finalventの日記

2013-06-30

30日、日曜日

 6月も今日で終わり、今年も半年が終わった。速かったなあと思う。振り返って、自分に向上性がないなあとがっかりもするが、案外、この半年はいろいろな変化があった気もしている。現状、病態が落ち着いているせいもあり、気分も体も基本的に明るい方向にある。その分、ブログが疎かになっている感じもするが、リア充

 昨日の筋トレは、さらに負荷を上げたつもりで、それなりに残るようにしたのだが、今朝起きてみるとそれほどでもない。上手に負荷を掛けるコツを学ばないといけないなあと思う。

時事メモ

 週末なのでなし。

 エジプトの状況がかなり悪化している。いよいよ本体の軍がご登場となりそうな気配もある。

 エジプト軍はクーデターの主体でありながら利権が優先されていて、また心情的には同胞団にも近いナショナリズムが覆っているので、反米気運があっても現政権とそれなりに妥協している。しかし統治能力や国家経済の運営能力はないので、そこをカモフラージュする必要があり、クーデターであることも覆っていた。が、いよいよ政権がへたれて来てどうなるか。軍が利口なら少し利権を削ってもまともな人材を政府に導入するように采配するだろうが、民主化への警戒がつよくうまくいきそうにない。

 チリが荒れてきた。ブラジルもそうだがSNSが、西側やアジアと違う動向があり、こういうとなんだが一種の祭の熱狂をこの地域は帯びていそうだ。

 中国に不穏な動向が多い。チベットやウィグル問題もいくつか閾値を超えているし、銀行不良債権問題がじわじわと動いている。こうしたなか、手っ取り早く日本を悪に仕立てる動きも強い。が、南シナ海問題が閾値を超えて、フィリピンもスービックを実質米軍に再提供したので、日本としては鷹揚に構えていてもいいだろう。

 ⇒アメリカ・フィリピン海軍の合同軍事演習始まる

 アメリカ海軍とフィリピン海軍の合同軍事演習が始まりました。フィリピンが中国と領有権を争う南シナ海のスカボロー礁周辺の海域でも実施される見通しです。

 合同演習を前に、フィリピン・スービックでは27日、記念式典が行われました。演習の実施場所の一つとなっているスカボロー礁周辺海域は、フィリピンと中国が領有権を争っていて、中国の監視船が巡回するなど、中国側が実効支配を固めています。このため、今回の演習実施により、フィリピンと中国との間で緊張が高まる可能性があります。合同演習は来月2日まで行われる予定ですが、スカボロー礁周辺海域での演習をいつ行うのかなど詳細は明らかになっていません。

1.VI. The Illusion of Needs

 Acimのロジックとして違和感もなく、特に際だったメッセージ性もないが、おそらくこのあたりは、ヘレンへの啓示のまだ混乱期の名残ではないだろうか。ヘレンへの個別の文脈が感じられる。

 「信仰」の勧めが説かれているようにも読めるが、Acimの場合、「知識」の理解と、聖霊への信頼が結果的な信仰となるので、いわゆる信仰を強めるというのは誤解しやすいのではないかと思う。

 また、この部分では、文脈上、キリスト教的な「原罪」が描かれていて、Acim的な訂正でもあるのだが、かえって混乱しやすいのではないかと思う。

 実生活上の問題としては、「欠乏」についてそれはなかったのだとしても、肉体を通しての渇望感が即座に消えるわけもないので、そのあたりが十分に説得的でもない。

 以上、偉そうな感じになってしまったし、否定的になってしまったが、この章は、こうした点で難解ではないかと思う。

 メンター本を見ると、この章では、神と自我の2レベルを扱っているともあり、それはそうかと納得。またメンター本では、「信仰」を「神の愛」を強調している。神の愛が覚知できれば欠乏・欠落感はなくなるという意味でもあり、そこを強調すべきではあるだろう。

 そしてまいどのことながら、神の愛というのは赦しに伴うのだが、ここはいつも思うのだが、神の愛なくして赦しは難しいものだろう。

 コメンタリー本では、この章で、神にはグレーなレベルはないとしている。たしかにそれも重要ではある。

Acim関連本

 ちなみに。いい機会なので簡単に関連本をまとめときます。お勧めという意図はないです。

 メンター本はこれ。

cover
The Message of A Course in Miracles

 ペーパーバックには不気味な値段がついているが、Kindle本は安い。

 コメンタリー本はこれ。

cover
A Course in Miracles for Dummies

 当初、このコメンタリーはどうかなと思ったのだが、ある種、理系的にちっちりAcimを読んでいるので役立つ点も多い。あと、Acimの原文が読みづらいのでその補遺にも便利。

cover
A Course in Miracles for Dummies

 上下巻構成になっているようだが、私がもっているのは合本なので、そのあたりは購入する人は検討したほうがいいかもしれない。Kindleが便利。

 あと、いうまでもなく、AcimもKindleが便利。

 
cover
A Course in Miracles

 正規版なので"Song of prayer"も含まれている。これもKindleなら安価

 あとネットでも非正規版はフリーで閲覧できる。

 例えば⇒A Course in Miracles/Text - Wikisource, the free online library

 Acimにフリー版が存在している理由についてはやっかいな来歴の話があり、ここでは割愛するが、テキスト・ワークブック・マニュアルについては概ねフリー版と正規版の差はない。が、Acimを学ぶのであれば、正規版をもっていたほうがよいと思う。意外に"Song of prayer"が重要。

 あとついでなんで、日本語の正規版はこれ。

cover
奇跡講座 テキスト編

cover
奇跡講座 ワークブック編

 Facimからはさらに"Song of prayer"を含めたマニュアルも出版されるらしい。

 なお、以下の版は購入しないほうがよいと思う。

cover
奇跡のコース 第1巻/テキスト ―A COURSE IN MIRACLES Vol.1/TEXT―

 私は便覧用に購入していたが、Acimの用語をかみ砕いていないので、原文がないと逆に混乱する。翻訳自体として悪いわけでもないのだろうけど、Acimの難しさが奇妙な形で表れてしまった。

 大内博さんも、優れた訳者だろうと思うし、スピリチュアルものの選眼は悪くないのだが、この訳書の私的な部分を見ると、Acimを理解している印象はない。というと批判のように聞こえるかもしれないが、そういう意図はない。

 Acimはある意味、理工系の書籍のように出来ている。成立過程の影響もあって錯綜している部分もあるが、中に貫かれている論理は明晰なので、逆にそうした面で、スピリチュアルな志向の人には向かない。

 ワークブックがあれでも一番とっつきやすいが、それでも難しい。マニュアルはやさしそうに見えて、難物。

 そして、3冊合本の「訂正」として"Song of prayer"が存在するのもAcimを難しくしている。

 が、米国でのAcimの状況を見ていると、ワプニックの書籍が多く、一部の変なスピリチュアルな人を除けばみなさんそれで学んでいる。なので、こうしたAcim古来の難しさはだいぶ緩和されている。その意味では、英語からワプニックの著作を読んだほうが手っ取り早いかもしれない。

 日本語で読めるのかこれ一冊。

cover
奇跡講座入門―講話とQ&A

 実際のところ、これ一冊でも十分かもしれない。

 あと、ある意味残念なことだが、この本がないとAcimがわかりにくい。

cover
天国から離れて

 これは本当に貴重な本で、おそらくAcimの最大のコメンタリーになっている。

 ついでに。

 
cover
神の使者

cover
不死というあなたの現実

 米国では人気で、私も面白く読んだが、これはこれで偏向があり、できたらエンタイメント以外では読まないほうがよいと思う。なお、これオリジナルではAcimへの入念な参照がついていて、実はそこに米人は価値を見ているのだが、訳書では抜けている。残念。

