finalventの日記

2008-12-25

メリークリスマス!(ダーク編)

 昨日なんとなく聞いた飯島愛の死に驚いた。実際に死亡していたのは3、4日前とのことで、イブに併せてということではないのだろう。事故死かなとも思う。そうであっても、彼女が一人こっそり死んでも、数日は誰も気が付くこともなかったということではあったのだろう。

 人は寂しいものだと思う。そして寂しさとは恐怖にもなる。私は孤独感が強く、今でもどうしても払拭できない孤独感はあるが、実人生ではそう寂しいものでもない。人生を薄目で見るなら、神様とかがいて恵みの多い人生だったようにも思う。が、たとえば、飯島愛さんが、では神様とかの恵みの少ない人生だったかというと、それはそうではない。

 人がどう生きるかは、運命でどうにもならない部分がある。というか、けっこうある。偶然もある。ただ、自分の実存をどう了解するかについては、人は主体足りえる……といっていいだろう。まあ、そこもサルトルのようにはいかないか。

 小林秀雄から学んだことは悲劇というのはあるというあたりまえのことだった。生きなくてならないから悲劇はあるというあたりまえのことだ。ただ、それでも、どこかに慢心というか、自己が自分の運命を支配できそうな思いや誘惑は混入するし、そのことがより人を孤独にしてしまう。そしてその孤独は、なんというか罪の帰結というか死の棘というか。

 そういえばネットから梯子丹が消えた。理詰めで考えると録でもないことになっているのではないか思わないでもないが、感覚的にはただネットから離れてそれなりに生きているのではないかと思う部分もある。どっちかというとわからない。彼女は、私より存在の強い人ではないかと思う。私より存在の強い人のことは私にはわからない。

 私は、人を見たとき、知ったとき、私より存在が強いなということを思うことがある。強いというのは生存力とか影響力というのではなく、うまくいえないが、ああ、この人は私より存在が強い、と感じる。うまく言えないのだが、「強い存在」「弱い存在」ということではないし、まして、自意識の関連ではない。それをいうなら、存在の強い人は自意識の自省性は少ないように思う。自意識がないわけではないが、ああ、この人には弱い人間の惨めさというのは一生わからないのだろうな、みたいな感覚だ。(同様に私より存在が弱いということも、別にそれほどの意味はない。しいていうと自分はその人とどう関わるかなという問題になる。)

 存在は与えられてしまうものなので、どうすることもできない、と言いつつ、私は、存在を強く与えられた人は、弱くして生きたほうがいいと思う。そのあたりもうまく伝えることができないが。

 人は悲劇を生きるより、幸せを生きるほうがよいと思う。それができないから悲劇だというのもわからないでもないが、悲劇は存在の強度に関わっている。

 私は、だから、だからというのか、存在を弱くして生きないさい、とは言えない。ただ、私に向いあうある絶対者の感覚はそこを、弱い形では告げている。

 ここもうまく言えないのだが、弱いものは美しい。いや、美しさは強さや弱さとは関連はない。そうではなく、弱い美しさに出会うとき、自分が打ち砕かれたことの恩恵を思う。ただ、それも弱いものに美しさを見るとか、自分を絶えず否定していく、ということではない。それはただ、そういう出会いというか、向こうから到来する何かであって、そのために自分が、なんというか祈りのポジションにあるかということに思う。たぶん、祈りは異邦人のように祈ることではなく、祈らされることなのだろう。幸あれ、神に砕かれることに恩恵あれ。

 書きながら、洒落ではなく、曖昧になっている。消してしまうかと思うがなんとなく残しておく。ネットで伝わるとか伝わらないとかはあまり、こういうことについては考えない。伝えたいという私の主体は、そう強くはない。

miho-nyamiho-nya 2008/12/25 09:18 こんにちは。
「強い存在」「弱い存在」、そして存在の強い人は弱くして生きた方が良い。
自分なりに理解できるような気がします。finalventさんの考えとは違うかもしれないけど。
「伝えたい」気持ちが強くない、というのは残念です。
今回のようにコメントしたくなったときに、「見当違いの事を書いて不愉快にさせてしまったのではないか?」「何か誤解してしまったのではないか?」とかなり悩むんです。
コメントは遠慮して、ただ読んだ感想を自分の中にしまっておいた方がいいかもしれないでしょうか。

rice_showerrice_shower 2008/12/25 10:51 飯島愛さん.....。 
地頭(じあたま)がとても良い女性でした。 
一時、彼女のAVの裏ビデオを持ってた事も思い出しました。
(クスリの)ODによる事故死あたりに落ち着きそうな気がするけれど、当り前の話だが、死はその人の全時間、人生総体のピリオド。 ファンの人達はしっかりと受け止めて欲しいな。

