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ふぃっしゅ in the water

2018-11-16

横文字のあれこれ 4 <バズる>

今日は、横文字というより和製英語の話でしょうか。
私が中学生以来ほとんど使うことも耳にすることもなかった英単語を最近よく耳にするようになり、こんな意味になるのかとちょっと驚いています。


buzzって確か、蜂がブンブンいうという意味だったように記憶していました。
でも、東南アジアで英語で日常生活をおくっていた時にもほぼ一度も出番がない言葉でした。
当時の生活圏ではハエはけっこういたのですが、蜂などのような「ブンブン」と飛ぶ昆虫が身の回りにいなかったので使う機会がなかったのだろうと思います。
もし、buzzという動詞で表現せずに、「ブンブン」という擬声語で言ったらきっと笑われていたにちがいありません。


大辞林第三飯」では「ハチや機械などが発する、ブンブン唸るような低い音。人のがやがや話す声」と書かれていて、昆虫の羽音だけではない意味もあるのですね。


さらに、最近はこんな意味が。

バズるweblio実用日本語表現辞典」より)


短期間で爆発的に話題が広がり、多くの人の耳目や注目を集め、巷を席巻すること、と言った意味で用いられる言い回し。主にインターネット上におけるソーシャルメデイア等を通じた拡散などについて用いられる。


たとえばTwitterツイッター)上で盛大にツイートされて拡散炎上している状況はバズっている典型的な状況といえる。もちろんTwitter上での拡散だけが「バズる」と表現される現象であるという訳ではない。


「バズる」の由来は英語の動詞bezzを日本語化した語と捉えられる。語尾「る」を活用することで「バズっている」「バズった」という風に文脈に応じた使い方ができる。


バズる話題はポジティブかネガティブかという要素には依存せず、美談・不祥事・炎上発言・ゴシップネタ・あるあるネタ・新商品、等々、さまざまな物事キーワードに対して使われる。ただし、ネガティブ寄りの話題でバズっている状況は「バズる」よりも「炎上」の語で表現される。



時間とともに、ひとつの単語でも意味が増えて、解説も複雑になりますね。
でもまあ、一言で言えば「人のがやがや話す声」のインターネット版といった感じでしょうか。
ただ、あっという間に世界中にまで広がる危険があるので、ちょっと怖いですけれど。



デジタル大辞泉」の「バズ(Buzz)」には「うわさ話。口伝えに広まる評判。『バズマーケティング』」と書かれていました。
バズマーケティング」という言葉自体、90年代以降の新しい言葉でしょうか。


同じweblioの「IT用語辞典バイナリ」では、インターネット上の「バズる」について以下のように書かれています。

バズるとが、インターネット上での口コミなどを通じて一躍話題となるさま、各種メデイアや一般消費者の話題を席巻するありさまを表す語である。


バズるという語は英語の動詞buzzを日本語化した言い方である。buzzには「噂話などでガヤガヤ騒ぐ」といった意味合いの用法がある。英語圏でもbuzz」はいわゆる口コミマーケティングの根幹に位置する示す*キーワードであり口コミによる拡散を誘導するマーケティング手法を「バズマーケティング」と呼ぶことも多い。
(*「位置するを示す」だと思うのですが、原文のママ)


「バズる」という表現は、もっぱら短期間に爆発的に話題が広がる場合に用いられる。ある程度の時間をかけてじわじわと話題を広げていくさまは「バイラル」(viral)の語で表現される


バズる状況と同様に短期間に一挙に話題を席巻するものの、好意的な意味・関心ではなく、むしろ反感や嫌悪感に基づく非難批判によって話題を席巻する、という状況はバズるとは呼ばれず「炎上」と呼ばれる




まあいずれにしても、こういう手法を使う側は、「人ががやがやしている状況」が苦手な人が社会にどれくらいいるか知らないのだろうなと感じることも多いですね。


私が「バズっている」あるいは「炎上している」話題かどうかの見分けは、それを読んだ時に私自身の血圧と心拍数が上がるかどうかあたりです。
強い感情に押されて正義感に燃えて理想を語っていた時期を思い出して、ちょっと血圧が上がりそうになるような状況は、そっと引くようにしています。


蜂がブンブンいっているのはちょっと怖いけれど、ヒトのブンブンの方がもっと怖いですからね。





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2018-11-09

横文字のあれこれ 3 <バースレビュー>

バースレビュー」、何を意味するのかすぐに答えられるのであれば、相当、「出産」に関心のある方かもしれません。
分娩施設に勤務しているスタッフなら、「積極的に使っている」「意味は知っているが使っていない」「聞いたことがある程度」「知らない」はそれぞれどれくらいの割合でしょうか。


