運転技術と身体の反応速度

数年前に半身麻痺になる直前まで、母は70代後半でも運転をしていました。
車がなければ高齢者の生活が成り立たない地域でもありましたが、<母の運転免許>にも書いたように、車で自由に移動する手段を得たこの時期が母の人生の中で最も充実していたように見えました。


父が認知症になってからは、それまであまり両親のところへは帰らなかった私も、月に一度ぐらい様子を見るために行くようになりました。


最初の頃はただ聞いて欲しい母の話につき合っていたのですが、だんだんと聞き役にこちらも疲れてしまい、実家で3人でじっと家の中にいることがとても苦痛に感じるようになってしまいました。わずか数時間なのですが。


「そうだ旅(どっか)に行こう」(テレビ東京)ではないのですが、「そうだ!ドライブに連れ出そう」と思いつきました。
・・・といっても運転できるのは母だけですから、私は連れて行ってもらう側なのですが。


最初は近場の花の名所などに行きました。
次第に母も以前行ったことがあるところへ遠出するようになりました。
事前に連絡すると、「次は○○へ行くからね」とすでに予定が立てられていました。
食事とガソリン代は私が出して、月に一度のドライブは、母が心臓を患うまで3年ほど続きました。


標高の高い地域でヘアピンカーブの続くような山道も多かったり、雪の悪天候の日もありましたが、母は70代とは思えないほど安全運転でした。
踏切では車の窓を開け左右を確認するなど、教習所では習ったけれど免許をとったらそれっきりしないようなことまで、基本通りに遵守していました。


父は助手席に乗り、私は後部座席に座って母の運転を見ていたのですが、時々母が「全く危ないわね」と、相手の運転のことを批判めいて言うことがありました。


確かに「無謀」というような横入りなどもあるのですが、母のいう「危ない」という状況はほとんどが私からみれば「(あらそうかしら)?」という印象でした。


確かに母の運転は慎重で安全運転だったのですが、おそらくその慎重さゆえに反応速度が遅くなり、相手側の車の動きとのタイミングが合わなくなっていたのではないかと思います。
たとえば信号待ちからの発進など、おそらく0.何秒の差なのだと思いますが、母の反応がゆっくりに感じました。
 

あるいは左右を確認する際の首の動きが微妙にゆっくりですし、動体視力も落ちているでしょうから、総じて反応が遅くなるのが高齢者の運転なのだと思います。


それは中高年者が「あおられて怖かった」「危険な泳ぎをしないでほしい」と感じる<さらに境界線が増えていく>で書いたプールの状況と似ています。


高齢になっていくにつれ「危ないわね」「ヒヤリとさせないでね」と言いたくなるのは、相手側の危険行為に対する警告というよりも、自身の身体能力や反応速度の衰えを直視しないための反応という意味もあるのかもしれません。