境界線のあれこれ 34 <乙種看護婦と准看護婦>

看護師の資格が、看護師と准看護師の二つに決められたのは1951(昭和26)年の「保健婦助産婦看護婦法改正案」のようです。


昨日の記事にも書いた私の勤務先の准看護師さんは70歳前後ですから、この准看護婦制度が始って10年ほど後に資格をとったことになります。


それ以前には、甲種看護婦と乙種看護婦があったようです。


乙種看護婦と准看護婦は何が異なり、当時はどのような時代背景があったのでしょうか。


ネット上で「占領期における看護制度改革の成果と限界 −保健婦助産婦看護不法の制定過程を通してー」平岡恵子氏、呉大学看護学部)が公開されていました。


その論文を参考にしながら、考えてみようと思います。


GHQによる看護制度改革>


上記論文の「看護制度改革の準備期」(p.13)に、1945年から46年にかけてGHQ看護課のスタッフが日本の看護の実態調査をした様子が書かれています。

彼らが見た日本の看護の実態とは、看護婦は医師の診療の補助をしながら、実務を離れても下働きをし、肝心の患者は付き添っている家族が世話をしており、それは彼らが考える看護とはほど遠いものだった。

そこでGHQは、「看護婦の資質を向上させるため、看護学校の入学資格を引き上げることと、保健婦助産婦、看護婦をまとめて一つの職種」にして当時のアメリカのような医療システムにすることを目指します。

当時の米国の看護職は、専門看護婦(Professional Nurse)と実務看護婦(Practical Nurse)、そして看護助手(Nurse's Aid)で構成されており、それぞれの資格によって業務が区分されていた。(p.14)

GHQの看護婦たちは、「看護婦の学歴をできれば短期大学卒業レベルに、すくなくとも高等学校卒業レベルにして、看護婦の養成が間に合わないところは看護助手をチームに組み込むことで補えばよいと考えていた」(p.16)ようです。


そして1948(昭和23)年に制定された保健婦助産婦看護婦法案では、甲種看護婦として「高校卒業後に3年制の看護学校を卒業し国家試験に合格したもの」と定められ、現在までその業務として「傷病者もしくは褥婦に対する療養上の世話または診療の補助をなす」ことが決められました。


そしてGHQの看護婦たちは、この看護助手に相当する資格として乙種看護婦を考えていたようです。(p.16)


<乙種看護婦とは何か>


1948年に制定された法律では、乙種看護婦は以下のように書かれています。

乙種看護婦は甲種看護婦とは異なり、「急性かつ重症の傷病者または褥婦に対する療養上の世話」をしてはならない。また乙種看護婦は、医師、歯科医師、または甲種看護婦の指示のもとに業務を行わなければならない。

看護婦という名称であっても、その業務の「療養上の世話」と「診療の補助」という2つの柱のうち「療養上の世話」をしてはならないという禁止条項があります。


ところがわずか3年ほどでこの甲種・乙種看護婦制度は廃止され、1951年に制定された准看護婦の資格では上記の禁止事項がなくなり、法律上は看護師と准看護師の業務には違いがなくなっています。


<女性の高学歴化は一気には進まない>


なぜわずか3年で、GHQの描いていた資格制度が廃止になったのでしょうか?


冒頭の論文の15ページに、その理想と現実の差があまりに大きかったことが書かれています。

看護学校の入学資格を女学校卒にした場合、どれだけの卒業生が看護学校に入学するだろうか。当時の高校進学率は45%前後で、現在の半分以下である。看護職が一本化され、高卒者のみが看護婦になれる制度では必要数を確保できず、看護婦不足が起こるのは必定である。

中学卒で看護職になっても、「急性あるいは重症の傷病者や褥婦の世話をしてはならない」という業務制限つきの看護助手的な資格に限定してしまっては、当時の日本の医療はなりたなかったことでしょう。


女性がまだ高等教育を受ける機会が少なかったことに加えて、もうひとつ准看護婦制度を生み出した背景が書かれています。

准看護婦制度を設ける理由になったのは、当時、蔓延していた結核である。結核を予防するためには、看護婦の数を増やし、看護力を増強させる必要があるから、看護婦を助け看護の総力を構成するものとして准看護婦が必要であると意味づけされた。さらに、結核は重傷者が多いことから、結核患者の看護に携わる資格ということで、准看護婦には乙種看護婦のような業務制限はない。(p.20)

私の勤務先の准看護師さんも、あと20年遅く生まれていたら違う資格を取得していたのかもしれません。
あるいは私もあと20年早く生まれていたら、中学卒業時と同時に働くことを考える必要があったのだと思います。


資格の差は厳然としてあるけれど、それを身分の差と考えてはいけないのだとあらためて思います。





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