2009-05-04
■NHK シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第1回 古代 人々は海峡を越えた、見たよ
⇒ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第1回 古代 人々は海峡を越えた
存外に面白かった。比較的近年の発掘などが興味深かった。
笛木優子という女優?の微妙に心を閉ざしたような感じがよかった。
笛木 優子(ふえき ゆうこ、1979年6月21日 - )は、東京都出身の女優。所属事務所はオスカープロモーション。初期の芸名は笛木 夕子(読み同じ)。韓国でも活動し、芸名のユミン(유민)として知られる。
へぇ。
■もうちょっと
加藤典洋の「敗戦後論」が、まあ、一見重要な提起に見えて、結果的にはあっさり失敗してしまったかもしれないのは、「自国の戦死者を先に追悼する」という「先」もだが、追悼するのなかに、微妙に招魂思想的なナショナリズムの緩和な維持装置になってしまう点ではないか。
緩和というなら、靖国はダメだがフランス風の国家追悼(宗教的)施設ならよいとかもある。ただ、それで現実的な解答かとも思うが、根の問題は、いずれ解決はしないだろう。
加藤が提出した問題で、加藤も意識していただろうが、「自国の戦死者」というとき、自国は加害者でありそれで殺された人はどうか、というのは出てくる。もちろん、加藤もそれを考え抜いて先の命題になっているのだが、このあたりも議論としては、循環するし、ちょっとメタ的に考えるなら、他国の被害者を追悼する=自国の加害意識を永遠に国家に結びつけて保持せよ、というのも、実際には、追悼と同じような宗教的な意味合いを介してナショナリズムの維持装置になってしまう。というか、これは実際には、米国と日本の関係においては加害と被害は綾を成す。
ちょっと思考実験的な言い方をすれば、原爆で殺された人は加害者か被害者か。そのどちらでもありうるし、その追悼によってなにが維持されているのか。
これはちょっと微妙な言い方だが、「英霊」は、日本加害の構図でいえば、間違った思想の自己責任で死んだか、騙されて死んだ被害者かということだが、その死自体には、意味はない。すべての死に意味がないというまで拡大せずに、戦争の加害の死には意味がないという立場はありうる。が、では被害だけが意味があるかというと、先の思考回路に陥る。
この先が非常に難しいのだが、戦争の死とは加害であろうが被害であろうがその循環であろうが、死そのもの本質とは別に、やはり意味がないのだというとき、国家は死滅しているように感じられる。
現実問題として、個々の私たちにおいては、国民として抽象化された部分については国家の問題へ集約されるため、個人の死にはやはり国家的な意味は受容できない。これは現実的な感性でもあり、よって、具体的な生活の場においては問題はないとも言える。
まあ、その個人というもの抽象性(疎外性)には、理念的には国家の死滅が内包されていると見てよいのではないかなと思う。
し、ようするに、同胞というか国家に所属する人を自己の永世の投影と見るのではなく、友愛の投影として見るということではあるのだろう。
まあ、この問題がうまく解けるわけではないが。
■ちょっと構造機能的に考えてみると
以前にも書いたが、民族意識というのは、子孫のなかに自己の永世を見るという、いわば輪廻思想の変形みたいなものだが、それが民族として国家に集約されれば、永世を見たいと願う死者たちは民族の国に招魂されてしまうというのは、そう考えてみると、ごく普通の論理ではあるな(ちなみに私自身はこうした宗教観は持っていない、というか、一種のモデルとしてそう述べているだけ)。
こうしてみると、マックス・ウェーバーが方法論的に宗教社会学において来世意識のモデルを置いたというのは、やはり賢いモデルの立て方というのはある。ただ、ウェーバーにとって民族というのはそれほど相対化されていなかったようには見えるが。
このモデルと一神教については、ユダヤ教のようにもっと直接的に子孫の繁栄と約束された土地(国家)という幻想における、時間的な証人のような意味が強いのだろう。その意味で、日本の「万世一系」とやらの天皇もその点からは似たようなものだろう。し、そういうふうに機能してしまったのが戦中の宗教的な情熱でもあったのだろう。
