finalventの日記

2010-08-02

これだけど

 ⇒誰が何をネグレクト? - Chikirinの日記

あなたは、

あなたの奥さんは

あなたの娘さんは、

20代で結婚して、子供を2人産んで、離婚したら、母子で自活できますか?

 女性ということになっているちきりんさんが、他者として、そして大半は暗黙に男ということになっている修辞的な問いかけで問題の枠組みが設定される。そして修辞性の効果として、経済問題だけに捨象される。だからネタなんだということかもしれないが。

 この問題はしかし、「あなたとわたし」という市民の直接性の枠組みのなかで、市民が罪責を問う形にしないと、経済の外で問われている部分に気がつかないし、暗黙に問われた他者として疎外された倫理の弁解の延長に、市民の直接から乖離した正義が生まれることになる。(慈愛の王を自然に生み出す。)

 正義が制度を超えて幻視される怖さを知るなら、正義を制度のなかにきちんと閉じ込め、その先に倫理を問うのであれば市民の直接性に依拠するしかない。つまり、「わたしは」という問いで問われなくてはならない。「ちきりさん」という女性であるなら、産むものとして。finalventという男であるなら、産ませるものとして。つまり、母であり父として。(母としてというなら、おそらく大半の女性がこうしたネグレクトに内省的な共感を持っているはずで、その感受を隠しているちきりんさんは欺瞞なのだが。父としてというなら、ファルスを引き受けること。)

faye2071faye2071 2010/08/02 09:49 ぎえ。
ものすごく無責任に言うなら、私もこのちきりんさんの書きっぷりは不愉快だったです。
金があったってなくったって、育てる親は育てるし、ホストクラブへ行く親は行くよ・・・。だから「赤ちゃんポスト」を否定する気はありませんが・・・、(そういうネグレクトな親って、ある意味治療不可能と、ワタシは諦観しました)。

faye2071faye2071 2010/08/02 09:53 補足。自分は、子どもはもう諦めました。年齢言うのもあるけど、友人と「どうしたって蹴飛ばしたくなっちゃうよね、自分の分身だと思うと」と話しあって・・・。人ごとと思って、無責任な感想ですみません。m(__)m

junmykjunmyk 2010/08/02 15:46 「流れる星は生きている」の藤原ていとの差を考えざるを得ないです。いや、どちらも残酷なのですが。

finalventfinalvent 2010/08/02 15:59 faye2071さんへ。ちょっと言い過ぎるかもしれないけど、僕は、ネグレクトな親がデフォルトだと思ってますよ。

finalventfinalvent 2010/08/02 15:59 junmykさんへ。ええ、僕もそれ思いました。実は、同質の残酷さはあるのですよね。

saihousaihou 2010/08/03 02:03 『サンキュー、ボーイズ』という映画で、あるシングルマザー(ドリュー・バリモア)が友人(ブリタニー・マーフィー)に涙ぐみながら、
「彼(息子)のことは愛してるの。でもね、時々、自分が本当に彼を愛しているのか、愛さなければいけないと思っているだけなのかよくわかんなくなるの・・・・・・善良な人たちはこんな風に考えないでしょ?」
と言うのに、その友人が、
「私には大したことは言えないけど、これだけは信じて。これからもずっと信じていてね。あなたはジェイソンを確かに愛しているわ。あのさ、人ってね、愛しすぎるとその感情を少し麻痺させないとやってけないものなの。(多くの人はそうやって麻痺させてうまくやってるものなの。)どれほど相手を愛しているか知れば生きていけなくなるからよ。自分より相手のことを愛しているなんて自分の手には余るもの」
子育てって過剰な愛情と行き過ぎた放置のどちらにも簡単にふれてしまうものだと思います。そのどちらもデフォルトといえそうです。
今の時代、シングルマザーはもちろんですが、「父親は外で働き、母親は家で子どもの面倒を見る」という家庭の場合でも、母親が母親だけでなく父親もやらなくてはいけない(自分の中で母性的な部分も父性的な部分も同じように両立させなければならない)ので、両端の間でうまくバランスを取ることがことさらに難しいのではないかと思います。
さらに難しいのは、両端の中庸でやっていればいいのかというとそうではないところ。子どもって無意識的に親の本気を試そうとするようなところがあります。たとえば、(親の目からみたら)わざわざ怒られるようなことを、それもことさらにこちらの神経を逆なでするようなことを一番マズいタイミングでするようなことってよくあります。こちらが「いいお母さん」をやろうとすると、「それは本当のお前ではないだろう?お前の本気を見せてみろ!」という展開になってくるというか。無意識のうちに親の本気に触れたがっているというか。そういう時、「本気」が過剰な愛情か行き過ぎた放置という形で出てくることが多いように感じます。(正確には自分の本気から目を逸らそうとしてそうなるということなのかもしれません。自分のそういう部分を日常的にさらけ出すというのはかなりキツいことですから。)

