Hatena::ブログ(Diary)

ふぃっしゅ in the water

2016-06-25

数字のあれこれ 10 <距離>

電車や人混みの中というのは、人間観察の場でもあり、精神修行の場でもありという感じです。


定員乗車率250%以上の圧死しそうな状況でも、四方八方からくる人をよけながら歩かなければいけない雑踏でも、概ね、周囲を見ていないようでちゃんと見ているクールな集団行動だと思っているので、どちらかというと感動しています。


ただ、同じように見えている電車内や雑踏でも、2〜3年で起きる変化の波があると感じることがしばしばあります。


<肘鉄を喰らうことが増えた>


こちらの記事に「だいぶ座席で小突かれることが減ったように感じます」と書きました。


2013年の記事ですが、私が携帯電話iPhoneに替えたのは2011年震災の少し前のことでした。
具体的な数値はわからないのですが、まだ2011年当時は周囲の人でもスマホを持っている人のほうが少なくて、電車内でも片手で携帯電話を持ってメールを打ち込んでいる人が大半でした。


その後、2013年頃にはだいぶスマホが広がった印象があります。
印象としては、1割程度だったものが3〜4割ぐらいになった感じ。
スマホも慣れれば片手で操作できますが、やはり両手で持った方が使いやすいので、電車内で脇腹を小突かれることが一時期増えました。


それが2013年頃には一旦、小突かれることが少なくなったように感じてやれやれと思って書いたのでした。


最近、あの頃の比にならないほど、電車の座席に座ると必ず脇腹を小突かれるようになりました。
一勝九敗どころか全敗という感じで、小突かれない日はないのです。


わずか数年ですが、今ではほとんどの人がスマホになって、電車内ではみなすぐにスマホを操作し始めています。
使う人の割合が増えたから、小突かれる確率が増えたのでしょうか?


<凹型の人と凸型の座り型>


私自身は他人の体が触れることは好きではないので、座席に座っている時にはギュッと肩をすぼめて、腕が隣りの人に当たらないようにしています。
服や荷物も体の一部として、極力相手に触れないように、わずか1cmぐらいの隙間でも作るようにしています。
隣りに座った人が同じような人だと、「ああ、同志よ」と心の中でほっとします。



でもそれが気にならない人もいるのですね。
こちらがギュッと体を縮めて隣りの人に触れないようにしていることも、もしかしたら見えていないのかもしれません。
「ラッキー、今日は座席のスペースに余裕がある」という感じで、私が確保したその1cmの隙間に入ってくるのです。
そうすると、また私はさらに1cm離れるためにギューッと肩をすぼめる。
さらに相手は「スペースに余裕がある」と認識する。
私は座席の極限まで追い詰められて、心の中ではムンク「叫び」の表情になりながら座っています。
「私は石である。何をされても感情も意思もない石である」と念じながら。


それを向かい側の座席に座っている人たちの行動をみると、私のような凹型に座る人の横に凸型の人がいると、ちょうどその肘が脇腹付近にあたっているわけですね。


最近、京王線内に「気づかいを」というポスターがありました。
牛が座席に座ってギュッと肩をすぼめている絵が描かれています。
スマホの操作や読書でゆったりと座っている人の隣りでは、こんなに縮こまっている人がいますよということなのでしょう。


でも、きっとマナーやルールでは、なかなかこういう距離感の個人差は理解しあえないかもしれませんね。

2016-06-24

数字のあれこれ 9 <衝撃を計算する>

世の中の変化も10年ぐらいを区切りにしてみると、いろいろとその変化の意味までみえてくるような気がして「10年ひとむかし」を書いていますが、もう少し小さな変化の波は2〜3年で起きるような印象があります。
あくまでも印象の話ですが。



最近、「この変化はどこから来たのか」と気になっていることがあります。
それは、老若男女を問わず、背中に荷物を背負って歩く人が増えたことです。
実際には、10年以上前から私の母も年をとるとともに手で荷物を持つことが大変になり、小さなリュック型のバッグになりました。
体力のない高齢者ですから、軽くて小さいものです。