以上のモデルにあとはどう言霊信仰が嵌るかだが、機能的には天皇=無私の人=言霊、というふうにはなるか。これに対して、一神教においては、言葉=誰の言葉=その人の呪術的創造力、ということかな。
ついでに。
「科学」とやらも、実際には「誰の言葉」が科学者集団ということで、一神教的な呪術的な集団力の一種の亜種ではあるのだろうな。
骨信仰みたいのは、どういうふうに嵌るか? そういえば、一神教でも儒教でも骨ではなく、死体が重要で、死者の永世は死体と結びついている。日本の場合、早々にというか古代から骨の信仰はあるようなので、死体は死後の幻想にそのままには結びつかない。その分、骨信仰というのは異界・来世においては身体を否定しているのだろう。日本人が意外とあっさり身体を否定して死んでしまう傾向があるのもそういうベースからかな。
■言霊思想と招魂思想
いや大したこと書く気はないしし大したこと書ける知識もないが。
言霊思想というのは、日本の場合、古代からありそうだし、これはけっこうどこの国でも未開においてはありそうだ。
モデルとしては、やはり憑依者が私心を失うことで言葉が真(リアル)になるというのがあるだろう。まあ、もっとエネルギーモデルみたいにして、魔法の言葉が現実にというのがあるけど、その大魔術師はというと、知識と血統とそして私心を失う憑依の能力ではないかな。ハリポタなんかも考えてみると血統だな。
西欧においても言霊思想というのはあるのだろうと思うが、つらつらとギリシア古典とか聖書とか思い出しても、ああ、あれかなというのはあまり思い浮かばない。ヘブライ・キリスト教的な世界では言葉というのは、まさにそれによって神が創造する、つまり、光あれと言ったという言葉、つまり、神の言葉に創造のすべてがかかっているから、言葉は神であり、最初に言葉ありきであり、だから言葉こそはキリストであるという思想が出てくる。
新約などでは、誰の言葉か、が問題でもあるから、西欧においては、誰の言葉かということで、言葉に誰がパッケージ化した形で外化されるものかもしれない(なんとかの名においてなんたらとか)。中国とかだとそれが秘伝とかなるのだろうか。日本だと、さて、そういうのはあるかな。
招魂思想だが、これは、古代にはないっぽい。ヤマトタケルとか白鳥伝説にないこともないかとは思うが、中世にはなさそう。逆に中国の場合はある、というか、これは儒教、つまり道教思想の一種なのだろう。宋学あたりを元に、明の亡命者が日本に撒いた思想なんだろうとは思うが、それなりに日本でも受容の素地はあったのだろう。
靖国神社などは、まあ、厳密にはあれは位牌じゃないとか言う人もいるが、ぶっちゃけ位牌なわけだが、それでもさすがに骨を祭っているわけではない。最近ではさすがに戦地や沖縄の遺骨収集が衰退しているが、日本近代においては招魂思想は骨信仰に結びついている。仏教の舎利の思想も影響しているかもしれないが、実際に私も父親を焼いてみた感じでは、ああ、骨がその人だという情感のようなものあった。
日本人でも死ねばゴミになると豪語する人もいるし、親鸞なども死んだら鴨川に投げて魚を餌とせよとしているが、どうも骨への情感のようなものはあり、それは私にもあるな。というか、人は死んだら骨になるというのは、微妙に唯物論的な心情でもなく、無神論とも言い難い。
言霊思想や招魂思想というのは、基本的には未開の宗教心理ともいえるが、まあそうとも言い切れないし、どうやらこれらは、一神教思想とは相容れないものはありそうだ。まったくのアマルガムができないわけでもないだろうが。
似たような奇っ怪なものは、あとは輪廻思想くらいなものか。これはどうも人間の基本的な生命観や自我意識に根ざしているようで、これもやっかいな問題だ。と、同時マックス・ウェーバーが方法論的に使った来世思想もあるだろう。
このあたりの宗教的な心情の構造機能論みたいなものはありそうだし、誰かやっているのかもしれないが、どうなんだろうか。
■リアリティとか、その2
そういえば先日米国某大手企業のCEOの講演会なんぞを聞に行ったのだけど、話のなかで、よく、in realityというフレーズが出てきた。
我々はこのように考えがちだが、しかし、in reality……現実はそうではない、という文脈だった。
ちょっとCobuildをひいてみると、
The reality of a situation is the truth about it, especially when it is unpleasant or difficult to deal with.
