある失恋があるとする。

 その恋なくしては生きることもできなかったのに失恋してしまった。という意識体はそれを意味化せざるをえない。「私」は失恋を包括して存在するし、そこで微妙な肯定がなされる。

 そして、たぶん、こうした包括は、言い訳というよりも、そのように私がなお未来に生きるという意志の意味を表現しているのだろう。

 やや飛躍するが、過去から意味を汲み取ることができたとき、世界が変わり、シンクロニシティが現れ、気が付くとブラックスワンがすべてを焼き滅ぼしているのだろう。

 ここまでいうとさすがにオカルトだが、ごく単純に、過去を反省すれば新しい明日がやってくるというふうに言ってもいいかもしれない。

 たぶん、問題は、シンクロニシティの了解にある。

 それを、シンクロニシティとして了解することに抵抗する今の自分という意識が、この世界そのものだからだろう。

 おそらく、その抵抗を打ち破るのは、意識の外部なのだろう。だから、まさに、シンクロニシティは、ええええっと我々を驚愕させるか、嘘でしょ、考えすぎでしょ、私、気が狂っているでしょ、というふうに到来するものだろう。

 まあ、ここで、意識の外部を無意識とすれば、またもユング=パウリはよく考察されていなということになるのか。

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - シンクロニシティについてちょこっと - finalventの日記

2008年11月15日 pbh シンクロニシティは「凄い偶然」以上のものではない。人が「偶然」と思うのは偶々連続して|同時に|起きた事柄に勝手に「意味を見出す」からに過ぎない。トートロジー

 そういう話題じゃないんですよ。たとえば、pbhさんが受胎するには精子でみるなら何億分の一くらいかな。で、pbhさんがこの世に存在してなんか言語も操っているかのような存在になったかのような状態は一つの精子からすると「凄い偶然」なんだけど、じゃあ、そうして現在存在しているpbhさんはその偶然の上になりたっているわけなのに、そこでpbhさんが「「意味を見出す」からに過ぎない」と言いえるのは、その偶然を必然のように内包した前提条件があるよね、ということ。そしてそこは、どうにもトートロジーになりにくいってことなんだよ。通じないかな。通じなさそうだね。ほんとに乙、って感じかな。

2008年11月15日 ublftbo 疑似科学, 科学 疑似科学撲滅の運動をしている人がいるのか……それは恐ろしいなあ。

 これは揶揄のつもりなんじゃないかな(あるいは洒落がわからんか)。

2008年11月16日 takanorikido アルファブロガーがあからさまなトンデモにはまって恥かく事例が異常に集中してます! 確かにシンクロニシティです!(笑) …ほんまこの癖さえなければfinalventはわりと理想の知識人なのだが、ないものねだりかな。

 たぶん、「シンクロニシティ」とか言ったとたんにトンデモ認定というくらいのご意見かな。もちろん、私も科学をきちんと語る文脈ではそれを言うなというコードを知っているから言わないよ。そして言わないことで理想的な知識人であるのは、社会からそういう知識人を求められたときだけだよ。まあ、決めつけないでパウリでも読んでご覧なさいなとも思うけど、ダメなんだろうな。ちょっと揶揄に聞こえるかもしれないけど、この手の表層的にトンデモ認定する人たちはえてして、トンデモ耐久力が弱くて、ころっとトンデモに回心しちゃうことがある。シンクロニシティがtakanorikidoさんをおそってころっと回心するというか、そういうことがないといいと思うのだけど。まあ、人生奇っ怪なことが起きるもんだよ。それに向かって、理性を保つっていうことがどういうことかと私は思うのだけどね。まあ、ご自由に。

2008年11月16日 j-kondo 科学, 疑似科学, 心理  どれだけ統計的に意味がない、科学ではない、論理的でないと説明されても、いっこうに「血液型と性格の"科学"」が廃れないようなものでしょうか。→『シンクロニシティとして意味了解されててしまう人間の心性』

 これをいうとまたトンデモ・オカルト認定になりそうなのだけど、こうした心性のありかたにはそれなりのメタ意味があるのではないか。というか、この問題、エントリ中では失恋を例としたけど、現実的には恋愛に関係する。私たちの恋愛はたぶんにシンクロニシティ「的」。もちろん、そういう言葉を使わなくてもいいのだけど、ご縁とか出会いとか運命とか。いずれにせよ、そうした偶発的な、そしてそこで新しく意味が開示されるような外部の力との遭遇がある。あるいは、現実にはそんな恋愛がなくても、恋愛というものはそういうふうに描かれ、私たちの生に独自の意味を与えるというメタ的なものをもっている。この問題は、シンクロニシティですかぁ、はぁ、オカルトですか、とんでもですか、アルファブロガー気違いほいほいと、そう簡単な問題ではないような。

 

追記

 なんか誤解されているなぁ、まあ、しかたないけど、どこでこうもべたな誤解がなされるのかと思ったけど、あれ、もしかして、私がシンクロニシティが実体的に客観的にあるとでも思ってこれを書いていると思っているのでしょうかね?

 そんなことは全然ないんですよ。

 シンクロニシティがあると言っているのではなく、シンクロニシティとして意味了解されててしまう人間の心性っていうものはなんだろうということと、そして、その意味了解をもとに個人が意味的な活動をしてしまうというのは、もうどうしようもないんじゃないか、というあたりの、一種の現象学的な明証性であって、客観的なということではないんですけどね。

 

追記

 参考

 ⇒ほいじゃ再録 知の構築とその呪縛 - finalventの日記

 ⇒極東ブログ: [書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)

 ⇒極東ブログ: [書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク) その2

 ⇒なんというか - finalventの日記

 ⇒http://d.hatena.ne.jp/dlit/20080130/1201670752#c1201909033

ああ、それは素直に受け取っておくよ

 ⇒404 Blog Not Found:病は自から

 ごちゃごちゃいっても、弾さんが10人いたら日本は変わる。

 西原理恵子が5人いたら日本に革命が起きるように。

NHKドラマ6 七瀬ふたたび

 ⇒次回予告・各回のあらすじ | NHKドラマ8 七瀬ふたたび

 まあ、安定的な調子。脚本が緻密にうまく伏線を継いでいる。十回ものできちんと終わりが想定されている作品は安心して見られる。

今日の一冊 「地図のない道」須賀敦子

 福岡伸一さんの私の1冊「地図のない道」須賀敦子 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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地図のない道 (新潮文庫): 須賀 敦子: Amazon.co.jp

 たぶん、須賀敦子と福岡伸一を出すための企画だったのではないか。

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生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891): 福岡 伸一

 この本はざっと読んだが、トンデモ本?とも思った。そういえば、「もう牛を食べても安心か (文春新書): 福岡 伸一: Amazon.co.jp: 本」もそう思った。ただ、これこれだからトンデモですなというにはめんどくさいなとも思った。「生物と無生物」の帯の推薦者が面白いので画像を大きめにしておこう。最初からそういう趣向だったのかな。

 こういうとまたぞろ悪口みたいだが、須賀敦子も福岡伸一も編集者好みの著述家だ。ついでにいうと、模擬先生も内樹先生もそうだ。こちらはなにより他作で安定して捌けるのがうれしい。

 福岡伸一については以前の爆笑問題の対談のほうが面白かった。なんだかんだ言ってもまだこの人の思いはうまく引き出されていない感じがした。今回の番組でも、福岡が須賀に心惹かれるのは信仰の部分だ。そこがたぶん制作者にはそれほどよく見えていない。見えていたらこうベタな語りにはしない。

 編集者というのは、言うまでもなく、一流の読者でもあるが、それがビジネスである部分、汚れたり偏執的になったりする。本が好きなら編集者にはならないことだと気が付くとき、その業からはもう出ることはできない。いや大衆文学の場合はそうでもないか。業というなら、安原顯がうかぶ。

 余談の連想だが、このところフーコー吉本隆明の対談を見直そうという動きがあるが、あの企画をもってきたのは安原だったか、通訳は蓮実重彦だったと思う。オリジナルは残っていないらしい。あの対談は、端的に評価するなら、吉本はただのローカルなおバカな思索者でしたということだろう。そのことは蓮實には実感されたし、それはそもそもフーコーになんにも通じていないことで確信されただろう。浅田はこの件への言及はないが、端からくだらないなと思っていたに違いない。問題は、おそらく蓮実の心情だろう。それなりに二者の意味がわかっていた。そして通訳としては上質だったと言ってもいいはずだ(ただ、そこにある種の決定的な問題がひそんでいるとは思うが)。蓮実は吉本の悪口をそれなりの気品で書いたことがある。そして彼のエピゴーネンがそれをまねたとき、実は蓮実は内心怒っていたというかバカだなと思った。吉本さんの言うことはめちゃくちゃだけど、君たちよりぜんぜん面白いんだと。別か所で、吉本さんは怖いとも言った、天皇に怖いところがあるように。もちろん、その怖さの意識も通じないだろう。

 吉本は蓮実を世界的に見れば二流の学者だね、お前さんはというふうに軽く見る。蓮実はそれを実質受けて、その分野ではトップの5に入るのだと言ってのけたが、吉本なら、はは、学生さんならそれを真に受けるでしょうなと笑っただろう。この機微は、蓮実はたぶんそれに怒ることなく、その意味を知っていることだ。蓮実の怖さはアカデミズムの限界を知っていることだ。

 話が全然それた。

 須賀敦子には関心がわかない。今回朗読を聞いてもそう思った。嫌いなタイプの作家ではないし、読みやすそうなので、読むかもしれない。

今日の大手紙社説

 カルテル問題などが話題でもあるが、他も含めて説くに新味のある話題はなかった。つまり、今日も特になしの日ということか。

 産経で教科書の話題があるにはあったしそしてどうでもいい話題だ。それに限らないが、内容が想定できるオピニオンみたいなものはざっと読んでいるだけで自己催眠的なものを感じてくる。本当はそうじゃないよというのを言えば、とんでもない目にあいそうな空気がかくして醸し出されていくのかも。

読売社説 ネット選挙 解禁へ公選法改正を急げ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

オバマ氏が当選した米大統領選に見られたように、ネットの活用は、若者の政治参加や投票率向上につながる可能性もある。

 隣国の前大統領もお忘れなくかな。

朝日社説 対がん50年―患者に寄り添う時代に : asahi.com(朝日新聞社):社説

 朝日新聞社は協会設立を後押しし、支援してきた。設立時の本紙社説でも、がん征圧への協力を呼びかけた。そのなかに「ガンは極めて難治」という言葉がある。いま、がんは治せる病気になった。

 なかなかコメントしづらいね。

朝日社説 税の無駄遣い―強い検査院をつくりたい : asahi.com(朝日新聞社):社説

 検査院は、犯罪を見つけたら検察庁に通告する義務を負っている。だが通告した例はほとんどない。端緒をつかんだら、すみやかに通告する。それが不正の抑止にもつながるだろう。

 それがシステムだったからね。

 検査院の強化は無駄遣いを減らすための一つの手段にすぎない。事業や計画が本当に必要か否かを判断するのは国会や政党の仕事だ。それを通じて「無駄ゼロ」に近づけることなしに、納税者は増税を受け入れまい。

 国の問題と地方の問題は分けたほうがよいとは思うが。

ログイン・曇り

 風邪気味というか疲れが出る。溜まったTVを見たり、瞑想をしたり。読書は既読書ばかり。夢は覚えていない。

2008-11-14

家電といえば

 私はビタントニオのワッフルメーカーというのを使っているのですけどね。これのインタフェースですごく感動したのでちょっと。

 スイッチがないんですよ。

 もしかしてどっかにあって私が見つけてないかもしれないけど。

 内部が熱くなりましたよランプはあるけど、制御はそれだけ。で、それだけで十分。何をどのくらい焼くかというのは、どのくらい焼けたかなと開けてみればいいのだから、そういう焼くという制御に機械が関わるんじゃないよというか。

 で、スイッチの話。

 私は家電品で、スイッチがないというのを初めて見ましたね。

 これってどうやってオンオフするのか?

