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ふぃっしゅ in the water

2018-12-28

ようやくはてなブログに移ります

のんびりしていたら、2019年1月28日にはこちらのはてなダイアリーが閉鎖になるとのことで、ようやく重い腰をあげました。


新しいブログ こちらです。

2018-12-27

助産師の世界と妄想 33 <「助産政策」と「エビデンス」>

助産師乳腺炎のケアに対する総論も各論もまだ未成熟な段階で、乳腺炎への対応に診療報酬が支払われることは寝耳に水でした。


むしろ、妊婦健診補助券のように、産後1年間ほど使える補助券があったら良いのにと思っていました。
そうすれば、「体重が増えない」「黄疸が長引いている」「お母さんの赤ちゃんの世話についての不安が大きい」と言った方たちが来院してフォローを受けるときに使えるし、授乳相談や乳腺炎のごく初期の対応にも使えます。


現在は、体重が増えないとか黄疸が長引いているなど生後1ヶ月までのフォローは、各施設で無料あるいは極少額の支払いで対応しているところが多いのではないかと思います。
お母さんたちへの出費を抑え、相談に来やすくしてもらうために、分娩施設側の持ち出しでサービスのように対応しているのではないでしょうか。
「思います」としか言いようがないほど、こうした産後のフォローについても全体像が把握されていないのが現実でしょう。


妊婦健診補助券が14回分になった時に、次はせめて1か月ごろまで、できれば産後1年ぐらいまで使える補助券をと期待したのでした。


<「助産政策」>


さて、この診療報酬に組み込まれた経緯について、「助産雑誌」11月号で特集がありました。
「「乳腺炎重症化予防ケア・指導料」新設の意義  診療報酬点数化の経緯と概要、日本助産学会の取り組み」から紹介します。

日本助産学会助産政策委員会では、会員向け勉強会として「助産政策ゼミ」を立ち上げて運営するかたわら、医療政策や診療報酬に関する専門家招聘した委員会勉強会を重ねてきました。そして、2018年診療報酬改定での点数化を目指して準備を進め、一般社団法人看護学会社会保険連合(以下、看保連)への要望につなげました。

すごいなあ、いつの間にか「助産政策」なんて言葉もできていたのですね。


日本助産学会のニュースレター2018年5月号に掲載されたメッセージがありました。
長いのですが全文、書き写しておきます。(強調部分は引用者による)

 平成30年診療報酬改定に向けては、1)助産外来・院内助産所体制評価や、2)退院後の切迫早産妊婦の訪問等、そして3)乳腺炎重症化予防に関する技術評価に関して診療報酬化に向けて準備をし、一般社団法人看護学会社会保険連合(以下、看保連)に要望案を提出しました。

本来、「正常な経過」を対象とした助産外来と院内助産は自費医療の範疇なのに、なぜ診療報酬の中で評価されるのだろう、「切迫早産」もそれまで頑ななほど「正常」にこだわっていた助産師の世界ではほとんど話題にされることもなかったのに、いきなり「訪問看護」で扱われるのはなぜなのだろう。
最初から、いろいろと考えさせられるメッセージです。


 看保連に提出された要望案は、看保連事務局によって選別されますが、1)〜3)の全てが厚生労働省保険局(*原文のまま、おそらく保健局の誤字)医療課に提出されました。その中で看保連より厚生労働省中央社会保険医療協議会医療技術評価分科会へ提出された、乳腺炎重症化予防に関する技術評価が審議され、その結果、乳腺炎の重症化を予防する包括的なケアおよび指導に関する評価として、診療報酬に「乳腺炎重症化予防ケア・指導料」という名称で新規収載されました。


 今回、本件の診療報酬収載が実現したのは、乳腺炎重症化予防ケア・手順について標準的な手順があり、それを実施できる助産師が日本中にいることが根拠を持って示されたことになります

「標準的な手順」については欄外で「日本助産師会:母乳育児支援業務基準 乳腺炎2015」が挙げられていました。
また、日本助産学会による「乳腺炎重症か予防ケア・指導経過記録用紙」「乳腺炎重症化予防ケア・指導経過記録用紙の使い方」(いずれも2018年7月版)が掲載されていました。


