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ふぃっしゅ in the water

2017-06-28

発達する 15 <「発達する」の語源について>

「発達する」という言葉の概念も、所変われば受け止め方も変わるかもしれないことをこちらで少し書きました。
そのコトバンクで紹介されていた「大辞林 第三販」の解説には、もう少し続きがあります。


ここから推察されるように、「発達」とは、元来、個体発生の過程が、遺伝その他のあらかじめ生体に仕掛けられたなんらかの機制によって定まっているという概念(先決説または予定説)の表現であることがわかる。


発達障害」という用語が多用されるようになったが、原語はdevelopment disorderであり、訳語から理解されるような早期に現れる障害という意味合いでは不十分で、素因性の、というニュアンスが示唆されていることに注意しなければならない。発達が、以前は完璧に至る上昇的変化だけを表すことが多かったのも、先決説的な完態の観念が著しかったためであろう。しかし、この西欧的な先決的固定観念も、1950年代以降、世界的に反省の機運にあい、ここから発達研究の新しい展望が急速に開けていった。



予定説という言葉を初めて知ったのは、プロテスタント系の教会に通うようになってからでした。
リンク先のWikipedia説明にあるように、「神の救済に預かる者と滅びに至るものが予め決められているとする(二重予定説)」という考え方があることを知りました。


私が本格的にキリスト教に近づいた時には、東南アジアカトリックからプロテスタント、そして原理主義的な宗派オカルト的な宗派など、キリスト教と一口には言えないほどさまざまな信条があることを知ったあとでした。
そして、たまたま出会った教会は、こういう予定説に対しては批判的な立場であったことは幸いでした。


「予定説」という言葉は、たまに会話の中で聞くぐらいだったので、学問的なことは何も知りません。
ただ、もしそういう考えが社会に広がれば、「我こそは正義」に似た押しの強さが怖いなと漠然と感じていました。
どのような状況にあった人たちが、どのようにしてこういう考え方にたどり着いたのでしょうか。



「三位一体」や「聖霊」という言葉が理解できずにキリスト教につまずいた私ですが、この「予定説」も理解できなくてよかったのかもしれません。


ただ、冒頭で紹介した解説を読むと、原語の「巻物を開いて中身を読む」「もつれをほどく」といった意味から発したからこそ、「先決説や予定説」をひっくり返してまた考え直すことができたようにも読み取れます。


いやはや、「発達」という言葉ひとつとっても、本当に意味が深いですね。




「発達する」まとめはこちら

2017-06-27

行間を読む 65 <名を残す>

地図と測量の科学館の大きな年表には、私が名前が知っている人物も少し載っていました。
地図関連ですから伊能忠敬とか間宮林蔵とかですが、何にしても私の「歴史の知識」なんて、ちょっと有名な人物の名前を覚えているという程度です。


その大きな年表の中で、虚をつかれるものがありました。

1810  高橋景保「新訂万国全図」
(北方探検の成果を加え、この時点でもっとも正確な世界地図となる)




1810年は日本ではまだ江戸時代ですが、その「新訂万国全図」は江戸時代の地図というイメージではなく、現代の世界地図に近いぐらいのものです。
江戸時代にそれくらい正確な世界地図を作った人がいるのに、なぜその名をほとんど聞いたことがないのだろう。


気になって、家に帰ってからすぐにWikipedia高橋景保を探しました。
江戸時代にあれだけの精密な世界地図を作った人と言うのに、その説明の少なさに驚きましたが、もっと驚いたのはその過酷な人生の終わり方です。

文化11年(1814年)には書物事業兼天文方筆頭に就任したが、文政11年(1828年)のシーボルト事件に関与して10月10日に伝馬町牢屋敷に投獄され、翌文政12年(1829年)2月16日に獄死している。享年45、獄死後、遺体は塩漬けにされて保存され、翌年3月26日に、改めて引き出されて罪状申し渡しの上斬首刑に処せられている。このため、公式記録では死因は斬首という形になっている。



国土地理院HPにも、「測量・地図ミニ人物伝:高橋景保と渋川景佑」がありました。

景保(かげやす)と景佑(かげすけ)の兄弟は、幕府天文方高橋至時(よしとき)の子供で、いずれも天文学者となり、父と協力して天文学の研究をしました。


兄の景保は、父の死んだあと天文方となり、幕府との交渉などで忠敬の測量に協力し、さらに日本周辺の地図や世界図なども作りました。


ところが、間宮林蔵シーボルトから届いた手紙を幕府に届けたことによって、景保がシーボルトと親しくしていることがわかりました。景保は、そのころは禁止されていた、外国との地図の交換をしているといううたがいで逮捕され、牢で死亡しました。帰国しようとしていたシーボルトの船から地図などが発見され、長男や次男も島流しになりました。



