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ふぃっしゅ in the water

2016-07-28

「助産師ニュースレター」のまとめ

私が助産師学生だった1980年代終わりごろは、1990年神戸で開催される第22回ICM(国際助産師連盟)大会を目前にしていて、この業界ではどことなく昂揚感があったことを学生ながら感じていました。


助産婦の挑戦」(シーラ・キッチンガー著、1990年日本看護協会出版会)が出版されるなど、助産婦(当時の名称)として強いプライドを持つことに、いつの間にか巻き込まれた感じとでもいうのでしょうか。
今でも助産師がよく使う、「助産師としてのアイデンティティ」という漠然とした言葉とともに。


教科書にはお産は母子二人の救命救急という本質的なことが書かれていたのに、恩師からは異常を知らなければ正常もわからないという大事なことを教わっていたのに、いつのまにか「正常なお産は助産師だけで大丈夫」という気持ちが強くなっていったのが、卒後数年ごろでした。


お産は怖いよと暗に戒めてくださった大先輩がたを、何の信念もないただ雇われているだけの助産師とちょっと心の中で見下していました。
雑誌には、もっといきいきとお産を語る助産師が紹介されていましたからね。


1980年代よりもさらに最近は、「院内助産」「アドバンス助産師」あるいは「完全母乳」や「母子同室」を教育の中で教わり、強い影響を受けた世代が30代前後のスタッフとして働いているので、「いつか来た道」と思いながらこうした世代を見守っています。


きっと、「そこまでこだわらなくても」ということがようやくわかった私のような存在は、ただ雇われているだけで確たる考えもない熱意もない助産師にみえていることでしょう。


学生時代になにをどう学んだか。そしてその時代の雰囲気はおよそ10年ほどたった頃、社会へじわじわと影響を与えているのではないかと、この全国助産師教育協議会のニュースレターを読んで思います。


やはり「学校はまず知識と技術を教える場なのに、その前に哲学や思想を教え込もうとするからおかしくなります。」のひと言に尽きるのではないでしょうか。


教育を運動(movement)の場にしてはいけないと思いますね。


1. 
2. 
3. 世界に追いつけ
4. 全国助産師協議会とは
5. 世界の動向をどのように伝えるか
6. どのような助産師を育てたいのか
7. ああ、びっくり!

2016-07-27

助産師教育ニュースレター 7 <ああ、びっくり!>

久しぶりに助産師教育ニュースレターを思い出し、最近はどんな内容なのだろうと見に行ってみました。
以前に比べて発行回数が減っているようですし、今年はまだ未発行なのでしょうか。


さて、ニュースレターNo.84(2015年1月25日)の巻頭の内容に、ああ助産師の世界はまだこんなことをやっているのかと思いました。


助産師の役割拡大を見据えた助産師教育の将来ビジョンを!」(東京医療保健大学看護研究科 高度実践助産コース 大石時子氏)の全文を紹介します。


保助看法改正による看護師の役割拡大


 平成26年6月、「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律」が成立した。この中には保助看法第37条の改正が含まれており、看護師が指定研修期間において、当該特定行為の研修を受ければ特定の行為を包括的支持に基づいて行えることとなった。これらの特定行為は経口・経鼻気管挿管の実施等41項目あり、平成27年10月1日から施行される。厚労省2025年までに研修終了者を10万人越を目指すと発言したとも報道されている。


助産師の役割拡大はどうなっているのか


 一方、助産師に関しては、「チーム医療の推進に関する検討会」の報告書(平成22年3月)を受けた特定看護師(仮称)の制度化が急速に検討された折り、日本看護学会協議会が各学会の見解を取りまとめ提言しようとした際、日本助産学会が"助産師が行う特定の医行為"を提言している。その中には、超音波検査、膣スメア検査、裂傷縫合、GBS陽性の場合の抗生剤静脈注射が挙げられている。
 しかし、その後看護師の特定行為とは別途に検討すべきという意見もあったようで、助産学会が挙げた上記の項目はそれ以降、厚生労働省での検討に挙がっていない。
 裂傷縫合については平成22年度から厚生労働省科研費による「チーム医療の推進における看護師の役割拡大・専門性向上に関する研究」の中に「会陰裂傷縫合ワーキンググループ」が組織され、医師助産師によって研究が行われた。その結果、助産師が研修を受け、医師との緊密な連携が取られる状況下では裂傷2度までで母子が安定していれば「助産師が会陰裂傷を縫合できるものと思われた」と報告されている。
 しかし、実際には、産婦人科医師団体から、助産師の縫合研修に強い反対が示されたようで、今日まで研究の成果は発展を見ていない



