日経社説 複眼で日本を見る米政権 : NIKKEI NET(日経ネット)

 中曽根弘文外相とともに署名した沖縄海兵隊のグアム移転に関する協定にも同様の狙いがある。
 自民党共和党政権下の2006年5月、外務、防衛閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で合意した在日米軍再編に関する合意を協定にまとめたものであり、日本政府は今国会に提出し、承認を得る考えである。日米間の政治的合意を国会審議を経て法的合意に格上げするのは適切である。
 協定という名前の条約だから憲法61条により、国会の会期切れや衆院解散がない限り衆院の議決から30日後に国会の承認となり、参院で野党が多数を占める衆参ねじれ現象の影響を受けない。条約として発効すれば、衆院選挙の結果、民主党政権ができても、米側と交渉して改定しない限り、拘束される。

 沖縄の米軍基地問題民主党の問題でもあるのだけど、さっぱり方向性は見えない。

毎日社説 社説:クリントン長官 日米対話の重層的展開を - 毎日jp(毎日新聞)

両外相は在沖縄海兵隊のグアム移転に関する協定に署名したが、普天間飛行場返還に伴う代替施設建設に関しては政府と地元の意見が対立したままだ。政府は基地負担軽減を求める地元の意見も踏まえながら調整を急がなければならない。

 というわけで毎日新聞朝日新聞と同じ。「調整」ってなんだよ。

朝日社説 日米関係―首脳会談は組まれたが : asahi.com(朝日新聞社):社説

 今回の来日で、沖縄駐留海兵隊のグアム移転に関する合意を、国会承認が必要な条約にして調印した。これは、日本が民主党政権になった場合でも拘束できるという効果をもつ。
 忘れてはならないのは、グアムへの海兵隊の移転は、普天間飛行場辺野古への移設が進むことが条件としてセットになっていることだ。肝心の沖縄の基地問題について、麻生政権には真剣に取り組む意欲が感じられない。地元との対話を促進しないことには、前に進めない問題だ。

 これね、朝日は麻生政権に投げているけど、「地元との対話を促進しないことには」って沖縄に投げている点では朝日新聞も同じだよ。沖縄になぜ基地があるのかといえば、戦後ヤマトの独立とやらでヤマトの戦後という建前で米軍基地を米軍統治下ということで沖縄に移したということ。つまり、沖縄の米軍基地の大半はナイチからもってきたもの。そしてそれをそのままにしておけというのが朝日新聞の言う「地元との対話を促進しないことには」ということだ。日米安保があり、そしてそれに米軍の駐留が不可欠なら、その主語というのは日本国であって沖縄ではない。そして沖縄の戦後の負担、繰り返し言うけど、戦前戦中の負担じゃなくて、戦後の負担と復帰までの仮の負担対応を思えば、ナイチに移転しろよと思う。それを引き受けるナイチの地方自治体があるのかというならもう日本は国家の体をなしてないよ。全面的にグアムに移転すればすべて円満というなら軍事同盟をなしてない。ついでにいうけど、沖縄は対中国およびシーレーンで重要な位置にあるとかいうのはただのウソ。あそこに必要なのは空軍や自衛隊と連携する情報基地だけであって、海兵隊がリゾートやっている必要なんか皆無。

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沖縄現代史 (岩波新書): 新崎 盛暉
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ヤマトンチュの大罪―日米安保の死角を撃つ!!: 小川 和久
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米軍再編: 江畑 謙介
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むくどり最終便: 池澤 夏樹

朝日社説 財務相辞任―政権の体を成してない : asahi.com(朝日新聞社):社説

 麻生政権が続くのは何のためなのか、それが見えにくくなっている。自民党によるこれ以上の政権たらい回しは許されない。この未曽有の経済危機に対処するためにも、やはり、早期の解散・総選挙で民意に支えられた政権をつくるしかない。

 国民がそう思うならね。ただ、そこでいう国民というのは難しい。国民は日露戦争後の大騒ぎや開戦の大騒ぎ、日米安保反対の大騒ぎ、そうしたものが国民というものでもあるまい。ための解散をしても、理念も見えない民主党と何をするというのだろう。

晴れ

 冬の天気になり、さてと富士山を見ると美しい。とはいえ地面にはイヌフグリが満開になり、もう土筆の季節だろうか、まだ見ていないが。夢は、ITコンサルタントの人と英語の話をしているといったものだった。ディテールがあったが忘れた。というか、けっこう夢を見ているが、覚醒後の思考の流れが強く想起できない。意識と無意識のバランスでいうと意識が強い時期になっている。というか、どうもこのところ、あまり哲学的とでもいうのかそういうことを考えない。やたらとプラクティカルにさくさくと過ごしている。が、がというのは、人生って短いなと思う。30歳のときからもう20年。そしてせいぜいあって自分の人生もあとそのくらいかと思うしさらに年を取るにつれ縮まる感はある。東京に戻ってもう6年だし。ああ、っていう感じだな。そういえばブログも5年半。なんでこんなことしているんだろう。まあ、見るべき程の事をば見つまで生きるものであろうな。