 たぶん、コンセントをオンオフするのでしょう。

 英語でいうplugやunplugってやつ。

 それがべたにできている。

 で、考えたら、これってとても危険性が排除されている。

 プラグされているかだけ気を付ければいい。

 これってすごいんじゃないかと思いましたね。

 最近のはスイッチ付いているかも、知らない。

 アフィリっときますよ。鯛焼き金具があると鯛焼きもできるし。

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Vitantonio ワッフル&ホットサンドベーカー VSW-400: ホーム&キッチン

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Vitantonio ポワソンプレート(たい焼き) 2枚組 PPWS-1000-TP: ホーム&キッチン

ブログが続けられるというのは一種の病気だと思うよ

 増田文章が書けなくなりました

記事を書いていても楽しくない。

書いた記事を見ても面白くもなんとも無い。

ブログを書くことが苦痛になってしまったのだ。

 そういうのもあるかも。

 孤独ということかな、つまりは。

 ブログとかはけっこう党派性みたいなものが出てくるものだなと思うのは、書くほどに孤独になってくるから、なんとか同じネタで、そしてそれが正義ならなおよし的に、群れざるをえなくなるからだと思う。

 人が本当に書いたら、本当に孤独になるし、本当に孤独にさせられる。単純に考えても、個人と個人は思想において対立するものだもの。

 趣味とか正義とかそうした共同性において孤独から逃れようとしたらその時点で、ブログは地獄に堕ちていると思う。

 まあ、話がそれたな。

 こじつけでいうと、ブログは、テーマをもたないことだよ。

 自分であり続ける、病気の。

今日の大手紙社説

 海外臓器移植が話題。この問題はいくつかの正論のパターンがあるのだが新聞社説はそのどれも取れない。これが日本の言論空間というものだと思うし、私もこの手の問題には触れたくない。

日経春秋 春秋(11/14)

 謝らないといけないようなこと言った? そんな風情だったのに、2日後の昨日「深く反省します」に一転した。目前に広がる抗議に思わず後ずさりの格好。「関東の大地震は関西にはチャンス。チャンスを生かす準備を」は「取り消させていただく」という。

▼言葉尻をとらえるみたいで嫌だが、世の中には言っていいことと悪いことがある。

 それはそうだけど、失言に目を光らせてピックアップする昨今の風景も気持ち悪いと思う。ネットもそうなのだけど。

日経社説 国際的な独禁法運用は厳格かつ公平に

 国際カルテルの問題では、企業の法令順守が第一であることは言うまでもない。一方で独禁当局にも課題がある。世界的に見た公平性を確保するため、制度や運用ルールをなるべく標準化すべきではないか。

 例えば制度面で、EUは行政処分、米国刑事罰といった違いがある。不正行為を摘発する基準や、制裁金、罰金の程度も異なる。1件のカルテルで各当局がバラバラに処分や罰金などを決めると、企業の負担が過重になる恐れもある。自国や域内の産業保護のため、外国企業に厳罰を科しているのではないかとの疑念を生む可能性もあろう。

 競争政策の国際的な枠組みづくりは、世界貿易機関(WTO)の交渉テーマとして提案されたが、途上国の反対で頓挫した経緯がある。日米欧で情報交換などカルテル調査の協力は進んでいるが、独禁法の制度・運用の国際標準化も推進すべきだ。

 EUの鼻息も弱まるだろうから、どこかで妥当な模索は始まるかも。日本とかが主導すればよさそうにも思うけど。

毎日社説 社説:国の出先見直し 衣替えの統廃合ならごまかしだ - 毎日jp(毎日新聞)

 分権委は来月上旬、出先機関見直しに関する勧告をまとめる。解体に本気で取り組めば、中央官庁のみならず、族議員がつぶしにかかることは確実だ。

 現場では背に腹は代えられない。

 そのときに分権委が孤立無援では、立ち往生しかねない。この改革についても、首相は自らの指示に責任を持たねばならない

 それが可能ならね。

毎日社説 社説:迷走・麻生首相 解散から逃げたツケは重い - 毎日jp(毎日新聞)

 私は麻生さんを支持するものではないが、現下、この手の罵声があるなら、心情的にはがんばれと言いたい、というか、理性的に考えて解散はありえないだろ。

読売社説 前総統逮捕 台湾民主政治の大きな汚点 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 読売も取り上げた、と。以前からくすぶっていた問題で、たぶん台湾ならではの内情もあるのだろう。つまり、大陸側とか国民党側というほとではないだろう。日本ではあまり報道されていないが馬政権もそれほど支持されているわけでもない。生活者としての意識の台頭が大きくなっているからだ。ある意味でそうしたなかで国民的決断が強いられるときどうするかの問題だが、これ、台湾だけの問題ではないのだけどね。

読売社説 中国臓器仲介 移植できぬ国内状況も問題だ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 朝日より踏み込んだか。

 国会には、諸外国と同様に、本人の意思が分からない時は家族の承諾で移植を認める案など、複数の改正案が提出されている。ところが一向に審議されないのはどうしたことか。

 国内で脳死移植を制限しながら外国で臓器をもらう。いや、事実上買っている。この状況をいつまでも続けるわけにはいかない。

 その先は真っ暗なんですけどね。

朝日社説 カルテル横行―罰則強化の法改正を急げ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 このような行為を防止するには、企業に「カルテルは割に合わない犯罪」だと思わせるだけの、抑止力のある罰則が必要だ。その点、日本の罰則はまだ軽すぎるのではないか。

 日本もだいぶ変わったのだけどね、外圧で、なのか。

 今回のシャープを含んだカルテルはよくわからなかった。シャープの罰金が他に比べて少ないように思えたのでヘッドは日本ではないのか。まあ、なんとなくこの手の問題は首を突っ込むじゃねえよの空気が漂っているので避ける、と。

朝日社説 海外臓器移植―「仲介」の実態を明らかに : asahi.com(朝日新聞社):社説

 この話題は正論を書くとさすがに朝日もすごい礫がくるだろうからどこまで日和って書くものかと読む。

 日本では、脳死後の臓器提供が諸外国に比べてきわめて少ない。日本臓器移植ネットワークに登録して、提供者が現れるのを待っているうちに亡くなる人も多い。1997年に臓器移植法が成立したが、法の施行以来、脳死移植も80例足らずにとどまる。

 移植をしやすくするために条件を緩めるなどの改正案が国会に提出されているが、たなざらしのままだ。

 多くの人に納得ずくで移植医療を受け入れてもらうためにも、まず不透明な海外移植の実態解明が急がれる。

 まあ、そう逃げたか。

晴れ

 朝に一騒動。昨日の水泳の疲れかややだるい。

 未明に目覚めて寝付かれず、しずかな音楽などを聞いていて眠気が出たのでまた寝るかというところで、SFXかよの激悪夢。絶叫して目覚める。

2008-11-13

今日の一冊 「小僧の神様志賀直哉

 ⇒小山薫堂さんの私の1冊「小僧の神様」志賀直哉 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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小僧の神様―他十篇 (岩波文庫): 志賀 直哉: Amazon.co.jp

 小山薫堂についてはほとんど知らない。

 ⇒小山薫堂 - Wikipedia

大学3年の頃にラジオ番組『吉田照美のてるてるワイド』の企画で、吉田照美と共同でファッションブランド「バナナトリップ」を立ち上げ。原宿竹下通りに出店、店長となるが10ヶ月で閉店の憂き目に。約1年間吉田照美事務所に所属し、吉田照美のマネージャーも兼務。

 へぇ。

 志賀直哉といえば暗夜行路だが、読んでいない。読めば思うことはあるかと思うが。

 こんな項目が⇒志賀直哉旧居 (奈良市高畑) - Wikipedia

 ここは小林秀雄が逃げ込んだところだったはず。

 墓もまた志賀直哉らしい⇒志賀直哉

 で、と。

 志賀直哉をもってくるあたりはNHKのうまさがあるし、小僧の神様もそれはそれでよいのではないか。

 あれ、青空文庫に小僧の神様は収録されていないのか? 長生きしているからか。このあたりは、別途教育素材として収録してもよさそうなものだが。

 ところで、岩波文庫のそれに収録されているものでは、「正義派」がアイロニカルで面白い。これは私は昔教科書で読んだ。

 正義派を読んで、ぶコメとか眺めるとまた一興。

ちょっこっと些細なつっこみ

 ごく些細なつっこみ以上ではないよ。

 ⇒404 Blog Not Found:日本語は誰のものか?

中華人民共和国中華民国(台湾のことね。念のため補足)がなくなっても、華僑たちが中国語を語り継ぐだろう。ディアスポラしたユダヤ人たちは、ヘブライ語を復活させてしまった。

 「中国語」というのは「普通語」のことかな。なわけねーですね。

 最近は上海語を保存しようとする動きもある。

 「ヘブライ語を復活」は、1、復活なのか再創造なのか擬制人工言語なのか、2,「ディアスポラしたユダヤ人」なのか。ま、ね。

非国民と言われるのを承知で言うと、私にとってより大事な日本は、「国」ではなく「語」の方なのだ。

 「非国民」というより、人をどう見るかという位相の問題かな。国がなくなれば国籍がなくなる。その悲劇は、つらいよ。

二つ。「訳さざる文」というのは、確かに存在するのだということ。

 聖書がぜんぶそれで書いてあるかもしれないと、私はある時気が付いた。でも、クルアーンのように朗詠すればよいものでもないしなあ。

私の言う「文学」は、むしろ英語のliteratureに近いという言い方もできるかも知れない。

 このliteratureの語感は難しいね。humanityもだけど。

にも関わらず、コンピューター言語は一つになるどころか、いくつも生み出されて、今後もさらに生み出されるだろう。なぜか。それが「コンピューターが実行すべき命令」ではなく、「人間が読むべきもの」となった途端、「文学的」になってしまうからだ。

 

これを最初に「発見」、厳密には「言語化」したのは、Larry Wallだと思われる。

 ここが微妙に微妙なところ。チョムスキーとかがいうUGは意味論を含まないというか、論理的なexpressionとは区別される云々。というのはさておき、Larry Wallがね。

 Larry Wallは言語学を学んだ。このあたり、4年くらい前に弾さんとレス交換みたいのをしたことがあるように思うけど、弾さんは知っていると思うけど、Larry Wallは、 Kenneth Lee Pikeのお弟子スジになる。Tagmemicsなんですよ。そのあたりの背景を知らないと、弾さんがここで何を言おうとしているかは掴みづらいのでは。というのと、Pikeがどのような位置づけにあったかについてはたぶん弾さんは知らないと思うので、このあたりはお馴染みの弾言になっている。

 パイクの考えは⇒「文化の文法―40の行動原理: ケネス・リー パイク, Kenneth Lee Pike, 片田 房: Amazon.co.jp: 本」

 そしてPerlはある意味ではそういうものだった。過去形でそう思うけど。

エスペラント語で考えている人は、いるのだろうか。もしそうでないとしたら、エスペラントは生まれてすらいないことになる。エスペラントは簡単だという。しかし、私は未だにエスペラント語で夢を見るという人にお目にかかったことがないのだ。

 エスペラントネイティブは存在するから、夢も見ると思うけど。

 そして、なぜエスペラントネイティブが存在するのかはもう忘れ去られていくけど。

日本語を日本国に閉じ込めておくのは、日本国民ならざる日本語人に対する不当な差別なのではないか。そして、日本語の可能性に対する不当な過小評価ではないのだろうか。

 というか、日本語がナショナルに機能するように、近代的に出来ていたわけで、先に書いた、漱石の人生の質感というのも、基本的に近代人たらんとさせる、フーコー的な権力かもしれない。まあ、このあたりはいわゆる近代批判というより、この近代言語が、学校とともに出現し、この学校が、皆兵化に繋がっていたことが大きな問題なんだけど。

 ただ、漱石自身は、最後は、良寛の書みたいなものに向かっていった。そのあたりに、日本語のなかで半世紀くらい生きた、至福というか倒錯というのはあるにはある。

どの程度問題になるかな

 ⇒BBC NEWS | Science & Environment | Action urged over nanomaterials

Urgent regulatory action is needed on nano-scale materials widely used in industry, the Royal Commission on Environmental Pollution has concluded.

