finalventの日記

2008-12-07

あれなんなのだろインタビュー?

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):「仕事いや」夏から欠勤、事件前日退社 女児遺棄容疑者 - 社会

 私は7時のNHKニュースを上書き録画していて、あとから世間のニュースをブラウズすることがある。こうしているのは、関心ないニュースを飛ばすため。ネットではあまり世間のニュースというか、国内ニュースは見ない。その分、NHKの解説員の話を聞くようにしている。

 リンク先のニュースなのだが、NHKは容疑者にインタビューしていた。あの映像は何?

 警察リークにほいほい?

 ⇒東金遺棄事件:「裸の女児運ぶ男」捜査本部に目撃証言 - 毎日jp(毎日新聞)

千葉県東金市で今年9月、同市田間の看護師成田多恵子さん(38)の次女幸満(ゆきまろ)ちゃん(5)が路上で遺体となって見つかった事件で、県警東金署捜査本部は5日までに、小太りの男が事件当日、幸満ちゃんとみられる裸の女児を肩にかついで運んでいたとの目撃証言を得た。捜査本部は近く、本格捜査に乗り出す方針を固めた。

 あのインタビューがなんか変。

 ネットを見ていたら⇒千葉の女児死体遺棄容疑で男逮捕 「家の中でぐったりした」 : 中国新聞ニュース

 勝木容疑者は二〇〇五年、主に知的障害のある生徒を受け入れる県立養護学校(現特別支援学校)の高等部を卒業し、事件直前まで布団製造会社に勤めていた。捜査本部は勝木容疑者が通常の社会生活を送っていたことなどから、刑事責任能力はあるとみている。

新聞社が潰れてもそれほどどってことはないよ

 ⇒新聞社が潰れて一次情報が得られなくなったらどうするの?(To: 新聞

 一次情報は通信社から買えるから。

 地方紙なんか、共同通信の記事買って、それを版組して、ああ、それと地元の記事を混ぜているだけ。社説なんかはだいたいひな型があるし。(ああ、しかし、地方紙にはそれなりの気骨の歴史もあるが。)

 で、通信社なんだけど。

 外信はネットがあればもう不要。NYT、WP、FTあたりを見ておけば足りるし、実際、外信はそれの翻訳パラフレーズしかしてない。VOAだけでもけっこうよいのができるよ。

 で、地域は自分でカバーできる。っていうか、新聞っていうのは元来そういうローカルな存在。

 一番の問題は、行政に関連する部分っていうか、ぶっちゃけ記者クラブだね。

 記者クラブをとにかく潰せたら、あとは、政治や経済や医学といった分野に強いジャーナリストとの連携が重要かな。

 ま、新聞社が潰れてもそれほどどってことはないよ。(「常識」の目安が難しくなるとは言えるか。)

 積極的に潰せとは思わないけど。記者のクオリティは高いんだし。

 むしろ、新聞社って広告メディアなんで、実際紙面の大半は紙の無駄みたいな広告。

 あれだけ広告取ってよく有料だよなと思うけど、そこは戸配の経費かな。

 まあ、そういうのが問題。

 

ぶこめレス

RRD 新聞が通信社化するだけの話で、そもそも新聞社はつぶれないよ。 2008/12/07

 そこは微妙かな。新聞社というのは、収益から見れば、広告屋なんですよ。その独占というかカルテルが利益のもとなわけで、市場の構造や広告費用が変われば、潰れるところは出てくるでしょう。

titton 新聞社は訴訟を起こされるリスクを負って記事にしていると思うが、新聞社がなくてもいいとなると、そのリスクは誰が負うことになるのか? 2008/12/07

 ジャーナリスト。

wiseler だからそれを誰が買うの? 私は外国の新聞読んでるから一応大丈夫だけど、忙しいサラリーマンがそんなことになったら情報が手に入らなくなり、無知な大衆が再生産されるだけだ。大丈夫なのはあなただからではないか 2008/12/07

