赤ちゃんに優しいとは 12 <大人の方便>

30年ほど前、何かの本で「colic pain」という考え方があることを読みました。
うろ覚えですが、「夜泣きなど乳児の泣き止まないことに対して、欧米ではcolic pain(腸の動きによる痛み)があると考えられている」というような内容でした。


日本の小児科関連の本では読んだこともないし、聞いたこともない話でした。
でも激しく啼く新生児を前に、「もしかしたら腸蠕動が理由かもしれない」とヒントにはなりました。
ただ日々新生児をみていくうちに、生後2〜3日を境に激しい啼き方は減っていくことが多いですし、再び、生後2〜3ヶ月の夕方に多いらしいいわゆる「黄昏れ泣き」とか、生後数ヶ月ぐらいの夜泣きと呼ばれる激しい啼き方の時期があるとすれば、「腸蠕動の痛み」ひとつで説明できることはない、複雑な赤ちゃんなりの理由があるのだろうなと思っています。


その後も、このcolic painという言葉が気になり続けていたのですが、日本ではほとんど目にすることがないので、医学的な用語にはならない何かなのかもしれません。


そのcolic painがまさかの話題になるとはと、その流れを見ていました。
イタリアでは夜泣きはcolic painが理由とされて、おならを出やすくさせるチューブを入れるというような話でした。
これは医療行為に匹敵するチューブの挿入ですから、小児科の先生方が警告を発してくださったのは大事だと思います。
そしてその後の情報では、「イタリア」といっても限定的で、医学的な議論を経た話ではなさそうな印象です。


初めての出産の時には、ご両親に新生児を抱っこしてもらおうとすると、「怖い」といって手に汗をかきながらこわごわと抱っこされますし、しばらくは抱っこや授乳でさえ怖くてぎこちない方々がほとんどです。
ところが、数ヶ月ぐらいするとわが子の肛門にチューブを入れることも「良い情報」と捉える方が出てくるその変化はどこから出てくるのだろうと、あの臍帯切断をしたいと思われる方が出てくることに感じた違和感に似たものを感じる話題でした。


<「大人の方便」かもしれない>


それだけ、赤ちゃんの啼き方というのは、月齢に関係なく激しく泣く期間が続き、周囲の大人を疲弊させるものではあると思います。
だから「これが効く」というものを求めたくなるのは理解できます。


あるいは「赤ちゃんとはそういうもの」というものという言い方にも通じるのですが、大人が自分自身に言って欲しい理由付けのような、いわば「大人の方便」(よりどころ、たより)が世の中にはたくさんあるのではないかと思います。


たとえば、出生後2〜3日目まで激しく啼くことは、ほとんどが胎便から乳便への変化や腸蠕動のタイミングで説明がつくのではないかということはこちらの記事に書きました。


ところが、面会にいらっしゃった方から「赤ちゃんが泣くのは仕事だから」「赤ちゃんは泣いて肺を鍛えるから」という言葉を聞くことがけっこうあります。


そういうひと言で慰められるのは大人側だけで、赤ちゃんにとっては何かその子なりに理由があり、すぐに泣き止ますことはできなくても「何を伝えたいのか」を観察し、考え、対応することは大人側に求められているのではないかと思います。


助産師として新卒の頃、今のように新生児の啼き声を聞き分けることができなかった私も、どこからか知ったこの「赤ちゃんは泣くのは肺を鍛えるためだから」という方便のために、激しく啼いていた赤ちゃんが突然亡くなるという失敗を負うことになりました。


大人の方便というものは、往々にして世の中にすぐに広がり、そして時代を越えて残り続けてしまうのかもしれません。
その間に、どんなに赤ちゃんが「それを求めているわけではない」と泣き叫んだとしても。




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