 日本でも識者は懸念しているのだけど。

それはね

 ⇒もっちーは悪くないかもしれないけど大して良くもなかった

50歳近くのおっさんの煽り耐性の低さを露呈する事になっちゃったし。

 多分、煽り耐性についていえば、50歳以上のほうがないと思うよ。

もっちー1960年生まれって知って、ちょっとビックリした。発言がいろんな意味で、若すぎる。

 増田君が、50歳になったとき、思い出すとよいよ。

NHKスペシャル デジタルネイティブ、見たよ

 ⇒NHKスペシャル|デジタルネイティブ 〜次代を変える若者たち〜

 落語の三題話みたいなものでした。

 1 「13歳でインターネットを駆使して起業し全米中の注目を集める少年」印僑子どものようでした。

 2 はてな、特に、Jkondoさん。

 3 「ネット上に200カ国の若者が参加する”国際機関”を作り出した若者」ウガンダ青年のAIDS防止活動。

 しいていうと、あと大企業を辞めて、自分の好きなように働く青年像かな。

 で。

 それぞれには面白かったけど、デジタルネイティブで繋がる話ではなかった。

 あと、デジタルとかいうけど、この程度の技術はごく表層的なもの。

 はてなも、企業として注目されるのは、そのインフラ技術であって、実際にはこのサービスはけっこうどうでもいい代物、とまではいえないけど。

 デジタルネイティブで重要なことは、科学技術の根幹的な部分、というか、基礎教育的なものがオープン化されたことで、もし意欲があるなら、誰でもノーベル賞級の知識に到達することが可能になったということ。まあ、依然そうではないという部分が学会誌とかに存在するのだけど。

 で。

 この知識の到達するのは、英語ね。

 その学会誌は、英語ね。

 だから、英語なんだよというのが、おそらく梅田さんの言いたかったことだろうとは思いますよ、これまでの発言を流れを見ていると。

 なので、日本人も、英語を読めるようになってそのハイウエイに乗ろうよ、英語で表現できるようになって学会に出ようよと。

 ま、そういうことではないかな。

 ちょっと話がずれるけど。

 今の院生さんとか、学会誌読まされているのだろうか。率直にいうけど、日本語で読める学会誌って、日本史学とか日本語学とか、日本ナショナルなものばっかり。なので、日本語で限定すると自然に日本ナショナルなものになってしまうし、実際、日本の学会ってというか日本語でできる学会って、政治、だし。

今日の一冊 「生命を捉えなおす」清水博

 ⇒出井伸之さんの私の1冊「生命を捉えなおす」清水博 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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生命を捉えなおす―生きている状態とは何か (中公新書): 清水 博: Amazon.co.jp

 今回は自分にはぜんぜんだめ。私には清水博はオカルトとしか思えない。ただ、そういう自分が三木成夫ベルクソン、M・ポランニなどをフォローしているから同じ狢に見られるだろうとは思うので、そのあたりもがっくり。

 ただ、清水博については、これの亜流。

 ⇒国家有機体説 - Wikipedia

 ウィキペディアの解説が薄いけど。

社会契約説と逆の立場。

 私はがちがちの社会契約説だし。

 あと、NHKはさりげなくソニーメディア買収は失敗とナレーションを入れるのに、出井にはグローバリゼーションを語らせるというのは、実はアイロニーなのかと思った。

 経営者が、生命体とか言い出したらもう、バイナラの世界。

今日の大手紙社説

 給付金と大戸川ダムが話題。後者については仔細を知らないのでなんとも。前者については延々と議論をしてればいいんじゃないか、その内議論をする意味もなくなるドツボになるだろうし。

毎日社説 【主張】定額給付金 誰もが納得する配り方に - MSN産経ニュース

 政治というのは「誰もが納得する」ことではないよ。

 給付金は衆院選対策の色彩が濃かったが、早期解散を先送りした以上、少しでも景気対策に役立つ方法を考えたい。

 とにかく札を撒け。

読売社説 教科書発展学習 量より中身の工夫が肝心だ : 社説 - 毎日jp(毎日新聞)

 身近の中学生と話すと唖然とするほどものを知らない。まあ、しかしそれが時代というものか。

読売社説 定額給付金 迷走の末に地方丸投げとは : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 政府・与党はこの際、制度設計を、根本からやり直すべきだ。

 と議論をめちゃくちゃにするのが目的。

朝日社説 東京裁判60年―歴史から目をそらすまい : asahi.com(朝日新聞社):社説

 またこれかとスルーするつもりだったがざっと読むと。

 論点を整理しよう。東京裁判に問題があるのは事実である。戦争が行われた時点では存在しなかった「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で裁くことは、法律学でいう事後法にあたりおかしいという批判がある。日本の戦争犯罪は裁かれたが、米軍の原爆投下は審理されなかった。連合国側だけで判事団を構成した。被告の選び方も恣意(しい)的だった。

 朝日も少し視点が変わってきているのかな。

 こうした両面をそのまま受け入れる必要がある。欠陥に目を向けつつ、この裁判が果たした役割を積極的に生かすのが賢明な態度ではなかろうか。

 ここは微妙というか。たぶん、執筆子わかってないかもしれないけど、東京裁判と憲法というのはセットになっている。

 都合の良い歴史だけをつなげて愛国心をあおるのは、もう終わりにしたい。グローバル化は進み、狭い日本の仲間うちだけで身勝手な物語に酔いしれていられる世界では、もはやない。

 悪いのは全部外国だ。そう言いつのるだけでは、国際社会で尊敬される日本がどうして築けるだろうか。

 それはそれで矮小化。

朝日社説 定額給付金―ふらつく麻生政権の足元 : asahi.com(朝日新聞社):社説

 何のことはない。所得制限を設けるか、設けないか。強制的に制限するのか、自発的な受け取り辞退を求めるのか。制度の根幹にかかわるこうした点について、判断をそっくり各市町村に任せたのだ。

 何とも場当たり的で、無責任な政策というしかあるまい。

 見方によるだけの話。この話の要点はさっさとやれに尽きているのだから、小田原会議は分散すればいいだろうくらいのこと。

 この構想は、いよいよ支離滅裂なものになっている。発足間もない政権の統治能力そのものが問われる事態だ。

 マスコミも理解せず参戦しているし。

晴れ

 富士山がきれいに見えた。冬かと思う。

 昨晩は寝付かれず、坐禅。しばらくして眠気。そして寝る。夢は見たがもう忘れた。

2008-11-12

ある種の、たとえば恋愛関係の質みたいなものが

 日本語や、近代という背景に結びついているのかどうかは、わかりそうでわかりづらい問題で、いや、よくわからない。

 漱石のこころや明暗など、百年以上も経つのに、かなりの日本人の人生の経験の質に呼応してくる。

 たぶん、あの小説を、かなり上手に翻訳しても、欧米人には理解不能なのではないか。

 あるいは、現代日本の萌え文化みたいのを経由すると可能なのか。とか思うのは、めぞん一刻の情感とはが現代の欧米人でもわかる人にはわかるだろうし、あそこから漱石の情感に繋がるのはもう一歩のようにも思う。

 私は小林秀雄が好きでよく読んだが、彼は彼で女とか友情とか家とかいろいろ悪戦苦闘はしたが、漱石文学の質感とはうまくあっていないように思えた。小林という人は漱石がなぜこんな小説を書いたのかまるで理解できてなかったのではないか。

 それはそれとして。

 村上春樹やよしものばななの文学は、そのまま欧米にも通じている。よい翻訳者を得たというより、その心性がそのままグローバルななにかに通じているのだろう。もっとも、それはそうでありながら、アジアではまた別の通じ方があるだろうし、そのスペクトラムの端に、日本の、内向的な日本性とそのままのグローバル性があるだろう。

 最近ではあまり言われなくなったが、谷崎とか川端もグローバルに読まれていた。あの心性というのは意外に欧米的なものがある。

 三島はそのあたりのグローバルさみたいものをスキーマティックにかつ技巧的にエキゾチシズムを混ぜてプレゼンしましたみたいな文学を書いたが、谷崎や川端みたいな筋金入りではなかった。

 日本文学が、というような、主語、主題的な問い掛けには、どうも奇っ怪なものがある。

 それらは日本語なり、日本文化というものだけには還元しがたいというか、なによりそれを今なお成立させてしまう日本人の生活感覚の質感というものが、なにがどうなっているのかわかりづらい。

 ちょっと危うい言い方をすれば、日本人男女が、欧米とはまったく異なるセクシーさを持っているということだ。ある種の欧米人はそのセクシーさを発見するし、中国人もこっそりそうしている。欧米や中華圏とは異なる、奇妙なセクシーさという<存在>がなぜ存在するのか。

 危うい言い方だが、日本女性や日本男性は特殊なセクシーさを持っていて、それがその言語と文学に不思議な関係を持っている。もうちょっと言えば、日本人の意識や言語には人が人であることをどろどろと奪い去っていくようなエロス性を持っているのだろう、ちょうどこれのテーマの鏡像のように。

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白い人 黄色い人 (講談社文芸文庫): 遠藤 周作

まあ、なんというか

 ⇒404 Blog Not Found:言葉は何を乗せているのか

 弾さんらしいというべきか、まためちゃくちゃなことを書いているなぁとも思うが、批判ではないよ。まして、被害妄想にもほどがある、ほどでもないつもりなんだけど。

 ま、ちょっとだけ。

この「国」が「日本語」に対して来た非道は、本書にも詳しく書かれている。この国において、日本語を虐げて来たのは他ならぬ国家であり、その走狗たる役人であり、その役人たちに一目おかれていた文学者たちであった。彼らが日本語につけてきた傷は未だ痛々しく、いまこうして我々が使っている日本語に残っている。中途半端で意味不明な漢字簡素化に新仮名づかい....私が今使っている日本語も、「傷ついた日本語」である。なぜなら私は「傷つく前」の日本語を何とか読めても、書くほどの教養がないからだ。私の名前が「彈」ではなく「弾」なのも、実はその余波である。