 普通に地域紙は残るでしょ。あと、外信は、それこそネットで概要のサイトを作って広告取ればいいと思うけど。というか、これビジネスになるんじゃないかと昔ちょっと思った。NYT、WP、FTの社説の邦訳サマリーのメーリングリストでも商売になるかな、と。実際にやるとスタッフ体制でクオリティや収益見通しとかね、めんどい

y_arim media, journalism また悠長なことを……と思ったけど、そもそも半径1クリック以外のことなんてそんなに興味ないのが大衆な気もするのでニュースなんか知らなくても生きていけそうだわね。 2008/12/07

 面白い大衆観だなぁはさておき、現状でもニュースは一種のマインドコントロール的な部分が多いっていうか、記者クラブ依存だからね、なので、メリットもあればデメリットもあるというだけですよ。

kawango 通信社も危ないんだけどな 2008/12/07

 ちょっと書き方がよくなかったけど、通信社もなくても大丈夫だよという意味でした。問題は記者クラブを潰したあとにどういうふうに公的な情報を提供するかということ。

 あと、NHKがあればけっこう通信社の代わりになりますよ。ようはNHKをどう制御するかです。っていうか、イギリスとか、新聞よりBBCがニュースのもとだろうし。

 あと、近未来的にはこうなりますよ。

 こう⇒New York Times launching AIR-based news reader | Webware - CNET

 

トラバレス

 ⇒記事と新聞 (下方エントリ追加) - 「短歌と短剣」探検譚

で、自分の考えはABCのどれでもない。論じるほど劇的な変化は起こらないと見る。

 劇的な変化については言及してないよ。潰れても困らないよというだけの話。

 国内の通信社が潰れてもそれほどどってことない。NHKがあるから。NHKは国民が出資している通信社とみてよい。

 海外の通信社は潰れる自体は想定しづらいし、BBCやCNNがあればよいでしょう。

 VOAのイメージは変えたほうがよいかも。

これなんだけど

 内樹先生⇒窮乏シフト (内田樹の研究室)

若い女性たちが「自分たちには何が欠けているのか」を数え上げることを止めて、「自分たちが豊かにもっているものを誰にどんなかたちで与えることができるのか」を考える方向にシフトしたのは、彼女たちの生物学的本能が「危機」の接近を直感しているからだと私は思う。

 これね、昔からそうですよ。

 ある一定以上の知性と正義感のある女性の一般的な傾向だし、それにコミットできる環境があると、さらにリインフォースされる。

 ただ、これ、日本社会だと浮いてしまうんだね。これが崩れると変なエコとか変なサヨとか、新興宗教とかまあいろいろ。日本社会はそうしたシフトした側に注視するけど、日本社会から浮いちゃう権力構造が全体的にこういうものを生み出しているだけなんだけど。

 なので、なんとか維持するには、NGO的な小さいコミュを大切にするか、実際に拠点を日本から外すかということになる。

 沖縄なんかだと、こういう外化しないで、普通に途上国的な状況がある分、自然にそうである部分もある。

増田な敗戦論

 ⇒http://anond.hatelabo.jp/20081207052902

 この問題は、逆コースから見ていくほうがよくわかる面がある。ただ、逆コース自体がよくわからんじゃないかと言われるとなんだけど。

 ただの陰謀論じゃないから、読んでおくとよいよ。

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軍隊なき占領―戦後日本を操った謎の男 (講談社プラスアルファ文庫): ジョン・G. ロバーツ, グレン デイビス, John G. Roberts, Glenn Davis, 森山 尚美

 こっちのほうが読みやすいかな。

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巨悪vs言論―田中ロッキードから自民党分裂まで〈上〉 (文春文庫): 立花 隆

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巨悪vs言論―田中ロッキードから自民党分裂まで〈下〉 (文春文庫): 立花 隆

