毎日社説 社説:視点 喫煙室事件 社会の包容力も問われている=論説委員・三木賢治 - 毎日jp(毎日新聞)

 “喫煙室”の存在は今年10月、警察の知るところとなり、未成年者に喫煙場所を提供したとして摘発されたわけだが、その評価は分かれよう。嫌煙が世界の潮流となっている折、指導が手ぬるいと批判されてもおかしくない。一方で、教職員が生徒の事情をくんだ指導法ならば、相応に尊重されねばなるまい。
 大切なのは、建前では割り切れない問題があると知ることではないか。一筋縄でいくはずのない正邪、勝敗、損得などを二者択一式に判断する風潮が広がる。多数派の価値観に合わないと、規格外として排除する傾向も強まる。情理の理が強調され、情の影は薄れる。世の中がぎくしゃくしていると嘆く人が目立つのも、無理からぬ話だ。
 刑罰に関しては、“大岡裁き”が通用しにくい時代になったのかもしれない。世論は厳罰化になびき、捜査機関は無用な批判を浴びたくないと考えがちだからだ。人々は自説を貫く自信を欠き、社会は包容力を失っているようにも映る。

 毎日新聞の社説からこの話を聞ことはねとも思うが、いや、三木賢治さんというのか、よい社説を書いたと思う。「人々は自説を貫く自信を欠き、社会は包容力を失っている」かはどうかわからないが、世の中とは「建前では割り切れない問題があると知ること」だ。大人はそう言わなければならないし、その分の泥を被らないといけない。