その内容を見ても、日頃、乳腺炎に対応してきた経験からくる観察ポイントや対応とも違う、なんだかにわか作りの理論のように見えてしまうのは、やはり「症例研究」の積み重ねの段階がないからではないかという印象です。
いや、一生懸命作ってくださった方には申し訳ないのですけれどね。
全国の助産師の対応方法や考え方をもっと広く集めてくださると良いのに。


 多くの助産看護のケアは、その効果が科学的エビデンスとして示されておらず、実際に診療報酬として点数化されるのは、看保連から厚生労働省に要望したもののうち多く見積もって3割程度です。近年は特に超高齢化の中で、認知症や在宅ケアには診療報酬が点数化されやすく、母子に関するケアは報酬評価されにくいという現状があります。そのような状況の中での今回の「乳腺炎重症化予防ケア・指導料」の収載は、誠に稀有な事例であるといえます。
 診療報酬に収載されたことは、国民皆保険制度の元、誰もが標準的な医療を受けることができることを意味します。すなわち、誰もが支払い可能な料金で、適切なケアが受けられるということです。これは日本の母子のために大変意義深いことであると考えております。



出産は病気ではないからと医療から自ら離れようとし、医師のいないところでの自律した開業を目指してきたのが助産師の一部の人たちなのに、「母子に関するケアは報酬評価されにくい現状」というのは辻褄があっていないですね。


また診療報酬というのは、医師が効果を認めた内容が科学的な手法で選ばれた治療方法が基準になっていると理解していました。
それまで主流派の大半の医師が認めていない治療法を、乳腺炎やら育児に積極的に取り入れていたのに、何を持って「適切なケア」というのだろう。
まずは足元から見直して、整理していかなければいけないのではないでしょうか。


大丈夫でしょうか、「助産政策」の方向は。




助産師の世界と妄想」まとめはこちら

2018-12-26

助産師の世界と妄想 32 <「正常」へのこだわりがあちこちからハシゴをはずす>

臨床で働いている多くの助産師看護師が経験した症例報告から必要なケアを探り当てるというシステムがない助産師の世界は、いつの間にか力を持った団体が現場のニーズとは程遠い研修や制度を作っていくことが、乳腺炎の診療報酬の件でもわかりました。


そしてある日突然、私たちの臨床の苦労や経験が政治や運動に利用される。
利用されるだけならまだしも、一部の人たちのハシゴを外すことを平気でするのだと。
本当に助産師の世界には「奥の間」があって、助産師方向性に関して決めている人たちがいるのですね。この「奥の間」を感じた2012年には、まだアドバンス助産師という言葉さえなかったのですけれど。


さて、「時間外対応加算」で書いたように、夜間・休日を問わず分娩施設に電話が入る中で多いのが産褥乳腺炎と思われる症状です。
全国の産科施設で、今までどれだけの助産師看護師が対応に試行錯誤しながら経験を重ねてきたことでしょう。
時には重症化し切開排膿まで必要な状況になったり、乳腺炎での対応にも「こんなことがあるのか」という経験の中から、「いつ、どのタイミングで、どのような説明をすれば乳腺炎を予防できる」というあたりまで個人的体験談が相当蓄積されているはずです。
だからこそ、今までなんとか各施設の看護スタッフが電話で対応したり、来院してもらって排乳したりアドバイスをしてきたのだと思います。


残念ながら、その経験(症例報告)を集めて、法則性を見出す能力が助産師の世界には育っていなかったのですね。
いまだに、乳腺炎のケアについてまとめることさえできていない。
私が助産師になって30年もたつというのに。


出版物の中で、比較的よくまとまっていると思われたのがこちらの記事で引用した、「母乳哺育と乳房トラブル対処法 乳房ケアのエビデンス」(立岡弓子氏著、日総研、2013年)でした。
タイトルも母乳育児ではなく母乳哺育という表現にしたことも、看護一般化するための科学的な表現だと思いました。
ただ、これもまだ総論がようやくまとまったという感じで、各論まではまだ遠い内容で、今後の続編を期待していました。


その後、2015年には日本助産師会出版から、「母乳育児支援業務基準 乳腺炎2015」が出版されています。
乳腺炎の対応に加え、乳房ケアの考え方や母乳育児支援の基本的な考え方を明示」「エビデンスに基づく乳腺炎の対応に焦点をあて」とありますが、私は購入していません。
なぜなら、開業での母乳相談事業にはたくさんの方法論が林立した状況が相変わらずある状況で、「エビデンスに基づく」内容をどうやって導き出したのかという疑問があるからです。