 これはそうではないんですよ。

 で、コメント欄に。

「彈」も「弾」も、明治国家や文学者が登場する以前から共に使われてきました。そして両者は区別されず、字体としては同一です。

http://www.joao-roiz.jp/HNG/search/word=%25E5%25BC%25BE

 まあ、それもそうなんだけど。

 このあたりの機微と歴史の感覚は、もう滅んでしまった日本語の部分なんだろうと思う。

 まあ、このあたりにも書いてあるには書いてあるんだけど。

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漢字と日本人 (文春新書): 高島 俊男

 細かいこというといろいろ問題のある本なんだけど、まあ、高校生になったら読んでおくといいと思う。

 もひとつコメント欄に。

漱石も「こころ」や猫みたいなものを読んで評価しないで、

草枕とか行人とか読んでみたらいいと思いますよ。

 まあ、それもそうかなとは思うけど。

 もとの弾さんのエントリに戻って。

正直、彼女が愛してやまない漱石は、私は好んで読んだためしがない。同書を通じて「ああ、こういう読み方もあるのか」と感心はしたが、だからといって漱石を「読まなきゃ」という義務感は感じても「もっと読みたい」という欲求は全くおきなかった。鴎外に至っては、いくらいい文章を書いたところでその罪の大きさを拭えるものではないとすら感じている。

 これだが。

 別に読めとは思わないのですよ、私は。漱石や鴎外を読まないのは、無教養だなとも。その意味で、「義務感」なんかなくてもいい(ところで鴎外の罪って何? 女?)。

 で、と。

 漱石を読むというのは、漱石を読まないと整理されないような人生経験というものがあるわけなんですよ。で、そういう人生経験というか、人間が生きる理不尽さというものの経験の質感というか。まあ、「読まないと」というのもちょっと違って、そうした人生のもつ奇妙な味わいというか質感のなかで、ああ、漱石先生は面白い、というふうにその面白さが見えてくるものなんですよ。

 明暗の主人公の一人ともいえるお延という女性のもつ、ある圧倒的なリアリティというのは、青年期に女というものに、ある程度とことん付き合った男の心の経験の質のなかで産まれる。ああ、女とはこういう生き物で、こういうふうに考え、こんな行動をとるものなのかという、ある腹のくくり方みたいなもの、そしてそうした女というものの質感に、清子というもう一人の女への思い、幻想みたいなものがある。現代のはてな語でいえば、清子二次元、お延三次元だろうか、まあ、冗談はさておき、そうした女というものに付き合い、それでいてそうした男の生き様の屈曲した部分の質感のなかで、それがまったく物語的な主人公たりえないこと、つまり、由雄がしだいに、お延や清子によって、男というもののある、客体的な質感への変貌のようなものを遂げていく。

 そういう経験というか、まあ、そういう経験の質感みたいなものがなければ漱石なんて面白くもなんともないし、およそ知的とか教養とか、そういうものはどうでもいいことなんですよ。

 人生というのは生きてみるんだから味わい尽くせとも思わないが、味わうべき運命というものはあり、文学とはそのgood companyでもあるというか、物語と文学の微妙な違いのようなものがある。

 まあ、人によって、だから、どうでもいいことなんだけど。

 そして漱石が日本の文化の中に生きるというこは、日本語がということではなく、近代日本人の人生の経験の質感に依存しているのですよ。そしてその心映えのようなものがなくなれば、それはそれで漱石は消えていくし、それはそれでそういうもの。

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - まあ、なんというか - finalventの日記

2008年11月13日 ajtptwtptja 同じことは源氏物語の「をかし」「あはれ」でも言えるし、ライトノベルの「萌え」でもいえる感じでしょうか?

 そう。

2008年11月13日 mojaru 名文, 文学 【漱石が日本の文化の中に生きるというこは、日本語がということではなく、近代日本人の人生の経験の質感に依存】「私」の有りようが変化すれば読まれる文学もまた変わる、と。いや、文学はもっと時代的なものかな?

 そう。文学というのは基本的には時代的というか、ある時代が作り出す人間のタイプをえぐり出す。ただ、それが数百年と続くなら文明の問題かもしれない。皮肉な意味ではなく、弾さんとかは新しい日本人かも。

2008年11月13日 mmsuzuki 毎度毎度のエクスキュース「批判ではないよ」を言われた当人及び他の読者はどう思うのか気になる

 気にしないよ。批判ではないよと言っておくだけで避けられる誤読があればコストパフォーマンスがいいし。

2008年11月12日 toronei blog, hatena 絶対にこの書きだしとタイトルはワザとだ「ヤホーで調べまして」とか「なんでだろう」みたいなもんだ、凄い。

 それほど意図してない。

2008年11月12日 mahal blog 136件。→google:site:d.hatena.ne.jp "まあ、なんというか" finalvent

 将来google検索にさらに元エントリの一括削除機能があるとよいよね。

些細なこと

 「滅ぶ」と「亡ぶ」の違いだが、後者は、常用漢字の読みにはないみたいだ。ATOKは亡ぶ<<記:注意>>となる。

 亡ぶを、国家の関連なり、暗喩で使うときは、「亡国」が連想され、「国亡ぶ」となるのだろう。滅菌とはいうが、滅国とは聞いたことがないな。

 とま、入力するにもいちいちATOKが警告を出す。

 ちなみにATOKで連想させると、興亡、衰亡なんてものも出てくるか。

ラッシュアワーとかだとどうなんだろ

 ⇒The Associated Press: Music headphones can interfere with heart devices

NEW ORLEANS (AP) — Have a pacemaker or an implanted defibrillator? Don't keep your iPod earbuds in your shirt pocket or draped around your neck — even when they're disconnected. A study finds that some headphones can interfere with heart devices if held very close to them.

今日の一冊 「第七官界彷徨尾崎翠

 ⇒吉行和子さんの私の1冊「第七官界彷徨」尾崎翠 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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尾崎翠集成〈上〉 (ちくま文庫): 尾崎 翠, 中野 翠: Amazon.co.jp

 尾崎翠については名前しかしらない。大した作家でもあるまいが、あの時代を知るのに役立つ資料かくらいしか思い至らない。

 が、吉行和子の描き方は、ある意味、見事だった。あれはなんなのだろう、吉行和子なら当然出てくると予想された表層はすべて裏切られて、そしてそれでいてほぼ完全な含蓄を持っていた。

 ⇒尾崎翠 - Wikipedia

尾崎 翠(おさき みどり、1896年12月20日 - 1971年7月8日)は小説家。 作家活動は短かったが、今なお斬新さを失わぬ彼女の作品は、近年になり再評価が進んでいる。

 私が尾崎翠の名を知っているのは、今思うと彼女が比較的長命であったからかもしれない。74歳を長命というのは変だが、作品の連想からは早世がイメージされていた。

1927年ごろ、映画梗概『瑠璃玉の耳輪』を執筆、阪東妻三郎プロに採用されるも映画化は実現せず。林芙美子らと交流。

 ここに林芙美子が出てくる。彼女は日本近代文学史の巨星であって、ある意味でそれに比べれば、「福沢諭吉、二葉亭四迷夏目漱石森鴎外幸田露伴谷崎潤一郎」などは擬制にすぎない、まあそれも言い過ぎだが。

1931年、「文学党員」に『第七官界彷徨』の半分強が掲載され、板垣鷹穂に求められて「新興芸術研究」に全篇を掲載。短篇「歩行」も発表。

1932年、短篇「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」発表。心身ともに変調をきたし、故郷の神経科で療養。

1933年、『第七官界彷徨』刊。

1941年を最後に書いたものを発表しなくなる。

 そう見ると、第七官界彷徨の重要性がわかるといえばわかる。

 番組では44年に再評価されたと聞いたように思い、え?と思ったが、昭和44年だろう。

1969年花田清輝平野謙の推奨で「全集・現代文学の発見」6『黒いユーモア』に『第七官界彷徨』が収録される。

 ぶっちゃけていえば、花田清輝である。平野謙については微妙だ。

 花田清輝について私は選集を読んだことがある。いろいろ思う。吉本との論争の意味もわからないではない。最近の吉本は実は花田を意外と評価しているようなことも言っていた。

 花田は吉本の言うことは通じなかっただろう。私は渋澤龍彦の選集(2種ある)もほぼ全部読んだ。彼は花田に傾倒していた。花田に傾倒せざるをえない、戦後文学インテリの類型とういものがある。

 そしておそらく、尾崎翠はそう読まれるのだろう。

 吉行和子に戻る。

 ⇒吉行エイスケ - Wikipedia

吉行エイスケ(よしゆきエイスケ、本名:栄助、1906年5月10日 - 1940年7月8日)は、日本のダダイスト詩人、小説家。

1934年 文筆活動を辞め、株式を生業とする。

 第七官界彷徨が刊行された翌年である。

 ある意味で、和子は父をその時代のなかで語っていたともいえるのだが、その陰影の読み取りは難しい。公平にいえば、あまりその陰影は濃くはないだろうし、強調することで吉行の血統の持つ怖さみたいなものの目測をはずすだろう。

 

追記

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尾崎翠 (文春新書): 群 ようこ: Amazon.co.jp

今日の一冊 絵コンテ「となりのトトロ宮崎駿

 ⇒イッセー尾形さんの私の1冊スタジオジブリ絵コンテ「となりのトトロ」宮崎駿 | NHK 私の1冊 日本の100冊

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となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集〈3〉: 宮崎 駿

 ああ、トトロかというのと、NHKがどこまでイッセー尾形の深いところを抉るのか関心はあった。私の評価は、傑作だなというもの。うまく描いていた。トトロより、絵コンテに主題を持ち込みそしてそのなかでイッセー尾形のアーティスト的な側面をよく描いていた。まだこの先を見ていないが、今回は最上の出来の一つではないか。

 ⇒イッセー尾形 - Wikipedia

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太陽: アレクサンドル・ソクーロフ, イッセー尾形, ロバート・ドーソン, 桃井かおり, 佐野史郎, 田村泰二郎, ゲオルギイ・ピツケラウリ, ユーリ・アラボフ: Amazon.co.jp: DVD

 まだ見ていない。

 歴史作品としては駄作なのではないかと思うが、戦後の日本人が昭和天皇の役者たらんとしたことそれ自体に驚愕の思いがある。そして、その点において、イッセー尾形は明確な一つの仕事をしているだろう、言語的というより、視覚的に。もう少し言えば、おそらく昭和天皇のすごみは、イッセー尾形が描き出す人格模写のコアに忍び込むなにかなのだろう。

今日の大手紙社説

 特になし。私としては特になしというべきか。

日経春秋 春秋(11/12)

 きょうは「洋服の日」なのだそうだ。洋服という言葉それ自体の響きが古いが、明治5年のこの日に出た「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」の太政官布告にちなむ。古式ゆかしい裃(かみしも)や束帯が消え、洋式礼装に代わる。いわば服装革命の日だった。

 「洋服という言葉それ自体の響きが古い」のはそうかもしれない。

 ⇒イトーヨーカ堂 - Wikipedia

1920年大正9年)、現名誉会長・伊藤雅俊の母親・伊藤ゆきの弟にあたる吉川敏雄が、浅草に「羊華堂洋品店」を開業したのが始まり。

日経社説 田母神氏だけなのか心配だ

 昨年夏、守屋武昌防衛次官は小池百合子防衛相から退任を命じられ、首相官邸に駆け込んで抵抗した。田母神氏の行動は、それと重なる。いつからこんな危険な空気が防衛省には広がったのだろう。

 小池百合子防衛相を叩くあたりからかな。

日経社説 目に余るカルテル、鉄鋼業界は猛省を

 視点は正しいのが現実的にはというかグローバル経済下では難しい問題がある。

産経社説 【主張】田母神氏招致 本質的議論聞きたかった - MSN産経ニュース

 本件で本質的議論などない。形式をきちんと整えるだけのことだ。民主主義とは手順である。

毎日社説 社説:前空幕長招致 隊内幹部教育の実態究明を - 毎日jp(毎日新聞)

