finalventの日記

2009-05-31

今日の大手紙社説

 特になし。北朝鮮の現状の動向には触れてない。

日経春秋 春秋(5/31)

蔦(つた)のからまるチャペルで……。これだけでもう、ある年齢以上の方々は、ハミングが始まってしまったのではないか。ペギー葉山さんのヒット曲「学生時代」だ。この春、東京渋谷青山学院大学の構内に歌詞を刻んだ碑ができた。

 厚木キャンパスというのもあったな。

日経社説 雇用安定へ短期と長期の政策総動員を(5/31) : NIKKEI NET(日経ネット)

 また、介護など長期にわたり人材の確保が必要な分野は報酬制度などの抜本的な改革が避けられない。介護報酬は今年度当初予算で3%引き上げ、補正予算でさらに処遇を改善するための時限的な基金創設を決めたが、ともに主な財源は国債だ。長続きさせるには保険料の大幅な見直しなどの改革が欠かせない。

 そのあたりが消費税導入にもなるというわけなのだろう。

産経社説 【主張】卑弥呼の墓 歴史と科学のよき関係を - MSN産経ニュース

 NHK7でも見たが、ばかばかしい話だ。いや、考古学がばかばかしいというのではなく、卑弥呼の墓という議論が。卑弥呼に特定するには墓碑がでなくてはならない。出るわけもないだろう。であれば、卑弥呼の墓であるとするに妥当な条件が問われなければならないが、東夷条における没年の類似性だけだ。まあ、王権として当時最大であり、没年が近ければそうだと思いたくはなるだろうが。

 邪馬台国の所在地論争に決着がつくなら、専門家ならずとも大きな話題だが、ここは「少し冷静に」と呼びかけたい。科学的なデータは百パーセント正しいとは限らないからだ。サンプルの取り方や、測定方法によって誤差が生じることもある。さらなる蓄積を待ち、専門家がじっくりと議論して結論を出しても遅くはない。

 というのも、考古学の世界では9年前、前期・中期旧石器の遺跡と遺物が捏造(ねつぞう)された苦い経験がある。教科書は書き直され、国の史跡は解除された。人為的な事件だったが、互いに検証することを怠り、捏造を見抜けなかった関係者の責任は小さくない。

 考古学に自然科学の「目」を持ち込むことは有意義だ。だが、先端科学と考古学はもともとなじみにくい部分を持った学問である。科学的データに対し、考古学者は口をさしはさみにくい雰囲気もある。互いに議論を尽くし、2つの学問の「よき関係」を作り上げる努力をすべきである。

 このあたりの話は、考古学プロパーは泣いちゃうところだろうな。

毎日社説 社説:安保理の対応 中国巻き込み実効性を - 毎日jp(毎日新聞)

 核施設再稼働や大陸間弾道弾(ICBM)発射の動きをみせる北朝鮮に対しては強い内容の決議が必要だ。中国を巻き込まなければ実効ある制裁はできない。中国はまだ見解を明らかにしていないようだが、もし貨物検査や金融制裁に反対するなら、それに代わる効果的な措置を示すべきである。

 中国が動くなら問題のスジは変わる。たぶん、動かない。「それに代わる効果的な措置」は修辞でしかないのだが、イザヤ・ベンサンのいうように空名なれど名あれば応ありという日本教的な展開にならなければよいが。

読売社説 改正薬事法施行 ネット販売の秩序ある拡大を : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 問題のディテールには踏み込んでいないが、ありがちな間違いもなく、ごく妥当なところ。実際には、2類にアセチルサリチル酸が含まれているあたりの微妙な問題がある。

朝日社説 雇用危機―住まいの安全網にも力を : asahi.com(朝日新聞社)

 公営住宅の建設は抑えられたままでいいか。政府自治体が家賃差額を補助して、民間賃貸住宅を低家賃で供給してもらう制度を拡充してはどうか。生活保護にいたる前の支援策として、公的な住宅手当の仕組みが必要ではないか。こうした議論も深めるべきだ。

 執筆子は東京郊外、また中都市圏郊外の、S40年代に作成された公共住宅の状況を知らないのではないか。住居率は20%を割っているようにしか見えない。

曇り

 天気図を見ると低気圧が6つくらいある。午後は雨だろうか。夢は覚えていない。未明あたりにしばし覚醒して、そして自分が誰でそこがどこだか失念していた。若い頃はよくそういうことがあった。意識だけが覚醒して記憶は眠っているようだった。脳のなかで記憶を探ろう、私が誰であるかを思い出そうとする反面、いやこれでよい、もう私は私を想起しなくてよいという意識が起きた。そしてまた眠ったようだった。

 目がさめてからしばらく、アーレントの思想を考えていた。夢の連続ではないのだろうが、自分のアーレント理解が間違っていることに気がついていた。2点。世界観政党よりも現実の利害の政争でよいのだということと、プライベートの両義性、あるいはプライベートは非政治的であること。このあたりの整理は、自分では吉本・マルクスヘーゲルの線の枠組みで考え過ぎていたなと思う。

 アーレントの思想は巧妙にアダム・スミスなども継承しているようで、そのあたりの政治学を整理したい気持ちはある。ただ、彼女のルソー理解は比較的単純なレベルで間違っているようでもある。民法的な問題意識はないのかもしれない。また、sovereigntyの意識もないようには見える。が、このあたりはれいの革命の問題でもあり、革命権の問題でもある。

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