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ふぃっしゅ in the water

2018-11-03

記憶についてのあれこれ 133 <「安静時間」がなくなり、面会時間が長くなった>

面会についていろいろと考えるこの頃ですが、頼みの綱のWikipediaにも面会についてのまとめは無いようです。
コトバンクでも、「人と会うこと」の意味だけでした。


病院や介護施設などへの面会の機会が以前に比べて増えて、身近な言葉になったと思うのですが、案外と表現は少ないようですね。


私が看護学生で初めて病院実習に行き、同じ病院に就職して数年間働いたのが1970年代終わりから80年代半ばまでですが、当時、その病院の面会時間は午後3時から7時まででした。日・祝日も同じだったと思います。
今、思うととても短くて面会に来る方も大変だったと思いますが、誰が面会に来ていたのか、ちょっとそのあたりの記憶は曖昧になっています。


面会時間が短かった理由ははっきりと覚えています。
午後1時から3時までの2時間は「安静時間」で、看護スタッフさえ訪室しないことになっていました。
検査や処置、ケアはそれまでの時間に終わらせて、処置の多い手術直後などの患者さん以外は睡眠をとれるように配慮したものでした。
お昼ご飯の後は眠くなるので、患者さんたちもよく眠れていたのかもしれません。


どの病院でも「安静時間」があることが当たり前と思っていたのですが、他の病院へ行った時に、とても珍しいことだったことを知りました。
医療処置も急激に増えた80年代後半からは、看護業務も増えたこともあると思います。
優先順位を考えながら時間内に決められた処置をすませるためには、訪室時間もバラバラで、患者さんが少し眠りに入っても、「起こしてごめんなさい」と処置をせざる終えないのでした。


80年代、90年代前半ぐらいまでの病院はまだ古い建物が多く、大部屋がほとんどで、ベッド間もせまい構造でしたし、現在のような各病棟に面会ホールはありませんでしたから、面会の人はベッドのすぐそばで小さな椅子に座っての面会でした。
ベッドサイドもせまいので、面会の人が2人になると隣の患者さんの椅子を借りて、3人になると椅子を借りてもベッドの足元からはみ出た場所に座る感じです。
カーテン一枚で仕切られているだけなので、小さな声で話しても会話が筒抜けでした。


面会に来ても、長居をする環境ではなく、早々に帰られていたのかもしれません。


また、当時は病院の食事は「治療のための食事」として給食が始まって20年ほどの時期で、患者さんの生活の質よりは厨房スタッフの終業時間が遅くならないことが優先されていたのだと思いますが、夕食時間も午後5時ごろの配膳でした。
面会といった患者さんの都合ではなく、配膳されたら時間内に食べて下膳してくださいという雰囲気も強かったように記憶しています。


<面会時間の長さが変化した>


ざっと検索すると、今でも平日の面会時間が午後3時からという施設も結構あるようです。
それ以外は、午後1時とか午後2時からの面会時間の開始のようです。
土・日・祝日は午前11時からという施設がほとんどの印象です。
そして面会の終了時間は午後8時ごろが一般的のようでした。


面会する側と看護スタッフ側では、面会時間についての「気持ち」の差はいろいろとあるかもしれませんね。
看護スタッフ側にすると、検査・処置・ケアが午前中に終わることはなかなかないので、面会時間が午後3時からの方が助かると思う人は多いのではないかと想像しています。
産科施設だと産後日数によって沐浴実習やら調乳説明やら退院後のお話などがあるので、それらのケアは平日・土日に関係なくありますから、11時からの面会の日は面会時間まで配慮して、2時間ぐらいで業務をすべてこなしていかなければいけないのでちょっと大変な日もあります。
他の科の病棟ではどうでしょうか。


ただ、私自身が面会する側だと、面会時間が長くて私自身の都合に合わせられるととても助かりましたから、面会する側にとっては午後3時からというのは遅い時間と感じるかもしれませんね。


面会終了時間が午後8時ごろまで長くなったのも、時代の変化なのだろうと思います。
ふだんは夜中に帰宅するというお父さんたちがなんとか仕事を切り上げて、8時前に駆け込んで来るのをみると、ちょっとだけ戸締りを遅くして融通をきかせるようにしています。
もっと、早くみんなが帰宅できるゆっくりした時代になるといいですけれどね。


