2008-11-24
■そういえば天皇家は泉涌寺の檀家
近代の感覚からだとわかりづらいかも。⇒天皇家は代々仏教徒だった?泉涌寺の謎 - 作品一覧
仏教徒というより、天皇家というのは、仏教の頂点でもあったはず。たしか、このあたり網野善彦が以前いろいろ書いていた。
というか、このあたりの国家鎮護というか国家権力としての仏教も、近代の感覚からはわかりづらくなっている。
これはまあよくある話⇒泉涌寺散策 : 納得できない『逆説の日本史』(補論)
井沢もフライングというか、これ、小林惠子説のトンデモ度を薄めたネタなんだけどね。
これらから導かれる穏当な推測は、この寺は13世紀の四条天皇の山陵造営から皇室の菩提寺としての性格が芽生え始め、遡って当時の都である平安京の初代天皇と、その父と、やはり直系で有名な天智天皇までを奉祀の対象に設定した、ゆえに平城京の天皇もそれ以前の天皇も、原則として奉祀されていないのだ、というものではないでしょうか。
そう言いたい気持ちもわかるけど、それもまた推論。
どう考えてよいかは難しいのだけど。(伊勢神宮と天皇家のアンビバレンツな問題がある。)
明治時代の神道的な天皇家の感覚としては、最初が大化の改新、で、次が、建武の中興、で、明治のご維新、というストーリーなわけですよ。
で、このストリーを作り出したのは水戸学。ちょっと端折ると、朱舜水。
で、この時代に、弘文天皇が、産まれる!、とまで言うのはなんだけど、まあ、ざっくり言えばそんな感じ。
なので、近代天皇家のイデオロギーというのは江戸時代に仕組まれていたわけなのだけど。
ど、というのは泉涌寺まわりがね。もうちょっと古い。
(前略)13世紀までは別に皇室の菩提寺でも何でもなかったことが分かります。
つまり、仮に「天武以後称徳女帝までの八代」を祀らないという意図があったとしても、それは13世紀以降の意図であるということなのです。
このあたりなのだけど、この時代の天皇家の理解というのは、現在明治維新後に万世一系的にずらずら暗唱されるようなものとなにかと違っていて、さらに、この時代、「古事記」はないし、扶桑略記なんかも並列していた。
天皇家の歴史がどう理解されていたが、いまひとつわからない。
というのと、天皇家の歴史が位牌化されるということ。
関連して、墓ができるのもこのあたりの時代で、それまで、墓っていうのはなかったんですよ、というと言い過ぎなんだけど。
墓はたぶん、阿弥陀信仰ができてたものかな。もうちょっと言うと、骨信仰。
骨の意識が阿弥陀信仰と結託してくる中世になんかあったんだろうな、と。
それまでの仏教では、廟、なんですね。
まあ、このあたり、なにかと概念や歴史の層を整理しないといけないし、私の知らないうちに誰か仕事しているかもしれないけど。
あ、そうだ。
骨ついでにうと、特に髑髏も信仰されているっぽい。
立川流の影響というよりも、むしろその源流じゃないかな。
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