 余談の余談だが、ワプニックが若いころマートンの影響を受けていたのを知って、ちょっと驚いた。その話はいずれ。

 ああ、最後に。

 Acimを読んでいると、これをもっとわかりやすく、実践しやすくしたらよいのになあと思うが、本筋を離れてそうするのはあまり益がないようにも思えた。これも語弊があるが、いわゆるスピリチュアルな人はAcimは鉄壁だろう。また、クリスチャンはAcimにぞっとするだろうと思う。どちらかというと、Acimはブーバー的なユダヤ教に近いと思う。

 しかし、そういうのがAcimなので、しかたないと思う。

 Acim自身が述べるように、これは、a courseであって、他にも道はある。そして、Acimに説かれる「赦し」はrequiredではあるが、別の学びもあるだろう。

 個人的にはAcimを学ぶというのは、ちょっと不幸な感じがしないでもない。

2013-06-29

29日、土曜日

 昨晩はジムに行くか悩んで、読書の合間にゲームとかしていた。Kindle買ってからゲームを貰うようになってよくゲームをするようになった。たまに面白いのがある。

 集中力が若い頃に比べると落ちた。しかたない面はあるな。

時事メモ

Va. Gov. Bob McDonnell’s gifts keep coming - The Washington Post

 バージニア州州知事ボブ・マクドネルの問題。

Wendy Davis is a formidable foe of abortion restrictions - The Washington Post

 中絶問題。

The IRS plot thickens - The Washington Post

 IRS問題がくすぶっていてごまかすなということ。

FT:Morsi takes Egypt towards the abyss

Divided country needs consensus and statesmanship

Egypt desperately needs inclusive governance. Consensus is Mr Morsi’s only way forward.

 ワシントンポストでも同じ論調だが、現状ではモルシを支持するしかないということ。率直にいうと、このあたりが西側の腐っているなあとも思える部分だ。結局、西側の認識ではいろいろ言ってもムバラクと変わらない。

 モルシの問題は、同胞団のオモテに立ちながら、裏で米国や西側にすり寄り(対イスラエル問題で明白)、軍部との調停を行っている。つまり、この状況はまさに軍部が望んでいる調停そのものであり、軍部と西側が妥協点を探っているような状態。

FT:Time to release the UK’s trapped gas

The country’s big shale gas holdings need to be explored

 英国シェールガス問題。環境保護関連でももめている。

FT:Political politesse

Voters share the blame for brutality of modern politics

 濠州の政争。ギラード降ろしは実に醜悪だった。

Human genetics: life science | Editorial | Comment is free | The Guardian

 ミトコンドリアレベルの「治療」で子供を産むことの是非。英国では認可された。というか、ミトコンドリア病治療のために健常なミトコンドリアを卵子に移植して体外受精する治療が推進されそう。

 Nature⇒Wide support in UK for novel DNA 'transplants' in human egg cells : Nature News & Comment

メモ

 WPは昨日について米国ドメスティックな政治の話題。日本や他の世界にはあまり関係ない。しいていえば、IRS問題は根が深そう。

 FTがエジプトモルシ政権に言及。WPもそうだが西側の思惑が社説に露骨に出ていて、現状の問題点(軍部)がうかびあがってこない。なんだかんだいっても、エジプトの国民よりもエジプトの軍がイスラエルの安全保障に重要なので、そこが西側の話題になる。

 ガーディアンにあるミトコンドリア治療は人間倫理的には問題だが、これって、日本ではあまり話題になりそうにない。なんだか、日本って現代における中世みたいな場所だなあ。

1.V. Wholeness and Spirit

 "The miracle is much like the body in that both are learning aids for facilitating a state in which they become unnecessary."「奇跡と肉体は似ていて、どちらも不要になるまでの補助である。」

 私がAcimを理解していないからかもしれないが、これは人の霊の姿というのは「死」ということかなとも思う。私たちはみんな死んで無になる。Acim的には無ではないというが、現実的には無である。それを私たちは、死なんか怖くないという人でも、心の底では怖れている。あるいは、死によって自我の苦悩から逃れようという人は、死が安楽であると思っている。が、いずれも無である。私たちがみな無になるというのは、完了の相としてある。

 次に私たちは、私が無になってもこの世界は残ると思っている。これも実は「私」の延長の存在願望に過ぎず、日本も地球も宇宙さえもいずれ無になる。原子や陽子ですら消え去るだろう(ここはまだ科学的には明らかではないが)。時間もなくなる。だが、いつかの相でまた生命が生まれ知性が生まれる。と、考えるなら、霊こそが真実在であると考えるのもさほど非理性的なことではない。ただ、その考え、アイデアが人を無への恐怖から支えるわけでもないだろう。

 このあたりはわからないし、わかる意味もないように思える。

 ただ、私は肉体としてこの世界に存在している。肉体がこの世界と私(という知覚)を成立させているというのは言えるし、それが苦悩の姿であるのも確かなら、この苦悩が究極的に志向するものは先見的に存在している、完了の相としてあるとも言えるだろう。言葉の遊びでもあるが。

 "As these false underpinnings are given up, the equilibrium is temporarily experienced as unstable. However, nothing is less stable than an upside-down orientation. Nor can anything that holds it upside down be conducive to increased stability."「間違った思い込みが断念されると、均衡がくずれ一時的に不安になることはあるだろう。が、倒錯した状態での安定はありえない。倒錯によって安定へと改善されることもない」

 簡単にいえば、宗教も含め、この世界が与えてくれるいかなる世界観も人の苦悩に役立たない。それが壊れることはよいことだが、移行期には不安定になる。

 それもまたメタ的に宗教といえないこともないが、実感としてはわかる。

 章としてのテーマは「全一性」にある。誰も他者を排除はできないということだろう。

2013-06-28

28日、金曜日

 蒸し暑い。

 筋トレの残りはあるが、それほどでもないで、うずうず。

 このところ、熱いお茶が好きになっている。暑いのに熱いお茶。年かなあ。でも、逆に体の熱が抜ける感じがする。

 昨晩はマンデラ死去報道をちょっと追ってみた。誤報が多いのだが、核の部分で、彼の死時が制御されている印象があった。

時事メモ

 昨日は「社説メモ」としたが、社説に限定することもないかということで、「時事メモ」ということで。基本海外情報というか、基本、WP/FT社説のフォロー。

Refashioning D.C.’s attorney general office - The Washington Post

 ワシントンの司法長官選出問題。

Obama should appoint agency watchdogs now - The Washington Post

 国際開発庁などの長官が空席なので埋めよ。

Seeking compromise, not chaos, in Egypt - The Washington Post

 現在のエジプト動乱問題。

U.S. relations with the Egyptian military, which has walled itself off from the government, remain strong, which offers another opportunity. Last Sunday the armed forces commander declared that the military has “the obligation to intervene to stop Egypt from plunging into a dark tunnel of civil fighting and killing or sectarianism or the collapse of state institutions.” Washington should make clear that while the military may have a role in preventing bloodshed and pushing for compromise, a forcible interruption of constitutional order is unacceptable.

 エジプト軍の介入に懸念をもっている。

FT:Activism at the US Supreme Court

Momentous rulings on voting rights and gay marriage

 同性愛婚の話題。

A change of guard at the Old Lady

Sir Mervyn King’s legacy holds lessons for Mark Carney

マーク・カーニーBOE総裁(前カナダ中央銀行総裁)の課題。

カント先生の散歩」(池内紀)、読んだ。

 大きめな活字でしかも池内先生の読みやすい文章でカントの生涯が書かれている。池内さん自身が大学の先生をしていたのでその部分の共感があふれている。カントの哲学の内実には踏み込んでいないので、カントの愛好家にはピンとこない著作だろうが、普通の読み物として面白い。カントが、たまに厳粛な哲学者だと思われていることがあるが、そうではない日常が活き活きと描かれている。

 生まれは現在のカリーニングラードで地図を見ると、現在のロシアだよなあとしみじみ思う。

 特に面白いのが、というか、この本でリアルに思い描けたのだが、カントの老衰の状況。ああ、カント先生もこうして惚けて、老衰して死んだのかあというのがじーんとくる。

cover
カント先生の散歩

 カントの享年が79(満年齢)で、池内紀先生が現在73歳。老いて思うことはあるのだろう。

 ちなみに同書は、創価学会系の潮出版。だからどういうとことはないが。

 また本書は、これのバイプロダクト。

cover
永遠平和のために

 これ抄訳なんですよね。

1.IV. The Escape from Darkness

 暗闇やそれ自体では存在しない。光の欠落の状態にすぎないという話。そして、この欠落=暗闇が人間の肉体そのものだという論理。

The law itself, if properly understood, offers only protection. It is those who have not yet changed their minds who brought the "hell-fire" concept into it. I assure you that I will witness for anyone who lets me, and to whatever extent he permits it.

