finalventの日記

2013-05-31

31日、金曜日。

 五月も終わり。

 泳いだ。軽く。

 暑かったなあ。

342 : Lesson

I let forgiveness rest upon all things,

For thus forgiveness will be given me.

2013-05-30

この日、日記欠

 とくにどってことない日でしたが。

 手塚治虫の漫画を読んでいたな。

2013-05-29

29日、水曜日

 梅雨に入る。雨は降らず。だるーな感じもあり。

武村政春「世界は複製でできている」、読んだ。

 この著者⇒[書評]新しいウイルス入門(武村政春): 極東ブログ

 こちらの本はより生命論的というか哲学的。複製とはなにかという議論。

 だが、吉田夏彦を引いてはいるが、それほど哲学的な深まりはあまり感じられず、生物学の話と常識的な部分からの思弁の延長といった印象があった。

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世界は複製でできている ~共通性から生まれる多様性 (tanQブックス)

 性の登場や多細胞への進化で、ここはなぜマーギュリスが出てこないのだろうかと不思議に思えた。

 という点で、隔靴掻痒という印象が残った。

 反論ということではないのだが、おそらく、生命現象は複製化というキーワードではうまく表現できないのではないだろうか。

 複製というよりはJavaなんかのclassのnewコンストラクタみたいなもので、そういうイメージのほうがわかりやすいだろう。

 また、複製は原理性にはあっても、結果としての複製は多様化するのだが、これはオリジナルとの退避というより、より環境適合へのエピジェネティクスの結果だろうし、また、そのなかでよりセマンティックスに近いコンヴァージェンスはあるだろう。

 むしろ、コンヴァージェンスでまとめられなかっただろうか。そのあたりは、異端的に見られる危険域なのだろうか。

341 : Lesson

I can attack but my own sinlessness,

And it is only that which keeps me safe.

2013-05-28

28日、火曜日

 泳ぐ。このところよく泳ぐ。体がしまってくる感じがして気持ちよい。あと筋肉の疲労感から眠れる。ただ、身体が若くなるということはもうないのだろうなと思う。

アントニオ・ネグリマイケル・ハート著「叛逆―マルチチュードの民主主義宣言 (NHKブックス No.1203)」読んだ。

 言いたいことはわからないではない。全体はわからん。基本的にヘーゲル的な枠組みと数学モデル的な枠組み以外、自分はおよそ理解として受け付けないのかもしれない。

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叛逆―マルチチュードの民主主義宣言 (NHKブックス No.1203)

 基本だが、「マルチチュード」は、社会契約を結ぶ前の「多数(マルチチュード)」を問うているのだろうと思う。この訳本では「構成的権力」と奇妙な訳が与えられ、なんか説明が付いているが、普通に"constituent power"として考えてよいし、憲法制定権として別に問題があるようには思えない。まあ、訳者の言いたいことも、この本の全体像からはわかる。

 基本、憲法制定権は国家に集約され、その上位に、帝国を想定していくというのがネグリらの考え方なのだろうと思うが、個別に批判されている現代国家の病理については、私などからすれば、十分にリバタリアニズムで足りると思うし、リバタリアンというのは日本ではなんか珍妙に誤解されているが、国家を否定する「公」とおしての普遍的な帝国を志向するので、結果的にマルチチュードの議論は包括されるように思える。

 個別には、(1)借金を負わされた者、(2)メディアに繋ぎとめられた者、(3)セキュリティに縛りつけられた者、(4)代表制された者、という視点は、わからないではないというか、自分もそれなりに考えてきたからだ。(1)については、ようするにマネーの本質の問題に関わる、(2)については昨晩一連ツイートしたが、SNS的なメディアの問題が深刻、(3)は監視社会、(4)についてはちょっと難しい。ここを否定するのは議会の否定になるからだ。つまり、旧来の民主主義の否定になる。

 なぜ議会が否定されるという契機が生じるかというと、私の考えでは、テクノロジーの問題である。テクノロジーはその知識のある集団に信託しないといけないのだが、その信託のチェック&バランスがうまくいかない。

 ネグリらの考えのこうした個別の部分を統括する視点は何かがわかりづらい。いや、それをマルチチュードと呼ぶというだろうが、ごく簡単に言えば、権力とテクノロジーをどう制御するかについて、やはり具体的な対応は出て来ないようにしか読めないからだ。

 その意味でというか、その必然として、ネグリらは「アラブの春」を称揚するが、その無残な結果は私が予想したとおりになっている。マルチチュードの可能性や潜在力といっても実際には、軍というものが国家から阻害されている状態では、革命は軍人を市民にひきおろす以外には方路はない。

 この問題はもう一面では、ネグリらの「教育」観にも表れている。市民が専門家の知を越えることが楽観的に前提にされている。が、それこそ民主党の惨状とアベノミクスの差であり、実際のところ自民党でもリフレが理解されているわけではないが、その経済学テクノロジーにひょってマルチチュードの理念が実現されている。

 あと、こうしたネグリたちの議論はその前提に個の自由が設定されていそうで、なんというのかセクシーではない。ぬっぺりとしたルサンチマンの原理を与えているだけで、性が人を突き動かす生命的な躍動感がまったく感じられない。しかし、むしろそれこそがヘーゲル理論の根底にあるものだし、吉本の対幻想もそこにある。

 まあ、私がネグリを理解しているとは思えないので、対象としての全体としての批判はない。ただ、こうした理路は、基本リバタリアニズムとテクノロジーの議論において不要ろう。

 とはいえ、共感する部分も多いので、この手の本も読んではいくだろう。「左翼の教会を焼き払え」とかまあ、それはそうだろうなとも思うし。

340 : Lesson

I can be free of suffering today.

2013-05-27

月曜日、27日

 蒸し暑い。

 夢で、風俗店の待合室に並んでいる光景が出た。夢のなかの友人に誘われてきたらしい。が、どうもその待合室が病院の待合にしか見えない。その後の記憶はない。

 気になっていた天麩羅屋に行く。先日、見知らぬ天麩羅屋に行っていまいちだったのでここはどうかなと思った。が、いまひとつ。天麩羅は難しいね。

美宅成樹 「生物とは何か? ―ゲノムが語る生物の進化・多様性・病気」、読んだ。

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生物とは何か? ―ゲノムが語る生物の進化・多様性・病気―

 べたに紹介を引用するとこう。ある意味、よくまとまっているので。

 「生物とは何か?」というタイトルは,「生命とは何か?」という疑問に対して,さらに一段階ステップアップした疑問として設定した。「生命」と言うとき,すべての生物に共通的な分子的メカニズムを想定している。具体的には,セントラルドグマを中心とした生物共通の一連の反応をイメージしている。

 これに対して,「生物」は進化の結果,非常に大きな多様性を獲得してきた。最近は生物多様性の保存ということがよく言われるようになったが,どのようにして自然に生物多様性が生まれたかは,まだきちんと科学的に答えられていない。また,ヒトの遺伝子の多様性によって個性や病気のリスクが生まれることはわかっているが,これも科学的に説明がついていない。

 これらの問題に答えるには,「生命」という共通の分子的メカニズムの上に,ランダムな配列の変異の集積によって,生物という物体が設計できるようになったメカニズムを重ねて考えなければならない。

 著者は,この問題についての考察と研究のプロセスで,現在の生物科学の常識が実は偏見であったり,見方を変えると不可能と思われたことが可能であったりすることに気付いた。

 柔らかい物質のユニットは大きい(分子量が大きい)とか,ランダム過程もそれに的を設定すれば秩序が生まれるとか,よく考えてみると当たり前のことばかりである。

 それほど難しい問題ではない。本書では,一段階ステップアップした生物の理解を,一般の人に紹介するためにまとめた。ついでに言うと,専門家にも,常識を少し変えていただくきっかけになればと願っている。

