日経新聞社説 市場が迫る米財政赤字の削減  :日本経済新聞

 米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が米国債長期格付けの見通しを「安定的」から「弱含み」に引き下げた。財政健全化の圧力が米国にかかる。米政権は財政赤字の削減を急ぎ、市場の信認を維持すべきだ。
 S&Pが米国債の格付け見通しを引き下げたのは初めてで、債券・株式市場が反応した。実際の格付けは最上位の「トリプルA」に据え置いており、2年以内に格下げする確率が3分の1を超えるという。
 背景にあるのは米国の財政悪化だ。2011会計年度(10年10月〜11年9月)の財政赤字は過去最大の1兆6450億ドル(約136兆円)に膨らむ。金融危機後に打ち出した景気対策の負担が大きい。

 米国では大きな話題でしたね。

産経新聞社説 【主張】菅首相 延命に財政再建使うとは - MSN産経ニュース

日銀引き受けで通貨の信認が失われるのを危惧する向きもある。ただ、こうした問題をタブー視すべきではない。復興を日本再生への投資と考え、内外から民間資金を募ることも必要だ。これらを抜きにして、首相は「財政再建の道筋をつけるところまでやれれば政治家として本望だ」とまで強調しているが、真意を疑う。

 「また産経か」で葬るとしたらどうかな。普通の議論に思えるが。

毎日新聞社説 社説:児童6人死亡事故 通学路の安全を守れ - 毎日jp(毎日新聞)

 社説で取り上げなければということで書いちゃったのだろうと思う。そしてぴかぴかの正論ができあがると。
 ちなみに⇒「持病の薬飲み忘れた」6人死亡事故の運転手 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 捜査関係者によると、柴田容疑者は「てんかんの持病があるが、この日は発作を抑える薬を飲み忘れていた」と供述。また、事故直前にハンドルに突っ伏し、事故後もしばらく車内で動かないでいる姿が目撃されており、県警は発作を起こし、意識を失っていた可能性もあるとみている。

 真相はまだわからないが。

読売新聞社説 震災対策予算 復興に増税はやむを得ない : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 結果的に増税であってもべたにやるかという問題に思える。
 ⇒「今の日本に必要なのは倒閣よりも大連立だ」 ビル・エモット 英エコノミスト誌前編集長に聞く|ポスト3.11の論点 日本と日本人の選択肢|ダイヤモンド・オンライン

 まず日銀直接引き受けは、不要な議論だ。今回の復興にあたっての日銀の役割は、物価を安定させることによって経済の発展を後押しするという従来と変わらぬものであるべきだ。日銀という存在が、復興財源の直接的な出し手であるとのメッセージを発することは、激しいインフレを招きかねないという点において、極めて危うい。繰り返すが、日銀はあくまで復興資金調達を容易にするために金融市場と経済を強力に支援する役割を担っていると考えるべきだ。
 また、増税についても、私は否定的だ。ありきたりな分析だが、困難な時期における増税が経済活動を弱めた例は過去において枚挙にいとまがない。消費税にせよ、復興税にせよ、今はそうした議論をすべきではないだろう。
 では、どうすればよいのか。私は結局、市中消化の原則を堅持しつつ国債発行で調達することが妥当だと思う。むろん、繰り返しになるが、借金の積み増しは、野心的で説得力のある復興計画とセットでなければならない。

 むずかしいね。
 Twitterでちらと書いて、多少誤解された向きもあるが、軽微なナショナリズムみたいなものは国家維持には必要になるだろういう印象はある。きっこさんみたいに、震災時の感動してしまう天皇制の心理はごめんこうむりたいが。

朝日新聞社説 原発をどうするか―世論が動かしたドイツ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 象徴的なのがドイツだ。原発推進に傾いていたメルケル首相が姿勢を変え、「脱原発」の方向へと踏み出した。

 この間、ドイツ紙を英訳してたまに読んだが、あきれた熱の入れようだった。あの雰囲気は日本にはうまく伝わってなかったようにも思えた。

 ドイツに比べると、他の諸外国への影響は見えにくい。
 原発を多く持つ米国、フランス、ロシアなどは原発推進の方針を変えていない。中国やインドも原発建設を続ける構えだ。5月の主要国首脳会議や6月の国際原子力機関の会合では、原発の安全基準の強化策が話し合われる。