 律法は人を守るためものなのに、罰として「地獄の業火」を書き込んだのは、回心していない人なのだ、ということで、Acimは聖書の処罰性を訂正する。加えて、それが信じられないなら、イエスご自身がそれをその人に証する。

2013-06-27

27日、木曜日

 昨日の筋トレが来ている。とはいえ想定以上ということはない。これだと、次回は明日か明後日。

「なぜ人間は泳ぐのか?――水泳をめぐる歴史、現在、未来」、読んだ

 ヒストリカル・スタディーズの一つ。とはいえお堅い歴史というより、水泳にまつわる歴史的雑学というのに近い。先日91歳でなくなったエスター・ウィリアムズの話なども出てくる。

 著者リン・シェールも70歳といったところ。水泳はけっこうな年でも技術があればできるのがいい。

cover
なぜ人間は泳ぐのか?――水泳をめぐる歴史、現在、未来 (ヒストリカル・スタディーズ)

 水泳やっている人間には楽しい書籍でもあった。

社説メモ

 日本の新聞の社説を読む気力がなくなってきたが、NYTを読むようになって、WPやFTが散漫になりつつあるので、そのメモを取っておくようにしたいと思うようになった。

Will regime change in Qatar bring opportunities? - The Washington Post

 カタール情勢について過去の経緯から説き起こしている。時事話題としては新カタール王となるタミム氏のこと。カタールが現在奇妙な外交能力や報道に資金提供をしているので、西側諸国はある種警戒をしている。このあたりの話題は日本ではあまりみかけない。日本のエネルギー事情の背景や、率直にいって、メディアへのアラブマネーの問題もあるのだろう。要注意分野ではる。

Buying immigration votes with border spending - The Washington Post

 共和党(GOP)が移民阻止に国境警備を厚くせよとして法案を出しているが、それはコストに見合うものなのか。共和党、アホじゃねという話題。

A gay marriage victory from the Supreme Court - The Washington Post

 ゲイの結婚に司法での進展が徐々に見られる。

FT: Struggling youth

Changing EU’s labour market is key to tackle joblessness

EUの労働市場を変えることが無職状態を変える手がかり。

FT: Embellished figures

Italy should be open about swaps losses, and move on

イタリア経済について。

FT: Osborne keeps on with plan for pain

But more is needed to foster growth in the British economy

英国の金融引き締めの是非論。

Julia Gillard: Labor's love lost | Editorial | Comment is free | The Guardian

英国労働党問題。

Forget Nato v the Taliban. The real Afghan fight is India v Pakistan | William Dalrymple | Comment is free | The Guardian

 アフガン問題の根はインドパキスタン

1.III Atonement and Miracles

 ACIMにおける贖罪(Atonement)は、キリスト教またはその神学のそれではない。それどころか、キリスト教を訂正するためにこの言葉用いられている。ACIMにあっては、罪はそもそも存在しない。よって、それゆえの贖罪もまた存在しない。ゆえに、ACIMにあっては、罪がなかったことを示すことが贖罪となる。イエスが十字架に掛けられ復活されたのは、彼を罪に定めることが訂正された、というロジックである。言うまでもなく、これはもうキリスト教ではない。が、キリスト教をそのように訂正することができるという意味ではある。

 T-1.IIIを読んで、あらためて驚くのだが、明示はされていないが、イエス・キリストが兄としての位置を明確にしていることだ。神の子の本質が純化されているということでもあるのだろう。"I am the only one who can perform miracles indiscriminately, because I am the Atonement. "T-1.III.4

 繰り返すが、イエスが贖いゆえに我が主、という論理はここにはない。あくまで神の子の兄ということだ。

 この節にはまた"The impersonal nature of the miracle"という言葉が3度出てくる。「奇跡の非個人的性質」と訳されているが、意味合いとしては、奇跡とは非個人的であるということだ。個別の人に帰属しないという意味である。ロールズの「無知のベール」にも近い。

 レッスン中、なんども「愛」ということを考えた。私は自覚としては誰に愛されたこともなく育ってきた。もちろん、親や先生なりにはそれなりの「愛」の意識はあったのかもしれないが、私は、その「愛」の対象であり、審級であり、つまりは愛と言えるものではなかったように思う、愛に安らぎはなかったのだし。そして恋愛もまた愛ではなかった。なんて惨めな存在なのだろう、自分は、と思ったが、これが人の普通の存在であるということまで理路はたどれた。愛されていると思っている人もまたある意味、幻影のなかにいるだけである。では、愛とは? というところで、小学校1、2年生のときのI先生を思い出した。夫を戦争で亡くした後家さんだった。彼女は特に私を贔屓してくれたわけでも配慮してくれたわけでもなかったが、決定的に公平だった。公平ということが愛なのだと半世紀してしみじみと心に染みて泣けた。愛というものがあるなら、公平と同義であろうと思う。ここで愛というのは、"The impersonal nature"なのだというふうに自分は理解する。

 以上、なんか、あれですね、いかにも新興宗教みたいになってしまった。テキストの扱いもモルモン教みたいになって、ますます、僕は異端かあ。

 ACIMのテキストは難しいと言われるが、第1章でこんなテーマがいきなり出てくるというのもどうかとは思う。普通わかるわけないでしょと思うが、そういう思いに奇妙なおごりをまぜないように。人はどの道を辿ってもかまわない。ACIMはほんの数名のためのものかもしれないし、何千年とかけて人類が理解すればよいものかもしれないのだから。

2013-06-26

26日、水曜日

 筋トレ+エアロビ+ストレッチ、ということで次第に強化。

 エアロビにはエリプティカルを使う。慣れてきた。

1.II Revelation, Time and Miracles

 表題通り、啓示、時間、奇跡を扱っているが、主眼は啓示と比較しつつ奇跡を扱っている。奇跡は対人的なものとされている。「赦し」とは書かれていないが、その意味で受け取ってよく、その「奇跡」によって時間を節約するというのはレッスンでも繰り返し述べられた。

 問題は啓示であるが、これは聖霊またはキリストが司って神の側から与えられる直接経験とされ、具体的な描写は避けられているが、ヘレンの神秘体験のようなものだろう。この点について、ヘレンの体験以外にはワプニックは言及していないように思われる。

 こうした神秘体験は、しばしば宗教の麻薬的な希求ではあるが、いずれにせよ、ACIMでは私たちの側の業ではないとされている。

 私にはそうした啓示のような体験はない。

2013-06-25

25日、火曜日

 筋トレの疲れはかなり消えているが、無理しすぎもなとか思う。

 Acimのテキストが届いた。レッスンを終えた次の日とはなんという偶然だろうと不思議な感じがするが、偶然は偶然だろう。

 それほどはっきりした意欲があるわけではないが、今度は日割りでテキストを読んでいくかな。

1. I The Meaning of Miracles/ Principles of Miracles

 「奇跡」の50の原則。ここはなんども読んでわかる部分とわからない部分がある。この部分だけでワプニックの著作があり、先日注文した。

 Acimで「奇跡」と呼ばれているのは、日常言われている「奇跡」とは異なる。ごく簡単に言えば、知覚(認識)の訂正、ということだ。肉体の目(感覚器官)で知覚し、肉体の意識であるego(つまり「私」という意識)による思考、それらを真なる知識によって是正することを意味している。

 これが具体的に短期に生じるといわゆる奇跡のようなことにはなるのかもしれないが、私にはそういう経験はない。ただ、Acimを通して知覚は変わった気がする。

 あと、これはよくわからないのだけど、プネウマとしての「霊」というのがなんとなく実体的に感じられるようになった。現代的にいうなら自己催眠状態とでもいうのだろう。そういうと特殊な心理のようだが、例えば、誰かを憎悪してたり、羨望してたり、というような感情に支配された思考・認識状態である。これがわかるというのは、かなり奇妙な体験ではあった。

Miracles are habits, and should be involuntary. They should not be under conscious control. Consciously selected miracles can be misguided.