 まず、生物進化の根幹がまだよくわかっていないのだ、ということが明確に述べられている。別の言い方をすると、科学的な説明は実はついていない、ということ。

 ポイントは、「ランダム過程もそれに的を設定すれば秩序が生まれる」ということで、これがこの本の中心テーマでもあり、具体的にたんぱく質の動作において、的をもつランダム過程が議論される。本書には詳細に言及されていないが、数学的なモデルとして提唱されている。

 ここからこの概要と本文の違いで、「的をもつランダム過程」というのは当然、「ランダム過程」ではない。このことを著者は、イカサマのサイコロとしている。ある条件下では、ランダムが秩序を生み出すということだが、それはなにか。

 著者は、これを自然選択によるフィードバックに加えた、フィードフォワード機構の存在としてとらえている。

 このあたりから難問になるのだが、ようするに、生命のプロセスはランダムではなく、フィードフォワード機構が含まれている。

 どのようにそんな機構が存在するかだが、一定の秩序には均衡を保持する傾向があるとしている。これが「的をもつ」の意味である。

 ただ、本書はそこまで。それがどのように複雑な仕組みになるのかについては言及されていないし、意地悪な見方をすると、以上の機構はデザイン性の下位システムと見えないこともない。

 興味深かったのは、そういう形而上的な話題よりも、中立説についての解釈だった。中立進化説は、突然変異自然淘汰に対して有利でも不利でもない、ということだが。一見すると当たりまえのようだが、中立説を数学的なモデルでみると、不利がないというのが特徴的になる。この点について本書はけっこうインサイトを与えてくれる。いわく不利なランダム性が、的を持つランダム性の均衡によって抑制されているのである。別の言い方をすると、中立であることは、ランダム性の均衡の結果なのである。

 まあ、私の誤解もあるかもしれないが概ね、そういうことなのだろうとは思う。というか、このあたり、いわゆる進化論が通常のランダム過程のみとしているの、既存の生命秩序からdeductしていると、ちょっと思弁的には曖昧な領域。

 均衡はモデル化できても、やはり組織化はできないし、均衡がなぜ生じたかから組織化の連携は、やはりわからない。

 あと、著者は35歳で脳梗塞失語症になったと書いているが、意識と知能はしっかりしているので楽観視していたとある。このあたりなど含めて、理系の先生にありがちな野放図な雑談が面白い。共立の本ってそんな感じのが多い印象。1949年生まれ。64歳。村上春樹と同じ。

 一般的にはこれで有名。

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分子生物学入門 (岩波新書)

 理論面はこちら。

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ゲノム系計算科学 ―バイオインフォマティクスを越え, ゲノムの実像に迫るアプローチ― (計算科学講座 7)

339 : Lesson

I will receive whatever I request.

2013-05-26

26日、日曜日

 あっというまに月末へ。

 蒸し暑い。

 今日も泳いだ。くったり。泳ぐとよく眠れる気がする。

338 : Lesson

I am affected only by my thoughts.

2013-05-25

ありゃ、この日も日記欠落

 なんかどたばたしてた。

2013-05-24

この日、日記欠落

 靴を買った。

2013-05-23

23日、木曜日

 初夏のような日が続く。

 昨晩も、ふっと泳ぎに行きたい気がしたが、いい気になって図に乗っているとろくなことがないのでやめた。

 書架がぐちゃぐちゃになってきて本が出て来なくなってきたなあ。困った。

 夜、泳いだ。

慰安婦めぐるヘイトスピーチへの国連委勧告、関連資料

慰安婦めぐるヘイトスピーチ、国連委が日本に改善求める

http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305210831.html

 

国連の社会権規約委員会は21日、日本に対して、従軍慰安婦をおとしめるような行為をやめるよう求めた。一部の排外主義的グループが「従軍慰安婦は売春婦だった」という趣旨のヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返しているのを受けたもので、政府に改善を求めている。

 

 同委員会は発表した見解の中で、日本政府に対して「公衆を教育し、憎悪表現や汚名を着せる表現を防ぐ」ことを求めた。さらに元慰安婦の「経済、社会、文化的な権利や補償への悪影響を懸念する」としたうえで、「必要な全ての措置」をとることも要請した。

 

 今回の見解では、朝鮮学校が国の高校無償化制度の対象外となったことについても、「差別にあたる」と批判し、改善を求めている。

 

 同委員会は、人権を保障するための国連の条約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」の締約国を対象に、定期的に見解をまとめている。今回は4月下旬に日本政府と市民団体の双方から意見を聞いたうえで、発表した。法的な拘束力はないが、政府は誠実に受け止める義務がある。(ジュネーブ=前川浩之)

 

 ■国内での無理解、懸念した指摘か

 日本でのヘイトスピーチ横行が、国際人権機関から改善を求められた。

 

 社会権規約委員会の日本審査では、複数のNGOが国内の人権状況を報告。その中で、日本のバンドが「売春ババア殺せ チョン斬れ」などの歌詞が入った曲を作り、そのCDが韓国の元慰安婦らに送りつけられた出来事も紹介されたという。委員会はそうした情報も得た上で、教育などを通じたヘイトスピーチ防止を求めた。

 

 審査は、日本維新の会共同代表・橋下徹大阪市長の慰安婦発言や、西村真悟衆院議員(同党から除名)の「韓国人の売春婦はまだうようよいる」発言の前だった。委員会が政治家の発言を直接批判したわけではないが、元慰安婦について日本社会で理解が深まっていないことを懸念しての言及とみられる。

 

 委員会は日本が包括的な差別禁止法をつくることも求めた。「殺せ」と連呼するデモのように、きわめて差別的な表現行為が放置されている日本の現状は、今後も厳しい批判にさらされそうだ。(石橋英昭)

国連委員会 “慰安婦”巡り日本に対策要求(05/23 08:00)

http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000005798.html

従軍慰安婦だった女性らが日本国内で誹謗(ひぼう)中傷されているとする報告書を国連が公表し、日本政府に対策を講じるよう求めました。

 

 報告書は、日本政府や市民団体の意見を集めたうえで、各国の社会や経済の権利を調査している国連の委員会がまとめました。従軍慰安婦だった女性らに対して、日本国内で誹謗中傷が行われていることに懸念を示すとしています。そのうえで、日本政府に対して、このような発言を防ぐために国民を教育するように要求しました。また、従軍慰安婦だった女性らの「経済、社会、文化的な権利や補償への悪影響を懸念する」として必要なあらゆる措置を取るよう求めました。この委員会の調査は、日本維新の会の橋下代表が従軍慰安婦を巡る発言をする前に行われています。

国連 “慰安婦”でひぼう中傷防ぐ手だてを

5月22日 18時8分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130522/k10014767151000.html

 

国連は、日本国内で、いわゆる従軍慰安婦だったとされる韓国の女性たちに対してひぼう中傷が行われているとして、日本政府に、こうした言動を防ぐ手だてを講じるよう求める報告書をまとめました。

 

この報告書は、世界の国の社会や経済などでの権利を調査している国連の委員会が、日本政府や市民団体から意見を聞いたうえでまとめたもので、21日、発表されました。

この中で、いわゆる従軍慰安婦だったとされる韓国の女性たちを、ひぼうしたり中傷したりする言動が日本で行われているとして、日本政府に対して、これを防ぐ手だてを講じるよう求めています。

報告書は、日本維新の会の橋下共同代表などによる従軍慰安婦問題を巡る発言が出る前に行われた調査に基づくものですが、従軍慰安婦だったとされる女性たちを差別的な表現を使って非難する声がインターネットなどで出ていることなどを受けて指摘したものとみられます。

また、報告書は、従軍慰安婦だったとされる女性たちについて、「さまざまな権利や補償に悪影響が出ていることが懸念される」としたうえで、こうした状況に対処するためにすべての必要な措置を取ることも求めています。

Concluding observations on the third periodic report of Japan, adopted by the Committee at its fiftieth session (29 April-17 May 2013)

http://www2.ohchr.org/english/bodies/cescr/docs/co/E-C-12-IRN-CO-2.doc

C. Principal subjects of concern and recommendations

26. The Committee is concerned about the lasting negative effects of the exploitation to which ‘comfort women’ were subjected on their enjoyment of economic, social and cultural rights and their entitlement to reparation. (art. 11, 3)

The Committee recommends that the State party take all necessary measures to address the lasting effects of the exploitation and to guarantee the enjoyment of economic, social and cultural rights by ‘comfort women’. The Committee also recommends that the State party educate the public on the exploitation of ‘comfort women’ so as to prevent hate speech and other manifestations that stigmatize them.

