finalventの日記

2010-02-28

小林よしのりが女系容認ですか

 とか聞いて、え?とか思ったので久々にSAPIOを覗いたら、れいの漫画はまだ続いていて、かつ女系容認であった。へぇ。

 まあ、そういうところが彼の偉いところかもしれない。

 ゴーマニズムも見開きでSPAに連載していたころは(あれ、テーミスだったかな)、まあ、薄ら左翼みたいなものだった。薬害エイズにも加担していた。が、自然に彼はスピンアウトした。そして今回は男系支持右派からスピンアウトするのだろうか。よくわからん。彼はあれで、経営の感覚のある人だから、意見を通しているようでいながら、市場を読んで女系容認を言っているのかもしれない。

 まあ、女系容認自体は私には、どうでもいいことだ。

 ⇒英国風に考えるなら愛子様がいずれ天皇をお継ぎになるのがよろしかろう: 極東ブログ

江藤淳の痛みというか

 このところ、江藤淳の痛みのようなことをぼんやりと考える。彼も自決だった。そして、その自決は三島由紀夫と同質でもあったかもしれない。

 江藤は32年生まれ。昭和7年だ。三島1925年(大正14年)。私の父が26年生まれ。

 父は大病で結果的に戦死を免れ、私がこの世にいる。彼の兄、つまり私の伯父はインパールで戦死した。つまり、殺された。父は私をその兄に似ていると見ていたふしがある。私は伯父の転生かもしれない(冗談ですよもちろん)。

 三島も実質戦争を免れた。そのことを内心、忸怩たる思いがあっただろう。彼は団塊世代の上にあたり、GHQの所作も見てきたし、戦後日本の欺瞞も見ていた。耐えられなかったというのはわからないでもないが、それより、自身の確立がGHQなるものとそれに結託する日本的なるものに耐え難かったのだろう、というのはわからないでもない。天皇崇拝みたいなものは、偽悪的に言えば、そうした仮託の偽装でもあった。

 吉本隆明1924年(大正13年)生まれだ。あのよぼよぼの風体が、実は、三島の姿なのだと思い当たる世代の最後が私になる。三島なるものを本当に解体したのがあの老体なのだ。三島はあの老体を憎んで自死した。ただ、吉本も戦争を免れた。

 ちなみに、山本七平1921年(大正10年)の生まれだ。戦争にも行った。部下をみんな死なせてしまった。戦犯の恐怖から復員後一年吉野山に隠遁した。戦争なるもは、徹底的に内在化した。GHQなど幻影に過ぎなかった。戦後の影響は、戦争と同じように彼のなかで静かに解体していた。それがヒョンなことでオモテに出るようになり、そしてオモテで語り続けた。たぶん、これも露骨にいえば、死者が語らせたようなものだ。

 江藤は、微妙に団塊世代の前になる。むしろ、野坂昭如や大橋巨泉、青島幸男といったマスコミ薄ら左翼のなかにいる。そして彼らは団塊世代を実質操って文化人のような大衆支持のような正義で白粉を塗りたくった。吉本は自身の欺瞞の内省からこのうす汚い奴らを見ぬいて戦い続けた。三島は反動した。山本は傍観した。

 江藤はその世代の最中で、いわばバク転した。彼は夏目漱石小林秀雄の、大正的な近代性から出発しながら、むしろ小林を超えて、三島的なものに揺り動かされてしまった。これを解体できなかったのは、山本のような戦争の実体験がない、一種の引け目ではなかったかと思うし、まさにそれこそが三島だった。

 ふと思ったのだが、第三の新人というのは、団塊世代を上の世代から文学的感性で批判する意味合いはあったのだろうな。

へぇ、世界史

 ⇒はてなブックマーク - 僕は今まで世界史を全く勉強せずに生きてきました.大学受験時代は,ただの丸暗記教科と見ないしていて興味がわからなかったのです. しかし,今は,現代というものがどう.. - 人力検索

 元⇒僕は今まで世界史を全く勉強せずに生きてきました.大学受験時代は,ただの丸暗記教科と見ないしていて興味がわからなかったのです. しかし,今は,現代というものがどう.. - 人力検索はてな

 各種書籍の勧めがあり、それぞれいいんじゃないかとも思うし、一般的に言って、世界史に関連する書籍は良書ほど読みづらい。

 私が思うのは、世界史を知る必要が出てくるのは、40歳半ばではないかと思う。自分という人間が僥倖ありて半世紀も生存し、そのなかに歴史が溜まってくるなかに、きちんと日本史や世界史というものが目覚め始める。

 質問者は「しかし,今は,現代というものがどういうコンテキストの中に埋め込まれているかを知るための知識であると認識するに至りました」とあるが、さらに、己という人間がなんで、こういう世界史のなかで生まれでたのか、つまり、自分を作り上げた歴史的な要因はなにか、そういう部分に触れてくる。

 私は1957年に生まれた。敗戦後に生まれた赤ん坊たちが団塊世代となり、米国流、つまりGHQ流の自由主義の上に、敗戦ナショナリズムの情念としての左翼を混合して(あるいは左翼に誘導され)、反抗する若者たちを作り出し、その反抗が老化して、現在の奇っ怪な政権を生み出した。

 私はそのアホーな青年と「若さ」というのを、しらっと見ていた。私は、戦後に取り残された世代として、この世界に日本に意識した。ので、その村立の仕組み、もっと露骨にいえば、団塊世代を作り出した世界史・日本史のからくりを解体しなくてはならなかった。

 そういう点では⇒[書評]ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(ディヴィッド・ハルバースタム): 極東ブログ

 これはよかった。

 また⇒下山事件的なものの懸念: 極東ブログ

 私から下の世代は、インフレ日本も、ヴェトナム戦争も直体験はなく、彼らのいう「世代」とは内政における差異による自己定義のゲームになってしまった。しかし、彼らの中にも冷戦はある。そのことが今の40代の内面のなかで、じっくり世界史として発酵してくれば、それを知ろうと自然に思うだろう。

 ブログを初めて6年にもなる。この間、ブッシュ政権の、ある種、ネオコンは、理想主義でもあった。民主化、自由、人権を求めて、とんでもないことを広げ、そしてその反動の大きな波に世界が今覆われている。理想主義の敗退を、それが正義であるかのようなイデオロギーに立てば歴史を見る目は失われる。

日経春秋 春秋(2/28)

 コラムはとくにどうということはないが、この一連を見ながら、トヨタというのは昔のどっかの地方の藩みたいだな。豊田さんは殿様だなと思っている。悪い人でもないし、無能とも思わないのだが(知らないし)、有能だという印象はない。殿がつらい立場になっておられる、藩内の侍は、……みたいなご事情が展開しているような気がする。こんなんで世界のビジネスをやっていけるのだろうか。いや、それでやっているのかもしれないなと思う。

朝日新聞社説 イラン核疑惑―事態打開への日本の役割 : asahi.com(朝日新聞社)

 イランには、議長の訪日を通じて日本と欧米諸国を分断しようとする意図があったのかもしれない。しかし、協議による問題解決が大事、との議長の発言を聞き流してもなるまい。国際社会の要請にこたえるよう、イランを説得する努力を倍加させたい。

 交渉による解決を探るために欠かせないのは、国交のない米国とイランの対話の促進である。

 それなりに背景がわかっているから論旨が崩れてしまう。「イランを説得する努力を倍加させたい」のは、イランの術中にあるかのような振る舞いをしている日本政府の問題で、これは米国とは関係ない。

 米国はこの問題をある程度ゆったりみている。イランの核化はすでに疑惑のレベルを超えているが技術は頓挫している。また内政は混乱している。静観しつつ、イスラエルアラブ諸国の恐怖をなだめるほうがよい。

 で、問題はまたも中国なのだ。イランの国際的な連携を阻んでいるのが中国だからだ。そしてそのことに言及できない朝日新聞が問題なのだが、それをわかってないわけもなく、こうした社説しか書けないという現状がある。これでシーレーンが中国に握られたら、事実上、国際的には中国の属国化するだろう。日本のウクライナ化である。

朝日新聞社説 共通番号制―目的は社会保障の強化だ : asahi.com(朝日新聞社)

 具体的には、住民基本台帳ネットワーク住基ネット)の活用、基礎年金番号の利用、新しい番号をつくる、の3案を軸に検討を進め、来年の通常国会への法案提出をめざす。

 焦点となるのは、住基ネットのシステムを利用するかどうかだ。

 すでに国民全員に番号がある唯一の仕組みだ。最初のシステム作りだけで約400億円かかっており、二重投資を避けようとすれば活用が望ましい。

 そのためにはまず、土台の「基礎番号」と、税、年金医療など日常的に国民が利用するそれぞれの番号に分けてデータベースをつくる。個人情報を1カ所に集めないので、万一情報が流出しても影響を小さくできる。

 番号の導入に伴うプライバシー保護の法律もつくる。利用目的の制限など、厳格な運用を盛り込む。第三者による専門の監視機関を設けることも欠かせない。

 まあ、言いたいこともわかるし、これまでもなんども言ってきたけど、一意のマスターキーができればほかはすべてリレーションになる。技術的には明白なことで、それを法的に規制するのは、表沙汰にしたら処罰しますよというだけのこと。

 早春の薄暗い雨に閉じ込められているというのも嫌いではない。好きかといえば、そうでもないが。いろいろ過去のことを思い出し、未来を不安に思い、それが飽和して、なんとも胃の重いような気分になる。

2010-02-27

今日の大手紙社説

 総じて特に無し。オリンピック騒ぎが終わり、民主党にも飽き飽き、トヨタ問題も微妙というところで次のネタ待ちか。

毎日新聞社説 社説:鳩山政権への手紙 小沢鋭仁様 マイナス情報も語ろう - 毎日jp(毎日新聞)

 問題は25%の中身です。何%分を国内対策(真水)でやり何%分の排出枠を海外から買うか。理想は「国内対策で全部やる」でしょう。鳩山由紀夫首相はその考えと聞きます。基本的に賛成です。排出枠の購入で何兆円もの税金を外国政府に払うのは可能な限り避けたいものです。

 ここが依然曖昧なんだよな。まあ、そのほうがよいともいえるが、おそらく普天飛行場移設問題と同じで、民主党はただ迷走しているだけだろうと思う。

 「何兆円」とあるが2兆円くらいではないかな。

読売新聞社説 消費者物価下落 政府・日銀はデフレ対策急げ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 政府は、財政による景気刺激を続ける一方で、企業の活力を高める成長戦略の具体化を急がねばならない。社会保障の安定財源を示して将来不安を和らげ、家計が抱え込む巨額の貯蓄が消費に向かいやすくする方策も欠かせない。

 ただし、国債の増発による財政状態の悪化で、長期金利の上昇も懸念されている。日銀は国債の買い入れ増額をはじめ、一層の量的金融緩和を検討すべきだ。

 そんなところかな。

 でも、民主党ダメダメなんだろうな。

朝日新聞社説 冬季五輪―氷上に吹くアジアの風 : asahi.com(朝日新聞社)

 4位には両親が日本人の米国代表・長洲未来選手、5位には安藤美姫選手が入った。上位5人中にアジア系が4人である。男子フィギュアのシングルでは高橋大輔選手が銅メダル。ペアでは中国が初の金と、銀もとった。

 銀盤に、アジアの色鮮やかな華が咲き競ったかのようである。

 社説子の感性を疑うところ。

 キム・ヨナは15歳からカナダで暮らし、生活様式や物の考え方の大半はすでにカナダ人と言っていいだろう。彼女の国籍韓国のままだろうが、そもそもカナダにアジア人がいたからといってそれがどうだというのだろう。

 日系ロシア人、日系アメリカ人、それぞれ名前に日本表記の名残があったからといって、ロシア人でありアメリカ人というだけのことではないか。

 むしろコーチのコンセプトが問われていたのではないか。

 身近な国とフェアに競い、学び合う中でアジア全体のレベルが上がり、その結果、世界でのアジアの存在感が増していく。スポーツから学び取るべきことは、実に深い。

 それって大東亜共栄圏の感覚と変わらんな。

昨日の大手紙社説

 豊田社長証言が話題だったようだ。私はあまりこれには関心なかった。恥を知れと証言した女性については、あれは違うんじゃないかなという印象は持った。

曇・ログイン

 夜半に雨は過ぎたのだろうか。昨晩の天気予報では朝は雨のはずであった。昨日は、ふとした偶然で浅田真央のスケートを見た。けっこう感動した。その後、数名を見たが、それほどどうとも思わなかった。キム・ヨナは見なかった。が、その後、気になって、夜の番組で見た。キム・ヨナの一位は妥当なところだろうと思ったが、点差は疑問に思えたし、個人的には浅田真央にまた感動した。私の関心はラフマニノフがうまく表現さているかということだが、けっこうよかったのではないだろうか。あれはロシア人も感動したのではないか。

2010-02-26

ブログサバト

 曇。春の嵐となるか。来週頭はもう3月か。

2010-02-25

今日の大手紙

 特に無し。オリンピックの話題に押されているのだろうか。トヨタの問題は米国では大騒ぎだし日本でもというのはある。ただ、これトヨタが問題で他社ならOKという構図は想定しづらい。

日経新聞社説 小手先でなく将来支える税の姿を描け : NIKKEI NET(日経ネット)

 鳩山由紀夫首相は先に、共産党の問題提起を受け、大企業の内部留保への課税強化を検討すると発言した。企業の競争力をわざわざ不利にする政策に理解を示したのは軽率だった。菅財務相が政府税調で検討しないと明言したのは当然だろう。

 菅財務相は所得の高い人がより多くの税を払うよう、所得税の累進税率を見直す考えを示した。増収の規模が限られるうえに、人々の働く意欲を損ねる懸念もある。慎重に考えるべきではないか。

 まあ、そんなところでしょう。

毎日新聞社説 社説:鳩山政権への手紙 長妻昭様 夢や人間力も必要です - 毎日jp(毎日新聞)

 ここまで言われちゃうかな長妻さんという感じがした。ただ、厚労省は財務省と同じで専門性が問われるし、厚労省は特に多岐に問われるので難しい。あまり不吉な言い方はしたくないが、鳩山政権の空中分解は当面回避させられたが、まだ分解懸念もあるし、それが避けられたあと、さらに深刻な混迷があるだろう。

読売新聞社説 地球温暖化 不信を広げる研究者の姿勢 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 おや今頃クライメートゲート事件を扱うのか、と驚き。

 その騒ぎの最中、地球温暖化対策の基礎となるこの報告書に、科学的根拠の怪しい記述や間違いが指摘された。「ヒマラヤの氷河は2035年までに解けてなくなる可能性が非常に高い」との記述はその例で、根拠がなかった。

 これについてはIPCCの科学方法論に問題があるというほどの問題ではないだろう。ただ、団体の運営としては問題はあったかなというのは否めない。

 ヒマラヤ氷河は実際には溶けているのだがブラックカーボンの影響が強い。ブラックカーボンは二酸化炭素に比べてて大気滞在時間は少ないが、つまり、落ちてきて氷河を溶かすらしい。また、ブラックカーボンは恒常的に排出されている。

 ⇒クライメイトゲート事件って結局、何?: 極東ブログ

 ⇒黒色炭素(Black Carbon:ブラックカーボン)の地球温暖化効果: 極東ブログ

 観測所問題については、IPCC側というか研究者もまったく考慮してないわけでもないし、統計を補正すれば概ね現状のIPCCの結果と変わらないとは思うが、いちおう小さな、日本では報道されてなさそうな話題として、これ。

 ⇒地球温暖化防止には気象観測所を増やしたらどうかという間違った提言について: 極東ブログ

 科学というのは、社会に関わる部分では大抵は複雑系の問題なので、難しいものになる。その意味では、市民の科学認識が単純なテーゼに還元されているときは、それ自体危うい。

朝日新聞社説 新型インフル―次の流行に経験を生かそう : asahi.com(朝日新聞社)

 これまでの国内の死者は200人弱。国際的に見て極めて少ない。

 早い診断と治療で重症化を防いだことが大きいとみられる。地域の内科医や小児科医が夜遅くまで診療所を開けて患者に対応するなど、現場の医師や医療機関の献身的な努力のたまものだ。

 ⇒[書評]医薬品クライシス 78兆円市場の激震(佐藤健太郎): 極東ブログ

 アメリカ疾病対策センターは、「新型インフルエンザにかかっても、高リスク患者以外はタミフルの投与の必要なし」との方針を打ち出した。これに対し日本の感染症学会は、「感染が確定していなくても、早い段階からタミフルの投与を行って重症化を防ぐべき」という、全く逆の提言を行っている。

 その結果はどうか。二〇〇九年十一月中旬現在、日本の患者総数は七百四十萬人ほどと見られるが、死者は疑い例を含めて五十三人に抑えこむことに成功している。これに対して、アメリカでは二千二百万人の患者に対し、死亡例が四千人に迫る勢いとなっている。もちろん、これには医療機関体制など多くの要因が絡むから、この数字だけはタミフルの効果を語るわけにはいかない。しかし死亡率にして二十五倍という差は大きく、タミフルの早期投与という作戦が功を奏している可能性は高い。

晴れ

 少しうす曇り。昨日は4月並みの温かさということだったらしい。たしかにそうだ。久しぶりに歌舞伎町で昼飯を食いながら、昔よくいったエスニック店のあとをふっと見回した。昔見た風景で残るものと残らないものがある。個々には歌舞伎町はよく変わるが全体としてはあまり変わらず、古いビルが多い。時代に取り残されたままだ。イズミハウスだったか、ディスコあとはどうなっているのかとそこはまだ見ていない。30代のころをいろいろ思い出した。元気だったな。無謀だった。

2010-02-24

今日の大手紙社説

 特に無しかな。オリンピックもあって、また民主党のごたごたに世間も慣れてきて、特に話題もない。トヨタの話も、問われている事実だけに目を移すと、ぼんやりとしたものしか見えない。なるようにしかならないだろうし、なるようになる程度の米国の良識の水準で終わるのではないか。

日経新聞社説 「個所付け」に利益誘導のにおいがする : NIKKEI NET(日経ネット)

 今回は政府が1月末に民主党の地方組織に道路や河川工事などの具体的な実施計画を通知し、一部が自治体にも伝わった。これに自民党などが「予算の審議中に半ば公然と情報を漏らすのは国会軽視も甚だしい」と猛反発した。

 政府は「個所付けではなく検討段階の内部文書」と説明していたが、野党の強い求めに応じて関係資料を衆院予算委員会に提出した。10日に示した資料には各事業への党都道府県連や地元知事の要望内容の記載がなく、不十分との指摘を受けて15日に出し直した。

 資料からは、民主党本部に寄せられた陳情に沿って昨年11月の仮配分時から道路予算を上積みした実態が読み取れる。増加率が大きかった5つの都府県(東京福井京都鳥取佐賀)では、党の地方組織や知事から要望があった33事業のうち28事業が増額されていた。

 経世会流の妥当な政治としか思えんが。

毎日新聞社説 社説:イランの核 疑惑を晴らす努力こそ - 毎日jp(毎日新聞)

 これでは米英などが新たな安保理決議を検討するのもやむを得まい。昨秋、安保理常任理事国など6カ国は、イランの低濃縮ウランを国外で濃縮し、研究用原子炉の核燃料として戻す国外加工方式で、イランと合意したかに見えた。しかし、その後イランが種々の条件をつけたため協議は暗礁に乗り上げてしまった。

 本当に疑惑に根拠がなければ、イランはもっと協力的であってもいい。挑発的な言動を続ければ疑念は深まるばかりである。

 議論が自己撞着しているようだが、実質的にはもう「疑惑」のレベルではないし、そのレベルの対応でどうとなる事態ではないので、この社説の議論はスカに近い。

 ⇒暴露されたイラン核兵器開発疑惑に関連して: 極東ブログ

 ⇒ウラン濃縮にいそしむイラン動静: 極東ブログ

朝日新聞社説 高校無償化―朝鮮学校除外はおかしい : asahi.com(朝日新聞社)

だが在日の世代交代が進む中、教育内容は大きく変わった。大半の授業は朝鮮語で行われるが、朝鮮史といった科目以外は、日本の学習指導要領に準じたカリキュラムが組まれている。

 「準じた」の基準が問題で、そこを明確にすればそれはそれで同一の基準にあてはめるべきだろうし、であれば、同じ基準を認めますという他国の学校に日本政府が支援するというのもやったらどうなのだろうか。日本カリキュラム認定の学校が世界に広がると将来的には日本に大きなメリットがあるだろう。その場合、日本語はある程度欠かせないかなとは思うが、それは決め事だけの問題だ。

朝日新聞社説 トヨタ公聴会―安全への誠実さが鍵だ : asahi.com(朝日新聞社)

トヨタ批判は米国で過熱している。連邦陪審がトヨタに資料を請求し、刑事事件になる可能性も出てきた。

 これはその法にしたがってやっていけばよいのではないかと思う。トヨタがダメで他がOKという状況が私には想定しづらい。トヨタにはボディブローのように聞いてくるだろうが、その痛みをできるだけ公とするかが問われているのではないか。

薄曇り

 2月も下旬。ありゃりゃという感じだ。このところ睡眠サイクルが乱れて、昨晩も寝付かれずいろいろ思っていた。というか、奇妙に青春のころの早春のこと、いやある感覚を思い出していた。自分が若かったのだというのが、とても不思議な気がする。それから、今でもそうだが、自分がよくない人間であったなという後悔がいろいろ押し寄せる。理屈で自分を弁護もできる。ひどい運命だったじゃないか、いや他人と比べてそんなよくないわけでもないな、とか。しかし、よくないことはよくない。これは失笑を買うかもしれないが、私は他者に啓蒙的なことはしたくない、いやそうでもないかみたいな矛盾によく悩む。概ね人にうまく通じるように説明はしないようだ。ここも微妙で、これ以上言っても理解の感受性がなさそうだという人をどっかでスパっと自然に切ってしまう。いや人を切る、というのでもない。だめだな、これは、またか。みたいな感じで自分が引き下がる。以前もうだうだ書いてきたが、私は子供の頃から孤独にさせられる人だったので、他者に自分の心なんか通じることはないという前提で生きてきた。そして思えばそうした一種の怪物としてブログなんぞを書いている。もちろん、たいしたブログでもないが。そういう孤独の一種の受動性みたいなものは、おそらく私の他者や社会、自然、運命というものへの憎悪が根にあるだろうし、それは人の基本として愛が欠落させられたことのありがちな反動でもあるのだろう。とはいえ神のご加護か長く生きてみると、それも凡庸なことだし、凡庸な人格形成の一つにすぎないこともわかる。私は自分が凡庸だなと思っている、あるいはそう思うことで、運命への憎悪のようなものを中和させようともしている。それらすべては思念の虚しい空回りだろうが。そういえば昨日ツイッターで「親の小言はウォッカのように後からくるみたいなもんですか?」ときかれ、「内容はたいしたことなくて、そのときの親という思い出に、泣けるよ」と答えた。人にとって親というのは特別な存在だし、その特別性は双方の思い入れというかある種生物的な情念にも依ってもいる。が、それらすべてが凡庸なものでしかない。親は子を理解しないし、子は親を理解しない。その関係のどちらも実はなんら特殊性のようなものはない、にも関わらず、そのような冷たい世界のなかでは生きられないし、人格の根の深いところにそれらの暗いものがたまっていく。自分も親もあるいは親である自分というものも、ただ凡庸に運命に翻弄されていくだけの、悲惨といってもよいような存在だし、そうした剥ぎ取られた弱い存在としての場を覆うことなく露出させているのが、親の小言のようなものだ。その虚しい営為のなかから逃れることなく、自分がこの世に存在させられたというのは、しかし、泣けるようないとおしさというものはある。あまりとんでもないことをいうまでもないが、この暗黒の絶望の宇宙に向かって、最初の生命が永遠を生きようと無謀な決意をした何かが、今でも自分の生命を支えているのだろうとは思うし、その生命の無謀さを引き継ぐことに愛情のようなものを思わずにもいられない。

huwakazu360huwakazu360 2010/02/24 11:01 親を一人の人間として見ると、なんだかリアルな現実が浮かんできて面白いと言っては何ですが、なるほどねと思います。遠目から見たほうがかえってよく分かって共感するというか。呆れたり、軽蔑もしますけど。でも同じ人間ですから受け止めるしかないですね。
最近、ハタチくらいのカップルが抱き合ってキスでもしてるところをみると、ああ、と感じます。なんだろう。美しいです。はかないけど、美しい。こうして繰り返し繰り返し、歴史を経たんだなあって。

2010-02-23

今日の大手紙社説

 長崎知事選敗北が話題だが、とくにどうということはないように思えた。まだ小沢疑惑の余波があるのだろうけど、そのうち沈静化するだろう。

晴れ・薄曇り

 肌寒いがすでに早春という雰囲気になっている。自分のほうが全然早春をよろこぶというふうでないのがなさけない。

2010-02-22

ダルフール危機、「正義と平等運動」(JEM)とスーダン政府が停戦合意

 ⇒CNN.co.jp:スーダン政府と反政府組織、来週停戦合意に正式調印

 中東スーダン政府と反政府組織「正義と平等運動」(JEM)が来週、停戦に関する枠組み合意に正式調印することが、JEM代表者の発言と国営スーダン通信(SUNA)の報道で20日分かった。

 JEM関係者によると、暫定合意は20日、隣国チャドで双方の代表者によって調印された。枠組み合意への正式調印は23日、カタール首都ドーハで行われる。

 これ以前もあった。今回は、このところの沈静化の上でもあり、概ね紛争としては終結と見てよさそう。

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):ダルフール紛争停戦 3月15日までに和平合意目指す - 国際

 政府とJEMは09年2月にも和平協議開始に合意したが、約束した捕虜交換が進まず、白紙状態になった経緯がある。今回の動きは、ダルフール問題で国際刑事裁判所逮捕状が出ているバシル氏が、4月の大統領選を控えて指導者としての正統性をアピールする狙いがあるとみられ、和平実現への期待が高まっている。交渉は、カタール政府が仲介している。

 それと。

ただ、JEMはダルフール地方の反政府勢力のなかでは最大だが、反政府勢力は約20あり、ダルフール紛争の全体的な解決は難航している。

 BBCBBC News - Key Darfur rebels sign ceasefire deal

It includes a framework for further talks, during which issues such as the sharing of power and wealth, and the return of internally displaced people and refugees will be discussed, possibly this week.