奇跡は習慣であり、意図して起こすものではない。無意識から起きるものである。意識された奇跡は誤りうる。

 こなれてない意訳だが、奇跡がいかに日常的なことであるかは端的に示されている。

 知覚の訂正ということだが、ごく簡単に言えば、嫌悪感の解消としてもよいだろうと思う。

2013-06-24

24日、月曜日

 さすがに昨日の筋トレは残った。が、それでもまだという感じはある。若い時と筋肉の反応が違う。これも老化かもしれないなとは思う。が、微妙にタフになっている部分もありそう。

「新ナニワ金融道」読んだ。

 無料だというので、つい。SPAに連載していたのは知っていたが、なんかオリジナルとトーンが違うなと敬遠していた。

 金畑社長の過去の話がよかった。特に知らない話があったわけではないが、在日の心情をよく描いていた。12巻から14巻、あれは傑作と言っていいだろうし、ここだけ単独で読んでも問題ない。こういうの高校の授業で教えたらいいのにな。

cover
新ナニワ金融道11巻 銭道立志編

cover
新ナニワ金融道12巻 銭道無情編

cover
新ナニワ金融道13巻 銭道群像編

cover
新ナニワ金融道14巻 銭道天命編

365: Lesson

This holy instant would I give to You.Be You in charge. For I would follow You,Certain that Your direction gives me peace.

 

EPILOGUE : Lesson

 

This course is a beginning, not an end. Your Friend goes with you. You are not alone. No one who calls on Him can call in vain. Whatever troubles you, be certain that He has the answer, and will gladly give it to you, if you simply turn to Him and ask it of Him. He will not withhold all answers that you need for anything that seems to trouble you.

 この講座は始まりであって終わりではない。あなたの友はあなたと友に歩む。あなたは孤独ではない。友を呼んで応えのないことはない。どのような困難にも彼は応える。彼は喜んで応える。ただあなたは求めればいい。

 レッスンは終わったが、道が終わったわけではない。友とは聖霊のことだ。

 『祈りの歌』ではこの聖霊への問いかけが、多少意味合いが変わる。ぶつぶつと聖霊に問いかけることではない。

And now I place you in His hands, to be His faithful follower, with Him as Guide through every difficulty and all pain that you may think is real.

私はあなたを友の手に繋ぐ。友はあなたと信頼をもって歩む。困難は苦痛がどれほど真実に思えようと、友は導く。

 JACIMの訳を見ると、「友」ではなく、「聖霊」とある。Heの大文字の意図を汲んでだろう。

 実際のところ、レッスンは聖霊が共にあることを学ばせることであった。

 我ながら実に愚かなのだが、このレッスンが聖霊の業であり、そのれが平安であることが、ここに来てようやくわかった。ワプニックの著作を読めば理解はできるが、心底納得してわかるというのはこの数日のことだ。

 世界は幻影である。自我が神の子を分離して見せる視野がこの世界である。本当の世界、キリストのビジョンは、聖霊を通して与えられる。そう言えばそのままACIMのロジックなのだが、これは自我の業ではないということだ。自我ができることは、納得し理解することだ。あとは聖霊に委ねよう。

 不思議なことに、明日かあさって、JACIM訳のテキストが届くだろう。ここから先はテキストを読み続けようかとも考えている。

 テキストは最初の章に、ワプニックが指摘しているように、多少錯綜している。なかでも冒頭は原理がまとまりすぎている。そのまま冒頭から読むとさらに混乱しそうだ。

 どうするかな。

2013-06-23

23日、晴れ

 都議選がある。支持政党もないし、知っている議員もいない。公報を読むと維新の会が一番まともなことが書いてある。そうするかなと悩む。

 筋トレの疲労が出ない。あれで足りないのか。

 このところ忘れ物のようにX-Menを見ている。見るだけでけっこう疲れる。2が良かったような評判が記憶にあるが、自分としては1のほうが映画としては面白かったように思う。

364: Lesson

This holy instant would I give to You.Be You in charge. For I would follow You,Certain that Your direction gives me peace.

 

 レッスンは「赦し」が基本になっているとはいえるが、振り返ってみると、信頼というのか神へを信頼せよという呼びかけが多かった。同じことの繰り返しで辟易とするのだが、これは同時にいかに赦しというのがきついものかということでもある。

 「赦し」というのはそもそも不可能なのではないか。Acimというのはヘレンのオブセッションなのではないか。そういう疑念がなんども湧くし、それを一概に否定もしない。

 が、振り返ってみると、「赦し」というのは自我の業ではない。赦すと理解してあとは神に委ねることであり、神を信頼することの一つの帰結である。では、どのように神が信頼できるのか。神が信じられるのか。

 私の、残念なことではあるが人生の結論は、信仰というのは無理だということ。人は信じることはできないし、あるいは信じているときは欺瞞があるだけだ。ただ、それを信じていると言う人を批判すべきではない。

 では。Acimのレッスンを振り返ると、信仰の不可能性は先見的に含まれているのではないかと思う。ここは逆で、レッスンとは神への信頼を鼓舞するのではなく、神の側は私に向けて信頼を懇願しているということでもあるのだろう。そしてそのことが聖霊という働きであり、呼びかけるのがキリストであり、キリストが神の子であるというのは、呼びかけられた私が神の子であるということだ。その原理だけ抑えれば、キリストなりイエスなりというのが私という固有性が私の了解にあるように、そしてそれが本質において神の子という普遍性であるなら、「キリスト」も「イエス」も必要とは言いがたい。実際、マニュアルでは明示している。

 その意味では、宗教というより、究極の精神分析とでもいうべきもなのだろう。心の安らぎを妨害している自我の仕組みをここまで暴き出した教えはないし、その暴露の神聖さのようなものがヘレンのなかで人格のように集まったとしてもよいだろう。

 ヘレン自身がまさに自我の典型例として存在した。比喩的に言えば、神は酷いことをされるとも言えるが、結果を見れば、ヘレンは神に仕えたし、聖書旧約聖書)の預言者とまったく同じだった。神の言葉を預かるがゆえに迫害された。

 キリスト教もまた宗教であるかぎり歴史的な啓示にともなう迷路を含み込む。それは避けられない。が、今ここにある人々への直接的な教えであるなら、そこは整理されてもよいだろう。端的な話、食物規定のようなものは捨象されてよいだろう。

2013-06-22

22日、曇り

 昨日の筋トレの疲れがもっと出るかと思ったらそうでもない。もう少し負荷をかけてもよさそうだ。それでも、まだまだという感じだし、徐々にという感じ。リハビリみたいなもんでもあるな。

363: Lesson

This holy instant would I give to You.Be You in charge. For I would follow You,Certain that Your direction gives me peace.

