散歩をする   92 <三田用水>

三浦半島へ行くときに京急線品川駅のホームで電車を待つ間、目の前に坂道があることに気づきました。
以前、品川駅をよく利用していたのですが、駅のそばにこんなに高低差があることに気づいていなかったことに愕然としました。
ああ、ここが以前の海岸線だったのだろうとピンときました。
「体感!東京凹凸地図」で確認すると、私が見た坂道は八ツ山と御殿山のあいだの道のようです。


あの高低差を歩いてみたい。
そこから、白金台付近の散歩のコースが決まったのですが、それが今日のタイトルとなんの関係があるのかわかる方は相当な用水路フェチかもしれませんね。
品川駅前の高低差を見て、「あの上の尾根の部分に三田用水が通っていたのだ」と実感したのでした。


「水系と3Dイラストでたどる東京地形散歩」では三田用水の下流域について以下のように書かれています。

地盤の高い場所を探して曲がりくねる水路


三田用水とは、下北沢(世田谷区)で玉川上水から分水し、目黒区三田を経て現在の高輪台交差点付近まで流れていた用水路である。もともと江戸時代前期に三田用水として建設されたが、享保7年(1722)に青山上水などとともに廃止され、以降は農業用水となった。


上流部分は東大駒場キャンパスの裏手を通り、山手通りから旧山手通りに沿って流れ、代官山あたりから目黒川河岸段丘の上を通っていたようです。
以前、ブラタモリで目黒にある防衛庁の艦船の研究所に大きな水槽があることを放送していましたが、当時はまだあまり江戸の用水を知らなかったので、てっきりあの水は目黒川からかと思っていました。
そのあと目黒川から恵比寿にかけて散歩をしたときに、三田用水の水道橋の説明板を見つけました。それでこの辺りの軍事施設やビール工場などがあった理由が三田用水だったと、あとになってつながったのでした。


80年代までは恵比寿といえばエビスビールの広い工場があって、鉄道の引き込み線が工場に入っているのを山手線から見ていました。
その跡地が再開発でビヤガーデンになったのが80年代終わり頃でした。
三田用水なしには、あのエビスビールもなかったのでしょうね。


<三田用水下流部を歩く>


さて、「東京地形散歩」では、高輪台駅あたりで尾根伝いに泉岳寺方面へと三田用水が描かれているのですが、「三田用水を歩く」というサイトでは、高輪台駅付近から二手に別れて、品川駅方向へと分水されていたような地図があります。
それをたどってみようと思ったのでした。


品川プリンスホテル横の道はすぐに上り坂になります。結構な勾配で、途中は下を向いた方がよいくらいでした。坂を登ると、道が急に右手に曲がります。そして最初の角を左手に行くとまた上り坂になります。
なんとなく勘を頼りに、高輪台駅がある桜田通りまで歩きました。
尾根になっている場所を道なりに歩いたらたどり着いたのですが、後で地図で確認すると、三田用水が暗渠になった部分はもう少し交差点よりの道だったようです。


高輪台駅のある交差点は、本では「三田用水入り口」と書かれていたのですが、実際にその場に立ってみると理解できました。泉岳寺方面へと下り坂になっています。
そして「白金台2丁目」の細い路地を道なりに歩いて行くと今里地蔵があります。
その近くに三田用水水路跡があるのですが、その白金台2丁目は高台のへりにある街であることが歩くとわかりました。
「白金台」ですが、都内のどこでもあるような昭和に建てられた小さな住宅が密集しています。
水がある安定した場所に、集落ができていったのでしょうか。


こうして地形の高低差を利用して、江戸時代に水路が造られたことをこの目で確認して満足の散歩でした。


帰り道はどうしようかなと地図を眺めていると、水の神様を発見。白金氷川神社があるようです。
八芳園の前の道を行くと、途中から急な下り坂になるその一角の高台に水の神様がありました。
渋谷川河岸段丘でしょうか。


氷川神社の前の白金3丁目には昔ながらの商店街と住宅があって、高齢者だけでなく子どもの声もたくさんしていました。


明治通りに出て渋谷川沿いを歩き、疲れたので途中からバスに乗って帰宅しました。


「水」をヒントに街を歩くことで、違った風景が見えてくるようです。




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