明治から変わらない助産師の業務に当然付随する行為の解釈


 助産師のチーム医療の中で果たす役割を考えるとき、保助看法37条と38条に規定されている、助産師の業務に当然付随する行為と臨時応急の手当ては非常に重要な規定である。
 「助産師の業務に当然付随する行為」は「へその緒を切り、浣腸を施し、その他」とされるものであるが、「臍帯切断と浣腸は、明治32年の産婆規則以来、全く変わっていない。昭和26年に「血圧の使用」「児心音の聴取」「骨盤計」について、厚生省がこれらを認めたのが唯一の変化である。
 「助産師の業務に当然付随する行為」が何であるのかは時代によって当然違うはずである。今日では超音波は産科医療に欠かすことができなくなっており、「助産師の業務に当然付随する」ようにも思われるが、法的整備が必要である。



助産師教育の将来ビジョンに役割拡大を


 助産師の卒業時の到達目標は、助産師の役割、つまり業務範囲と密接に関連していることは言うまでもない。現在、会陰裂傷縫合は「演習できる」が卒業時目標であり、超音波に関する目標は特定されていない。救急処置としては「正常範囲を越える出血への処置」が最新の改正で「知識としてわかる」から「演習できる」へアップされた。
 ICMの必須能力では、助産師超音波、縫合はもちろん、ショックの特定と管理、胎盤用手剥離の救急処置、そのほかに膣スメアも必須能力の1つである。
 ICMは助産師を、ICMの定めた必須能力を持つものと定義している。しかし日本の助産では必須能力は卒業時の到達目標となっていない能力が多々含まれている。
 日本で始まっている看護師の役割拡大の動きの中で、助産師は今後どのような役割を果たしていくべきなのかー卒業時の到達目標を考えるとき、今後の日本の将来を見据えつつ、助産師の役割拡大をもう一度真剣に考える時に来ている。約150年間、ほとんど変わっていない「助産師の業務に当然付随する行為」を日本の将来の母子保健システムのために今こそ発展させるべきである。




いやはや、なんだか、明治以来変わっていない演説を聞かされている気分ですね。



明治以来の産婆や助産婦と大きく変化したことに、1948年(昭和23年)の保健婦助産婦看護婦法があり、私たち助産師看護師の資格を持つことで診療介助にあたる医行為の範囲が広がりました。


「役割拡大を」と声を荒げなくても、必要な医療であれば診療の介助として私たちの業務にも含まれていきます。
いえ、現在は「療養上の世話」の部分よりもこの「診療の介助」の比重が増え過ぎて、現場はご飯も食べられないほど多忙を極めているのですよ。
もう少し、お母さんと赤ちゃんの世話をしたい、退院までにこんなことをしてあげたいという時間がとれないことのほうが問題。


そして私たち産科の看護スタッフだけでなく、産科医の先生たちもまともに食事も休息も、そして休みもない状況の施設も多いことでしょう。
助産師が会陰裂傷縫合までする」ような状況というのは産科医の先生たちが限界まで減った状況になることでしょう。
そうなってはいけないと思いますね。



今のように、出産時に産科医の先生が丁寧に縫合や診察をしてくださって、そのそばで私たち助産師看護師がお母さん、赤ちゃん、そして御家族となごやかにおしゃべりできる。
いい時代だとおもいますけれど。

2016-07-26

アドバンス助産師とは 12 <「助産師個人認証制度」?>

前回の記事でアドバンス助産師認証制度の制度概要を紹介したのですが、そのサイトが「助産師個人認証制度」という初めて聞く名称になっていて、また驚きました。


アドバンス助産師の「正式名称」は、「助産実践能力習熟段階(クリニカルラダー/CLoCMiP)レベル3認証制度」だと認識していました。
つまり、ようやく独り立ちした程度の経験で「一人前」と認証する制度だと。


ところが、いつの間にかそのあたりもうやむやになった「助産師個人認証制度」という名称になっています。
国家資格の免許証と勤務履歴ではダメなのでしょうか?


