今日の大手紙社説

 露ガス輸出停止問題が話題。まあ、予想されていたことでもある。
 こういうことね⇒FT.com / Comment & analysis / Editorial - Settle the Ukraine gas dispute

Third, Brussels must press both sides to implement plans agreed last year for transparent contracts, with gas prices tied to oil prices, as they are for Gazprom’s EU clients. Murky intermediaries must go. If that means somewhat higher prices for Ukraine, Kiev should bite the bullet. It is a burden worth bearing for the sake of greater political independence from Moscow.

日経社説 総務相の「待った」に異議あり

 鳩山氏はかんぽの宿を「国民共有の財産」と呼び「売却には一点の曇りもないようにしなければ」と言う。宮内氏が小泉純一郎元首相の改革路線を支えたのは事実で、それを批判するのは自由だ。しかし、随意契約でなく入札という手続きを経た結果を、十分な根拠もなく「お手盛り」のように言うのは明らかに行き過ぎである。こんなことでは公職を引き受ける経営者もいなくなる。
 郵政民営化の見直し論や国会での野党による追及をにらんでの発言だろうが、所管大臣が入札結果に堂々と介入するのは常軌を逸している。譲渡をやめてもかんぽの宿の赤字は消えない。重荷は誰が負うのか。

 微妙。心情的には鳩山が正しいように思うが。

日経社説 欧州揺るがすガス紛争の早期解決を

 一方でウクライナの姿勢にも問題が多い。巨額のガス代金が未払いだった。代金未納のままで供給を続けよとは普通は言えまい。
 価格の問題はパイプライン通過料金も絡んで複雑だが、ロシアのガス会社ガスプロムが当初提示していたのは国際価格以下で、そう不当とも思えない。

 ええ、そうなんですよ。別にロシアの肩を持つというのではなく、経済・経営的に見るなら。
 ただ、今回の事態は想定してはいた。
 エレニさんとかだったら詳しい解説してくれたかな。

読売社説 露ガス輸出停止 欧州のもろさが露呈した : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 ガス輸出価格交渉の決裂で、ウクライナ向け輸出を停止したところ、欧州に向かうパイプラインからウクライナがガスを抜き取ったため、という。
 欧州が消費する天然ガスの25%はロシア産だ。その8割が、ウクライナ経由のパイプラインで運ばれている。ウクライナは「抜き取り」を強く否定して双方の言い分は異なるが、そのとばっちりを欧州諸国が受けた形だ。

 これ以前もたぶんそうだったと思う。

 3年前にも、同様に価格交渉の決裂が原因で、ロシアはウクライナ向けのガス供給を停止し、欧州にも影響が出た。
 繰り返される中断騒ぎは、ロシアが、安定したエネルギー供給国としての信頼に欠けることを示すものだ。

 話はそれだけでもないのだけど。というか、ロシアにしてみるどう見えるかという視点も必要なんだが、まあ、同じ問題。もちろん欧州には死活問題だけど、シュレーダー・ドイツ前首相の動向がとりあえずヲチかな。

朝日社説 派遣切り拡大の衝撃―雇用を立て直す契機に : asahi.com(朝日新聞社):社説

 働き方を考え直し、雇用の仕組みをよりよいものに作り直すことは、日本経済を強くすることにもつながる。そんな視点を忘れたくない。

 まあ、そういう考えもあるかもしれないが、たぶんそれは矛盾しているでしょう。
 まず日本経済を強くするというのは成長産業セクターの問題なのでそこは雇用を守れというだけではうまくいかない。
 こういうことね⇒Terms of Trade - washingtonpost.com

The CBO's data show that, while the loss of manufacturing jobs in the first decade of the 21st century was especially sharp and sustained, it is hardly a brand-new phenomenon. In fact, the United States has been gradually going out of the manufacturing business for nearly half a century. As a share of total employment, manufacturing work declined from about 19.5 percent in 1958 to 10 percent now. This country emerged from World War II as a kind of planetary workshop, supplying cars, steel, chemicals and just about everything else for a world that was mostly poor and politically weak. That artificial dominance was bound to fade; today, our economy still leads the world, but billions of working-age men and women, from China to Peru, stand ready and able to produce things that once came only from Detroit or Pittsburgh. Millions of them have been lifted out of poverty as a result. The challenge for the United States now is to find new engines of growth, profits and jobs -- whether in manufacturing or some other sector. We hope that the Obama administration helps U.S. firms adapt. But we hope it also understands that no one can abolish economic reality -- and that it would be futile to try.

 あと朝日新聞というか大手新聞は戸配の現場の労働環境をどうにかしたほうがいいと思うが。そこに恥部のようなものをもっていて直視しないと、理想論はどんどんメタな方向に膨れあがるだけだし。

 雪のところも多いのかもしれない。明け方冷えた感じがして、暖房を強化した。昨晩は寝付かれなかったがとくに心理的ものでもないのかもしれない。夢は忘れた。明け方、自分の欺瞞性とでもいうものをいろいろ思ってもいた。私という人間にはあまり確たる自我というのはなく、よって欺瞞といっても、本心対偽装というようなスキームでもない、と思うのだが、ネットなど長くやっていて、そうではないリアクションが多かった。まあ、それもそういうものかと思うし、おそらくそういうリアクションはその人の欺瞞性の鏡像なのだろう。私という人はぼんやりとしただまし絵みたいなところがあるから、何か悪や劣等の像を見たいのではないか。そしてそのことには、ご自由に、としか思えない。いや、そういうのは誤解かなとも思うが解けた試しもない。いずれにせよ自分に戻ると、確たることのない自我の、それゆえのぼんやりした欺瞞性というか、いや客観性というか傍観者性というのはある。なぜかななと思ったが、それなりに過酷な人生に対する防衛反応だったのではないかなと思った。ちょっと悲しいなとは思ったが、そこから救われる人生でもなかった。というか、過酷な人生といっても物語化されない、理不尽というか支離滅裂ということであって、憎しみや怒りというものではない。それならそれがファルスのように機能して私はもうすこし確たる自我が持てたかもしれない。と書きつつ、私は観察性によってファルスを解体化したらから脱物語として生存したのかもしれないなと思った。それも悲しいことかな。文学など好むようになってから、私のような心性はけして珍しいものでもないなとは思ったが、私は文学といった文脈もまた脱物語化されていた。基本的に社会や他者から注目されるような特質というのも端からもっていないのだろう。