増田な意見

 ⇒国籍法改正が人権のためになるなんてデマを誰が流したんだ

 増田で語りたいんだろうなと思う。

 ただ、この枠組みは不毛で、その分、経済学的に考えたほうがよいかもですよ。

 損得で、得を取れという意味じゃなくてね。

今日の大手紙社説

 教科書検定が話題といえば話題だが私はあまり関心がない。私はそもそも文科省不要論者。

日経春秋 春秋(12/7)

 ホンダ自動車レースの最高峰、F1選手権を「走る実験室」と考えてきた。車体やエンジンなどレースで得られた知識と経験が車づくりにフィードバックされ、知名度も上がる。創業者本田宗一郎だけでなく全技術者の夢であったろう。

 まあ、そう見てもいいのだけど、これは藤沢のロマンだったのでしょう。

 読まなきゃ損だという本がたまにあるが、これもそう。

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経営に終わりはない (文春文庫): 藤沢 武夫

 ビジネスマンなら、これを読むと読まないでは人生が違うよ。

日経社説 理由がわからない金融庁の代引き規制

 無用の規制によって消費者の便利さが損なわれ、それが経済活動の萎縮をもたらすような、あしき事例は少なくない。金融庁が新たな法整備によって商品代金や公共料金の支払い手段を規制対象に加えようとしていることも、その典型だろう。

 そんな便利なサービスを規制対象にしようとしているのはなぜか。意図がはっきりしない面もあるが、金融庁が金融審議会の部会に出した資料などによると、(1)消費者保護の仕組みが十分でない(2)宅配便業者やコンビニ業者の経営が破綻するリスクがある(3)反社会勢力などによる不正資金の洗浄行為つまりマネーロンダリングに悪用される心配がある――の3点を問題にしているようだ。

 いずれの論点も杞憂(きゆう)だろう。代引きは宅配業者が商品を購入者に渡すのと同時に行われるので、消費者が払い損になることはあり得ない。また委託元、つまり商品の販売者は大半が企業であり、代行業者に経営破綻のリスクがあるか否かを見極める力を持つとみるのが自然だ。マネーロンダリングの心配にいたっては理解に苦しむと言わざるを得ない。規制するための理由を無理に探しているのではないか。

 なんなんだその議論という感じもする。ただ個人的には代引きは使わないからなとも思う。

 よもやと思うが、法規制によってこれらの業界に目を光らせ、あわよくば官僚天下り先を広げられるという下心を金融庁が抱いているとすれば、とんでもないことである。

 それだけの話だろうか。

 OTCのネット販売規制も進めるのだろうか。

 田舎を歩くと、薬屋は目立つ。ああいうのの保護だろうか。日本近代史における薬屋とはなんだろうとそういえば疑問に思っていたな。ぶっちゃけいうと中絶の社会システムというのがあったんじゃないかな。

読売社説 常用漢字 IT時代踏まえ議論深めよ

 この手の話は終わらない。解決策がないからだ。そしてはてしない不毛な議論の上に歴史は進んでいく。

 弾さんが、「弾」という字はひどい、「彈」だと言っていた。少し国語を知る人なら、不思議な日本人が出てきたなと思う。愚かという意味ではない。誰もその仕組みを語らなくなったのだろう。「母」に二点があり、「海」に二点がなくなった理由も語られない。理由なんかないともいえるが。

読売社説 教科書検定 圧力の排除が透明性の前提だ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 教科書検定をめぐっては、過去にも国内外の不当な干渉にさらされ、そうした環境が保たれているとは言えない例があった。

 「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した中学歴史教科書をめぐる騒動も、その一つだ。2001年春に検定結果が出る半年も前から、国内の一部や中国韓国政府の“圧力”があった。

 今年改定された中学校社会科学習指導要領の解説書には、竹島が日本の領土だと教えるよう、初めて盛り込まれた。韓国が抗議し、駐日大使が一時帰国する騒ぎになった解説書だ。

 その解説書に沿った教科書の検定は10年度に実施されるが、仮に検定中に経過が明らかになれば、混乱が予想される。学術的な見地から適切な記述かどうかを議論する環境は、到底保てまい。