時代が時代だっただけに、シーボルトと地図の交換をしたことで投獄され、獄中死では済まずに遺体を塩漬けにしてから処刑された。
まさに「地図を強力な道具にさせて、軍事や政治、イデオロギーやプロパガンダなどの目的に利用しようとする人びとによる占有対象となっている」ですね。



コトバンクの「日本大百科前保(ニッポニカ)の解説」の中では、高橋景保がどんな人物であったのか、少し記載がありました。

20歳で父の後をついで天文方となり、間重富(はざましげとみ)の助けを受けて浅草天文台を統率、優れた才能と学識でその地位を全うした。伊能忠敬が彼の手附手伝(てつきてつだい)を命ぜられると、忠敬の測量事業を監督し、幕府当局と交渉および事務上のことについて力を尽くし、その事業遂行に専心させた。1807年(文化4)万国地図製作の幕命を受け、1810年『改訂万国全図』を刊行した。


翌年には歴局内に藩書和解御用(ばんしょわげごよう)を設けることに成功し、蘭書(らんしょ)の翻訳事業を主宰した。満州語についても学識を有志、『増訂満文輯韻(まんぶんしゅういん)』ほか満州語に関する多くの著述がある。景保は学者でもあったが、むしろ優れた政治的手腕の所有者で、「此(この)人学才は乏しけれども世事に長じて俗吏とよく相接し敏達の人を手に属して公用を弁ぜしが故に此学の大功あるに似たり」と大槻玄幹(おおつきげんかん)(1785−1838)は評している。この政治的手腕がかえって災いしてか、1828年文政11)シーボルト事件の主犯者として逮捕され、翌年45歳の若さで牢死(ろうし)した。存命なら死罪となるところであった。




「世界大百科辞典」によれば、伊能忠敬は全国図完成前に死去し、その後、高橋景保の監督下で作成されて1821年に完成したとあります。
伊能忠敬の「大日本沿海実測図」は、この高橋景保の存在なくしてはなかったということでしょうか。



「デジタル版日本人名大辞典+Plus」の解説に、高橋景保のオランダ名がありました。
「グロビウス」
もしかして、globalと語源は同じなのでしょうか。
政治に翻弄されない、何かもっと違うものを求めていたのかもしれないと勝手に想像してしまいました。





「行間を読む」まとめはこちら
「地図」に関する記事のまとめはこちら

2017-06-26

存在する 2 <地図とは何か>

「地図と測量の科学館」でみた年表がどうしても欲しくなり、検索してみましたがそれらしい本は見つかりません。
ダメもとで書店の地図コーナーにいったら、運命の出会いがありました。

「地図の世界史 大図鑑」
ジェリー・ブロットン著、河出書房新社2015年10月23日



「地図と測量の科学館」の年表の行間を埋めてくれるような詳細な内容です。


それだけでなく、序文の中に書かれている二つの「存在」について惹きつけられたのでした。
「地図」と「存在」。
考えたこともない、地図に対する見方です。


<「存在」をあらわすものとしての地図>



地図を有するというのは、やはり力を持つ側の意図に左右されるのだろうということは、あるところにはあるわけですし、正確に土地を測量するトーレンス登記制度もまた植民地化にはかかせないものだったことなどから漠然とは感じていました。


あるいは、なぜ日本が「極東」なのかも、どの国から見た地図なのかによって描かれている位置が違うのかも、力によるものであると受け止めていました。


ところが、この序文にはもう少し違う表現になっていました。

 じつに4万年もの昔、人類が初めて岩に図像を描いて以来、人びとは環境と自分たちとの関係を概念化する手段として地図を作ってきた。つまり方向を示すだけでなく、存在を表すものでもある。自分を取り巻く環境を空間的に処理すること、それは人間の基本的活動の一つであり、心理学者はこの活動を「認知地図」の形成と呼ぶ。ほかの動物も縄張りの範囲を定めるが、それを地図にできるのは人間だけだ。



私の地図に対する楽しさや関心はなんと表層的だったのだろうと、愕然としながらも、なんだか光が差し込むような感覚を覚える一文でした。



<完璧な地図は存在しない>


宇宙から正確に測量できる時代に入り、山の高さ、海の深さ、これ以上正確なデーターはないのではないかと思われるほどさまざまな事象が地図に表現されるようになりました。


「地図と測量の科学館」では、ちょうど「地震災害を考える」という企画展をしていて、あの東日本大震災の直後から詳細な測量データーを積み重ねて、復興防災に役立てられていることがわかりました。


