2008-08-07
「生きている限り終わらない」
サクバさんの「便利」への接し方が好きです。うまくコメントできなかったのでトラックバックにしてみました。
しかしTwitterだのTumblerだのEvernoteだのStreetViewだの、いろんなサービスが出てくるよなぁ。そんなにコミュニケーションが必要か?そんなに情報整理が必要か?ってのが心の片隅にある一方で、面白いものや便利なもの(便利って曲者だよな)にはやっぱり反応してしまう。でもそれは現実がつまらないからじゃないし、不便だからでもないんだと思う。何をおいても嫌なのはそれ無しでは居られなくなる事だ。
20080807: flickrとか(作場知生)
(科学とかWEBとか)巨人の肩に乗れば遠くが見える。それは確か。でも今の人たちは必要以上に遠くを見ている嫌いがあって、それで身近で大切にすべきものを失っている。たとえば日本人なら、「手触りのやさしい共同体」みたいなものを無くしてしまったように思う。
欲望に振り回され、快楽源に依存し、感じる主体であるところ自身を見失うことは悲しい。(テレビゲームや先端技術のような)麻薬は確かに便利だけれど、少々の手間を惜しまなければヒトの身において快感っていうのは得られるんだよ。一汁一菜でも十分に。晴耕雨読でも十分に。そう言ってくれる人が見あたらない。
ただもちろん「少しでもより遠くを見たい、より便利にしたい、より多くの情報を整理したい」というその欲求は確かなもので、好奇心と同じくらい大切な感情。理性でもって仕事する、ヒトとという原動機のためのガソリン。それを否定することなく行きすぎを抑えたい。
これはたぶんルーチンワークにはできなくて、誰でもいくつになっても創造的な(面倒くさい)プロセスになるだろう。自身の欲望に仕えるのではなく、自身そのものに仕える。絶え間なく変わり続ける自身を弁え、それを見つめ続けること。難しい。でもやるべきだ。
あ、「手触りのやさしい共同体」は、内田さんのコトバを借りました。
貧しさ、弱さ、卑屈さ、だらしのなさ・・・そういうものは富や強さや傲慢や規律によって矯正すべき欠点ではない。そうではなくて、そのようなものを「込み」で、そのようなものと涼しく共生することのできるような手触りのやさしい共同体を立ち上げることの方がずっとたいせつである。
北京オリンピックに思うこと(内田樹)
