火曜日

 もの忘れがひどくなったということはないが、記憶のなかでなにか変成みたいなことが起こっているのか、想起と感性が変わっているような感じがする。
 正確にいうと、変わっているという現在の進行相というより、変わってしまったという完了相に近い。奇妙な感じだ。
 別の面からいうと、物事への関心の持ち方が変わっている。
 いいことか悪いことかわからないが、ネット的な話題に、あまりピンとこなくなりつつある。例えば、というと、なんなので、一般的な言い方になるが、「この人、変なこと言っているな」と思っても、その辺で終わってしまう。たまに、プログラムのデバッグのように、かつ、さしさわりないように、つぶやくことはあるが、その人の考えや、あるいは公開された意見に異を唱えるつもりはない。さらさない。
 もう少し延長していうと、自分が知りたいということとの関連がないと、あまり関心が向かない。
 何が自分に起きているのか、いま一つわからない。精神の病理的なことでもないだろうとは思う。
 本を相も変わらず読んでいる。このところあまりエントリーを書いていないが、世界情勢や経済についてもそれなりに目配せはしている。そろそろ、ケニヤについてエントリーを書かないといけないとか思っている。
 と、書きながら、そういえば、昨日のNHKのニュースが典型だったなと思い出す。
 私は、いつからだろう、NHKの7時のニュースは見ていることにしている。ニュースが知りたいというより、NHKはお茶の間にどんなニュースを流しているのか気になるからだ。
 が、それが、けっこう前から、少し苦痛になってきている。それニュースじゃないだろうというコンテンツが多すぎるのである。そこでどうするかというと、7時のニュースを録画して、あとで見る。それニュースじゃないだろ、というは、すかすかと飛ばすわけである。
 最近だと、そうして見るニュースはせいぜい10分くらいだろうか。あと、BSの国際ニュースも見る。こちらは、ニュースじゃないだろは少ないのだが、それほどニュースのヴァリューはないなというものは飛ばす。これは15分くらいだろうか。
 この、すかすかと録画したニュースを飛ばす感覚に近い、つまり、そのさっき述べた「関心ないなあ」状態はである。
 老化? というのはさして否定もしない。
 話は違うが、それとは別に、ネットの海外報道などは目を通すというか聞く。
 それに関連して、Amazonのアカウントを日米統合してしまって、米国のジャーナルがKindleで購読できなくなり、やっぱりまずったかなあ感はある。というか、別途USのAmazonアカウントを取ったほうがいいだろうか。ただ、取っても、もう日本からアクセスしているということになると、やはり同じ制限はくらいそうだ。
 まあ、よくわからない。
 漂っている感じもある。