少し前にuuminさんの所でコメントしたのだけど、強さは寛容(自らの弱さを他人に察知され、軽侮されようと、その状況をも受容できる寛容ってな感じか)から、寛容は強さから生まれるものだと思っています。

shu_monjushu_monju 2008/12/25 11:07 なんとなくは理解できるように思います。「うまく言えないのだが・・・」というところが好きです(好き嫌いの問題ではないと思うが)。究極のコミュニケーションとは言語のような記号を介さないものなのだろうと思ったりします。でもそれ(soul to soulのようなもの?)をときどき感じるのが人間というものなのかもしれませんね。

そういえば、私は「はかない」ものとか「不安定」なものに、底知れぬ美しさを感じることがよくあります。「弱い」というのとは少しちがうかもしれないけど・・・

finalventfinalvent 2008/12/25 13:32 miho-nyaさん、ども。伝えたいという部分がどうも曖昧というかアンビバレンツです。何についても自分が言わなくてもいいやという感じはありますね。コメントはお気軽にどうぞ。

finalventfinalvent 2008/12/25 13:34 rice_showerさん、ども。死というものをどう考えていいか、私は本当にわからないなと思っています。飯島さんの件でも、え? 36歳? そこで人生終わり? という不思議な感じです。自分が50歳過ぎているからだと思いますが。そしてうまく言えないのですが、末期がその人の幸不幸でもないかなとも少し思います。

finalventfinalvent 2008/12/25 13:36 shu_monjuさん、ども。私だけではないと思うけど、心のなかに言葉にならない領域がどばーとあって、けっこうその中で生きているのだけど、その時の感覚は言葉にならないです。これだけ生きて来たから、とりあえず人に伝えようということはわりきれば伝えられるし、こういうとウソでしょと言われるかもしれないけど、わかりやすく伝えることもできないわけでもないけど、そうするために、逆に自分では、ああ、それはウソだと思うのですよね。なんかトラップしているみたいですが。文学とか、あるいはブログによっては、しかし、あ、その風景は知っているというふうな出会いの感覚はありますね。

atkatantoatkatanto 2008/12/25 13:41 神の受肉、救い主の到来がこの歴史におきたことを感謝し彼を讃美し礼拝します。

●主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。(詩篇34:18)
●神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。(詩篇51:17)
●いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。(イザヤ57:15)

●私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ53:1-5)

finalventfinalvent 2008/12/25 13:44 atkatantoさん、ども。ホサナ!

nijuusannmirinijuusannmiri 2008/12/25 16:18 Twitterでも書いたのですが、飯島愛さんの死というものが、自分にかなり大きな衝撃をもたらしていることに、ちょっと驚いている状態です。
大ファンというのではないのですが(本当にファンだったら、きっと何も言えないでしょう)、俺は、彼女をある種のロックスター的に見ていたのかもしれません。彼女のことを直接知っているわけでもなんでもない、でも、何かしら影響を受けている。カート・コバーンとかジム・モリソンのように、若くして死んだロックスターはたくさんいますが、そういう人を失った感覚に近いのかもしれないです。なんというか、単なる有名人が亡くなったというよりも、もっと自分にとって精神的に近しい人を失った感覚とでも言えばいいのか。きっと、そのように感じている人は多いのだろうと思います。
しかも、あまりにも若い死というのは、なかなか受け入れられないような感じです。比べるのもなんですが、緒方拳氏が亡くなったときは、悲しいことではあるけれど、今回のような衝撃とは全然違うものでした。
感傷的なことをいえば、皺くちゃのおばあさんになって「私も昔はいろいろあったのよ」とか言って、煙たがられている姿を見たかったという気持ちです。
ただ、そうは言っても、自分の日常は続いていくわけで、それは今までも何度か経験したことではありますが、不思議な感覚ですね。

finalventfinalvent 2008/12/25 16:39 nijuusannmiriさん、ども。私の印象に過ぎないのですが、nijuusannmiriさんがという意味ではないのですが、少なからぬ同年に近い男性にとっては、彼女がAV出身だったこと、つまり、性的な幻想の域圏にあったというの意味合いがあるのかなと思いました。だんじょの20代30代の性的な行動の結果が、その後の人生のなかでそれなりに意味として解消されるなら(昔はいろいろあったのよ的)いいのですが、そこに至る前にふつっと人生が途絶えることには恐怖はあるでしょう。私も昔の恋人が死んでいたらという想念で苦しんだことがあります。