 

 このレッスンを始めたのは2012年3月11日だった。その日の日記にはとくに書かなかったが、言うまでもなく、震災が関係していた。あの震災で、多くの偶然的な死や不幸を見た。それにどう向き合っていくのだろうかと、自分は思った。もちろん、そういう問いかけも間違っているかもしれない。

 少しずれたところでは、やすやすと一年が過ぎたことへの恐れがあった。あともう一年がやすやすと過ぎるとしたら、自分の人生とはなんだろうか。どのように考えたとしても惰性であり、そしてつまるところ、自分が生き延びているのは幸運という偶然に過ぎないのであれば、それはどういうことなのか。

 今思うと、この時の思いが底流として『考える生き方』の執筆につながった。そしてそれはそれなりに一つの形になった。うまく言えないのだが、自分のつまらない人生のなかの、そのつまらなさの普遍的な部分で、多くの人の人生と共有・共感できるものがあればいいし、率直にいって、不要な誤解を避けるためにネットの公開でないほうがいいだろうと思った。それでよかったかどうかは、私にはいまひとつわからないが、「日本人の」という限定をそれほどしないにせよ置いて、ある偶然という幸運のもとに生きていく、奇妙な意味と、そのなんというのか、楽観的な部分をできるだけ伝えたかった。直截には書かなかったし、さらっと読めるように書いたけど、普通の人としての苦しみにある人は、私くらいには生きられますよ、そんな思いだった。職を失うことは普通のことだし、友だちから見廃れることもある、精神の不調を来すこともある、結婚もできない子どもももたないということもある(が、自分は偶然そうでもなかったが偶然だった)、難病になることもある、など。自分をあまり悲劇に書きたくはなかった。本当は、自分をもっと低くめて書けばより伝わるだろうと思ったが、偶然的な幸運もあり、そこはうまく行かなかった。低く書くことがそれなりに嘘になってしまいそうだった。

 あの本で残る部分はもちろんある。出し惜しみというのでもないつもりだ。自虐的に「自分語り」とは言ったが、私の特性でもあるが、それほど自分のことは語っていない。自分が人として見える部分を語ったということでもあった。そうではない部分は、cakesで書評のかたちでかなり表現出来た部分もあった。

 うまく言えないが、それでなお残る部分、あるいは、2012年3月11日からの一年をどう考えるか。こう言うのも正確ではないが、神に捧げようという思いもあった。私は、あの震災の洪水のなかで死んでいった一人の人としてもなんら変わりのない存在であるなら、そのことを忘れないための一つのありかたとして一年を神に捧げよう。

 今その一年が、実際には一年三か月が過ぎようとして、私はどう死者たちに向き合うだろうか。そこで、うまく言えないが、薄く「日本人の」という限定もあるだろう(本質ではない)。

 偶然生きた私、偶然死んだ人々。その差は、たぶん、運命というほかには何もない。こうした私たちの存在というのは、どのように祝福されるのだろうか。一年を神に捧げるという思いは同時に、それを神に問いつづけてみようということでもあった。それに見合うだけの苦悩は、苦悩としては些細なものかもしれないが、自分なりには十分にあった。

 おそらく結論は、矛盾するようだが、洪水で亡くなった人は祝福されているということだ。それは、このところ言う「完了の相」としてそうだが、ではそれに納得できるか。納得というなら、今ここで私が事故死しても、それは祝福なのか。人生は無意味ということの言い換えではないのか。

 答えは神話的にはある。人の人生は同じもので、死を経てまた生きるということだ。蘇りというのでもないが、そもそも私が苦悩なりを抱えて生きているというのは、多数の死者の蘇りそのものということだろう。

 私という実体は存在しようもない。私というのは、この時間に限定された存在であり、この限定と条件のすべてが私であるかのように見せている幻影なのだ。では無に等しいのか? むしろ生きることを可能にした苦悩の条件が生そのものの意味を内包しているだろうし、死者たちはまたその苦悩なかで無数の「私」として再生するだろう。

 意外といってもいいが、問題は、私が向き合う死者というより、この私が死者たちの苦悩をそのままにして生きているということだ。理路がゆがんでいるかもしれないが、死者たちの祝福とは、この凡庸な苦悩を抱えた「私」というものの平安であろう。

 間抜けなことに、「平安」ということの意味をここにきてようやく、少し理解してきた。

2013-06-21

21日、金曜日

 雨になるらしい。

 筋トレと水泳。筋トレは現状可能な限り負荷をかけてみた。

362: Lesson

This holy instant would I give to You.Be You in charge. For I would follow You,Certain that Your direction gives me peace.

 

 レッスン362から364までは、黙想というか個別のレッスンは与えられていない。一年間、私の場合は一年三か月ほどかかったことになるが、レッスンを総括する意味合いもあるのだろう。

 ことさらにそれを意識しているわけでもないが、この間、レッスンを少し振り返ってみたいと思った。

 きっかけは、「奇跡講座入門」の再読である。

cover
奇跡講座入門―講話とQ&A

 久しぶりに読み返してみると、以前よりよくわかる。その深みにおいてわかる実感があった。また、率直にわからないところ、まだ理解できていない部分も見えるように思えた。

 レッスンをほぼ終えて、率直に言って、自分はこのレッスンで変わったのかというと、わからないと思う。率直に言って、世の中の人のいうような救済の感覚のようなものはない。それでも何かは決定的に変わったという感覚のようなものがある。

 先日、「心の中の深い傷 - finalventの日記」というのを書いて、想定しないブクマがついていて驚いたのと、これを「毒吐き」のように受け取る人がいるのだなとも、久しぶりに異質な他者というものに出会うような感覚もあった。

 「奇跡講座入門」を読み返してみると、ああ、これだったかというのがわかる。あまり合理化してはいけないが、こうしたつらさは、レッスンの、普通のプロセスでもあるようだ。

 話はずれて。二つのことを思った。一つは、これまでワプニックも書いていないし、ACIMにも明確には書いていないが、いや、ワプニックは別書でヒントのように書いているが、赦しを他者の攻撃の好機のように差し出すのはその人を傷つけるのと同じ、ということだ。偽りの赦しというか、フロイトのいう道徳マゾヒズムのように「赦し」が機能する倒錯は違うのだろうということだ。

 攻撃者は当然ながら気がついていないのだが、他者を攻撃することで自身を損傷していく。これを傍観しているうちはいいのだが、攻撃される側に回るとき、自分の経験でいうとネットをやっていると実にしばしばそういう場面に遭遇するのだが、他者の攻撃をどう赦すかというのが、切実に問われる。先日も、これは行きすぎだろうなという大量のコメントを貰って閉口したし、ブログにも日々罵倒と愚弄の匿名コメントが寄せられる。基本はかまわないと思う。こうした問題では何が正しいかは、神に任せればいいし、そう思えるなら、社会的な許容であれば、罵倒と愚弄を普通に受け止めていていいと思う。

 それが自身の道徳的マゾヒズム心理と混線するような側面がありそうに思えた。自分を傷つけてまで赦すことで、自分を聖化するような心理である。ACIMには明言されていないように思うのが、日本人のある精神志向のある人間にとっては、この「マゾヒズムとしての赦し」とでもいうようなものは非常に危険なものなんだろうと思う。ACIMの論理でいうなら、それは他者を密かに攻撃しているだけなのだ。

 もう一つ、関連して、「破壊するための赦し」を思い出した。ちょっと勘違いしていて、これが先の入門書に書かれているかと思った。勘違いしたのは「特別な関係」との関連だった。「特別な関係」はワプニックの指摘で言うならレッスンには書かれていない。レッスンの実感からすれば実践の過程で内的に突き当たりはする。

 「破壊するための赦し」は広義に「マゾヒズムとしての赦し」を含むだろうが、同じと断ずることはない。また、「破壊するための赦し」は、ACIMのテキストに明示的は出てこない。「祈りの歌」に表れる。潜在的にはテキストにもレッスンにもあるだろう。