<面会の質が変化した>



以前は狭いベッドサイドで、かしこまって面会していた風景が変化し始めたのはいつ頃からでしょうか。
病棟に面会用ホールができた頃でしょうか。


一度に数人以上で面会にいらっしゃることが珍しくなくなりました。
大部屋でも数人がベッドに腰かけたり、賑やかにしています。
あるいは、数人以上の面会の人とホールで1時間も2時間もお話していることもあります。もしかしたら「そろそろ帰って欲しい。休みたい」と思っているのではないかと、ハラハラしながら声をかけるタイミングを待っています。


面会にいらしたパートナーがベッドで爆睡し、産後のお母さんが椅子に座っていることもあります。
「(あ〜、産後は傷も痛いし身体中ボロボロだし、夜は授乳で疲れているのに)」と思うのですが、以前ほどは注意しなくなりました。それぞれに事情がありそうですからね。
配膳されても、面会の人が席を外さないので食べられずにいることもあります。
やんわりと「せっかくだから温かいうちに食べてね」と声をかけても、面会の人たちは意に介さないようです。家族ならまだしも、気を使う間柄であれば、目の前で一人で食べられないと思うのですけれど。


面会時間の変化は、入院生活の質にどのような変化をもたらしているのでしょう。
気になるのですが、案外と観察もされてこなかったのかもしれません。


まあ、「病院への面会」も、国民皆保険で入院治療が身近になったここ半世紀ほどの歴史ですからね。



「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら
面会についての記事のまとめをこちらに作りました。

2018-10-29

代替療法とは何か  6 <柔道整復術と医療類似行為>

先日の夕方、とあることで皮膚科を受診しました。
受付から診察まで2時間待ちの混み方で、その大半が子どもたちでした。
看護師さんが症状を確認しているのを聞いていると、顔に小さなぶつぶつができたとか、虫刺されで掻いたあとが少し化膿しているといった内容でした。


「(え〜私の子どもの頃は、そんなことでは受診しなかったのに。家にある薬を適当につけていたなあ)」と、つい思ってしまったのですが、むしろわずか半世紀ほどの間に、より正確な診断と治療が生活の中で身近になったことの証だと思いなおしました。
まあ、妊娠の診断も私が助産師になった80年代終わり頃から10年ほどはまだ、「生理が来ない」「つわりのような感じ」などで初めて受診していた時代でした。今は4週台には妊娠判定薬でわかり、早く受診することで子宮外妊娠を始め異常を早期に発見できるようになりましたからね。
きっと、親御さんたちも早めに適切な治療を受けさせることの大切さが浸透したということなのだと思います。


それと1960年代はまだ国民皆保険が始まったばかりだったので、こちらの記事で引用したように、1955(昭和30)年からの10年間で民間病院が充実し始めた時期でした。
私が住んでいた山間部では、診療所が一つしかありませんでした。大人から子どもまで、どのような病気や怪我でも、今のように専門がはっきり別れていたのではなかったので、まずはそこを受診するのでした。


ただ、その診療所の記憶がなぜあるかというと、「滅多に連れていってもらえなかった」記憶が一緒に思い出されるのです。
私は左右を比べると片方が少し短い指があるのですが、子どもの頃に骨折をした指です。
細かいことは思い出せないのですが、おそらく血腫もできていたのでしょう、しばらく赤黒く腫れ上がっていました。母が連れていったのは、接骨院でした。子どもの頃の記憶なので曖昧ですが、今思えば、発症直後だったのに指をグイグイとマッサージして伸ばし、固定されました。患部を温める「治療」のためにしばらく通ったのでした。
子どもの時ですから「整形外科」は身近な言葉でもなく、骨を痛めたら病院ではなく接骨院に行くものだと思っていました。