が出てくるあたりさすがだと思うけど、unpleasant or difficult to deal with というのが、realityではあるわけだ。
そして、CEOが言うように、それは予想しづらいし、現状では見えづらいという含みがあり、ここでも、似ている。
(なのでたぶん、この向き合うrealityはマルクス的な意味での「自然」も隣接していると思うが。)
しいていうと日本語だと「現実」というと、「理想」との対比のようだけど、英語のin realityは、やはりphenomenaに隠されているという含みはありそうだ。
と、いうところでふと気がついたが。
in reality and in name、というフレーズがある。「名実ともに」ということだが。ただ、in nameというだけは使わないように思う。
これは、nominalで使う。nominal rate of interestとか。ここでは「名目」と訳すが、工学などでは「公称」。
「名前では」こうだが、「リアリティでは」こうだ、みたいな発想が欧米にはある。
なので、欧米の思想には、名前を正しくせい、というのが執拗にある。リアリティから乖離させるなというオブセッションかもしれない。ただ反面で、修辞がある。昨今の例では、れいのlegacyとか。
日本の場合、名前というのは、もちろん、修辞でもあるのだけど、どうもリアリティの重石のようなものはなくて、それぞれがTPO的に適切な現れを指しているように思える。あれだ、言いたいことはわかるが、その言い方はねーだろ、的世界。
西欧の場合、名前による言明が、その本人の名という署名によってリアリティの重石になる、つまり証言ということだけど、日本の場合は、名前による言明は、その場の空気にどんだけ合致しているかということで、署名というのは空気への従属なんだろう、しいて言えばだけど。
(なので西欧の場合、署名は実際にはその身体を指し、偽証にその身体を質に取るようなところがある。)
なので、日本とかだと「証言」を支えるリアリティというのはなくなってしまう。(偽証ではなく、あのときはああ言うしかなかった、すまん、みたいな。)
というか、日本語論にしてはいけないのだけど、誰に向かって言ってんだおらおらぁみたいのから自由にリアリティの重石だけで言明するということがしづらいのだろう。
まあ、言語か文化とかいうものがそう支配的というわけではないが、このあたり、とても簡単だがどうにも西欧と日本で、彼我の差とは言い難い深淵のようなものがあるなと思う。
もうちょっと言うと。
西欧の場合、リアリティはぶっちゃけ神に関係しているけど、日本の場合、それは言明との関係性だから、如何に自身が純真であり正義であるかというという自己無化的な私心無きことに結びついているのではないかな。つうか、「私心」という言葉もすごいものがあるが。
■日本は資源のない国とか言われるけど
資源はあるんですよ。human resourcesが。
識字率が高く、そしてさらに均質で高度な教育を受けた国民を1億人抱えている国というのは、世界にはないし、たぶん、出てこないんじゃないかと思う。(コンビニで人募集するとほいっとできてしまう国というのはそうはない。)
なので、それをどう使うかということ。
で、どう使うかというのは、対外的にどう使うかということになる。
というのは、いわゆるエネルギー資源とか食物とかは、日本にはない。これらは一定量は国家の安全保障に関係するけど、安全保障という点で見るなら、それ自体ではなく、自由貿易が世界に成立しているかどうかいうこと。
なので、ごく簡単にいえば、日本が存立するには、
- 自由貿易があること
- 人的資源を対外的に活用できること
となる。
ただ、このモデルはなんとなく、戦後の日本復興的なイメージがあるけど、未来的には、日本の人的資源というのは、消費、しかも、高度な、知的な消費であり、その消費の反面として他国に生産を促すような仕組みにすることではないか、と思う。
まあ、この話は以前にもなんどか書いた気がするけど。
追記
⇒はてなブックマーク - 日本は資源のない国とか言われるけど - finalventの日記
hit-and-run ここまで目新しくない主張をするブログも珍しい。要するにイノベーションってことでしょ。 2009/05/04
「要するにイノベーションってことでしょ」とすると「ここまで目新しくない主張をするブログ」になるのはそうですね。
まあ、特段目新しいことではないけど、私が言いたかった含みの部分を言うと、自由貿易を維持するのに日本は必死になるよ、というのと、内外をつなぐ人材が重要になるよということでした。
■リアリティとか
⇒「リアリティ」はなんて訳す? 訳し方はひとつじゃないはずだ! - ピアノ・ファイア
直接的な話題ではないけど。