GPSのおかげで、科学館への道に迷いそうになった私も無事にたどり着くことができました。
すごい時代です。


ところが、冒頭の本の序文にはこう書かれています。

地図を作るということはまさに世界的な現象であり、もちろん独自の世界を地図化するためにそれぞれが固有の方法を用いるもの、あらゆる人類、文化、思想信条において共通して見られる行為である。また歴史上多くの地図製作者が完璧な地図を作成したと主張してきたが、そのようなものが存在しないことも本書は明らかにする。いかなる地図もつねに主観的である。それゆえ同一の地域を地図化する場合でも、必然的に多くの異なる方法が存在するのだ。




「いかなる地図もつねに主観的である」
「地図と測量の科学館」の売店にも、正確で客観的に見える詳細な地図が販売されていました。
ところが、「地図は主観的である」とはどういうことなのでしょうか。


この本の16ページ「現代の地図製作」にはこう書かれています。

地図製作の可能性は、20〜21世紀になると多方向に広がった。前人未到の地が減っても地図作りの対象となる範囲が狭まることはなく、真に優れた地図も作られた。一方で、現代世界について著しく偏ったイデオロギーを表現しているという批判を受けた地図も数多くある。またそれ以上に深刻なのは、制作者以外の第三者の意図を実現するための盗用が横行している現状だ。実際、現代の地図制作者には厄介な矛盾がつきまとう。地図とは、制作者側がつねに証明し続けているように、選択された一定の領域を部分的に描き出したものにすぎない。だが、その特徴こそが、地図を協力な道具にさせて、軍事や政治、イデオロギープロパガンダなどの目的に利用しようとする人びとによる占有対象となっているのだ



次のページに、イギリスの社会地理学者タニー・ドーリング氏の「完璧な地図を作ることはできない。これから先も決して」という言葉が紹介されていました。


そして「地図の未来」にはこう書かれていました。

デジタル化が地図製作に新たな時代をもたらし、紙の地図が衰退しつつあるのは事実だが、現代の地図製作者が直面している問題は、2500年以上前のバビロニア人が抱えていた問題と何ら変わりはない。つまり、地図に何を載せ、何を省くか。また誰が地図の制作費を持ち、誰がその地図を使うのか。媒体に関わりなく、優れた地図は永遠に必要とされるだろう。なぜなら地図は、人類が始まって以来の問いに答えてくれるものだからだ。「ここはどこなのか?」、さらには「私は誰なのか?」という問いに




「存在とはなにか」考え始めていたら、思わぬところでつながったのでした。




「存在する」まとめはこちら
地図に関する記事のまとめはこちら

2017-06-25

数字のあれこれ 23 <測量の年表、覚え書き>

「地図と測量の科学館」には、三大文明の測量術から始まる「測量の通史」という大きな年表がありました。


紀元前6200年ごろの「小アジアのチャタル・ヒュイク集落とハサン・ダウ火山図」や紀元前1300年ごろの「エジプトのヌピア金山の地図」には、日本史の始まるはるか昔にすでに地図を作るという概念があった地域があることに、ちょとめまいがしました。


また、紀元3600年ごろにはすでに「シュメール文化に足算、引算、掛算、割算、分数の発生」が起こり、紀元2300年ごろ「バビロニア人、角度の60進法発明」紀元前2000年ごろ「インダス文明メソポタミア文明に十進法ひろまる」という記述は、高校生あたりで習ったのだと思いますが、当時とは全く違う感慨深さを感じました。


旧約聖書を読んでいるとレビ記や民数記あたりで眠くなると書きましたが、もう少しドラマチックな内容の「出エジプト記」の後半あたりから、実はすでに眠気に襲われそうになります。


というのも、幕屋と呼ばれる移動式の神殿についての箇所が、ただただ数字を並べたような記述が続いているからです。
たとえば、こんな感じ。

 1枚の幕は長さ28アンマ、幅4アンマで、全ての幕を同じ長さにした。


 次に、幕屋の壁板をアカシヤ材で縦方向に使って作った。1枚の壁板は縦10アンマ、横1.5アンマ、それぞれの壁板には二つの柄を作って隣りの壁板とつなぎ合わせた。




1アンマというのは約44cmのようですが、紀元前8〜9世紀に長さを数字で表す文化ができていたことに、眠気の中でも驚きを持って読む箇所です。
日本なら縄文時代ですからね。


<年表の覚え書き>


壮大な年表を前に、時代を行きつ戻りつ考えていると、あっという間に時間が過ぎていきそうでした。
知らない専門用語ばかりで、大好きな地図がこんなに奥深いものであることにも驚きです。


この年表が欲しい、家に帰ってじっくり読みたいと思ったのですが、残念ながらこの年表をまとめたような本は無いようです。
そこで、ちょっと気になった箇所を今後の勉強のための覚え書きとして残しておきます。