<どれだけのはしごを外すのだろう>


さて、2018年診療報酬改定に伴って、「乳腺炎重症化予防ケア・指導料」が作られました。
施設基準を再掲すると、以下のようになります。

(1)当該保険医療機関内に、乳腺炎の重症化および再発予防の指導並びに乳房に係る疾患の診療の経験を有する医師が配属されていること。


(2)当該保険医療機関内に、乳腺炎の重症化及び再発予防ならびに母乳育児に係るケア及び指導に従事した経験を5年以上有し助産に関する専門の知識や技術を有することについて医療関係団体等から認証された専任の助産師が、1名以上配置されていること。




「当該保険医療機関内」「医師がいる」という条件から、医師のいない保険医療機関でない助産所母乳相談は、最初から対象ではないということになります。
いろいろな方法が林立しているとはいえ助産所が多くの乳房トラブルの対応や育児相談の受け皿になっていたことは事実です。
その事実を切り捨てていくつもりなのでしょうか。



(2)の「医療関係団体等から認証された専任の助産師」とはアドバンス助産師を指すらしいですが、認証の目安となるレベル3には、「乳腺炎の重症化ならびに母乳育児に係るケア及び指導に従事した経験を5年以上」といった内容はなかったはずです。
あくまでも「正常に経過した妊婦を対象にした院内助産助産外来」を目指していた民間資格なのに、なぜ、いまとってつけたように「異常」を取り込もうとするのでしょうか。


最初から「正常と異常の境界線」にこだわらずに医師とともに対応してきた助産師でも、アドバンス助産師でなければ、この診療報酬の蚊帳の外になる。


たぶん、「アドバンス助産師」がいない施設でも、これまで通りの産後の無料電話サービスと2000円程度の自負という支払い方法で対応すれば、お母さんたちへの経済的負担は差がないと思われるので、診療報酬を利用しない施設もあるのではないかと推測しています。



それでも、どれだけの助産師看護師がこの診療報酬ではしごを外されるのでしょうか。
これまで試行錯誤しながら乳腺炎に対応してきた助産師看護師よりも、にわかに研修を受けただけでもアドバンス助産師存在感アピールされている今回の件です。
本当に、「助産師の世界はこれだから」といいたくなる話でした。





助産師の世界と妄想」まとめはこちら

2018-12-24

もし、あの頃、こうしていれば  3 <10年やってわからなかったコツが20年やってわかる>

10年やってわからなかった怖さを20年やって知るのがお産です。
30年たって、ますます「こんなことが起こるのか」という怖さを実感しています。


ですから、私よりはもっと稀で深刻な状況に日々対応されている周産期センターの方々が、「お産にはマンパワーが必要だから、小規模な施設で扱わずに分娩施設の集約化を」という気持ちになるのは想像できます。
連日、産科診療所からの搬送を受け入れると、「診療所で分娩を扱うなんて怖い」と思うだろうな、と。


ただ、矛盾するようですが、「10年やってわからなかったコツを20年やってわかるのもお産」だと思うこのごろです。
有り体に言えば、手を出しすぎず、複雑なお産にしなくなるというあたりでしょうか。
妊娠中からだいたいの経過が予測できて、待ってみるタイミングや積極的に介入していくタイミングがつかめてくるので、おそらく産婦さんにとっても見通しがつかめて負担の少ない関わり方ができてきた感じです。
これは助産師だけでなく、産科医の先生を見てもそうだろうなと思います。
熟練した先生だと、医療介入するタイミングや判断が適切なので、複雑になりそうなお産でもお母さんや赤ちゃんに負担の少ない方法で分娩にしていけるようです。


年間何人かは周産期センターへ搬送してお願いしているのですが、だから小規模な分娩施設が危険なのではなく、その背景には何百人という産婦さんが安全に産科診療所で出産されているのですね。
そして、小規模施設だからこその目の行き届いたケアも可能になります。