私とニセ科学的なものについてのあれこれでも書きましたが、母はまずは民間療法的なものを選択していました。
ただ、自身や兄弟が手術まで必要な状況になれば受け入れていましたし、「自然派」というわけでもなかったのだろうと思います。行きつ戻りつ考えているうちに、代替療法から近代医療への「日本の1940年代から60年代は同じような状況だった」に書いたように、医療医療類似行為が少しずつ線引きされた時代だったゆえに、母も必要に応じて医療医療類似行為を選択していたところもあったのかもしれません。


柔道整復術医療類似行為>


長いこと、あまりその接骨院のことは思い出さなかったのですが、10年ほど前にkikulogと出会った時に、コメント欄のやり取りで「あはき法」「柔道整復師」という言葉から医業類似行為を知りました。
医療従事者でありながら、なぜこの医療類似行為という言葉を知らずに来たのかずっと引っかかっていました。


もちろん、「鍼灸師」「柔道整復師」という資格があるのは知っていましたが、私自身が働く医療の現場ではほとんど接点がありませんでした。


この「法廷の行為以外の民間療法を含む概念」の歴史を紐解いて行くと、なぜ代替療法とか補完療法といった言葉が根強く残っているのか大事なヒントになるのかもしれません。


あらためて柔道整復術を読むと、資格として認められてまだそれほど年月が経っていないことが予想外でした。


明治維新後の西洋万能の風潮の中、1881年明治14年)の漢方医学廃止によってそれまでの接骨術が顧みられなくなった。公認運動に際して、柔道家または柔術家の職業として「接骨院」の公認希望が多かった。しかし、接骨の業務に関して、明治期の文明開化によって、接骨は、内務省令で禁止になっていたから、接骨の名称は使用できない理由で柔道による整復だから柔道整復術としたのである。


これに対して、1912年明治45年)、柔道家柔術家の職業として認められるよう柔術家天神真楊流の門人が中心)を中心に運動が起こり、1920年大正9年)の内務省令によって柔道整復術として公認された。その技術を持つ者は柔道整復師として認定され柔道家柔術家の収入源となった。その後、1970年昭和45年)の柔道整復師法の成立、1989年(平成元年)の同法改正で教育内容の充実が図られ、試験及び免許に関する事務権限が都道府県知事から厚生労働大臣への変更、1993年(平成3年)に第1回国家試験の実施などを経て今日に至る。



これを読み返すと、私が指の骨折で接骨院に行っていた頃がちょうど、柔道整復師認定の運動が高まっていた時代だったようです。
接骨院」という名称は一度禁止されたようですが、いつ頃回復したのか、私の記憶にあるのは「接骨院」という名称だけで、柔道の先生がやっているらしいということも子ども心に記憶があります。


街の中を歩くとけっこう柔道整復師の看板を見かけますが、「交通事故、むち打ち、骨折」「保険が使えます」といった表示があります。
国家資格になったのは1993年ということですが、当時、医療ニュースとして話題になったのかどうかも私の記憶からもすっかり抜け落ちています。
1993年医療はどんどんと専門化されて、整形外科も診断や治療方法が新たになっていったのではないかと思いますが、その時代に、骨折やむち打ちや腰痛などが「医療類似行為」で対応できるようになったのはなぜなのでしょうか。



医療類似行為とはなにか、また医療とは何か。
時代によってどのように変化していくのか。
考えれば考えるほど混沌としていて、ちょっと泥沼にはまり込むような気分になります。



代替療法とはなにか」まとめはこちら

2018-10-04

ケアとは何か  27 <面会とは何か>

面会という言葉は医療以外でも使われますが、コトバンクデジタル大辞泉では「人と会うこと。対面」といういたってシンプルな説明だけでした。


前回の記事で面会については「教科書的に理解していた」というようなことを書きましたが、医療介護施設での面会について、案外、書かれたものは少ないのではないかと思います。
90年代に院内感染対策が広がった頃から、「生花や鉢植えの植物を面会で持ち込んでよいかどうか」あたりが話題になったり、産科や小児科病棟での面会についての決まりごとを目にしたくらいです。


どれだけ研究がされているのでしょうね。


私自身が面会する側になって、面会者からの視点が増えたことで、「面会とは何か」そろそろ言語化されたものがないかと気になっているのですが、参考になるような資料や本はありそうでなさそうです。
頼みの綱のWikipedia家族法の面会についてだけでしたが、こうした子供に対する養育権とか面会権というのも、また新しい面会の概念の一つですね。