 ドイツの場合、フランスの電力が制度的に組み込まれている部分があり、そのあたり上手にやらないときれいなダブスタになるだろう。

朝日新聞社説 原発をどうするか―脱・依存へかじを切れ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 一方で、稼働しているすべての原発をすぐに止めてしまう事態に、日本経済が耐えられないことも事実だ。国民生活への影響も大きい。

 へぇという印象。

 しかし、夏の電力不足は目の前に迫っている。議論を先取りする形で電力需給の構造転換に踏み込む意義は大きい。エネルギー需要の拡大を前提に組み立てられてきた過去の政策から、かじを切る好機でもある。

 どうやら夏の甲子園を秋に移すふうでもないので、朝日としてはみなさんに朝日旗の団扇でも配るかな。

晴れ

 新緑が眩しい。沖縄のうりずんを思い出す。暮らして二、三年後だったか沖縄にも四季はあるものだと思うよになり、うりずんの感覚を得たものだった。とはいえ、もう清明も終わっている。
 昨日の朝日新聞社説のところでCBIRFについて書き、補足もしたが、彼らが日本を去る。ということは2号炉の崩壊はないと見てよいのだろう。すでにヨード剤の配布も終わっている。事態は膠着とはいえ巨大な危機は脱しつつある。そう思うと奇妙な脱力感もあり、新しい日常が始まるのだろうと思う。
 戦争も、まあ日中15年戦争という言い方もあるが、いわゆる非常時たるは1年くらいだったのではないか。もちろん、地域によっても違うが。そして非常時は戦後のであったかもしれない。特異な生活空間の持つ、魔力というのとも違うが、歴史的な非日常性というものを考えさせられた一か月余であった。

まあ、これもちとまいったかな

 ⇒はてなブックマーク - 0.02%の嘘 - lizard-tail studio
 オリジナル⇒0.02%の嘘

 水を飲んでも大丈夫?誰かにこう問われ、僕は一瞬迷い、大丈夫だよと答える。これぐらいなら大したことないよ。一瞬の躊躇を見抜いたのか、相手は怪訝そうな顔をする。
 理由を一生懸命説明する。今伝えられているような放射線の量では滅多な事じゃガンにはならない。はっきり影響が出るような数字には全然足りない。不安そうな表情は消えない。彼らや彼女たちが聞きたいのは解説なんかじゃない。ただ安心したいだけだ。言葉は空しく虚空に消えていく。
 
 本当に?
 うん、大丈夫だよ。
 
 少しだけ良心の呵責を覚える。僕はたぶん嘘をついている。

 まあ、コラムとしては意表をついて面白いのだろうけど。
 市民は、というか、公共というのものは、そういうふうにものを考えない。というか、そういうふうに考える領域と、そうではない領域を分ける。そしてそうではない領域なら「少しだけ良心の呵責を覚える」とかありだろうけど。
 市民は、公共において、なにが規制されているか、その規制の妥当性を考える。
 水の場合は平時は10Bq/lというのが公共の規制。
 今は非常時なので300Bq/lという規制になる。
 そして、その公共の規制をどう考えるかということ。それを支える科学をどう評価すること。評価できる・信頼するというなら、「少しだけ良心の呵責を覚える」という心理の回路はない。

この言葉にはほんの少しだけ嘘が混じっている。1mSvで0.02%。いや、ただ単に嘘と呼んでしまうにはあまりに希薄で、かといって知らないふりができるほど小さくはない何か。僕はこの感情とうまく折り合いをつける方法をまだ見つけられずにいる。

 それは、市民と公共というものをきちんと考えてこなかったから。
 そしてその嘘の知覚は、本人の内面においては真正でも、他者との関係では、偽の良心となるという典型的な事例。
 まず、社会から考えよう。他者とどう共存していくかというふうに良心を発動しよう。
 そのことは同時に、今の非常時から、平時の基準にもっていかなければならないということであって、多少の放射線なら確率的にどうたらというふうに考えていくことではない。