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ふぃっしゅ in the water

2018-08-29

ケアとは何か  25 <観察と神秘>

1970年代終わり頃に看護学生だった頃、授業でナイチンゲールの「看護覚え書」(現代社)を読みました。


70年代から80年代というのは急激に医療が進歩した時代で、それまで原因も治療法もわからなかった疾患が次々と明らかにされた時代でした。
医療機器や医療技術の進歩と社会の制度を整えることで、それまでは運がよければ、体力があればなんとか助かったというレベルだった、救命救急の分野が格段に進歩した時代でした。


まさに現代医療黎明期のような時期でしたから、当時の私が思い描く将来の看護師像も、最新の医療技術にバリバリと対応して働く姿で、看護師について法で定められている「療養上の世話」と「診療の介助」ですが、「診療の補助」に比重に比重が移っていくイメージでした。
ですから、「看護覚え書」の目次にある「換気と保温」「物音」「変化」「食事」「ベッドと寝具類」「部屋と壁の清潔」」「からだの清潔」「病人の観察」」といった表現が少々古臭く感じられて、当時は古典を読んでいる気分でした。


10年ほど前に助産師の中にひろがるホメオパシーに驚いてニセ科学の議論に行き着いた時に、期せずしてナイチンゲールの名前を再び聞くことになりました。


<人間を観察する>


「看護覚え書」の中にナイチンゲールがホメオパシーについて書いていたことを、初めて知ったのでした。
引用部分を再掲します。

ホメオパシー療法は素人女性の素人療法に根本的な改善をもたらした。というのは、その用薬法はまことによくできており、かつその効果には比較的害が少ないからである。



現代の知識なら、「これはプラセボ」と知っている人はたくさんいらっしゃることでしょう。
ところが、瘴気説が跋扈し、病原菌もわからなかった時代に、「それは気休め」と言えるのは、人間を観察し人間社会の事象にひそむ法則性をすくいあげて一般化 するというまさに科学的な視点が貫かれていることに、今更ながら驚きます。


そして「看護については『神秘』などはまったく存在しない」と以下のように言い切ったのが、19世紀であったことを考えると、現代でも古さを感じさせない、むしろ今もなお先駆的な考え方であることを痛感させられます。

良い看護というものは、あらゆる病気に共通するこまごまとしたこと、および一人ひとりの病人に固有のこまごまとしたことを観察すること、ただこれだけで成り立っているのである。




「こまごまとしたこと観察すること」
これがいかに難しく、永遠のテーマに近いかをひしひしと感じるこの頃です。
私もあと数年ぐらいで臨床からは引退すると思いますが、一生かけても到達できない仕事だという思いが強くなっています。




「ケアとは何か」まとめはこちら

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