境界線のあれこれ 58 <合理性と不合理性>

霊感がある母は因縁やらたたりを信じたり、民間療法にもはまり込む、一見、不合理な思考と行動が多い反面、データーを記録するのが好きという合理性もありました。


私が子どもの頃から母は、家計簿をきちんと毎日つけていた記憶があります。


それはずっと70代後半になるまで続き、さらに毎月の電気・水道代などの記録やさまざまな書類がきれいにファイルされて保存されていました。


その背中を見て育ったせいか、私も家計簿ソフトで金銭管理をしてますし、30年ほど給与明細や伝票類を、毎年一冊のノートに貼って保存していました。
最近思うところがあって、そろそろ身辺整理をしようと一部は破棄しましたが、「あの頃はこんな価格だったのか」と記憶が呼び起こされるものでした。


犬養道子さんが「日記はモノローグにならないほうがよい」と、感情を書き綴るのではなく事実を記録していくことの大事さを書かれていたことにも通じるのではないかと思います。


20年ぐらい前からは、自宅で測定した血圧を毎日自分で作ったノートに記録し始めていたようです。
数年前に心臓の手術をする時に見せてくれたノートには、毎日の気温・湿度から体重、血圧、脈拍がきれいに記録されていました。
受診すると、どこでも医師から褒められるそうです。


数年前に介護老人ホームに入所してからは、さらに母の「記録魔」の度合いがアップしました。


配られる献立表に、何をどれくらい食べたか摂食量まで記入して保存してあります。
いやはや、看護職の私も顔負けの記録です。


ただ、それは「もう少し体重を減らしなさいとお医者さんがうるさいのよ。だからちゃんと食べ過ぎていないことを記録しているの」という動機らしいですが。


母の記録に「気温・湿度」のデーターが増えたのは、おそらく父とまだ自宅で過ごしていた頃に、父が熱中症で救急搬送されたことがきっかけではないかと思います。


認知症と高齢の両方が影響したのだと思いますが、真夏でも暑さの感覚がにぶり、閉め切った部屋で汗びっしょりになりながら布団をかぶって寝ていたことで熱中症になったようです。
それ以降、エアコンを寝室に設置し、温度計・湿度計を各部屋において毎日チェックしていたようです。


たしかに、「体感」を客観化することは大事だと、実家に戻って温度・湿度計を見るたびに納得しました。


そして今、我が家にも温度・湿度計があちこちに置かれています。



高齢者の中でもここまでデーターに基づく合理的な生活をしている人は少ないのではないかという気もしますが、母の中のあの不合理と合理の境界線はどうなっているのだろうと不思議です。





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