>「どうしたって蹴飛ばしたくなっちゃうよね、自分の分身だと思うと」
faye2071さん(と友人の方)に 同感です。ただ、私の場合、ここから先にも自分で自分のことを「げええっ」と思うところがあります。
うちの場合一姫二太郎なのですが、上の子(女)に対してそれが強く、下の子(男)には甘いような。たとえば「アンタ、こんなこともできないの!」という時の腹立ちは上の子にぶつけるものの方が強い。
愛情の多少とか軽重の問題ではなくてただ違う。
で、「げええっ」というのは、この違いが「下にどうしても甘くなる」という部分よりも、「同性の女の子には自分を重ねるので厳しくなり、男の子は自分にとっては異性なので恋人のように見てしまう」という部分の方が大きいのではないかと自分で思うからです。
「私=娘」の役割を担わされている娘は大変ですが、下に弟ができて、「自分と母親」だけでなく「母親と弟」の母子関係も見ている(母子関係が相対化されている)ので、もうそう簡単には取り込まれないというか、子どもって強いですね。
子どもを取り込もうとする自分と、「言うことをきかなければ断つぞ」という自分、それを自分の中でうまく編んでいくのはとても難しいことです。
子どもを育てるって日々戦いです。

yukyuyukyu 2010/08/03 02:40 勝間さんが捨象という言葉を使ったので覚えました^^

当事者意識のところの思考停止なのかなあ。
森達也がなぜだか思い浮かびました。

charlestonbluecharlestonblue 2010/08/03 09:10 これらの議論の内容がわからず反応できなかったのですが、弾さんの記事を読み、意味わからねーなと思ってた。なんか人間、本格的に本能が壊れてみたいですね。ほんと、意味わからなかった。(ある鈍感な中年男より)

finalventfinalvent 2010/08/03 15:18 saihouさんへ。この問題は、一般論として見える部分と、実際の市民社会の内実に踏み込んでみないと見えないところがあります。そして、後者を見ないで前者で語られる正義は、ちがうと思うのです。抽象的な言い方ですが。あるいは、「子どもを育てるって日々戦いです」というのが、むしろ、それだけが、実際のところ市民社会の内実のすべてと言っていいと思います。

finalventfinalvent 2010/08/03 15:19 yukyuさんへ。物事を形式的に見るときの操作、捨象=抽象ですね。

finalventfinalvent 2010/08/03 15:20 charlestonblueさんへ。日常の直接の機会で、決定的な行為が取れるかが問われているので、極論すれば、現実的には理解なんていらないですよ。

ziomziom 2010/08/03 20:42 この件に関しては第三者が理想論を振りかざして批判できるほど、日本の社会(宗教)は子育てを公共物と見なしてないのですよ。成人後の労働力は社会として利用したいが、育てるコストやリスクは個人に押し付ける。そこが養子を抵抗なく受け入れるキリスト教徒と違ふ(養子を取れば神の救済もある)。またニグレクトは時代を越えて普遍的にあり、大家族と地域社会がそれを補って居た。それでも秘密裏に消された子も多い。
何が言ひたいかといふと、赤の他人の子を養子にする覚悟のない人はこの件に対して単なる過失致死以上の倫理観を振りかざす資格がないといふことです。私もその資格はありません。