ここ2〜3年で、リュック型の比較的大きなバッグを背負っている人がとても増えました。
1980年代頃もこうしたデイバッグとかバックパックといったバッグが流行りました。
それを持っているとなんとなく気分は欧米の生活スタイルになるとともに、実際に物の持ち運びには便利でした。


私も海外へ行く時には、バックパッカーが担ぐタイプのものを利用していました。



その後、90年代2000年代は影を潜め、デイパックを持って歩くのはちょっと時代遅れのような雰囲気があったように感じていたのですが、流行は繰り返すものなのだと最近の様子を見ています。


ただ、当時と違うことがあります。
80年代にデイパックを持つ時には、「背負う」のではなく片方の肩に掛けて持つのが、ちょっとおしゃれという感じでした。


今は両肩にしっかり担いでいる人がほとんどの印象です。
スマホを操作するために両手を空けたいというあたりが、この流行の背景なのだろうと見ていますが、真相はいかに。


以前のように片方の肩に掛ける方法なら、電車や人混みでもすぐに自分の前に抱えて、他の人にぶつからないようにしていた人が多かったのだと思います。
また、電車内への大きな荷物の持ち込みは今よりももっと憚られる雰囲気があったように思います。


最近は、乗車率180%以上の混雑の中でもそのまま背負っている人が多くなったので、この雰囲気の変化に驚いています。


ギュウギュウ詰めの車内で背中をバッグで押されると、上半身だけ変な方向へと傾くのでバランスをくずしてヒヤリとします。
また、少しバッグがあたっただけでも、反動で飛ばされそうな勢いになることもあります。
もう少し年をとって骨粗しょう症にでもなったら、これだけで怪我をするかもしれないと思うこともあります。


たぶん、足を踏んでいるひとには踏まれている痛みがわからない状態なのでしょう。



こういうことをマナーやルールの話にすると、人の感情が入ってくるのでややこしくなりやすいですし、中には心身の理由からバッグを背負う必要がある状況の人もいることでしょう。
あまりルールばかりになると、それは多様な状況に不寛容で息苦しい社会になりそうです。


イライラすると精神的によくないので、最近では多少のことは動じないように、「私は石である。意思のない石である。ぶつけられても、押し飛ばされても、何も感じない石である」と念じるようにしています。


ただ、どこかにこうした不具合を表現できる方法があるのではないかと考えていて、それが今日のタイトルです。


同じようにギュウギュウ詰めの車内でも、人の体が直接当たる時に比べて、荷物が体に当たる時に感じる衝撃が大きく感じるのはなぜだろうと。


当たる面積の違いもあるでしょうし、そこに荷物の重量がかかるとさらに大きなエネルギーになるのかなとか。
あ〜あ、こんな時に数学と物理が得意だったら、もしかしたらあの衝撃感を計算できたかもしれないですね。


そうしたら、「電車内ではリュックは前に抱えてください」にも合理的な説明がつけ加えられて、感情的ないざこざにならなくてすむかもしれません。

2016-06-23

記憶についてのあれこれ 97 <見送る>

ふだん当たり前のようにしている行動が、やはり記憶があるからこそできていることが、父をみているとわかるようになりました。


知人と会って別れる時に、「じゃあ」とか「さようなら」と一歩を踏み出します。
名残惜しいと、何度も振り返ってみては手を振ったりおじぎをして見送ったり。


急いでいると、振り返るのも忘れてそのまま行ってしまうこともありますが、まあ忙しいのだろうくらいにしかお互いに気にしないことでしょう。


1年半前まで、グループホームで生活していた頃の父は、私が玄関を出てからも30mほど先の角を曲がるまで手を振りながら見送ってくれていました。
振り返るたびに、まだ父の手を振ってくれる姿がありました。


