そういえば

 ⇒リヒャルト・ワーグナー - Wikipedia

ドイツ音楽雑誌の新音楽時報に匿名で「音楽におけるユダヤ性」と題した反ユダヤ主義の論文を発表。音楽に対するユダヤ人とユダヤ文化の影響力を激しく弾劾した。後にナチスにこれが利用されることともなった。現在でもイスラエルではワーグナーの作品を演奏することはタブーに近い。欧米でもワグナーの「音楽」を賞賛することは許されてもワグナーの「人物」を賞賛することユダヤ人差別として非難の対象となる。

 禁止されているわけではないのだけど。
 ⇒バレンボイムとワーグナーをめぐる論争に寄せて : ディプロ2001-10 - Barenboim brise le tabou Wagner

 だからこそ、我々はあらゆる手段でイスラエル人の意識の中へ入り込むように努力すべきだと思う。イスラエルの人々に向けて実際に、あるいは文章を通じて語りかけることで、「我々」に対する「彼ら」のタブーを打ち破るのだ。

別の文脈でいえば、バレンボイムによるワーグナーの演奏は、いまだに反ユダヤ主義による民族虐殺のトラウマに苦しむ多くの人々を深く傷つけたとしても、服喪から抜け出して次の段階、つまり人生それ自体へと進んでいく力を回復させる効果があった。人は生き、先に進んでいかなければならず、過去の中に立ちすくんだままではいけないのである。おそらくこの複雑な問題の微妙なひだに私が余すことなく触れたとはいえないだろうが、最も強調したいのは次のことだ。人生は、批判精神や解放体験を打ちのめそうとするタブーや禁止事項によって支配されるものではない。