先日、勤務先で「出産後バースレビューをしたい」という方に初めてお会いしました。
「初めて」と書くぐらいなので、私の周辺のスタッフからはほぼ使われることのない言葉でした。
あ、こう書くと「きっと若い人は使おうと思っているのに、上の世代が阻止する」かのような世代間の相違を妄想されそうですが、私の周辺では20代30代の世代も「意味は知っているが使っていない」という感じです。


<いつ頃から、どのように広がったのか>


バースレビューで検索しても、ネット上に公開されている情報は少ないようです。


1990年代の「昔の産婆さん、助産婦の話」を聞くことが流行った時期に、ナラテイブベースド・メデイシン(narrative-based medicine)という手法を耳にすることになったあたりで、最初は「お産の振り返り」という日本語の方が助産師系の雑誌などで取り上げられていたような記憶があります。


もともと、英語圏で「バースレビュー」の運動が始まり、それが一旦、日本語の「お産の振り返り」に訳されて広まったのでしょうか。
そしてそれが、いつ頃どの時点で「バースレビュー」に置き換えられたのか、案外と、こうした言葉ひとつの広がり方を思い出すのも難しいものです。


いずれにしても、私が「お産の振り返り」とか「バースレビュー」という言葉を目にするようになったきっかけは、助産関係の出版物でした。
大雑把な印象としては2000年代にはちょっともてはやされたけれど、その後は下火になったと、私自身は感じていました。


ところが妊婦さんの方から「お産後バースレビューをして欲しい」と言われるようになるまでの、10年ほどの時間差はどこから、どのように起きているのだろうと不思議でした。


<言葉にならないものを無理に表現させない>


90年代に「お産の振り返り」という言葉を耳にしたときには、多少、賛同できる部分がありました。
当時、「傾聴する」という表現も医療現場では盛んに使われ始めました。


「無事にお産が終わってよかった」あるいは「赤ちゃんが保育器に入ってしまったけれど、元気になってよかった」「授乳方法が何であれ、赤ちゃんが元気になってよかった」だけではない、産婦さんの納得はまた別であることに少しずつ目を向けられていった時代でした。


「自然な陣痛で産みたかったのに、促進剤を使うことになった」「吸引分娩や帝王切開になってしまった
母乳だけで育てたかったのに、ミルクを足すことになった」
理想と現実との間の葛藤に、やり場のない気持ちが残り、それがお母さんの喪失体験になる。
だから相手の語りに耳を傾けることが大事。私たちも安易に「無事だったから良かった」で、相手を納得させようとしてはいけない。
そんな時代の流れだったのだと思います。


それは大事な転機だったと思いますが、では実際に、いつ、どのように「振り返るのか」となるととても難しいものです。


産後、ちょっと表情が硬い様子が気になって話しかけたら、あふれるようにそれまでの気持ちを語り始めることもありますし、1ヶ月健診まで穏やかな表情で「問題もなかった」方が、次の出産の時に「あの時は」と話を始めることもあります。
また、そのときには勢いで言葉にしたものの、あとで本人自身がなんども自分の言葉を反芻しながら時間をかけて「本当の気持ちは別のところにあった」と、10年後20年後に気づくこともあることでしょう。


言葉にならないものが言葉になるには時間もかかるし、人それぞれの段階がある。
そして、あえて言葉として表現しないほうが合っていることもあるでしょう。
特に妊娠・出産・育児あたりは本人にもわからない複雑な感情に巻き込まれやすいですからね。


今思い返すと、80年代、90年代そして2000年代ごろは、「私らしい」ものが追求されていた時代だったから、バースプランとかバースレビューといった言葉も受け入れられた時代だったのかもしれません。
最近は、反対に無事に生まれればそれで良いですとおっしゃる方が増えてきました。



探せばバースレビューに関する文献や論文はあるのですが、私にはどうも理論化を急いだ話のひとつに過ぎない、あたりで受け止めている言葉です。




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2018-10-22

横文字のあれこれ 1 <ストレス>

さくらトラムから横文字の魔法について考えていたら、新たなタイトルを思いつきました。


外来語という意味での横文字ですが、真っ先に思い浮かぶのが「ストレス」という言葉です。
老若男女、この言葉の存在を知らない人や「その言葉を使ったことがない」という人は、今の日本にはいないのではないかと思うほどですが、実際はどうかはわかりません。
ただ、子どもとか10代ぐらいの世代が使っているのをみると、私にはめまいのような感覚があります。