 今回の論文だけでなく、文章や発言で同様の歴史認識を繰り返していたのに、これを防衛相が把握していなかったのは論外である。

 やや過度な印象は受けるがこの視点は正しい。しかし、正確にいうならそれを知らしめることはジャーナリズムの仕事であって、国家を責めるより自らを恥じるべきだろうとは思う。

毎日社説 社説:定額給付金 支離滅裂な施策はやめよ - 毎日jp(毎日新聞)

 こうして小田原評定をすること自体に意義があるとしか思えない、壊滅的な。

読売社説 前空幕長招致 「言論の自由」をはき違えるな : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 自衛隊員に対する愛国心教育は必要としても、過去の歴史を一方的に美化することを通じて行うことではあるまい。

 それもまたどうでもよいことだ。

 今回の件で、いわゆる右派と左派が同じように、言論の自由への抑制を語る姿に私はぞっとするだけだ。

朝日社説 前空幕長―「言論の自由」のはき違え : asahi.com(朝日新聞社):社説

 間違っていると思うよ。でも、もういいやという感じがする。若い自衛隊員がブログも暢気に書けない時代がきても、それもまたかつてのように日本人の選択だろう。

 思想の自由とは、実際には、自分が受け入れがたい思想に対する許容性を示すものだ。もちろん、思想の対決というのはあってもいい。それこそが自由だからだ。

 今回の一連で、私はいろいろとばっちりを受けた。苦笑というよりやるせない思いがしたのは、私が右派でありそのような史観を本音で持っているからに違いないという思い込みによる罵声だった。予想はしていたし、そこで罵声を受けなければ、およそ自分が受け入れがたい思想に対する許容性たりえない。

 典型的なものは、では公務員がビラ配りしてもよいのかというものだった。まるで私がそれに反対しているかのような前提があった。私は公務員がビラ配りしようが政治活動しようがまったくかまわないと思っている。私の思想の一貫からすれば当然の帰結だが。なぜそんなこともわからないのかと言えば、なにか反例を挙げるのかもしれない。たとえば、実際にはそれを否定した判決を支持したではないか、とか、マンションのビラ配りに反対したではないか、と。前者については、私はただ一市民として司法判断を尊重するという以上はない。後者については、マンションのセキュリティを超えてまで配るのはいかがなものかというくらいだ。そのセキュリティのない公共住宅についてはわからないし、原則として公務員がビラを配ろうが自由だと思っている。だが、けして通じはしないし、率直にいって、そういう揶揄をして人をとにかく貶めると決めた者は何も聞きしないだろう。

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - 朝日社説 前空幕長―「言論の自由」のはき違え : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記

2008年11月12日 Desperado 懲戒でも分限でもなく防衛大臣による単なる任免権の発動なのに憲法論議になってることが理解できない。裁量の問題です。なぜそれがわからないのでしょう。

 ああ、私についていえば、それはわかってますよ、半分くらいというべきかな。

 この文脈ね。

 ⇒http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081102/1225582423#c1225625518

 ⇒due process (1) - おおやにき

 ただ、あと半分があって、「なぜそれがわからないのでしょう」の主語が多分に日本社会なのだということが、この問題の大枠だろうと見ているからです。そしてその大枠の位置で、憲法がどう機能するべきなのかと考えているからですよ。

 このあたりは自分なりに言い尽くしたので、理解されなければそれはそれで限界かなとは思っていますが。

2008年11月16日 Apeman 毎度おなじみほのめかしで被害者を装うメソッド

 Apemanさんにはekkenさんとは別の意味で通じるってことは全然ないんだろうな。「自分が受け入れがたい思想に対する許容性」とかおよそナンセンスに思っていらっしゃるのかも。

 ちなみにApemanさんご一同どうかしてるよ⇒2008-11-02 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ! コメント

 「こんな憲法をバカにするヤカラを、こともあろうに憲法持ち出して擁護するような論を展開してみせる」ことは正しいことだよ。憲法をバカにする人も憲法で守られる。

曇り

 等圧線が混んでいるので風もあるかと思うが外はもうすっかり冬のように静かだ。

 昨晩はしばし眠れずそのまま眠れないのかと思い坐禅をした。眠気はあった。体が冷えているのを知り、少しぬくめると寝た。眠るものだなと思った。夢は覚えていない。

2008-11-11

日本語の圧倒的一人勝ちで、英語圏には一流以上しか残らなくなるが、人々の生が輝ければそれでいい - 大間違い君劇場

f:id:finalvent:20081111180654j:image

 「このはしわたるべからず!」

未来を予測する為に、大事な4つの視点

  1. 究極の未来の方向性とは自分の死であることを確認する
  2. 未来について「長期的に見れば我々はみな死んでいる」のである
  3. 未来のトラブルは痴情部分で起こる。痴情部分が広がる事で、悲惨は広がる。それが男性生殖器の縮小の始まりとなる。
  4. 大きな変革が起こるまえには、工作員が活動する

 

inspired by 未来を予測する為に、大事な4つの視点 - モチベーションは楽しさ創造から

今日の1冊 「金閣寺三島由紀夫

 木村政雄さんの私の1冊「金閣寺」三島由紀夫 | NHK 私の1冊 日本の100冊

 木村政雄については名前くらいしかしらない。

 ⇒木村政雄 - Wikipedia

 今回は、ようするに、100冊のうち1冊は三島を出さなくてならないだろうということで、どう直球的にクセ弾を出すかという揚げ句の出来だったのでないだろうか。辛うじて合格ラインというか、三島の問題を際どく逃げたという印象だった。

 木村政雄が三島を読めているかについては言うに野暮に思えるし、実際語るところを聞けば、あの時代の、つまり団塊世代の述懐という以上はない。

 三島由紀夫については、私はまだ大きな課題を果たしていない部分があるが、ざっくりいうと、昭和という時代の特殊な心の傷ではあってもそれほどたいした文学者ではないなと思うようになった。こういうと、変な弾が飛んでくるかもしれないが、文章がうまくない。一種の美文というか、表面的にはきれいに書かれているし、教養、素養もあるのだが、実は文章というものが要求する肉体の感性がこの人はごっそり欠けている。そしてそのことを本人が知ってもいただろうし、そこから逃れることはできなかった。このあたりは岸田秀がうまく書いている。ただ、岸田の意見にまったく同意というほどでもない。

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続 ものぐさ精神分析 (中公文庫): 岸田 秀: Amazon.co.jp

 岸田も指摘しているが「潮騒」はとても笑えちゃう変な作品だ。

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潮騒 (新潮文庫): 三島 由紀夫: Amazon.co.jp

 この読者評は岸田的でもあるが。

血肉を備えていない人形劇, 2006/1/20

By k-0 (埼玉県) - レビューをすべて見る

この小説は「三島由紀夫」というブランドネームで不当に高い評価を受けすぎているのではないでしょうか。もしも見知らぬ新人がこんなものを書けば、誰だって馬鹿にするに決まっています。これは三島の小説の中では最も読みやすく、クセのない小説なのですが、見かけ上のわかりやすさとは裏腹に、実は彼の作品の中で最も読者を排除した作品なのではないかと思います。極端なまでに登場人物の内面描写を削り外面だけを描こうとする文体なので、登場人物の誰ひとりにも感情移入することが出来ません。登場人物は単に恋愛物語をなぞる操り人形に過ぎず、どんなに明るい太陽の下で物語が展開されても、ちっとも「血肉を備えた人間」が伝わってきません。外見が爽やかすぎるほど爽やかな小説なのですが、その分、ものすごく「うさんくさい小説」だと思います。これを書く前にギリシアを訪れた三島が、ギリシア的な明朗さを日本に移し替えて「神話的世界」を書こうとしたという「意図」だけはわかりますが、それにはもっと物語を膨らませる技巧が必要不可欠でしょう。「小説の技巧」には優れていた三島も、「物語の技巧」には必ずしも恵まれていなかったようです。

 加えて、潮騒と伊豆の踊子については、実際には映画という文脈のほうが大きい。これについては誰か論じているのではないか、斎藤美奈子あたりが悪態つきまくって楽に書けそうな話だが。

 三島の文章論というか小説論としては面白いには面白いが。

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文章読本 (中公文庫): 三島 由紀夫: Amazon.co.jp

 ただ、文章というのはそういうものでもないなというのと、川端のような筋金入りの魔人と三島のようなお病気秀才の差の痛みのようなものはある。こういうと悪口書いているようだが、私は自分がとことこん愚物だと自覚したのでよくわかる。

 金閣寺についても、実際には、潮騒のように、偽物でできている。NHKでは6年の取材とナレーションが入って、実際の事件と関連があるかのようだったが、事件との関係はほぼないと言ってもいいだろう。

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金閣寺 (新潮文庫): 三島 由紀夫

 とはいえ逆にこの読者評は誤解でもあるだろう。

最悪の作品, 2002/10/5

By セロリ (高知市) - レビューをすべて見る

 金閣寺の放火という実話を元に、三島由紀夫自身が取材を行って、発表された作品。

 問題は、この犯罪の動機の解明だが、劣等感、その他のもっともらしい動機の説明が行われているにもかかわらず、理屈で考えただけの目的と手段、という関係の説明の枠を出ることが出来ず、どうしても、迫真性に乏しく、読者の感性に訴えるものが弱い。そもそも、この種の犯罪に理解可能な動機が存在するのかどうかさえ、疑わしいのに、それを前提として、議論しているため、不可解な印象が残る。

 彼の作品群の中で、最悪の部類に入る作品であろう。

 では何の偽物だったかというと、これは三島本人がゲロっていた。小林秀雄である。実際に小林との対談でしれっと言っている。このあたりの三島の感覚は、今のはてな村バカ俊英と似たような若さがある。三島としては小林の美学に彼自身の、お変態な思い込みを込めて統合したのを、小林に認めてほしかったのではないか。

 小林秀雄という人は、さっくりそのあたりは作品のなかでは見抜いてもすらりと忘れて、三島がそう訴えるのを、ぽかんと聞いていたことだろう。たぶん、小林は三島のなかに女の匂いがないことをすっと感じたのではないか。

 金閣寺の、お変態な思い込みが、ある意味でもっとも美しく描かれているのは、妊婦を蹴りまくるあたりだ。あれはある意味では戦後の風景でもあったが、もう団塊世代以下では歴史感覚としては読めないだろう。文学的にいうなら、ド・サドの系列でもあり、ああ、そういえば裁判がという文脈もないわけでもない。

 金閣寺については、綿密ともいえる作品ノートが残されており、私が高校生だったか、新潮社のパンフレット冊子に連載されていたので読んだ。なるほどというかこの作品が設計に基づいて書かれていることがわかるし、これを付き合わせるといわゆる修論とか書きやすいのではないか、とも思ったが、おそらくこの作品それ自体にそれほどの意味はない。

今日の大手紙社説

 特になし。中台問題は日本は米国の動向に従属せざるをえないので微妙。

日経社説 中台接近が迫る日本の戦略

日系企業も緊密化していく中台を別々の市場ではなく、一体としてとらえて戦略を再構築しなければならない。日本政府は中国だけでなく、台湾との自由貿易協定(FTA)も想定して具体化を進めてほしい。

 そうじゃないとも言い難い。

毎日社説 社説:「介護の日」 お父さんたちも地域に出よう - 毎日jp(毎日新聞)

運転ができる人は高齢者の送迎、パソコンが上手な人は会計、園芸が趣味なら庭の手入れなど、やることはたくさんある。仕事をリタイアしたお父さんたちが自分たちが住む地域に積極的に出てNPO活動に参加すれば、介護の現場はきっと活性化するはずだ。「介護の日」に家族で話し合ってみてはどうだろう。