本当に、日本の助産師の方向性がどこでどのような人たちによって決定し進められているのかわかりにく業界です。


<日本助産評価機構とは?>


このアドバンス助産師認証機関日本助産評価機構のようです。


この団体については、設立当時から名前は知っていました。
2007年に「特定非営利活動法人」として設立されたとありますが、その頃、私は助産院の安全性について恥ずかしながら助産師としてようやく気づかされた時期でした。


いいえ、「助産院の安全性」というより、「助産師だけでお産を扱おうとする動きの安全性」と言えますが。


ですから、助産所助産師だけで分娩を扱う施設)の安全性を第三者的に評価するという組織の出現に、ちょっと期待したのでした。
リスクマネージメントが取り入れられて、助産所・自宅分娩の安全性や問題点が可視化されるだろうと。
それまでは、助産師でさえ助産所や自宅分娩の医療事故は伝聞でしか知り得なかったので。


その後、期待して時々このHPを読んでいますが、9年ほど経過した現在、「認定施設」として上げられている助産所は5カ所のみです。



現在、有床(入院設備のある)助産所や自宅分娩だけの出張助産所が何カ所あるのか正確なことはわかりませんが、2007年当時は有床助産所だけでも400カ所前後はあったと記憶しています。
まあ、こうした全体の助産所数(有床・無床)の全体像ぐらいは把握できるような情報さえ、私たち助産師にはなかなか手がとどかないのですけれど。


その後、この助産所第三者評価はどのようになっているのか知りたいところです。


<その認証機関の実態はどうか>



今回のアドバンス助産師認証制度は、大きく二つの疑問がありました。


ひとつは今までも何度か書いてきたように、たかだか分娩経験100例程度の人を認証することに意味があるのかというところ。



もうひとつは、この認証機関が信頼できる団体なのかということです。
「役員及び評議員名簿」には看護大学教授とか、周産期センター看護部長などのお名前が上がっています。
末端の施設で働く1スタッフの私には、このあたり助産師の世界の政治的な力学はよくわからないのですが、お見受けする限りは「正常なお産は助産師の手で」という思いが強い方々の印象です。


毎日粛々と産科施設で働いている周囲の同僚を見ても、私たちが求めていることはそれではないのですけれどね。


でもいつの間にか、そういう方向性の一民間団体が助産師全体の認証システムまで動かそうとしていることに、なんだか怖さを感じるのです。
ええ、感覚的な話で申し訳ないのですが。


助産師個人認証制度」ってなんでしょうか?
本当に現場はそれを必要としているのでしょうか?
そんな制度を頼んだ覚えはないという、私たちの声はどこに届くのでしょうか?


そして、この団体を監督しているところがあるのでしょうか。
昨年末の初めてのアドバンス助産師認定で、少なくとも2億円以上の登録料が集まっているのですから。



「アドバンス助産師とは」のまとめはこちら

2016-07-25

鶏が先か卵が先か 2 <民間資格より先に、ケアの標準化を>

日々、食事も休憩もとれないほどですが、粛々と産科ガイドラインに沿った業務内容の分娩施設で働いているので、アドバンス助産師誕生!というニュースもまったく無縁に感じています。


どこが「無縁」と感じるかは、日本助産評価機構という団体の助産師個人認証制度の「制度概要」に書かれている以下の部分です。

日本は、助産師の免許制度は更新制ではないため、免許取得後に、助産師個人の経験や学習による能力を知る術はありません。さまざまな、周産期医療提供環境によって助産師の実践能力の低下が懸念されている現在にあっては、計画的に助産実践能力を強化し、その能力を第三者に示すことは不可欠です。レベル3を認証された助産師は、「自律して助産ケアを提供できる助産師」として、公表することができます。



