完全母乳という言葉を問い直す 2 <「母親の英知」>

こちらの記事で、ダナ・ラファエル氏の「母親の英知  母乳哺育の医療人類学」(医学書院、1991年)を紹介しました。


どのような経緯で、この「いきすぎた母乳哺育への警鐘」を鳴らすための本が書かれたかについて今回紹介したいと思います。


<自身の母乳哺育「失敗」の経験>


人類学者であったラファエル氏は自分の第一子を育てるときに、自身が母乳をあきらめざるを得なかったことを以下のように書いています。

私はインドなどさまざまな国で女性の出産に立ち会ってきた経験から、自分の子どもを生む時はすべてが"自然"であるべきだと考えていたため、当時まだあまり普及していなかった自然出産を望み、それ以上に異端視されていた母乳哺育も当然行うつもりでした。当時の典型的なアメリカ人であった私は、この分野に関しては何も考えたこともなければ、本を読んだこともなく、アメリカで母乳で子どもを育てている人を1人も知りませんでした。
しかし、実際のところ私は他の国の母親がやっていることー母親が常にやってきたことーそれを自分でもやりたいと感じていました。

ラファエル氏自身が育児を行っていた、1950〜1960年代当時のアメリカではミルクによる育児が選択されていました。

授乳以外はすべて予定通りに運びました。でも授乳だけはうまくいきませんでした。子どもは常におなかを空かしていて、彼が泣けば泣くほど私は不安になりました。授乳すればするほど、乳は出ませんでした。

私は赤ちゃんを相手に悪戦苦闘しましたが、結局は諦めることになりました。気分的に落ち込み、怒りと驚きの念を感じつつ、私は哺乳瓶を手にしました。世界中の多くの母親の場合、授乳に失敗するということはもっと深刻な現実を意味します。家庭内にミルクを量産してくれる牛か山羊でもいない限り、その赤ちゃんは死ぬ可能性が高いからです。

<母乳哺育研究センターの設立>


「なぜ私は母乳哺育に失敗したのか」
当時コロンビア大学で人類学を研究していたラファエル氏は、図書館で母乳哺育に関する文献を調べました。

私はあることに非常に感銘を受けました。それは女性が慣例的に母乳哺育を行う文化においては、共通して母親が出産後数週間、長い場合数ヶ月の期間におよんで家族や友人からさまざまな贈り物をもらったり、手の込んだ儀式を行ってもらったりしているという事実でした。(中略)こうした配慮は新しい母親が、授乳期間中は日常的な仕事から開放されて十分な時間を確保できるように、という意味合いを含んでいるのかもしれません。

徐々に私は、授乳が成功するためには、誰かが母親に付き添って支えとなるという行為が大きな意味を持つのではないかと考えるようになりました。


大学の図書館にあった母乳哺育の本の大半が牛に関するものであったことに驚き、母乳哺育をテーマに論文を書くことに意義があると感じたラファエル氏はコロンビア大学の人類学研究室に研究の提案をします。

誰もこれといった興味を示さず、教授たちも困惑していました。
果たして母乳哺育は人類学だろうか?
「もちろんよ」とマーガレット・ミード女史は答えました。

それからようやく10年後、1975年に母乳哺育研究センターを設立しました。


<母乳哺育に関する調査研究>


1976年、ラファエル氏はアメリカ開発援助庁の研究助成金を受けてさまざまな文化圏の土地の人々とともに生活をしなから母乳哺育に関する調査研究を実施しました。

当時、発展途上国で母乳哺育が衰退しつつあり、一方では乳児死亡率上昇の兆しがありました。この2つに因果関係ありと解釈する向きもあり、世界中の研究者や保健行政担当者が母乳哺育に注目していました。
当時、私を含め人々は、母乳哺育は商業ベースで広がってきた粉ミルクに侵害されている。そして母親たちがそれにのって粉ミルクで赤ちゃんを育てると母乳が出なくなる、と考えていました。
そして乳児栄養の現代的方法(人工栄養ー母乳の喪失ー乳児の死亡)という図式を成立させていしまいました。


調査研究の結果、彼女ははしがきでこう書いています。

このような中で行われた私たちの集約的な野外調査は、一般の見方とは異なる事実を明らかにしました。すなわち、大多数の母親たちは依然として母乳で赤ちゃんを育てており、また貧しい社会のほとんどの赤ちゃんたちは、他の食物をあてがわれることはあっても粉ミルクとは無縁に育っていました。
さらに驚くべき発見は、欧米の乳児栄養の専門家たちが、概して発展途上国の女性たち(そして世界中の貧しい女性たち)がどのように乳児を育てているかを知らないということでした。
それらの女性たちの子どもの生存を確保する能力のすばらしさについてほとんど認識を欠いていた、ということの発見です。


この調査がもとになって、この「母親の英知  母乳哺育の医療人類学」がかかれました。


「母子相互作用」「ドゥーラ」など母乳哺育を積極的に支援されてこられた小児科医の小林登氏が監修をしています。
監訳者序で、小林登氏は以下のように書いています。

母乳哺育で重要なのは、"mothering the mother"であり、"doula"の存在であることを、ラファエルさんの本で学び、私はそれを機会あるごとに強調してきた。
本書では、更に母親がそれぞれの地域で自然と文化とかかわりながら行っている子育てのパターンの違いが強調されている。著しく厳しい条件の中では、母乳哺育を平行して微量ではあるが固形食も与えなければこどもは生き残れない事も知っているのである。
とすれば、子育てのやり方は、彼女たちの選択にまかせるのが良いのである。先進国においては、母乳にするか人工乳にするかも含めて、とさえ述べているのである。


人類がどのように子どもを育ててきたか。
この本を読むと、「完全母乳」という言葉が無用などころか、かえって母親たちの足かせを作り出しているように思えてきます。


引用が長くなりますが、しばらく、この本の内容を紹介しながら完全母乳という表現を考えてみようと思います。



<おまけ>


私が助産師になった二十数年前に、「ドゥーラ」という言葉が分娩時に寄り添う人という意味でさかんに使われていた記憶があります。
最近、まだこの言葉を耳にすることが多くなりました。
くれぐれもドゥーラの本質が出産・育児界隈でのおしゃれな文化や商業に染まってしまわないように、と思うこの頃です。




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