Hatena::ブログ(Diary)

ふぃっしゅ in the water

2016-08-29

行間を読む 60 <「自然なお産運動」の終焉>

「産み育ての助産の歴史」の感想をひと言で言えば、今日のタイトル通りです。


本の目次を見ると、「自宅で産んでいた人々」「医療者が介入しない出産」「産まされるお産から産むお産へ」「ラマーズ法と自然出産運動」といった言葉が並んでいます。


著者のお名前も、そういう運動でよく目にした方々です。
たとえば、「同じような出産だったせいか、みんな同じような表情をしている」とか、「これからは、ハイリスク出産にも助産師のケアが必要な時代」とか。


出産の医療化助産師看護師の資格を有することで、すでに半世紀以上も現代の助産師は「すべての妊産婦さんに対応」していたのですけれど、「正常なお産」だけに対応する開業助産所や自宅分娩を持ち上げて来たのが「自然なお産運動」だったといえるでしょう。


医療介入への嫌悪感が、ひとっとびに「主体的なお産」という言葉になり、そしてそれを実現してくれるためには「自律した助産師」が主導したお産の場所という幻想


自分たちの思い描く理想のために、歴史や現実の変化の解釈が一方的で、矛盾に矛盾を重ねてもそれを認められないのかもしれません。


そして自分たちの価値観とは相容れない人には、その現場を知らずして、こんな容赦ない言葉を書く独善性がどこから来るのか。
それがイデオロギーなのだと思います。

一方で、近年では、助産師自らが「自律的なケア」を望まず、協調の名の元に医師の庇護と指示のもとで働きたいと考えている。また、産婦自身も「主体的なお産」を望んでいない、とも言われる。(例えば「医療施設で働く助産師への業務拡大に関する意識調査」)。p.301



社会はもっと現実的であり、こうした人たちが思い描いてきた出産は社会にもそして大半の助産師にも求められなかったという結論で、当然と言えば当然だと思います。


「無事に赤ちゃんが生まれてくれる。それだけです」
「産婦さんと赤ちゃんが無事に出産を終える事ができる」
そう思うことを「主体的でない」「自律していない」と思い込む人の気持ちは、よほどなことがない限り変わらないことでしょう。


「よほどなこと」
出産での余程な事と言うのは、「死ぬか生きるか」を実感するぐらいのことに遭遇することです。


1970年代頃からの「自然なお産運動」も終焉に近づいたのだろうな、と80年代からの流れを見て思います。


そしてこの本は、後世では「自然なお産」運動の思想とその運動の断末魔の叫びが描かれた古典的資料のひとつとして取り扱われることになるでしょう。
出産の医療化は、社会が求める出産の安全性という理想を実現するものであったのに、時代を見誤ってしまった運動として。




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2016-08-28

行間を読む 59 <どちらが先見の明があったか>

こちらで紹介した「産み育てと助産の歴史」ですが、ざっと斜め読みした中でひっかかった表現で、この本は助産の歴史についての学問的な本ではなく、あくまでもあるイデオロギーの表明なのだろうというのが感想です。


「ひっかかった表現」についてはまた次回に考えてみようと思いますが、この本の中で「GHQ」がどのように書かれているのかまず紹介しようと思います。


<「GHQ公衆衛生局の助産婦民主化政策」>


GHQが日本の産婆に与えた影響や当時の状況について、もう少し研究が進んだ内容を期待したのですが、書かれていたのは繰り返し目にする内容でした。

日本の教育制度は第二次大戦敗戦後のGHQ/SCAP(連合軍最高司令官総司令部)占領下において、昭和22(1947)年4月に公布された学校教育法により新制度に変わった。新学制のもとで、助産婦視覚の制度的枠組みは、GHQ公衆衛生福祉局(PSW)の設置および医療福祉政策によって決定づけられた。GHQ公衆衛生福祉局長に就任したC・F・サムス看護課長にG・オルト少佐を迎え「看護改革」に乗り出した。サムスの問題関心は、当時の日本の医療看護をいかに改革するかにあり、それはいかにして米国医療モデルを日本社会に根付かせるかという方法に直結していた。サムスのとった方法は、占領期以前の日本の医療看護を徹底して前近代的と捉え、米国医学教育や看護教育および病院組織を参照し、これをモデルとして日本の医療看護を「民主化」するというものであった(サムス 1986)。この看護制度改革象徴であり助産婦教育の根拠法となったのが保助看法であった(名称は2002年4月から保健師助産師看護師法に変わった)。



