今日の大手紙社説
ベルリンの壁崩壊の話。放言で言うけど、戯けた夢想が社説に掲げられていた。
⇒ベルリンの壁崩壊の陰の三人から日本人が学ぶべきこと: 極東ブログ
産経社説 【主張】新型インフル 治療の提供こそ対策の要 - MSN産経ニュース
何が言いたいのか私にはわからなかった。
⇒爆笑問題のニッポンの教養 | 過去放送記録 | FILE090:「新型インフルエンザの真実」 | 河岡義裕(かわおかよしひろ) | 2009年11月3日放送分
河岡先生が、タミフルを控えたことの損失はわからないと懸念を表明していた。
毎日社説 社説:冷戦終結20年 問われる日本の戦略 新たな「壁」作らぬ努力を - 毎日jp(毎日新聞)
だが、9・11への同情を追い風にアフガニスタンからイラクへと軍事行動を続けた米ブッシュ政権も、テロの背景にあるイスラム過激主義の危険性を取り除くことはできなかった。むしろ世界は、米国のユニラテラリズム(単独行動主義)とネオコン(新保守主義派)の単純さに嫌気がさして多極化へと向かうのだ。
世界の変化は、国際協調を重視するオバマ政権の発足によって加速した。
一瞬、田中宇さんのコピペでも混入したのかと思った。
湾岸戦争では金銭支援に終始した日本は、イラク戦争で自衛隊を南部サマワに派遣した。当時の小泉政権は「世界の中の日米同盟」という言葉も使った。いま「親米派」からは鳩山政権の「東アジア共同体」構想について、「米国に背を向けるのか」という声も出る。だが、日本がアジアで指導力を発揮すると、なぜ対米関係を損なうことになるのか。時代の変化に対応せず、ただ米国のそばにいるだけなら、米国の負担ともなりかねない。
これが大手紙に掲載される社説なんだから、シーレーンは中国様に依存するかね。島国日本のライフラインはシーレーンにあり、そこは、米国か中国か、あるいはインドを筆頭とした乱立か、その3つくらいしか選択はない。どれを選ぶかシナリオで考えてみればよいのに。
薄曇り
ぼんやりとした朝。巨人が優勝したとかいう話を聞く。はぁ?と思っていると、スーパーが安売りをするらしい。夢は覚えていない。
ちょこっと
⇒世の中怪しい言語学を唱えた者勝ちらしい - killhiguchiのお友達を作ろう
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torin 揉め事 これだけ「信夫の誤りを批判すべき」という内容を重量級の長文で書いてあるのに肝心の「信夫の何が間違ってるのか」は一語たりとも書いてない。ある意味凄い/まず自分で啓蒙すべきじゃね? 2009/11/08
私も元エントリを見たいけど、批判点がわからんかった。
karpa 池田信夫先生のすばらしさについて / id:torin 池田氏の内容は疲れさうなので読んでませんが,そのエントリの冒頭にあった書影のある本への批判は,わたしぢゃないですが,ひとまづ d:id:dlit:20090731:1249009614 をご覧ください 2009/11/08
批判するなら、読んだほうがいいと思うが。
ほいで⇒ん?(レビューじゃないです) - 思索の海
ざっと見る限り生成文法との対決は別にこの本の主張とは関係無さそうなので、書かなきゃいいのに。(専門ではなくても、懐疑主義や擬似科学(批判)に馴染みがある方は、この言い切りっぷりに怪しさを感じると思います。)
生成文法を理解するにはかなりの素養を必要とするので、一般の人に言っても無理ですよ。
こんなの売っているレベルなんだもの⇒「 チョムスキー (岩波現代文庫): 田中 克彦: 本」
ちなみに⇒極東ブログ: 山形浩生の書評から雑感
話戻って。「怪しい言語学」というけど、生成文法のUG仮説なども、他の学派からは相当に怪しい仮説と見なされているし、そもそも生成文法は、他の科学分野と方法論を別にしていて、そのあたりから難しい議論がある。