337 : Lesson

My sinlessness protects me from all harm.

2013-05-22

22日、水曜日

 昨日も泳いだ。夜だったので、くったりした感じで寝る。今朝方疲労感はあったが、適当に流したからか、筋肉痛などはなし。というか、微妙に筋肉を戻しつつある。ああ、体がしまってきていい感じだなと思う。

 今日は暑かった。

小谷野敦「日本人のための世界史入門 (新潮新書)」、読んだ。

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日本人のための世界史入門 (新潮新書)

 書店でざっと見たときは、どうしても序章から見るせいか、ああ、これは漫談風の本かなと思ったが、まあいいんじゃないかと思って読んでみた。結果、まあ、いいんじゃないか。

 読みながら高校の世界史の授業を思い出した。というのは、高校の先生が、史実の説明にいろいろ主観的に漫談風にいろんな雑学的知識がまぜていた。

 なかでも、小谷野さんのこの本については、世界史の英米文学作品の関連がちょこちょこ言及されていてよかった。このあたりのことは、意外と学ぶ機会がないものだなと常々思っていた。

 内容的にも、高校の世界史を越えていない。新説についても固いところを抑えているので、ごく普通にこの本は受験参考書にもなるだろうと思う。参考書より読みやすいし、つっこみかたが高校生向きなテイストもいい感じだ。

 小谷野さんが高島俊男のファンだというのはわかるし、そのあたりは固く抑えられていたし、論の修辞は呉智英のファンらしい感じはした。

 東大系の知識人については、批判を含めてよくフォローしているなという印象もあった。岡田史学についてはまったく言及されていないが、このような本の性質であれば、それはそれで別に問題でもなんでもないだろう。

 新潮が作っているらしく、ざっと見てどきっとした誤植や誤りは少なかったかったように思う。異論はあるだろうなあというのは異論のままでよい。あとで、メモをまとめておきたい。

 キリスト教についてはわからないと率直に示されている。それはそうだろうなと思った。というか、このあたりは、自分のようにどっちかというとすっかりキリスト教寄りな立場からすると、日本人の現代知識人の率直な世界理解像というのはこういうものだろうし、欧米でも現代の若い人ではそのほうに近いだろう。世界史を通してキリスト教を理解する必要などはないといえばそれはそうだろう。

 以下は個別に個人的な、見解の違いなどをメモ。なお、深い意図はありませんし、著書をおとしめる意図はまったくありません。

p35 「エンペラーの語源はラテン語インペラトールで、これは直接、大きな領土を意味するインペリウムから来ている。」

 "impertor"は"imperre(to command)"から。岡田英弘は、「外敵に対して勝利を収めた将軍が部下から受ける非公式の称号」この称号を帯びるのはローマ時代では「ローマに帰って凱旋式を挙げるまでの間」と説明。

37 「ディレンマは二つのもの、トリレンマは三つのもの(中略)ダイアローグ(対話)は「ディ」と同じだ。(中略)世界史を学ぶには、地理と、語学上の基礎的な知識はやはり不可欠になってくる」

 ディレンマ(dilemma)のdiはダイオード(diode)の"di"と同じで「2」の意味、ダイアローグ(dialogue)の"dia"は直径(diameter)で英語だとthroughのように「渡す」という意味から。

p72 「『日本紀』は一般に『日本書紀』といわれるが、『日本紀』がいいだろう」

 紀伝体なのでそう考えることは不自然ではないが、広く見られる説では『日本書』の「紀」が日本書紀になったとする。いずれにせよ、資料的に『日本紀』とすることはまた定説ではないはず。

p107 「そもそも、ビザンツ帝国は、ギリシア人を中心とした帝国だった。古代のギリシアの、質においてローマを凌ぐ文明に対して、ギリシア人は誇りを持ち(後略)」

 ここはちょっとやっかいな話で、『生き残った帝国ビザンティン』あたりがわかりやすいのだけど、ビザンツ帝国はイコール、ローマ帝国、なので、古代ギリシア文明の流れではなく、ローマの正統にある。あと、この時代のギリシア人はローマ人を意味するのだけど、典拠の書籍が書架から取り出せないので、ご参考まで。

p118 「モンゴル帝国は、一二七一年、五代目の世祖フビライ・ハーンの時に国号を元とした。」

 ここは史観の問題とも言えないことはないので、ご参考までに。岡田英弘は、「元朝は、東アジアの多くの地域を統合した大帝国だったが、一番重要な地域はもちろんモンゴル高原で、中国は元朝の植民地の一つにすぎなかった。その中国を統治するための行政センターが大都(北京)であり(後略)」

p119 「なお西洋では革命を意味するレヴォリューションというのは、回転という意味で、なぜこれが民衆が王を倒す政変という意味になったのかは、よく分からない。」

 一つの説明としては、よく見られるようにOnline Etymology Dictionaryのようなもの。

revolution (n.)

late 14c., originally of celestial bodies, from Old French revolution, from Late Latin revolutionem (nominative revolutio) "a revolving," from Latin revolutus, past participle of revolvere "turn, roll back" (see revolve). General sense of "instance of great change in affairs" is recorded from mid-15c. Political meaning first recorded c.1600, derived from French, and was especially applied to the expulsion of the Stuart dynasty under James II in 1688 and transfer of sovereignty to William and Mary.

 私の推測では、アリストテレスの『政治学』が起源。

p119 「ケプラーが「天体の回転について」を出して」

 ケプラーではなくコペルニクスか、あるいは、「天体の回転について」ではなく「ルドルフ星表」かのどちらか。

126 「ほかに医学法学、修辞学が学ばれ、リベラル・アーツとよばれたが」

 「自由七学芸」は、Gram. loquitur, Dia. vera docet, Rhet. verba colorat. Mus. cadit, Ar. numerat, Geo. ponderat, Ast. colit astra(文法は語り、弁証は真理を教え、修辞は言葉を飾る 音楽は歌い、算術は数え、幾何は測り、天文は星を学ぶ)なので、医学、法学は、歴史の文脈では通常含まれない。

p128 「はじめてインダス文明が栄えたのち、紀元前十五世紀に四方からアーリア民族が侵入し、先住民族はインド半島南部に追いやられる。」

 これも異論があり、ご参考まで。『古代インド文明の謎 (歴史文化ライブラリー): 堀晄

p144 「なお「プリンス」は、今では王子のことだが、歴史上では、王、大公などがプリンスとされており」

 これは現在でもそう。ご参考までに。「リヒテンシュタインについてのつまらない話: 極東ブログ

p154 「(前略)、一四五三年にビザンツ帝国を滅ぼしてコンスタンチノープル首都とし、イスタンブールと改称して(後略)」

 これは些細な話だが、「イスタンブール」ではなく、「イスタンブル」。「ソークラテース」を「ソクラテス」と表記すると似たような例かもしれないどうでもいいことのようだが、たぶん、「ストラスブール」などの混乱から生じた誤解だろう。

p165 「新教はプロテスタントと呼ばれるが、こちらは四世紀の聖アウグスチヌスの、人が死後神の国に入れるかどうかは、前もって決まっているという説をとっている。現世でいいことをしたら天国へ、悪いことをしたら地獄へと行くというのは、仏教でさえ言われるが、これは本来の教えとは違う。(改行) だが、こういう教えは、死後天国へ行くために善行しようという偽善者を生む。まあ、偽善でも善行ならいいのだが、宗教的にはそれでは困るので、改革が起こるわけである。」