この部分は、「アドバンス助産師」の意義として、あちこちで見かけました。
どこを切っても金太郎のように。


きっとなんだかわからないけれど制度に乗り遅れまいとした人たちには、背中を押されるひと言になっているのではないでしょうか。


たしかに助産師免許更新制度はありませんが、本当に「助産師個人の経験や学習による能力を知る術はない」のでしょうか?


<日常の中でどのように能力を判断しているか>


産科診療所に勤務するようになってから、総合病院で働いていた頃よりも多くの助産師看護師に出会いました。
それだけ産科診療所は人の出入りが激しい、ということでもありますが。


たいがいは、履歴書の内容と数日一緒に働いてみることで、おおむねその人の能力のレベルはわかるのではないかと思います。


卒業後、基礎的な知識や技術を取得する3〜4年を同じ病院に勤務していない人、1年未満で転々と職場を変えている人は、まだすぐに業務を任せることには躊躇します。


数年以上のブランクがあったり、他の仕事に転職してからまた戻って来た場合なども、「昔取った杵柄」だけで対応しようとする人には注意が必要ですね。


それから桶谷式とかIBCLCとか、トコちゃんとか、何とかマッサージとかの民間資格助産師資格と並列して書いてくる人にも警戒心が出ます。
個人の関心であればかまわないのですが、「この方法が正しい」とお母さんたちやスタッフに勧めてしまわないか心配です。


あとは、新しい職場に移った直後というのは「自分がいままでどれだけ働けていたか」「自分がどんなによいケアをしていたか」をアピールしたくなるので、強がった言動をとりやすいものです。
所変われば多少方法が変わることが許容できずに、「この施設の方法はおかしい」と批判的になり、結局は長続きしなくてすぐにやめてしまう傾向にあるようです。


論外なのは「人間としてどうか」と思うほど、お母さん達やスタッフへの無遠慮な言い方や態度をする人もいて、でも仕事はそこそこできるのという人はどう対応したらよいか本当に悩ましいものです。
人間関係でのトラブルは医療事故にもつながりかねますから、試用期間内で判断したほうがよさそうです。


ですから、履歴書に「アドバンス助産師」と書かれても、現場ではあまり意味がないように思います。


<知識・技術量を何で判断するのか>


以前は、分娩の処置や対応の考え方は各分娩施設でそれぞれでした。
他の施設で働いている助産師仲間から話を聞いて、「へえ、そんな方法もあるのか」とようやくわかるぐらいでした。


ここ10年ほどで、周産期医療に従事する看護職にもわかりやすい方針がまとめられました。
それが日本産婦人科学会「産婦人科診療ガイドライン」です。


もちろん、あくまでもガイドラインなので「答えはこれしかない」わけではないので、細かいところでは産科医の経験や考え方で施設間での違いがあると思います。


それでも、概ね現在の産科の方針はこのように考えられていることを知らずして、助産師お産の正常と異常の境界線がわかるはずがないわけです。


ところが、まだこのガイドラインの存在すら知らない助産師もいますし、知っていても内容に目を通したこともない助産師もいます。


業務の核となる方針を知らないまま働いているから、勝手な理論や方法を編み出す助産師が絶えないのだと思います。
あるいは「正常なお産は助産師で」という思想にしがみついてしまうのでしょう。


産科ガイドラインの内容を知り、それを実践するために必要な技術は何か、自ら考え自ら不得手な部分をなくしていく。
そうすれば、おのずと妊産褥婦さんと新生児に必要なケアの標準化がされていくと思うのですけれど。