ですから、今、過重労働や集約化で疲弊しきっている世代の方々もあと10年もすれば、どんな規模の分娩施設が自分にあっているのかが変化する可能性があるかもしれません。
その時に、産科診療所選択がまだまだあるといいのですけれど。


<なぜ助産師に産科診療所の人気があるのか>


助産師全体の就職先希望の統計があるわけでもないし、どんな思いで就職先を選択しているかも人それぞれ思いがあることでしょうから、あくまでも印象の話です。


私は助産師になってから勤務した総合病院や診療所は、年間分娩件数が300件から400件前後ぐらいのところでした。
月にすると30数件前後です。
1980年代から90年代ぐらいでは大学病院での分娩数も1000件まではいかなかったと記憶しているので、平均的な分娩施設の件数だったのだろうと思います。
これくらいの人数だとだいたいお母さんと赤ちゃんのことも把握できますが、それでも入院中にほとんど関わることがなかった方になると記憶に残らなくて、向こうは覚えてくださっていても「あ〜ごめんなさい」ということになります。


最近は年間分娩件数2000件とか3000件という施設が増えてきて、そういう経験のない私には想像がつかない世界です。
そういう施設から移ってきたスタッフの話を聞くと、帝王切開が一日数件あったり、本当に大変そうです。
そして何より、こちらの記事に書いたように、分娩介助の機会が少ないことに悩んでいたようです。

大学病院から産科診療所で働くようになったスタッフの多くが、大学病院で数年以上働いていても分娩介助数が数十件しかなく、「ここで働くようになって、たった1年で大学病院の数年分の分娩介助経験ができた」と言われて驚きました。

90年代ごろなら、総合病院で2〜3年もすれば100件、200件という介助数は当たり前だったのですけれど。


さらに、自分がまだ十分に経験できていないのに後輩を指導しなければいけないことも大変そうでした。

どんどんと新卒が入ってくるし、NICUや病棟などに一旦配属されれば、分娩介助からは遠ざかってしまいます。



そんな状況に追い打ちをかけたのがアドバンス助産師制度だったことでしょう。
私たち世代には難なくこなせた「100例の分娩介助数」ですが、今ではいつ到達できるかわからない状況が分娩施設の集約化の裏で起きているのに、「100例」を条件にした民間資格ができてしまいました。


<もし、助産師の世界が産科診療所の存在を認めていたら>


大学病院周産期センターで数年間勤務してようやく分娩経験数数十例という助産師は、分娩介助以外は中堅から達人レベルの経験になっているので、判断力も技術もあります。
そういう基礎がしっかりした方たちは、慎重に分娩経験を積んでいくので即戦力にもなります。
また、やはりお産や新生児の怖さをたくさん経験しているので、自然なお産とかフリースタイルとか院内助産とか、あるいは母乳だけでといったこだわりも強くなく、目の前の母子の状況をよく見て対応してくださる方が多いという印象です。
「分娩経験数100例」でアドバンス助産師と名乗らせる必要は全くないと思います。


むしろ、最初の数年の基礎をきちんと作った助産師が、分娩技術だけでなく、一人一人の個別性に合わせた妊娠・出産・育児支援、そしてさらに保健センターや地域との繋がりへと経験を積む場所として産科診療所の規模が適しているのではないかと思います。


そして本人が出産、育児の時期に入れば、少し仕事のペースを落として産科診療所で働きながら周産期医療から離れずにいられます。



分娩や新生児の異常を知り、慎重に分娩介助経験から学べる人は、きっと10年20年とたつうちに、手を出しすぎず、物事にこだわりすぎず、複雑なお産にしないような技術を習得していけることでしょう。
あるいは授乳支援についても新生児の異常を知った上で、なんでも「育児母乳から始まる」かのような関わりだけでなくその母子の経過の見通しがたてられ、退院後の生活まで配慮したアドバイスもできるようになり、結果、お母さんと赤ちゃんを追い詰めることが少なくなることでしょう。
それこそが、助産師キャリアパスではないかと思います。