 ここは複雑に入り組んでいて、解説だけでもしかすると一冊の本になるところだけど、簡単に、ご参考までに。

 まず、予定説をアウグスチヌスから読むのはジャン・カルバンの『キリスト教綱要』の立場で、この読解はキリスト教の神学で広く支持されているわけではない。また、プロテスタントがすべて予定説を採っているわけでもない。また、予定説は偽善とは関係ない。また、改革の必要はカルバンからすれば、という点だけに限定されている。

p169 「ロシアでは、一五三三年にイヴァン四世が即位した。雷帝と呼ばれる人物で、カエサルロシア語読みのツァーリを名乗り、以後ロシアは帝国となる。ビザンツ帝国が滅びて、東方皇帝がいなくなったためだが(後略)」

 こう説明されるのもわからないではないが、その後のイヴァン四世の動向から事態を考えるとよいだろう。彼は、1574年モスクワ大公位を退位し、1575年にジョチ家皇子シメオン・ベクブラトヴィチをクレムリンの玉座に座らせ、1576年にシメオンから禅譲という形でツァーリを受けた。この手順からすると、ツァーリはジョチ家の「ハーン」の意味で、ローマ皇帝の文脈ではなくモンゴル帝国の文脈にある。

p171 「宗教改革に対抗するため、イスパニアポルトガルカトリックの団体としてイグナティウス・デ・ロヨラが作ったのがイエズス会である。(中略)遅れて日本に来たイングランド人やオランダ人は、新教徒であったためもっぱら商業のために来ていた」

 概ねそれでいいのだけど、内実はもう少し複雑。ご参考までに。「さむらいウィリアム―三浦按針の生きた時代: ジャイルズ ミルトン

p179 「コーネル大学にはイタカという町にあるが、これはギリシアのオデュセウスの故郷からとった」

 ギリシア神話を引くための文脈的な工夫かもしれないが、Ithacaは英語では「イサカ」。

p237 「一九一一年、辛亥革命が起こり、中華民国が建てられ、清朝が倒れた」

 間違いとも言い切れないけど、辛亥革命は1911年10月10日武昌起義から1912年2月12日の宣統帝退位の期間で年をまたぐ。

p241 「マルクスは、剰余価値の理論においては優れていたが、革命が資本主義の最高発展段階で起きるという点では謝っており、資本制の後進国であるロシアで社会主義革命が起きたのである」

 ここも入り組んでいて、まず、剰余価値説は優れていたかについてはその時代、そう見られていたというのはある。が、現代の経済学ではかなり難しい。また、ロシアで革命が起きるとしたのはレーニンの理論によるもので、マルクスの考えとは別と見るのが妥当。このあたりは、ロシア革命なるものをどう見るかにもよるが、「ロシア革命の神話―なぜ全体主義体制が生まれたか (自由選書): 宗像 隆幸」がわかりやすいが、通常「ロシア革命」と呼ばれている事態は、まさに歴史の偶然にすぎない。

p263 「しかし、紀元前にバビロニアによって離散(ディアスポラ)させられたのが、二千年以上の時を経て戻ってくるのだから大変なことである。周辺のアラブ諸国である、ヨルダンレバノンシリアイラクなどとたびたび戦争になった。」

 ここは難しいところ。間違いとも言えないが、イスラエル建国で集まったユダヤ人の七割はアラブ圏からのユダヤ人。現在でもアラブ圏に各種東方キリスト教徒がいるようにアラブ圏にはずっとユダヤ人がいて、これが建国で陸路などでやってきた。黒人のユダヤ人が含まれるのもこの例。概ね、こうした移動は通常のアラブ人の移動と大きく変わらない。

2013-05-21

21日、火曜日

 蒸し暑く、初夏のよう。

 朝ごたごたとして、睡眠を削られる。このところ、いろいろつらいことが重なり、それが身体に応える。

 Newsweek韓国特集が面白かった。この手の論点で面白いと思うことはあまりなくなったが、韓国が外交上日本を排除しているという読みはあるかもしれない。が、半面、韓国は日米韓の会合も意図はしていたので、そのあたりは複合的に見ていったほうがよいだろう。ただ、率直に言って、朴政権がどれだけ頑張っても、反日国是のようなものはどうにもならないだろうし、その上で日韓の友好を見つめていくしかないだろう。

佐藤直樹「40年後の『偶然と必然』」、読んだ。

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40年後の『偶然と必然』

 最初手にしたとき、論旨の展開か見えず、読みづらい本ではないかという印象を持ったが、モジュール的に書かれていて各項目は小さく、逆に読みやすい本だった。では、わかりやすかったかというと、各項目で展開されている内容はわかりやすいのだが、全体としては、何を主張しているのかわかりづらかった。

 こういうとなんだが、いや否定的に言うのではないが、なんのための本なのかがわかりづらい。もちろん、そのことについて筆者はかなり自覚的でわかりやすくあろうとして説明もしている。

 具体的には表題通りモノーの「偶然と必然」の読解の書籍であり、上述の点ではモノーの背景は1970年代の時代背景(実存主義やソ連科学など)を含めてわかりやすい。

 また、書籍は、私は経験ないのだが、日本の大学でのゼミというのはこういうふうに展開しているんじゃないかなという関心はあった。

 内容がもわっとした印象があるのは、そもそもモノーの「偶然と必然」がよくわからない本なので、それを精密に読もうとしてそのままよくわからないが拡大されてしまったような印象がある。むしろ、モノーは時代遅れだし、言っていることはおかしいよ、とネットなどでみかけるお利口さんのようにばっさり切ってしまうとわかりやすいのはわかりやすいのだろう。

 一番の問題はモノーの"teleonomic"にある。"teleology"(目的論)だが、本書で読解されているように、「目的律的な合目的性」ということで、これは私の印象ではどういじっても合目的性に到達するし、そもそも生命現象が謎になるのは、普通に見るかぎり、合目的性そのものだからだ。

 しかし、全てはそうした合目的性をもたない、熱力学の法則に従う物質からなんで、局所的にであり、合目的性が発生するのかという仕組みが問われる。

 これには各種いろんな説明がつき、本書の著者も生命のなぞは解けたと言っているのだが、私はそういう合目的性のモデルができたとはとうてい思えない。実際、端的にできていないとしか思えない。

 同書は、生命の発生は宇宙では頻繁に起こりえるというのを前提にしているが、これも私には実証性からまったく理解できない。

 というわけで、本書でもモノーの書をばっさり切る批判例が上げられているが(カウフマンなど)、私もそれでしかたないのではないかと思う。

 という点で、実はモノーの思索ベルクソンシャルダンに近いというのが本書ではよく解かれている。

 話が前後するが、生物化学的な部分についてはむずかしいといえばそうだが、プリコジンの議論でもそうだが、展開されている例証に対応しているとは読みがたく、こうした問題は普通に哲学として扱うほうがわかりやすいように思える。つまり、科学を装った哲学のようなものは、20年のすれば古びてしまうものだ。