でもきっと広い世の中ですから、同じように面会について考えてきた先人の表現にきっと出会うことでしょう。
私の臨床経験と個人の経験を、より本質的な表現にまとめてくれるような人たちに。


<面会は重荷のケアである>



「重荷のケア」という表現はケアの語源で紹介しましたが、「心配、苦労、不安」といったニュアンスのようです。対して、「思いやり、献身」といった「気遣いのケア」が書かれています。
どちらかというと、ケアの仕事自体は「思いやり、献身」が注目されてやりがいが麻薬になるところがありそうです。困った人の相談に乗り、寄り添い、「こうしたらよいよ」と人一倍、ケアに熱心になって助言したり。


ケアする側は、面会に来る人たちもまたケアを担っていることに気づかないかもしれません。
あるいは、「家族とはこういうもの」という固まったイメージのままであったり、「あの家族はいつもそう」といった先入観や偏見で面会に来る人のことを理解していないのではないかと、自分が面会する側になって思うようになりました。
たぶん面会ひとつとっても、多くの介護看護スタッフ、あるいは面会する人たちが日常で感じていることの言語化が遅れ、その事象にひそむ法則性がなかなか明らかにされないので、きっと多くの人が似たような経験をしながらも前に進んでいないのかもしれません。


たとえば、「家族が面会に来ると嬉しそうですね」というスタッフ側の一言も、家族を思いやっての「気遣いのケア」の一つなのかもしれませんが、今の私には正直なところ重すぎる一言になります。
「(もっと面会に来ればいいのに)」というニュアンスにまで聞こえてしまうほど。


家族の長い関係というのは、その当事者でも言葉にできないさまざまな気持ちの変遷があるので、面会に来た人へかける言葉は難しいものだと、最近は実感しています。


産科病棟だと、出産以外に切迫早産や切迫流産つわりなどの入院もあります。
入院している妻(娘)の体調を心配し、さらに入院費などの経済的な問題、洗濯や買い物などの身の回りの世話、上の子(孫)の世話、自分の仕事との兼ね合いなど、足取りも重く来ては帰るのだろうなと、我が身に重ねてみています。
「面会、大変ですね。無理なさらないでね」
入院している本人には聞こえないところで、そう声をかけるのが精一杯なくらい、面会の人に対するケアの難しさに逡巡しています。




「ケアとは何か」まとめはこちら



面会についての記事のまとめです。

新生児のあれこれ 23 面会についての決まりごと
ケアとは何か 26 面会は非日常の時間
記憶についてのあれこれ 133 「安静時間」がなくなり、面会時間が長くなった

2018-10-03

ケアとは何か  26 <面会は非日常の時間>

10年ほど前に母が急性期病院に入院し、そのあたりから父も母も「入院」「入所」という生活になりました。
それ以来、高齢者の特徴ともいえる突然状態が変化して入院、転院、そしてどこの施設へ移るかといったことの対応だけでなく、そういう状況で死や病気、そして環境の変化への不安が強くなる両親を支えるために、面会が私の日常生活になりました。


「骨折した」「脳梗塞を起こした」といった連絡から、日常生活は一変します。
それまで1ヶ月に1〜2回の面会で日常生活のペースができていたところが、急変した時には週に2〜3回は往復し、そして少し安定すると週に1回になるといった感じです。
兄弟は手続きや支払いなどを担当し、私は身の回りに必要な物を準備したり両親の気持ちを支えるという感じでなんとか役割分担をしながら、そしてまた面会の回数が落ち着いていきます。


昨年、父を見送ったのですが、それまでは父がようやく落ち着くと今度は母に何か起こって呼び出し、といった感じでした。
「面会」ということが無縁だった10年前の生活を、もはや思い出せないぐらいの毎日です。


<面会は非日常の時間>


看護職として長いこと医療機関で働いてきたので、面会時間とか面会という言葉は日常的すぎる言葉でした。
スタッフ側にとっての面会とは、入院している人の人間関係の調整であったり、どの人がキーパーソンで大事なことを伝えたり買い物や洗濯をお願いするかといった点や、あるいは処置などが面会時間にかからないように業務の優先順位を考えようといった、自分たちのケアからの視点なのかもしれません。


もちろん、「家族や面会に来る人たちの気持ちや状況」という視点も、ケアには欠かせないことは教科書的には理解していましたし、看護職になって右も左も分からない頃に出会った植物状態、遷延性意識障害の患者さんに足が遠のいてしまったご家族との関係など、さまざまな当事者についてプロセスレコードによって理解しようという気持ちはありました。


ただ、私自身が面会する側になって、初めて見えてきたり感じたことが増えてきました。
冒頭で「面会が私の日常生活になった」と書いたことと矛盾するようですが、面会というのは非日常的な時間なのだということです。
たとえ、2〜3日の入院であっても長期であっても、あるいは回復する見通しがある場合でも高齢者や終末期の場合でも、面会に行くということは非日常の時間を抱えるということなのだと思うようになりました。


では、私はこの非日常の生活から解放されたいと思うかと言われれば、それは「母の死」を意味するので、むしろ面会は重荷としてのケアだと思うようにしています。


肉親という範疇ではなく、目の前の一人の人はどのような人生を送ってきたのか、目の前の一人の人は何を思い、どのように生きているのか、まだまだ知らないことだらけですし、血縁であっても手や口を安易に出せない存在である。
そんな葛藤を経験していくための発達段階といえるでしょうか。




「ケアとは何か」まとめはこちら

2018-08-29

ケアとは何か  25 <観察と神秘>

1970年代終わり頃に看護学生だった頃、授業でナイチンゲールの「看護覚え書」(現代社)を読みました。


70年代から80年代というのは急激に医療が進歩した時代で、それまで原因も治療法もわからなかった疾患が次々と明らかにされた時代でした。
医療機器や医療技術の進歩と社会の制度を整えることで、それまでは運がよければ、体力があればなんとか助かったというレベルだった、救命救急の分野が格段に進歩した時代でした。


まさに現代医療の黎明期のような時期でしたから、当時の私が思い描く将来の看護師像も、最新の医療技術にバリバリと対応して働く姿で、看護師について法で定められている「療養上の世話」と「診療の介助」ですが、「診療の補助」に比重に比重が移っていくイメージでした。
ですから、「看護覚え書」の目次にある「換気と保温」「物音」「変化」「食事」「ベッドと寝具類」「部屋と壁の清潔」」「からだの清潔」「病人の観察」」といった表現が少々古臭く感じられて、当時は古典を読んでいる気分でした。


10年ほど前に助産師の中にひろがるホメオパシーに驚いてニセ科学の議論に行き着いた時に、期せずしてナイチンゲールの名前を再び聞くことになりました。


<人間を観察する>


「看護覚え書」の中にナイチンゲールがホメオパシーについて書いていたことを、初めて知ったのでした。
引用部分を再掲します。

ホメオパシー療法は素人女性の素人療法に根本的な改善をもたらした。というのは、その用薬法はまことによくできており、かつその効果には比較的害が少ないからである。



現代の知識なら、「これはプラセボ」と知っている人はたくさんいらっしゃることでしょう。
ところが、瘴気説が跋扈し、病原菌もわからなかった時代に、「それは気休め」と言えるのは、人間を観察し人間社会の事象にひそむ法則性をすくいあげて一般化 するというまさに科学的な視点が貫かれていることに、今更ながら驚きます。


そして「看護については『神秘』などはまったく存在しない」と以下のように言い切ったのが、19世紀であったことを考えると、現代でも古さを感じさせない、むしろ今もなお先駆的な考え方であることを痛感させられます。

良い看護というものは、あらゆる病気に共通するこまごまとしたこと、および一人ひとりの病人に固有のこまごまとしたことを観察すること、ただこれだけで成り立っているのである。




「こまごまとしたことを観察すること」
これがいかに難しく、永遠のテーマに近いかをひしひしと感じるこの頃です。
私もあと数年ぐらいで臨床からは引退すると思いますが、一生かけても到達できない仕事だという思いが強くなっています。




「ケアとは何か」まとめはこちら