こういう合理的な流れをあえて無視してきた助産師の世界は、本当に独特のこだわりが強いから辻褄が合わなくなってきたのだと思うのです。



「もし、あの頃、こうしていれば」まとめはこちら

2018-12-23

散歩をする   99 <西川緑道>

今日のタイトルの場所はどこにあるでしょうか。


正解は、岡山市です。正式には「西川緑道公園」だそうですが、岡山市公園協会にこんな説明がありました。

岡山市を南北に流れる西川沿いの公園。四季折々の草花を楽しむことができる緑道公園は、昭和49年頃から昭和57年度まで9ヶ年かけて、市街地に「緑の回廊」として総延長2.4km、総面積4.0haが整備されました。市中心部を南北に流れる西川用水の両岸を緑地公園として、およそ100種類の樹木約3万8千本を植樹し、春の芽生えから森林浴、秋の紅葉や草花の花壇など、四季の移り変わりが楽しめます。

1974年には整備が始まっていたのですから、日本の近現代の公園の歴史から見ても早い時期だったのかもしれませんね。


さすがに1泊2日の旅行なので計画を立てたのですが、岡山駅に着いて最初の目的地を断念したことから、この西川緑道を偶然見つけたのでした。
午前中、早い時間に岡山駅についたらその足で岡山県立記録資料館へ行って、干拓地の歴史について少し予習をしてから児島湾を廻るつもりでした。地図で見ると駅から資料館までそれほど遠くなさそうだったのですが、いざ歩いて見ると片道20分ぐらいかかってしまいそうです。秋は日が短いですから、先を急いだほうが良さそうです。


あ〜あ、出だしから行き当たりばったりになっちゃったと思いつつ、岡山駅へ戻る途中でこの緑道を見つけたのでした。
豊富な水が流れ少し鬱蒼とした木々に囲まれて、別世界に入ったような場所です。紅葉も美しく、ベンチもそれぞれの人を邪魔しないような配置で置かれていて、のんびりと時間を過ごせそうです。
当日撮った写真を見返しても、水がきれいでゴミもなく良く整備されていることがわかります。
ところどころに小さな水門の跡があったので、きっと昔は用水路として使われていたのかなと思った通り、西川用水だったようです。
どこをどう歩いていても干拓の歴史とつながるのだと、これは幸先の良いスタートでした。


その緑道の途中に、「朝鮮人受難の碑」がありました。
周囲には説明書きがなく、どのような歴史を記録するための碑であるのかわからないままでしたが、これはぜひ、今度こそ岡山県立記録資料館を訪ねて調べてみようと思います。


後楽園の復元>


二十数年前に、とあることで岡山後楽園に行ったことがあるので、その時にもこの西川緑道を渡って歩いたはずなのですが、当時は全く意識していなくて記憶にないことが悔やまれます。


あの頃は、玉川上水に関心を持ち始めたとはいえ、関心の範囲も狭いものでしかなかったので、後楽園周辺の水の歴史にも思い至ることがありませんでした。
今、あの頃に戻れたら干拓地を意識してもう少し歩いたのにと、ちょっと残念。
今回は時間がなくて、後楽園を訪れることができなかったのですが、この西川緑道とも繋がっていることを知ることができただけでも収穫だと思いました。


後楽園周辺は水に囲まれた場所にあるという記憶があったのですが、堀ではなく旭川であったことを今回初めて知りました。あの「地質学的には高梁川旭川、吉井川などの河川によって形成された沖積平野」である岡山平野を生み出した川の一つです。
その旭川から取水された用水路が西川用水で、現在の西川緑道公園になっていることまで私の中でつながりました。


Wikipediaの「概要」に後楽園ができるまでの経緯が書かれています。

後楽園岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成した。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と読んでいた。1871年明治4年)、園内を一般開放するに当たって、これを後楽園と改めた。



「築庭の経緯」には「旭川の流域にあった『岡山』という小高い丘を利用して築城」したという岡山の由来や、その時に堀の代わりに旭川の流れを変えたために岡山城下は洪水に悩まされたという話も、もっと詳細を知りたいと思う話です。


明治4年に「庭園を一般に公開」とさらりと書かれていますが、日本の公園の歴史からするとかなり進歩的なことではないかと思えてきます。
また、戦争で多くの建物が焼失してしまったのに、「進駐軍の撤退後は再び岡山県の所有となり、およそ2億円の費用を投じて園内を本来の景観に復元」というあたりも、あの倉敷美観地区と同じように、富を社会へ還元することに惜しみない文化があるのではないか、そんなことを西川緑道の散歩から考えつきました。




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