finalventの日記

2010-11-20

ああ、これは労作

 ⇒「暴力装置」の起源と系譜 - 名無しさんの弁明

 おつかれ様でした。

 異論はないですよ。実は、ヴェーバーは「暴力の独占」は述べたけど、「暴力装置」という用語はこの文脈では使っていなかった。だから、「暴力装置」は厳密にはヴェーバーに由来する用語ではないです。

 ただ、社会学の慣例としてヴェーバーの「暴力の独占」が「暴力装置」と理解されてきたので、では、そういうことで整合的に説明しましょうかということでした。

 そして整合的に説明するとたぶん私の解になると思う。少なからぬ人が罵声を投げかけてきたけど、理詰めで考えてごらん、そうなるから。

 とはいえ。

 「暴力の独占」を前提に「暴力装置」をきちんと理解すると、暴力装置とは国家である、ただそれだけ、という帰結しかない、ということ。

 ただどこかに、ヴェーバーの「暴力の独占」と、流布されている「暴力装置」を繋ぐリンクがあるはずで、調べていたけど、よくわからなかった。

 ⇒Twitter / finalvent: Twitterで「暴力装置」がマックス・ヴェーバーに ...

 率直に言うと、神山茂夫かなという印象は薄い。おそらくレーニンの文脈で神山より古いのではないかという印象はある。

 それでも、この考察はおそらく正しいだろう。

いずれにせよ、初期において神山茂夫が「暴力装置」という言葉を軍隊に当てはめ、その概念を広めるのに一役買ったという点は間違いないように思われる。それ以降、全共闘世代や、政治学者の間で軍隊=暴力装置論、またあるいは国家=暴力装置論とされて広まり、さらにはヴェーバーの国家による「暴力装置」の独占論として広まったものと思われる。たとえば戦後を代表する政治学者の福田歓一はその著作のなかで「暴力装置」という言葉を使用しているが、

 ちょっと悪口いうと、この世代の人きちんとヴェーバー読んでないんですよね。そんなありがちの誤解なんではないかと思う。

 そして、そういう誤解の上に、「自衛隊は暴力装置」が出てくるのはしかたないかなと思うのだけど、私としては、ヴェーバーの「暴力の独占」からすれば、「暴力装置は国家」という結論は避けがたかった、ということ。

 で。

 おや⇒「暴力装置」の起源はレーニン? ウェーバー? - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記

 これもご苦労様でした。

 柴田翔さん1935年生まれ(75歳)、仙谷由人さん1946年生まれ(64歳)、石破茂さん1957年生まれ(53歳)。仙谷さんの世代では、ウェーバーは常識だったとは断定できない。

 まあ、そう。

 実は、ヴェーバーというのは、私も受講したけど大塚久雄先生の影響が大きく、時代の流れでは、マルクスへの決別としてヴェーバー社会学が読まれていた(新左翼とは別の流れで)。私は、全共闘世代がいやでいやで大塚久雄を読んでヴェーバーを学んだくち。そしてご本人の講義も、青春。

 ヴェーバーがマルクス主義の代替として読まれたのは、1970年の始めころ、つまり全共闘の実質的解体を意味していた。もうちょっというと、大塚先生はマルクス主義を内包し、かつ、キリスト教的な倫理観をただよわせ、若者の憧れでもあった。姜尚中さんなんかもそのあたりではないかな。

egpehcbdegpehcbd 2010/11/21 18:17 「○○曰く」とか言うときは、ちゃんと資料漁って原点示さないととひどい誤解したまま言ってそうだなと反省しました。

eternalwindeternalwind 2010/11/23 03:02 残念ながら大塚久雄の西洋経済史ってコミンテルン史観そのものなのですが。
中世イギリス農村の囲い込み運動がマニファクチュアを生んでそれが資本主義の原点である
とか大塚は言っていて、大塚の著書では、その論拠として洋書をあげているのですが
角山栄によると、その本のどこをよんでも、マニファクチュアのことなど一つもかかれてないとかwwwそして、角山がイギリスに留学して向こうで聞いたら、そんな事実はないと否定されて
むしろ日本ではそんなことを論じてるのかと笑われたそうです。

つか、大塚史学一派がマルクスべったりだったから、コミンテルン用語とウェーバーが
結びついて、暴力装置などという珍語が、全共闘左翼の仙谷の頭に刷り込まれたんでしょ。
R.N.ベラーとかを読んで、マルクスへの決別としてのウェーバー社会学というなら分かりますが
大塚を読んで云々って、明らかにおかしいですけどね。全然決別になってない

finalventfinalvent 2010/11/23 08:53 eternalwindさんへ。いや、「残念ながら」ではなく、知っているよ。全然決別になっていないということ。その含みで書いたらから、「マルクス主義を内包」とし、姜尚中さんを挙げているのだけど。ついでに言うと、サルトルなんかもこの偽代替マルクス主義で日本では同じ位置にあった。実存主義というのは大塚史学なんかと類似のポジション。
 暴力装置は、元来は、state apparatusの暴力という側面を表していた。珍語の部類ではあるけど、state apparatusの響き、つまり国家だよ、という含みはある時代まではあった。
 これを大塚史学的な折衷が、Gewaltmonopol des Staatesの解釈としてもちだしてしまったということではないか。であれば、その過程をバックトラックしてみましょうかというのが僕の話だった。
 もうちょっといえば、アルチュセールとかきちんと読まれていたら、今回もうちょっとマシな反論が出てくるはずなんだけど。

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