私が初めてこの言葉を知ったのは、1970年代末の看護学生の時でした。
医学用語としてストレスを学んだ時に、そういう概念があるのかととても新鮮に聞こえたので印象に残ったのです。
Wikipediaの「緊急反応」と「一般適応症候群」に書かれているあたりが、用語は当時とは異なるのですが、授業で学んだ内容だったように記憶しています。

(前略)交感神経系によって副腎髄質から分泌されるアドレナリンの効果と一致して心拍数増加、心拍出量増加、筋肉血管拡張、呼吸数増加、気管支拡張、筋収縮力増大、血糖値増加などの緊急事態に有効なストレス反応が生じることが分かった。


一般適応症候群(全身的適応症候群、汎適応症候群)とは下垂体から副腎皮質ホルモン系への反応が生じるというストレス反応についての代表的な考え方である。まずストレッサーの刺激が視床下部、下垂体に伝達し前葉副腎皮質刺激ホルモンが分泌され活性化した身体にエネルギーが供給されるように働き警告反応期(ショック相、反ショック相)、抵抗期、症憊期と段階的に発展する。



「ストレス障害」という言葉は、まだ当時聞いたことがありませんでした。
「フラッシュバック」とか「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」といった表現を医療現場で耳にするようになったのは、もう少し後の90年代に入った頃だったと思います。
この頃には、まるで何かの符号のように「ストレス」といえば、パッと通じ合う言葉になっていました。



この言葉が印象に残った理由は、日本語の訳がなかったことです。
今も、この不思議な感覚が残っていて、時々「ストレス」を検索するのですが、相応する日本語はなさそうです。
看護学生の時にこの言葉を聞いて、なんとなくわかるこの言葉だけれど、それまでその状況を表現する言葉を持たなかったことが不思議に思えたことが印象に強く残って、冒頭のめまいのような感覚に陥る理由です。


それからじきに知ったリスクという言葉も、40年ほどたった今、日本語よりは横文字の方が伝わりやすい言葉のひとつかもしれません。



ストレスとかリスクといった言葉を生まれたときから空気のように感じている世代と、その言葉がない時代を経験している世代では、同じ時代を生きていても見えているものが違うかもしれない。
「横文字」というのは、単に外来語という意味ではない何かがありそうです。




「横文字のあれこれ」まとめ。

2. コンプレックス
3. バースレビュー
4. バズる

2018-10-21

シュールな光景  10  <「横文字」の魔法>

先週の「アド街ック天国」は三ノ輪周辺でした。
その中で都電荒川線が紹介されていました。
昨年は、荒川や隅田川、神田川を辿って散歩をしたので、結構、都電荒川線には乗りました。


番組の中の都電荒川線を観ているだけで、荒川線の乗客が多い車内の雰囲気や、沿線の街の空気や喧騒などが思い出されてきました。
ああ、懐かしいなあ。


都電を見ると、いろいろな記憶が一気に湧き上がってきます。
1960年代前半、まだ幼児だった頃、電車といえば丸ノ内線、西武線、そしてどの路線かは忘れたのですが荒川線のような路面電車でした。
親に手を引かれながら、車をよけ電車をよけて、道路の真ん中にある「島」のような停留所まで歩いた記憶がかすかに残っています。
都電の歴史を見ると、私のその記憶の2〜3年後から数年後には、都内のほとんどの都電が廃止されているようです。


1980年代初頭、20代の頃に世田谷線に乗る機会がありました。当時は、新しい地下鉄と長いエスカレーターそしておしゃれな路線名や駅名など、モダンな鉄道の風景に変化していましたから、地面に駅があって隣の駅も見えるのんびりした世田谷線がちょっと古臭く感じたのですが、幼児の頃のことが思い出される路線でした。
そして同じ頃、サンフランシスコに旅行に行ったときに、路面電車を見ました。そうしたら、世田谷線がなんだかおしゃれに見えてきたのですから、この辺りの感覚が心の中に引っかかっていました。


<同じものなのに名前を横文字にする魔法>


さて、冒頭の番組では「都電荒川線」と呼んでいました。
聞き逃していなければ、一度も「東京さくらトラム」という新名称を使いませんでした。


Wikipediaの都電荒川線の説明では、「2017年3月、都交通局は利用者増と沿線活性化のため荒川線の愛称を決めることとした。外国人観光客にもわかりやすいように『東京⚪︎⚪︎トラム』という形式として⚪︎⚪︎に入る言葉の候補8つを表示し、一般からの投票で絞り込んだ。その結果、同年4月28日に『東京さくらトラム』に決定したと発表した」とあります。


私が「都電荒川線という名称がなくなった」と初めて知って落胆したのが、この半年ぐらあとでした。
他の路線に乗っていたときに、「東京さくらトラム」を見て新しい路線ができたのかと思ったのでした。