castlecastle 2008/12/25 17:09 存在の強弱はよくわからなかったですが、自分の体験からだと心のガソリンみたいなものはあるように感じたことがあります。ガソリンがなくなったクルマはクルマなんですけどもう動けないみたいに、こころのガソリンが空っぽになったような感じで、自分らしさというのも量の限られた有限な資源なんだなとそんな気持ちになりました。
そういえば、お風呂に入っていて湯あたりでのぼせてしまったことがありまして、貧血のような症状で数秒ほど気を失ったようなんですけど、あのときはこころが空っぽになるというのとは別に、たとえるなら自分というパソコンの電源が落とされたみたいな感覚があり、心のガソリンはソフトっぽくて、湯あたりのほうはハードのような喪失感っぽかったです。でも、どちらもfinalventさんのいう存在の感覚とはちがうぽいようで、自分なりに理解しようとしたら、当事者になれない的な感じといいますか。

nijuusannmirinijuusannmiri 2008/12/25 17:11 「性的な幻想の域圏」というのは、あると思います。そういう意味でも、ロックスターとポルノスターは非常に近い存在ですね。
「そこに至る前にふつっと人生が途絶えること」の恐怖というのは、あるのかもしれませんが、もうちょっと考えてみたい問題です。

finalventfinalvent 2008/12/25 18:02 castleさん、ども。「当事者になれない的な感じ」という部分は、私としてもほとんど同じに思います。存在の強さ、というのは、劇に例えると、自分は端役だという感じです。またまた傍観者として世界に存在しているけど、自分は通行人D、くらいの存在だな、と。ただ、この世界というのは私にとっては私の視点からしか見えないのに、どうして私は私の人生の端役なんだろうみたいな変な感じがつきまといます。ある種の感覚に閉じ込められているのかもしれませんが、たぶん、それなりの人生の主役感は獲得できても、世界に対しては端役・通行者Dのままだろうな、と。

SuckerSucker 2008/12/25 18:43 はじめまして。うまく受け取れているかは分かりませんが、強い人はそのままでは環境や自分を傷つけすぎるし、弱い人はそのままでは何にも出会えないのかな、と思いました。私はおそらく弱いほうに寄ってますね……

finalventfinalvent 2008/12/25 20:11 Suckerさん、ども。強い人は存在する意味があるのだろうと思います。逆に弱い人としてこの自分がなぜ存在するのだろう、この世界に自分なんていなくていいのにとすら私なども思うのですが。そこがなにか根本的に不思議だなと思っています。

antonianantonian 2008/12/25 23:38 すごくショックなことがあると砂漠のごとき普遍的に変らない圧倒的な光景に行きたくなりますね。「世界に存在しなくてもいい自分」的なる物に身を委ねたくなる感。それで慰められる時もあります。

finalventfinalvent 2008/12/26 08:45 antonianさん、ども。山本七平もそういう砂漠オタクでした。沖縄でクラス前はよく房総にいって私は海を見てました。荒れ狂う海を見ながら人間ってなんてちっぽけなんだろうと。

jura03jura03 2008/12/26 19:45 ローマのクリスマスはさすがに静かでした。25日になった瞬間に教会の鐘がガランガラン。ナウ゛ォナ広場では人形で聖書の場面を飾ってます。厩で生まれたばかりのイエスさん、みどり児を抱くマリア様、それを眺める博士たち、イエスさんのそばには子羊、そして暗い夜。一般家庭でも可愛いお人形さんのセットを飾ってお祝い。カトリックでもなんでもありませんが、この場面を見る度、新しい生命の誕生の瞬間に感動して心が震えます。とにかく、とても静かな、いいクリスマスです。

finalventfinalvent 2008/12/27 07:57 jura03さん、ども。以前マルタでクリスマス休日を過ごしたことがあるので、家の窓越しから見るクリブのことを思い出しました。キリストの誕生ということですが、日本人からすると家庭の大切さのように微笑ましく思えました。

faye2071faye2071 2009/09/03 21:20 イブの夜に、死を発見されたと言うのが何とも痛ましいです。・・・ホテルで、彼女の死を知ったカップルというのは結構いたのではないかな。昔、あの富野由悠季に、「触ってもいいですか?」と質問されて、飯島愛が「お金を払えば」と笑顔で答えていたのが、なんだかかえって痛ましかったです。・・・そういう問題じゃないのに。スターというのはいるもんなんだなと思いました。

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