 総じて、マイケル・ポランニの触媒などの議論と同質の印象を再確認したような奇妙な気分で終わった。

 話がおちゃらけてしまうのだが、こうした生命を解き明かす系の話はどこまでいってもたこつぼのように思える。むしろ、生命のシステムシミュレーション数学モデルで作成したらよいのではないかと思うし、逆にそれは、できないことなんじゃないかという疑念ももつ。私はID論者ではまったくないが、デムスキー批判を宗教論だとかしてイデオロギー的に批判するよりも、彼の数理モデルだけを見つめていけばよいように思う。というか、それが間違いであるという論証らしきものもあるのだが、これはシンプルな定理のようにはならないものなのだろうか。

 別の言い方をすれば、teleonomicという概念があるなら、それをコンピュータ上にライフゲームとしてモデル化して、自己組織化するかシミュレートしたら話は一発で終わるのではないか。

 

336 : Lesson

Forgiveness lets me know that minds are joined.

2013-05-20

20日、月曜日

 5月も下旬に。

 この数日のダメージから少しずつ復帰。こういうのもなんだが、精神というのも、これだけ年くっても、普通に傷のようなものができるものだし、たぶん、実際に脳の傷なのではないかという感じする。

 喉の痛みもあるが、奇妙な倦怠感もあり、いっそと思い、プールで小一時間泳いできた。泳いだ直後のくったり感はないが、まあ、明日あたりぐたっと来るかもしれない。体のくったり感は心を少し休めるような気がする。

335 : Lesson

I choose to see my brother's sinlessness.

2013-05-19

日曜日、19日

 いろいろと悩み、それが睡眠障害となり、これはやばいなあ、脳に負担が多すぎるな、また発作を起こして死ぬ騒ぎなるかなと思ったが、とりあえずなんとかすごす。病気を抱えると、それ以上にあまり心に悩みを抱え込まないようにと思うのだが、なんともならないことがあるし、まあ、ちょっとぞっとするよな孤独感に落ち込む。

 年をとってなにかが麻痺しているのか、外面的にはそれほどは落ち込まないのだが、どうもこれはまたまた離人症的な兆候の前触れのようでもある。これもろくでもない。つくる君ではないけど、死の臨界にふっと近づく感覚はある。

 しかたがないので内面をじっと見つめていて、奇妙なことに気がつく。そんなことがあるんだろうかというくらい奇妙な心理状態である。なかなか言葉にしづらいが。

 この年こいてカウンセリングに行くかなとも思うが、それを心理的に防衛するわけでもないが、私のようなこじらせた精神ではどうにもならないだろうな。とかいうとおごりのようでもあるが。

 しかし、人間の心のほんとぞっとするようなものに接した感じはあった。

334 : Lesson

Today I claim the gifts forgiveness gives.

 今日のレッスンのテーマというわけではないが、自我が狂気であるというのがわかるように思えた。

2013-05-18

18日、土曜日

 ちょっとというか、かなりへこむことがあった。

 信頼している人に不正な態度を取られたときどうしたらよいのか。なにごともなくその不正を受け入れて赦すべきだろうと思ったが煩悶した。怒りを抑えきれなかった。

吉本隆明「吉本隆明、自著を語る」、読んだ

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吉本隆明が最後に遺した三十万字〈上巻〉「吉本隆明、自著を語る」

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吉本隆明が最後に遺した三十万字〈下巻〉「吉本隆明、時代と向き合う」

 特に心に残る部分がなくて、奇妙な印象が残った。

 基本、別媒体で読んでいる内容が多く、新しく読むという感じがしなかったせいもある。

kindleのトラブル

 昨晩、突然リセットして再登録できなくなった。どうもまたサーバー側の問題がありそうなので、うんざりした。今朝やりなおすと直った。

 Kindleの場合、すべてをサーバーがコントロールしているのだなという感じがして、違和感が強くなった。

333 : Lesson

Forgiveness ends the dream of conflict here.

2013-05-17

金曜日、17日

 ジャムについてきちんと本を読んでみると考えさせられること多し。

加藤典洋『ふたつの講演――戦後思想の射程について』、読んだ。

 加藤典洋を読むのも久しぶり。

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ふたつの講演――戦後思想の射程について

 副題になっている戦後思想の射程というのを、震災後の現下に近い状況でどう考えるのかという関心から読んだ。

 悪くはないのだが、なんとももどかしい違和感があって、これはきっちり批評にすれば批評になるだろうし、いちどはまとめないといけないかなと思いつつ、ただ、こう考えた。

 なにかというと、その批評なりをするこの私は、とても、小さな人間であり、こういう問題になんらかの発言をしても、その小ささの影響力しかもたないだろう。であれば、その影響力の微少さの均衡程度に言うくらいでいいのではないか、と。

 これは、うまく言えないのだけど、加藤が、福一原発被害について、自分たちの世代がこの日本を汚染して子孫に残すのかとやや悲劇的に倫理課題にするのたいして、たしかに国家としては後の日本国民についてそう責務を持つべきだろうが、私のような卑小な存在にその課題はそもそもないように思えた。無責任というのではなく、私は普通に、言論人ではない。ブログはそれなりに一生懸命に10年間書いてきたし、ブログの世界としては読まれたほうかもしれないけど、一般社会に意見が届いたわけでもないし、私は言論人でもない。公的な言論的な責務は私にはほとんどないように思えた。

 科学技術については、原発との関係だが、加藤は、吉本隆明を間違いだったことが明らかになったと既決にしているが、参照されている吉本の過去発言も私は私なりに以前再読し検討したのだけど、むしろ吉本は理系だなあというくらいに正確に見ていた、と理解した。今回の事態に吉本動じなかったのは、老いてボケてたわけでもないだろうと確認した。私はといえば、この点で、吉本「主義」から微動だにしていない。エネルギー政策としては原発は広義の経済政策に依存するし、科学技術としては進展させるほかはない。というか、それが人類というものだ。ただ、薄暗い問題は、加藤はやや比重を置いているのだが、日本が潜在的な核保有国であるということだ(そういう表現を加藤は使っていないが)。この問題は大きな矛盾で、加藤はそれなりに議論するのだが、ではその文脈で日本が潜在的な核兵器廃絶ができるのか、米国の核の傘はどうかという、具体的な国際情勢の文脈で見ると、私の理解では、彼はなんにも言ってない。

 ちょっとこういう言い方はないかなと思うけど、日本の言論人とか思想家とか論壇とか、ほとんど国際情勢に無頓着な人達だと思う。言論鎖国言語ゲームのようにしか思えない。現下の北朝鮮危機が国際情勢上問題なのは、韓国が自国で核化を推進する志向を持ち始めたことと、このままでは北朝鮮が大陸弾道弾を獲得すること、また、北朝鮮が背後でイランパキスタン(かつてはシリアも)に繋がっていたことなどだが、こういう具体的な問題が思想の課題にはならいし、人道という点でもたとえばシリアの問題など論じられない。

 というか、日本の思想界というか論壇とか、そういう点でも私にはどうでもいいことのように思える。という相のなかで、本書も見えてしまうことはある。

 加藤のこの本の議論に寄り添うなら、かつての敗戦後論の主題を依然保持しているのが懐かしくも思えたが、ようするに国民として日本の兵士や戦災者たちをどう追悼するかである。思想的にはルソー的なテーマでもあるのだが、この点については、ブログのほうで懐疑的に間接的に理神教を見てきたが、まあ、ある薄気味の悪いデッドロック感はある。

