Hatena::ブログ(Diary)

ふぃっしゅ in the water

2017-04-24

発達する 12 <ヒトから魚へ進化する>

今日のタイトル、「え?逆じゃない?」と思われることでしょう。
ヒトから魚へでは「退化」になるのではないかと。
今日は、いえ、今日も学問的な話ではなく私の妄想話です。


昨日の記事で紹介した沼津港深海水族館で、なんと背泳ぎをする深海魚を見つけました。
名前を記録し忘れたのが大失態ですが、小型のサメのような魚が水中で背泳ぎをしてたのです。
方向を変えるためのローリングではなく、時々、お腹を上に向けて背泳ぎをしていました。


背泳ぎの記事のコメント欄で、mimonさん背泳ぎをする魚類で思いつくのは「オウムガイとかホウネンエビとかマルミズムシぐらい」と教えてくださったのですが、いやあ、やはり魚でも背泳ぎをする種がいるのですね。


なぜ、あの魚はお腹を上にして泳ぐようになったのだろう。
魚にとって背泳ぎで泳ぐことは、どんなメリットやデメリットがあるのだろう。
魚が背泳ぎをする時には、どんな骨格や筋肉がその泳ぎに会わせて発達したり、逆に退化していくのだろう。
水槽の前でたくさんの疑問を思いついたのですが、誰にも質問できずに水族館をあとにしたのでした。


ああ、やっぱり水族館に図書館が併設されるといいなあ。
専門書や図鑑を売店で販売してくれたら、大人買いしちゃいます。


あるいは水槽の横にパソコンを設置して、疑問を書き込むと答えを教えてくれるとか、どうでしょうか。



<ヒトから魚になる>



Wikipedia背泳ぎの歴史を読むと、背泳ぎは古来からあるものの、以前は平泳ぎのような泳ぎ方だったことが書かれています。
今のような泳ぎ方になって、たかだか1世紀程度のようです。


その1世紀の中でもさらに、私が競泳に関心を持ち始めたこの十数年の間にも、背泳ぎはさらに洗練された泳ぎになったように感じます。
それは、いかに水の抵抗を少なくするかというあたりで、細かい動作の改革の積み重ねとも言えるかもしれません。


古賀淳也選手ストリームラインとローリングのビデオを見ると、ほんとうに無駄のない美しい動きです。
他にもいくつか古賀選手のビデオがあって、繰り返し見てはイメージトレーニングをしています。


その「The Race Club」のサイトに、スクーマン選手ドルフィンキックのビデオもありました。
途中に魚の映像があって、そのあとスクーマン選手がまるで魚になったかのように水中を進んでいます。


その映像をみて、もしかしたら人類はごくごく最近のわずかな期間に、泳ぐための体の使い方を急速に進化させて魚に近づいたのではないかと妄想したのでした。





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2017-04-23

散歩をする 19 <駿河湾へ>

春の日差しに誘われてむしょうに海を見に行きたくなり、半日から日帰りで都内から行ける海を探して、地図をつらつらと眺めました。



その中で、子どもの頃に海水浴で行った記憶がある海のひとつ、駿河湾もいいなと思いつきました。
思い立ったら吉日、ということでさっそく沼津へ。
今日は「散歩」というよりも、小旅行ですね。


駿河湾といえば、私が子どもだった1960年代から70年代の田子ノ浦港ヘドロ公害をまず思い出すほど、当時は悲惨な海だった記憶があります。海だけでなく、新幹線東名高速富士市を通過する時にはスモッグで煙っていました。


海水浴に連れて行ってもらった頃は、公害が最もひどかった頃ではないかと思うのですが、伊豆に近い方の海にはたくさん海水浴場があったように記憶しています。


だんだんと公害対策が進み、駿河湾沼津港が駿河湾の深海でとれる魚介類で有名になり始めました。
テレビなどで、よみがえった駿河湾を見る機会が増えて、公害のつけを何世代にも渡って残さずに済んで良かったと、いつもまずその思いがありました。
今も沿岸には工場が見えますが、当時が嘘のように美しい海が目の前に広がっていました。


