出産の正常と異常について考えたこと 3 <「正常」の変遷>

明治時代に入って助産を担う産婆の教育が始まった時点からどのように妊娠・分娩の「正常」と「異常」が定義されてきたか、そしてどのような変化があったのか、これまで何回か紹介してきた「女性学年報第31号」(日本女性学研修会、2010年)の木村尚子氏の論文「産婆の主張にみる『異常』の提示と権威の志向」に書かれています。


朱子産婆論 1876年>


産婆の教育に初めて使用されたドイツ産科医シュルツの教科書「朱氏産婆論」では、「『順産』すなわち『正規』の分娩とは、産出する胎児の姿勢が頭蓋位置にあるもの」とされていたとのことです。


この場合の「頭蓋位置」とは、ただ児頭が先進する頭位をさしているのではなく「後頭位」すなわち回旋異常もなく進んできた分娩のことのようです。


それ以外は全て異常になるわけですが、16世紀には産婆向けの教科書ができ18世紀には分娩施設が造られて医師・産婆の教育が始まっていたドイツにはるか遅れていた日本の当時は、産科医のいない地域では「子宮注射器の使用や脱出した臍帯・四肢の復帰術、子宮内に産婆の手を挿入して、または産婦の腹壁に触れて胎児の位置を変える内外回転術、胎盤の人工剥離術など」も教えられていたとのこと。


<濱田による「産婆学」 1891年>


朱子産婆学書は「産科医に教えるような内容を産婆に教えている」と批判的だった濱田氏は、「妊娠・分娩・産褥は『自然の妙用にして疾病ではない』」が突如として異変が起こるとした上で、後頭位だけでなくすべての頭位と骨盤位、双胎まで広く「正規」とし、ごく限られた異常を医師が担うという内容です。


濱田氏のほうが「正常」を広くとらえて骨盤位や双胎まで産婆の領域としたところはむしろシュルツ氏よりも産科医に教える内容のように見えるのですが、異常時の産科手術的なことは医師の領域であることを明確にしたかったのでしょうか。


<緒方 「助産婦学講義」 1906年


大阪の緒方病院に助産婦養成所を設立した緒方氏はシュルツ氏と同様に「正規」の範囲は狭いものであるとして、「正規分娩とは所謂人の助けを要せずして天然の力により自ら出産するもの」であり、産婆は「自然分娩を補助するに止まる者」としています。



以上の流れに対して、木村尚子氏は「産婆と産科医の領域区分が産科医の恣意によって決められ、しかもその『異常』が拡大していることがわかる。」と書いています。


確かに濱田氏は頭位のみならず骨盤位や双胎まで産婆に認めさせようとしたのに対し緒方氏は後頭位のみを正規産にするなど、産科医の考えにかなり左右されていた時代であったように読み取れます。
それでも「朱子産婆論」が頭位の中でも後頭位のみを正規としているのは、現代の産科医療からみても理にかなっていると思います。
胎児が骨盤内に下降してくる際に少しでも回旋が悪ければ、適切な医療介入が必要になってきます。


ただし現実的な問題として、ほとんどが自宅で出産し、健康保険もなく医師の診察を受けるお金もない庶民が大半だった時期には、産婆が教科書的な「正規産」の範疇を超えざるをえなかったことはしかたがなかったのだと思います。



現在でも「正常な分娩経過とは後頭位で進んでくるものである」ことに異論のある助産師はいないと思います。
さらに、医学の進歩によってあらたに「異常」が解明されてきたことは出産の正常と異常について考えたこと 1 - ふぃっしゅ in the waterにも書きました。


つまり助産師の扱える「正常な経過の妊娠・分娩」は、今後もさらに範囲が狭くなっていくことでしょう。
このことは、母子の安全を守る周産期医療スタッフの責任として、当然その時代の必要性として受け止めなければならないことだと思います。


「正常なお産」に固執することは、かえって助産師の将来性を狭めるものだと私は考えています。


「終わってみないと正常とはいえない」、このことが一日も早く助産師の常識となる日がきますように。
そんな思いで次回は助産所業務ガイドラインを考えてみたいと思います。




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