 で、どうか。具体的には、靖国ではない追悼施設をさっさとつくり、形の上では追悼すれば、加藤の提出する問題も形式的には終わるように思う。という意味で、そんな思想の課題ですらないように思える。

 が、国民としての追悼、ルソーのいう市民宗教的なものだが、僕は、自分をしみじみ吉本主義者(自嘲としてね)だと思うのだけど、そんなに是認できない。国家というのは畢竟宗教で、それを理神的市民宗教化してもどうにもならないように思うし、そのあたりはたるく見ていればいいように思う。

 ただ、関連で思うのだけど、先日ブログでも触れたけど、東京陸軍航空学校のような戦跡の歴史というのは、むしろ靖国に変わる代替施設なんかより、心情的に重要に思えてならない。私も55歳になった。加藤さんはだいたい10歳年上だから、65歳。そのあたりの老い込み感の差違かもしれないけど、歴史の忘却性には恐怖するものはある。

 が、私としては、いわゆるリベラル派が冷戦時代から掲げている戦争の情念は、赦し、忘れていいと思う。というか、加藤の追悼のテーマもそれに間接的には繋がるのだろう。

 たらたら書いてみても思うことはあるが、まあ、たるいなあというもある。こういう課題は、実際のところ、加藤さんの世代で終わる。現在の思想論壇とか、こういう問題はリベラルなキッチュとしてしか再現されない。

 話は全然逸れるが、それと、あと、加藤さんは温和な人で、人前で切れるということはないんだろうと思っていたが、授業中に切れたという逸話があって、へええと思った。案外、そのあたりが一番の、この講演集の意外感だった。

追記

はてなブックマーク - 加藤典洋『ふたつの講演――戦後思想の射程について』、読んだ。 - finalventの日記

nisiyukinohate

こういうのを書評というのか。2013/05/18 11 clicks

 書評なんていうわけないじゃないですか。読書メモにすぎませんよ。

 僕の書評がどういうものかはは、cakesのほうをお読みください。

332 : Lesson

Fear binds the world. Forgiveness sets it free.

2013-05-16

16日、木曜日

 喉はなんとか持ち返す。どうもこんなことばかり繰り返している気もする。

 夕方から雨。

 このところ、ジャム作りに嵌っている。我ながらどうしたことかと思うのだが。たいていのこの手のものは、適当にできて美味しければそれで終わりなのだが、どうも美しいジャムが作りたくなってきている。

 ジャムなんていうのはどうやってもできる。でも、どうしたら美しく出来るのかと悩んでしまう。

中島義道、『ニーチェ ---ニヒリズムを生きる』、読んだ。

 ギドー先生の本を読むのは久しぶり。

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ニーチェ ---ニヒリズムを生きる (河出ブックス)

 相も変わらぬお元気なギドー先生で、今回は朝日カルチャーセンターとのもめた逸話なども含まれている。知らなかったがこれは別途本になっているらしい。そっちも読むかな。

 で、まいどまいどのギドー先生のお話を抜くとけっこうスカかなという印象はあったが、それなりにという失礼だけど、微妙なところが読み込めていて、その割にカント哲学の解説ほどの丁寧さというか厳密さはない。ギドー先生がハイデーがを嫌ってしまうのはわかるし、ハイデガーツァラトゥストラ解はなんだかなというのはある。余談だが、私はハイデーが注でも高校生のときに読んだ。

 この奇妙なアンバランスはなにかと思ったら、哲学塾でニーチェを四年半精読した結果のようだし、どうもインサイトの部分は参加者によるもののように思えた。

 というか、ギドー先生も随分と好々爺になってきた印象はある。お年も67歳である。人生を半分下りた50歳からもう随分と時が経っているのだ。

 当初、スカ感があったのは、引用が多く地の文との関連が読みづらいことだが、精読会の名残だと思うと納得しないでもない。

 基本ツァラトゥストラの解説本で、あの劇の仕立てもきちんと解説されているといえばそうなのだが、その点では、入門書だった「ツァラトゥストラ (教養ワイドコレクション (024))」のほうがわかりやすかったように思う。

 ツァラトゥストラなので永劫回帰が最終的なテーマになるのだが(劇的でもあるし)、その解釈はというと、悪くはないのだけど、あまりピンとこなかった。理由は、ギドー先生のニーチェ評が理解と分離されていないせいだろう。

 ニーチェの永劫回帰は、基本的骨格は、終末論と斬新的あるいは賞罰的な輪廻の否定にある。どこにも到達しない永遠は、ぐるぐる現在を繰り返すしかないし、そのように自分の生を受け止めて生きるということになる。永劫回帰というのは滑稽なオカルトの体裁をしているが、自分の存在というものを見つめた一つの究極的な姿だとも言える。

 そのあたりにもギドー先生の誤読はないのだが、「超人」や「力への意志」といったものを時間的に整合的に解釈しようとするあたりで、どうしても齟齬を招かざるをえないし、たしかにニーチェのなかにその矛盾はあっただろうとも思う。

 私としては、「超人」や「力への意志」、また、本書にはあまり強調されていないのだが「子供の国」というのは、永劫回帰的な時間とは交わらない時間というか、個人が「超人」であり、今の生の強度が「力への意志」ととりあえずしていいだろうと思う。

 このあたりは、ちょっとこっそりいうと自著『考える生き方』(参照)は実はニーチェ哲学を一つの基軸にしていた。自分というのはどこまでいっても絶望でしかありえないなら、希望というのはその自己の絶望の相のなかで見なくてはならない。そのとき、人が自身の絶望に安寧しないで、超人として力=生の意志に服して、自らの没落のなかで希望を「子供の国」のなかに見ればいいという、自分なりのニーチェ理解でもあった。ただ、私はニーチェとは違ってかなり有神論的ではあるので、ニーチェのような神の否定性の修辞は弱い。

 余談ばかりになるが、ニーチェの怖さは年をとってわかるようにも思う。ルサンチマンを払拭するのはそれだけで人生を消耗するに等しい。

331 : Lesson

There is no conflict, for my will is Yours.

2013-05-15

15日、水曜日

 記念日。

 喉がまた痛み出す。とほほ。明日、沈没してないといいけど。

 電子ブックだとこういうことができるのかという見本のような本。

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村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』メッタ斬り! eBook

 cakes向けの書評はもう書いてあるのだが、自分の見落としていた重要点はあるか、またメッタ斬られて当然か読んでみた。河出書房新社から出ているだけあって、それなりのクオリティは維持されている印象はあった。

 彼らが疑問に思い、斬っている部分については、概ね、今度の僕の書評ですでに対応できていると思った。

330 : Lesson

I will not hurt myself again today.

2013-05-14

火曜日、14日

 暑い一日だった。

 泳ぐ。以前よりたるく泳ぐせいもあるのか、疲労感は少ない。

 Newsweek村上春樹特集。

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Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2013年 5/21号 [日本人が知らない 村上春樹]

 ゾペティさんのエッセイが読めたのはよかった。他は、そう悪くはないなという程度。

329 : Lesson

I have already chosen what You will.

2013-05-13

うかつにも日記欠。

 ブログのほうは書いた。

2013-05-12

日曜日、12日

 母の日。まあ、そう。

 午前中に泳ぐ。昨年、発作を起こしてまともな運動ができなくなっていたが、少しずつ体調を戻しつつあるので、少しずつ水泳を。

 ブランクがあったので泳ぎが変わった。筋力で無理しないというふうになる。老人的な泳ぎだろうか。

 暑いくらいに感じられた日だった。泳いでもっとくったりくるかと思ったがそれほどでもない。

328 : Lesson

I choose the second place to gain the first.