 「破壊するための赦し」はワプニックによるヘレンの評伝に少し含まれているが、今見返しても明瞭ではなかった。

cover
天国から離れて

 このあたりで「入門」と関連して少し思うのは、自分はキリスト教からは離れてしまったように思う。そこをあまり強調する必要はないが、キリスト教は多面的ではあるが、それでも贖罪と復活についてのACIMの考えを含み込むキリスト教神学はないように思える。ACIMにおいて罪が許されたというのは罪がそもそもなかったという真理(知識)の直覚である。結果的にキリスト教の贖罪を非時間的に整理すればACIMと同構造になるが、そうした神学的な思索は、キリスト教徒にもACIMの学習者にもさほど益はないだろう。

 それと、また、奇妙な孤独の位置についた感じもする。キリスト教ですら日本人は少ない。またACIMを信奉すると公言する人はいわゆるスピリチュアル系の人が多く、出版されているものやネットで雑見するものからは、あまり共感できない。幸いFACIMはワプニックの薫陶にあるせいか安心して見ていられる。

 こうした心理は、おそらくカルトと同型だろう。ああ、自分はカルト信者かと苦笑したくもなるし、ネットで書けばまた「マゾヒズムとしての赦し」の誘発にもなるだろう。賢いことではない。

 孤立感がないわけではないが、孤独というのでもない。まあ、こんなものかなと思う。

 ヘレンはACIMはこの世界の5、6人に向けて書かれたものだと理解していたようだ。それに自分が選ばれたといった奇っ怪な自己幻想はもたないが、そのくらい理解しづらいものではあるのだろう。

 そしてそれを理解することは「必須」ではない。ACIMのAは、不定冠詞のaである。その道に進む人もいるだろうというくらいのものだ。これはマニュアルでも明示されている。ACIMは「イエス」を理解しなくてもいい。

 ただ、なんというのか、どこかに私の友だちはいる。こういう言い方も誤解を招きやすい。私がその友だちを判ずるわけではないから。ただ、結果的に、私はその未知の友愛のなかに掬いとられている(完了の相)という思いはある。

2013-06-20

20日、木曜日

 蒸し暑い。

 昨日の筋トレの疲れはさほど残っていない。

361-365 : Lesson

<1>

This holy instant would I give to You.

Be You in charge. For I would follow You,

Certain that Your direction gives me peace.

【意訳】

この聖なる時はキリストのためにあります。

キリストが私を導くので、私は従います。

キリストが示す道には確かな安らぎがあります。

2013-06-19

19日、水曜日

 筋トレ・水泳。筋トレのほうは少しずつ負荷を上げる。まだ負荷は足りないのだろうと思うのは、泳ぐ筋肉にはあまり影響しない。ただ、いい気になっていると思わぬところで老化の足をすくわれそうだ。

360 : Lesson

Peace be to me, the holy Son of God.

Peace to my brother, who is one with me.

Let all the world be blessed with peace through us.

【意訳】

私に神の子としての安らぎがりますように。

私とともにある兄弟姉妹に安らぎがありますように。

世界が私たちを通して安らぎを得ますように。

2013-06-18

18日、火曜日

 紫陽花が美しい。今年はよく紫陽花を見る。

「5つのコツでカラダが変わる! 筋力トレーニング・メソッド」、読んだ

 もう一冊。

cover
5つのコツでカラダが変わる! 筋力トレーニング・メソッド

 メモ。

  • 5つのコツ
  • 1 対象となる筋肉の特性を知る。どこにあるか、どう動くか。
  • 2 どの動きでも体幹(コア)を意識する。
  • 3 トルク(関節を回す力)を最適にする。
  • 4 筋肉の動作の方向を意識する。(動作で筋肉を選ぶ)
  • 5 一定速度で負荷をかける(急がない)

 

  • 筋肉を大きくする5つのメカニズム
  • 1 メカニカルストレス(適切な負荷)
  • 2 筋繊維の損傷と再生(適度な筋肉痛
  • 3 代謝環境を整える
  • 4 低酸素状態
  • 5 成長因子を考慮(60秒休みで3セット)

 

  • 特殊テクニック
  • ディセンディングセット(3セットを徐々に減らす。30秒休み)
  • コンパウンドセット(同部位に2-4種類のトレーニング)

359 : Lesson

God's answer is some form of peace. All pain

Is healed; all misery replaced with joy.

All prison doors are opened. And all sin

Is understood as merely a mistake.

【意訳】

やすらぎがあることが神の答えです。

傷は癒されています。悲しみは喜びになっています。

牢獄は開放され、あらゆる罪はただの誤りであることがわかりました。

2013-06-17

17日、月曜日

 月曜であったなあと思う。

 筋トレと水泳。筋トレは少しずつ負荷。ヨガも少し。しかし、ヨガはなかなか若い時のようにはいかない。

「効く筋トレ・効かない筋トレ―体脂肪を落とす・締まったカラダをつくる (PHPビジュアル実用BOOKS)」、読んだ。

 別の筋トレ本。いわゆるムック本。

cover
効く筋トレ・効かない筋トレ―体脂肪を落とす・締まったカラダをつくる (PHPビジュアル実用BOOKS)

 メモ。

  • 筋損傷による筋肥大は、筋肉を引き延ばす(エキセントリック収縮)で起きる。ダンベルなら上げるよりも降ろすときに起きる。
  • 筋肉を低酸素状態にすると筋肥大しやすい。スロートレーニングや加圧トレーニングがそれ。
  • 有酸素運動では基礎代謝は向上しない。筋トレだと向上する。
  • 「超回復」ですべて説明がつくわけではない。
  • トレーニングには3つのポイントがある。
  • 1 体幹周辺の大筋群種目を優先
  • 2 多関節を動かす種目を入れる
  • 3 全身にバランスよく
  • IRMを考慮して8-10の反復が限界の負荷で行う。10回やって余力があれば足りない。回数より限界。
  • 初心者は1種目2-3セットまで。
  • セットのインターバル1-3分。小さい筋肉なら1分、大きい筋肉なら3分。
  • 1週間に2-3回程度。筋肉を休ませることも大切。
  • スプリットルーティン(部位を日で分ける)も考慮
  • マシントレーニングは筋損傷が起きにくい(効果が低い)。フリーウェイトがよいが難しい(初心者に向かない)。
  • 動作はストリクトに(チートしない)
  • 上げる動作は1-2秒で、降ろす動作は2秒(じっくり)。
  • 動作範囲はフルレンジで。
  • 関節の動きをよく知ること

358 : Lesson

No call to God can be unheard nor left

Unanswered. And of this I can be sure;

His answer is the one I really want.

【意訳】

神を呼ぶ声は必ず届き、答えがあります。

その答えは私が求めるだと確信しています。

2013-06-16

16日、日曜日

 暑かった。さすがにエアコンを入れる。

 筋トレ、水泳の疲労は少ない。まあ、出ないレベルでやっているのだが。でも、マシンを使っているので、疲労感が違うなあとは思う。

「ジムに通う前に読む本―スポーツ科学からみたトレーニング (ブルーバックス)」、読んだ。

 総花的なんだけど、重要なことがきっちり書かれていた。

cover
ジムに通う前に読む本―スポーツ科学からみたトレーニング (ブルーバックス)

 メモ。

  • 筋トレが先で、その後、有酸素運動の順で。
  • これなら10回は反復できるという負荷。休息。10回はできないという負荷を割り出す。40kgバーベル8回なら、IRM(repetition maximum:最大筋力)は40÷0.8で50kg。
  • IRM70%以上筋力つくり、60%から70%が持久力アップ。
  • 超回復は初心者だと2、3週間かかることもあり。
  • 超回復は最終的には3-4日。
  • 筋肉が増えるのは2か月移行。2か月間は抑制がかかるため。
  • 初心者なら効果がでるのは3か月後。
  • 初心者を終えたらトレーニングにはバリエーションを。また、分割してトレーニングを。ただし、初心者は基本を。
  • 大きな筋肉から小さな筋肉へ。

357 : Lesson

Truth answers every call we make to God,

Responding first with miracles, and then

Returning unto us to be itself.