realityというのは、もちろん、日常的な文脈もあって、英英辞書などにもそう出てくるのだけど、原義というか、言葉の根の部分には、今目に見えるものから隠されている真実、という含みがあるのだろうと思う。
ある意味、あったりまえで、ハイデガー的な批判系列から出尽くしの感はあるけど。というか、ハイデガーはrealityについて動的な見方をしているようだけど。
で。
基本的には、realというのは、phenomena(現象)に対応している。
で、現象というのは、感覚(sense)に対応しているわけで、目で見て触って、おおこれが本物だというrealityというのは、phenomenaなんです、というあたりに、西欧的な思想の奇妙な根っこがある。
realityというのはphenomenaとの関係にあっていちおう隠れている(そうじゃないんだという哲学もあり)。
ついでにいうと、-ismというのは、日本では「主義」とかつい訳されるけど、これも、phenomenaの語感がある。
で。
virtualは、「仮想」と訳すし、英英辞書でもそれでよいのだけど、根としては、phenomenaがrealに想定されるsenseのありかたみたいなもので、仮想だから幻想というわけでもない。
さらにやっかいなんだけど。
「幻想」というのは、吉本隆明とかいう場合、夢は幻想、という意味じゃなくて、精神が思考や感覚から疎外・外化された実体に近い。
戻して。
phenomenaがsense(感覚)に依存しているのだけど、realityはsense(意味・理性)に依存している。このsenseの多義性みたいのも、また、西欧の考え方の奇妙なところ。
ちなみに、じゃあ、東洋というか日本ではというと。
realityというのは、おそらく「名前(言葉)」の共同性的なものへの心情的な追認ではないかと思う。簡単にいうと、みんながその名で呼んでいるなら、realとして振る舞うという、振る舞いの問題ではないかな。ヴィトゲンシュタイの言語ゲームというのは、日本人にとってはそれが自明な世界。
■「公」というのは、許容を元にした、原則と対話から生まれるのではないかと思うのですよ
⇒はてなブックマーク - parallel-worldのブックマーク
parallel-world ニセ科学, 宗教, 社会 宗教は尊重します。カルトは批判します。なぜなら、正常な論理的思考とリテラシー能力を奪うので。「公」にとって不利益をもたらします。 2009/05/04
直接的な批判ではないけど、「カルト」が「正常な論理的思考とリテラシー能力を奪う」だから、「「公」にとって不利益をもたら」す、というのは、違うのではないかと思うのですよ。
そういう発言のスタンスは、「正常な論理的思考とリテラシー能力」にあるのだけど、そのスタンスの一種の無謬性のような無前提な自明前提を置いているけど、問題はそれをどう機構的に批判できるかなんですよ。
簡単にいうと、「自分は正常な論理的思考とリテラシー能力がある」という人に「正常な論理的思考とリテラシー能力」があるとは限らない、という問題を前提に据えたとき、「公」とはどう見えるかということ。
私としては、許容を元にした、原則と対話から生まれるのではないかと思うのですよ。
■これ以前から知られていることだが
【衝撃事件の核心】仰天の埋蔵金! 長野の下水から「お宝」がザクザク出てきて… (1/5ページ) - MSN産経ニュース
周辺の6市町村から流れ込む下水に、大量の金が含まれていることが判明したのだ。
記事中にも。
県では昨年10月から、1年分の溶融飛灰約5トンを愛媛県の精錬業者に売り始めた。
■毎日社説 社説:視点 清水さんの自殺=論説委員 野沢和弘 - 毎日jp(毎日新聞)
純然たる社説ということでもないのだろうが、こういう話はどうだろうかと思った。
清水さんは幼いころ父を亡くし、母の手一つで育てられた。その母が衰えて認知症が出てきたとき、芸能界を引退して自分で介護することを決めた気持ちが胸に重く響く。面会に来る人もなく捨てられたように高齢者施設にいる人々のことを思うと、清水さんのような介護者を悲劇へ追い込む社会はあまりにやるせないではないか。
私もそうは思うが、この話をそうとだけ見てよいのかはためらう。まして、それを新聞にしかも社説に準じるところに書いてしまうというのはどうなんだろうか。
■朝日社説 行政のIT化―政府全体で考えねば : asahi.com(朝日新聞社)
現実は、複数の役所が同じような構想を好き勝手に検討している。全体像を欠いたままのIT化は、国民の理解も得られない。「住基ネット」の失敗がいい例だ。多少時間がかかるかも知れないが、役所間の垣根を越えて政府全体で検討する体制を作るべきだ。
マスターキーがあればあとはみなリレーションなんで、「失敗」かどうか。
■曇り
連休は続くということころか。今朝は静かだ。夢は覚えていない。
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