たしか、沼津港深海水族館があったはずなので、立ち寄ってみました。
パンフレットにはこんな説明が書かれています。

駿河湾と深海生物


富士山」とともに、そのスケールにおいて決して引けをとらない静岡県の「日本一」。
それは最深部2,500m、豊富な海洋資源を持つ日本一深い湾「駿河湾」です。
この湾の深海には、光が届かない闇と低水温、想像を絶する水圧という生き物にとって過酷な環境があります。
その中で生き続ける深海生物たちの多くは、今もなお機密のベールに包まれています。
日本初となる深海生物にスポットを当てたこの水族館では、深海生物の宝庫である駿河湾の生き物や、世界中のさまざまな環境に暮らす生き物、今まで紹介されたことの無い生き物たちを数多くご紹介します。



今でこそ、「深海生物」という言葉やその生態をテレビなどでも見ることが珍しくないのですが、40年ほど前にはそういう知識が社会にはまだまだ浸透していなかったことでしょう。
知らないから、何でも海に流せばよい時代があったのかもしれませんね。
目の前の水槽にいるさまざまな生物を実際に見ると、あの公害の受難の時代をよく生き延びてくれたと思いました。


平日でも館内は途切れることなく来館者がいて、皆さん展示に見入っていました。
そして、スタッフの解説の時間になるとたくさんの人が集まってきました。
皆、専門知識まではないけれど、目の前にある駿河湾のたくさんの生物の生活史を知るだけでも、同じ過ちを繰り返ささないための学習になっていることでしょう。



水族館のあと、10分ほど歩いて千本浜へ行き、しばらく海をながめました。


長い海岸には、散歩をする人、釣りをする人、海をぼっと眺める人などがいて、平和な時間でした。
公園や海岸も整備され、津浪対策もそこかしこにありました。
少しずつ、時代は良い方向に向いているのだと思えました。




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2017-04-22

発達する 11 <ただただ存在していることに意味があるところへ戻っていく>

90代にもなると、本当にひと冬を越すことにどれだけ体力を使うのか、今年の父をみていると理解できました。
お世話になっている施設では通年、施設内の温度も湿度も一定なので、自宅で暮らしていた頃のような室内でも凍えるような寒さや熱中症など、過酷な温度差で体力を奪うことはないのですが、どこからともなく入ってくる細菌やウイルスと闘うことに体力を消耗させられるようです。


12月にはホールに行けるようになったものの、その後、インフルエンザ発生のために施設全体の面会制限が何度かありました。
幸いに、父はインフルエンザにはかからなかったのですが、風邪のような症状で咳き込み、一時絶食になりました。


そこから何とか回復するたびに、表情と言葉が失われました。


12月には笑顔もなくなってしまったのですが、1月と2月には少しうれしそうな表情があったので、ほんとうに新生児の笑顔を目撃した時のように心がはずみました。
1年ほど前から、面会に行った時の父の言葉を記録するようにしたのですが、言葉を連ねて話せていたのに、だんだんと簡単なひと言ふた言だけになっていき、私が聞いた父の言葉は1ヶ月ぐらい前の「おはよう」が最後になりました。


終日、うつらうつら眠っていて、時々目を覚ますと何か不快そうな表情をして、またうつらうつら眠っています。
咳が出そうになったり、あるいは排泄のタイミングで表情が険しくなるのかもしれません。
笑顔は見られなくなってしまったけれど、その表情の変化を見つけただけでもほっとすることに私自身驚いています。
仕事で接した患者さんには、こんなことも見逃していたのだろうなと。


3〜4ヶ月前の、父とまだホールでおやつを食べたりしていた頃は、目の前にいる私は誰なのだろう、何を話しているのだろうと記憶のつじつまを合わせようとして緊張したり不安になっている印象があったので、面会は1時間ほどで切り上げていました。


今は、静かに寝息を立てている父のそばで、心置きなくぼーっと長居をすることができています。


そーっと手を握ってみました。
体力の低下とともに、動いていた手もほとんど動かせなくなってしまいました。
氷のように冷えきっていました。
腕を触ってみると、おどろくほど筋肉がなくなっていました。


父がひと冬を越えるために、これだけの体力が奪われたのでしょう。


病院へ向かう途中、父が暮らしている地域は一斉に花が咲き乱れる桃源郷のような風景になっていました。
もう今年がこの風景を見る最後になるのかな、とふと思いながら病室に入りました。