【意訳】

神を呼び出すたびに真理は答える。

最初は奇跡によって答え、

それから真理として私たちに返る。

Forgiveness, truth's reflection, tells me how to offer miracles, and thus escape the prison house in which I think I live.

赦しは真理の応答として、奇跡の示し方を告げる。それによって、私が生きている牢獄から救い出してくれる。

2013-06-15

15日、土曜日

 蒸し暑い日々が続く。

 筋トレと水泳。

 ついでにヨガとか思い出してやるのだが、体がまだ本調子には戻っていない。

356 : Lesson

Sickness is but another name for sin.

Healing is but another name for God.

The miracle is thus a call to Him.

【意訳】

罪というのは病気で、

神がその治療である。

奇跡は彼に往診を請うこと。

2013-06-14

14日、金曜日

 暑い。蒸し暑い。不快この上ないなのだが、エアコンがなんとなくためらわれる。

 なんて言ってる場合でもないか。

 ついにこの日記のコメント欄も承認性にした。気安さからなのかもしれないが、客観的に見ると罵倒にしか読めないコメントが突発的に多くなり、対処に困惑した結果である。

 大議論があるかたは、自分のブログに書けばよいのではないか。

355 : Lesson

There is no end to all the peace and joy,

And all the miracles that I will give,

When I accept God's Word. Why not today?

【意訳】

神の世を受け入れた時、

安らぎと喜びに終わりはなくなり、

与えられる奇跡もまた終わりはなくなる。

その時は今日でもよいでしょう。

2013-06-13

水曜日、13日

 筋トレをし、さらに泳ぐと。まだまだ負荷をかけてない段階。若いころとはどうも勝手が違って、疲労がどう残るのかよくわからない。まあ、これも新しい次元ではあるな。

 本格的な夏が来るとまた体が動かなくなるだろうなあ。

心の傷と癒やし

 まあ、話は宗教っぽいトーンになる。あるいは精神分析学というか。

 昨日、自分の心の奥の傷のことをちょっと書いた。意外だったが、ブコメがついていて、だれだったか(確かめればわかることだけどあえて確かめないけど)、「毒吐き」と評していた。まあ、そう思われてもしかたないだろうな。

 要点はというか、「頭ではわかる。救済はいつかやってくるものではなく、今ここにある。でも、今ここに絶叫したくなる苦しみも悲しみもある。」ということで、悲しさやつらさも感じる。それは素直に感じるというか、素直に感じられる。その痛みよりも、素直にそれを受け入れられる部分に、今、実は救済があるという含みを感じてもいる。

 救済が完了の相で今を覆っているというか。奇妙なことを書いているようだけど。

 キリスト教的なことを言えば、キリストは世に勝った(完了の相)としてある。でも、この世の悲惨はいかばかりも減じてないように見える。どこにキリストの勝利があるというか。そして、しばしば信仰は(聖書にそう書いてあるせいもあるんだけど)、来たるべきものの確信として表現される。

 ただ、これは、いつか必ず来るという表現にもなるんだけど、同時にすでに完了の相として今あるという意味でもある。

 なんというのか、宇宙の全ての時間が積分されて、それは救済をもってすでに終わっているというか。

 その意味を強調していうなら、信仰というのは確信や信じるということではなく、その完了の相のなかで世界を見るということだし、悲しみや痛みを、救済の相のなかで見るということでもある。

 ま、でも、ご安心あれ。そんなことを信じなさいとは言わないから。

354 : Lesson

We stand together, Christ and I, in peace

And certainty of purpose. And in Him

Is His Creator, as He is in me.

【意訳】

私はキリストともに安らぎつつ

確実な目標を見つめ、ここにいます

キリストのなかにその創造主がいますし、

私のなかにキリストがいます。

2013-06-12

12日、水曜日

 筋トレを開始。水泳で基礎的な筋力が戻りつつあるので。

 残念ながら確実に体力は落ちてきて若いときの体には戻らない。というか、それがもう目的ではなくて、老化と折り合いをどうつけていくかということかなと思う。

 筋トレも、今まではマシンを使うのが嫌だったのだが、考えを変えて使ってみる。

 夏が来ると体がバテるので、どこまでできるかわからないが。

acimレッスンの終わりに向けて

 昨年の3月11日に開始したAcimのレッスンだが、やってみるととてもむずかしい。これは終わることなく、途中で放棄するんじゃないかとなんどか思った。あるいは、別に1年でやり遂げる必要もないと思いつつ、なんというか、この日記にしがみついて、へとへとになって辿り着いた感じがある。まだ、ではあるけど。

 先日、私のキリスト教理解は間違いであり、私は「アフォ」だと言われた。愛を込めて言われたのかもしれないが、それはそのまま受け止めることはできた。つまり、私は阿呆であり、私のキリスト教理解は間違っていると。それはそれでかまわない。

 もちろん、理性的に言えば、それは私の発言を単純に誤解しているにすぎないのだが(私はカルバニズムのみをキリスト教だとしていないことは過去発言から明白なので)、それでも、私の考えが、キリスト教なるものから逸脱しているのは、それはそれで確かな感覚なのだろう。

 私は、たぶん、キリスト教より、Acimのイエスに向かった。

 私はクリスチャンではない。私は、キリスト教という意味で、神を信じることはないだろうと思う。私は、「異端者」になったのだな、と自分を悲しく思う。

 ただ、イエスと、その教えを、Acimによって、より身近に感じるようにはなった。

 なんというのか、Acimを通して決定的に学んだことの一つは、罰することは間違いだということだ。裁くことは間違いだと言ってもよいかもしれない。

 罰することに潜む間違いということもうっすらと気がついた。人は「罪」を誇ることができてしまう。それこそが間違いなのだ。神をもって罰する、裁くことが間違いなのだと。

 Acimのイエスはヘレンとの対応のなかで、ヘレンが間違っていくとき、それを罰せず、根気強く、訂正するとした。あなたが間違うなら、私は訂正しよう、と。

こういうのは偶然というのだろうか

 Facimのサイトを見たら、今日、情報が更新されていて、Facimのテキストの翻訳が6月25日に出ることを知った。注文した。

 こういうのは偶然というのだろうか。まあ、それほど深く意味を考えることでもないが、なんだか、まるでちょうど自分がワークブックを終えるのを見計らったみたいな感じがした。

 ついでに、AmazonでWapnick先生の本を3冊注文した。

心の中の深い傷

 心の奥底に深い傷があり、人を愛することができない。自分は欠陥人間なのだと思う。というか、心底悲しい。

 もちろん、自分なりに人を愛するとはこういうことかと、賭けのように確信してみたり、そして、結果的に僕の人生はもうほとんど過ぎてしまったので、その中には、神の十分の恵みのもとで、愛は与えられたのだと思う。その意味では、愛することがなんとかできたのかもしれないし、そこにはなにか信仰のような思いはある。感謝もある。

 Acimを通しても、ある人への嫌悪はどうしても抜けない。それをもって愛することができないというならまだできない。赦すことができないかと問われれば、赦すことはできるようになった。Acimのイエスが言うように、それはなかったのだというならそれも理解できる。

 だがそれでも、沸き起こる嫌悪感は抜けない。そしてその奥になお怒りが隠れているのではないかとも思う。

 昨晩は寝つかれずそれを見つめて、泣きたくなるほど悲しかった、が、眠れはした。どこかにそっと救済のようなものがあるのかもしれない。

 現状では、嫌悪しつつ、なお愛するという、その両立くらいでしかない。心情に正直であれば、やはり嫌悪感は抜けない。

 なぜこんなに苦しいのだろうと思う。過ぎ去った苦しみがなぜ、今でも苦しみになるのだろうと思う。もちろん、その答えはわかっている。ACIMでも道元もそれをきちんと理路を説いていて理解はできる。