あまりこれも

 言っても詮無い時代になったけど。
 六全協が55年。まあ、共産党革命に希望を持つわけでもないけど、これで、戦後、まず、なにかが終わった。というか、その2年後に私が生まれた。
 ⇒日本共産党第6回全国協議会 - Wikipedia

この六全協で北京にいた徳田球一書記長の死が発表され、第一書記に野坂参三、書記局員に紺野与次郎・志田重男・宮本顕治を選任した。共産党はこれまでの山村工作隊など武装闘争路線に終止符を打ち、所感派と国際派に分裂し、暴力行為や査問と称したリンチも含む激しい対立を繰り広げていた党は統一へのあゆみをはじめた。

 日本共産党を作ったのは、沖縄、名護んちゅう、徳田球一だよ。
 ⇒徳田球一 - Wikipedia

沖縄県名護市出身。「球一」の名は「琉球一の人物」になることを願って付けられた。旧制沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)卒後、旧制第七高等学校に入学するも、教官の琉球出身者に対する差別に反発して退学、苦学して日本大学の夜間部を卒業、弁護士になった。1920年大正9年)、日本社会主義同盟に参加。1921年(大正10年)にソ連を訪問。1922年(大正11年)、非合法の日本共産党結成に参加。

 まあ、彼が作ったといってもいいと思うよ、もちろんすげー反論はあるでしょうけど。ほいでも、日本共産党書記長(初代)は史実だよ。
 そして、あの時代、つまり、敗戦から55年までは、誰もが「徳球」は好きだったよ。みんなが、「徳球」とニックネームで慕ったものだよ。その残映の記憶が私の幼児期にきちんとある。レーニンが糞なほどマルクスの哲学を理解してなくても、彼には大衆を引きつけるもがあったし、大衆の真理を見抜いた。徳球こそが日本のレーニンたりえた人だった。そして、それは、葬り去られた。

出身地である沖縄県名護市のガジュマル公園には、功績を記念して市によって記念碑が建立されている。記念碑には肖像のレリーフとともに「為人民無期待献身(人民のために期待することなく献身する)」と彫刻されており、かつて徳田が好んで使い、書いた言葉である。この記念碑は1998年に公費によって建てられたが、建立に際しては自民党公明党社会党(当時)なども政党を越えて賛成をしたが、共産党は態度を保留していた。

 名護の聖人だよ。比嘉鉄也前名護市長も敬意を表していた。
 そして翌年ハンガリー動乱がおきた。
 ⇒ハンガリー動乱 - Wikipedia
 大池文雄だけがその意味に気が付いた。
 ⇒極東ブログ: ハンガリー動乱と大池文雄
 そして、60年代安保がやってきた。
 吉本隆明は豚箱にぶちこまれた。敗北。
 敗北につぐ敗北。
 そしてこの間、隠された、虐殺につぐ虐殺。理想がどれほど人を殺すものか呆然と眺めるしかなかった。
 ヒトラーだって彼の意識では語ったものは理想だった。そしてそれが虐殺をもたらした。理想を語り、正義を語る者たちが歴史でやってきたことは虐殺だけだった。だったら、ネオコンも含めて、理想だの正義だのに警戒感を持つべきだろうと思うけどね。

日本語なるものがあるかないかとか、滅びるとかとか滅びないとか

 まあ、いろいろ議論するとよいと思うけど。
 ⇒極東ブログ: 「徒然草」を読む
 以前も書いたけど、日本語を40年使って親しんでいたら、いつのまにか、一千年昔くらいまでの日本語はなんとなくわかるようになった。というか、もちろん、読めないところはあるけど、古文がそれでもああ日本語だなと自然にわかるというか。
 もしかすると、沖縄経験もあるかもしれない。
 沖縄の田舎に暮らしていて、うちなーぐちに囲まれていたのだけど、ついぞ、しゃべるどころか聞くこともできなかったが、そのなかに室町時代というか、やまとの古語の感覚をもった。「とぅじ」、とか、ああ、「刀自」か、と。その言葉がいきいきと生きている感覚のなかに、やまとことばの古形の実感というかリアリティを感じたものだった。

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沖縄語の入門―たのしいウチナーグチ: 西岡 敏, 仲原 穣, 伊狩 典子, 中島 由美
 CDを聞いているだけで、うっとりするものがある。

ダルフール危機、JEM動向

 ⇒スーダン政府とダルフール主要武装組織、和平への協定に合意 : NIKKEI NET(日経ネット)

AP通信などによると、スーダン政府と同国西部ダルフールの主要反政府武装組織である「正義と平等運動(JEM)」は17日、今後の和平への枠組みを定めた協定に合意した。カタールを仲介役に同国首都ドーハで行われていた両者による直接交渉の成果。
 ダルフールの紛争でこれまでの和平協議をボイコットしてきたJEMが柔軟姿勢に転じたことで他の勢力も含めた広範な和平会議の実現につながると期待されている。

 ⇒VOA News - UN Security Council Welcomes Darfur Goodwill Agreement
 ⇒Sudan and Darfur Rebel Group Agree to Peace Talks - NYTimes.com
 ⇒BBC NEWS | Africa | A step forward for Darfur peace?