 ただメモというだけ。

朝日社説 雇用危機―失業者の年越しのために

 笑ってはいけないテーマなのだが、ふと小さく笑った。この社説のテーマは餅だ。餅代。

 企業はいかに生き残りに必死であろうと、雇用を守るぎりぎりの努力をしてほしい。やむなく人を減らす場合でも、再就職を手助けし、次の仕事が見つかるまで社員寮に住むことを認めるぐらいの配慮をぜひしてもらいたい。

 深刻化する事態に、与野党は対策を打ち出し始めた。真剣に議論してほしい。ただ肝心なのはスピードだ。

 まさにいま職を失い、途方に暮れている人がいる。まず緊急にすべきことを洗い出し、年内にもできる限りの手を打つべきだ。2次補正予算案の国会提出さえ先送りするようでは、なにをか言わんやだ。

 雇用対策という狭い分野だけでは、緊急事態に対応できない。

 たとえば、家を失った人が住める部屋を用意する。当面の生活費を貸す。そんな生活支援は待ったなしだ。生活保護など福祉との連携も欠かせない。ホームレスの自立を支える自治体の制度も積極的に活用したい。中小企業対策も必要になるだろう。

 特効薬がないからこそ、いろいろな角度からの知恵を絞りたい。

 マルクスならそうは語らないよ。

晴れ

 富士山が美しい。昨晩は早めに引きあげ、須賀敦子の本を読む。なかなか読み進められない。読めないわけではないが、なんども読み返す。文体と思いのなかに深く沈むものがある。ああ、これが存在というものだと思う。森有正が経験と読んだものは、存在ではないかとしばし思う。存在は私とは分離できない、と言ってよいのかわからない。が、まず私というものがあり私は経験によって存在する。記憶ではない。そこが森の苦慮したところだというのがよくわかる。森はそこから名辞を語る。経験が名辞により、人の経験となる。イエスがいなければ愛の意味がないように、そこに人の経験がある、と。森はここで普遍にまた向き合う。そうしていながら、森は、こうした存在に向き合う自身が西欧の経験なくしてありえないことを知っている。須賀はそのようには語らない。だが、ほぼ同じ存在に向き合っている。これはいったいなんなのだろうと思う。二人ともそうした存在が普遍に出会うときに、音楽に出会う。むずかしい問題だな。

 寝付かれず、夢も覚えていない。

 キバを見る。そういう展開かと驚く。脚本がすでに破綻しているという声もあるようだが、お子様向けな展開は別とすればテーマはまだぶれていないどころか、どうもぶれそうにはない。古典劇と言ってもいいだろう。女というものはああいうものだという、中年男の不思議な思いが深く沈んでいる。女は救いであり裏切りであり、そして救いだ。そしてそれは本質を突き詰めてしまえば悲劇にしかならない。およそ生きるということは悲劇にしかならない、というか、生きる本質が悲劇であるというのは不思議なことだ。小林秀雄はなんども語り、そして語ることをやめた。たぶん、ベルクソンに失敗してからだろう。あのころ、こっそり小林は草柳大蔵に歴史がすべて終わる時のことを語っていた。そして小林の頭にはずっとイエスがあった。50代を超えて、そしてもう信仰というものでもなく、そして誰に語るのでもないなら、普遍に語るのかというところで、彼は日本を語りだしてしまった。そうせざるを得ないところになにかしら女というものの体の臭いのようなものがある。

 須賀の思いのなかには、須賀自身を娘としてしながら、女の体の臭いをかぎ分けていくある驚きのような感性がある。そしてそれを娘として分離しなければ書けない、存在できない、しかし、存在するこは矛盾だという、奇妙な思いがあり、それは同じ地平でやはり日本が問われる。

 アリストテレスは悲劇によるカタルシスを語った。つまりアリストテレスはバカだということだ、と言ってみたい気がする。もちろん、そうではない。アウグスチヌスもそうではない。アクィナスもそうではない。デカルトも、ハイデガーも。

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