この保助看法が戦後の助産婦の業務を縮小させた元凶であり、そしてひいては「自然なお産」や「主体的なお産」までできなくなったという論拠でしばしば使われるものです。


なぜ「」付きの民主化なのか。
そのあたりに、助産婦あるいは産婆の気持ちがありそうです。


看護婦にとっての民主化は産婆にとっては「民主化」になる理由>


私が看護師になった1980年代初頭でも、まだ看護師が配膳の時に汁物をよそっていたことは以前書きました。
ベッド数数百床の、当時では最先端の近代的な病院でした。


バリバリと術後の患者さんのケアをする外科系の看護を思い描いていた私には、日本の看護の中に前近代的な部分が残っていることのギャップにおおいにとまどいました。
じきに看護助手さんが導入され始めて、私達はもう少し専門的なケアに集中することができるようになりました。


それから20年ほどたって産科診療所に勤務するようになって驚いたのが、経営者である医師看護職の距離の近さでした。よくいえば「家族的」なのですが、看護業務以外の経営者の家庭のことまで頼まれたりするのです。
でも「それは私達の仕事ではない」とはなかなか言えませんでした。


こちらの記事で紹介したGHQ看護課のスタッフがみた当時の日本の看護職の状況を読んで、世の中が変化するのには半世紀とか1世紀といった時間が必要なのだと改めて思ったのでした。

彼らが見た日本の看護実態とは、看護婦医師の診療の補助をしながら、実務を離れても下働きをし、肝心の患者は付き添っている家族が世話をしており、それは彼らが考える看護とはほど遠いものだった。



看護の世界では、GHQの関わりを改革として肯定的にとらえている資料が大半を占めている印象です。


片や助産師の世界では、なぜ「」つきの民主化揶揄されてしまうのでしょうか?


おそらく、戦前の産婆はすでに独立して営業する権利を得て、お産で稼いで貧乏から脱出することができる当時の女性にとっては特権的な立場であったのでしょう。


当時小学校か中学卒業後の年齢で1年程で産婆資格を取り、そして出産の責任を担っているというプライドは、私の想像以上に強かったのかもしれません。


いまさら医師の下で働く看護婦と一緒にされてはたまらない、そういう気持ちが強かったのではないでしょうか。


でもGHQの「民主化」がなかったとしても、どの国でも経済状態がよくなり医療が進歩すれば、早晩、出産の安全性を求める声は高まり、助産師にも正常から異常まですべての分娩に対応できる知識と技術が求められる時代になっていくことでしょう。


GHQ改革は、やはり先見の明があったと思います。


忙しすぎた産婆たちにも、また、自分たちの活動や役割、日本固有の文化や歴史的な価値観をGHQに十分に伝えるチャンスもありませんでした。
「GHQに対する気持ち」



あれから70年以上たっても、「忙しさ」を理由に自分たちが理解されずに無理矢理看護職に組み込まれたという思いを持ち続ける一部の助産師がいること自体、助産師の世界は医療に関する長期的な展望を持てない集団だと思われても仕方がないのかもしれませんね。




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2016-08-26

アロエ

コンフリーは記憶になくても、アロエはほとんどの方がご存知だと思います。


「ヤサシイエンゲイ」のアロエ説明では、明治期に日本に入って来たようです。

日本でもよく知られているのはアロエ・アルボレッセンス(A.arborescens)です。キダチロカイ、キダチアロエとも呼ばれています。医者いらずの別名があり、鑑賞のほか、やけどや胃腸薬などに効く民間薬としても利用されてきました。鉢植えで広く普及しており、単に「アロエ」というと本種を思い浮かべる方も多いのではないかと思います。日本には明治頃に入ってきたとされます。



このアロエも、母が「何にでも効く」と買ってきたのが1970年代初めの頃だったと記憶しています。
植物だけでなく、アロエ効用を紹介した本も家にはありました。


便秘や消化不良、やけどなどに効くらしいと。
私は消化器系は丈夫だったので、主にやけどや傷、そして中学生になってニキビに使っていました。


「体にいいらしい」ということで、時々、苦いのを我慢して果肉を食べた記憶もあります。


そのうちに、森永製菓からアロエの果肉が入ったヨーグルトが発売されました。「え?あんな苦いアロエなのに、なにを好き好んで・・・」と思ったのですが、家庭で栽培していたキダチアロエとは違う、アロエ・ベラがあることをこの時に知りました。
このヨーグルトが発売されたのは1994年のようです。