免許更新制度の前に、その免許が担保している業務内容のレベルを明確にする方が先だと思いますね。







「鶏が先か卵が先か」の過去記事はこちら
「アドバンス助産師とは」のまとめはこちら

2016-07-24

記憶についてのあれこれ 101 <爪の間にあるものは何か>

1年ぐらい前だったでしょうか。
半身麻痺の父の動く方の手の爪の間に、黒く汚れがあるのを見つけたのは。


「あっ」と理解しました。


しばらくして、父の動く手はベット柵に固定されるようになりました。
スタッフの方が申し訳なさそうに、「どうしてもいじってしまうので」とおっしゃっていました。


私も総合病院で働いていたときに、不穏状態になった高齢の患者さんが自分の排泄物をあちこちにつけて大変だった経験があります。
まず患者さんを落ち着けながら、手や体をきれいにし、寝具やベッドなどに付着した汚れを落とすだけでも2〜3人のスタッフで30分ぐらいかかります。


父の気持ちへの不憫さもさることながら、認知症高齢者が入所している施設では、一日中、こういうことに対応されているのだと思うとスタッフの方々に本当に頭が下がる思いです。


父の入院している認知症介護病棟は独特の雰囲気もあるけれど、案外秩序もある空間です。
あるいは、何度も面会にいくうちに入所されている方々も私のことを記憶してくれるのか、顔見知りの関係になってきました。


そういう様子をみていると、認知症になることもそれほど怖れることもないし、その生活も案外平穏かもしれないと思います。



ただ、観ていると、時々スタッフにひどい言葉をかけたり、暴力を振るおうとしている患者さんもいます。
そのような制御できない感情や行動と、そしてこの弄便が、認知症介護の中で本人と介護する人を疲弊させるものなのかもしれません。


<自立を獲得した記憶があるからこその行動>


さて、冒頭でリンクしたWikipedaの説明では「大便をもてあそぶ行為」であると定義されていて、「人間としての自覚および生物としての生存本能の喪失」「合理的な目的をみとめることは少ない」と書かれていますが、ここ20年ぐらいで深まった認知症のケアへの理解からみるとちょっと違うのではないかと違和感がある書き方です。


たとえば「安心介護」というサイトの「弄便の原因」にこう書かれています。

弄便の原因は人によって異なります。
多いのは、便を便だと理解できないことや、オムツに排便することに不快感を持っていることなどです。
認知症を患っていることで、排便をしたことがうまく介護者に伝えられなかったり、不快感を取り去るためにオムツを外してなんとかしようと思い、便をいじってしまったりするのです。
つまり、弄便は周りから見ると便でもてあそんでいるように思えるかもしれませんが、実は理由があっての行為といえます。



不思議なのは、新生児にしても乳幼児にしても、排便したあとのオムツは不快だと認識しているようでも、手をつっこむことはまずないことです。
誰かに替えてもらうまで、ずっしりと重いオムツをそのままつけています。


ところが、認知症の方はこうした乳幼児と同じ状況でも外そうとしたり、いじったりします。
そのあたりを、このサイトではこう書かれています。

認知症の方がなくしていく記憶は、生まれてから生きていく為に覚えて来た記憶だそうです。
つまり、排泄の場所はトイレであるという事、排泄物は不潔だという事、は忘れてしまいますが「排泄する事」そのものはしっかりと残っています。


排泄が終わると、出た物が気になる。ので、確認したくなり触れてみる。感触を確認するのでしょう。
あちこちに塗りつけるのは、手についたものを落とそうとするのではないでしょうか。




そこには、認知症の方なりの目的をもった行動があるのだと思います。


生まれた直後から、誰かに見守られながら、繰り返し繰り返し排泄の自律や自立を獲得した記憶がどこかにあるからこそ、自分でなんとかしようとするのでしょうか。


父の指の間にある黒い汚れをウエットテイッシュで拭こうとしたら、予期しないほどの勢いで拒絶されてしまいました。
口の周りの汚れは、拭かせてくれるのに。



それ以降、私は父の爪をきれいにすることはやめました。
スタッフの方なら、おとなしく爪きりもさせているようです。


きっと父にとってあの黒い汚れは、「身内には見せたくない」ような羞恥心が沸き上がるか、誇りを傷つけるものなのかもしれません。




「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら