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ふぃっしゅ in the water

2018-11-29

散歩をする   96 <岡山平野を歩く>

私が大好きだった祖父の田んぼ周辺の風景は干拓によってできたものであったことを知った昨年から、いつかは倉敷干拓の歴史の跡を歩いてみようと思い始めていました。
祖父、曽祖父がなぜあの地域で米を作り始めたのか、手がかりになる資料を探していました。


ところが今年7月には50年に一度の水害が起きてしまいました。1ヶ月もすると関東では伝わるニュースも少なくなる中、毎日のように倉敷周辺の地図を眺めて思いを馳せています。
私が子どもの頃から見ていた祖父の田んぼの風景は干拓地の風景であり、倉敷にはその風景とは違う地域があることをはからずも今回の水害で知りました。


関東にも、倉敷と同じような用水路が縦横無尽に走っている場所が地図にありました。
用水路をたどっていくと、広い関東平野の水田を潤すために見沼代用水や武蔵水路が作られたことを知りました。何世紀もかけて川を付け替えながら用水路を作り、水害や水不足と戦ってきた歴史が、地図の青い線で描かれているのですね。
また、沼などがあって作物を作るのには不適だった場所を、干拓という方法で水田や農地へと作り変えてきた地域にも、用水路の青い線がたくさん描かれています。


地図から惹きつけられるように出かけてみたのが、印旛沼でした。
訪れてみて、倉敷に似ている風景だと思いました。
昔は香取湾と呼ばれていた海に土砂が堆積してできた印旛沼なので、周囲にある「山」は「島」であったことがにていると感じた理由なのかもしれません。


印旛沼を訪れたことで背中を押され、その3週間後には倉敷へと出発しました。


<1泊2日の計画を立てる>


いつもの散歩ならほとんど行き当たりばったりですが、さすがに小旅行ですからそういうわけにもいきません。


干拓地倉敷市から岡山市あたりまで広範囲です。地図をみても、あちこちに干拓痕跡と思うような用水路や川の流れがあって、どこから歩き始めたらよいか悩みました。
干拓についての資料はボチボチと検索できたのですが、なかなか全体像がわかるような資料までは行き着きませんでした。
とりあえず、関係がありそうなところを歩いてみようと地図を眺めていました。



Mac地図をびよ〜んと拡大したり縮小したりしているうちに、ふとクリックしたバス停からバス路線を見つけました。
なんと岡山駅から、児島湾締切堤防の上を通って宇野港方面へと行く路線バスがあるようです。
児島湾干拓地をまず見てみようと、スタートが決まりました。
そこから宇野港へ出て宇野線に乗り換え、彦崎駅から明治時代干拓の跡を訪ねる。


バスや列車の本数が少ないので、とりあえず大まかに詰め込みすぎない計画にしました。


2日目は、倉敷周辺の干拓地の大事な水源である高梁川に沿って伯備線総社まで行き、そこから江戸時代あたりからの干拓が行われた地域を吉備線桃太郎線)に乗って岡山まで見てまわることにしました。
ここは行き当たりばったりで、途中下車でもいいかなぐらいの予定です。


これで、岡山平野の「地質学的には高梁川旭川、吉井川などの河川によって形成された沖積平野と新田開発による干拓地」を網羅して見てまわることができそうです。
期せずして、戦後すぐの干拓地明治から昭和初期の干拓地そして江戸時代干拓地と時代を遡るような順番で訪れる計画ができました。


まあやはりおおざっぱな計画で出発したのですが、直前にふと地図で見つけて訪ねた場所を帰宅してから検索し直したら、思いもよらないほど倉敷干拓で重要な場所であることを見つけました。
穴があくほど地図を見るのが好きなのも、水が好きなのもそして行き当たりばったりのようで散歩をし続けたのも、おじいちゃんの田んぼの歴史にたどり着くための予行演習だったのかもしれないと、歴史のヒントを見つける感覚が発達してきているのを感じたのでした。



ということで、しばらく倉敷の話が続きます。




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