2度目の脳梗塞で半身麻痺になり介護病棟に移ってしばらくしたころから、父からは「見送る」という行為がなくなりました。


私が面会に行くと、今でもぱっと笑顔になってうれしそうな顔をしてくれます。
最初は「(誰だったっけ?)」という表情ですが、「と一緒に食べるのはおいしい」とだんだんと記憶をたどっていくようです。


1時間程で面会を終える理由には、父が記憶をたどることにつかれてしまわないようにという思いもあります。


別れ際は、「じゃあ、買物に行ってきますね」とあえて「さようなら」と言わないのはグループホームにいた頃からなのですが、「ああ」と言ったきり私の方はもう見ません。


私の方が何度も振り返ってみるのですが、父は違うところを見ています。
ほんの十秒前に私が目の前にいたことも記憶にないかのようです。


切ないとか、寂しいという感情は不思議とありません。
それよりは、見送るという一つの行動にも記憶の積み重ねが必要なのだと感慨深いものを感じています。


というのも日々接している新生児も、当たり前ですが、「じゃあね」と言っても誰も気にしてくれません。
新生児の目の前から私の存在が消えたら、それでおしまい。


お預かりした赤ちゃんをひと晩中、どんなに親身にお世話してもその記憶はないことでしょう。
それはお母さんやお父さんでも同じ。
目の前からその存在がいなくなっても、「見送る」という行動にはならない。


そのうちに部屋から人の気配がなくなると泣き出したり、見よう見まねでバイバイをするようになったり、自分とは別の存在が目の前にいることといなくなることを連続して記憶するようになるのでしょうか。


乳児期に長いこと複雑な過程で得た「見送る」という行動を、だんだんと失っていく段階を父を通してみている、と言えるのかもしれません。





「記憶についてのあれこれ」のまとめはこちら

2016-06-22

境界線のあれこれ 68 <絆と呪縛>

「絆」という日本語が、あちこちから聞かれるようになったのはいつ頃からだったのだろうと思い返していますが、記憶があいまいです。


災害がおこると、その後しばらくは「家族の絆が深まった」「家族の絆が大切だと思った」というインタビューが放送されることが増えたのは最近になってからの印象です。
あるいは何か頑張って成し遂げると、「家族の絆に支えられて来たから」のように。


「そうだろうな、いろいろな人に支えられたのだろうな」と受け止めるような内容も、「絆」と表現されるとなにか急に現実的ではないドラマのように感じてしまうのです。
あくまでも私の受け止め方なのですけれど。


「絆」と聞くと、同時に「呪縛」という言葉が浮かんでくるのですが、この直感もあながち間違いではなかったことがWikipedia説明にありました。

絆(きずな、きづな)は、本来は犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。


人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。



「絆」の語源由来辞典にも、「絆は犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことをいい、平安中期の『和名抄』にもその意味で使用例が見られる」と書かれています。
それがごく最近になって、「家族や友人など人と人を離れがたくしている結びつき」という使われ方が多くなったのはどういう変化なのか興味深いですね。



<いろいろな「母と子の絆」>



「母と子の絆」というと、まず最初に思い浮かべるのが、クラウスとケネル、そしてボルビイのボンデイングです。


「母と子のきずな」(Maternal-Infant Bonding)は、1980年代半ばには「親と子のきずな」( Parent-Infant Bonding)に改題されています。
この言葉や「母子相互作用」という言葉も、1980年代後半の教科書では使われていませんでした
つまり、本の題名として「きずな」は生き残ったけれど、元の「母子相互作用」については仮説が否定されたということになります。



日本で「きずな」が使われ始めたのは、もしかするとこの「母と子の絆」あたり、1970年代あたりではないかと想像しています。
そしてその後も、その絆とはなにか具体的なイメージはないままに生き残った言葉なのかもしれません。


ところで、「母と子の絆」で検索したら、真っ先にでてきたのがサイモン&ガーファンクルポール・サイモンが解散後に出した曲の「Mother And Child Reunion」でした。


