『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』のパズル

 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』の再読四度目。さすがに飽和的になりつつある。
 明確にパズルだなと思えることは一つ解けた。あとは曖昧な部分は残る。
 五行説云々と多少は関係する。というか、関係はあるにはある。
 まず重要なのは、この本のタイトルだが、長ったらしいので幻惑されてしまうが形容部分を除いて簡素にすると、「多崎つくるとその年(the years)」ということになる。二項の前項は「多崎つくる」でその部分は注目しやすい。が、パズルは「彼の巡礼の年(his yars of Plirimage)」という特定の年(the years)にある。
 yearsが複数形なのは、リストの曲が複数年にわたることからの引用だが、同時に、つくるの年月を暗示している。
 で、それにしても、"Year"として項化されているのだから、それには四季という4つの季節がある。春・夏・秋・冬である。これには、色彩が与えられていて、青春・朱夏・白秋・玄冬である。朱はアカ、玄はクロということで、アオ→アカ→シロ→クロというように「年」が構成される。
 で、小説もこの順で動いている。
 ただし、シロが抜けている。
 それと、「多崎つくる」は季節でいうと、土用、つまり、季節の移り変わりを司ることになっている。それが小説でもバランスを取る存在であることに対応している。多崎つくるが抜けたことで4人はバラバラになる。
 というわけで、以上はかなり明瞭なパズルの解答。
 少し曖昧な延長は、適用の延長として土用は「黄」なので、やはり多崎つくるは「黄」になる。「たさ黄つくる」という洒落かもしれない。
 もう一つ延長は、シロの欠損が、本当に欠損なのかということ。つまり、この作品は、クロとの出会い(巡礼)の前に、シロと会っているという構成なのではないか。その線で見直すと、「沙羅」はシロの蘇りという線は出てくる。
 沙羅がシロというのはうまくパズルとしては解けないが、サラソウジュの花はこう。
追記(2013.6.12)
 村上春樹が京都の河合隼雄記念財団主宰講演会で、この作品はリアリズムの形式でシュールレアリスムを表現したとの趣旨を述べており、その意味で、著者がパラレル性の読みを多少告白している。
 さらに『国境の南、太陽の西』における島本さんは、著者解説で、事実上、実在の人物ではないとしている。島本さんとのシーンは事実上のパラレルワールドになっている。
 この小説での島本さんの設定を、『多崎つくる』では、技法的に洗練させた。その意味では文体と表現の実験的な作品でもある。