食べるということ 4 <自分の中の変なこだわり>

自分の中でどうしてそういう行動になるのだろうと、未だにどうしても解せない部分があります。


これまでもブログの中でいろいろと食べ物の話を書いてきたように、東南アジアやアフリカの辺境の村に寝泊まりしてその家族と同じ食事を食べたり、市場の中の食堂で食べることは全然平気です。


ところが、たとえば同僚や隣りの家の人が「これ作ったから食べて」と持って来てくださったものは、どうも手が出ないのです。


こういう傾向は小さい頃からありました。
子どもの頃は、母が作ったもの以外は食べられませんでした。食堂や給食は大丈夫なのに、「○○ちゃんのお母さんが作った」とかはダメなのです。


「他人が作ったから食べられない」とか「手作りだから食べられない」わけでもないのです。
東南アジアでホームステイさせてもらった時のように家族の一員のようにして暮らしていれば全然平気なのですが、この「境界線」はどこにあるのだろうと自分でも未だに理解できずにいます。


それでの失敗もありました。
助産師として働き始めた頃、70代の大先輩の助産師さんがいて、夜勤の時におかずを持ってこられたのです。「どうぞ、食べて」と。
どうしても食べられなくて固辞していたら、怒らせてしまいました。
「年寄りが作ったものだから食べられないのでしょ!」と。
いえ、違うのですが・・・。


そんな私のかたくなさを変えてくれたのは、持ち寄りの料理でパーティーをする機会が増えたこともあるかもしれません。
少しずつ「人が作った」料理を食べるようになりました。


まあ今でも、そういう持ち寄りパーティーなどには積極的ではありませんが。


あと、学校の給食はそれなりに食べられていたのですが、30代ごろからは病院の職員食堂では食べられなくなりました。
いつもお弁当持参でした。
病院の食事も選択できるようになったりカフェテリアのような職員食堂になったり、とても進化していたのですけれど。
これも何故だったのか、自分ではよくわからないのです。


病院の食事が苦手なら、自分が入院したり将来施設に入るのは無理かなと、本気で心配しました。
ところが、これに関しては最近は平気になってきたので、老後の心配をしなくてよくなりました。
この気持ちの変化もなぜだかよくわかりません。


子どもの頃、母の作ったもの以外は食べれなかった理由のひとつかなと思う記憶があります。
こちらの記事で書いたように、私がまだ3歳ごろだったのではないかと思うのですが、当時、兄弟が入退院を繰り返していて母が病院に泊まり込むことがありました。
そういうときに私は祖母の家に預けられるのですが、祖母と叔母が私の大好物を準備してくれたのに泣き叫んで一切口にしなかった光景が記憶に鮮明にあるのですが、そのあたりにひとつの鍵があるのかなと。


でもその後の、食堂や売っている料理は食べられるのに近所の人の料理は食べられない、その気持ちについてはわからないままです。


気持ちってほんとうにやっかいですね。
「食べる」についての気持ちも、いろいろな思いがあることでしょう。




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