このポール・サイモンの歌詞についての説明が書かれた、「『母と子の絆』についての解釈」というサイトがありました。
英語圏の人にも難解な歌詞らしいのですが、この日本語の説明を読んでも、ちょっと私には「母と子の絆」のニュアンスがわかりませんでした。
直訳の「母と子の再会」でもよさそうですし。


ただ、この解説を書かれた方は「邦題の『母と子の絆』は的を得たネーミング」だと受け止めているようなので、70年代には産科・小児科的な「母と子の絆」だけではない良いイメージで、「絆」が日本国内に広がっていたのかもしれませんね。


<いろいろな支え合い方>


1970年終わりから80年代初めにかけて「母子相互作用」という言葉は学びましたが、「母と子の絆」「親と子の絆」という言葉はまだ聞いたことがありませんでした。


80年代半ばから90年代にかけて東南アジアを行き来した時に、「生まれて来た子どもとのこんな関係もあるのか」と印象に残ったことが二つあります。



ひとつは、その国のキリスト教徒の地域ではすべての子どもに「養父母」がいることでした。


細かいことは忘れてしまったのですが、生後半年くらいになるとその子どもの「養父母」が決められてお祝いの儀式をしていました。
実の両親が健在でも、養父母が決められます。またその子の兄・姉にもそれぞれ養父母がいるのですが、必ずしも同じ大人ではなくてよいようです。
また、親戚である必要もないとのことでした。


万が一、実の親が子どもの養育が難しい状態になった場合、その養父母が子どもを引き継いで成人するまでは責任を持つというシステムのようでした。


もうひとつは、その国のイスラム教徒の地域での新生児の儀式です。
生後1〜2週間目ぐらいの新生児がいる家で、その集落の宗教的指導者を招いてお祝いの儀式をしていました。


村の人たちが総出でごちそうを作り、自由にその家に入ってお祝いをしていました。


その国に住んでいつも感じたのが、人とのつながりが濃いことでした。
遠くにいる親戚の親戚、あるいは親戚の友人の名前さえ覚えていたり、遠方から来た人を「そこに住んでいる親戚の家の近く」というだけでもてなすような感じです。


ですから、子どもたちもたとえ親に何かがあっても誰かが育ててくれるようなシステムがああり、また子どもにとっても親とは別の大人との関係があることは良いことだと感じました。


まるで旧約聖書の時代に戻ったかのように、私には驚きの連続でした。



うらやましいと思う半面、家族や地域あるいは宗教の呪縛を感じることも封印しないと生きていけないかもしれません。


「絆」と聞くと、現実の痛みをちょっと消してくれる幻想の言葉に私は思えてしまうのです。




境界線のあれこれ」まとめはこちら

2016-06-21

母乳育児という言葉を問い直す 27 <「母乳育児」のおおまかな二つの流れ>

半世紀ぐらい生きてみると、自分が当時どのような社会のモードに影響されていたのかが、少し見えるようになってきました。



1990年代初頭、助産師になりたての私は「正常なお産は助産師だけで」と「母乳で育てられるように」という雰囲気に相当影響されていました。


「正常なお産は助産師だけで」については、新卒の頃から怖いお産に遭遇したことと「お産は怖い」とことあるごとにつぶやいてくださった大先輩のおかげでブレーキがかかりました。
ただ、「終わってみないと正常かどうかわからない」という当たり前の言葉に出会うまで、20年ほどかかりましたが。


母乳で育てられるように」は、退院後のフォローがあればできるのかに書いたように、自分で実際に電話や訪問でフォローするうちに「母乳だけで育てることが目標ではない」という、これまた当たり前のことにようやく目が覚めました。


むしろ、「母乳相談」として広がっている助産師による乳房マッサージについていろいろと考えさせられるようになりました。
舌小帯切除母乳のための食事について、桶谷式乳房マッサージや自然育児の会などの出版物に書かれていることへの疑問や反論がありましたが、それを自分で言葉にするにはあまりにも経験不足でした。