2013-05-11

土曜日、11日

 雨。冷たい感じに雨だった。明日は暖かくなるらしい。

 疲れが出て、くったりする。

 苺ジャムなどをつくる。

 いろんなものを失っているような気がする。しかし、それはそれでいいのではないかと思う。なんというか、失われていったものは虚栄に近いものだろう。自分はあまり虚飾なく生きて来たつもりだが、それでも失ってみて虚栄に近いものだったように思う物事はある。

327 : Lesson

I need but call and You will answer me.

2013-05-10

金曜日、10日

 思いがけず、いくつか史跡を知り、考えさせられた。

 ひとつは、一葉。山梨に関係があったのか。

 もう一つは、都下の戦中史。

 それとは別に探していた1970年代の資料を確認した。ググってわからない情報を探すのは昔と同じくらい手間がかかる。

326 : Lesson

I am forever an Effect of God.

2013-05-09

9日、木曜日

 いろんなことが過ぎていく。自分を取り残していくという感じもする。しかたないことだなあ。

ハイエク - 「保守」との訣別 (中公選書)、読んだ

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ハイエク - 「保守」との訣別 (中公選書)

 ハイエクについての解説書は多数があるが、本書の特徴は、サブタイトルにある「「保守」との訣別」ということなのだろう。

 と曖昧に書いてしまうのは、私はハイエクを保守主義者だとはまったく思っていないので、そこにあまり重要性が感じられないことがある。ただ、日本の言論風土のなかでは保守と見られるのかもしれない。

 というか、単にリベラルという言われる人々や知識人と言われる人が、なんとも奇妙な存在だからというだけのようには思える。

 ハイエクの解説書では、バトラーのものがわかりやすかった。

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ハイエク―自由のラディカリズムと現代

 こちらには「ラディカリズム」とあるように、ハイエクはどちらかというラディカリズムにあり、保守とはそもそも相容れない。

 先の書に戻って。

 保守うんぬんを除いても、ハイエクについてよくまとまっていると思えるが、なんとも読みづらい印象があるのはなぜかと考えてみると、こういうとなんではあるが、引用が多すぎることではないか。むしろ、「ハイエクの言葉」みたいにしたほうがわかりやすかったような印象がある。

 くだくだしてしまったが、よく書けてはいると思う。

 読後というか、後書きで気がついたのだが、共著者、ご夫婦なのだろうか。そう記載した部分はなかったように思ったが、仮にそうだとすると、夫婦揃ってハイエクの研究家というのは面白そうだなあと思った。

 

 ハイエクについては、「ハイエクならこう答える」みたいな問答集があるとよいのではないかな。

 お前書けよと言われると、そこまでハイエクを読み込んでいるわけでもないが。

 ニフティのころ「ハイエク秋田」さんという、若い、興味深いお医者さんがいたが、どうされているだろうか。

325 : Lesson

All things I think I see reflect ideas.

2013-05-08

8日

 よく歩いた。

 身近な風景のなかでも知らないことがいろいろあるものだと思った。

324 : Lesson

I merely follow, for I would not lead.

2013-05-07

水曜日、5月7日

 渋谷界隈を歩き、随分変わってしまったなあと思った。

 風が強く肌寒い一日だった。

323 : Lesson

I gladly make the "sacrifice" of fear.

2013-05-06

月曜日、6日

 ジャグージのある温泉に行く。

322 : Lesson

I can give up but what was never real.

2013-05-05

日曜日、5日

 今日も泳ぐ。一昨日より混んでいた。少しずつ泳ぎを戻さんと。

 

 柏餅。味噌餡。

2013-05-04

土曜日、4日

 昨日は久しぶりに泳ぐ。喉の痛みがまだ残っているので、よくないかなと思ったが、軽くながして、今朝の痛みも少ない。体調も少しずつビルドアップしていきたい。

 世の中は連休。まあ、そうなんだろうな。

もひとつパズルの解答

 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の旅』は結局、5度目の再読。ちょっと間を置いたので、精読中。いくつかパズルが解けた。符牒的なパズルではないので、恣意性が若干残るが、その解でだいたいこの作品の不可解さのようなものは解けるように思えた。

 ひとつだけ前回のパズルに似た部分をいうと、色と五人の関係は、"Order of the Eastern Star"のような五芒星の連想もありそう(なお、これは基本女性)。これは五行よりは弱いけれど。

 というか、そういう連想を欧米翻訳の際に起きるような仕掛けというべきだろう。

 この五芒星の場合は、色の対応は五行ほど明確ではないが、つくるが黄色と置くと、クロと緑が重なる。ここは恣意的なのだけど、シロが「直子」で、クロが「緑」という『ノルウェイの森』の洒落があるかもしれない。

 パズル的には五芒星が護符ということで、これで悪魔封じなっていた。つくるの黄色が抜けることで、護符がとけて、悪魔=悪霊、が出てくるというわけね。

 ⇒Pentacle - Wikipedia, the free encyclopedia

It is often worn around the neck, or placed within the triangle of evocation. Protective symbols may also be included (sometimes on the reverse), a common one being the five-point form of the Seal of Solomon, called a pentacle of Solomon or pentangle of Solomon.[2]

 

 それとパズルとしては、最終行の「白樺の林」だが、これは、「鶴林」の比喩があるのだろう。(白樺の林は、なお、エリとの再開に参照されてはいる。)

 ⇒鶴林 とは - コトバンク

釈迦入滅を悲しんだ沙羅双樹(さらそうじゅ)が枯れて鶴のように白くなったという伝説から》沙羅双樹の林。転じて、釈迦の入滅。「鷲嶺(じゅれい)に月かくれ、―に煙つきて」〈著聞集・二〉

 比喩の対応を見ると、沙羅の死を暗示しているかもしれないが、より近い比喩は沙羅が白(シロ)になったということ。

 あるいは、つくるはここで死んで、鶴林が出現したという暗喩かもしれない。

 

 ただし、こうしたパズルは、五行を含めて、一種のエンタイメント要素で、作品の本質とはどうも関係がない。

 というわけでこれらは作品論からは別扱いにしたほうがよさそう。

 再読でわかったのは、灰田と沙羅の物語が、未消化の書かれざる物語という印象を初読で思ったのが、どうもそうではなく、かなり完結していることだ。つまり、そのあたりが読解の中心になる。

西部邁実存保守」、読んだ。

 変な本だった。

 74歳にして少年時代の自身を語るという、なんともいえない老いの奇妙な幻想が書かれている。

 もちろん、本人としては、戦争と戦後体験から、日本の危機を論じたいということなのだろうが、テーマが叙述にあっていない。また文体が、カタカナ英語と漢語が不均質に混じり珍妙。口述だからだろうか。

 
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実存と保守 危機が炙り出す人と世の真実

 妹さんとの関わりは興味深かった。それと奥さんとの老後についても、

 僕も55歳という節目で、老人の書くような本にも読まれるのを書いてしまったのだけど、あと20年の人生があれば、こういうふうな歪みを抱えていくのだろうか、自分はまだ若いのだろうかと変な気持ちになった。

 『考える生き方』では、少年時代や、青年時代のことや、沖縄後の生活の機微のような部分は書いていない。嘘の自伝を書いたわけではないが、できるだけ現代が見せる普通の人間の像として自分を描いてみたかったためだ。

 が、西部のこの本のように、少年時代や青年時代の内面部分は、もっとパーソナルになる。そしてそれを自分が語るということの意味は、まさに老人本であり、どういう意味があるのかちょっとよくわからない。