方法論についてはこのあたり⇒「 デカルト派言語学―合理主義思想の歴史の一章: ノーム チョムスキー, Noam Chomsky, 川本 茂雄: 本」
生成文法における科学の議論については、一般にはこのあたりを踏まえてないと。
自然科学としての言語学―生成文法とは何か: 福井 直樹 |
「怪しい言語学」は、生成文法の規定となったハリスあたりの構造主義くらいまでの射程では議論できるけど、生成文法の時代からの射程だとチョムスキー学自体が非常に難解なので一般の人に理解を求めるのは無理。
⇒「 ドゥルーズの思想: ジル・ドゥルーズ, クレール・パルネ, 田村 毅: 本」
ドゥルーズなんかもまるでチョムスキーが理解できてない。そのことが日本のドゥルーズ研究者にもわかっていない。これはもうちょっと、どうしようもないレベル。
あと専門的になるけど⇒「 ことばの理論 学習の理論〈上〉ジャン・ピアジェとノーム・チョムスキーの論争: ロワイヨーモン人間科学研究センター, 藤野 邦夫: 本」
⇒「 ことばの理論 学習の理論〈下〉―ジャン・ピアジェとノーム・チョムスキーの論争: ロワイヨーモン人間科学研究センター, 藤野 邦夫: 本」
チョムスキーとピアジェの議論を読むと、先のクーテジアンの問題なども出てきて、その根の深さがわかる。
UGに戻ると、UGはある意味では、モンタギューもUGが前提になっているともいえないのだけど、これについてチョムスキーはちょっと特有な議論をしている。チョムスキーの言う意味論というのは、モンタギュー文法みたいなものではない。
で、なぜここでチョムスキーがひっかかっているかというと、ドナルド・デイヴィッドソンの命題とちょっと関係する。
日本語だとこのあたり⇒「 デイヴィドソン 〜「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス: 森本 浩一: 本」
で、ちょっと飛躍してしまうのだけど、デイヴィドソンの命題は暗黙にモンタギュー的なUGを含んでいるというか、あるいは、ヴィトゲンシュタイン的に、なぜか人は他人を理解する言語ゲームをする、という問題に帰着しがちで、分析哲学的にはそうなんだけど、チョムスキーはどうも、こういう手法全体をアホーと見ているっぽい。
UGが脳に依存していることが決定的で、意味の普遍性がUGを要請しているわけではないと考えているのだろうと思う。
で、脳にビルトインされたUGが……
この問題⇒極東ブログ: [書評]反哲学入門 (木田元)
で、また飛躍するのだけど、日本で「怪しい科学」というとき、科学の判定になぜかポパーとか出てくるけど、ポパーなんかも一種の形而上学なんですよ。
⇒「 実在論と科学の目的 上: K・ポパー, 小河原 誠, 蔭山 泰之: 本」
⇒「 実在論と科学の目的 下: K. ポパー, 小河原 誠, 蔭山 泰之: 本」
もうちょっとその面のポパーをわかりやすくしているのが⇒「 自我と脳: カール・R. ポパー, ジョン・C. エクルズ, Karl R. Popper, John C. Eccles, 大村 裕, 沢田 允茂, 西脇 与作: 本」
で、エクルズになるともう、チョムスキー、ポパー、デカルトが想定した、一種形而上学的なマシンとしての脳を露骨に志向していく。
このくらい⇒「 自己はどのように脳をコントロールするか: ジョン・C. エックルス, John C. Eccles, 大野 忠雄, 斎藤 基一郎: 本」
一応日本ではエックルズも「怪しい科学」としてごみ箱に入れられてしまうのだけど、根は深いし、チョムスキーは控え目だけど、類似の圏内にある。これは進化論においてもそうなんで、そう簡単にはわからないですよ。