まだ「母乳育児」という言葉がそれほど使われていなかった時代でした。



<新たな流れ、「母乳育児推進」>



乳房マッサージに通わなくてもちょっとした飲ませ方のコツで乳腺炎も予防できるのに、舌小帯を切らなくてよいのに、厳しい食事制限を信じ込ませることは弊害が大きいのに・・・。
そして、それぞれのお母さんと赤ちゃんの状況で必要と思ったらミルクをうまく使えばそれでよいのだから。


そして赤ちゃんは、「飲みたい」だけでなくいろいろなニーズを泣き声で表現しているのだと。
なんでもおっぱいに答えを出そうとするのは違うのではないか。
育児母乳から始まる」かのように、出産直後から授乳のことばかりにお母さんの目を向けさせては、大事なことがみえなくなってしまうのではないかと。


そのあたりで、私自身なりの答えが見え始めてきた2000年代前後になって、「赤ちゃんに優しい病院」「母乳育児成功のための10か条」が話題になり、「完全母子同室」「完全母乳」という言葉が出始めたのでした。


地域で開業している助産師も、「乳房マッサージ」や「母乳相談」から「母乳育児相談」へと名称が変化して行ったのもこのあたりからでしょう。


当時は、どこからこのうねりとも言えるような社会の変化が起きているのか、漠然としかわかりませんでした。



<大きく二つの流れが混ざり合っているのか>



東日本大震災直後に感じた災害時の完全母乳『戦略』に強い違和感を感じて「母乳育児」について考え始めた頃から、だんだんとこの流れが見えてきました。


日本ラクテーション・コンサルタントというNPOと、日本母乳の会の二つが、流れをつくって来たのだろうと。


日本母乳の会についてはこちらの記事でも少し紹介しましたが、1992年に設立された前身の組織から94年に「日本母乳の会」となったようです。
会のサイトには、こう書かれています。

わが国における母乳育児復興への道は、WHO/ユニセフの"赤ちゃんに優しい病院(BFH:Baby Friendly Hospital)"キャンペーンによる功績が極めて大きいと思います。この推進こそ確実にわが国に母乳育児復興させる近道だと考えています。日本母乳の会は、WHO/ユニセフからBFHを推薦する役割を委託されております。

本来、WHO/ユニセフ発展途上国での乳児死亡率減少や栄養失調の改善を目的に開始した運動であるので、母乳もつ免疫学的、栄養学的な視点が主体でありました。しかし日本母乳の会では、当初から母子や家族関係の構築を基本にした育児支援の視点から取り組んでおります。母乳育児こそ育児の根底であり、母子や家族の関係構築を基本になると思うからであります。




日本母乳の会は、乳腺炎予防のための食事にあるように桶谷式の考え方も取り入れている部分もありました。



さて、もうひとつの日本ラクテーション・コンサルタントは、「1991年1月に有志によって設立され、2007年1月に特定非営利活動促進法NPO法)に基づきNPO法人として認証されました」とあり、「国際認定ラクテーション・コンサルタントIBCLC」という民間資格を認証しています。


「IBCLCによる母乳育児支援に関する『10のコンセプト』」の中に、「科学的根拠に基づく母乳支援を行う」とあり、今までいろいろな記事で引用した「母乳育児支援スタンダード」(医学書院、2008年)は、一見、科学的な書き方とでもいうのでしょうか、それが多い印象です。


ただ、こちらの記事で引用したように、「IBCLCは母乳は無比のものであることを認める」「IBCLCは母親の"力"を信じる」といった箇所と、科学的な思考をどうやって折り合いをつけるのか、気になります。


そのどちらの流れも、「科学的根拠に基づく」ものとして標準的な医療やケアと認められれば、特殊な病院の認定もあるいは民間資格も必要はなくなることでしょう。



いずれにしても、「母乳育児に」一生懸命なスタッフの根拠の出処は、このあたり流れのような印象です。




母乳育児という言葉を問い直す」まとめはこちら