朝日社説 asahi.com(朝日新聞社):社説 2009年6月25日(木)沖縄戦の記憶―「声の礎」を刻み続けたいを

 沖縄で修学旅行をガイドする「沖縄平和ネットワーク」は、かつての戦場を背景に、体験者の証言を映像と音声で残す取り組みを進める。

 それはいいことなんだが、確か私の沖縄生活での記憶だが、以前もこうした取り組みはやっていて書き起こしされていない録音テープが大量に結局破棄されたことがあったような。ああ、もったいないなと痛切に思ったことがあるので記憶に残っている。その関連だったか、誰か関連の人に書き起こしくらすればいいのにときいたのだが、若い人はウチナーグチわからんからねみたいな回答もあった。非難して言うのではないが聴き取り側も昔のウチナーグチがよくわかってないのと、聴き取りの要領を得てないようだった。
 連想で思い出すのだが、私自身がなんとなくおりに触れて沖縄戦のことを聞いたときの印象だがどうも公式な答えというのと、酒席での答えが違う。前者嘘というのではないが、後者は笑いのなかにどうしようもない悲惨がある。ほらなんとかのへこみのあの下はガマであそこになんとかの家族が全員埋まっているはずだが、もう掘れないかなねみたいな話もあった。いろいろ思い出すことはあるな。
 以前もちょっと書いたが、新報にオバーが笑ってブイというのがあり、どっちかいうとオバーたちは戦後の生活の苦しさのなかで笑いを取るような話があったが、あそこから透けて見える沖縄戦というのもあった。
 村落史などもおりに触れて読んだが、え?これって研究されているのとかいう話もあったし、どうも現在公式にされている米軍の動きではない証言などもあった。わからないことは相当にあるなと思った。

 戦争とは何か。今も世界各地にある戦争や紛争とどう向き合うべきなのか。沖縄戦の記憶を共有し、それを学ぶことは、国のゆくえを見定めるうえでも欠かせない。

 そうやって年中行事でナイチャーがやってきて暑い中行進して、ウチナーンチュは参加しないのですかとかぐちをこぼすが、オジーたちは年に数度手弁当で骨掘りとかしているのだよと思った。数年沖縄に暮らしているうちに、ああ、ナイチャーがまたいるなと風景を見るように関心をもたなくなってきた。シマにやってきて出るさだめの人にはシマはわからんでしょと思った。そう思った私がシマを出ることにはなった。
 8年も暮らしたし、オジーオバーに関心を比較的持っていて、その頃は、みんな長命だなと思ったが、それでも10年経てばあの人たちもこの世を去っていった。もっと聞いておけばよかったと悔やまれるというのと、聞くといっても質問して録音というわけにはいかない。野リスに慣れるようにという言い方も変だが、オジーオバーとじっとサンピン茶を飲みサーター囓って過ごす長い沈黙の時間があった。それからサーター作りの話とか収容所の話とか聞いて、その全体のシマの風みたいのもののなかでこの人たちは生きのびたんだという実感を感じた。戦争体験の言葉というものはそうした全体のなかでしか出てこないものかもしれない。