Mr Bashir said he would cancel death sentences handed out to Jem prisoners and free 30% of those he had pardoned immediately.

カーリングスコットランド

 昨日、「オリンピックではスコットランドとして独立に参加はしてないようには見えたが、どうなんだろう。」と書いたが、こういうことらしい。

 こういうこと⇒カーリングについて自分が知っているいくつかのこと

スコットランド(イギリス国内3協会では最強の協会なので五輪ではイギリスとして出てくる)は世界選手権では選抜チームを組むのだけど、大会中に息が合わなくて選手が帰国して残りの試合を3人で戦った事もあった。

「借金を返すと儲かるのか?(岩谷誠治)」読んだよ

 isologueさんとこのお勧め。

 ⇒isologue - by 磯崎哲也事務所: 「12歳でもわかる!決算書の読み方」~お金のことを知らずに「社会人」になってしまった人の会計入門~

cover
借金を返すと儲かるのか?: 岩谷 誠治

 決算書が読める人なら不要。また簿記の基本がわかっている人は半分くらいは常識。

 でも、全体象がすっきと見えて面白かった。

 でも、ディテールでは頭でわかっても、しっくりこないところはあった。

  勘定科目の借方・貸方の基本がわかっていないと、これだけくだいて説明しても難しいかもしれないとは思った。

 個人的には、頭のほうにある「借金を返すと儲かるのか?」への3つ異なる解答は、説明されなくてもするっとわかったので、啓蒙的な部分はそれほどなかった。っていうか、この年こいてこれがわからんかったら困るが。

 書籍としてもいろいろ工夫がしてあって面白かった。これこそTV番組にするとよいのに。

 高校生くらいでこれ理解していると、いろいろ社会観変わると思う。

 というか、複式簿記の考え方をきちんとしていると日本の政治も愕然とよくなるんだが、というか、日本経済の低迷は政治家経済政策以前に簿記の常識がないことなんじゃないかな。

 概ね左派の人は簿記の知識ないよねとかいうとまた物議を醸すかな。

今日の大手紙社説

 特になし。

朝日社説 イラク戦争検証―日本も国家の責務として : asahi.com(朝日新聞社)

 イラク戦争は日本に直接、深刻な打撃を与えたわけではない。だが現代の戦争に部外者はない。まして、日本はそれに関与したのだ。

 それはそう。検証してみるとよいだろうな。

 参考になるのはオバマ大統領のこれらかな。

 ⇒日本国憲法の平和主義とオバマ米大統領の平和思想: 極東ブログ

 ⇒オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説抜粋: 極東ブログ

曇り

 ああ、冬に舞い戻り感。朝ぼーっと考えていることは多い。なんかついったに書いてしまったけど、「唯物論的には生命はオートマトンとして規定してよいはずだが、そのinitial stateを想定するとID論と見なされるのだろうか?」。生命というのは、現代科学的には聖霊でもないから(生気論排除)、機械仕掛けロボットなんだが、であれば、それをcharacterize可能というか、それが科学になるのだが、そこがむずかしい。で、「生命がオートマトンではないなら、それはなんだろう、という問は、すでに科学ではないように思える」となる。生命のモデル化をなんとなく科学は避けているのは、広義のダーウィニズムに依存しているのだけど、これは適者生存ということで、世界側がオートマトンになる。「ダーウィニズムの自然選択は、自然の内部にオートマトンが措定されるだけでは?」と。ほいで、「これらを回避するには、生命そのものが生存バイアスとなるが、これも、認識主体を生命上の思念とするなら、矛盾」というか、まいどの人間原理が出てしまう。まあ、このあたりをいつもぐるぐるしているわけだが、それでも、いつのまにか、マイケル・ポランニの暗黙知から創発というスキームも同じくらいの欺瞞じゃないかなとは思うようになった。話が戻るが、生命も「私」という思念も生存バイアスでしかない、というと、そうではない状態をどう措定かつ思念することはできない。このあたりの引っかかりは、「死」の奇っ怪さというより、「私」が無から発生したことの奇っ怪さによっている。というか、眠りと死の違いは目覚めることでしかないのに、なんで俺は、いま、この宇宙で目覚めているんだろ?

2010-02-21

今日の大手紙社説

 共通的な話題はないが、個々には興味深い社説もあり。

 普天間飛行場移設問題は迷走を深めているが、米国側で小沢をつないだので、政権空中分解もないし、最後はそれなりの落としどころになるということなんだろうか。その落としどころが内政的にはどうなんだろうと思うが、この時点で政権にとやかくいうこともない。

毎日社説 社説:ダライ・ラマ訪米 対話は中国にも利益だ - 毎日jp(毎日新聞)

 中国も、分かっているはずだ。本心から米国と対決を構えているとは思えない。台湾への武器供与問題でも、米国がF16戦闘機をリストから外すと、中国も米空母香港に寄港するのを許可している。

 米中対立の本当の舞台は経済摩擦である。だが中国の台頭によって、両国の世論には「相手に弱腰になるな」という空気がある。とくに中国のネット世論はもともと排外主義的な傾向がある。中国政府も強気な態度を見せざるをえないのだろうが、チベットとの対話という解決の道を自ら封じてはならない。

 そう。

 ⇒胡錦濤国家主席にノーベル平和賞を: 極東ブログ

読売社説 FRB利上げ 「出口戦略」への慎重な一歩 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 ただし、公定歩合より重要な、短期金利の誘導目標であるフェデラル・ファンド(FF)金利は年0〜0・25%を変更せず、ゼロ金利政策を維持した。

 ニューヨーク外国為替市場では、ドルが買われ、ドル高・円安が進んだ。FF金利の引き上げが近いという観測も出ている。

 しかし、FRBが出口戦略をさらに前進させ、ゼロ金利政策を解除するのはまだ先だろう。

 そうなんじゃないかな。

 FRBは物価安定とともに、雇用確保を最重視する。雇用情勢が好転するまで、FF金利の引き上げは決断しにくいとみられる。拙速な出口戦略を推進すれば、ようやく上向いた景気を腰折れさせる事態も招きかねない。

 FRBはそこが日銀とは違うから。しかし、日銀となにが同じかというと微妙だが。

読売社説 国際受注合戦 政府の後押しが欠かせない : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 違うんじゃないかなと思いつつ、論が思い浮かぶものでもない。いずれにせよ、現政権とは関係ないことなんで、考えても意味ないか。そのわりに原発はうまくいっているか。東芝というか。よくわからんな。

朝日社説 ウクライナ―安定への調整期を大事に : asahi.com(朝日新聞社)

 だが、ユーシェンコ氏は、政権内での激しい政争に明け暮れ、経済改革や汚職対策など重要な課題で成果を出せなかった。NATOへの早期加盟方針に代表される親欧米路線もロシアの猛反発を招いた。天然ガスの値上げなどで揺さぶられたあげく、悪化した経済は世界金融危機で手ひどい打撃をこうむった。

 というか、経済の問題だと思うが。日本もシーレーンの主導権を失ったらよくわかるようになりますよ。

朝日社説 土曜の授業―親子、地域と話し合って : asahi.com(朝日新聞社)

 そのうえで各地域で、学校と、保護者と、ボランティア活動に熱心な人たちとが話し合い、土曜の過ごし方を決めるようにしてはどうだろう。子ども自身の意見もよく聞いてほしい。

 まあ、それはそうなんだけど。普通に考えたら、そういうふうには機能しないんじゃないかな。

快晴

 すでに二月下旬というか残すところ一週間。二月は早い。太陽暦的には三月として春。というか、すでに春になりつつある。今年はしんどい冬だったなとか思ったが、それもまた終わる。季節の変化が早く感じられるのは年を取ったことなんだろうなとがっくりもする。▼昨日は偶然だったが、カーリングの試合を見た。日英戦。これが面白かった。さしてルールもわからないのだが、完璧というか神業ショットの出まくり感があった。昔、初めてカーリングを知ったとき、なにこれ?と思ったが、いやこれは面白いんだと諭す人がいて、そういうもんかとも思ったものだった。スコットランドに発する競技らしい。オリンピックではスコットランドとして独立に参加はしてないようには見えたが、どうなんだろう。

2010-02-20

今日の大手紙社説

 特になし。ダライ・ラマ関連はエントリ書くかも。

日経春秋 春秋(2/20) : NIKKEI NET(日経ネット)

発熱や貧血などマラリアの症状は、この時代よりずっと前のエジプトパピルスに記されているという。王がこの疫病に倒れてもおかしくない。

 ちなみにマラリアは過去の病気ではない。

 ⇒天高くマラリアなどを思う秋: 極東ブログ

日経社説 憂い深まる中国の人権状況 : NIKKEI NET(日経ネット

共産党政権人権の抑圧を強めているようにみえる。それが世界の不信を招いていることを胡錦濤国家主席ら指導部は理解すべきである。

 これが微妙で、中国内部的にはそうやって胡錦濤派に圧力かけているトリックで実際には胡氏を支持したほうがまだマシというのが私の考え。

日経社説 常時から出口探る米の公定歩合上げ:NIKKEI NET(日経ネット)

 日本はリーマン・ショック後の金融危機に直撃された米欧のような大々的な非常時対応をとっていないうえ、依然としてデフレの重圧に直面している。金融政策をめぐる状況は違うとはいえ、先進国にもマネーの蛇口を絞る動きが出てきたことには目を配りたい。

 これで円安にブレ始めたので日本は一息つく感じかな。

昨日の大手紙社説

 特に話題はないみたいだった。

快晴・ログイン

 いい天気だな。世の中オリンピックばっかりなのか、よくわからん。

2010-02-19

ブログサバト

 来週は温かくなるらしい。そのまま二月が終わり、春になるのだろうか。この季節の楽しみは、梅を見ることだが、梅は変わらないもののその取り巻く風景や雰囲気が変わってしまい、梅の美しさが映えないように思う。そういうこともあるんだなと、梅に申し訳ないような気分になる。

2010-02-18

藤田まことさん、死去

 ⇒藤田まことさんが死去 76歳、大動脈瘤破裂で - 47NEWS(よんななニュース)

コメディー「てなもんや三度笠」や時代劇「必殺」シリーズ、「はぐれ刑事純情派」などテレビで親しまれた俳優の藤田まこと(本名原田真=はらだ・まこと)さんが17日午前7時25分、大動脈瘤破裂のため大阪府吹田市大阪大病院で死去した。76歳。

 私はリアル、当たり前田のクラッカーを見ていた世代。感慨。

 白木みのるさんは、一歳年下。ご健在。

今日の大手紙社説

 党首討論が話題だが特に言及すべきことはないように思う。

 重要なのは大田弘子さんの指摘ではないか。

 ⇒【正論】政策研究大学院大学副学長・大田弘子 対立軸のない与野党の経済政策 - MSN産経ニュース

そもそも、予算の背景にある経済・財政政策の考え方において、与野党に決定的な対立軸がないことが、大きな理由だと、私は考えている。

 自民党政権と民主党政権に違いがあるとすれば、財源のなさを予算の制約条件にするかどうかである。今回の予算案は、子ども手当などの恒常的な歳出についてすら、財源の目途が立たないまま、“埋蔵金”という一回限りの収入に頼った。その後も、歳出を増やす話ばかりが出てくる。

 だから、「埋蔵金に頼れない再来年度の予算はどうするのか」という追及なら、自民党もおおいにできるだろう。しかし、来年度予算の歳出構造を本気で批判するだけの構えは、今の自民党にはない。

 予算案のもうひとつの大問題は、成長への政策が組み込まれていないことだ。昨年末に成長戦略が出てきたことは前進だが、予算案より後になったし、10年も先の目標値だけで、具体策は6月になるという。

 その意味で問題は民主党にあるのではなく、経済政策において民主党と本格的に対立する政党がないというところに、現在の日本政治と日本経済の不幸がある。

日経社説 新型インフルの教訓は何か:NIKKEI NET(日経ネット)

 個人的には、教訓は、リレンザとタミフルの適正な利用が対外比で見て死者を大幅に減らしたことではないかな。日本の医療体制のすばらしさがあったと思う。ただ、これが鳥インフルエンザのときにどうかというと、難しい課題は残るだろう。

曇り・雪は積もっている

 銀世界という感じだ。昨晩は寝付かれなかった。さして苦痛でもなく、音楽を聴くでもなく、じっと暗闇で過ごしながら、死というものを考えていた。死の恐怖というのと、死の思いは異なり、後者には恐怖はない。ただ、死は思えば思うほど不条理なものとしてしか現れない。吉本が死は別のものであるとしていたのもわからないではない。別というのは、人生の総括なり人生によって意味づけられるなにかではないということだ。先日のブルータスでは、彼は死の恐怖は老いて変わるとも言っていた。私も、そういうふうに自然性のなかで死を迎えたいものだと思いつつ、やはり、不条理なものにぶちあたる。不条理は、英語でいえば、absurdityである。対応するフランス語の語感はわからないが、似た感じはあるだろうし、カミュ自身のエッセーでも強調はされている、つまり、愚かさとおかしさだ。なんでこんなことになってしまったのかという異質な状況だ。カミュは哲学者ではなかったが、その実存のとらえ方は、サルトルより優れているし、また後の構造主義者やポストモダン思想より、acuteなものを感じる。カミュ自身はそれを情熱やヒューマニズムに置き換えようと努力したし、彼のアフリカ的な情熱がそうさせたともいえるだろうが、彼もまたabsurdityのなかに飲まれて死んだ。

2010-02-17

史上最もひどかったApple製品は?

 ⇒史上最もひどかったApple製品は? - スラッシュドット・ジャパン

 元ネタ⇒Top 10 worst Apple products of all time - News - PC Authority

 "20th Anniversary Mac"は、コード、Spartacusだね。川崎のデザインではなかったかと思ったが、ぐぐって情報はなし。

 それと

 いや、ひどい、っていうのは違うか。忘れられているなぁ。

手に汗握る空中戦、民主党ヤジ議員ポカーンだったござるの巻

 ⇒本石町日記 : あの山本幸三先生も読んでいた白川総裁の“教科書”

本日は、衆院予算委で日銀の白川方明総裁参考人で登場。質問者は、あの山本幸三先生でありました。もはや金融政策をマニアックに追及する国会議員は山本先生ぐらいしか残っておらず、そのマニア度が期待された質疑でありました。

 気が付いたのは、山本先生と白川総裁のやりとりが超空中戦となって、このところヤジで質疑が聞き取れないことが多い国会審議なのに、しばしばシーンとしてしまったこと。ヤジの入れようもないくらいにオタッキーになった、ということですね。シーンというよりポカーンであった、のが実情に近いと思うが。

山本先生と白川総裁の対峙は、国会議員が日銀総裁を質す、というより東大小宮ゼミの門下生同士の論戦という印象を受けて仕方がない。色々な思いが詰まった対峙ではないかと思える。年齢も近く、同郷でもありますしね。

 話のラフは⇒【年収3.192万円 日銀白川総裁にデフレ脱却できないなら辞めろ】 - 月のあかり

 関連の話は⇒二番底は避けられたか: 極東ブログ

 小宮ゼミ関連は⇒経済談義、五年前を振り返る: 極東ブログ

今日の大手紙社説

 オリンピックには関心がないのでパス。他、消費税歓迎朝日を筆頭にぞろぞろと。

日経社説 資源大手統合の厳格審査を : NIKKEI NET(日経ネット)

 公正取引委員会は、資源大手の豪英系BHPビリトンとリオ・ティントが計画する鉄鉱石の事業統合を審査する。日本は鉄鉱石の6割を両社から調達している。資源大手が進める規模拡大の影響は無視できない。統合が公正な競争を阻害しないか厳格な審査が必要だ。

 リオについては⇒リオ・ティント社事件、雑感: 極東ブログ

日経社説 子ども手当の迷走は理念のなさ映す:NIKKEI NET(日経ネット)

 法案の閣議決定後も混乱は続いている。学校給食費の未納に悩む自治体の要望を受け、法案で給付金の差し押さえなどを禁じているにもかかわらず、首相が検討を指示した。外国人労働者の子どもへの手当の支給に対し、民主党内では法案の趣旨と違うとの異論も出ている。

 巨額の資金を要する政策は、合理的で持続可能な制度設計をしなければならない。しかし、子ども手当はいまだに政策目標自体がはっきりしない。「子育てを社会全体で応援する」というが、経済的に苦しい世帯を支援するのが目的なのか、少子化対策なのかが不透明だ。

 経済支援なら、所得制限を設け、低所得世帯により手厚くなるよう制度設計をすべきだ。少子化対策なら、現金給付だけではなく、保育所整備など効果が見込める政策にも予算をさくべきだ。

 もともと練られた政策じゃない。

毎日社説 社説:「個所付け」資料 これこそ利益誘導では - 毎日jp(毎日新聞)

 これでは政治の刷新とほど遠い。政府は10年度予算案の公共事業の実施場所である「個所付け」を示す資料を国会に提出した。道路事業593路線の中で民主党県連や知事の要望があったのは321路線で、そのうち190路線は概算要求時よりも事業費が増加していた。

 鳩山内閣も当初は予算編成段階で個所付けの内容やその評価基準を示す透明化を打ち出す予定だったという。それが民主党側による地元陳情の集約に伴い手続きが閉ざされ、党をあげての利益誘導と言われかねない状況に変質してしまったことは異常である。古色蒼然(そうぜん)とした政治に陥りつつある疑念をぬぐえない。これでは「コンクリートから人へ」という、政権スローガンが泣く。

 だから絵に描いたような劣化自民党なんだってば。

朝日社説 財務相発言―消費税封印の呪縛を解け : asahi.com(朝日新聞社

 こうなるともう政権交代の意味すら消えてくるなと思った。消費税アップは絶対に駄目だとか言わないが、いろいろ前段がある。

曇り

 二月は短いので中旬から一気に下旬か。ちょっとずつ無理があるかなとか自分を思う。夢も見たが忘れた。

2010-02-16

浅倉久志さんが亡くなった。

 ⇒浅倉久志 : 浅倉久志氏=翻訳家 : おくやみ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 浅倉久志氏(あさくら・ひさし、本名・大谷善次=おおたに・ぜんじ=翻訳家)14日、心不全で死去。79歳。告別式は親族で行う。喪主は妻、大谷宣子(のぶこ)さん。

 カート・ヴォネガットタイタンの妖女」、フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?」などSF作品の翻訳で知られた。

 ⇒浅倉久志 - Wikipedia

本項目の浅倉名義はSF作家アーサー・C・クラークが由来である。東京創元社の「ファファード&グレイ・マウザー」シリーズの翻訳は大谷名義であったが、後の復刊時には浅倉名義となっている。

ま、そういうことかな

 ⇒公認会計士の目から見た陸山会政治資金事件 (News Spiral)

現行の政治資金規正法は部分単式簿記であり、部分単式簿記など何らの会計理論に裏付けられないザル法で、そんなものはそもそも会計の名にも値しない。小沢氏も部分単式簿記だからこそ不起訴となったのであり、完全複式簿記であれば4億円の仮受金もまた当然に会計処理されなくてはならない。政治資金規正法が複式簿記であれば、鳩山総理も「知らなかった」などと言い張ることさえできなかった。民主党は、可視化法案の提出も良いが、それと同時に、ここで政治資金規正法の複式簿記化法案を国会に提出しておくべきであろう。

今日の大手紙社説

 GDP改善とそれに乗じて消費税議論という話題。日経の説明がよかったが、特にどうという話題でもない。というか、率直にいうと、悲観的にならざるをえないんだが、どうしようもなよな。

日経社説 成長率戻っても経済は低水準:NIKKEI NET(日経ネット)

 実質成長率が持ち直したのは、内需がプラスに転じたおかげだ。環境対応のクルマや家電の購入を支援する政策で消費が増え、企業の設備投資も7四半期ぶりに増えた。中国など新興国の需要が予想以上に強く、輸出の増勢も続いた。内需、外需がともにプラスに寄与したのは金融危機後で初めてだ。

 5%に迫る成長率といっても、企業や消費者の実感にはそぐわないだろう。GDPの水準は08年1〜3月期のピーク時を6%下回り、年換算額で約35兆円少ない。09年暦年でみると実質成長率は前年比マイナス5%と、戦後最悪の落ち込みである。

 シュリンクしてはいるかな。

 経済の水準が低迷しているのに加え、物価の下落も一段と進んでいる。10〜12月期の物価の動きを反映する「GDPデフレーター」は前年同期比マイナス3%と過去最大の下落を記録した。需要不振で安売り競争が続く。昨年冬の賞与減額の影響も少なくあるまい。

 名目成長率は年率0.9%増とプラスに戻ったが、油断はできない。09年の名目GDPは辛うじて中国を上回り世界2位を守ったが、10年には日中が逆転するとの見方が多い。

 目先は統計のアヤも小さくない。内閣府はGDPの算出に際し季節による変動をならす方法を一部見直した。08年秋の金融危機による異常な外需の落ち込みを、季節要因と誤らないようにした。

 統計の精度を増すうえで適切な措置といえようが、09年4〜6月期の実質成長率は高くなり、7〜9月期は0.03%増へ下方修正された。10〜12月期は反動で成長率が高くなったことも考えられる。

 このあたりの指摘は、お勉強になるところ。

 日中の逆転は別にどうという話でもないというか、まあ。

読売社説 GDP連続改善 まだ「二番底」の懸念は残る : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 経済成長が巡航速度に戻った形だが、実情は景気対策や海外経済の回復に支えられた「上げ底」の成長である。

 景気が減速して「踊り場」に入り、さらに「二番底」に向かう懸念はぬぐえない。

 この次がどうかな。麻生さんならもう少しうまくいったんじゃないかなとちと思うが、引き返せない道でもあり、今後が心配は心配。どうにもならんなという点では、心配ご無用か。

読売社説 消費税論議 菅財務相がやっと腰を上げた : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 読売の、消費税アップ使える政権ならなんでも可、というのもそれなりに筋が通っているかもしれないな。国防のほうは使えないと見ているかな。

小雨

 夜半から少し雪になるのだろうか。気色悪い夢をみたように思ったが、朝玄米小豆粥を食っていて忘れた。

2010-02-15

絵に描いたような衆愚政治

 これ⇒asahi.com(朝日新聞社):重要政策に世論調査活用へ 後期医療・年金などで厚労相 - 政治

 長妻昭厚生労働相は、後期高齢者医療制度(後期医療)や年金問題などの重要な政策課題に世論調査を活用する検討に入った。国民の声を政策に反映させる狙いで、「国民から送り込まれたチェックマン」を自任する長妻氏のこだわりの一手だ。

今日の大手紙社説

 特になし。

 アフガン情勢にはどこも触れてないな。

 ⇒アフガン:タリバン掃討 米軍、アフガン軍が大規模攻撃 - 毎日jp(毎日新聞)

 米国主導の国際治安支援部隊(ISAF)は13日、「アフガン政府は本日、重要な軍事掃討作戦の開始を発表した」との声明を出した。1万5000人が投入される今回の作戦名は、現地のダリ語で「一緒に」を意味する「モシュタラク」とされた。

日経社説 対岸の火事でない南欧諸国の財政危機 : NIKKEI NET(日経ネット)

日本国債の93%は国内で保有されている。このため外国の投資家が資金を引き揚げたギリシャのような混乱は起きないという見方が多い。しかしデリバティブ(金融派生商品)の普及で、国債の現物を持たない外国人投資家が国債の先物売りを仕掛ける例も出ている。

 この臨界ブラックスワンが発生するかもしれないなとは懸念している。

 少し長い目でみると、国債を国内で消化しきれなくなる懸念も強い。個人金融資産は個人の負債を除くと約1065兆円。この金額は、貯蓄を取り崩す高齢者の増加であまり増えない。一方、国と地方の長期債務残高は今年度末に825兆円となり今後も増える。個人金融資産をすべてつぎ込んでも国債、地方債を消化できない日がやがて来る。

 そこは増税が織り込み済みなんでしょうね。

産経社説 【主張】郵政改革素案 巨大公社化は許されない - MSN産経ニュース

 民主党は5年前の衆院選で郵貯の限度額を500万円に下げる事業縮小案を掲げた。これを国民新党との政策合意で百八十度曲げてしまった。今夏の参院選に向けて郵便局長会や労組など集票マシンに対する政治的な配慮も透けて見える。民主党はこうした「豹変(ひょうへん)」を国民にどう説明するのか。