久しぶりにコンフリーのことを思い出して、このアロエはどうなのだろうと気になりました。



Wikipediaアロエを読むと、やはりこのアロエにも注意が必要そうです。


日本薬局方に基原植物として収載されているアロエは、アロエ・フェロックス(A.ferox、ケープアロエともいう)及び、これとアロエアフリカーナ(A.africana)、またはアロエスピカータ(A.spicata)との雑種と決められている。これらの葉の汁を濃縮乾燥させたものが、日本薬局方でいう「アロエ」である。なおキダチアロエ・ケープアロエ以外の観葉植物として出回っているほとんどのアロエには、薬効となる成分は含まれていないので、誤った使用をすべきではない。


キダチアロエは、昔から俗に「医者いらず」といわれてきたものであり、葉肉の内服で健胃効果があるとされ、また含有するバルバロインの下剤効果により便秘に効果がある。ただし、体質によっては胃炎を起こす場合があることや、継続摂取による大腸の色素沈着を起こすことがあることなども報告されている。また外用として傷や火傷に用いられる場合もあるが、逆に悪化させた例も報告されており、使用には一定の注意が必要である。なおドイツの薬用植物の評価委員会コミッションEによれば、ゲル状物質(葉の中央にある柔組織に存在する粘性の物質)の外用は、痛みや火傷の回復に対して有効性が示唆されている。



種類を間違えてはいけないことと、使う場合には自己責任で・・・という感じでしょうか。


そして「注意点」には以下のように書かれています。

専門機関の研究によれば、子宮収縮作用が有るため、妊娠中の使用はさけるべきである。また、長期間の多量摂取や12歳以下の小児の摂取、妊娠中・授乳中や月経時及び腸の病気の場合、摂取には注意が必要である。




路地や庭に半ば野生化したアロエは、「医者いらず」に期待して植えたられたものかもしれませんね。
たまに咲く、オレンジの花を楽しみにするぐらいが良いのかもしれません。

2016-08-25

コンフリー

今日のお題のコンフリーという名前に記憶があるとすれば、50代以上の年代の方でしょうか。


小学生の頃だったので、1960年代終わりから1970年代初めの頃だったと思います。
我が家の庭に、コンフリーが植えられていました。
母がどこからか聞いて来て、「体にいいらしい」と栽培を始めました。
英語名の植物が植わっていることになんだか誇らしい気持ちになったのでしょうか、この名前はいまだに忘れずに記憶しています。


けっこう大きな葉っぱで、天ぷらにして食べた記憶があります。
青じそがまだ一般的ではなかったので、天ぷらに緑のきれいな色が加わったのは、このコンフリーのおかげでした。
味はあまり記憶にないのですが、苦みはあまりなくくせのない味だったと思います。


庭から取ってきて手軽につかえたことも、母には助かったのでしょう。
当時は、街へ買物に出かけるのも不自由な場所でしたし、野菜もそれほど種類が豊富ではなかった時代でしたから。


いつの間にかコンフリーを見かけなくなったなあと、似たような植物を見るたびに思い出していたのですが、検索して驚きました。


健康被害が生じるおそれがあると、注意が出ていたようです。


「ヤサシイエンゲイ」のコンフリーには以下のように書かれています。

日本には明治時代に入ってきて、観賞用に栽培されていました。葉にビタミンB12タンパク質を多く含み、1970年代には健康食品として扱われていた時期もあります。庭先に植えておき必要なときに採って、天ぷらなどにして食べた方もおられるのではないでしょうか。主に肝機能障害を起こす弱い毒性があることがわかり、現在は摂取を控えるように厚生労働省から通達が出ています。



リンク先の厚生労働省「シンフィツム(いわゆるコンフリー)及びこれを含む食品の取り扱いについてに具体的な健康被害について書かれています。



これが出されたのが2004年ですから、健康被害が注意喚起されるまでには、この植物が社会に広がってから30年余りの長い年月が必要だったようです。


母が「体にいいらしい」と調理していたのは、1970年代の数年ぐらいだったように記憶しています。
我が家ではいつの間にかコンフリーは忘れられていったのですが、産地リレーのように野菜の流通が発達して、年中さまざまな野菜を食べられる時代になったことが理由だったのではないかと思います。


