「エビと日本人」

村井吉敬氏の訃報を知りました。
「エビと日本人」(岩波新書 20)、「エビと日本人2*」(岩波新書 1108)の著者です。



20年ほど前に、村井さんに出会いました。
まだまだ日本は経済的に豊かな生活を追っていた時代で、地球環境という言葉がごく一部の人で使われた始めた時代でした。


それよりさらにさかのぼること10数年、1970年代から、私たちが食べているものを誰がどのように作っているのかということを地道に調べ始めている人たちがいました。
そして鶴見良行氏の「バナナと日本人 −フィリピンと農園のあいだー」(岩波新書 199)が1982年に出版されました。


食卓にのぼる食べ物を切り口にアジアを考える。
あるいは生産者とつながる。
いまでこそこうした研究方法や書物はめずらしくないのですが、当時はありそうでないものに感じました。


<歩く、見る、議論する>


村井さんの姿勢は、「歩く、見る、議論する」(「エビと日本人」p.10)そのものでした。
そして村井さんのもとに集まるたくさんの人、研究者からごく普通の勤め人まで、その人たちに「自ら調べ」「自ら考える」姿勢が広がっていました。


私たちが何気なく食べているエビですが、養殖池から私たちの口に入るまで流通には14段階あることを、村井氏は「エビと日本人2」で以下のように書いています。

エビの上流と下流(末端消費者)


日雇い労働者(プレマンあるいはクウィンタラン)−池の管理人(ブンデガ)−スーパーバイザー(アネメル)−池主(ブングロラ)−集買人(ゲダン)−工場労働者ー工場長ーパッカー(加工・輸出業者)ー(輸出)−商社・大手水産会社ー荷受(一次問屋)−仲卸(二次問屋)−鮮魚店ースーパー −消費者

「エビと日本人」で村井さんが書きたかったことは、日本人が食べなくても死ぬわけではない贅沢品としてのエビのために、マングローブが伐採され環境や地域社会を変えてしまったことや、そこに働く人たちが地主や商社などに搾取されていることへの批判であったのだと思います。


でも村井さんは結論を急ぐことなく、エビを「獲る人びと」「育てる人びと」「加工する人びと」そして「売る人、食べる人」それぞれのもとに足を運んで話を聞いています。


そして視線はつねに「私たちにとっては、もっとも遠くにいる人々」(「エビと日本人」p.92)に向けられます。


先ほどの流通の14段階でも、次のように書かれています。

養殖池の末端で働く日雇い労働者、池では「末端」かもしれないがエビの流れから言えば、この日雇い労働者こそが最上流で、エビにじかに接する人である。この日雇い労働者から、わたしたち日本の消費者までは気の遠くなるほどの流れがある。
「エビと日本人2」p.179

<感情を抑え、事実を書く>


村井さんは、インドネシアの研究者でした。


1990年ごろまでの東南アジアの多くの国が独裁軍事政権下で、外国人が地方の村に入ることさえ容易ではない時代でした。


現地の人がどんな生活をしているのか知ろうとするだけでも、反政府的な活動に結びつけられてしまうのです。
外国人に接した村人が、「反政府的な動きをした」と見なされて殺害されることはどこでもありました。


「エビと日本人」ではそのような話は触れられず、現地の人たちと会って調べたことが淡々と書かれています。
それがどれだけ村井さん自身にも、あるいは接した現地の人たちにも危険が及ぶ可能性の上であったことでしょうか。


独裁軍事政権下の人権抑圧とそういう状況を利用して広がる経済進出への、静かな怒りがそこにあるような気がします。


村井さんは、正義の人だったと。


声を荒げることなく、問題を単純化することなく、自ら調べて事実を書く。


「エビと日本人」。
この感情を抑えた題名と内容だからこそ、今も必ず書店で目にするほど多くの人に読まれる本となったのだと思います。


<立場の違う人に寛容になる>


私が住んでいた東南アジアのある地域も、まさに日本の食卓のために乱開発が行われていました。それに抗議しようとする地元の人たちは、反政府ゲリラと見なされて殺害されるのは日常茶飯事でした。


そんな時に、村井さん、そして村井さんとともに調査をする人たちと出会いました。


正義心と強い感情から「搾取や人権抑圧をなんとかしなければ」といきり立っている私、しかも研究者でもない素人の私を受け入れてくださったのです。


仲間が集まっても、いつも片隅に座って静かに人の話を聞いていらっしゃいました。
私は鼻っ柱が強く、今思えばわかったつもりになって話をしていたことばかりですが、諌められることもありませんでした。


きっと村井さんは、私が現地で出会った人へまっすぐ視線を向けていらっしゃったからではないかと思います。


ところで、「エビと日本人」には搾取という強い表現があるのは1箇所でした。
村井さんは、搾取や人権抑圧という言葉を使わずに表現されています。
たとえば、次のような感じです。

小作人や孫小作人は、飲まず食わず働く人生を何十回かくりかえさなければクルマは買えないだろう。羨望感ばかりが増す。そして一方に喪失感も生まれてくる。
(p.115)

あるいはエビ加工工場を見学し、若い女性が安い賃金でずっとエビの皮をむいている作業をしている場面では、次のように書いています。

「エビは寒い」という印象を持った。
水虫や神経痛や痔になるのではないだろうか。いくつかの工場を見て、私はそう思った。


最も底辺の人たちに接すると、その感情の揺れはどうしても企業や開発側を否定的に対立的に表現したくなるものですが、村井さんはそこにもさまざまな立場の人の様々な思いがあることを伝えています。


エビの養殖に欠かせないのが、産卵のためにエビの片眼を切断する方法だそうです。
この切断により抱卵しやすい原理を利用して生産量をあげていることについて、技術者の苦悩を書いています。

 しかし、廖さんは、エビの眼を切断するのは問題だという。第一に親エビが弱くなり飼いにくくなる、第二に自然の理に反する、第三に母性愛に反する。
 この話を聞いて、「草蝦之父」と呼ばれる廖博士に急に親しみを感じるようになった。しかし、技術者の苦悩は大ていの場合、商品経済の現実に無視される。
「エビと日本人」p.126


<顔の見える関係を>


村井さんは「エビと日本人」の最後にこう書かれています。

 弁当箱にエビフライが詰められ、お子様ランチにエビのチリソース炒めが添えられ、カップヌードルに乾燥小エビが乗っかる・・・、エビが日本にあふれているかのようだ。だが、そのエビのかなたの第三世界の小漁民たちの姿はあまりにも遠い。バナナも、パームオイルも、コーヒーも、紅茶も、またトビウオの卵も、熱帯木材も、私たちは、それを生産し、伐採し、あるいは加工する人々の顔も暮らしも知らない。
 エビを獲り、育て、加工する第三世界の人びととエビ談義ができるような、生産者と消費者のあいだの、顔のみえるつき合いを求めてゆきたい。私はそのように思っている。

「生産者と消費者」の関係に限らず、自分が相手について「知らないこと」に気づくこと、結論を急がずに地道に調べ考えること。
そして感情を抑えて、事実をみつめること。


そう、これが村井さんから学んだことだったと、改めて思い出しました。
まだまだ、道はほど遠いのですが。


村井さん、本当にありがとうございました。



(*2はローマ数字に変換できないのでそのままにしました)