finalventの日記

2009-05-03

NHK 関口知宏が行く ヨーロッパ鉄道の旅 ギリシャトルコ、見たよ

 ⇒「 関口知宏が行くヨーロッパ鉄道の旅 ギリシャ・トルコ 陽気な人々と神秘の大自然に抱かれて [DVD]: 関口知宏: DVD」

 本もあるのか⇒「 関口知宏が行くギリシャ・トルコ鉄道の旅: 関口 知宏: 本」

 意外と良かった。というか、けっこう感動した。関口知宏、それほど好きでも嫌いでもなかったが、見直した。彼の子供の頃の夢にアテネの光景がなんどもというのは、それはそれで素直な思いが伝わってきた。影絵のあれは、別のNHKので見たことある。

 いろいろ懐かしい風景もあって胸キュンものだった。

 電車のなかで禿おっさんが、一目見て惚れた娘をその場で教会に連れ込んで結婚したんだ、そうでなくちゃ恋は、みたいのがよかった。駅にいる若者がダンスしているのもよかった。人生を楽しみましょうというのも。ギリシアにはああいうところがある。(そうでないところもあるけど。)

 映像で漫然と見ていると暢気な旅だなと思うけど、アテネとか一日しかいなかったわけだな。そういう意味では急ぎ旅だったかも。メテオラも修道院とか見てなげだし。

 北部での食い物が旨いというのはそうかも。ギリシアのタコ、食いたいなぁ。

まあ、きちんと研究してください

 以前からフカされていた話ではあるけど。

 ⇒消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(上) | Chosun Online | 朝鮮日報

 ⇒消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(中) | Chosun Online | 朝鮮日報

 ⇒消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(下) | Chosun Online | 朝鮮日報

 しかし、後世の記録を見ると、朝鮮人琉球列島に漂流し送還された話がかなり登場する。『朝鮮王朝実録』だけを取り上げてみても、「太祖実録」太祖(1397)年条に、9人が琉球に漂着した話があるのをはじめ、明宗元(1546)年までに13件の事例が記録されている。これは、ほとんどが送還された場合の話であり、漂流した例はもっと多かったと考えられる。

 これはそう。

 このあたりの歴史は、民族史というより、地域を滑らかに見ていくとよいと思う。

 その意味ではこれとかも。

cover
中世倭人伝 (岩波新書): 村井 章介

 こういう視点ね。

cover
境界をまたぐ人びと (日本史リブレット): 村井 章介

前近代の「国境」とは、一本の線ではなく、それ自体がある広がりをもった人間活動の場であった。その空間に点在する小島たちは、交通が陸上中心になってしまった今となっては不思議なくらい、大きな顔をして地図上に登場していた。蝦夷・唐人・琉球人・倭寇・海賊・商人など、さまざまな名で呼ばれた「境界をまたぐ人びと」の姿と活動は、都を中心とする視線からはとらえきれない幅広さと多様さにみちている。前近代の国境観念のなかに、現代の領土紛争解決の道を探り、国境をまたぐ海の世界の復権を訴える。

 そしてこの、前近代のあとの近代に何が起きたか。もちろん、民族国家が成立し国家や民族が成立するのだけど、それだけでは近代たりえない、というか、それが近代のなかで支配・被支配に見える境界を作り出すかのように人々をその国家や民族に従属させようという運動が起きる。

 別の切り口でいうと近代の国家・民族の幻想は、陸のテリトリー、そしてそれが海域へも比喩されるわけだけど、海に面した民衆にとって海とは開かれた交通路であって、むしろ、海によってつながっている。

別段国のインフルエンザ対策推進の妨げにはならいんでないの

 これでも⇒最高水準のインフルエンザ対策 - マクロビオティック応用研究所

 妨害になるような指針が特定の宗教集団が出ていると「公」は困るけど、そうでなければあとは別にどうでもいいんじゃないか。

 ホメオパシーについては詳細は知らないが同じようなものではないか。

 むしろ、通常のマスクとかは感染を防ぐことにはならないはず。水際作戦とかも。つまり、迷信みたいなもの。

 いずれにせよ、きちんと国の対策に遵守している分には、それ以外は各人ご勝手に、別段それでいいんじゃないのか。

 ビタミンB群をきちんとマクロビオティックで取るのは難しいかな。

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - 別段国のインフルエンザ対策推進の妨げにはならいんでないの - finalventの日記