たぶん、「健康被害があった」ことは母も知らないままだろうと。



ところで「ヤサシイエンゲイ」で、コンフリーの名前の由来が書かれていて興味深いですね。

葉は水分をたっぷり含んでおり、すりつぶすと粘りけのあるペースト状になるので、ヨーロッパでは古くからねんざやうちみに効く民間の湿布として利用されていました。コンフリーの名前は「骨を接合する」という意味のコン・フィルマ(con firma)が転訛した言葉とされています。学名のシンフィッツムもギリシア語のシンフォ(接合する、結合する)から来ています。




なるほど、類感呪術のたぐいでしょうか。


まだ庭にコンフリーがある方は、愛らしい花を愛でるにとどめておいたほうがよさそうですね。

2016-08-24

目から鱗 9 <陰謀論>

こちらの記事で紹介した「時代が求める自律した助産師への期待」という論文に対して、助産師に感じる違和感がこの国の助産師教育を担っている人たちには根深くあるのだと思いました。


それと同時に、この論文の中で使われている「GHQ」に、「陰謀論」と言う言葉が浮かんだのでした。


ちょうどこの論文がだされた2009年当時、私はkikulogに出会った頃で、その中で初めて聞いた「陰謀論」と言う言葉に目から鱗のような、そしてちょっとドキリとさせられたのでした。


当時、コメント欄では9.11陰謀論についての議論が続いていました。


アメリカ同時多発テロ事件は、テレビを持たない私がどこでみたのか記憶にないのですが、あの映像をニュースでほぼリアルタイムに見ていました。


まるで現実感が感じられない映像でした。
はっと我に返った時に、真っ先に思ったのが「アメリカ政府の自作自演ではないか」ということだったのです。


でも、しばらくして、被害の全容が明らかになるにつれて、さすがのアメリカでも多数の自国民を巻き添えにするわけはないので、最初に思ったことを自分の中で打ち消したのでした。


なるほど、あれが「陰謀論」の入り口だったのかと、kikulogの議論を読んでヒヤリとしました。


<なぜそう思ってしまったのか>


なぜ私は、9.11アメリカ政府の自作自演と真っ先に思ってしまったのでしょうか。


1980年代の難民キャンプでの活動や、90年代に東南アジアを行き来して、右手で援助、片手で搾取と思いたくなるような状況を見て、詳細な地図まで作ってしまうアメリカの情報力や影響力の大きさに驚いていました。


現地のNGO(民間団体)の活動では、アメリカの影響力についてさまざまな情報が広がっていました。


「開発援助で作られた港には、アメリカ潜水艦用の基地が作られている」
アメリカPeace corpsボランテイア(海外青年協力隊のような組織)はCIAスパイ活動だ」
まあ、これなんかは陰謀論というよりも、非常時には軍事用に使われる規模の国際空港を作っているあたりから、少し現実味はありますね。


びっくりしたのは、「アメリカプランテーションに人工降雨の技術を使っている。だから周辺の地域は干ばつになる」といったもの。
周囲には水量豊かな川がまだまだある地域だったので、それよりは農業用水を整備したほうが簡単そうです。


現地の人たちの情報にも注意が必要かなとブレーキがかかったのですが、やはりこうした地域で暮らしていると不気味な程にアメリカの力が感じられてしまったのだと思います。


東日本大震災のあとに、「アメリカによる人工地震テロ説」があることを知った時には、さすがに馬鹿なんじゃないかと思いましたけれど。


<知ったかぶり>


「馬鹿なんじゃないの」と思った時には、同時に、自分の9.11当時を思い出して恥ずかしいと思いました。


たぶん、世の中わからないことが多い中で、何か結論めいたものを求めたかったのだろうと思います。
人よりはちょっとだけ、東南アジアでのアメリカの影響について実際に知ったあたりから、なんとか背伸びをしていたのだろうと。


まあ、ひと言で言えば知ったかぶりですね。


陰謀論」という言葉は目から鱗でした。
その言葉を、自分自身の失敗に基づいて理解したのでした。