Some experts have serious doubts about whether the accord can be turned into a significant peace settlement for Darfur.

トフティー・トゥニヤズさん、メモ

 ⇒刑期終えウイグル人東大院生釈放 中国 - MSN産経ニュース

 東大大学院に留学中の1998年2月、一時帰国した中国で国家分裂を扇動したとして逮捕された、新疆ウイグル自治区出身のウイグル人男性、トフティ・テュニヤズ氏(49)が10日、11年の刑期を終えて釈放されたことが関係者の話で分かった。同自治区ウルムチ市の刑務所を出所したトフティ氏は姉とともに、警察車両で親族の家に向かったという。 
 トフティ氏は北京大学卒業後、日本に留学し東大でウイグル民族史を研究していた。ウイグルの歴史に関する書物を出版しようとしたことや、一時帰国中に同自治区公文書館で歴史資料をコピーしたことなどを理由に、国家分裂扇動罪に問われ、懲役11年の判決を受けた。
 トフティ氏の逮捕をめぐっては、当初からその不当性が指摘され、無実を信じる東大の教員らが中国の要人に手紙を送るなど救出活動を展開していた。国連人権委員会も2001年5月、トフティ氏への有罪判決は国際人権規約に反するとして、中国に善処を求める勧告を行った。また、昨年5月に中国の胡錦濤国家主席が来日した際、安倍晋三元首相が「無事釈放され、日本に帰ってくることを希望する」と胡主席に直接要請していた。
 トフティ氏の妻のラビヤさん(45)ら家族は日本に在住しており、支援者たちはトフティ氏の東大大学院への復学を希望している。しかし、出獄後のトフティ氏は引き続き中国当局の監視下に置かれる可能性もあり、日本への出国が認められるかどうかは不透明だ。

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):ウイグル人東大院生、中国が釈放 妻「声を聞かせて」 - 国際

 妻のラビヤさん(45)は長男(19)、長女(11)とともにさいたま市に住む。「逮捕当時4カ月だった長女は父を覚えていない。声だけでも聞かせて欲しい」と話している。トフティーさんが早く戻れるよう日本政府にも支援を求めるという。

 ⇒東京新聞:今後も中国で監視か 釈放のウイグル男性 警察、実家に移送:国際(TOKYO Web)

東大大学院に留学中の一九九八年二月、一時帰国した中国で投獄され、十日に釈放されたウイグル人男性、トフティー・トゥニヤズ氏(49)に対し、中国当局は今後も国内での監視を続け、妻ラビヤさん(45)と二人の子どもが住む日本に戻ることを認めない方針とみられる。

 十日の釈放時も、トフティー氏は刑務所前で日本人支援者と対面できず、警察車両で新疆ウイグル自治区西部の実家へ移送された。同氏が潔白を訴えて国際社会の注目が集まることを恐れる当局は、同氏を外国人と接触させず、家族も中国に引き戻そうとしている。
 一方、ラビヤさんは近く日本国籍を取得する見通し。東大もトフティー氏の復学を求めている。同氏の釈放について積極的な発言をしてこなかった日本政府が、日本人配偶者の問題として中国側に働きかければ、情勢が変わる可能性がある。

 ⇒ウイグル族東大院生、出所後初めて妻と電話…公安が監視? : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 中国で国家分裂扇動罪などに問われ、11年間の服役の末に10日出所したウイグル族の東京大大学院生、トフティー・トゥニヤズさん(49)が出所後、さいたま市在住のラビヤさん(45)に電話で、「北京で仕事が用意されている」と伝えていたことが12日明らかになった。

 トフティーさんは「子供たちは元気か。共産党のお陰で無事、実家に着いた」などと話したという。ラビヤさんが「日本で待っているから」と言うと、北京で働く予定を口にしたが、仕事内容については、「私も分からない」と語った。東大への復学の意思を確認する前に、電話は切れたという。
 ラビヤさんは「監視者がいて、言いたいことも言えなかったのだと思う」と話している。

 ⇒Uygur student 'freed' after 11 yrs in China jail : World : DAILY YOMIURI ONLINE (The Daily Yomiuri)

Tohti Tuniyaz, 49, was detained in 1998 over the alleged copying of a list of historical documents at a public records office in the Xinjiang Uygur Autonomous Region and the contents of a book he was preparing to publish.