 まあ、いろんな意見があってよいけど、私もマクロバイオティックスをやったことがあるので、その点で知っていることがあるけど、マクロバイオティックスといってもいろいろありますよ。たぶん、ホメオパシーにもいろいろあるでしょう。そのいろいろのなかで、他者を多様に見て、そしてどうやって妥協していくかです。

 で、こういうとき、大切なことは、そういう異質の文化、異質の考えの人々と、どのように「公」を打ち立てるかということです。

 そのためには、原則と寛容が必要ですよ。

 排除やそのための「正義」というのは、「公」の利益からできるだけ柔軟に考えるべきですよ。

繰り返すこと

 ⇒ゆとり世代の未来が明るいただ1つの理由

わたしたちは、平成の大不況による「ロストジェネレーション」の次の次くらいの世代です。失われた時代に幼少期を迎え、ファミコンがすごく古めかしいシロモノに見えて、物心ついたときはITバブルで、小中学生からカメラ付きケータイを持ち、ハチロク世代以上に情報機器と融和した生活をしてきて、受験勉強をしながらサブプライムの崩壊と世界同時不況を眺めてきた、という世代です。

 もしかするともっとすごい歴史の本性といったものをいつか見ることがあるかもしれないよ。

 さて、その、わたしたちゆとり世代の未来(「日本の未来」とも言えますが)は非常に明るいものであると思っています。

 理由はとても簡単です。

 わたしたちが社会に出る頃には、すでに団塊の方々が引退してくれているからです。

 現在50〜60代の彼らが、団塊ジュニア層に日本の「支配者ポスト」と「既得権益」を渡すその瞬間が、日本が変わり始める瞬間になるのです。わたしたちが生きる日本を地に落とし、ロスジェネを生み、現在の社会問題の大半を生み出したのは、団塊の世代です。

 まあ、似たようなことを団塊世代が戦中世代に言っていた。私は子供ながらにそれを見ていた。そしてそれがどのように終わるかを見ている。

 歴史はたぶん繰り返す。

 その愚かさを見えるころ私はこの世界はいないと思うけど。

忌野清志郎さん死す

 ⇒忌野清志郎さん死す…突然の他界に衝撃広がる(芸能) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

 ロック歌手の忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため都内の病院で死去した。58歳だった。06年7月に喉頭(こうとう)がんを公表。闘病生活に入ってから一時復帰したが、08年7月に腰に転移したことが分かり、再び活動を休止していた。最近は世界マラソンに挑戦中の間寛平(59)に応援歌を提供するなどしており、突然の他界に関係者は大きなショックを受けている。

 私の回りにはなにかと清志郎のファンが多かったように思う。私は嫌いでも好きでもない。上手だと思う。人のタイプが私と違い過ぎるのかあるいは無意識的に似ているのか、あまり関心がなかった。

 ちょっと泣ける⇒YouTube - HIS - 500mile [2005] - 2006

「騒ぎすぎ」が問題ではなくて

---------------------------------------------------------

追記

誤解されてもと思い一旦削除したのですが、追記して戻します。このエントリは玄倉川さんのエントリ「「騒ぎすぎ」の害 」(参照)を読んで、ああ、それは違うなと思って軽くメモ風に書いたものです(なので実際以下の8行のみ)。後に玄倉川さんから、なぜリンクをしないのかと問われて、リンクを追記しました。当初なぜリンクを付けなかったかといえば、それほど異論というほどでもないし、また、内容的に異論の文脈で読まれなくてもよいのではないかと思ったからでした。なお、玄倉川さんからはこのエントリは「パクリ」だとのご指摘もありましたが、内容的にパクリというものではないと思います。啓発されたネタ元なのに明記されないことが「これはひどい」ということかとは思いますし、玄倉川さんがそのような認識をもっていらっしゃるのは了解しました。その点は失礼なことをしたかなと思います。申し訳ありませんでした。