 この文脈では地域性と家族が曖昧に結合している。が、実際にはその相剋が問題になる。

 むしろ、高齢女性の「お一人様」の連帯がコミュニティを産むというほうが打開になるだろう。というのは、毎日新聞の言う意味での「家族」は理念的には終わっている。

読売社説 中台合意 実利的成果はあったのだが : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 この問題は微妙。重要なのは、台湾のなかに市民意識が根付いてきているということ。以前のような外省人本省人という対立だけではなく、この地域に置かれた市民意識がある。というあたりで、新しい愛国心が生まれつつあり、実はその意味では、つまり過去の意味での「統一」は終わっている。これは同時に、中国がより地域国家になっていくことだし、共産党が連邦的なものに公正をもって変質できるかにかかっている。

朝日社説 G20サミット―危機脱出にまず全力で : asahi.com(朝日新聞社):社説

 今回の危機の責任は米国にある。危機脱出にめどがつけば、米国の嫌う改革へも議論を進められる。

 というか「危機の原因」はかな。というのはこの問題は「責任」を問うのは改善に直接繋がらないから後でもいいし、そのことはG20にはあまり影響もしない。むしろ、WTOを推進したほうがよい。

朝日社説 定額給付金―もう断念して出直しを : asahi.com(朝日新聞社):社説

 「全所帯にあまねく」なのか、それとも「所得の低い所帯のために」なのかは制度の根幹の問題だ。そこが定まらないのでは、これが何のための政策なのかを疑わせる。

 首相の解散先送りで、事態は一変した。選挙前に花火のように有権者受けのする政策を打ち上げて、具体的なつじつまは選挙に勝ってから合わせる。そう踏んでいたのに、いきなり政策を具体化する必要に迫られたのだ。

 景気浮揚は重要だが、社会保障の立て直しや雇用対策、教育や子育て支援など、本当の安心につながる分野への税金投入を国民は求めているはずだ。

 というお話。

 でと。

 なんのため?

 ⇒極東ブログ: フィナンシャルタイムズ曰く、じたばたせずリフレしろ、日銀

 ⇒FT.com / Comment & analysis / Editorial comment - Japan needs more than gestures

the only way to shift the economy toward domestic consumption is to put money into the pockets of low and middle income earners whose wages have now been stagnant for almost two decades.

(国内消費に経済を転換させる唯一の方法は、20年ものあいだ賃金が低迷していた低所得者や中間層にカネをぶちこむことだ。)

 ほいでこのツッコミは急がないと効果がない。急ぎのための策がもたついている。「本当の安心」はその後のこと。

 で、首相の解散先送り云々は金融危機の問題が大きい。というか、この話に朝日はこだわりすぎ。もう忘れたら。

曇り

 寒い感じの日。木製の図書館とかでじっとうずくまっていたくなるような。

 夢は覚えていない。先日変えた寝具に馴染んできたか。

2008-11-10

今日の一冊 「情事」森瑤子

 ⇒残間里江子さんの私の1冊「情事」森瑤子 | NHK 私の1冊 日本の100冊

cover
情事 (集英社文庫 143-A): 森 瑶子

 これは読んでいない。たぶん、森瑤子の小説は今後も読まないと思う。今回もこの番組で「情事」の朗読の一部を聞いたが、気持ちわるくてたまらなかった。

 残間里江子については名前しかしらない。

 ⇒残間里江子 - Wikipedia

 番組ではバーみたいなところで、飲み物を置いて語っていた。まあ、ありがちな演出。残間の話もまた、私は、団塊世代の女性にありがちなつまらないお話でしかなかった。私は基本的に、団塊世代の感性は受け付けない。

 森瑤子の小説は読まないだろうと書いたが、彼女の書いたものを読まないというわけではない。

 ⇒森瑤子 - Wikipedia

 逆で、たぶん、私は彼女のエッセイのほとんどを読んでいる。そして多くのことを学んだ。そのあたりはうまく言葉になってこない。その最大の理由は彼女の理不尽な死にある。

 彼女の最高の作品は、「夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場」だと思う。絶版になっていてアマゾン古書にもない。

 ⇒極東ブログ: [書評]「快楽 ― 更年期からの性を生きる」(工藤美代子)

 本書のなかである意味で文学的な陰影を感じたのは著者工藤美代子と晩年の森瑶子の交流だった。森瑶子についてウィキペディアに解説があるかと思ったらない。もう忘れられた作家なのだろうか。没年を見ると九三年。もう少し調べると七月六日。五十二歳だった。デビューは三五歳の「情事」(参照)。すばる文学賞文壇デビューし、「誘惑」「傷」芥川賞候補となったが芥川賞は得ていない。

 私は森の小説のよい読者ではないがエッセイはよく読んだ。エッセイと言っていいのかわからないが、ユング派の精神分析を受けていく過程を描く「夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場」には衝撃すら覚えた。同書はアマゾンにはない。一度文庫化されているので古書店で見つからないものでもないだろう。ネットを見ると復刊リクエスト(参照)があるがその価値がある。同書の刊行は八三年なので森が四二歳のことであっただろう。更年期にはまだ早いが心の中の葛藤はある極限に達していた。

 工藤の「快楽」から森瑤子に話がそれたが、私の印象では、「快楽」に描かれている、ある種強迫的ともいえるような中年以降の女性の性行動には森が直面していたような精神的な問題が関係しているだろう。同書も子細に読むと工藤もそうした直感を得てはいるようだ。が、雑誌連載でもあり、また彼女の資質からしてもこれ以上掘り下げられるものでもないだろう。

 森は52歳で死んだ。私は来年彼女の歳になる。人生とはなんなのだろうと絶叫したい思いに駆られる。

 

「壁」は越えたり、壊したりするものではなく、座るもの

f:id:finalvent:20081110094559p:image

新聞休刊日

 お疲れ様。

曇り

 ちとダウン。

2008-11-09

Why isn't math enough?

 Cuz "ematics" may follow "math".

トラバの承認性

 ⇒もうトラックバックも承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。 - カナかな団首領の自転車置き場

 それはネタかもしれないけど。

 ちょっと最近のはてダの仕様をみたら、コメントとトラバの仕様が変わっていた。へぇ。

 で、はてダのほうはそうしてなかったのだけど、そうした。関係ないスパムや誹謗のスパムが多くなってきて、対応がちょっとめんどくさくなった。

 ネットは自分の責任で自由に発言できる場なのでそれを活かせばいいと思うし、対話が可能ならそうすればいいと思う。

 ただ、対話が不可能な人というのはいるなあというか、できるだけ対話して自分のコミュニケーションの力量を超えたなと思ったら、無理な関わりは避けたい。

キバ 39話、面白かった

 面白かった。

 ⇒テレビ朝日|仮面ライダーキバ

一方、深央(芳賀優里亜)は渡のもとへやってくると、太牙を倒してキングになって欲しいという。驚く渡は拒否するのだが…。

 古典的な展開ともいえるけど、まあ、漱石先生「こころ」の展開かと思ったらもちょっとえぐい方向へ。

 しかし、あれだな、この情感は、昭和の香りだな。

今日の大手紙社説

 特になし。あまりいうのもなんだが、いわゆる左翼の本体部分が不況に悲鳴を上げだして迷走を開始しそうな空気が朝日や毎日から感じられる。まあ、それこそ「邪推」の部類だしその自覚もあるので放言でいうのだが、こうした迷走よりそのヘッドクオーターが目下の経済に対する指針を失い、おためごかしの倫理性に逃げていく状況がかなりまずい。もともと政治というのは利害の調停であって、いかなる左翼政権でも同じことになる。であればそこ政策決定の実現性において小平的な実力者とその配下にコンピューターのようなインテリをもたなくてはならない(ところが左翼はマクロ経済のイロハもわかっていないっぽいし、欧州左翼インテリも実質こけてしまった)。意外と現下の中共ではそれが実施されているような怖さもあるが、日本ではそうした刷新ができてこなかった。長期衰退のなかで健全な論理的な派閥闘争ができなかったのだろう。おそらく醜悪な世論操作がなされても合目的な意味での目的意識はなく散発的に索漠とした風景になるくらいだろう。そうなるとわかれば、切隊さんがバランサーとしての民族主義政党みたいのが必要なのではないかと書かれていたが、おそらくこの表層の、中期的に見れば解体過程においてバランサーはあっても実質的な意味はない。問題は、日本人が、終戦のようにはっと目を覚ますタイミングまでの問題でまた終戦のようなドツボまで墜ちないといけないのか、勝海舟のように大局を見る人がいるかだ(彼のおかげで日本は植民地化を免れた)。そういえば吉田茂もその位置にあったか(彼のおかげで日本は分割されなかった)。今の日本ではどうだろうか。

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - 今日の大手紙社説 - finalventの日記

2008年11月09日 biaslook マスコミ, 政治, 経済  勝海舟と吉田茂がいなければ日本は植民地や分割されたのか?特定個人の力量ではなく、共同体の変化により、いつの間にか変化するのが日本の特性だと思う。団塊の世代の変な倫理観が日本を圧迫している。

 私は団塊世代ではないよ。

 ⇒極東ブログ: 人は年を取るにつれて幸せになるか

 ついでにいうと、団塊世代は概ね歴史を知らないし倫理観はべたに戦後民主主義的。

 「共同体の変化により、いつの間にか変化するのが日本の特性だと思う」は、小変化はね。勝海舟と吉田茂の評価はいろいろあるだろうと思う。biaslookさんがその評価をお持ちでコメントされているならよいのだけど。

 ついでに。

 「左翼の本体部分」については左翼がポイントじゃなくて本体のほう。簡単に言えば、集金システム。どの政治集団でもそこに本体的な機能がある。イデオロギーは現実の特定政治集団においては派生的というか補助的。

2008年11月10日 Louis マスコミ, 思想, 政治, 歴史 団塊世代でなくても団塊世代的な思考の人は普通にいるからなぁ

 私は団塊世代的な思考はしないよ。。

日経社説 危機対応へ目の色変えた欧州

 それがそうでもなくて独仏が反目していたりしてね。そしてロシアが香ばしく参戦というか、ああ現実。

日経社説 深刻な経済悪化が試すオバマ氏の力量

 単純な話FRBに即していえば政権とは独立しているので、オバマ政権になにができるのか。というか、バーナンキがいる以上理念的にはそれ以上の机上ソリューションはでないに近い。逆にそこを超えるカリスマ性が問われるというのだが、これは危険な賭にちかい。

 民主党は皆保険をやる気でいる。たぶんできないだろう。そこで大きな幻滅と反目が起こるというか、ヒラリーの呪いかな。オバマが出たらヒラリーの目はなくなったと言われてきたがそうでもないかもしれない。

 ろくな話ではないな。米人の熱狂など対岸のことかと思っていたが扶桑にも伝染しているようだし。

産経社説 【主張】冷凍細胞クローン 絶滅種の再生に夢与える - MSN産経ニュース

 暴言になってしまうのだろうか、絶滅した種はそれはそれで地球システムの結果なのではないか。もちろん、人間種を含めて。まあ、そう考えるとそら恐ろしいので、暴言というより放言か。問題はファンガイアとの共存だな(洒落が通じないかも)。

毎日社説 社説:自治体財政指標 血の通った運用も必要だ - 毎日jp(毎日新聞)