日本の測量の開始は、「大化の改新の地積測量」からのようです。
そして江戸時代になると、「規矩術の発達」として、以下のようなことが書かれていました。

1648年 樋口権右衛門 規矩術を創始、オランダ人カスパルから測量法を学ぶ


1653〜54年 玉川兄弟の水準測量 (玉川上水建設に提灯を用いて水準測量)

ああ、なるほど。玉川上水についての本を読んでいた時に知った提灯を用いる測量方法が、この時代だったのですね。


1800〜1816年 伊能忠敬の全国測量
象限儀、方位盤、間縄、量程車などを使用し、導線法(多角測量)に交会法、天文測量を加えた測量方法によって正確な位置を測定1象限=9.96km;現在との誤差ー0.23%


1860年ころ 日本の測量器具整備される
1872年 日本初の三角測量
1891年 東京三宅坂参謀本部内に水準原点をおく



20世紀に入る頃から世界では、「物理測地学の発展と写真測量術の開発」の時代に入り、「写真測量時代の幕開け」となったようです。
私が小学生になった1960年代後半には、かなり正確な地図をみていたような記憶があったのですが、この箇所を見て少しびっくりしました。

1959年 日本、メートル法の完全実施
1960年 地理調査所、国土地理院と改称
1964年 国土地理院人工衛星観測開始。第二次測量長期計画



さらに20世紀後半には「地球を宇宙から測る時代」になったようです。

1966年 アメリカ、NGPS計画提唱(人工衛星による三角測量で全地球直接測量計画
1973年 衛星による精密測量の開始、GPS開始




なるほど、あることろにはあるという理由の背景と歴史が少しわかりました。






「数字のあれこれ」まとめはこちら
地図についての記事のまとめはこちら

2017-06-23

散歩をする 28 <地図と測量の科学館>

今日のタイトルを見て、ピンと来る方は地元の方かマニアかという感じでしょうか。


今日は散歩ではなく、ちょっと小旅行に行ってきました。
この地図と測量の科学館は、つくば市にあります。
国土地理院ホームページを見ていたら発見して、地図が大好きな私はすぐに行こうと決めました。


街中を歩いていると、よく測量をしている方々を見かけます。
1cmのズレも許されないほど正確に何かを測定しているのでしょうし、私たちの日常生活には欠かせない大事な仕事だとはなんとなく理解しているのですが、なんせ数字が苦手な私です。
地図には正確な測量が不可欠ということはわかっていても、ちょっと測量については見てみないふりをしていました。


この科学館は、「地図」の博物館だけでなく「測量」についても学ぶことができる。
そこにおおいに、心が躍ったのでした。


「つくば」の名前は、ちょうど私の受験の頃に東京教育大学から筑波大学に移行したことで記憶にあるのですが、一度も行ったことがありませんでした。
案外、東京近郊の地理には疎いものです。
是非、そのつくば市を見てみたい、つくばエクスプレスにも乗ってみたいと、翌日には出発したのでした。



<地図と測量の科学館に行くのに道に迷う>


初めての場所ですから、あらかじめ地図で場所を確認し、電車とバスの時刻表をチェックして念入りに準備した・・・つもりでした。
どこでも、だいたいは1回地図を見ればほぼ目的地に行くことができる能力があると自負していました。


ところが、まさかの「地図」の展示を観に行くのに道に迷うという大失態。


つくば駅のバス停で時刻表を見ると、その科学館に行くバスは10時までしかありませんでした。
ちょっと複雑な路線図を見ると、科学館の前を通る別のバスがあるように読めました。
ちょうどそのバスが来たので乗り込んだのですが、なんとな〜く方向が違うようです。
筑波大学の西側を通るはずが東側の道路を走っているように感じたので、iPhoneの地図を確認したところ、やはり別方向です。
あわてて途中下車しました。


車の通行量は多い道路なのですが、タクシーは全く通っていないし、バスを待って駅に戻るよりは歩いた方が早そうです。
歩く人がほとんどいない道を、ちょっと心細くなりながら歩きました。


結局、1時間半ほど歩いて、ようやく地図と測量の科学館に到着しました。
いやはや、iPhoneの地図と位置確認のシステムのおかげです。



地図と測量の有り難さを、身をもって体験した散歩になりました。




地図に関しての過去記事のまとめ。

「世界はひろいな 3 <地図>」
「境界線のあれこれ 7 <地図があることとないこと>」
「境界線のあれこれ 16 <まっすぐな国境>」
「世界はひろいな 7 <あるところにはある>」
「あの山は何と言うのだろう」
「河童はどこで泳ぐか」
「事実とは何か 7 <鳥瞰(ちょうかん)と虫瞰、俯瞰と仰瞰>」
「散歩をする 28 <地図と測量の科学館>」
「数字のあれこれ 23 <測量の年表、覚え書き>」
「存在する 2 <地図とは何か>」
「行間を読む 65 <名を残す>」







「散歩をする」まとめはこちら