佐藤愛子「ああ面白かったと言って死にたい」、読んだ。

 箴言集とあるように、講演のなかの印象的なフレーズをまとめたもの。

 内容は少ない。発言年代もまばらだが、今年89歳の彼女の人生の俯瞰のようなものは奇妙に見えてきて、面白いといえば面白い。

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ああ面白かったと言って死にたい―佐藤愛子の箴言集

 『戦いすんで日が暮れて』を読んだのは1969年で、父親の読書を借りて読んだのだから、僕が小学生であっただろうか。

「「超」入門 微分積分 」神永正博、読んだ。

 ああ、学者さんらしい本だなと思った。良書といえば良書なのだが、タイトルにあるように「超」入門という印象からの優しい本とは言えないのではないかな。数IIIくらいまでやった人が振り返って、なるほど、そういう意味なのかという微積分を振り返る本。

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「超」入門 微分積分 (ブルーバックス)

 微分と積分の関係を上手に解き明かそうとしているし、かなりよく出来ているのだけど、これでもコアのイメージがちょっと違うかなという印象はもった。そのあたりは、筆者が積分から解きだしていることに関係するのだが、個人的には微分からやっても大差はないだろうし、数学ロジックからすると微分で無限小の概念をやってからその集積としての積分でよいようには思えた。

 まあ、この手の本の決定版というのはないし、微積分というのは、ただの演算ではなく、ものの考え方なので、いろいろな受け止め方あるだろう。学校ではあまり、そういう部分を教えないのもあるだろうけど。

320 : Lesson

My Father gives all power unto me.

2013-05-03

金曜日

久しぶりに泳ぐ。喉はまだ痛むんで、ちょっといかんかったかなあ。

2013-05-02

木曜日、2日

 朝は涼しく、秋を思わせる空の色だった。

 昨日の続きで、結局というか、栗本さんの『地球文明の歴史』を読んでみた。こちらのほうが、昨日の書よりすっきりとまとまっていて、むしろ「遺書」のほうはそれほど重要ではないような印象も受けた。たぶん、「遺書」の意味合いは、日本史から日本についてあるのではないか。

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ゆがめられた地球文明の歴史
~「パンツをはいたサル」に起きた世界史の真実~ (tanQブックス)

 単純に言えば、ユーラシア通史で、しかも独自の視点に立ったものである。その独自性がどの程度トンデモかというと、まあ、こういう考え方もあるかなというくらいで、その意味では、修辞を除けば、それほどトンデモ的なものでもないだろう。

 史学的にはいろいろ難点がありそうだし、そのあたり、宮脇さんとの対話でもあるとよいのかと思う。あと、学説に至るための参考文献はある程度網羅的につけたほうがよかったようにも思う。

 栗本さんらしいなと思ったのは、カザール=アシュケナージムを強く打ち出しているのだが、全体の枠組みのなかで、それほど強調するほどの意味合いはないように思われる。むしろ出所を問うより、K・ポランニが19世紀の金融を問うたように、実際上のユダヤ人ネットワークがどのように西洋社会に機能していたかという分析だけで十分だろうし、のちのユダヤ問題は基本そうした社会機能的な問題の派性にすぎない。

 キリスト教の扱いについては、昨日の書籍と同じで、やや弱いようには思えた。

 あと、エジプト文明への言及がまったくない。栗本さん自身としては、メソポタミア文明の派性と見て軽視してはいるのだろうが、年代的な整合がもうすこしあってもよいだろう。

 序文に大見得切って、世界史の新しい見方とされているのは、概ね岡田史学で先行されているし、実際のところ現代世界の解明は、岡田先生が示したように、モンゴル継承という筋道なので、それ以前のユーラシア諸民族の動向はそれほど現代世界につながってはいない。

 個別に、一個所、マルタ島の文明について簡単な言及があったが、あれは僕も現物を見てかなり印象的だった。

 これね⇒マルタの巨石神殿群 - Wikipedia

マルタの巨石神殿群はマルタ島内、ゴゾ島内で20世紀までに約30の巨石神殿が確認され、そのうち6神殿が世界遺産として登録された巨石建築物である。建造は紀元前4500年から前2000年頃とされている。

 当地の解説はその後自分なりに調べたが、よくわからない。古すぎる。

 その後は、基本、フェニキアの文明と見てもよく、これらは海を解していわゆるケルトなどにも繋がっているようだ。またインド洋をつたって東南アジアとも繋がっているかもしれない。

 古代においてパナマ運河は存在しないので、マルタからインド洋の経路はなさそうにも思うが、地中海から西欧、また東南アジアからアフリカの古代交易路は存在したとみてよく、その文明の背景は依然わからない。

 さらに、ポリネシア文化が台湾から伝搬していく古代文明も海の道を使っているが、こうした視点も、栗本さんの全世界史からは抜けてしまった。だからいけないというのではなく、人類史というのは視点の当て方でいろいろに見えるというだけのことのように思える。

 まあ、それでも、面白いというか、なるほどねという感想はもった。

 ダイヤモンドみたいな平べったい歴史観よりは面白いかもしれない。

 これね⇒【第2回】『銃・病原菌・鉄 ― 1万3000年にわたる人類史の謎』(ジャレド・ダイアモンド著・倉骨彰訳)|finalvent|新しい「古典」を読む|cakes(ケイクス) https://cakes.mu/r/fxlV

 だが、現代のシニックな文化では、ダイモンド的な理解のほうがわかりやすいし、いわゆるインテリはダイヤモンド的な枠組みにほいほいとひっかかるだろうと思う、というと、ちょっと皮肉ったようだが、栗本さんの経済人類学でもダイモンドの地理学でも、超歴史的な原理を立ててしまい、理解をその原理に還元しようとしてしまう。僕はそういうふうに学を形成する必要はないんじゃないかと思うようになった。

319 : Lesson

I came for the salvation of the world.

2013-05-01

木曜日、5月1日

 五月となった。

 喉の痛みはぼちぼちという感じ。症状は喉が中心だと思っていたが、どうも全身ぐったり感はあり、風邪でしたね。

 栗本さんのこれを読む。「遺書」とある。まあ、「遺書」なんだろうなと思う。

 
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栗本慎一郎の全世界史 ~経済人類学が導いた生命論としての歴史~

 ツイートもしたが、この本を批判的に理解できるのは僕だけかもしれないなあという奇妙な思いに駆られる。自分だけがこの本を理解できるという意味ではない。うまく言えないが、15年前まで栗本さんの思想を追い、そこから別に自力でこうした問題を考えてきたからだ。(一例は、「ミトラ教」でブログ検索してもらえば。)

 書評的にはトンデモ本で終わるだろうし、そのことを栗本さんも自覚している。そうした予想された著者の自覚をなぞるような書評は利口ぶったおバカさんみたいなので、そうした評は避けたいかな。

 では個別の議論、あるいは個別の問題系列を切り分けて議論すべきかというと、そこも難しい。

 基本的に方法論の倒錯のような部分はある。が、それはポランニ(K)にもあるとも言える。問題は、というのもなんだが、ポランニについてドラッカーが指摘したように、小さな隘路に嵌ってしまったことだろう。問題のスコープは大きく見えそうだが、実際には、問題設定はとても小さい。と、いうと批判めくか。

 感傷としていえば、栗本さんをある意味、こちらも追いかけてきた人生だったので、そうした知の人生の航路というのを見せてもらった謝念のような気持ちもある。

 そうしたところがなんとも複雑だなと思う。

 それとは別に栗本さんからは病に向き合う態度のようなものを教わったように思う。まさか自分も難病になってしまうとは思ってもいなかったが。

318 : Lesson

Lesson 318

In me salvation's means and end are one.

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