faye2071faye2071 2010/08/03 23:00 ・・・う〜ん。
ziomさんの仰る事は、旧かな時代の倫理の真実ではありますが・・・。
現代の日本は、結構養子とまでは行かなくても、公共の子育てって段々整備されつつある気もするんですけど・・・。私も、そういう人の善意によって今日まで生き延びてきたし。
ひたすら、この子どもさんのように子ども虐待110番に電話してましたよね・・・。今も、たまにそうだけど。
私は、この親御さんに対しては、精いっぱいのところで「要領の悪い人だったんだろうな」とは言えます・・・。かわいそうだなとも思うし自分もそうなったかも知れないとは思う。
私が、不愉快なのはあくまでちきりんさんの「ご冥福をお祈りします」と言う言葉の裏にある冷たさなんですよ。”親の方が子より偉い、赤んぼの1、2人亡くなってもそれがなんなの?”と言う。それが「日本だ」と言われると、もうどうしよもないけど。

finalventfinalvent 2010/08/03 23:24 ziomさんへ。ちょっと言葉遣いが堅いけど、私は市民の直接性というのを信じています。つまり、そこに人が動けるのだ、と。もっというと、私は動きますよ、と。

ziomziom 2010/08/04 08:22  「子どもは誰の子」といふ命題があって、今回の事件の防止策として、無責任な子作りをするなと主張するひとは、依然として「子どもは親の子」と認識してゐるわけで、この件に関しては無力な第三者です。所詮、生物学的な子どもしか認めてゐないわけで、生物学的な自己快楽を優先してネグレクトした親とレベルが違ふとは思へません。
 「子どもは神の子」と思ふのなら、血のつながりに関係なく率先して助けに行くべきです。本当にこの問題にずっと関心があるのなら、50年も生きてゐれば、地元の公立小学校で死に至らなくてもネグレクトが横行してゐることぐらゐ知ってゐるはずです。養子の何人かは既にゐるはずです。
 子ども手当てのときもさうですが、あの程度のはした金で喧々諤々するのですから、日本の社会には、子育てのコストとリスクを個人に押し付けてゐる自覚がないのでせう。
 血がつながってゐるから育てるのは当然でショ?といふ主張は、やはり子どもを生物学的な存在としか認識してゐないのです。

finalventfinalvent 2010/08/04 08:26 ziomさんへ。「50年も生きてゐれば、地元の公立小学校で死に至らなくてもネグレクトが横行してゐることぐらゐ知ってゐるはずです」が私を指すのであれば、知っていますよ。そしてそれを織り込んで考えていますよ。

saihousaihou 2010/08/04 09:19 >市民の直接性
何とか繋ぎとめようとしている人(母子)がいるのですが、その人が孤立しているにはそれなりのわけがあって、やはり私自身にもその人に対する屈託はあるし、その人と付き合うにはものすごくエネルギーがいるのです。
私にもそういった愚痴を言う相手はいるのですが、結局、そういう痛みみたいなものを受け入れる覚悟がないといけないのよね、と自分で時々気を引き締めています。
でも−自己弁護をいえば−「交通事故に遭って怪我をすれば痛い」ということが事前にわかっていても、実際に交通事故に遭った時の痛みを軽減することにはならないのですよね。もちろん、交通事故に遭って怪我をしたら痛いから保険に入っておこうとか、まずどこに電話しようとか、そういう手続き的なことを知っておけば、こちらの2次的3次的な痛手は防げるのですが。
痛みをどう自分の中で消化するか(何故そこが痛むのかということについて納得がいくまで考えること)、が私の当面の課題であるようです。
話の流れと関係ない、個人的な愚痴ですみません。

finalventfinalvent 2010/08/04 10:25 saihouさんへ。「市民の直性」というのは、市民法を逸脱している部分があるので、市民社会のオモテの側の問題ではないと考えます。むしろ、身近の地域社会へのそなりのコミットということになるでしょう。ごく薄いレベルなら、子どもと挨拶するくらいの関係の維持でもよいように思えます。で、それが、とても重要なんだろうとも。

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