2011-10-18
■終風日報編集後記 日銭を稼いで人生になる
2ちゃんねる創設のひとりというのだろうか、ひろゆき氏の発言が話題になっていた。▼「福島の放射線の強い地域に残ってる人は、覚悟を決めてるのか、楽観的なのか、何も考えてないのか3つのうちのどれかだと思うのですが、「仕事がある」とか言ってる人って、目の前の日銭と自分や家族の人生を天秤にかけて、日銭を取ってるってことですよね。不思議。」▼現実的にはその三択ではないだろう。出口のないような状況に追い込まれているのが大半だろう。楽観的でもなく、そして考えてみてもどうにもならない。それを覚悟というなら、そういうこともあるだろう。「仕事がある」というのはそのなかでとりあえず生きるということでもある。▼「ぬちどぅたから(命こそ宝)」と沖縄ではいう。内地の「命あっての物種」とも似ているが、沖縄のそれは鉄の暴風のなかで言われた。生きるか死ぬかとなれば、生きることを選ぶべきだと私は思う。だが、生きる日常というものはそもそも奇妙な形をしている。▼子供の頃自転車を乗り回した。舗装も整備されず、タイヤの質も悪い時代、よくパンクした。自分でも直したが、直せないのは自転車屋に突いていく。自転車屋の親父は水を張った洗面器を出してなんなくチューブを取り替えるのだが、その時に使う道具は、彼の親指である。それは、いびつに変形していた。チューブを替えるという仕事のために変形したその身体を子供の私はじっと見つめた。仕事とはなんであろうか。▼もう20年も前になる。日本古代の冶金に関心をもったことがあるが、片目の面や片目の像をよく見かけた。冶金のための火を覗きで片目を失うらしい。▼仕事で身体を壊すことなど人道的なことではないというのはもっともなことだが、現実の人間は、これが仕事かと思えば、じわじわと身体を壊しつつも生きていく。命は宝であるが、仕事のために命をすり減らすこともある。繰り返す。まったくよいことではない。ただ、そういう生の形というものはあるということが、見えづらい時代にはなった。
■朝日新聞社説 原発冷温停止―安易に宣言できない : asahi.com(朝日新聞社):社説
政府に対してなんと言っていいのか唖然とするのだが、「冷温停止」というのは炉に燃料があって冷温停止なんで、炉の底が抜けていて冷温停止も糞もないんだが。冷温安定とでもいうのだろうか。
冷温停止とはどんなことか。
原子炉の核燃料は、たき火とは違って、水をかければすぐ冷えるものではない。炉がとまっても放射性元素の崩壊は続き、熱はずっと出る。この熱で水温が高まれば、蒸気が発生して大量の放射性物質が再び外に吐き出される恐れがある。
そこで今回、政府と東電は「圧力容器底部の温度が100度」を冷温停止の目安と定め、それを下回る状態に落ち着かせることを急いできた。くわえて、今後の放射能の放出による一般人の被曝(ひばく)を大幅に抑えることも条件にした。
3・11以前、冷温停止は、原発がヒヤリとしたときに炉を「止める」「冷やす」「閉じ込める」ことで実現する安定した状態を指すことが多かった。
炉があるのが前提。
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