 社民党・国民新党と合作した時点で、民主党はナンセンスになっていたんで、豹変でもないよ。

朝日社説 米飯給食―「食の教育」のためにも : asahi.com(朝日新聞社)

 「身土不二(しんどふじ)」という言葉がある。人間の体と土とは一体だという意味だ。明治時代軍医石塚左玄らが起こした「食養道運動」のスローガンに使われ、「自分の住む土地の四里(16キロ)四方以内でとれた旬のものを食べる」ことを理想とした。

 そこからマクロバイティクスになり、トンデモになる。

 でも、この朝日新聞の社説などは、しかし、偽科学批判の対象にならないんだろう。偽科学批判は市民運動だし、市民運動は基本的に左派なので朝日批判はしづらいのだろう。

 仏教の伝統からすると、「不二」は「ふに」と読むのだが、食養系の人は「ふじ」と言うことが多いように思う。間違いでもないのかもしれないが、ちょっとトンデモ臭がすることろ。

 「身土不二」よって、克山病はやむなし、かな。

 ⇒JST中国文献ディレクトリ|克山病(Keshan Disease)と心筋糸粒体病(Mitochondrial of Human Myocardium)

 

追記

 ⇒J. Nakanisi Home Page

雑感282-2004.11.24「漢方薬の問題 −高橋 晄正さんの訃報に接して−」

11月10日、各紙は高橋 晄正さんの訃報を掲載した。亡くなったのは11月3日、心不全のためとある。86歳だったとのことで、若い方の多くは、名前も知らないかもしれないが、薬害のことで活躍し、医学に科学を持ち込んだ功績で有名。

薬害

東大では物療内科に属する医師だった。病院で患者さんを診る仕事もしていた。私が最初に高橋さんの文章を見たのは、グロンサンに薬効がないという内容だった。当時、統計学の重要性も知らなかったのだが、高橋さんの論理のするどさに感銘を受けた。

 

薬効判定に二重目隠し法などが取り入れられていなかった時代のことである。我が国で、このような科学的な検証方法が取り入れられるようになったのは、国際的な圧力(日本の方法では、外国の試験ではパスしない)と、高橋さんの功績である。高橋さんの主張は、西欧の流れを汲んでいるが、西欧医学の中でも新鮮な主張があった。

 

グロンサン問題以前から、サリドマイドやスモンなどの薬害問題に取り組み、1970年には、「薬を監視する国民の会」を作り、また、「くすりのひろば」というレベルの高い小冊子を出していた。それは西洋医学、現代医学の批判という側面を強くもつ内容だった。そして、私が高橋さんの名前を知る頃には、市民運動の中では、まさに神様のような存在になっていた。

 

漢方薬

ところが、1980年代後半になって、高橋さんは市民運動から厳しく批判され、攻撃される存在になってしまっていたらしい。ある時、友人からそのことを聞かされて驚いた。「どうして?」「高橋さんが、漢方薬の批判をはじめたから。確かに、高橋さんの言うとおりだと思うけど、あそこまで強く批判しなくともいいと思うのだが。今までの高橋シンパは、ほとんど批判派になっている、なぜ、かくも孤立化の道を選ぶのか?」と友人は言った。

研究者を切り捨てる市民運動

市民運動のまさに神様であった高橋さんは、漢方薬の危険性を指摘するようになってから、市民運動から「敵」のように攻撃されるようになった。市販の(西洋医学の)薬の薬効試験に問題があると指摘したことで、市民運動では尊敬された。

 

しかし、西洋医学の薬の問題点を摘出し、検証するために使われた同じ科学を用いると漢方にも問題があることが分かった。いや、もっと大きな問題があった。だから、訴えた、漢方薬は危険と。

 

それを市民運動は認めない。西洋医学はダメだが、漢方は良いと思っているから。

 この指摘の背景はこの問題の時代を生きたものとしては感慨深いものがある。

 米国では以下の本が代表的なように、伝統中国医学(TCM)つまり漢方もホメオパシーと同じ偽科学として扱われているが、日本ではホメオパシーバッシングは盛んでも漢方は例外となることが多い。(実際には日本社会ではホメオパシーと漢方を比較すると前者の影響はかなり小さいにもかかわらず。)

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すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠: ダミアン・トンプソン, 矢沢 聖子

 伝統的な薬草には科学的に見て有効成分があるというのは事実だが、それは本草学なり薬草の学問であって伝統中国医学(TCM)つまり漢方という医療知識の体系ではない。

 また漢方薬に焦点を当てた場合も、日本では処方薬・市販薬として国家が認定しているのだから、他の薬剤と同等の基準で科学的に評価されなくてならないはずのものだ。

 この問題に真摯に取り組んだ高橋晄正さんは、実際には、市民団体から敵視されるようになった。

 背景には、例えば市民団体と次のような左派指導者との関係があると見られる。朝日新聞出身の本多勝一氏の漢方賛美や

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はるかなる東洋医学へ (朝日文庫)本多 勝一: 本

 総評事務局長高野実の次男で高野孟の弟津村喬氏の

 ⇒「 毎日できる・東洋健康法―「医療」から「養生」へ (東洋体育 新しいからだそだてシリーズ): 津村 喬: 本」

 などである。

 ただ、左派的な週刊金曜日による「買ってはいけない (『週刊金曜日』ブックレット)」には、偽科学としての批判も集まるようになったので、こうした傾向も薄らいできているのかもしれない。

曇り

 小雨になるか。肌寒い。オリンピックはまるで関心ないがそれでもなんとなく見聞きする。入賞を逸した選手を身内にように庇う修辞と、腰パン?をバッシングする修辞。多様なる修辞のなかで、私はこの手のスポーツの意味があまり理解できていない。

2010-02-14

今日の大手紙社説

 特になし。これで世の中またオリンピック騒ぎか。

産経社説 【主張】診療報酬改定 開業医に甘すぎては困る - MSN産経ニュース

 とはいえ、統一後の価格は診療側委員の強い抵抗で、診療所を20円下げただけの小幅に終わった。再診料引き下げは「開業医の優遇是正」を狙いとしていただけに、メリハリ不足は否めない。

 それどころか、患者からの電話問い合わせに時間外で24時間対応する場合や、明細書の無料発行を行う診療所の再診料は加算する措置も設けた。これらが加算されれば、引き下げ分を取り戻すどころか、再診料は逆にアップする。

 メモ。

読売社説 北朝鮮情勢 体制を揺るがす経済の失政 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 交換額に上限を設けたため、タンス預金の大半が紙切れになることを恐れた人々は、一斉に外貨やモノとの交換に走った。それが、当局がもくろんだインフレ解消とは逆の、さらなる物価上昇を招く結果につながったようだ。

 年初、党機関紙など主要3紙の共同社説が、「人民生活の向上で決定的な転換を」と訴えたのも、一向に改善されない衣食住への国民の不満を意識してのことに違いない。そのために対外貿易の拡大を掲げるが、核放棄へ具体的に動かない限り、実現は困難だ。

 まあ、そうなんだろうな。

 支配層はドル、庶民は元の体制で、実質国家は経済面から崩壊しているのだろう。人道的な危機が進行しなければよいが。

 ⇒北朝鮮、貨幣改革失敗の実態とは(上) | Chosun Online | 朝鮮日報

 ⇒北朝鮮、貨幣改革失敗の実態とは(中) | Chosun Online | 朝鮮日報

 ⇒北朝鮮、貨幣改革失敗の実態とは(下) | Chosun Online | 朝鮮日報

朝日社説 アフガン支援―日本にできる事がある : asahi.com(朝日新聞社)

 何が日本にできるんだろうと読む。

 カルザイ政権が試みている穏健派タリバーンとの和解でも日本は調停役を担えるはずだ。軍事介入のらち外にあったので当事者たちを説得しやすい。かつて日本が軍閥武装解除を成功させたのも中立的な立場が支えだった。

 また、政権内のひどい腐敗もなんとかしなければならない。国連によると、年間25億ドルが汚職で無駄遣いされているという。これが改善されなくては支援の実は上がるわけがない。

 であれば、会議で設置が決まった外国専門家らが汚職・腐敗対策の監視にあたる機関へ、日本からも要員を派遣してはどうか。また、インドネシアなどと検討している警察官の育成や訓練の計画も進めるべきだろう。

 腐敗対策でも国内融和でもカルザイ政権に過剰な期待は禁物だ。とはいえ、手をこまぬいているわけにもいかない。春には新たな支援会議がカブールで開かれる。日本政府には、会議を主導する意気込みで支援策の具体化を急いでほしい

 前者の調停役は可能と言えば可能かな。

 後者の腐敗対策については、カルザイ政権そのものなんで、自己撞着的なことになる。

 というか、後者がそれなら前者は前提を失うのだけどね。

 朝日の議論がなんか奇妙な違和感があるのは、戦闘状態を理解せず、話せばわかるが絶対正義のように機能するという確信かな。あるいは、すでに戦闘状態が終わったかのような現実認識なのか。

晴れ

 昨日はいろいろと整備などして疲れた。疲れということと疲れをどう意識するかというのは違うものだな、あたりまえだが。ツイッタに「人に通じない、というのも悩まなくなったな。」「孤独とか、悩まなくなったな。」としたら、少しレスがあった。悩みというは未来に向けた部分があるのだろうけど、そういう未来を刈り込んでしまったからかもしれないとはちょっと思う。

2010-02-13

今日の大手紙社説

 ギリシャ財政危機が多少話題。いろいろ問題はある。次はスペインに飛び火するのではないかな。なんかエントリ書いておくかな。

日経社説 ギリシャ危機が示したユーロの弱点 : NIKKEI NET(日経ネット)

 ギリシャは前政権が野放図なばらまきを続けてきた。そのうえに、経済統計までごまかしたことが明らかになり、一気に信用を失った。

 パパンドレウ現政権は意欲的な歳出削減策を打ち出したものの、45万人の抗議ストに見舞われるなど社会に混乱が広がっている。同様に赤字が膨れ上がるスペインポルトガルでも、財政再建と雇用不安の板挟みで政権が苦しんでいる。

 まあ、そうなんだが。

朝日社説 ユーロの憂鬱―「政府なき通貨」の試練 : asahi.com(朝日新聞社)

 経済が一体化しているのに、政治が追いついていないのだ。その弱点を補うために「欧州経済政府」を設立する構想なども浮上している。

 政治が問題なのはわかるが、その構想は別問題だし、現下の文脈では逆走。

 欧州統合はいわばグローバル世界のミニチュア版。国境を越えた経済に振り回される政治、という構図は非EU圏も共有している。どうすれば溝を埋められるか。ギリシャをめぐるEUの七転八倒は、ひとごとではない。

 プラクティカルにいうと、「ひとごと」だよ。ただ、米国があっぷっぷなんで日本が少し痛みを受ける必要もあるかもしれないけど(IMFとか円高維持とか)。

朝日社説 診療報酬改定―医療再生へさらに大股で : asahi.com(朝日新聞社)

最大の焦点は、病院よりも高い開業医の再診料をどうするかだった。690円にそろえることになった。切り込み不足の感は否めないが、報酬全体を増やす中で開業医の再診料を引き下げたことは評価できる。

この一歩から、さらに大股で進むことを「長妻厚労省」に期待したい。

 無理だと思う。彼は有能な人だと思うけど、この領域には向かないし、今回の「切り込み不足の感」もその結果。

昨日の大手紙社説

 朝日がイラン核に触れていたのはよかったが、中国へは及び腰。これは日本も中国の傘に隠れていると国益があるという構図がけっこう最悪。他、石川議員離党は形だけのこと。

曇り・ログイン

 天気が少し読みづらい。若干晴れるかな。

 いろいろ考えるのだがまとまってこない。

2010-02-12

ブログサバト

 金曜日。

 オリンピックは始まったのかな。まだ? そう。

 夢は、なにか宇宙工学の研究所の視察に政治家と行くのだが、そこに小沢さんもいて、私は彼がこのプロジェクトにどう関係しているのだろうかとなんとなく気になりつつ見失い、食堂で、中華コースにするからカレーにするか悩むというもの。

2010-02-11

今日の大手紙社説

 枝野幸男元政調会長を行刷相へ、が話題。そして、これで小沢氏の疑惑が解けたわけでもないと続く。まあ、それはそうだが、どの社説もそれほど面白くはない。

 石川議員は離党するらしい。

 ⇒小沢氏団体不透明会計:石川議員離党へ 党内の声に押され 野党は議員辞職要求 - 毎日jp(毎日新聞)

 まあ、自民党でもそうしたのだからしかたないというのと、有罪でも出たら目も当てられないというトレードオフかな。

読売社説 枝野行政刷新相 政権浮揚への転機となるか : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 独法公益法人は、多数の官僚OBを受け入れ、そのパイプで割高な事業を各府省から受注する、という構図がある。役所と法人の癒着にメスを入れ、税金の無駄遣いを徹底的に排することが大切なのは言うまでもない。

 だが、問答無用で官僚をたたき、予算を切るという、国民受けを狙った政治的パフォーマンスは慎むべきだ。枝野行政刷新相には、仕分け人やテーマの選定、仕分け作業の進行の仕方に、より丁寧な配慮と工夫が求められる。

 冷たい言い方をすると、リザルトの問題。前回の事業仕分けなんか、財務省のシナリオどおりで結果はしょぼいもの。

朝日社説 枝野氏起用―「刷新」するべきは何か : asahi.com(朝日新聞社)

 事件がひと区切りしたタイミングを見計らい、「非小沢」の枝野氏を起用することで、自分は小沢氏の言いなりではないと示したい。そんなねらいも、首相にあったのではないか。

 肝心なのは、それが首相の「小沢離れ」を直ちに意味するわけではないということだ。

 世論の多くは今、「小沢氏は幹事長を辞任すべし」としている。しかし、首相は小沢氏の続投を容認している。枝野氏の起用も、小沢氏の了解を得たうえでのことだ。

 小沢氏が受け入れられる範囲内で、なんとか政権の再浮揚を探っているだけでは、と見られてもしかたない。

 まあ、普通に考えればそうでしょ。

 それができないのであれば、首相はいずれ幹事長更迭の決断に追い込まれることも覚悟しなければなるまい。

 そこが微妙かな。依然民主党は空中分解の危険をはらんでいるし。

朝日社説 郵政改革素案―金融の肥大化を危ぶむ : asahi.com(朝日新聞社)

 「民から官へ」の逆流が憂慮される郵政改革の見直し。鳩山政権は何をどうするのか。その全体像を示す郵政改革法案の素案が公表された。

 事業の公益性をたてに見直しを正当化しているが、そこから浮かんでくるのは、巨大な郵貯をさらに肥大化させても国民が認めてくれるだろうという、甘い認識だ。

 これが、国民が認めざるをえない状況とかがやってきたりしてね。

 国債に偏っている運用がさらに偏重の度を増せば、目先の財政赤字を賄いたい政府には好都合かも知れない。だが、国債市場をいびつで暴落しやすい構造にしかねない。

 まあ、その都合でしょう。国債の暴落だが、デフォルトはないけど、とんでもないことが連鎖しない可能性もあるんじゃないかな。

曇り

 夜半には雪になるらしい。明日の朝は銀世界か。Twitterに別姓話が流れていて、まあ、現下別姓を推進したい人は日本の家父長制=因襲からの解放のほうな気分でいるのかもしれないし、そういう面もないわけではないし、私も別姓推進してよいと思っているが、文化論的に見れば、中華圏の別姓は、まさに姓が違うということで、つきつめれば女のはらは借り物的な世界。たしか、朝鮮の「創氏改名」でもこうした中華圏の因襲に対して、家族を理想とするがゆえに受け入れた人もいたという話を聞いたことがあるが、まあ、ガセかもしれないが。で、朝ぼんやりと、これも、墓制の延長かもしれないなとも思った。別姓で墓は異なる。私などは近代人だから死後の墓など気にしない人ではあるが、社会的にはいろいろと影響もあるだろう。

 そういえば建国記念の日であった。

 ⇒建国記念の日というのは春節、つまり旧正月なのだ: 極東ブログ

2010-02-10

今日の大手紙社説

 郵貯拡大問題、サントリン問題。特に、どうという話もない。いや、郵貯拡大は問題なんだがどうしようないんじゃないの。

日経春秋 春秋

「ほんの一瞬」。リコール問題で記者会見した豊田章男社長は、ブレーキが利かない感触の差をそう表現した。正確には0.06秒。1秒にも満たない、わずかな時間かもしれない。だがトヨタはその一瞬を大事にしたからこそ、優れた車をつくり出してきた。運転する者にとっても、一瞬の大切さに変わりはない。

 ⇒NHTSA Tracking Braking Loss on Prius Hybrids | TheDetroitBureau.com

Whether this is a safety related defect is ultimately up to NHTSA to decide.

日経社説 親ロに回帰するウクライナ : NIKKEI NET(日経ネット)

 こうなることはわかっていたことでもあるんだが。

毎日社説 社説:郵政改革素案 何をどうしたいのか - 毎日jp(毎日新聞)

 役割を終えた郵貯簡保は縮小し、郵便は別途、公的支援でサービスを維持するというのが郵政改革の原点となる考え方だろう。しかし、連立与党の中には、集票組織として機能してきた旧来の姿に郵政3事業を戻すべきだという意見もある。そうした状況下で示されたため、何をどうしたいのかよくわからないというのが、素案に対する率直な感想だ。

 わかんないですね。まあ、国民が選んだ政府ですから、信頼しましょうということかな。

毎日社説 社説:小沢氏続投会見 まだ幕引きとはいかぬ - 毎日jp(毎日新聞)

 だが、小沢氏の主張にはさまざまな疑問がある。特に検察当局の事情聴取説明責任が果たされた、との主張には賛成できない。土地取得の原資をめぐる小沢氏の説明は途中で変化しており、「実務は秘書に一切任せていた」とする説明も、説得力が問われている。

 政治資金規正法的には終わりでしょう。次は資金元解明かな。あるいは時効で終わっているか。

読売社説 郵政改革素案 官製金融の再膨張は避けよ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 改革が、無駄の多い官業メガ銀行、メガ生保を復活させてしまっては、それこそ本末転倒だ。

 業務を自由化するのなら、完全民営化するのが筋だ。

 逆に政府出資を残すなら、業務を少額決済などに絞り、規模縮小を目指すべきである。

 第三の道へ(あるのか?)。

朝日社説 パレスチナ―悲劇のガザを忘れない : asahi.com(朝日新聞社)

 もつれた糸をほぐすように、地域の正常化に向けた条件を地道に整えていくしかない。イスラエルと関係が深く、アラブ諸国とも連携できる米国には、ガザの悲劇を終わらせるために一層の努力をしてほしい。

 日本は「人道支援」を通じて強くパレスチナとかかわってきた。「架け橋としての日本」を掲げる鳩山政権にとっても支援強化を通じて存在感を示す時ではないか。

 アッバス議長は、今回の訪日で初めて広島を訪れ、原爆慰霊碑に献花した。その平和への祈りがパレスチナでも一日も早く実現することを願わずにはいられない。

 一層の努力をしてほしい…、架け橋としての日本…、鳩山政権にとっても支援強化…、平和への祈り…、願わずにはいられない。

曇り

 雨もあるらしい。明日は雪とも。

 ツイッタとかしてたけど、ちと忙しくなり、ブログサバト気味。

2010-02-09

アフリカ問題の難所

 ここですね⇒Remarks by the President at the Acceptance of the Nobel Peace Prize | The White House

And yet too often, these words are ignored. For some countries, the failure to uphold human rights is excused by the false suggestion that these are somehow Western principles, foreign to local cultures or stages of a nation's development. And within America, there has long been a tension between those who describe themselves as realists or idealists -- a tension that suggests a stark choice between the narrow pursuit of interests or an endless campaign to impose our values around the world.

 あと、マルクス歴史観の根にあるヘーゲルは、アフリカ的なる段階を歴史から外しているんだが、これはつい、西洋中心史観として相対化されるとか、ナショナリティ=国家幻想に至らないからといった誤解があるんだが、マルクスもヘーゲルも西洋中心史観だからということではなく、彼らの歴史の普遍議論の枠組みの問題(たぶん、枠組みはこれ以外に取りようがない)。まあ、その普遍が現代からすれば西洋中心史観なのだという理屈なんだろうけど、そこはヘーゲルへの誤解でもある(こっそり普遍を逃げちゃっているからね)。

 というのは、この問題はむしろ吉本的。吉本隆明のこの問題展開は、枠組みとしてはヘーゲルをきちんと継いでいる。

cover
アフリカ的段階について―史観の拡張: 吉本 隆明

 ただ、この話、吉本の共同幻想論なんかでもそうだけど、学問的にはほとんどトンデモと言えないこともない。

 それでも、この難所を解くには、オバマの言うような実践、実はこの演説を読むとわかるけど、彼はほとんどネオコン、つまり、フクヤマ的ヘーゲルの帰結なんだが、人間の普遍をアフリカ的段階から問い直すという作業、そこから別の道が開ける可能性を探すほうがよい。

 というか、それは知的な営みと同時に、人が、どうアフリカ的段階を生きることによって、生の充溢を再獲得するかということ。

 これは、だから、いわゆる人類愛的なものへのアンガージュの思想よりさらに大きいものになると同時に、近代の生死概念を越える可能性があって、思想というものの本当の怖さに隣接する部分でもある。

 というか、吉本さんの本当に怖いところはこういうところにある。

 別の言い方をすると、フクヤマ的ヘーゲル問題あるいは西洋中心史観ないし、アフリカ的なるものではない、現象のアフリカの重層性に知的に待避していることは、生の充足を否定していることになる。

 思想というのは、頭のいいお坊ちゃんお嬢ちゃんの戯れや揺らぎではなく、その個人の限定された人生の生において、充足を実現させることで世界史の向こう側(アフリカ的なるものの止揚)を推し進めていくこと。その情念というか歓喜にある。

 簡単にいうと、人の生きる喜びが、現在のアフリカ的なるものから反照され、受容され、さらに反照される過程で結果的に克服される。それは、現在のアフリカのなかから、生きる喜びとはなにかを、私たちが感受できるか、彼らが発信できるかにかかっている。その相互性のなかで彼我が止揚される。

 もっと簡単にいうと、リズムと笑いから、人が今生きる歓喜を再獲得できるかということ。どこが思想的課題かよというけど、そのような新しい人類のなかに、思想的課題が融解される。

今日の大手紙社説

 サントリンの話とG7が多少話題。前者は、まあ、お家のご事情。後者は、まあ、なんだろ、これも前向きに考えると、日本関係ないっすからオレンジのセーターとタートルネックを送っておくますから、ということなんだろうな。ただ、余波は来ると思うから、麻生さんくらい肝が据わってないと困るという局面にならんといいが。

日経社説 「子の奪取」条約に加盟急げ:NIKKEI NET(日経ネット)

 難しいけど決断が迫られる時かな。その後、どう対応するかも難しい。

読売社説 新G7始動 非公式化でも重要性変わらぬ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 G7に出る日本の財務相は、金融・財政に詳しくない政治家が就くケースが多く、しかも短期間で交代してきた。これでは、経験豊富な欧米の閣僚らと、突っ込んだ議論をするのは難しかろう。

 新G7時代の財務相は、経済政策専門家から選び、十分な経験を積んでもらう必要がある。

 オレンジのセーターとタートルネックがすてき、という話。

朝日社説 G7の役割―金融秩序立て直す要に : asahi.com(朝日新聞社)

 その答えがすぐに出るわけではない。だが、ひとつの有力な方向性は、危機を再発させない新しい国際金融の秩序作りに向けた貢献ではないか。

 そういう雲の上論はどうでもいいから、ギリシアを支援するのしないのという血眼な問題だと思うのだけど。

 ⇒ギリシャ財政悲劇は笑えない: 極東ブログ

朝日社説 朝青龍騒動―ここから何を学ぼうか : asahi.com(朝日新聞社)

 日本に暮らす外国人は増え続けている。こちらの考え方に合わせてくれる人は歓迎し、そうでない人は排除するというのは、もはや通用しない。

 同じ社会を構成する仲間として、相手にわかりにくい固有の習慣や伝統があれば、丁寧に説明し、理解を求める。あるいはこちらが変えるべきところは、変えていく。その積み重ねが、お互いの信頼を築いてゆくはずだ。

 多様な文化が共生する社会をつくるために「朝青龍騒動」から酌むべきことは、実は少なくないのである

 で、朝日新聞はなにを学んだのかな。

 それはそれとして議論としては、外国人の一般論と相撲固有の問題が前者の優勢のなかに融合されていて、よくわからんな。

晴れ

 昨日の天気図だと午後ぐらいから雨かと思ったが、前線の動きが遅い。今日は温かくなりそうだ。

2010-02-08

新聞休刊日

 特に目立ったニュースはなし。プリウスリコールだが、まあ、しかたないんじゃないか。メディア的にはもっと早くしろ、隠すなということだが、このあたりは微妙な問題でもある(ほら欠陥の証拠を知りながら隠していたじゃないか等)。それにしても、本当にソフトウエアの問題なのか、これが解決なのか、逆に深刻な問題が潜在的に進行しているのか、いやな感じがしないではない。

晴れ

 少しずつ温かくなるらしい。TV話だが、プリキュアは録画失敗。蒼穹の昴はまあ大衆的だけど面白い。あれで中国人に違和感がないなら、大衆文化的情感は日中韓のベースというのはあるものだなと思う、残念ながらというべきかはわからないが。

 なにかを引きずって生きているような気がするというか、まさに引きずるそのものだが、その感覚が何か少しずつ変わっていく。あるいはこのまま世の中のことへの関心を失うのかもしれない、といったような。

2010-02-07

今日の大手紙社説

 小沢政治責任プリウス問題、郵貯問題など。まあ、小沢疑惑が沈静化し、鳩山脱税未遂とかも収まると、時期を経て民主党支持が戻り、参院選で盤石ということになるのかな。私としては、これで日本のインフェルノ行きは確定のように思うけど、ここで政権空中分解しなかっただけましだし、もしかすると中国が破裂したときには、愚策の内政が一番よかったなんて塞翁が馬になるかもしれないし。まあ、わからんな。

日経春秋 春秋(2/7)

ハイブリッド車プリウス」などの品質問題でトヨタ自動車が批判にさらされている。米国の閣僚が名指しで批判し、社長が記者会見で世界に頭を下げた。新技術だからブレーキの感触や利き方が違うという説明に安心する人が、どれほどいるか。火がついた不安は、高い技術力だけでは消し去ることはできない。

 まあ、わかりやすい「正論」なんだが。

日経社説 民営化を止め郵貯を膨らませるのか:NIKKEI NET(日経ネット)

 郵政民営化を実質的に棚上げした政府・与党が1人当たり合計1千万円となっている郵便貯金の預入限度額を緩和しようと動いている。政府の信用を背負う公的金融を再び膨らませるのは筋違いだ。限度額の引き上げや撤廃はすべきでない。

 だが、ここで郵貯の制限を緩和すれば数多くの問題が生じる。まず「政府の信用」を背負った公的金融が資金を吸い上げる懸念である。

 預金保険で保護される預金の範囲は残高1千万円までの元本とその利子に限られる。政府が経営支配を続けたまま、ゆうちょ銀の預入限度を広げれば、預金者は1千万円を超す部分にも「暗黙の政府保証」があるとの期待を抱きがちになる。

 これもすごい逆走なんだけど、どうしようもないのか、というか、一般銀行の金利が高ければ問題ないか、では…という話か。

毎日社説 社説:プリウス問題 安心と信頼の回復を - 毎日jp(毎日新聞)

 トヨタによると、ブレーキの瞬間的な作動・解除を電子制御しているシステムが「運転手にブレーキが利かなくなったと違和感を持たせる」ような設定だったという。あくまでも感覚の問題で、設定を変えれば違和感も消え、「構造的、設計上の欠陥はない」と主張している。

 メーカーにすれば、「欠陥」と呼ぶほどの重大性はないのかもしれない。しかし、安全のカギを握るブレーキに違和感のある車は不安で仕方ない。凍結路面などで起きやすいのなら、なおさらである。だからこそ、トヨタも昨秋に苦情を受け、先月以降は製造段階での設定変更に乗り出したのだろう。

 こうした措置を「品質改善活動の一環」として公表しなかったのも釈然としない。

 こんな感じらしい⇒【井元康一郎のビフォーアフター】メーカーとユーザーの距離感を浮き彫りにした プリウス | レスポンス自動車ニュース(Response.jp)

 でと。

 「構造的、設計上の欠陥はない」が確かなのか、現時点では私にはよくわからん。ないんじゃないかなという印象はもっている。

 「安全のカギを握るブレーキに違和感」がどうかという問題になるのか。なるとして話が進んでいるのだけど、ここで私がひっかかっているのは、プリウスのような省エネ車の設計にどれだけの意味合いを持っていたか、その技術的な意味合いがよくわからない。

 毎日新聞だと、設定変更でなんとかなるものじゃないかがすでに前提になっているけど、なんらかのトレードオフがあるのではないかな。

 社説的な正論はテンプレ的に書けちゃいそうなんだが、いろいろと自分ではひっかかる。

晴れ

 まだプリキュアは見てない。録画はしてあるはず。蒼穹の昴もまだ。ここまでは見ている。「とめはねっ」が面白い。前回は不覚にも泣けた。最近、けっこうTV見ているかな。

2010-02-06

ピアノ曲で一番いい曲は?

 ⇒はてなブックマーク - ピアノ曲で一番いい曲は?:アルファルファモザイク

 ⇒ピアノ曲で一番いい曲は?:アルファルファモザイク

 これかな。

 ⇒Ravel Ondine - Gülsin Onay

 ⇒Ravel "Le gibet" - Gülsin Onay

 ⇒Ravel "Scarbo" - Gülsin Onay

 正確にいうと、私は野島稔の演奏が一番好きだが、ギュルスィン・オナイのこれもすごいな。特に、このScarboの解釈はちと驚いた。

 アルゲリッチのは

 ⇒Ravel, Gaspard de la nuit - I. Ondine - Martha Argerich, live 1972

 ⇒Ravel, Gaspard de la nuit - II. Le Gibet - Martha Argerich, live 1972

 ⇒Ravel, Gaspard de la nuit - III. Scarbo - Martha Argerich, live 1972

 メロディアスなところはアルゲリッチもいいんだけど、Scarboは粗い感じがする。

今日の大手紙社説

 特になし。自分の気分の問題だがあまり関心をひかれる話題はなかった。

日経春秋 春秋(2/6)

長崎ハウステンボスが誕生したのもブームのさなか。見た目は古い町だが排水処理などに高度な設備を導入し「開業15年で無料開放し本物の環境都市にする」と創業者は夢を語った。

 私も見に行ったがガラスと陶器の展示は見事だったな。食い物が高くてまずいのには閉口した。

朝日社説 プリウス問題―遅すぎる全車修理の判断 : asahi.com(朝日新聞社)

 実はトヨタは昨秋に問題をつかんでいた。滑りやすい路面でのスリップを防ぐアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)に原因があると特定。システムを制御するコンピューターソフトを内々に手直しし、今年1月の生産分から改修していた。

 さらに米国でも騒動も予期していたらしい話をなにか海外報道で読んだ。

 トヨタとしては「問題」とは認識してなかったというのもあるかもしれない。

アクセルペダル問題に続くトヨタの鈍感すぎる対応ぶりの背景には、顧客の身になって考えるという感度の衰えがあるようにすら見える。

 朝日新聞はすでに官軍の体制にいるけど、ラフード米運輸長官とかの言動を見ていると、この問題はそれほど単純じゃないよ。たしか、以前ドイツ車でも似たような騒ぎがあったかと思ったが。

朝日社説 予算委初日―古い政治のにおいがした : asahi.com(朝日新聞社)

 小沢氏は、自治体や団体からの陳情の窓口をみずから率いる幹事長室に一元化させた。それがどれだけ予算に反映したかを党から伝える、「陳情改革」の仕上げである。

 力を誇示し、予算と引き換えに自治体や団体を引き寄せるねらいだとみられても仕方あるまい。それが「政治主導」なのかと、強い幻滅を覚える。

 数は力。選挙で勝つことが最優先。勝つためにはなりふりかまわず、国家予算を利用する――。自民党田中派以来の古い政治のにおいが強まる。

 そんな光景にも党内から異論は聞こえてこない。新しい政治は、どこへ行ったのか。ため息が出る。

 だから単なる劣化自民党なんだってば。

昨日の大手紙社説

 小沢氏の政治責任を問うものと朝青龍引退、あとトヨタ問題ということか。ざっと見回したみたが特に言及すべき点はないと思った。

晴れ・ログイン

 なんか二日くらいぶりのような感じがする。

2010-02-05

ブログサバト

 昨日は立春。来週からは温かくなりそう。

 立春は太陽暦的な考えかた。春節太陰暦

 今日は旧暦で12月22日。年内立春。「年の内に春はきにけりひととせを 去年とや言はむ今年とや言はむ」

 春節は2月14日(太陽暦)

 ちなみに⇒建国記念の日というのは春節、つまり旧正月なのだ: 極東ブログ

2010-02-04

スーダンオマル・バシル大統領をジェノサイド(genocide)で訴追へ

 BBCBBC News - Darfur: Bashir genocide charges to be reconsidered

 APCourt to rule on Sudan president genocide charges - washingtonpost.com

 ガーディアンGenocide charge put back on arrest warrant against Sudan president

 CNNJudges allow genocide charge against Sudanese leader - CNN.com

 CNN JP⇒CNN.co.jp:スーダン大統領を集団虐殺で訴追へ 国際刑事裁判所

 共同⇒スーダン大統領の「大量虐殺」容疑を再検討へ ICC - MSN産経ニュース

 簡単にコメントすると、前回は、ジェノサイドとしての追訴はなかった。ジェノサイド認定が難しいことや各方面への配慮があった。米国もブッシュ大統領時代はジェノサイド認定を避けていたが、オバマ大統領はジェノサイドとノーベル賞演説で確言し、さらに今回国連でも公式にジェノサイドとなる予定。

 これでよいのかというと、いろいろ問題はある。現状、ダルフール危機は沈静化しており、ここでスーダンに国際的な軋轢をしいることが各方面で悪影響になるという懸念もある。

日中歴史共同研究だけど、これはけっこうすごいね

 ⇒外務省: 日中歴史共同研究(概要)

 ざっと見ただけだけど、これはすごいわと思った。歴史認識の違いとか言われるけど、歴史学の方法論が確立していれば、それほど認識の差ということはないんじゃないかと。

 中国側の論文が和訳されてないけど、これは和訳して、政府補助で出版したらよいのではないかな。

今日の大手紙社説

 高速道路無料化が話題。賛同する社はなしという感じ。まあ、無料化していい部分もあるだろうからそれは進めるべきだけど、大風呂敷にする話でもないでしょ。

朝日社説 新幹線停電―安全のボルト締め直せ : asahi.com(朝日新聞社)

先週末、東京新大阪間の新幹線停電で3時間半も止まり、車中や駅で、多くの人がイライラを募らせた。世界に誇る精緻(せいち)なシステムを止めた原因は4個のボルト。実は背筋が寒くなるような事態だった。

 そうか? 単純なエラーを回避できないのは問題だと思ったけど、ボルトがなくてもけっこう壮行していたので、へぇと思った。つまり、そこにそれほどクリティカルパスはないんじゃないか、と。

 大事故につながらなかったのは運がよかったからにすぎない。

 大事故になったら運が悪かったとも言えるけど。

JR東海は今回の件を警鐘と重く受け止め、整備態勢を総点検すべきだ。背景に構造的な要因はないかという分析も必要だ。

 まあ、背景分析も必要だけど、それを原因にすり替えて社会ヒステリーするのはやめるが吉。

 前回も書いたけど、原因がわかってバッシング論を書くのはたやすい。そのことのたやすさが社会的な潜在危機への対処の気のゆるみ。

朝日社説 高速無料化―小規模でも賛成できない : asahi.com(朝日新聞社)

 鳩山政権は、この巨額のお金で社会保障や教育の強化など、もっとほかにすべきことがあるのではないか。

 国の財政が赤字を垂れ流し続けている現状を考えれば、まずは高速無料化という政策を事業仕分けの対象として吟味することが先決だ。

 無料にしてきた欧米の国々でも、環境対策から有料化の流れが強まっていることも考えてほしい。

 温暖化が問題になる以前に作った政策を惰性と面子でやっているのだろうと思う。愚行なんだけど、痛い目に合わないとわからんという類。それでよい点も見つかる部分もあるだろうけど、いずれにせよそれってマニフェストで掲げた公約とはかなり違った帰結になると思う。

晴れ

 一段と寒さ厳しい。いろいろ物が故障して難儀。

2010-02-03

日経春秋 春秋(2/1) その3

 承前⇒日経春秋 春秋(2/1) その2 - finalventの日記

 やはり詭弁ということですか。「腹イテェェ。失礼。」なんて言いませんよ、なんかそれ、年寄りくさい。いやはや。まあ、しかたないのでしょうね。

 トラバより⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(12) - hΛlの女好き日記(2010-02-12)

 基本的な誤解があるので、そこだけは補正しておきましょう。というか、そこが補正されれば、詭弁云々は従属的に消えるはずだし。

(1)まず、id:finalvent は「質」の音符を「斦」としてません。「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」の例から、あくまでも「斤」としてます。そして、「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」の例はまさに音符「斤」について述べたものであって、「斦」について述べたものではありません。

(2)そして、「斦」は「チ」にはなりません。「チ」になるのは「斤」です。また混同・混線してますね。

(3)音符の音が変化した場合は、先日書いたように、その漢字の項目において、「シツ・ギン<チ>」というように、変化したあとの音符の音が固有音の横に<>付きで付されているのですが、「斦」の音符を持つ漢字は哲の古字を除いて実質「質」のみなので、音符「斦」の音「チ」など存在しません。

(4)この一連のエントリの最初に書いているのですが(参照)、「質」が形声字であるというのは一説であって、デフォルトでは会意文字とされています(こんなの基本中の基本ですよ。)

 (1)いや、「質」の音符は「斦」だけど「斤」と略記してもこの場合は変わらないから、略記しただけのことだし、山田氏の説明もそれが前提になっている。このことは、「「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」の例はまさに音符「斤」について述べたもの」だからこそ。このことは(2)へ。

 (2)だから、「斤」で略記してもよいと思った。それは今でもそう理解している。そして、「斦」の音指標が「斤」の音変化で山田氏が例示されていることからは、「質」の音指標である「斦」の音価が「チ」であり、これは「ギン」から変化したと彼は理解しているから。

 (3)ここは基本的な誤解がある。「質」という漢字の音価は最初から「チ」だから。なぜ「斦・斤」の音指標が「チ」なのかを山田氏は例証したかった。

 (4)「デフォルト」の意味がわからないが、通説に会意であることは知っている。私は山田説を取って形声としている。私見を述べれば、「質」は会意として創られたが漢字としての機能を共時的に持つとき音義から変化したのかもしれない。そしてその機能性からみて形声と山田氏がされたのかもしれない。

 

 原典を参照され、以上が理解できれば、かなりの部分、氷解すると思いますよ。そしてその氷解は、漢字というものがなんだったのか、愕然とした理解を促すでしょう。

 

追記

 トラバもらった。最後のオチに笑った。元気が戻ったみたいでなにより。持説に自信があるんだろうね。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(13) - hΛlの女好き日記(2010-02-13)

ボコボコにされてる人が「今日はこれぐらいで許してあげよう」と言ってる AA なかったっけ。つまり、ガイドラインでいくとこれね。

 

>※詭弁の特徴のガイドライン(参照)

>13:勝利宣言をする

笑笑笑。

 つ 鏡。

 

 論点は特になし。「広韻」の話は、「質」の音価が定まったのち、日本ではどう受け止められたという話としては面白いけど、別の話だよ。

 で、論点なしなのは。

山田氏は「質」を形声字として解釈してない。なぜなら「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」の図式に「質」を絡めたのは id:finalvent 自身であって山田氏ではないから。

 まあ、原典確認してごらんを繰り返すだけなんだけど。

 ただ、ちょっと補足しておいたほうがいいかなというのは一点あって、山田氏の議論を若干逸脱するかなと危惧するのだけど、音指標としての「斦」というのは、機能的に見て、ないと言ってもいいんじゃないかな。これは普通の感覚の人でも詭弁みたいに聞こえるのを恐れるけど、実質、「斦」が音指標に使われているのは「質」だけで、そしてその場合でも「斤」と扱ってよいのではないかな。ただ、ここでちょっと注意しないと変てこな誤解になるのだろうけど、「斤」が音指標というとき、音価が一義という意味ではない、これは通時性が関連するからだろうけど。

 まあ、なんというか、一度書店に行って、山田氏の本を立ち読みすれば、終わる話だと思うが。

 

追記

 日曜日は休めたかな。リキ入っているみたいだけど。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(14) - hΛlの女好き日記(2010-02-13)

額に「卑怯」とか「屑」って書いてないですか? 「元気が戻ったみたいでなにより。」って…ああ、自分が優勢だというのを表現するために事実を曲げて相手を貶めるやり方か(笑)。

 いえ、自分が優勢だなんて思いませんよ。文章の気迫を比べてみたら誰もわかると思いますよ。ただ、「額に「卑怯」とか「屑」って書いてないですか? 」これは、私が卑怯であり、屑ってことですよね。

 で、罵倒の修辞はさておき。

 やはり論点は、というとやはり、ないんだけど。

 相当ひどい曲解があるので、そこは指摘しておくかな。

私が一貫して行ってきた批判は「音が同じだから意味も一緒」という理論のバカバカしさの指摘でした。まあ指摘するまでもなく、普通の知能を持ってる人ならこの論理のおかしさはすぐわかるはずなのですが。「恥チ」「血チ」「池チ」「地チ」「知チ」「遅チ」は、「直チ」と同じ音「チ」を持つから、その意味は「直チ」の意味と同じで「相当する」の意、なんて子供でもそのおかしさはわかりますからね。

 それはなるほど「バカバカし」いよ。そして、私はそんなことは言ってませんよ。

 「質」の音価は「チ」で、この「チ」の音価が担う意味は「直」だと山田氏が書いているのを私が受け入れているというだけのことです。他の「チ」ついてはまったく言及していないし。

 

 で、以下、以前の話の蒸し直しだけど、ご指摘されているような「矛盾」はないよ。

 つうことで略でもよいのだけど。まあ、確認がてら繰り返しておくと。

id:finalvent「言語運用の視点からは漢字はすべて表音文字。意味を担っているのは、その音価。」⇒「恥チ」「血チ」「池チ」「地チ」「知チ」「遅チ」「直チ」など考えるまでもないトンデモ

 私の発言部分は正しいと思うよ。そして、その駁論ははずれていると思う。一つの音が一つの意味を持っているわけではないし、それこそ四声のような差もあるだろうし。

id:finalvent「数えるという言語運用において、『数字は表音文字になる(機能する)』」⇒数を数えるという作業において文字は介在しないのでこれもトンデモ

 これはどうして駁論のつもりでいるか依然理解でないでいる部分。

id:finalvent「言語学は音声言語だけのもので、『文字言語』は概念としても存在しない。」⇒「書記言語」も「文字言語」も言語学の概念としてちゃーんと存在するのでこれもトンデモ

 「文字言語」なんてものは存在しないよ。それは、"Written language"の訳語であって、languageを二次的に書き起こしたという意味なんですよ。

id:finalvent「日本語における漢字だけが表意文字」⇒漢語と和語について考慮されてないトンデモ

 「だけ」とは言ってないが。ただ、漢語は日本語だよ。「和語」についてはまるで言及してない。微妙に話が明後日にねじれていく。

id:finalventt「漢字の面白いところは、異民族には表意文字として機能し、その異民族の言語の音価が与えられるところ。」⇒「異民族の言語の音価が与えられる」のは日本の和語だけ。稀な例を一般化するトンデモ

 関心ある人は「中国意外史 (Shinshokan History Book Series): 岡田 英弘」(参照)を読むとよいよ。

id:finalvent「ラングではシニフィアンは音価だけ。」⇒シニフィアンは文字と音声 (wikipedia:シニフィアンとシニフィエ)

 そのとおりだが。Wikipediaの解説はシーニュについてであって、この文脈(ラング)ではその指摘は失当なのだが。

id:finalventt「(記号論は)やるきになればパロールでも成立するかもしれない」⇒ 【ソシュールの記号論=シーニュ/シイフィエ/シニフィアン】はラングの中でしか語りえない。

 私の言及はあっているけど、批判部分は意味をなしていないよ。記号論が土台になってソーシュールの言語学つまり近代言語学ができる。

id:finalvent「『言語のルール』と『文法』は違う」⇒同じです

 ちがうよ。言語がラングを指すなら、ラングはルールを含むので「ルールのルール」となってナンセンスだし、ランガージュを指すならそれは重層的であって文法だけではないよ。このあたりは、概念の扱いがめちゃくちゃのまま批判されている。

id:finalvent「ラング研究をするには、記号論が前提的な方法論になる」⇒ 言語学には、音韻論、形態論、統語論、意味論、語用論、音声学、記号学…etc.とあるわけで、ラングを音韻論の観点から研究するのに記号学は必ずしも前提にはなりません。

 これも面白いな、言語学の重層的な諸分野はすべて記号学をベースにしているんだよ。

 というわけで。

難解な抽象概念を持ち出して煙に巻くつもりが、逆におバカ発言の論理矛盾を突かれて、記号論についての自らの理解の浅さを晒したあげく敗走。勝負あったという感じで、このあたりから id:finalvent の言葉数が少くなって敗走ループ開始。

 難解だったかな。

 もう少し近代言語学の基礎事項を知っているかと思って、そしてその基礎からきちんと説明すれば通じるかと思っていたんだよ。

 それと勝負なんか考えてないし、敗走というより、ああ、このレベルから通じてないのかという落胆があるよ。まあ、敗走というなら、はいそうですか(駄洒落)。

(1)山田氏に倣って、音符「斦」を音符「斤」に略し、図式「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」に「質」を絡めた、という強弁

音符「斦」を音符「斤」に略記してはいけないし、山田氏も略記してない。よって上の図式で「質」の字を解字できない。音符「斦」と音符「斤」は、音・読み・意味、いずれをとっても異なります。山田氏が「略記」したとしてるのは id:finalvent の完全な思い込みです。山田氏はそんなことはひとっことも書いてない。なぜなら、音符「斤」の音の変化を例証した「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」の図式に「質」の字を絡めたのは他ならぬ id:finalvent 自身であって、山田氏はそれに関わっていないからです。山田氏が関わってないことは、下記の id:finalvent の発言により、この図式に「質」の字を絡めたのは他ならぬ id:finalvent 自身であることによって明らかになってます。

 「なぜなら」以降の理由付けが違っていて、話になっていないし、そもそもこれは山田氏の書籍を参照すればこんなへんてこな議論は不要ですよ。

(2)「斦・斤」の音に「チ」があると強弁

「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」から「斦・斤」の音に「チ」があるとは導き出せない。また、実際に両音符に「チ」の音は存在しない。「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」の図式は、音符「斤」と音符「希」の音の変化という2つの系統の音の変化を示した図式であって「ギン」という音が「チ」という音に変化したことを示すものではありません。斦の音は「ギン・シツ」であり、斤の音は「キン・ギン・キ」。下記は id:finalvent の勝手な思い込みで山田氏の認識ではなかった。

 ここは前回書いたからもういいでしょ。「質」の音指標は「斤(斦)」でその音価は「チ」。それは共時性の話。「導く」というのは違って、音変化(通時性)的な説明。

ま、「ポゴ・レリーチ(註:正しくは、イーヴォ・ポゴレリチ)は素晴らしい!」と聴いたことのないピアニストをさも聴いたことがあるかのように賞賛できる才能を持ったお方ですから、何を書いても信頼性に欠けるのは明らかなのですけど。

 それは、「というか」の多様的大問題ですよね。

 

 ではでは、新年好!

 

追記

 きちんと睡眠とれたかな。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(15) - hΛlの女好き日記(2010-02-14)

 循環しているだけで、論点はないのだけど。

 それと、finalvent批判をしたいが「ため」の批判で、しかもその「ため」方法論で山田氏の議論を分離しようとしていて無理がたたって、あとは罵倒の修辞の嵐に逃げ込んでいるだけにしか見えないのだけど。

 でも、その急所は確認しておくと。

ではなぜ「チ」の音の意味を「恥」でも「血」でも「池」でも「知」でも「値」でもなく「直」と判断したのですか? 一つの音が一つの意味を持っているという考えに基づかなければ、こうした判断は生まれないはずですが。

 それは、山田氏の考察を受け入れたからという以上はなく、「一つの音が一つの意味を持っているという考えに基づ」く前提はまったく不要。

 ではなぜ私が山田氏の考察を受け入れたか、というと、他の論者より言語学方法論でしっかりしているからということ。(山田氏の書籍を読んで、それへの批判を加えたほうが生産的だと思う。)

 で、なにより「チ」が「直」なのはなぜか、については、私はわからない。そこは、山田氏の議論を逸脱していないだけのこと。(ただ、これは画期的な視点だなと驚愕をもって受容した。)

 そんだけのこと。

 

 あと、にやにはは、どうするかな。

その論法で行けば音声言語は「Spoken Language」になるんですけどね(ニヤニヤ。文字言語は音声言語から派生したのは明らかです。しかし、言語を構成するものとして、ちゃーんと言語学の研究対象に措定されている。強弁もほどほどにしたほうがいいですよ。Wikipedia でも言語学の参考書でも調べられたし

 やっぱり言語学がまるでわかってないんだなというのが確認できちゃって、にやにやよりとほほなんだが、「Spoken Language」は「話し言葉」で、これは言語学の対象にはならない。というか、これはパロールだから。

 あとは挨拶代わりに。

そうそう、「ポゴ・レリーチ」虚言事件(笑)。こればっかりは「イーヴォ・ポゴレリチをタイプミスしてポゴ・レリーチと書いてしまいました」なんて言った日には失笑モノですしね。それにしても、ポゴさんかぁ。id:finalvent の語感って面白いな。

 「というか」の多様的大問題をもうなかったことにしてしまうほど面白くないのが残念なところ。

 三寒四温、体調をくずさないように。

 

追記

 振り出しに戻るの感で、だいたい論点は終わったみたいだね。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(16) - hΛlの女好き日記(2010-02-14)

 まあ、新味のある話はないです。山田勝美「漢字字源辞典」(参照)を参照すれば、大半の話は終わると思います。その時はまたトラバでもお知らせください。

 春節をお楽しみあれ。

インターネットのやり過ぎは鬱の素

 ⇒BBC News - 'Internet addiction' linked to depression, says study

There is a strong link between heavy internet use and depression, UK psychologists have said.

 記事の内容はごくネタレベル。鬱になる理由もわからず。しいていえば、リアルが減るからくらいか、みたいなお話。

70歳過ぎたらデブが長生き

 ⇒Body Mass Index and Survival in Men and Women Aged 70 to 75 : Wiley InterScience :: Article Full Text HTML

CONCLUSION: These results lend further credence to claims that the BMI thresholds for overweight and obese are overly restrictive for older people. Overweight older people are not at greater mortality risk than those who are normal weight. Being sedentary was associated with a greater risk of mortality in women than in men.

 まあ、特にびっくりでもないけど。

今日の大手紙社説

 特になしと言っていいだろう。小沢不起訴の話は、明後日になるだろう。

 そういえば、産経側からは不起訴報道が出ない。くやしーっということなのか、それじゃうちは売れないよなのか、あるいはちょっと待ってねか。最後の線はないと思うが。

 そういえば、NHKもまだ出していないな。これはちと不思議。

日経春秋 春秋(2/3) : NIKKEI NET(日経ネット)

もっとも、最近の研究は縄文のイメージを大きく変えつつある。弥生時代に始まったとされてきた稲作は、じつは縄文前期までさかのぼれるらしい。広場を備えた大きな集落も現れていたというし、遠方との交易もなかなか盛んだったようだ。よくよく土偶の数々を見直せば、なんと巧みなアートでもあることか。

 そもそも「縄文」というのは、土器の様式であって、文化様式を代表はするけど、「縄文人」が実体的に存在することには結びつかない。縄文時代もただ文化様式でしかない。で、それが弥生時代へ変遷するかだが、レジームの問題ではない。さらにそもそもだが、こうした文化様式が日本に限定される根拠も特にない。

 とはいえ一般的に言える縄文時代には沖縄を含めた交易圏は成立している。

毎日社説 社説:日中歴史研究 まず一歩、さらに前へ - 毎日jp(毎日新聞)

歴史に関する共通理解を研究者だけでなく国民レベルでも深めるために、次はぜひ公表してほしい。

 これ、日本でも非公開なのか?

毎日社説 社説:米国防政策 アジアの変化に注目を - 毎日jp(毎日新聞)

報告書はオバマ大統領の「核兵器なき世界」の理想を踏まえつつ核戦力の維持を確認した。オバマ政権が予算教書で核政策費を大幅に増やしたのも、核抑止力の維持と核拡散防止への意欲の表れだろう。QDRで「核の傘」を含めた日韓への「拡大抑止」の提供に言及したのは日本を守る意思表明として歓迎したい。

 まあ、それでどうして「核兵器なき世界」の理想なんだよとは疑問には思わないのでしょうかね。

 台湾への武器供給をめぐる米中摩擦も続いているが、米中が争ってはアジアは安定しない。G2とも呼ばれる両国の間で日本が関係を取り持つ選択肢があるのかどうか。QDRは日本の立ち位置や外交力、アジアの将来像も考えさせる。

 これは高度なジョークじゃないんだろうなぁ。

朝日社説 米国防見直し―多様な脅威に協調強めよ : asahi.com(朝日新聞社)

 なにが言いたい社説なのかよくわからず。

 ハイテク兵器と情報網を誇る米国だが、急速に軍事力を増強している中国に対しては、その意図に疑問を投げかける。中国の衛星攻撃能力やサイバー攻撃能力が国際秩序全体への脅威になりかねないと見ているからだ。

 ただ、これからの時代の安全保障のルールは米国一人で決めるべきものではない。日本をはじめ同盟国や友好国とのいっそうの連携が必要になる。共通のルール作りに向けて、グローバルな影響力を持つ中国やインドとの対話も進めていかなければならない。

 そういう話し合いが通じるとよいのですけどね。

 核拡散を食い止めることはオバマ政権の戦略の柱だ。国際協調を基本に大胆に取り組んでほしい。

 どうオバマさんが取り組んでいるかというと⇒'Nobel Peace Prize-winner Barack Obama ups spending on nuclear weapons to even more than George Bush' | Mail Online

President Obama is planning to increase spending on America's nuclear weapons stockpile just days after pledging to try to rid the world of them.

 

In his budget to be announced on Monday, Mr Obama has allocated £4.3billion to maintain the U.S. arsenal - £370million more than George Bush spent on nuclear weapons in his final year.

 

The Obama administration also plans to spend a further £3.1billion over the next five years on nuclear security.

 ブッシュさんよりも核兵器に予算を注ぎ込んでいくと。

晴れ

 この冬の雪はこれで終わりだろうか。そう問うときいつも4月の大雪を思い出す。昨晩はなかなか寝付かれなかったが、しかたないなとも思った。

2010-02-02

日経春秋 春秋(2/1) その2

 承前⇒日経春秋 春秋(2/1) - finalventの日記

 この話の続き⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(10) - hΛlの女好き日記(2010-02-10)

 で。

1行で説明できることを延々ひっぱって、はぐらかす理由は、「漢字字源辞典」の漢字の音がどの時代のものであるかわからないで最初はぐらかしてたように、そんなことどこにも書いてない、アナタの思い付きだから、説明しようにも説明できないんじゃありませんか。

 そういう推測することは自由だけど、この件は原典を参照すれば終わることですよ。

非常に奇異な判断ですよ。「斦(gin)→祈(ki)、希(ki)→斦(ti)」の中に”二斤”の「斦」は登場しないではないですか。しかも、ご自分で書いてるようにそれはあなた自身の「判断」です。

 これもなんども言っているのだけど、漢字としての「斤」と「斦」がそれぞれある時代に音価を持つということと、「質」の音指標の「斦」は同一視できない、というか、それはまさに音指標なんだということ。そして、音指標の機能の面で、このコンテキストでは「斤」という音指標と「斦」という音指標の差異は、山田氏の例解からは判別できないということ。

 それと、これを言うと、混乱するかもしれないし、山田氏の説を逸脱するかに見えるから言わなかったのだけど、「質」の音指標の「斦」の音価は、(この漢字の創出時の)共時性として見れば、まさに、「チ」なんですよ。

 なぜ「チ」なのかということは不思議だから山田氏は、それを言語からはずし(音変化として取り出し)個別に通時性の説明を与えているということなんです。

 

 以下は、詭弁の特徴という面白いものが出て来たので、その感想をごく簡単に。あー、いややめとく。エントリ書く暇もないほどお仕事忙しいんですよね。でも、それをもって、「【トボケ通す】」とか言わないでね。

 恭喜発財! よい新年を!

 

追記

 お仕事忙しいんじゃなかったのかな。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(11) - hΛlの女好き日記(2010-02-11)

 どうも〜。詭弁の限りを尽しつつ、一方でそういうお愛想はできるのですね(^^) 面白い人です。

 あ−、それは、本人としては「詭弁の限りを尽しつつ」って自覚がないからというもあるし、というか、本人意識としては詭弁って使ったことないし、通じてないなというときでも議論というのと、「お愛想」と理解されているみたいだけど、普通に人との対話するというのは別だと思っているから。つまり、罵倒とかの修辞を弄するべきではないと思っている。それは議論にも関係ないし。

id:finalvent が根拠を全く提示してくれないので議論がストップしまくりです。

 山田氏の本以上の根拠ないよ。そして、該当書をご覧になった所感を伺いたいと思っているだけだよ。

ただし、今の時点で私は件の書を読んでないので 2% ほど留保を残しておきます(笑)。そんなもんですかね。

 その2%で人生観が変わるかもしれませんよ。

 

 で、まあ、ご挨拶はそれだけだし、特に論点もなさげなんだけど、一点、ああ、これはとんでもない誤解だなというのがあるので、そこだけ指摘しておくよ。

 概念の包括関係や例証と推定という考えたが苦手で混乱されているのだろうと思うけど。

「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」を見て、「ギン」の音を持つ漢字は「チ」に音変化すると誤認してる点。正しくは、音符「斤 kin」の音が gin(齗) や ki(祈) に変化し、会意文字「希 ki」を音符とする会意形声文字「絺」ができる過程で、音符「希」の音が ki から chi に変化したという二つの音符の変化を並列して並べたものを一繋がりと錯覚したものと思われるが、最終的には山田氏の著書にあたって確認するしかない。

 なにを言っても詭弁と言われるので、徒労感があるのだけど。

 「「ギン」の音を持つ漢字は「チ」に音変化する」なんてこれっぽちも思っていないし、主張していない。

 「質」の音価が「チ」であることを、山田氏は、これは解説したほうがいいのだろうと思って、「ギン」が「チ」に音変化する類例は他にもあるという、例証をしただけのことだ、と私は理解しているよ。

 それが一般則ではないことは、山田氏の本の他の漢字の語源解説を見てもわかることだよ。

ただし、「ギンがチに音変化した」という摩訶不思議な論理は常識で考えてありえないのは明白。「銀 ギン」は「恥 チ」に”音変化”したのか? 「銀」の元の意味は「恥」なのか? そのバカバカしい論理の誤りは考えるまでもない。よって、図式の解釈はさて措き、『「ギン」の音を持つ漢字は「チ」に音変化する』はバカバカしい論理で誤り。

 山田氏はそれを「摩訶不思議な論理は常識で考えてありえない」とは見てない。

 「「銀 ギン」は「恥 チ」に”音変化”したのか?」は、たんに罵倒したくて面白い例を挙げたのだろうけど、そんな話はしてないし、それも山田氏の本の解説を読めばわかること。

 関連して補足すると。

id:finalvent が「質」の音符を「斤」であると勝手に解釈した点。

 「斦」と書くべきだったけど、音指標としては山田氏の例から、「斤」と理解しても問題はないと思ったということ。ちなみに、この異体字で「貭」という字があるのは知っているよね(知らないとか言われるとびっくりするけど)。なぜそうなるかは、私みたいに、かったるく思うから。

「チ」の音の意味は「直」というのは全くもって意味不明。ちなみに、これは「斦」とは全く関係ない話。(中略)気になるのは、この「直」の字がなぜ唐突にでてきたか。「チ」を漢和辞典で調べると、画数が少ないから初めのほうに「直」の字が出てくるのだけどまさかね…。

 山田氏の議論から逸脱しないようにしているけど、彼の書籍の序文などから推測して、朱駿声の「説文通訓定声」をそう理解しているからだと思うよ。

 

 あと、これも関連しているから補足すると。

漢字としての「斤・斦」と音符としての「斤・斦」なんてのを区別するからおかしくなるんですよ。

 これは、言語学の視点からそう区別したほうが合理的だということだし、山田氏の書籍でも音符は実質そう理解されていると思う。というのは、「質」において、「斦」を音符としても、その一般的な「ギン」をとらず「チ」としているから。たぶん、そこがまるで理解されていないから、私を詭弁にしたいんだろうけど。

 で、補足すると返って誤解されるだろうけど、もしかして私の議論を詭弁じゃないよと思うかたがいると仮定して(笑)、「質」の音符(音指標)「斦」が「チ」であるところで、「質」がその意味を得たということが、この漢字のとてつもなく面白いところ。つまり、「質」が「ギン」という音価をもって成立して、それがしだいに「チ」に音変化したんじゃないのだということ。ただし、「斦」が「チ」という音指標をもっているのは、イレギュラー感があるから、山田氏は、ギンという音がチに変化しうる、つまり、「斦」という音指標が「チ」と読まれる例を挙げている。(この話を明確に理解するために共時性/通時性の話をしたのだけどね。)

 こうした考察の背景にあるのは、「斤・斦」というのを、漢字ではなく、純粋に音指標として見ているからで、つまり、機能としては漢字ではないということ。

 

 まあ、これも詭弁・詭弁と言われるのだよね。とほほ。

 

 できるだけ議論はワンストップにしたのだけど、この日も手狭なんで、転居。

 続きはこちら⇒日経春秋 春秋(2/1) その3 - finalventの日記

昨日の日記が壊れたのでサルベージできる分以下に転記。

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産経社説 【主張】日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ - MSN産経ニュース

 一致はしてないという結末ではないのかな。

 日本側の記述は「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と「虐殺」を認めている。その数は、東京裁判で認定された「20万人以上」、中国が主張する「30万人以上」などの数字を挙げ、「日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」としている。

 しかし、「南京虐殺」や「南京大虐殺」は当時の中国国民党が宣伝したものであることが最近の実証的な研究で分かってきた。日本軍による集団的な虐殺の有無も、はっきりしていない。こうした日本側の研究状況を過不足なく正確に記述すべきだった。

 虐殺がないとする歴史学者はいないと思うが。

 今回、中国側が戦後史の部分の発表を拒否し、それに日本側が同調したことも問題である。このため、日本側の研究論文まで非公開にされてしまった。中国当局天安門事件(1989年)に関する厳しい言論統制を行っており、日本側の論文が公表されることで当局への批判が誘発されることを恐れたためとみられる。

 戦後史がないというのは、中共の歴史を国際的に描けないということで、そのあたりのほうが問題には思えたが、この問題はまさに歴史を待つべきだろう。それにしても「戦後史」って何を指すのだろうか、中国において。

読売社説 鳩 : 子育てビジョン 財源論を欠いて実現できるか : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞

 鳩山政権は2011年度から年5・3兆円を投じて、子ども手当を完全実施する、との方針を変えていない。

 これに固執した場合、まずその財源確保だけで難航し、とても新ビジョンに回す予算は出てこないのではないか。むしろ、しわ寄せを受ける懸念すらある。

 たぶん無理。

 ⇒FNNニュース: 野田財務副大臣、「子ども手当」について2年目からの満額支給が困難との認識示す

 野田財務副大臣は、民主党がマニフェストで掲げた「子ども手当」について、2年目からの満額支給が困難との認識を示した。

 野田財務副大臣は「普通では困難なんでね、どういう知恵を出すかと」と述べ、2010年度は半額が支給される子ども手当について、満額の月額2万6,000円を、2年目となる2011年度から支給するのは難しいとの認識を示した。

 野田副大臣は、月額1万3,000円の半額支給の効果も見たうえで、2011年度の金額について議論すべきとの考えを示唆している。

(01/31 18:43)

 ⇒子ども手当に暗雲 野田財務相、満額支給は「困難」:Net-IB|九州企業特報|データ・マックス

 野田財務省は30日、愛知県豊田市で開かれた会合で、2011年度からの子ども手当の満額支給について「月額2万6,000円では総額5兆円を超す。防衛費より高くなり現実的に厳しい」と発言。さらに翌31日にはNHKの番組に出演し「難しい課題だ。ハードルは高い」と述べた。「できないとは言っていない」とも逃げを打ったが、2日間の発言からはマニフェスト遵守への自信のなさが窺える。

 すでに小学生までは自民党政権時代の児童手当の下駄に乗っていて、制度的におかしなものになっている。

 また、次年度以降の計画はまるで立っておらず、実質、すでに子ども手当ては実質崩壊している。

 こんな動向も⇒asahi.com:子ども手当地方負担分 予算化見送りの方針-マイタウン群馬

鳩山内閣が2010年度予算案に計上した子ども手当の地方負担分について、県町村会(会長=真塩卓・榛東村長)の理事会が新年度予算案に計上しない方針を決め、県内の町村に通知した。マニフェストで全額国庫負担を掲げたのに、一転して地方に負担を求めた政府への反発が背景にあり、大半の町村も同調する構え。ただ、政府が方針を変えない場合には、基金の取り崩しなどで財源を補う考えで、対象者には満額支給される見込みだ。<<

 全国町村会によると、都道府県の町村会レベルで予算計上を見送る動きが表面化したのは初めて。

朝日社説 リニア輸出―「ガラパゴス」脱し世界へ : asahi.com朝日新聞社

 「ガラパゴス」のキーワードを出すとオートマティックに批評っぽくなるけど、その文脈は予想されたように凡庸なものにしかならない。

 日本の鉄道携帯電話と同様、いわゆる「ガラパゴス技術」だった。世界トップ水準なのに、世界市場で売れない。日本仕様にこだわるあまり、島国で発達を続ける。そんな内向きビジネスだったのだ。

 それでよければそれでよいんじゃないか、みたいなトートロージーを思う。日本は消費市場も大きいし、なによりその市場がそうした製品・サービスを欲していたのだし。

 グローバル化できる部分で、日本があまり寄与するところはないのだから、ガラパゴス化を進めて世界が日本に追いつくのを待ってもいいのかも。

 まあ、その前に日本終了にならないように、というのはあるかも。

薄曇り

 天気予報では夕方から雪になるとのこと。天気図を見るとたしかにそんな感じ。

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ありゃ、ほんとだ。鳩山さんが麻生さんと同じこと言ってら

 鳩山さん⇒首相答弁、麻生前首相答弁とそっくり?! - MSN産経ニュース

 共産党の志位和夫委員長が「大企業の巨額の内部留保を中小企業に還元させる政策が必要だ」とただしたところ、首相は「内部留保の活用は企業がそれぞれの状況に応じて経営判断を下すものだ。その上で労働者雇用と生活をしっかり守るように最大限努力することは重要だ」と述べた。

 麻生さん⇒衆議院会議録情報 第171回国会 本会議 第8号

企業の内部留保についてお尋ねがありました。

 企業にとって内部留保は、企業の存続や長期的な発展の可能性を確保するものであり、その活用につきましては、企業がそれぞれの状況に応じて最善の経営判断を下すべきものである、基本的にそう考えております。

 その上で、人を大切にするのが日本的経営のよさでもあります。こういう非常時こそ、労働者の雇用と生活をしっかり守るよう、最大限の努力をしていただきたいものだと考えております。

4日、動向推定

 石川容疑者は起訴⇒NHKニュース 石川衆院議員 4日にも起訴へ

 大久保隆規容疑者もだいたい落ち⇒大久保隆規容疑者 : 時事ドットコム:大久保秘書、関与ほのめかす供述=石川議員の報告了承か−04年分の虚偽記載

 3容疑者はだいたい固まった⇒時事ドットコム:陸山会事件、捜査大詰め=3容疑者、供述ほぼそろう−刑事処分判断へ・東京地検

 で、と。

 石川衆院議員が起訴となると民主党でも、なんらかの正式対応が必要。現状の民主党を見ていると、対応が遅れすぎ。

 問題は、小沢民主党幹事長の動向だが、在宅起訴とかになるかが、不明。やってやれないことはないけど、ここで起訴してしまうと、鹿島を含んだ大きな絵がどうなるのか見えてこない。

 このあたり⇒asahi.com(朝日新聞社):小沢流ゼネコン選挙術、名簿15万人分や貢献度ランク - 2010鳩山政権

 それと小沢資金源⇒小沢民主党代表元金庫番の葬儀で涙の政権奪取宣言 週刊文春2006年9月21日号「THIS WEEK 政治」

 小沢氏在宅起訴にすると、一連のエネルギーは、プシューっと抜けかねないし、検察も詰めを諦めたと見られかねない。

 ただ、ここでプシューっとすると、民主党は再起のチャンスを結果的に得る、というか、空中分解かになる。

 まあ、私の印象では、今回の事態は大詰めではなく、第二章、くらいで、もう少し長い話になるのではないかな、と思う。

 郷原先生近況⇒検察の「暴発」はあるのか(上):日経ビジネスオンライン

 昨年9月の政権交代後初めての通常国会をめぐる政局を大きく揺るがしてきたこの問題も、2月4日の石川議員らの勾留満期という大きな節目を迎える。報道されているように、検察が小沢氏の再聴取を見送る方針だとすれば、捜査は最終局面に入ったと言えよう。

 再聴取はあった。最終局面でもなさそう。

 また、小沢氏の名義である以上定期預金陸山会資産として記載する必要もなかった。その場合、小沢氏名義での銀行からの融資金について「小澤一郎 借入金 4億円」と記載するだけでよかったのであり、少なくとも収入については、実際の陸山会の収支報告書と完全に一致していたはずだ。

 この認識は微妙。小沢氏自身は、陸山会資産と分離した意識を持っていたし、あのへんてこな契約書(確約書)をひらひらさせてしまった。

異なるのは、土地購入代金の支出が実際には2004年10月に行われているのに、それが2005年1月に行われたように記載されている点だけだ。しかし、土地購入代金の支出の時期の2カ月のズレが、現職の国会議員を政治資金規正法違反で起訴し、公民権停止によって議員を失職させる程の重大な問題とは言えないことは明らかであろう。

 石川議員が検察の取り調べに対して、収支報告書に故意に虚偽の記入をしたことを認めたと報じられているが、上記のとおりだとすると、意図的に虚偽の記載を行ったとは考えられない。単なる事務上のミスだという当初の供述の方が事実に近いものと思われる。

 石川容疑者が郷原先生くらいクレバーだったらその線もあったけど、落ちてる模様。

 結局のところ、この陸山会の不動産購入をめぐる問題が、刑事責任を問う程の重大・悪質な政治資金規正法違反だと言えるのは、不動産購入代金の原資が、小沢氏からの現金による借入金ではなく、マスコミが報じてきた中堅ゼネコン水谷建設からの5000万円の裏献金のような別個の原資によるものであった場合しか考えられない。

 そこがすぱっと決まれば、世論も瞬殺だし、郷原先生も限界。

 しかし、その水谷建設からの5000万円の裏献金の事実については、供述を行ったとされる水谷建設の元会長の供述の信用性に重大な問題がある。佐藤栄佐久前福島県知事の汚職事件では知事の弟が経営する会社の所有する土地を水谷建設が時価より1億7000万円高く購入することで「1億7000万円」の賄賂供与したとの事実で現職の知事が逮捕・起訴されたが、控訴審判決では「賄賂額はゼロ」という判断が示された。

 しかも、この事件に関して、水谷建設元会長が、捜査段階や一審では、執行猶予欲しさに検察に迎合して事実と異なる供述をしたと佐藤氏の弁護人側に告白したことを弁護人が控訴審の公判の中で明らかにしている。今回の小沢氏側への5000万円の裏献金の供述についても、脱税実刑判決を受けて受刑中の同元会長が、仮釈放欲しさに検察に迎合して虚偽の供述行った可能性が十分にあり、供述の信用性はかなり低いと言わざるを得ない。

 佐藤栄佐久前福島県知事の場合は、郷原先生の見立てもありだと思うが、「供述の信用性はかなり低い」が法理上確定しているか、そこが私にはわからない。無理ではないかな。(あとこのケースは「賄賂」が主軸ではないと思うし。)

 水谷建設からの裏献金の事実については、石川議員は一貫して否認していると報じられている。通常、裏金の授受は、その痕跡を残さないように慎重に行われるものであり、授受の当事者の供述の信用性がポイントである。同元会長の供述によって裏献金の事実を立証することは極めて困難だと考えられる。

 ここがこの局地戦から全体戦へのつなぎ目で、否認より供述のロジックで否定されることになるだろうが、こうしたロジックで処罰できる射程はそれほどたいしたものではない。一昔前なら微罪の類。

 もっとも、報道されていない重要な事実と証拠を特捜部がつかんでいるということであれば話は別であるが、捜査機関とマスコミが一体化したような感のある今回の事件の捜査で、そのような予想外の事実がマスコミに報道されないまま残っているということも考えにくい。

 ここが現下最大の謎。

 検察側の情報の流れを見ると、情報を制御している感が強く、そしてその制御は、小沢氏側とのコミュニケーションのようにも見えないこともない。なので、全体象はまだおおむね秘されていそう。ただ、決定的な何かがどかんと出るというより、新しい時代の新しいロジックで、小沢氏終了というか、鹿島=小沢システムの終了を目標にはしているのだろう。というか、談合を日本から除去すると日本の司法が断固決めたことの必然的な既決というか必然的な実践であった。

 それでもなお、検察が小沢氏の逮捕・在宅起訴等の動きを見せるとすれば、「暴発」に近いものであり、それに対して、民主党政権の側からは、指揮権発動等も検討されることになろう。それによって、日本の政治、社会は大きな混乱に陥り、一種の「内乱」に近い状況になりかねない。

 ここは郷原先生らしくないフライングかな。

 検察としても別段民主党政権を瓦解させることが目的ではないので、そのあたりの意思疎通ができもんかと模索しているふうではある。

ますます謎。別の4億円

 ラジオを聞いていたら、ほぇと思う話があり、ネットにもあった。

 ⇒NHKニュース “翌年の4億円 預かった金”

 民主党の小沢幹事長の政治資金をめぐる事件で、土地を購入した翌年に資金管理団体の口座に入金された別の4億円について小沢氏が、東京地検特捜部の2度目の事情聴取に対し「すでに亡くなった知人から預かった金だった」と説明していたことが、小沢氏側の関係者への取材でわかりました。

 今回の事件に関連して東京地検特捜部は31日、民主党の小沢幹事長から2度目の事情聴取を行いました。小沢氏側の関係者によりますと、この中で小沢氏は、土地を購入した翌年の平成17年3月に資金管理団体の口座に入金された4億円について「すでに亡くなった知人から預かった金で、資金管理団体の収入ではない」と説明していたことがわかりました。この知人は、小沢氏の関連する政治団体の代表などを務めていたということです。4億円は、2か月後には全額が引き出され、銀行員が知人に届けたということです。小沢氏側の関係者は、4億円がどのような金で、なぜ預けられたのか、明確にはわからないが、新しい紙幣に交換するため口座への出し入れを行ったのではないかとしています。特捜部は、小沢氏の資金管理団体をめぐる不明朗な資金の流れについて解明を進めています。

 なんか次から次へと変な話が出てくる。

 いずれにせよ、どうも、フローをすべて精査しているもよう。

 ⇒小沢民主党代表元金庫番の葬儀で涙の政権奪取宣言 週刊文春2006年9月21日号「THIS WEEK 政治」

今日の大手紙社説

 日中歴史研究と貴乃花理事選が話題。前者はどれも無難なところ。まあ、決裂しなくてよかったという以上はないだろう。後者は、NHKなどで聞くとなるほどねとは思うが、私は関心ない。

日経春秋 春秋(2/2)

「何か」は歴史認識であり、袋詰めをするのが歴史家である。そう喩(たと)えるのは簡単だが……。日中両国の歴史共同研究委員会が発表した最終報告書は、共同研究といいながら各テーマに関し双方が書いた論文を並べただけという印象だ。公表されるはずだった相手方の論文に対する批評も、知れずじまいになった。

 しかたないでしょう。

歴史を読む場合、最初の関心は事実でなく書いた歴史家に持つべきだ、ともカーは説いている。教えにしたがって報告を読めば、事実に歴史認識を詰め込む中国の歴史家には、どうしたって「政治」の濃いカゲが映る。「歴史は現在と過去との対話である」というカーの名言の、こんな分かりやすい教科書はない。

 それにしてもカーが出てくるあたり世代的なものがあるな。

 小林秀雄がカーの史観をこき下ろしていたコラムがあったはずだが、あれもまた現代的な意味合いでもない。

日経社説 NIKKEI NET(日経ネット):社説・春秋−日本経済新聞の社説、1面コラムの春秋

 人民元レートや人権問題、中国の検閲に対するグーグルの異議申し立てなど米中間では火種が多い。今年は米中間選挙の年でもあり、世界経済にとって最大の不安材料は米中関係だとの分析も出ている。米中双方に賢明な対応を求めたい。

 中国の国力が高まるにつれ、中国が対外的に強硬姿勢を強めるのではないかとの不安が世界に広がっている。今回の問題での対応は試金石ともいえる。中国の軍拡への懸念も含め、日本政府は率直な考えを中国に伝えていく必要がある。

 しかし、鳩山政権は逆走しているし。

 この全体構図でいえば、おおむねオバマ政権の外交の失敗と言えるだろう。ブッシュ政権の外交は、以外と細かいところで整合性があったのだが、なかなか評価されがたい。ブッシュ=アホ、チャイニー=悪、さらにブレーン=ネオコン、といったレベルで留まっている。

読売社説 日中共同研究 歴史認識の違い浮き彫りに : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 例えば1937年の南京事件の犠牲者数について、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計がなされている」と指摘した。

 しかし中国側は、中国共産党の公式見解である「30万人虐殺説」を譲らなかった。実証的な研究では無理のある数字である。

 日中戦争についても、日本側が計画的な侵略ではなかったと指摘したのに対し、中国側は全面的な侵略戦争と位置づけた。

 中国側の変化の兆しと言えば、日中戦争の発端となった盧溝橋事件が偶発的なものであった可能性に触れたことぐらいであろう。

 盧溝橋事件が偶発とするのはほぼ確定としていいだろう。「日中戦争」の計画性については、広義には「全面的な侵略戦争」であることはまちがいない。が、これもまた上海戦の意味合いが重要になるところだ。

朝日社説 日中歴史研究―政治との距離感が大切だ : asahi.com(朝日新聞社)

 研究の継続を確認した08年5月の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の訪日までは、議論は順調だった。だがその後、一般国民への影響などを理由に中国側が、討議要旨に続いて論文すべての非公表を求める事態に陥った。

 ここがとても重要なところで、このあたりから胡錦濤・共青同が劣勢になってきた。それが今回の現代的な文脈になっている。

 とはいえ、曲折を経て1年以上遅れて公表された報告書に驚くような内容はない。南京大虐殺犠牲者の数も中国側は最大で30万超と主張するなど、評価の違いも当然のことながら目立つが、一方で総じて抑制的な表現が多く、淡々と書かれている。双方の研究者とも、日の丸と五星紅旗から距離を置こうとした跡がうかがわれる。

 これはそのようだ。以前NHK BSで中国側の歴史学者が南京大虐殺について言及していたが、日本のウヨサヨが空中戦やっているような問題はすでに事実上凍結されていた。あの歴史は国民党と日本の対応でもあり、さらに上海戦からの文脈にある。史学的な対象としては全体の意味合いもまた問われている。上海戦におけるドイツの関与なども次第に明らかになるにつれ、国民党側での思惑も再検討されるだろうし、共産党との関わりも今後解明されなければならない点は多い。

 共同研究はこれからも続くことが決まっているが、戦後部分の公開を急いでほしい。日中間で相互理解を深めるのは当然だが、研究は日中で独占されるべきものではない。諸外国の幅広い有識者の知恵や研究成果をとり入れてもらいたい。研究が静かに続けられるよう見守りたい。

 このあたり、胡耀邦系の朝日新聞識者の本音だろうが、非常に難しい。

 ただ、ここで不思議だと思うのは、日中戦を含む歴史は、日中学者以外も研究しているので、そういう参照がもう少し積極的に含まれてもよいのではないかと思う。

晴れ

 思ったほど雪は残っていない。朝からなにやら騒がしい。

2010-02-01

もひとつ、へぇ

 ⇒東京地検が2回目の聴取…小沢氏、会見で認める : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部が先月31日に小沢氏から2度目の事情聴取をしていたことがわかった。

 小沢氏が1日、党本部で行った定例記者会見で明らかにした。小沢氏によると、聴取は都内で3時間余り行われたという。

 ⇒「刑事責任問われれば責任重い」会見で小沢氏 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 小沢一郎・民主党幹事長は、1日の定例記者会見で、自身の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件について、「不正な金銭は一切受け取っていない」と改めて潔白を主張した上で、「刑事責任を問われる事態は想定していないが、もしそういう事態があるとするなら、責任は重いと考えざるをえない」との認識を示した。

 小沢氏は冒頭、「先週、弁護人を通じて当局からもう一度話を聞きたいとの要請を受けた。日程調整をして、昨日(1月31日)、都内において3時間あまり、色々な説明を求められ、知っている限りの事実、記憶している事実について、包み隠さず申し上げました。内容は、先日、行われた時(1回目の事情聴取)の内容とほぼ同じ内容です」などと説明した。

 記者の質問に対しては「個々のことは捜査中なので私から申し上げるのは適切ではないと思います」などと述べ、詳しい説明を避けた。

 ⇒小沢氏、再聴取認める 「刑事責任問われたら、責任重大」 : NIKKEI NET(日経ネット):政治ニュース−政策、国会など政治関連から行政ニュースまで

 また、同事件に関連し「私自身が刑事責任を問われることになれば責任は非常に重いと思う」と述べ、刑事責任を問われた場合には自らの責任問題は免れないとの認識を示した。ただ「ヤミ献金やらなにやら不正なカネは一切受け取っていない。刑事責任は問われる事態は想定していない」と主張した。

へぇ

 ⇒はてなブックマーク - テレビに出てる政治評論家の連中が小沢擁護ばっかりな理由が判明しました。 - Yahoo!知恵袋

 ⇒平成18年度改革国民会議収支報告書

講師料 500,000円 H18.2.11 川勝平太

講師料 500,000円 H18.2.12 末延吉正

講師料 500,000円 H18.7.14 三國陽夫

講師料 500,000円 H18.7.15 清水義範

講師料 500,000円 H18.7.16 勝谷誠彦

 ⇒平成19年度改革国民会議収支報告書

講師料 500,000円 H19.2.1 松原隆一郎

講師料 500,000円 H19.8.18 山田昌弘

 ⇒平成20年度改革国民会議収支報告書

講師料 500,000円 H20.1.31 保坂康正

講師料 500,000円 H20.2.2 浜矩子

講師料 500,000円 H20.7.11 山口二郎

講師料 500,000円 H20.7.12 寺島実郎

 講師料としてはごく相場のお値段ですが、人選とその変化がへぇ。

 山口二郎と寺島実郎については知ってたけど。浜さんもでしたか。

 ちなみに⇒旧党解散時、小沢氏側に22億 自民、法改正案で揺さぶり - 47NEWS(よんななニュース)

 政治資金収支報告書などによると、小沢氏が党首だった自由党は2003年9月26日に解散し、民主党と合併。自由党には政党交付金約5億6千万円を含む約15億5千万円が残っていたが、解散当日に使い切っていた。うち約13億6千万円を党の政治資金団体だった「改革国民会議」に寄付した。

 その後、改革国民会議は、小沢氏が塾長を務める「小沢一郎政治塾」の運営費を支出した。

がんばれ田母神さん

 ⇒はてなブックマーク - 保守勢力を集結、大衆組織設立へ 代表に田母神氏 - MSN産経ニュース

 ⇒保守勢力を集結、大衆組織設立へ 代表に田母神氏 - MSN産経ニュース

 2日に日比谷公会堂で2千人規模の結成・総決起大会を開催、安倍晋三元首相や平沼赳夫元経産相ら保守政治の確立を訴える政治家来賓として出席する予定。幹事長に就任する予定の水島総(さとる)氏は「日本の再生に保守勢力の結集が不可欠。今後、政界がどのように離合集散しても一貫して保守政治家を応援、結集し、混迷を克服する強力な組織にしたい」と語っている。

 これいいんじゃないかな。

 これで自民党から民族主義的な人が抜けてすっきりさせて、きちんと自由主義的な人が濾過され、新しい政治母体になるきっかけになりそう。

 天皇靖国国歌国旗・自虐史観等々、お好きな人たちでやっててくださいな。

今日の大手紙社説

 特になし。

 子ども手当てのマニフェストが実質崩壊しているのだが言及は読売のみ。

日経春秋 春秋(2/1)

「質」という字は、おのを表す2つの「斤」と「貝」から成る。白川静さんの「常用字解」によれば、「貝」の形は古代中国で儀式の道具に使った鼎(かなえ)から来ている。質とは、鼎にふた振りのおので、重要な約束を刻むことなのだそうだ。

 また白川静さんか。

 「貝」の形は貨幣の意味を表す。これに音を示すのが「斤」(ギン)。ギンがチに音変化した。元の音の意味は、「直」で「相当する」で、対価の意味。つまり、カネに相当するものが「質」。そこから実体の意味が出て、「質量」などに使われる。

 漢字は象形文字と言われるけど、言語として運用されるときは音価に意味が課せられる(筆談するわけじゃないから。象形文字であっても音価の指標になるだけ)。(ただ、白川学を弁護すれば、漢字の発生字の呪術の解明とも言える。それでも、言語として運用される漢字には関係ない。)

cover
漢字字源辞典: 山田 勝美, 進藤 英幸

 

追記

 ⇒はてなブックマーク - 日経春秋 春秋(2/1) - finalventの日記

style_blue finalvent, 言語, 言葉, 読み物 反論→ http://mephistowaltzer.co.cc/t/20100201.html#p04 2010/02/03

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る - hΛlの女好き日記(2010-02-01)

 すまん、なにを批判しているのか皆目理解できない(誤字脱字、直訳の誤りとかの指摘だとわかりやすいが)。

 私の考えを繰り返し書いても、すでに書いたことばかりで、それで通じてないみたいなので、なんともしがたい。

 六書は前提知識に織り込んでいる。言語運用の視点からは漢字はすべて表音文字。つまり、それは音価のコピーでしかない。そして、意味を担っているのは、その音価。では、漢字という象形は?ということだけど、音価の指標でしかない。ただし、その指標の形態がどのように当初創作されたかという議論はあるけど、言語運用においては関係ない。このことは音価さえ維持できれば、別の漢字を使ってもたいして問題ないことから自明。実際に中国語の漢字はそのように音価を軸に入れ替わってきている。

 あと、漢字は表意文字だけど、言語運用においては、異言語間のエクリチュール(権力の道具)として機能する場合であって、その場合、漢字で書かれた文章はその土着の音価が付与される(朝鮮での運用が示唆的)。でも、ネイティブでは漢字は表音体系でしかない(だから毛沢東は漢字を廃棄したかった)。ただ、同音を使い分けるのは、意味の弁別や呪術性を込めるというのはある。「さまよう」を「彷徨う」とか書きたい人がいるようなもの。あと、実際には漢字二字以上の熟語で音価を維持することが多いので、その意味の取りやすさを狙って多様な漢字表記が利用されることになる。

 それと、「そして決定打的なことをここで言わせもらうと」なんだけど、切韻音系では漢字の音価の祖型は考察できないよ、原理的に。なので、推定が入るのはしかたない。問題は、音価を中心にシステマティックに推定するしかなく、山田の考察が優れている。

 あと、漢字は言語運用上は表音文字なんだけど、不十分な表音文字なんで、そのあたりの不備は近代日本の言文一致運動の影響から逆に変化している。

 

追記

 トラックバック受信⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(2) - hΛlの女好き日記(2010-02-03)

 個別に追ったほうがいいのかな。ほいでは。

つまり、数字も表音文字になるんだ、id:finalvent の理屈でいけば。id:finalvent の理屈からするとこの世から表意文字がなくなっちゃうねぇ(笑)。

 数字は表音文字になる。音価が与えられるから。しかし、音価との対応は恣意的、あるいは文脈依存。つまり、シニフィアンとしてラング的に支配されていない。そしてシニフィエを担っているのは、その概念やシンボル。なので、これは表意文字的に理解される。日本語の漢字もそれに似ている。「川」は「かわ」「セン」というように。しかし、中国語では、漢字はすべて一つの音価しかもたない。なぜなら、それは中国語のラングでは表音文字だから。

「その指標の形態がどのように当初創作されたかという議論」それこそが、意味と文字を結びつけるステップだよ。

 それは共時性と通時性の混乱。言語システムは共時性において考察される。原初の漢字がどのように成立されたかは、ラングにおける言語の運用には関係しない。漢字の成り立ちは後から六書的に追認的に理解できるが、そのことは表音文字である共時性の漢字の運用とは関係ない。

id:finalvent は最初期の「音⇒意味」のところしか視野に入ってこないから、おかしなこと言ってしまう。つーか意固地になり過ぎ。

 「最初期」は共時性において考察の範囲外。まあ、白川さんみたくいろいろ独自に考察されてもよいけど、言語研究の範囲には入らないし、言語としての漢字の研究にはならない。つまり、漢字の意味の研究にはならない、と思う。

音だけを独立させて意味と対応させて完結させ表音文字とするなんて少なくとも私はそんな学説を目にしたことはない。

 「表音文字とする」は奇妙な語感があるけど、言語はすべて音声で研究し、書記システムは付随的に扱う。これは言語学の基本であって学説以前だから。

あれ、今度は「漢字は表意文字」としてるし(笑)

 文脈をよく読まれたし。漢字はラングの外では、つまり、日本など異言語圏では、エクリチュールによる支配のシステムとして表意文字として機能しているということ。ここが漢字の面白いところで、基本的に異民族支配のためのエクリチュール・システムとして帝国幻想と付着したから、こんな変な不合理な書記が残った。

中国のローマ字運動は19世紀末から拡がったもので、毛沢東が急に言い出したわけじゃない。

 文脈をよく読まれたし。毛沢東が言い出したとか言ってない。ではなぜ毛沢東がそうしようとしたか、ということ。実は、当時の中国人の大半は漢字が読めない。漢字が読めなくても、まったく問題ない状態だった。中国語は音声だけで成り立ち、表意文字を必要としない。言葉の意味は音価がすべて担っている。では、漢字とはなんだったかというと表音文字だった。だから、もっと合理的な表音文字にしようとした。

山田勝美さんが著書の中で採用してる音って呉音・漢音じゃないの?

 ご関心があれば参考書を読まれたし。

あと、山田勝美さんと勝負しようとか大それたこと思ってないから、比較してもらわなくても結構ですよ。恥ずかしすぎる(~o~;

 私はこの圏で、山田説以上のことは言ってないですよ。あとは言語学の基本だけ。

・音符を間違えている(斤 キン ⇒ 斦 ギン・シツ)

・「斤」の音を間違えている(ギン ⇒ キン)

・象形文字「斤」の意味を指していたかもしれない「キン⇒チ?」音と 象形文字「直(なおす、ただす、相当する…etc)」の意味を指していたかもしれないチ音を混同してる

・「斤」(キン⇒チ?)の声調 と「直」(チ)の声調が考慮されてないので、同じ音価とは確定できない

 音符については斦と書くべきだったが、「近」「新」なども同系で「斤」が充てられるので略した。山田氏も結果的に両者を同一視しているので、そう了解。

 「斤」の音については山田氏による。

 後者二点については、私は問題点が理解できない。

 

 以上。でいいかな。

 もしかすると、私を「アルファブロガーだから」とかで罵倒したいというモチーフの実践でエントリを書かれているなら、勘弁してね。糞ブロガーのひとりですよ。そのモチーフなら、ほっといてくださいませ。世の中にはバカが多いもんです。そんなのがひとりががなっていったて気にするな。女好きとのことなら、そっちに邁進・精進・研鑽あるべし。(言うまでもないけど、俺、男な。中年のおっさん。)

 

追記

 トラックバックもろた⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(3) - hΛlの女好き日記(2010-02-04)

 ほいじゃ、ぷちぷちと。

数字は表意文字です。表音文字などと言ってるのは世界中探してもアナタ一人ですよ。

 ええ、数字は表意文字ですよ。言語システムのなかで、たとえば、数えるという言語運用において、「数字は表音文字になる(機能する)」音価が与えられるから。(以下略)です。

じゃあ、アナタの認識する表意文字を挙げてくれよ。

 日本語における漢字。

アナタが「音⇒意味⇒文字」の「音⇒意味」のステップを抜き出して「表音文字だ」と言ってる限りは、この世の中に表意文字というものは存在しないことになるから(笑)。

 言語運用においては、書記系はすべて表音を示すもの。それが、音価を移した表音文字か、シンボルを意味評価したのちに音価が付与される表意文字かの違い。

「その指標の形態がどのように当初創作されたかという議論」というのは id:finalvent が書いたことで、「当初創作された」というのは、意味と文字が結びついたその瞬間の話で、アナタの言う共時性の話でしょ。

 逆。それは通時性。

ええええええ。「最初期」こそ共時性(同時性)の問題じゃないの。

 通時性。

まさに「音⇒意味⇒文字」の「音⇒意味」こそ、アナタの言う「言語の運用」の場面、つまりは、話言葉として言葉を発する場面に立ち現われる現象

 それは共時性。

なんで白川静にそんなに拘るのかなぁ。

 そこはたしかに何でなんでしょうね。学問的にトンデモと思っているからかな。

言語学の話ってのは音声言語と文字言語を統括した話

 いえ、音声言語だけ。「文字言語」は概念としても存在しない。あるのは書記システムであって、言語学の埒外。

あーもうソフィストのエンジンかかりまくり(トホホ。その時代の優勢な国家の言語が他の国でも使われて「異民族支配的」になるのはなにも漢字だけの話じゃないでしょうが。ギリシャ語ラテン語も同じでしょ。

 ギリシア語もラテン語も異文化間において表意文字としての機能はもたない。全然別。

d:finalvent は山田説なんて書いてませんよ。

 いえ、山田説を逸脱してないですよ。

漢字学者である山田勝美氏は同一視はしてないはずだよ。印刷の関係じゃないだろうか。

 「印刷の関係」を言うなら私も略記しただけのこと。ただ、印刷の関係ではなさそう。

漢字には声調があって、声調が違えば意味も違う。音価を比較するというなら、声調についても触れなきゃいけないのに、それには全く言及してない。声調について知らなかったんだろうな(後出しジャンケンで「いや知ってた」と書かれそうだけど笑)。

 切韻音系では漢字の音価の祖型は考察できないよ、声調を含めて。

しかし、id:finalvent のブログは幸か不幸か比較的多くの人に読まれている。そして、その中で、明らかな間違えを堂々と述べていることが少くない。

 それは私がバカだからですよ。ただ、「堂々と」ということはないと思う。チラシの裏に書いているわけだし。

 

追記

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(4) - hΛlの女好き日記(2010-02-05)

 まず、根幹が違っているので、そこから。

たぶん、id:finalvent は言語の意味を取り違えてる。言語ってのはコミュニケーションのシステム全体を指すんであって、話言葉など音声言語だけの話じゃないんですよ。そもそも言語学は当初、書記言語しか対象にしてなかった。コミュニケーションのシステム全体というのは、何度も×4 書いてるけど「音⇒意味⇒文字」の一連のコースのことですよ。

「たぶん」がはずれていますよ。まったく違います。「言語ってのはコミュニケーションのシステム全体を指す」なんてことはないです。それは言語活動(ランガージュ)。で、言語とはラングのこと。

 ラングにおけるシーニュは、「音⇒意味⇒文字」ではなく、「音(シニフィアン/意味(シニフィエ)」の組が一体になったもので、文字の介在はなく、ましてコースないしプロセスなんてものはありませんよ。 

まずはググってみたらいかがかな、「音声言語 文字言語 言語学」でも。大学院の言語学コースの論文などもでてますねぇ。筑波大学大学院人文社会科学研究科の人の論文2ページ目⇒ http://www.lingua.tsukuba.ac.jp/~ippan/JELS/2009/2009_Ikeda.pdf にも 言語 = 音声(言語) + 文字(言語) って図表があるので、どーぞお確かめください。

 これ読んでみた? 従来にない言語学を創出しようという意気込みのエッセイであって、ほぉ、気鋭の学者さんか学生さんかなとは思うけど、言語学の基本の話にはなりませんよ。

 

以下、個別に。

中国古来の漢字音を用いた漢語は?

 漢語は日本語。中国の漢字システムとはまったく別。

文字がない場面で表音文字が機能?

 「文字がない場合、数の概念は表音される」ということ、そしてその表音を書記した場合、数字という表意文字は音価が与えられて表音文字として機能するということ。

「ギリシア語もラテン語も異文化間において表意文字としての機能はもたない」けど「異民族支配のためのエクリチュール・システムとして機能」はしてるんでしょ。姑息な揚げ足とりはケッコーです。

 私は売り言葉に買い言葉はしないことにしているので、そこはなしにして、言語に関係ない単なる支配の現象を述べて、姑息とか言われても。

 「異民族支配のためのエクリチュール・システムとして機能」だが、支配側の言語の書記システムに依存されているかが論点。ラテン語の書記をゲール語とかで読み下せるとかいう現象はないんじゃないか。

 漢字の面白いところは、異民族には表意文字として機能し、その異民族の言語の音価が与えられるところ。実は、この性質は中国内の多民族にも適用する、というか、そのために漢字という支配の書記システムができた。こういう書記システムは他に例がないと思いますよ(私は知らない)。

だから略記しちゃいけないんですってば。「斦 (ギン・シツ)」と「斤(キン)」は別の音符なんだから、形が斤一個だから二個だからって略せるはずないじゃないですか。だって、一個か二個かで、意味が違ってくるんですから。

 漢字の表音性においては同一の機能をしていると山田氏は見ているから、斤の例も挙げているのだと思いますよ。

なぜなら、声調によって漢字の意味が変わってくるのだから。

 そこまでは、切韻音系では漢字の音価の祖型は考察できないよ、です。

 話がおかしくなっているのは、音符と漢字の混乱があるからではないですか。

・音符を間違えている(斤 キン ⇒ 斦 ギン・シツ)

 ここは、「音符」ではなく「漢字」という指摘ではないかな。ある時代に、この二つの漢字は別の音価を持ったということと、山田がある時代に「質」の音価を「チ」としたというのは別の話ですよ。

さて、セクハラへの謝罪がなかったことと以下の返答がまだないですね。

 これはわからん。なんかセクハラしていたか。理解したら謝罪するよ。思い当たるとすると、「女好き」というのでつい男性だという憶測を持っていたのはある。自分はありがちなヘテロなんでそういうところに偏見がある。そこは悪かったなと思う。私はよく言われるが、女に優しくない。

 山田氏のこの件については特にこれ以上の言及はないし、彼の考え方の総体は著書を読まれるしかないのでは。読んでみたら。面白いよ。


追記

 トラックバックもろた。はいはい。ではでは。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(5) - hΛlの女好き日記(2010-02-06)

シニフィアンはイメージや概念を担う記号表現で音だけではなく文字も含みますよ。⇒wikipedia:シニフィアンとシニフィエ。よって id:finalvent の論理は前提からして破綻。

 あはは。シニフィアンとシニフィエはラカンなんかの議論を見てもわかるように、それだけ取り出せば、意味するものと意味されるものだから、文字も含みますよ。ラングにおいてシニフィアンは音価になるというということなんですよ。ラングにおけるシーニュの特殊性から言語の研究が始まるんです。

あのね、言語学の研究領域に音声言語と文字言語があることは前提になってて、その二者の関係の認識の仕方の違いをここでは言ってるだけでしょ。広辞苑、マイペディア、大辞泉から wikipedia に至るまで「言語」の定義は「音声と文字を含むもの」または「記号体系」だから、もういい加減あきらめなさい(笑)。

 大学などでの「言語学」科目の領域にあるのは確かですよ。ただ、言語研究の対象ではないということ。少なくとも近代言語学の祖であるソーシュールの原則に則った言語学ではないよ。

あくまで「文字の介在はなく」と言い張るんだったら、そうした説の典拠を明らかにしてみなさい。まあできないだろうけど(~o~; で、「文字言語」って調べたらあった?

 「文字言語」なんていう言語(ラング)は存在しないですよ。それは、Written languageの訳語であって、languageを二次的に書き起こしたという意味なんですよ。

日本語の話をしてるんですってば(~o~; 「日本語における漢字」の話でしょ。話を恣意的に切り出すのは止めなさい。それとも本当に国語力がない人なのか?

 いえ、日本語の話なんかしてないですよ。漢字というものが、中国語と日本語でどのように機能しているかという話です。「質」という漢字にどのように意味が付与されているか(中国で)(音価を介在して)、それがいったん付与されたから、日本語でも表意文字として機能しているわけです。

id:finalvent は最初に「数えるという言語運用において」と断ってるわけだが、数を数える行為に文字は関わってないだろうに。「表音を書記」するというプロセスは「数える」とは別のプロセス。(幼稚園児かいな、トホホ)

「数を数える」という行為と「数を数字に記す」行為は別のプロセス

数を数える行為において文字は介在してないから、そのプロセスで「数字は表音文字になる(機能する)」なんて表現は、論理が破綻している。次。

 ここは単純に意味不明。

 意味不明なところはスルーしてきたんだけど、まあ、誤解されるので、書いときますね。ちなみに、数えるとき、「ひとつふたつみっつ」って言わないんですか。いや、「いちにいさん」とか言うとか反論?

話題の本の書評みたいなものを書いてる id:finalvent は水村美苗の『日本語が亡びるとき』を読んでるんじゃないかと思うが、id:finalvent の言う「異民族支配のためのエクリチュール・システム」は水村の言う「普遍語」の作用と同義で、国境を越えて「知」が共有されるときに、それを担う言語体系ということでもある。

 全然違いますよ。これは前回に書いたとおりなんだけど。

 漢字というのは、異なる言語を持つ民族に意味を伝える手段(支配の手段)として、その帝国的な機能を持っているということです。ラテン語をゲール語で読み下しているなんてこないでしょ。

 水村美苗さんの議論は、以上のことは別だし、話をややこしくするのでパス。

何を言ってるんですか。id:finalvent は「質」の音符を「斤」と書いた。その音は「キン」だ。しかし、正しくは「質」の音符は「斦」だ。その音は「ギン・シツ」だ。これを同じに扱っちゃダメでしょ。id:finalventも「音符については斦と書くべきだった」と書いてるのだが、これ撤回するのか?

 いえ、音価の標識として山田氏は、「斤」と「斦」を区別していない。なので略記しただけのことです。

 「斤」という漢字と「斦」という漢字が、ある年代・地域で別の音価を持っていたという議論とは、別のことです。

「切韻音系では漢字の音価の祖型は考察できない」と言いながら、実は自分自身が「切韻音系で漢字の音価の祖型を考察」してしまったことなんだね。以下。

 いえ、山田氏が祖型を考察しているのだと私が理解しているだけです。それ以上の解釈を私は加えてませんよ。

 あと、いろいろ書かれているけど、前提が違っていて、理解できない。というか、なんか全然違う議論を熱心されている気がする。

頑固な偏差値55を一所懸命正解に導いている徒労感を感じるなぁ(~o~; そうそう、「語るに落ちた」な部分もあったね(笑)

 まあ、そう思われているなら、私の学生時代の偏差値がいくつだったかは書かないことにしておきますね。

 セクハラの件だけど、よくわからない。「女好き」と書かれているので、だったらそちらに邁進したらというくらいのことだけど。「男の尻じゃなくて女の尻を追っかけてろ」とか言ってないけど。逆に「id:finalvent がハゲでデブでチビで加齢臭が漂って、女性が外見で興味を持たない人かもしれない」とか言われているけど、俺。まあ、当たっているのでしかたありませんね。

 まあ、論点をまとめると。

・ 音価の標識として山田氏は、「斤」と「斦」を区別していない。

・「斤」という漢字と「斦」という漢字が、ある年代・地域で別の音価を持っていたということと、「質」の音価の議論は別です。

 

追記

 ほぉ。という感じ。では。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(6) - hΛlの女好き日記(2010-02-07)

id:finalvent にソシュールなんて理解できんのかなぁ。

 その気持ちはわかりますよ。

で、ラングというのは言語のルール系 or 構造態 or システム といった社会で共有されるコード、諸言語に共通して見出せる性質

 ぶー。ラングというのはごく簡単に言えば文法のことです。だから、Paradigmatic analysisとSyntagmatic analysisの対象になるわけです。

 インスパイアされた思想家達が、ソーシュールから「言語のルール系 or 構造態 or システム といった社会で共有されるコード、諸言語に共通して見出せる性質」という比喩を使ったということ。ただ、ドゥールーズなんかもその手の誤解をしているから、けっこうありがちな誤解。

パロールは、もっと個人的で揺らぎのある言語

 ぶー。簡単にいえば、ラング=文法によって、個々のコンテクストで発現される文の産出のことです。それには、コンテクストによって「揺らぎ」もあるかもしれないということ。ところで、「揺らぎ」って何だ? そんな概念あるのか?

ソシュールは言語をラングとパロールに分けてる以上、言語システムであり構造態であるラングの外で語る記号論なんてないのだ。

 ぶー。「構造態」ってなんだか皆目わからないが、「ラングの外で語る記号論」というのがナンセンス。ソーシュールは、近代言語学を創出するにあたり、まず、その礎石として、一種のGeneral Semioticsを形成する。ここは後の思想家にいよいろインスパイアする部分になる。で、そのGeneral Semioticsのなかで、言語というものを特定していくなかで、ラングの概念を確立する。まとめると、記号論のなかでラングが特徴付けられているけど、ラング対象とは異なる記号論とかはあるし、ラカンとか以下略。

パロールという個人的な言語を対象にした領域では記号論を語れない

 記号論はGeneral Semioticsとして成立するから、やるきになればパロールでも成立するかもしれない、というか、John Langshaw Austinなんか結果的にそういう仕事をしている。ただし、これは哲学の分野。言語学とは言い難い。

繰り返すが、記号論、シーニュ/シニフィエ/シニフィアンはラングの中でしか語れない、成立しない。

 だから、それが全然違うわけですよ。なので、そのあとに「従って、」とする部分以下は全滅。

 たとえば、そういう変な前提で。

その前提で言えば、ソシュールのラングはランガージュをさらに峻別して出てくる概念です。そういう意味では、

 ぶー。ありえないって。ランガージュを「峻別」ってなんの意味ももっていない。ラングがどのように概念措定されるか、その方法論がまるでわかってないでしょ。

ラングは言語のシステムであり社会コードであり、構造態なのだから表記体系としての文字言語 or 書記言語はシステムに包摂されるに決まってるじゃないですか。

 このあたりも壊滅的間違い。たぶん、「システム」という言葉に酔っているのだろうと思う。いわゆる哲学畑の構造主義者もこういう言い回ししちゃうんで、悪影響を受けるのもしかたないなとは思うけど。で、「書記言語」なんてものはないのね。でも、書記システムは存在する。正書法とかιの付け方とか。でも、これはラングの外部の問題。言語学の範疇ではない。音声をいかに模写するかという一つの歴史的な偶然の産物にすぎない。

そもそもラングを「文字言語」として訳出してる場合もたくさんある。文字言語というのは先行する音声言語構造態から派生する文字を媒介にした言語構造態であり、表記体系なのだから、言語の構造態としてのラングとなんら矛盾しないし、それと一致してると言ってもいい。

 うーん。面白いなぁ。でも、ありえないって。

ラングが言語構造態であるように文字言語も文字を媒介にした言語構造態なんですよ。

 あいもかわらず「言語構造態」が皆目わからないけど、そもそも文字言語なんていうものがありえない。

 まあ、前提が全然違うのでこの話はここまでとして。

いやいやいや、アナタは「日本における漢字」の説明として「シンボルを意味評価したのちに音価が付与される表意文字」と書いてた。それを微妙に言い回しを変えてきたわけですね。

 このあたりで詭弁とかいろいろ弄されているのだけど、私は皆目わからない。

上のアナタの新たな謂いだと、音と意味のセットになった漢字が日本にやってくるわけですが、日本には大和言葉があって、漢字の音と意味のセットは必ずしも、そのまま運用されないで文字に新たな音(読み)が与えられる場合もあります。しかし、一方で、そのままの音+意味のセットで運用することもある。前者が和語で後者が漢語なのだけど、漢語の場合は、中国にあったものそのままなんだから、あなたの言う表音文字になってしまって表意文字にはならない。

 わからん。何がわからんかわかろうと努力するに、「漢語の場合は、中国にあったものそのまま」というあたりだろうか。私は、漢語は日本語だと言っているのだが。

 というかやはり言語システムというものがよくわかっておられないのではないかな。「中国にあったものそのまま」というのがありえないのだが。というか、そのままなら、そんまま日本で中国語がわかる人が中国語で使っているということになるのだが。

日本語に和語と漢語が存在する以上、アナタがどう言いくるめても、「日本語における漢字は表意文字」にはならないんですよ。

 漢語は広義に和語ですよ。「天地玄黄」がどう読まれたか知っていますか。というか、この言葉の由来知ってる?

「数を数える」ときに「表音文字が機能する」なんて表現は論理破綻してますよ。「ひとつふたつみっつ」も「いちにいさん」も音ですよね。

 ここも変だと思うのだが。「いちにいさん」も音、だから、「表音文字が機能する」ということなんだが。

漢文を日本語で読み下すことが可能だったのは、漢字が表語文字で、日本語のひらがなが表音文字であったからできたことであって、ともに表音文字のラテン語とゲール語でできるわけないじゃありませんか(笑)。

 おや、「表語文字」なんて仕入れてきたね。あはは。

 「漢字が表語文字で、日本語のひらがなが表音文字であったから」ではなく、漢字が読み下せたのはそれが日本という異言語環境では表意文字として機能していることが前提になったということなんです。

それは、支配云々、帝国云々で語る事柄ではなくて、表音文字か表語文字かという言語上の問題によって規定される事柄ですよ。

 これが逆なんですよ。まあ、ここはたしかに議論としては脇になるし、そもそも切韻がなぜできたのか、焚書坑儒とはなんだったかという歴史を語る必要があるので、ここは、休戦ね。平和。ピース。

「id:finalvent は『音符については斦と書くべきだった』と書いてるのだが、これ撤回するのか?」と前回書いたのですが、撤回するんですか?

 ここがよくわからん。「質」の音価を示すのは、「斤」ではなく、「斦」と書くべきだった、というのはそう。そこはチラシの裏で、しかも文字化けしそうな文字はめんど、とか思った。ただ、山田氏は、類例の漢字の構成からみて、「斤」と「斦」を区別してない。ああ、これは「斤」で見ているんだな、じゃあ、いいかということ。で、いいのか。いいと思ってますよ。で、撤回になるのか。撤回しないことになるのか、よくわからんが。

それと、「シツ・ギン」は「斦」という漢字の音価ではなくて、「斦」という音符の音価ですよ。「斦」という漢字の音価は中古音で「チ」です。

 ここが共時性と通時性で混乱しているところにしか見えないのだが、「質」という漢字の音価指標が「斦」であることと(「質」という漢字が利用されていた時代にね)、「斦」という漢字がある時代に「シツ・ギン」とか「チ」とかの音価を持っていたことは、別ですよ。

その山田さんの考察を id:finalvent はそのまま援用し、自らの主張として、白川静さんの説に反駁したんですよね。なんたって他人に著作を薦めるぐらいに、山田さんの説に心酔してるわけですし(笑)。で、そういうことをしておいて、後から、あれは山田氏の考察ですから、私は関係ありませんと言うのはズルイですなぁ

 なんかどういうこだわりをしているのかわからないけど、山田氏の考察以上の自分の私見なんてないのだが。

本当に矛盾したことを言う人ですね。後付けでどんどん言うことを変えていくんだから、そりゃそうなるでしょうけど。

 うーむ、奇妙な前提からそういう主観が導かれることがあるんだろうな、という以上には、私は理解でけんところです。

たぶん、id:finalvent に理解できないだけだと思います。でも、これ以上、簡単に説明できる事柄じゃないし、わからなければ、それが id:finalvent の限界なのでしょう。

 あ、それはそれでいいですよ。私はバカだと言ってるし、日記はチラシの裏だと思っているし、その前提には、自分の知性なんてミジンコの脳みそくらいだと自覚しているし、限界なんかいろいろ。

ま、論理展開の仕方や言語学の専門用語の理解の仕方を見てたら、どの程度のオツムの方かはわかります。

 ということなんだから、こんなオッサン相手にしなくてよいよ。

ただ漢字についての話をしてるだけなのに、唐突に「『女好き』と書かれているので、だったらそちらに邁進したら」というのは相手が男であれ女であれ失礼には違いないでしょう。これを失礼と思わない感覚だったら、無神経なおじいさん感覚で更にヤバイですね。

 そこがわからん。なので、だから、「無神経なおじいさん感覚で更にヤバイ」という理屈はわかる。

その二点上に書いた通りです。

 で、その対応がわからん。繰り返すと。

 

・ 音価の標識として山田氏は、「斤」と「斦」を区別していない。

・「斤」という漢字と「斦」という漢字が、ある年代・地域で別の音価を持っていたということと、「質」の音価の議論は別です。

 

 この話がどうつながっているのか、わからん。

 ちなみに、山田氏は、齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)という音変化の例を挙げている。

 これを見る限り、「斤」=「ギン」が「チ」に変遷するとしか読めないのだが。つまり、「斤」と「斦」を区別していない。

 もちろん、山田説が全然違うというなら、はあ、そうですかで、それはまた別の話。

 

追記

 おお、元気だね。では。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(7) - hΛlの女好き日記(2010-02-07)

↓みんな言ってること同じですよ↓

・言語のルール系

・文法 ← id:finalvent 推薦の訳語、上記「言語のルール系」と同義

・構造態

・システム

・社会で共有されるコード

・諸言語に共通して見出せる性質

 あー、これはあかん。基礎概念もその背景や学説観の差異もめちゃくちゃ。

言語に包含される諸要素相互の関係性から見た言語の側面でしょ。関係性というのは態様であり、それを秩序づけるルールの蓄積でありコードの蓄積ですよ。それだけの話です。

 それが全然違うのだが。「言語に包含される諸要素相互の関係性から見た言語の側面」とか意味不明になっているのだけど、感受できていないのだろうか。「関係性というのは態様であり、それを秩序づけるルールの蓄積でありコードの蓄積」もなんの意味もないジャーゴンの結合でしかないよ。

なぜ、ぶーなんだろう。なんか急に幼児表現になってますね。ちょっと、気色悪いです(汗)。50過ぎておられるんですよね。少し、落ち着いたらいかがでしょう

 ああ、それはそうかもしれない。ただ、そんな感じだったんだよね。なんか、昔、をちょっと思い出してた。

ラングは言語共同体における社会的規約の体系としての言語の側面です。これについて、共同体的、社会的拡がりに注目するなら、それに対置しうるものとして、パロールの個人性に注目し、ラングの個人的実践、個人的言語、個人的で揺らぎのある言語と表現することはけっして間違ってませんよ。

 まあ、そんなふうに理解して、いろいろな「現代思想」ができちゃうのも、言語学からインスパイアされた側面としてあってもいいのかなとは思うけど。「ラングは言語共同体における社会的規約の体系としての言語の側面です」も、まあ広義に間違いとも言えないのだけど、社会的規約として意識されるものではなく、だから「個人的で揺らぎのある言語」という対応ではないのですよ。

パロールという個人の発話行為は言語共同体のシステム(文法でもいいですよ)であるラングに対して、あるときはそこから逸脱し、あるときはそこへ侵犯します。

 ここも、こう理解がしちゃう人がいるのはわかるけど、規約・規範ということではなく、むしろパロールというのはコーパスなんです(こう言うのはちょっと危険なんだけど)。だから、「揺らぐ」とすれば、規範文法がラングに見えるときの記述文法的なものに見える、ということ。しかし、こうした混同が起きないために共時性の概念を加え、変化を通時性の側に回している。まあ、ここも厳密にはドゥルーズなんかも言っているようにWilliam Labovが着手した社会言語学的な共時性の差異というのもないではないけど、いちおうそれは応用言語学の領域に方法論的に区別されるところなんだよ。

言語学の概念じゃなくて、現代思想の概念であります。id:finalventジャック・デリダは読まないみたいですね。

 正確にいうと読まないわけではないけど、なんだこいつというくらいにしか理解していない。というか全然理解できない。彼の現象学理解なんかも基本的に間違っていると思っている。

で、言語のルール、社会的規約の体系としたラングを研究する中で記号論というシステマティックで汎用的な理論が成立するんじゃないですか。

 ぶーとかいうといかんか。そこがどうも根本的に理解されていないようだ。というか、構造主義でいう、というかレヴィストロースなんかのいう「構造」も理解できてないんじゃなかな。ソーシュールにとっては、記号論は言語学の基礎付けで、達成とは逆なんですよ。ソーシュールは天才すぎて記号論の豊かさみたいのをほったらかしてくれたから、後の学者の残飯にもなったのだけど。そのわりにソーシュールは晩年アナグラムみたいな変な世界に閉じこもってしまったけど。

一般的な認識として、「記号論はラングを対象にしている」でいいのですよ。

 ここで笑っちゃいけないのですよね。

えーと。「やるきになればパロールでも成立するかもしれない」と自分でも書いてるぐらいに、ラングを対象にしない記号論なんてありえない、それが一般的な理解であることを id:finalvent は認めているのに、再び、「だから、それが全然違う」にどうしてなるのだろう。

 これを詭弁とか言っちゃいけないのですよね。finalventは詭弁だけど、finalventが詭弁というのはダメよの社会的規約なんですよね。はいはい。

つまり「パロールを対象にした記号論」なんて、id:finalvent だけしか言ってませんよ。他に言ってる人がいたら、その典拠を示してください。

 その言明の典拠というのは違うけど。これが実質。

cover
言語と行為: J.L.オースティン, 坂本 百大

ランガージュつまり辞書で索ける言語(人間の社会集団における相互伝達の手段としての本来音声による記号。文字によっても表現される。)、言語学的に厳密に言えば言語活動が、そのまんまに存在してる私たちの生活環境があります。そこから、それを対象に研究する言語学を始めるにあたって、それら言語活動=ランガージュと峻別され、新たな対象として措定されるのがラングですよ

 なんかすごいことになっているな。「辞書で索ける言語」はたぶんコードのことを指しているのだろうけど、こう表現すると規範文法にしかうけとれないよ。「言語学的に厳密に言えば言語活動が、そのまんまに存在してる私たちの生活環境」も言いたいことわからないではないけど、それはSapir-Whorf hypothesisの類になる。

id:finalvent のその特殊なソシュール理解はどこから捻り出したんだろう。言語学とか現代思想は、能力のない人が独学でやっても、自己満足言葉遊びに終始するだけで虚しいと思うんですけど、虚しいと思う叡智が欠けてるから、こういう言葉遊びで虚勢を張ることに悦びを見い出してしまうんでしょうなぁ。ふぅ。

 ふぅ。

 いろいろぐぐって検索件数とか出しているところは、ちょっと、カワユス。

誤解しちゃいけないのは最初から訓読が確立してたわけではないということ。中国語を日本語化する過程で訓読の技術が生まれ、それは日本語をも変えたのだと解すべきです。それが文化の伝播というもんでしょうし。

 ここは理屈の取り方かもしれないけど、訓読が確立ときに漢語という日本語になったのね。だからそれ以前とかは日本人だけど中国語を使っていたというだけのことで、異言語の意識はない。

言葉遊びはいいですよ。例外的な事項や一般的でない解釈を持ち出して、一般的な事項や解釈を否定するのは詭弁のイロハでしたっけ。i

 「天地玄黄」が「例外的な事項や一般的でない解釈」ですよね。はあと。

「天地玄黄」は千字文の最初の句ですね。その読みを言いたいのだろうか。由来は『易経』坤卦文言伝の中の一節にあるんでしょう。そんなことをここで尋いてもあまり意味があると思えませんが。

 どうも「文選読み」を知らないご様子。

数を数える行為のどこに文字が介在しているのですか? 文字が介在してなければ「表音文字が機能する」ことはできないでしょう。

 このあたりは、どう話がねじれているのかわからない。数を数える行為のどこに文字は介在していないと思うが、とかいうとまた矛盾だ詭弁だとかになるのでしょ。

表語文字という言葉はこの一連のエントリの一番最初のエントリで既に使ってます(参照)。以降、指摘の箇所まで通算で4回、私のエントリの中に登場しているので、前回のエントリで「仕入れ」たわけではないですよ。

 ここは了解。「ポゴ・レリチ」みたいにわかりやすい。

「(漢字が)日本という異言語環境では表意文字として機能」するには、表語文字である漢字と表音文字であるひらがながなければ無理ですよ。

 これは単純な間違いだと思うよ。少し考えるとわかると思うから指摘しないけど。

逆の意味をちゃんと説明できますか?

 いやできてない。変なスキーマを出してきているなと思っている。

どうも音符や形声文字や六書の概念を用いて漢字を解字することを、私流のやり方と誤解されてるよう気がするんですが、

 いや、普通に優等生さんなんだなと思うし、そういう優等生さんが学者さんになるのかなとは思っている。ただ、ソーシュールとか山田の透徹性みたいのは理解されないんだろうなとは思うけど、たしかにそういうふうにいうとトンデモに聞こえるし、山田説はたぶん学会的には珍説の類だから、それを指示するfinalventは珍説オジサンというのはわからないではないよ。

音符である「斤」と「斦」を区別してないということですね。後述で、齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)という例が挙げらているのを見ました。手元の辞典と照合して、音符「斤」の音が「キン⇒ギン、キ」に変化するパターンを知りました。

 そう。

 最初からそういうことで話しているんだけど。

ただ、そこには「シツ」の例がないこと、斦には「キ」の例がないことなどから、斤と斦を同じ音符として扱うことには、まだ疑問が残ります。「質」の音符も、山田氏は「斤」だと書いているのですか? 「質」の音符は「斤」だというのは id:finalvent の判断ではないのですか?

 ああ、この疑問はよくわかるし、そこが疑問だという指摘は「ポゴ・レリチ」級にわかりやすい。ので、ていねいに答えると。

 その疑問は当然だということ。そこはそうだと思うよ。

 「「質」の音符も、山田氏は「斤」だと書いているのですか? 」なんだけど、厳密には書いてない。ので、ほうらfinalventの判断で間違っている、というなら、40%くらい留保していいところ。で、そこから話なんだけど、にもかかわらず、「質」の「斦」音標識の音価について「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」としているところかは、妥当に「質」の音標識は「斤」だと判断できると思う。

 まあ、「質」の音標識は「斦」だというのはそうだけど、それを山田氏は、「斤」の音標識として理解していると、例解から判断できるということ。というか、普通にそう見えるんで、かったるーと私なんかした。

>「斤」という漢字と「斦」という漢字が、ある年代・地域で別の音価を持っていた

>ということと、「質」の音価の議論は別です。

id:finalvent が「別」と書いてるその議論は「同じ」ですよ。質の音価を決定するのは質の音符である斦なのですから、両方の話はリンクしているのですよ。

 まあ、くだくだ議論してたまにはgdgdもいいかな、少し言語学の基本でも説明するかなとか思っていただけなんだけど、この指摘はきちんと受け止めておくよ。そういう疑問はあると思う。

 つまり、音標識とは漢字であるという主張ね。だから、「斤」という漢字と「斦」という漢字の差異は考慮されなくてはならないという主張。

 で、私というか山田氏説を受け入れているだけなんだけど、そこは曖昧に、音標識として見ている。というのは、音標識がそのまま直接意味を担っているから。

 まあ、だからソーシュールとかくだくだ持ち出したわけで、そこらのぼんくら現代思想好きをソーカル的批判をしたいというわけではないよ。

おおやっとマトモな典拠提示がきた。調べましたけど、「齗」も「祈」も音符は「斤」になってました。で、音符の欄にはそれぞれ「キン<ギン>」、「キン<キ>」とあるんですけど「<>」のカッコに挟まれてないほうが。その音符の固有の音、元々の音ということです。ということは、音符の「斤 キン」の音が、それぞれ、「キン⇒ギン」、「キン⇒キ」に変化したということです。これは音符の音が固有音から変化したという話。id:finalvent が山田氏の著作から写しとった上の変化では、音符「斤」の音がオリジナルの「キン」から変化したあとの音が、それぞれの漢字のアルファベットとして付されているということですね。

「齗(gin)→祈(ki)」という書き方は、本当にこのままの書き方で山田氏の著作に書かれてたのですかね。もしも、このままの形で書かれていたのなら、矢印が示すのは漢字の音の変化なのかもしれません。前後の文脈があったら、もう少しわかることがあるかもしれません。

 まあ、そう修辞的に大仰に書くこともないと思うけど、というか、私は最初からその前提で話していたのだけど。なので、六書とかわかってないレベルの批判がくだくだ続いて、まいった。

ただ、これを見て、「斤」=「ギン」が「チ」に変遷するというのは無理があると思いますよ。

 まあ、そういう異論があるのは理解できるよ、と、さっきも書いたけどね。

「チ」の音を持つ漢字として「直」を持ってきたのはどういう理由なんでしょう。

 話が少しそれるけど、その疑問も共有できる。山田氏の該当書籍を読むとわかるけど、朱駿声の「説文通訓定声」研究の応用として出てくる。典拠はそこにあるし、当時、漢字の世界がわかったように思えた。

 まあ、それを主要に研究しないで無駄に年を取ってしまったボケ爺だぜfinalventというのは、責められてしかたないなとか思う。まあ、いろいろ青春があったり、書籍を捨てて沖縄暮らししたりとか人生いろいろあったんですよどうでもいいですからじじい。

なんですよ。これ、一応山田さんの著作のアフィは貼ってあるけど、文中には山田説であるとのことわりはなにもないですよね。ちゃんと自分の主張として書いている。自分の主張の中で「切韻音系で漢字の音価の祖型を考察」している。これを山田さんの説だから、自分は関係ないというのは卑怯じゃないかという話です。

 それは30%くらい留保する。というのは、この手の話、今回が初めてじゃないし、意図としては、白川静撲滅運動(冗談ですよ)のいっかんで機械的にまいどやってたくらいなこと。ただ、極東ブログのほうにはこの背景についてそれなりに書いてきたので、ええかくらいな感じ。基本的に、なぜfinalventってやつはこんな変なことを考えるんだろうというのは極東ブログのほうに多少ていねいに累積しています。

 

追記

 論点としてはだいたい終わっていて、あとは修辞の空回りに見える。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(8) - hΛlの女好き日記(2010-02-08)

 で、重要なのは、論点としてという意味だけど、一点だけ。

↓の図式は id:finalvent が山田氏の著作を読んで、それを要約して、図式化したということだと思うのですが

>>齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)

 「思うのですが」の上の議論はカードキャッスルなんで、原典を参照のこと。

 という一点に尽きていて、憶測からの論点には触れないほうがいいとは思うのだけど。

音符「斤」の音がオリジナルでは「キン」であったのが「ギン・キ」に変化したというのは正しいです。辞典で確認できますから。しかし、そのことと「ギン」の音を持つ漢字(例:齗)が「キ」の音を持つ漢字(例:祈)に変化したという話は別です。ここは id:finalvent が山田氏の著作を誤読してるのではないかと思います。山田氏は、音符「斤」の音が「キン」から「ギン」や「キ」に変化したという文脈でこれらを書いてるのではないですか? そうであるのなら、それは普通の穏当な理解であり、事実なのだからわかるのです。

 「山田氏の著作を誤読してるのではないかと思います」はまず原典を参照のこと。

>H: 「チ」の音を持つ漢字として「直」を持ってきたのはどういう理由なんでしょう。

これに直接の答はなかったわけですが、つまり、「チ」の音を持つ漢字として「直」を持ってきたのは id:finalvent の思いつきだったと解釈してよいのですね。

 いや、原典を参照してごらん。

>「ギン」の音を持つ漢字は「チ」の音を持つ漢字に変化する。

という認識を基に、音符の概念を用いず、「質」の意味をパズル感覚で自由に解いたと、そういうことですね。

 いや、原典を参照してごらん。

それと、上の図式から、「質」の音符は「斤」だと判断できるとしてますが、漢字の音符がなんであるかは辞典の内容が全て頭に入ってる人でもない限り、確実にはわからないことです。もちろん「斤」についての知識があれば「祈、折、近」などの音符が「斤」であるという類推はできますが、「質」の字はその音符が「斤」だと思ったら、実は「斦」だったというように、最終的には多くの研究者の研究成果の蓄積である漢和辞典にあたらなければわからないことです。

 ここは、嫌がられるようだけど、山田氏の論考への批判としてはなりたつかもしれないけど、そこからid:finalventを取り出して、そこだけ批判するというのは、無理。

 あと、ただ、同情しちゃうのは、その無理だというのを万一ご理解された後、「最終的には多くの研究者の研究成果の蓄積である漢和辞典にあたらなければわからないことです」もかなり変容せざるをえない点。

 前回そこの示唆を込めて、朱駿声の「説文通訓定声」に言及したのだけど、読み落としているでしょ。というか、山田氏や私が「説文通訓定声」を重視しているという意味を了解しようともしない。まあ、id:finalvent はバカだうそつきだという公理系から修辞を産出してしまっているからだと思う。でも、バカの議論というものにも0.5%くらいの真理が潜んでいるものだよ。

その図式に「質」の字が入ってたのなら、山田氏がそう理解していたとは言えるのですが、ここには「質」の字はないので、そうしたことを類推できません。「折、近」等の文字であれば、その音符が「斤」であると類推できますが「質」の音符は”二斤”なので、最終的には漢字学者の研究成果の集大成である辞典にあたらなければわからないことなのです。「普通にそう見えるんで、かったるー」という気持ちはわかります。が、これが落し穴になることもまたよくあります。

 これも原典を参照してごらんなんだけど、厳密にいえばそうだけど、妥当な推論としてなりたつと思う。そしてそれ以上は、山田氏の議論だと思う。しかし、その場合、議論の立脚点は「説文通訓定声」になるんですよ。

 

 さて、あとはどうしようかな。まあ、ぷちぷちと行きますか。

数式じゃあるまいし、ラングの定義が日本語の同じ単語で説明されると思ってるおめでたい人には何を言ってもしょうがないのかもしれません。「言語のルール」と「文法」は違うと言う人なんですから(笑)

 (笑)がカワユイなあ。しいていえば、ラングは数式ですよ。これはGeneral Semioticsの時点でそう。この認識はヒルベルトの構造主義なんかだとさらに徹底されるんだけど。というか、ソーシュールの偉大さは「意味」を言語学から排除したことにある。このことがわかると、ほんと、驚くもんだと思うけど。そしてこの驚きがないとラカンとか理解できないと思うけど。

 「言語のルール」と「文法」は違うだけど、ラングはまあざっくりいえば文法なんだけど、ただ、その場合、ラングにルールが含まれる。そして言語のルールという場合にランガージュを指すならそれは重層的に存在する。そしてそのなかで、言語学の課題とはなんだろうという明晰さから近代言語学が始まったんだけど。

×について。要素間の関係性を規定するのがコードでありルールなのだから、要素間の関係性を研究するということは当然コードやルールを研究することも意味しますよ。社会的規約の体系というのはルール系であり文法の蓄積なのだから、両者の間には隔たりはありません。というよりも、これは、言語学を語る以前の国語力の問題でしょう。

 そう国語力の問題。で、間違っているのは「両者の間には隔たりはありません」のほうなんだけど。人間は動物だから動物の原理性を追求すれば人間は理解できる、みたいな論理ミス。

 「社会的規約の体系というのはルール系であり文法の蓄積なのだから」がナンセンスな言明になっていることが感受されていないごようす。

ジャーゴンの意味をわかってませんね。それぞれの言葉の意味は実に単純で明快です。id:finalvent が正しく言うべきは「私には理解できません」でしょう。

 それぞれの言葉の意味は単純明快ですか。これですよね。

↓みんな言ってること同じですよ↓

・言語のルール系

・文法 ← id:finalvent 推薦の訳語、上記「言語のルール系」と同義

・構造態

・システム

・社会で共有されるコード

・諸言語に共通して見出せる性質

 ありえないけどなあ。システムと構造の差異もわかってないとしか見えないけど。たぶん、機能ということがわかってないのだろうと思う。そしてそれは、ソーシュールが「価値」と呼ぶものをおそらく根底から理解してないんだろうと思う。

 まあ、今ふと気がつくんだけど、このあたりのソーシュールの議論は意外とスコラ哲学的な背景もあるのかもしれないな。

どうせ読んでないんでしょうけど(笑)、「(デリダ)の現象学理解なんかも基本的に間違っていると思っている」と言い放つ人に、なにをどう説明しても無理のような気がします。自分がこうと思い込んだら、誰が何を言おうと耳を貸さないのでしょう。

 ナカーマ!

「というか」の多様って、いい歳をした人がやるもんじゃないと思いますが、このへんは感受性の問題なんでしょうか。「なんかのいう」というのも。

 「というか」の多様ってなんだろ? various expressions of toyouka。わからん。よもや「ポゴ・レリチ」問題でもないし、嘘つき事件に発展するわけもないでしょうが。

 「いい歳をした人が」というところは、ところで、こういう表現は、差別にならんわけな?

 人がどのような言語表現をするかは、内容からは、完全に分離できるわけでもないけど、捨象可能だとしか思えない。まして、「いい歳」については、エクリチュール上の虚構でもあるんだけど。

笑ってもいいですけど、笑うことで晒されるのは id:finalvent の無知ですよ。先にも書きましたけど、シーニュ/シニフィアン/シニフィエという記号学の概念は、ソシュールがラングを研究対象と措定し、それを考察する過程で生まれた概念です。これを笑うアナタはソシュールの理論の基礎の基礎を理解できてないのでしょうね。それどころか、こういう過程を無視して、シーニュ/シニフィアン/シニフィエという記号学は「やるきになればパロールでも成立するかもしれない」ですか(呆)。「かもしれない」ってなんですか。つまり、「(記号論は)ラングで成立する」というのが前提になってるわけじゃないですか、アナタの認識でも。

 私が哲学の祖から学んだことは、自分が無知であるということなんだ。で、「記号学の概念は、ソシュールがラングを研究対象と措定し、それを考察する過程で生まれた概念」はそれであっているんだけど、そういうと私が矛盾とかになるわけだよね。ただ、正確にいえば、ラングを研究対象とするための前提的方法論だったということ。

 「かもしれない」は、これもなんども言っているけど、言語学の範疇に入らないということ。

>H: 繰り返すが、記号論、シーニュ/シニフィエ/シニフィアンはラングの中でしか語れない、成立しない。

>F: だから、それが全然違うわけですよ。

 

これほどハッキリした詭弁はありませんよ。まぁ、悪意にとらなければ純粋に id:finalvent の思考の混乱なのかもしれないが。

 これね、正確にいうと、こうなんですよ。「シーニュ/シニフィエ/シニフィアンは記号論のなかで語られ、記号論の上にラングの議論が成り立つ」ということ。ラカンとか読んだことないのかな。記号論はラングだけの議論ではないよ。

彼の言う「発話行為」というのはラングと峻別されたパロールではないですよ。「パロールを対象にした記号論」どこにあるんでしょう?

 オースティンの発話行為はまさにパロールなんだが。そしてパロールの意味を問う、というのがここでの記号論なんだが。

> 「辞書で索ける言語」はたぶんコードのことを指している

 

脊髄反射で反応しないで、ちゃんと文章読みましょうよ。

 

辞書で索ける言語(人間の社会集団における相互伝達の手段としての本来音声による記号。文字によっても表現される。)

と書いてるんだからランガージュでしょ。

 つ・ま・り、「辞書で索ける言語」が「ランガージュ」なんですか。すまん、圧倒されて返答もでけん。

千字文を声に出して読むときは文選読みで読むのですよ。知らなかったのなら、このさい覚えておきましょう。

 正確にいうとちょっと違うんですが、まあ、このあたりの時代の日本人の異言語経験の話は通じてなさげ。というか、これは停戦領域か。ピース。

> 数を数える行為のどこに文字は介在していないと思うが

 

ということは、数を数える場面では「表音文字が機能」なんてことはないのですよね。とすると以下のアナタの謂いは間違いですね。

 どういうロジックなのかわからん。

>H: 「(漢字が)日本という異言語環境では表意文字として機能」するには、表語文字である漢字と表音文字であるひらがながなければ無理ですよ。

>F: これは単純な間違いだと思うよ。少し考えるとわかると思うから指摘しないけど。

いやいや、間違いでなくて真です。考えるまでもなく真です。これを否定するにはアナタの相当な努力が必要でしょう。努力しても無駄でしょうけど(笑)

 これはそう、努力しても無駄っぽい。

漢字はそうした普遍語の一つとして存在する。

 停戦域だけど、ここは論点に関わる部分なので、軽く言及しておくと、「漢字」は言語を表記する体系であって、言語ではないし、まして普遍語でもないですよ。この「普遍語」というタームの用法もそうとうにおかしいけど、できるだけ意を汲んでおくとして。

現地語の読みを与えて漢文(中国語)を訓読してるのは日本だけですから。ベトナムにしても韓国にしても漢字の音をそのまま当てて、現地の別の言葉で「訓読」することはしてません。つまり id:finalvent の言う「表意文字」にはなってません。id:finalvent の言う「表意文字」として機能することが「異民族支配のためのエクリチュール・システム」であるのなら、ベトナム、朝鮮では異民族支配が行われなくて、日本でだけ行われたということになります。

 ここが面白いところなんだけど、まあ、そう言いたくなる気持ちはわかる。戦線を広げたくないんで、ここの言及は控えておくけど、関心がある人がいるなら、以下を参照のこと。

cover
中国意外史 (Shinshokan History Book Series): 岡田 英弘

 まあ、岡田説はまたトンデモになるんでしょうが。

 

追記

 「あーはっはっはっは。失礼」の尊いお言葉聞けたように、論点的には終わりというか、原典参照を待つほうがよさそう。そのあと、「往生際が悪い」みたいな修辞は私はしませんから、お気兼ねなく。参照結果をとりあえず待ってます♪。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(9) - hΛlの女好き日記(2010-02-09)

 

 以下は、散発的に、レッツ・ナカーマ!

ちょっと宜しいでしょうか。なにか勘違いしてませんか。アナタのほうが私より大幅に年齢が上であることは薄々感じていますが、自分のほうが年寄りだからといって、見ず知らずの相手に「〜してごらん」はないでしょう。そういうぞんざいな物言いは失礼ですよ。

 「あーはっはっはっは。失礼」

まあ年齢や性別を盾に自分を上にして有利な立ち位置を確保したいということなのでしょうが、イマドキのやり方じゃないですね。少なくともスマートな男性は表面上は性別や年齢で相手に対する態度を変えないもんですけどね。どこの田舎紳士かと。

 いやそんなこと考えてもいないが。

 「少なくともスマートな男性は表面上は性別や年齢で相手に対する態度を変えない」っていう表現に昭和な香りが。うーん、マンダム

[d:finalvent が「チ」の元の音の意味は「直」とした理由がわからなくて狐につままれた気分です。

 山田氏の本を典拠にしているよ。

>ちなみに、山田氏は、齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)という音変化の例を挙げている。これを見る限り、「斤」=「ギン」が「チ」に変遷するとしか読めないのだが。つまり、「斤」と「斦」を区別していない。

 これは山田氏が著書の中に書いてることではなくて、id:finalvent 独自の考察と判断です。

 いや、「齗(gin)→祈(ki)、希(ki)→絺(ti)」は、そのままそう書いているだけ。

 そして、そこから私は、「斤」と「斦」を区別していないなと判断した。で、それはこの例を見てもわかるように、それほど奇異な判断ではないでしょということ。

 たぶん、伝聞と判断の差異が区別できてないんじゃないかな。「文脈を読むのが下手なようですね。こういうところを見てると、どの程度のオツムの人なのかというのがわかるんですよ」なんて修辞は返さないけどね。

私はそのあたりの id:finalvent 独自の考察と判断を俎上に載せているのですよ。

 そんなのないよ。なんか批判げにバッシングされているのは、ドンキホーテの水車のようなもん。

あのですね「説文通訓定声」は清代に著された「説文解字」の解説書ですよ。従来の解説書と違って目新しいことと言えば、音符の分類によって漢字を配列し、古音を中心に註を加えたということです。つまり、従来、意符によって漢字の配列が行われてたことに比べたら、音符の意味が格段に重要視されることになったという点で画期的な書なのです。その書を読んだというアナタが音符の意味を軽視するのですか?

 いや、軽視してないのだが、それどころか、尊重して書いているのだが。

清代の説文の解説書ということは、現代の漢字研究者の間では非常に古典的で重要なものなのですよ。あるいは、マニアックな漢字好きの間でも有名でしょうね。それが証拠に、私の手元の漢和中辞典や大漢和辞典などある程度の大きさの漢和辞典の親字は康熙字典・中華大字典・説文解字注・説文通訓定声・宋元以来俗字譜等から収集され、その研究成果の上に成り立っています。笑。「説文通訓定声」によって漢和辞典の意味が変容するとか、よくもそういうたわけたことが言えましたね。

 言えるよ。山田氏の本の序説を読んでご覧。

ちなみに、手元にある赤塚忠・阿部吉雄編「漢和中辞典」(旺文社)の編集委員は次の方々です。

 

>伊東倫厚、遠藤哲夫、小和田顕、斉藤喜代子、妹尾勇、西岡市祐、沼尻正隆、林茂夫、山田勝美(五十音順)

山田氏も編集委員として加わってますよ。

 ここで失笑すると怒られるというルールなんですよね、ラジャー。では、加藤常賢と山田勝美による「角川当用漢字字源辞典」と先の山田氏の著作と比べてみると面白いですよ。共著と自著とどう違うかわかりますよ。

「質」の字について山田氏が言及してないのに、上記の図式から勝手に「斤」を音符と思い込んで(←「普通にそう見えるんで、かったるー」)話をしたのは id:finalvent 自身に他なりません。これは「説文通訓定声」とは全く関係ない話です。しかし、よくもまあ話を全く関係のないものに結びつけて、あさっての方角にほっぽり投げることができるもんだと呆れます。オースティンの話も同じです。真面目に物事を考える人の態度じゃないですね。ま、これも詭弁のイロハですか。

 通じてないなということはよくわかった。「通じてない」入力が「詭弁のイロハ」として返却されることもよくわかった。これで議論になるんかいなはループ中。タイムアウトでtry-catchかな。

落ち着いて文章を読みましょうよ。数式は「ラングの定義」でしょ。ラング自身ではなくて「ラングの定義」。重要なことなので二回書きました。

 ちがうよ。より正確にいうなら、「ラングの表現」だよ。ラングとは何かと問われれば、数式でも表現できるということ。これは、Zellig Sabbettai Harrisがより具体化して、そのお弟子のチョムスキーに引き継がれた。

まあワザとやってるんなら話は別ですが(笑)←この字気に入っていただけてるんですかね。

 カワユイなとは思っているけど、もう書いたりしないから、ご安心あれ。

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ぶん‐ぽう〔‐パフ〕【文法】(大辞泉)

1 文章を構成するきまりや規範。また、文章を書く上でのきまりや書き方。

2 言語を構成する諸要素の間にみられる法則性。また、それを分析・記述する研究。ふつう、単語・文節・文などの言語単位について説かれるが、さらに語構成・文連接・文章構成などの問題についても扱われることがある。

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法則 【英辞郎

law(科学の)

principle

rule

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 往生際が悪すぎ。

 これで往生していたら、言語学できないんだけど。というか、これらの辞書規定は言語学からの市民社会による理解の派生でしかない。

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そして言語のルールという場合にランガージュを指すならそれは重層的に存在する。

via: 日経春秋 春秋(2/1) - finalventの日記

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あーはっはっはっは。失礼、煽るつもりはないんだけど、これはあんまりです。ランガージュとラングはソシュールによって峻別されたのですよ。そして、「言語のルール」はラングを研究対象にして、そこから抽出されたのですよ。いやこれはあんまりだ。

 「「言語のルール」はラングを研究対象にして、そこから抽出された」なんて言ったか? うーむ、「これはあんまりだ」という感じを私も持つが。

 「言語のルール」はラングを含むけど、その総体ではない。そして、それらは重層的に存在するもの。

人間の研究と動物学の研究は重なるところも多いでしょうが、人間の研究は動物学の研究では言い尽くせないということは明らかです。なぜなら比較の対象になる人間と動物の包含関係は下記のようだからです。

 このあたり、基本が通じてなげ。

ああ、失礼。「多用」の変換ミスです。訂正しておきました。いやしかし、こういうの挙げつらわれちゃうのか。id:finalvent の誤字・脱字・変な日本語文法を一々指摘してったら大変なことになりますけどね。

 

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「ポゴ・レリチ」問題でもないし、嘘つき事件に発展するわけもないでしょうが。

via: 日経春秋 春秋(2/1) - finalventの日記

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「ポゴ・レリチ」じゃなくて「ポゴ・レリーチ」です(笑)。随分とこれに拘ってるように見受けられますが、なにかあるのでしょうか?

 なにかあるのか?と。 うーむ、まったく、通じてなげ。

「差別」? 「いい大人が」でもいいですよ。「歳」でカチンときちゃったのかな。「子曰、吾十有五而志於学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而 従心所欲、不踰矩。」って言ってね、それぞれの年齢には、それぞれの年齢なりのもんがあるという考え方があるんですよ。

 そういう考え方があるのは知ってる。私は逸脱している。で、なにか問題でも?

あーはっはっはっは。失礼。えーと即ち、ラングを研究対象とするためには前提として記号論が必要、ということですか。即ち、記号論がなくてはラングを研究対象とすることができない、ということですか。あーはっはっはっは。そもそも「前提的方法論」っていうのが意味不明ですね。

 「記号論がなくてはラングを研究対象とすることができない」はそのとおりだが。

 「前提的方法論」というのは、ラング研究をするには、記号論が前提的な方法論になるということだが。

そもそも、記号論だのパロールだのという言語学の専門用語を使った言葉が言語学の範疇の言説ではないと言うんでしょうか。大丈夫?

 大丈夫。実際そうだし。学問というのは専門用語を使えば入るっていうもんじゃないことはソーカルとかで笑える実例あり。

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>H: 繰り返すが、記号論、シーニュ/シニフィエ/シニフィアンはラングの中でしか語れない、成立しない。

>F: だから、それが全然違うわけですよ。

H: これほどハッキリした詭弁はありませんよ。まぁ、悪意にとらなければ純粋に id:finalvent の思考の混乱なのかもしれないが。

 

F: これね、正確にいうと、こうなんですよ。「シーニュ/シニフィエ/シニフィアンは記号論のなかで語られ、記号論の上にラングの議論が成り立つ」ということ。ラカンとか読んだことないのかな。記号論はラングだけの議論ではないよ。

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ぷっ。失礼。これって、ソシュール理論の話をしてたんじゃなかったんですか。言語学一般の話をしてたんじゃありませんよね。オラなんかものすごい詭弁を見たど。

 ソーシュールの理論は、記号論と言語論があって、記号論については、現代思想的な応用がきくよということ。なにか詭弁?

オースティンは言語の研究対象をラングに措定して、それと峻別されたパロールを「発話行為」として研究したのですか? 違いますね。だって、オースティンはソシュール学派でもなんでもないのですから。ソシュールのパロールというのはランガージュと峻別されたラングから派生したものですよ。「発話行為」の訳語に囚われて、ソシュールのパロールとオースティンの「発話行為」を一緒に考えたのなら笑止です。その概念が出てくる過程が全く違うのに。

 オースティンはソシュール学派ではないけど、パロールの研究をしたと理解できるということだよ。

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つ・ま・り、「辞書で索ける言語」が「ランガージュ」なんですか。すまん、圧倒されて返答もでけん。

via: 日経春秋 春秋(2/1) - finalventの日記

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以下、辞書で索ける「言語」です。

コピペ中略)

「人間の言葉の総体」と「音声または文字を手段として、人の思想・感情・意志を表現・伝達し、また理解する行為。またその記号体系。」とで何か違いますか? ラングとパロールが峻別される前の人間の言語活動がランガージュなのですから人間の言語活動一般を指す辞書的な「言語」と同義でしょうに。

 「辞書で引ける「言語」」は、「人間の言語活動一般を指す辞書的な「言語」と同義」という意味ね。「言語」というものが辞書引けるもんと理解しているかと思った。まあ、それなら社会通念としてそうはずれてない。

頑固な小学生相手に教えてるみたい。

 あ、それはよいイメージです。そんなもん、俺。

質問に答えて、正解を与えたのに「このあたりの時代の日本人の異言語経験の話は通じてなさげ」とはこれ如何に。とにかくなんでもいいからディスりたいんでしょうねぇ。アナタの社説ディスりと手法は全く一緒です。やれやれ。

 「質問に答えて、正解を与えた」命題が正しいなら、ほんと、やれやれなんでしょうね。

 そして、そのことに対する対話者の同意プロセスは不要なんだから、これは、すてきな、完璧な世界ですよね。

 

追記

 トラバもろた。お仕事大変そうだね。体を壊さないように。

 ⇒「finalvent さんの漢字論」珍説を再び斬る(10) - hΛlの女好き日記(2010-02-10)

 特に論点も進展もないみたいなんだけど、ちょっと補足してもいいかなということがあるので、少しばかり。

 重要なことを最初に。

山田氏の「漢字字源辞典」が使ってる発音がどの時代のものか尋いたときにも「本を読め」と言って、結局、そのあと、どの時代のものか当の本人がわかってなかったことがバレたように、「チ」の元の音の意味は「直」なんてバカな論理の根拠など「漢字字源辞典」には書いてないのでしょう。

 いや、書いてあるんだよ。だから原典参照のことと言っているだけですよ。

 なんか追記で、はてなが暴走してしまったみたい。続きは⇒<日経春秋 春秋(2/1) その2 - finalventの日記

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