咳が落ち着いたので、また食欲は出て来たようです。
うつらうつらと眠っていたのに、しっかり目が覚めてゼリーを完食しました。


来年のこの時期もまた、こうして父のそばにいられるとよいのですが。
ただただ、寝息をきいているだけでもいいので。

2017-04-21

発達する 10 <何故だろうという疑問を持つことができる>

新学期も始まり、そろそろ人出も少なくなるかなと思い、また水族園へ行きました。
春の暖かな日差しのなかでぼーっと海を眺めてから、水族園へ。
平日でも人が多くて水槽をゆっくり見ることができないことが多いのですが、その日は正解でした。



まずは、カタクチイワシのストリームラインです。
あの流線型の体がすーっと水の中を進む姿は、ほんとうにきれいです。
魚というと、同じように尾びれや背びれなどがあるようにしか捉えていなかったのですが、種によってその動き方が全く違うことに、見入ってしまいます。


となりに少年がきました。
小学校低学年ぐらいに見えたけれど、今日は平日なのにどうしたのかなとちょっと気になりましたが、その少年の言葉にそんな些細な心配が吹き飛びました。


「ねえ、観察してみて。あのサメの背中に切れ込みがあるよ。他のサメにもあるよ」
「切れちゃったわけではなさそうだね」



ああ、すごい!
人生数年にして、観察するという言葉が理解できるようになるのだと。
毎日、新生児と接していると、子どもの発達の速度の速さに驚かされますね。


きっと、「観察する」と言う言葉が理解できる前は、「なんで?」「どうして?」「あれは何?」と親や周囲の大人を質問攻めにしていたことでしょう。
そこから今度は、お母さんに「観察してみて」っていっちゃうぐらい、成長していくのですね。


「私も、サメの背びれに切れ込みがあることに気づいたけれど、まだ答えがわからないの」と、思わず話しかけたくなるのをぐっとこらえたのでした。



「あれは何」「どうして」という疑問を持ち続けられれば、一生、退屈することがないほど、世の中はたくさんのわからないことや知らないことがいっぱいの宝箱ですからね。
あの少年に幸あれ。





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2017-04-19

事実とは何か 32 <救命時の特殊な時間の感覚>

先日の踏切事故で、救助しようとした方が何秒でどのような行動をしていたか報道されていたことから考えたことの続きです。


ネット上では「救助を美談にするのではなく、非常ボタンを押す事の啓蒙を」という意見がありました。
それはそれで、もっともな感じ方だと思うのですが、心臓が口から飛び出そうな非常事態に遭遇した時の特殊ともいえる時間の感覚について考えると、なんだかしっくりとこないのです。


こちらの心臓も止まりそうなほどの過緊張になる非常事態を、実際に人はどれくらいの確率で体験するのかわかりませんが、一生のうちに交通事故に遭遇する確率よりも低いのか、それとも高いのでしょうか。
いずれにしても、そう経験することではないのではないかと思います。


その点、医療現場にいると急変を経験するので、少し似た感覚なのではないかと思います。


不思議な感覚なのですが、急変時や蘇生などをしている時というのは、わずか10秒とか30秒がすごく長く感じます。
なんだかスローモーションビデオの中にいるような感覚です。


たとえば、産婦さんの出血が止まらなくてプレショックを起こしている状態や、生まれた直後の新生児がぐったりしていてすぐに新生児蘇生をし始める時などです。


相手の状態を観察して、「緊急時の処置をしなければ」「蘇生をしなければ」と判断した時には、わずか数秒でもさまざまな判断と処置を同時に実施し始めています。
状態が落ち着いて、時間を確認するとまだ1分ほどしかたっていないということもあって、その間の自分の判断や動きが、スローモーションビデオのように思い出されてくるのです。


咄嗟の時には、なにかいつもとは違う時間の長さのような感覚になるのはどうしてなのだろうと、いつも不思議に感じていました。
普段の感覚なら30秒とか1分なんて、たいしたことをしないまま過ぎていく感覚なのですけれど、目の前の人を助けなければいけないという事態では、全身全霊で時間の質が変わってしまうような、そんな錯覚です。


たぶん、頭の中では「非常ボタンを」とわかっていても、非常ボタンに向かうそのわずか数秒の間でも、救命のためにもっと多くのことをできそうな感覚に陥るのかもしれないと。


救命しようとした方が巻き込まれる二次災害を防ぐためには、そのあたりの感覚がヒントになるのではないかと、ふと思ったのでした。




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