 それでも、理解が救済には至っていないのも自分の事実なのは悲しいほどだ。

 頭ではわかる。救済はいつかやってくるものではなく、今ここにある。でも、今ここに絶叫したくなる苦しみも悲しみもある。

それでも過ぎ去ったもの

 遠い日の失恋の痛みのようなものは、まったくなくなったというわけではないが、なんというのか、その過去から別の未来としての今などはありえないということだけは、心底理解できるようになった。

 『多崎つくる』で、つくるがクロ(エリ)と会話するシーンのなかで、過去に彼女の愛を受け入れることができたと思いつつ、それがいずれ破綻することも理解しているが、あの感覚はわかる。

 若い日に愛し合っていたように思えても、そこから何十年か生きて、己の正体のようなもの(「罪」と言ってもよいのだろう)を見つめると、その愛のようなものが開花することはなかっただろうと納得する。

 この人生しか生きられなかった。この愛しかなかった。それが自分の全てだったというのは、なんというのか、そのままに神の言葉のように受け入れることはできる。

 と、同時に。私を捨てていった人たち(私が主観的にそう思うだけではあるんだけどと自覚はしているが)が、幸福に生きていることが確信できるし、そこに祝福を送ることはできる。

 若い日の人との出会いは長く痛む傷を残すこともあるが、生きて行けば、自分を見出していけば、その傷は傷ではなく、今のありかたの恩寵のひとつに思えてくる。そんなことがあるものだなということ、それを知るのに、人間55年くらいは生きてみる価値はあったなと思う。

353 : Lesson

My eyes, my tongue, my hands, my feet today

Have but one purpose; to be given Christ

To use to bless the world with miracles.

【意訳】

奇跡によってこの世を祝福するために

私の目も言葉も、手も足も、

キリストがお使いになりますように。

2013-06-11

11日、火曜日

 室内は蒸し暑く、屋外は肌寒い。

 台風が接近中。

 RPGのゲームが無料なんでやってみたいのだが、操作がわからず、主人公たち全滅して終わる。

 他にdotsというゲームをする。

 

352 : Lesson

Judgment and love are opposites. From one

Come all the sorrows of the world. But from

The other comes the peace of God Himself.

【意訳】

人を責めないことが愛することです。

責める心からこの世の悲しみがすべて生まれます。

愛することが神の安らぎをもたらします。

2013-06-10

10日、月曜日

 昔の旅のバッグにTCが残っていて、そうだなあと返金したのだが、めんどくさかった。日本の社会ってもっと簡単にドルが扱えたと思ったのだが。

 昼、和食店で食った。それなりに評判はいいみたいだったのだが、まいったなあ。

 今日の紫陽花

 色合いが面白かった。

 夜、泳いだ。

351 : Lesson

My sinless brother is my guide to peace.

My sinful brother is my guide to pain.

And which I choose to see I will behold.

 

【意訳】

人を責めないことで心が安らぎます。

人を責めれば心の痛みになります。

私が見つめることになるのは自分で選んだ結果です。

2013-06-09

9日、日曜日

 微妙に風邪っぽい。今日も泳ぐかなと思ったが、やめた。

 あと、郊外の温泉に行こうかなと思って、やめた。

 いかんなあ。

danglingについて

 ⇒文章技術ねえ - finalventの日記

この本には載ってないけど、文章の接続で意外と重要なのは、dangling というか、dangling modifierというのの使い方。旨い文章とか滑らかな文章を分析すると、けっこう出てくるのだけど、この視点から文体解析した本というのを、とある一冊以外読んだことがない。

 これね。

cover
すぐれた英語翻訳への道―創造する翻訳者が使う技法集

350 : Lesson

Miracles mirror God's eternal Love.

To offer them is to remember Him,

And through His memory to save the world.

【意訳】

奇跡が神の永遠の愛が映し出します。神を心に留めおけば、奇跡を捧げることができます。神を心に留め置くことで、この世が救済されます。

2013-06-08

8日、晴れ

 暑い。

 街を歩き、情報を探す。ふと、ああ、若いときこんなだったなあという感じがして、きゅんとくるものがあった。

 泳いだ。

349 : Lesson

Today I let Christ's vision look upon

All things for me and judge them not, but give

Each one a miracle of love instead.

 

【意訳】

この一日、私はキリストの目を借りて全てのものを見ます。目に入るものがなんであれ善悪を問うことなく、ひとつひとつに愛の奇跡を注ぎます。

2013-06-07

7日、曇り

 ひんやりとする。

 心が晴れない。天気のせいもあるが、なんか心の疲れが積み重なっていくようでもある。

348 : Lesson

I have no cause for anger or for fear,

For You surround me. And in every need

That I perceive, Your grace suffices me.

2013-06-06

6日、木曜日

 Audacityのバージョンを上げる。LAMEも入れ替え。ついでなんでm4aも対応させた。というわけで、お気に入りのリミックスなどを作る。

 曇りの蒸し暑い日だった。

347 : Lesson

Anger must come from judgment. Judgment is

The weapon I would use against myself,

To keep the miracle away from me.

2013-06-05

5日、水曜日

 今日も暑かった。

 街中を歩いていてなんか飲みたいなと思って、ベンディングマシンの前に立って選べないことが多い。コンビニに入って、アイスが選べない。うーむ。

 数日ぶりに泳いだ。くったり。

 ぷっくら太ったロシア系っぽい女性がいた。巨乳というか。水の抵抗ありそうだなあ、あれはと思った。

346 : Lesson

Today the peace of God envelops me,

And I forget all things except His Love.

2013-06-04

この日、日記欠

 まあ。

2013-06-03

3日、月曜日

 いくつか勘違いをしてとちる。あーあ。

345 : Lesson

I offer only miracles today,

For I would have them be returned to me.

2013-06-02

2日、日曜日

 涼しい。梅雨の晴れ間。

 不妊関連の話題⇒精液検査してみた。 : 2013-06-01 - Everything You’ve Ever Dreamed

 で、書き手の年代がわからないが、30代半ばだろうか。EDとあった。そのあたり、よくわからないものだなと考え込んだ。どうわからないのかと問われてもちょっと言葉に詰まるが。

 僕は恋愛経験が乏しい人で、恋愛のこととかよくわからないと自覚している。どうにもわからない。ただ、もうそれがわかろうがわからないでいようが、どうでもよい年代にもなった。実際のところ、恋愛とかするわけもない。

 いや、そういう話ではない。なんというのか、別れというのはいろいろあるんだろうなと思うようになった。

 自分なんかのタイプの人間だと美しい別れというのはない。ただそれでも、自然に疎遠になった人が、恋をして幸せになっていたら、それでよいのだろうなと、しみじみと思う。自分なんかと過ごすよりそのほうがよいよ、とてもと思う。負け惜しみとか自虐とかいう意味ではない。自分なんかにそうまともな人間ではないなとしみじみ思う。

344 : Lesson

Today I learn the law of love; that what

I give my brother is my gift to me.

2013-06-01

6月1日、土曜日

 夏始まる。

 手塚治虫のBJ、ブッダ火の鳥が無料公開されているので、もう処分しちゃったブッダを20年ぶりくらいに読み直してみた。自分が読んでいたのと微妙に違う感じがしたが、対照できないので不明。

 これを読み出したのは、僕が中学生のころだった。1972年。後半、大きな休載があったと記憶していたが、半年くらいであったか。

 以前の読んだときは、これは仏教ではないし、それはそれでいいとしても物語的に後半に無理があるなと思ったものだった。

 今回読んでみると、そうでもなく、よくまとまっているように思えた。主人公は、タッタと言ってよく、タッタの死はあれでよいと思う。

cover
ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

 手塚治虫をどう扱うか、いつかcakesの連載取り上げることができるか、少し考えた。手塚からひとつを選ぶとしたら、たぶん、アポロの歌になると思う。

343 : Lesson

I am not asked to make a sacrifice

To find the mercy and the peace of God.

最新コメント一覧