「都電荒川線に新愛称 『東京さくらトラム』は定着する?」(J-CASTニュース、2017年5月3日)を読むと、候補には「さくら」「ローズ」「フラワー」「ブルーム」「クラシック」「レトロ」「レガシー」があげられたと書かれています。
これじゃあ、「さくら」一択問題のようですよね。
きっと「トラム」を使いたかったのだろうなと推測しています。
だったら、「あらかわトラム」でもよかったかもしれませんが。



あちこち散歩をしていると、地名や駅名ひとつとっても「山」「谷」「沢」といった地形の起伏を表す言葉が入っていたり、歴史を紐解くヒントがたくさんあることを感じます。


外来語をふわりと取り入れることで、そこにある歴史や現実の生活が見えない方がかっこいいという感覚の方が、最近は反対にちょっとダサいなあと感じます。


横文字の魔法とでもいうのでしょうか。
「洗練された」と「こだわり」、一歩間違うと危険に感じた危うさを感じるのですね。
現実の生活感(リアリティ)を消して、別の世界に行ってしまうような感じ(シュール)です。




「シュールな光景」まとめはこちら

2018-06-19

運動のあれこれ 17 <スポーツと運動>

前回の体育とスポーツの違いで紹介した野口智博氏のブログに、スポーツにはもともと「遊び」「日常からの逃避」という目的があると書かれていたことにちょっと虚を衝かれた感じです。


体育と運動で書いたように、跳び箱が苦手だったことだけで「私は体育ができない」と思っていたのに、いつの間にか「運動好き」になっていたのは、まさに「スポーツ」だったからかもしれません。


私が出会った体育の先生というのは男性も女性もいつも怒鳴っている先生ばかりで、運動ができる生徒には人一倍目をかける態度が子ども心にもわかりました。
今はこういう前近代的な感覚の先生が減っているといいのですけれど。
そして、部活動の中での先輩後輩の変な厳しさとか、大会に出場することが目的になったような雰囲気も苦手でした。


1970年代ごろはまだ、自分が好きな運動を自分の好きなペースで続ける環境がなかったので仕方がなかったのですが、それを思うと、わずか40年ほどでもこれだけさまざまな世代の人が好きなように体を動かす時代になったことはなんだかすごいと思えてきました。



<スポーツにも運動(movement)があった>


さて、今日は体育の「運動」ではなくてmovementの方の運動という謎かけのようなタイトルです。


Wikipediaのスポーツの「概説」や「歴史」を読んで、スポーツにもmovementがあったということを知りました。


しかし19世紀に入ると、権威主義に対抗した筋肉的キリスト教(en:Muscular Christianity)運動や、運動競技による人格形成論が台頭、貴族階級から解放され労働階級による大衆化が進んだ。近代になると統括組織(競技連盟など)によって整備されたルールに則って運営され、試合結果を記録として比較し、その更新をよしとする競技を第一に意味するようになった。これが現在も行われているスポーツであり、日本で最も広く流通している意味である。



筋肉的キリスト教運動なんてあったのですね。

19世紀中期にイギリスで始まるキリスト教の運動である。愛国的責任感、男らしさ、運動を通じた心身の美、チームワーク、規律、自己犠牲、さらに「軟弱さ、非英国的なもの、極端な知性主義の追放」によって特徴づけられる。


アメリカ合衆国大統領のセオドア・ルーズベルトも、筋肉的キリスト教を実践する家庭で育っている。ルーズベルト、キングスリー、ヒューズらは、個々の生活においても、政治的見解においても、キリスト教的な思想を追求しながら、肉体の力と健康を推奨した。筋肉的キリスト教は、霊的成長と肉体的発達をともに求めるいくつかの組織を通じて今日に続いている



「YMCAに運動競技が加わることで、バスケットボールやバレーボールの発明に繋がった」は「へ〜っ」というトリビアですが、スポーツにも善意と正義を貫く伝道の影響があったとは、今まで考えたこともありませんでした。


日本に住んでいるとこういうキリスト教の一部の激しさは実感しにくいのですが、乳児に何を飲ませるかについてさえも、WHO/UNICEFを動かし1979年にWHOの決議を出させ、ミルクや哺乳瓶についての監視行動を生み出すまでに至ったことを考えると、スポーツにもそういう動きがあったことも想像できます。


ドーピングについて「選手の心身を守る」ことよりも、違反を見つけ出すための監視に比重が移って正義の闘いの様相を呈しているのもこうした運動が関係しているのでしょうか。


そういえば、保健体育の授業では歴史を学んだ記憶がないのですが、やはり何についても歴史をたどり年表から考えることは大事なのかもしれませんね。





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