 前提はこれ。

 地方財政の悪化が深刻な中、新たな物差しをどう生かすか。07年度決算に基づく自治体財政の健全度を総務省が公表した。07年に制定された自治体財政健全化法が導入した新指標を適用した結果、3市村が財政破綻(はたん)状態で、40市町村がその手前の警告段階にあることがわかった。

 そして結語。

 多くの自治体で、病院経営が財政悪化を招いているのは事実だ。ただ、企業経営と異なり自治体の連結決算の目的は利潤追求でなく、財政健全度の計測だ。住民サービスを削ればいいというものではない。

 政府は08年度に限り自治体の病院事業の累積債務の一部を別口の借金に振り替え、連結赤字から除外する措置を認めた。地方医療の危機を考慮し、さらなる柔軟対応も検討すべきではないか。新指標は有意義だ。だが、しゃくし定規ではいけない。

 なんかおもしろいこと言っているね。そこまで風呂敷を広げるならそうだけど、この問題はもっと地べたに近いところで論じないと。

毎日社説 社説:トヨタショック 金融危機の直撃を受けた - 毎日jp(毎日新聞)

 トヨタに限らず、輸出産業は急激な円高も加わって経営環境が急速に悪化している。円安バブルとも呼ばれた状態が続いていたが、一気にはじけてしまった。

 金融危機という外的要因によるものとはいえ、円安バブルは、長期にわたる超低金利政策の結果で、このところの急激な円高は、そのツケという面も否定できない。行き過ぎには反動が生じるということを改めて指摘しておきたい。

 毎日新聞らしいね。

読売社説 検査院報告 問題指摘後も監視を続けよ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

相変わらず、税金の無駄遣いが続いている。

 実際にはここ掘れワンワンなのでその意味では出来レースな問題。というか、そういうcovertなルールでなかったのにいきなり紅旗を掲げてもな的問題。

 時論公論によい解説があったがまだネットに掲載されてないようだ。

朝日社説 出先機関改革―この一歩から壁を壊せ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 遅くそして歯切れの悪い社説。おそらく理念的には正しくても、この軋轢が実際の朝日のポジションと関係するからだろう。経営的に見るなら朝日はあまり関係ないとも言えるはずなので、この論調はいずれ変わるだろう。

 ただ、出先機関の改革は、そこで働く国家公務員地方公務員にしたり、税財源を移したりという大がかりな作業だ。分権社会の将来像をきちんと描いたうえで、息の長い取り組みが求められる。

朝日社説 自動車危機―21世紀型へ構造転換を : asahi.com(朝日新聞社):社説

 まず全力をあげるべきなのは、脱石油を徹底的に追求した環境対応車の開発だ。これにより先進国での新しい需要を獲得する。同時に、超コンパクトカーや超低価格車など新しいタイプの車を生み、新興国へも基盤を広げていくことが求められている。

 新興国市場を狙うしかないのはそうだが、「脱石油を徹底的に追求した環境対応車の開発」は正しい言い分だが実際的ではないだろう。環境対応車はまず先進国に向かうだろうから、当面新興国向けは燃費か石油燃料以外となる。エタノールを狙うしかないのだが、そこで食料問題がおきる。舵取りは簡単ではないし、新興国市場は事実上の帝国主義的な圧力をおこす。

 人口減少の時代に入り、日本の主要な製造業は海外需要を狙わざるを得ない。その課題は自動車と共通する。危機を大不況にしないためにも、それぞれに新しい道を切り開かなくては。

 きれい事でいうなら、その発想をやめるべき。自動車産業の構成を変え、新しい国内需要を目指すようにする。具体的にはむずかしいが。

曇り

 冬の日のようだ。昨晩はくったりと寝た。夢も見たようだがわすれた。

2008-11-08

七瀬ふたたび No.5

 承前⇒NHK 七瀬ふたたび 4回 - finalventの日記

 ⇒次回予告・各回のあらすじ | NHKドラマ8 七瀬ふたたび

 普通に面白いというか、SFの映像として面白いというか、きれいにできてんじゃないですか。みなさん演技もよいし。水野美紀がなんか微妙にエロいし。

 SF度が深まるほど、絵空事というかファンタジーになるわけだけど、ま、この手の超能力ものの定番として、心の力と孤独の比喩になる。このあたりは実人生でひりついた経験のある人にはたまらないものがある。

 そういえば明日はキバだな。先週やってなかった。こっちも、傷ひりひりものだな。全体としてそういう傾向なんだろうか、んなものを選んでみているのか、オレ、よくわからないが。

 話を七瀬にもどると後半に入ってうまく脚本のテンションが維持できるかだ。まあ、大丈夫そうだけど、二段階くらい大きなトリックを出さないと。

筑紫哲也さん死去

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):「多事争論」貫き、戦後日本の姿追う 筑紫哲也さん死去 - おくやみ

 ネット以外から昨日、筑紫哲也さん死去だよと聞かされ、ふーんと答えたら、問うた側が逆に意外そうだった。なので、言葉を足したのだが、「幸せな人生だったんじゃない、羨ましい」。たしかヘビースモーカーで徹マージャンな人ではなかったかな。それで古稀も迎えたのだから、天寿の部類でしょう。

筑紫さんは敗戦を10歳で迎えた。59年に朝日新聞社に入社。68年から2年、米軍統治下の沖縄を追い、沖縄は終生のテーマとなった。大田昌秀・元沖縄県知事(83)は「筑紫さんほど沖縄の現場を本土に発信してくれた記者は後にも先にもいない。弱い立場の者への温かいまなざしと正義感にあふれた人だった」。

 筑紫はよく沖縄のことを知っていたし(しかし意外と語っていなかった)、きちんとした人なので人脈もあった。ただ、イデオロギーを抜きに深く沖縄人と関わったかはいまひとつよくわからないとは、現地で思った。

 沖縄赴任時代にたしか現地で次女のゆうなさんをもうけた。「ゆうな」に彼の思いは込められている。

 ⇒「 ハッピーゴーラッキーニューヨーク―ペーパーイラスト&エッセー集: 筑紫 ゆうな: 本」

今日の大手紙社説

 特になし。

産経社説 【主張】高齢者の犯罪 社会全体で防止に努めよ - MSN産経ニュース

 高齢犯罪者に目立つのが窃盗で、その大半が万引である。とくに女性の万引の比率が高いという特徴が出ている。万引防止への対応が、高齢者犯罪を抑制する一つのカギを握っている。

 けっこう深刻なんだけどね。

読売社説 国の出先機関 廃止の「決意」だけでは困る : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 仮に地方整備局などを廃止し、複数の府省の出先機関に統廃合しても、肝心の事務や職員の地方移譲が進まなければ、単なる「看板の掛け替え」になってしまう。

 できるだけ多くの事務量を、それに見合う職員、財源とともに、地方に移譲することが、出先機関見直しの成否のカギとなる。

 現実問題としてはそうかなとは思う。

朝日社説 自衛隊―隊員教育の総点検を急げ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 話がごちゃごちゃ。意図的なのかもしれないけど。

 まず、自衛隊内で公的にあの歴史観が維持されていたら大問題。

 懸賞論文に応募の大半は許可されていたので、当局側が思想信条の自由の内と見なしていた。問題があるとすると当局側の判断。たぶん、これはそう間違いでもないのだろうけど、司法判断がでるとはっきりする。

 論文応募が明らかになった直後、辞職を求めた浜田防衛相に対し、田母神氏が拒否していたことも判明した。

 この問題も司法で争うとよいのだけど。

ログイン・雨

 ま、サバトになってない。

 ネットとは関係なく極度に疲労。いかんな。

 夢も覚えていない。

2008-11-07

ブログサバト

 まあいろいろ思うことはあるが、紅旗征戎吾が事に非ず的な感じ。世の中が発狂しているときは慎んでいるがよろしかろう。

 追記するかも。

 

追記

 ちょっと追記した。

 世の中、頭冷やせよ。

今日の大手紙社説

 守屋武昌・前防衛事務次官問題とオマケのように田母神氏問題。特にどって話はない。あとトヨタの減益。これもどういう話ではない。実際、途上国では自動車産業が興隆しつつあるなかトヨタがどのような企業であるが問われるべき。

日経春秋 春秋(11/7)

 ヒッピーという言葉は、今も生きているのだろうか。ずっと昔、既存の秩序や権威に抗(あらが)う若者を引き付けた米国発の風俗だ。長く伸ばした髪や髭(ひげ)。質素な衣服。自然回帰を唱え反戦を訴えた彼らだが、ドラッグ(薬物)とも縁があった。

 春秋子がその年代ような。

日経社説 首相の指示をてこに出先機関の廃止を

 日本の統治機構は国、都道府県、市町村の3層制といわれているが、実態は3.5層制だ。国と都道府県の間に「地方支分部局」と呼ばれる国の出先機関がある。

 行政機関に勤める約33万人の国家公務員のうち、21万人は出先機関の職員だ。地域と関係が深い八府省の15機関だけで予算額は12兆円に上る。

 まあ、そのあたりも整理しないと。

 実際のところ出向いている国家官吏も悲惨な人生送っているのだし。

毎日社説 社説:前空幕長問題 政府の責任を明らかにせよ - 毎日jp(毎日新聞)

 田母神氏は、幹部自衛官の教育機関である統合幕僚学校の学校長だったことがある。同氏はかねて戦争責任や安全保障に関する持論を表明していた。統幕学校で、政府見解、政府方針に反する「教育」が行われていなかっただろうか。この点も解明されなければならない。

 それがあったかどうかが問題。私的な領域での思想信条などどうでもよい。

 最大の問題は、ゆがんだ歴史認識を持ち、政府見解を否定する人物がなぜ、空自のトップに上り詰めることができたのか、ということである。田母神氏は空幕長就任後、空自の隊内誌に今回と同趣旨の文章を寄せていた。同氏を空自トップに据えた自公政権の責任は重大である。麻生首相の考えをぜひ聞きたい。

 「ゆがんだ歴史認識を持ち、政府見解を否定する人物」など言い出したら、レッドパージみたいなことになる。いかようにも難癖が付く。そして結局は歴史認識は欠落せよが帰結される。思想を持つな、と。もつならこの思想だけだと。どっかで見た光景だ。

 あと単純にわからないのだが、「同氏を空自トップに据えた自公政権の責任は重大」というが、そういう人事権になっているのか? 形式的にはそうとも言えるか。

 いずれにせよこの問題、最高裁まで争ってみてはどうか、司法の見解を聞いてみるとよいよ。

 経過の報道まあメモ - finalventの日記

朝日社説 防衛次官の罪―組織再生の道はなお遠し : asahi.com(朝日新聞社):社説

 トップの犯罪は、必然的に組織全体のモラルを低下させる。

 この事件の反省もあって防衛省は今年8月、規則順守を徹底させるための計画を作って実施したが、その後も不祥事は絶えない。9月には格闘訓練で海上自衛隊員が死亡し、10月には防衛医大教授が収賄容疑で逮捕された。

 政府見解を否定する論文で更迭された前航空幕僚長も、部外に意見発表する際の手続きを踏んでいなかった。自衛隊は他の組織以上に、規則や規律を守ることが重視されるべきところだ。綱紀の乱れはとどまるところを知らない。

 トップの乱れと「政府見解を否定する論文」とやらはまったく問題が別とは言わないが、落語三題噺のように混ぜて議論してもしかたがない。

 「政府見解を否定する論文」が税金で維持されているような部署から出るなら問題だが、この論文とやらはイカれた不動産屋のお遊びの追従で馬鹿はしょうがないなあぁという私的なセクターの問題にすぎない。

 「前航空幕僚長も、部外に意見発表する際の手続きを踏んでいなかった」については、その後の経緯を見ると、事実誤認ようでもある。あるいは彼一人の例外か。

 ⇒まあメモ - finalventの日記

 話戻して。

 文民統制の根幹は国会によるチェックであり、政治の役割が大きい。なのに当時の首相や閣僚、国会はそれを自覚せず、守屋次官の専横を許した。そればかりか、彼と有力政治家が緊密な関係を結び、互いに利用しあった面すらある。かかわった政治家は重い責任を再確認すべきだ。

 文民統制も議会も理解されていない。

 文民統制については⇒朝日社説 空幕長更迭―ぞっとする自衛官の暴走 : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記

 あと、議会が文民統制に強く関与するのは予算の承認。文民統制は基本的に行政府に所属。国会は立法府。

 三権分立とか、統帥権の独立とか、そして文民統制とか、朝日新聞はなーんもわかってないんじゃないか。これが戦後社会の帰結か。

朝日社説 オバマ時代―日本外交も刷新のときだ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 だが、その米国の次期大統領が一極支配型の外交からの脱却を語る。イラク戦争とテロとの戦い、押し寄せる経済の危機を思えば、そうせざるを得ない世界の現実があるということだ。

 日本政府にとっては、ハシゴをはずされた感があるに違いない。あれほど無理を重ねて自衛隊をイラクに派遣したのに、この戦争には反対だったと米国の指導者に言われてしまうのだ。

 放言書いておこう、馬鹿でなければ悪辣だな。

 ワシントンポスト⇒The War That Didn't Bark - washingtonpost.com

Mr. Obama's withdrawal proposal, which would have triggered a catastrophe in 2007 and still looked irresponsible a few months ago, now does not sound that different from what the Iraqi government and the Bush administration have lately been negotiating.