----------------------------------------------------------

 「騒ぎすぎ」という一般論が問題なのではなく、個々の問題がある。 

 個別の問題にどれだけ基本的・背景的な知識があるかという問題。

今日の大手紙社説

 特になし。

毎日社説 社説:憲法記念日に考える もっと魅力的な日本に - 毎日jp(毎日新聞)

 駐日米大使に、ハーバード大学ジョセフ・ナイ教授が任命されるという。ナイ氏はクリントン政権で国防次官補を務めた。冷戦後に日米安全保障条約の存在意義が問われ経済面では通商摩擦が激化した。そうした日米関係の危機を救ったのがナイ氏の「日米安保再定義」だ。

 日米関係の危機を救ったナイ氏⇒沖縄タイムス 特集 新・基地縮小論 兵力削減の行方

 米兵による暴行事件が発生した直後の1995年10月27日、米連邦議会沖縄基地問題を取り上げた外交委員会が開かれた。アジア太平洋地域の駐留米軍10万人の維持を基軸とする「新・東アジア戦略構想(通称・ナイリポート)」を書いたジョセフ・ナイ前国防次官補代理が同委員会でこう証言した。

 「日本政府は『再軍備核兵器開発に必要な技術と能力を日本は保有しているが、それを自主規制できる日米安保体制を今後も維持したい』との意向を明確に伝えている。こうした日本の自主規制的な安保政策を可能にしているのが米軍の駐留であり、今後もこの体制維持を日本は希望している」

読売社説 デフレ兆候群 早期治療で深刻化を防げ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 デフレは経済を萎(い)縮(しゅく)させる難病だ。「失われた10年」のように初期の手当てを誤ると重症化し、完治に時間がかかる。早期治療が肝要である。

 まず、需要不足を補うため、追加経済対策の着実な実施が欠かせない。補正予算と関連法案の成立を急がねばならない。

 足りなそうだけどね。

 日銀がかつて、消費者物価が下落を脱するまで量的緩和策を続けると表明したように、金融緩和継続の基準を明示すれば、弱気の払拭(ふっしょく)に役立とう。

 ゼロ金利政策の復活や量的緩和策の拡大など、大胆な金融政策を検討すべき時ではないか。

 あ、ここで終わってら。

朝日社説 憲法記念日に―貧困、人権、平和を考える : asahi.com(朝日新聞社)

 貧しかった昔は、平和、人権、貧困の順ではなかったかな。

 昨年暮れから正月にかけて、東京日比谷公園にできた年越し派遣村自動車や家電企業から突然首を切られ、転がり込んできた労働者らが炊き出しの食事で命をつないだ。

 日比谷で認可されたのが珍しいけど、越冬闘争は年中行事だが。

 むろん、途上国の貧困と、世界第2の経済大国の豊かさの中で起きるさまざまな現象を同一には論じられない。

 そりゃね。

 かつての日本に、もっとひどい「貧困」の時代があった。

■安定社会への見取り図

 昭和初期。漁業の過酷な現場で働く若者の姿を描いた小林多喜二の小説「蟹工船」が発表されたのは1929年。金融恐慌が始まった年だった。日本でも経済が大打撃を受け、都市には失業者があふれ、農村は困窮して大陸への移住も盛んになった。

 そうした社会不安の中に政治テロ軍部の台頭、暴走が重なり、日本は戦争と破滅へ突き進んでいく。

 みんなビンボが悪いんだ、と。これは結果論だけどね。貧困というより恐慌の問題(一生懸命軍縮もしていた)。

 憲法の描く社会の見取り図は明確だ。自由な経済活動によって豊かな社会を実現し、貧困を追放する。同時に国民は平等であり、教育や労働といった権利が保障される。

 憲法の見取り図は、日本人は暴虐な政府のためにひどい目にあったが、(アメリカ様が解放してくれたので)、民主主義の国家を作り、平和の理想の範として世界から尊敬されたいよ、と。

 こんなしんどい時だからこそ、憲法の前文を思い起こしたい。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 北朝鮮の国民を援助しないと。

曇り

 朝方騒がしい。なにか世間で行事でもあるのだろうか。昨晩は半徹。読んでいた本が面白くて止まらない。読了。軽くグリーワインを飲んでもなかなか寝れなかった。

最新コメント一覧