(オバマ氏の撤退提案は、2007年時点であれば悲劇的結末を引き起こしていただろうし、数ヵ月前を振り替えても無責任にしか思えないものだが、現時点では、イラク政府とブッシュ政権によるその後の交渉と変わり映えのないものになっている。)

 ワシントンポストの論調が正しければと留保するが、朝日の論調の通りであれば、イラクはまた悲劇的結末に陥っていただろうし、展望も開けなかった。そして朝日がバッシングするブッシュ政権のイラク政策とブッシシュ政策の現況とはそれほど大差はない。

 朝日新聞はこの戦争の大義を言うし、確かにそこに問題はある。しかし、大義があってもアフガンの結果を見るといい。

小雨

 ぼんやりとした疲労感。昨晩は坐禅をして眠気が出て眠る。

 夢は。郊外をトラクターをベースに軽量にした乗り物というのを開発して試運転する。残念ながらゴムの耐久力が弱く、南大沢の手間まできて故障した。昨日のNHKで秋吉久美子を見たせいかそれっぽい年増の女性が出てきた。私が「いつまでお若いですね」とおべんちゃらを言うが、実際この人いつまで若いんだろうと思っている。Webの作成手法の話もあった。タイトルは今、クライアントJavaScriptにH1から付けるか、タイトルからH1を作るのが主流ですよとかいう講師がいた。ああ、またアホがとか私は思っている。他、長い話だったようだが忘れた。

2008-11-06

Yes you can

 ⇒The Associated Press: President-elect Barack Obama's remarks in Chicago

OBAMA: When the bombs fell on our harbor and tyranny threatened the world, she was there to witness a generation rise to greatness and a democracy was saved. Yes we can.

 

AUDIENCE: Yes we can.

 ⇒「アメリカに変化がやってきた」 オバマ次期米大統領の勝利演説・全文翻訳 <特集・米大統領選>(gooニュース) - goo ニュース

この国の湾に爆弾が落下し、独裁が世界を支配しようとしたとき、時の国民が立ち上がり、偉業を達成し、そして民主主義を救うのをクーパーさんは見ていました。Yes we can。私たちにはできるのです。

 補足すると。

この国の真珠湾に爆弾が落下し、日本の独裁が世界を恐怖で支配しようとしたとき、時の国民が立ち上がり、偉業を達成し、そして民主主義を救うのをクーパーさんは見ていました。Yes we can。私たちにはできるのです。

 偉業に含まれるもの⇒Necessary Evil (aircraft) - Wikipedia, the free encyclopedia

 

 ついでに。

OBAMA: She was there for the buses in Montgomery, the hoses in Birmingham, a bridge in Selma, and a preacher from Atlanta who told a people that We Shall Overcome. Yes we can.

 

AUDIENCE: Yes we can.

YouTube - Joan Baez - We shall overcome

 

追記

 ⇒404 Blog Not Found:The enemy we share

確かに"the harbor"が真珠湾であることは間違いない。しかしtyrannyが指しているのは、「日本の独裁」じゃないよ。主としてナチス。少し広げて枢軸国スターリンも入っているかも知れない。

 真珠湾があって、その文脈で tyranny が来ているのに、「日本の独裁」じゃないという読みは、いかがなものかですよ。 tyranny という言葉は、「専制政治」を意味する。米国人にとってこれは暴君(tyrant)の存在が前提になる。そして彼らの目から見て、当時の日本には、tyrantとしての東條英機がいた(天皇もそう見られることがある)。

 くどいけど、米人にとって、東條英機はtyrantであり、だから、当時の日本はtyrannyと見られている。

 話を戻して。

ここ、あえてぼかしてるんだよ。

 コメント欄参照のこと⇒http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081106/1225972453#c1226016612

これこそが、ドイツや日本を彼が"they"でないと見なしている証拠だと、私は見た。

 だったらあんな不自然なスピーチの文脈は書かないって。

もしsharedでなかったら、彼は Pearl Harbor と言ったはず。

では、彼の敵とは誰だろう。

本当に彼の道程を追ってきたなら、わかるはず。

 ちょっときついこと言うと、この言い方は煽動者のそれだよ。そして、これに続く文脈が論理的なつながっていない。

 それはそれとして。

Cynicism, fear, and doubt.

冷笑、恐怖、疑念。

彼の敵は、イラクアフガニスタンウォール街ではなく、自分たちの内側にあるものなのだ。

我々の内側にも、それはある。

だからこそ、この敵に対して、わたしたちは共に戦うことができる。

 原文では、"cynical, and fearful, and doubtful"ですよ。

 で。

 私はcynicalだ。なぜなら私は権力をおちょくって笑いたいからだ。笑いこそが力なきものの最後の心のよりどころだ。

 私はfearfulだ。なぜなら私は弱いからだ。バフェットですら、みんなが強気なときは、fearfulになると言っている。⇒極東ブログ: ウォーレン・バフェットのありがたいご託宣

 私はdoubtfulだ。たいていのことをすんなりと受け入れることはない。オバマのイラク戦略は実質的にはこけていのたにマケインに救われたな、こいつそれほど軍事センスないんじゃないか、と、doubtfulだ。

 ついでに。

 私が好きなフィナンシャルタイムズ⇒オバマと空っぽなレトリックという技――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

そしてさらに、例の「Yes we can(私たちにはできる)」というあれだが。

私に言わせればこれは、「偉大な演説はこういうものだと頭の中で考えたものを、なぞっている人」を浮き彫りにした演説だ。いつもなら、まさにこういう空疎な大言壮語こそ、良くない政治家の象徴のはずだ。

 とはいえ。

つまりオバマ氏は別に、空疎なレトリックを振りまくしか能がないから、そうしているわけではない。彼は政治戦略として、わざとそうしているのだし、その判断はまともだ。

 まあ、そうだと思う。

 振り回されているほうについては以下略としたい。

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - 404 Blog Not Found:The enemy we share

2008年11月07日 steam_heart なるほど。翻訳者が元の文意を変えてしまう好例。

 文意は変えてないよ、補足しただけ。

2008年11月07日 maachan1977 dankogai 超同意。「民主党=アンチ日本」のテンプレが脳内に出来上がっているとああ聞こえるんだろうな。

 私の脳内はこう⇒極東ブログ: 米国大統領はオバマでもいいんじゃないの

 そんなテンプレはないよ。

2008年11月07日 mitsuki_engawa Overseas こっちの解釈が自然。米国は太平洋でだけ戦争してたわけじゃないし、東條は「独裁者」というにはちょっと「弱い」。

 それは日本人の感覚。

 米人はこう⇒WikiAnswers - Why was Hideki Tojo considered a tyrant

 あるいはこう⇒What is an American? (Letters to the Editor). - Free Online Library

This is an excerpt from a Veterans Day speech delivered by Major General (Retired) Leo Leo J. Baxter, Lawton, Oklahoma, a former Chief of Field Artillery. He reports that his definition of an American was inspired by an anonymous definition that appeared on the internet in the wake of the terrorist attacks of September 11th.

So you can try to kill an American if you must. Hitler did. So did General Tojo, and Stalin, and Mao Tse-Tung, and every bloodthirsty tyrant in the history of the world.

 史学的な評価ではなく、民衆の意識としてね。

 

追記

 弾さんのエントリのぶコメとか見ていると、まあ、日本も平和になったものだ、めでたし、めでたし。

 でも、あれだな、憲法も読まれてないな、と私は思ったね。

 ⇒極東ブログ: 試訳憲法前文、ただし直訳風

【第6文】

We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth.

 なんでここにtyrannyが登場しているかわかる?

 もちろん、ここでは直接戦時下の日本を指していないけど。

 けどというのは。

【第1文】

resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government, do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.

 このgovermentというのは、一般的な含みもあるけど、歴史的な含みとしては戦時下の独裁政府のこと(行政府だから、その長たる東條英機独裁が問われるということね、米人的にはね)。ほいで、日本国民である我々は、その独裁政府によって戦争の恐怖を味わわされた被害者だよ、と。だから、そういう独裁政治がないようにこの憲法を作りますよ、と(実際は自分たちで草稿を作ったとは言い難いが)。

 そしてこの裏にあるのは、独裁政治から我々日本国民を解放してくれたアメリカ様ありがとう!ということ。

 憲法前文を読み返してから、オバマのあの文章を読み返してごらんなさいな。

誤読をしないために気をつけたい3つのこと。

  1. 政治的なポジションを決めつけよう
  2. 隠されている本音を読み取ろう
  3. ブ米を書いて反応したら「釣れたぁ。やっぱりその読みでよかったのだ」と安心しよう

 

inspired by 誤読をしないために - よそ行きの妄想

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - 誤読をしないために気をつけたい3つのこと。 - finalventの日記

2008年11月06日 ekken communication, サイト閲覧 "隠されている本音を読み取ろう" 大事だとは思うけど、書かれていないことを読み取れというのは読み手にとっては難しい。

 …。

コーヒーで気分を良くするための4か条

  1. 注文が混雑していないスタバに入る
  2. 受付のお姉さんがよさげな印象かチェックする
  3. 飲んだことないメニューを選ぶ
  4. これってどんな味なのとかひとくされ立ち話をする

 

inspired by シゴタノ! - コーヒーで気分を良くするための4か条

たとえば、"by and large"とかいう熟語とかね、受験で出る?

 どうかな。

 ⇒large - goo 辞書

by and large 全般的に, どの点から見ても; 概して.

 なんでこんな言い方するの?については⇒By and large

 たぶん、英米人にも変な響きがすると思うが。

 現代英語で使うの?とか思ったら、サミュエルソンのコラムに出てきた。使うんだな。

まあ、たぶん、そこが、語彙力と教養なんですよ

 ⇒はてなブックマーク - 受験英語じゃなくて英会話力

2008年11月06日 tsugo-tsugo アメリカに来て1年以上経ったけどまさにそんなかんじ。彼のいうことは正しい。