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ふぃっしゅ in the water

2017-12-17

簡単なことを難しくしているのではないか 10 <「出産」や「育児」の小さな神になりたがる>

いつものようにうさぎ林檎さんの妖怪アンテナが、日本胎内記憶教育協会という団体の存在をキャッチ。
「胎内記憶」についてはお腹いっぱいなのですが、「教育」がついたので何を言っているのか覗いてみました。


「胎内の状況は子どもの将来を左右する」とか「胎内記憶を前提とした出産・育児」にはどんなすごい事実があるのだろうと読んでみました。


子どもがたまに「おなかの中にいた時はこんな感じだった」とか「生まれるときにこんな感じだった」と話すことは事実なのですが、それは「客観的には神秘でも奇跡でもないものが個人にとっては神秘にも奇跡にもなる」でよいのではないかと思います。
ですから、どうして子どもはそういう発言をするのかについてだけ、純粋に研究されたらよかったのですけれどね。


ひとっとびに「胎内記憶」と理論化をしようとするからつじつまが合わなくなり根拠の乏しい精神論育児子育ての話にすり替わってしまうのだろうと思います。


妊娠・出産・子育てに関わる周産期医療従事者の中には、こうして「小さな神になりたがる」人が多いのかもしれません。
「こういうお産をすると、幸せになる」
「自然なお産をすると、いい子に育つ」
「女性には産む力がある。赤ちゃんには生まれる力がある」
母乳で育つといい子になる」
「人類は哺乳類だから母乳だけで育てられる」
「○○ベルトをつけると、胎内からいい子が育つ」
新生児からおむつをつかわない」とか・・・。
ホント、変な世界だと思います。


最初はそんなことを求めていなかった人たちも、妊娠・出産・子育て中というのは感情が揺さぶられることが多いのか、するっと信じていってしまうのでしょうか。



<他を貶めて小さな神になる>


そのサイトの「胎内記憶とは」をまず読んでみました。
読んでも胎内記憶の定義がよくわからないのですが、「胎内記憶を認めるということは胎児を一人前の存在として尊重することにつながります」と書かれています。


具体的にどういうことが「尊重する」ことなのか、いくつか書かれていますが、こんな感じ。

(4)現在のお産は、母体死亡や死産を防ぐことのみを目標としがちだが、誕生記憶があることを知った医療者は、母子の身体面だけでなく情緒面の安全にも配慮するようになるため、母子の絆を深める分娩ができるようになる。



日本中の分娩施設のスタッフに謝って欲しいレベルの、独善的な発言だと思います。


「病院のお産は」「病院では授乳方法を教えてくれない」と過度に一般化したイメージを作り、自分たちの正しさをアピールしようとするのは、自然なお産や自然育児、あるいは母乳育児推進運動でさんざん見て来た光景です。


それは、ほんとうは10年とか20年の長さで見ればたくさん良い方向に変化していることに気づかず、無用な対立的な感情を残します。



<大人の方便


では、具体的に「胎内記憶を前提とした出産・育児」とはどんなことなのでしょうか?
父親のサポート」に、こんなことが書かれています。

日本では近年、父親の立ち会い出産が増えていますが、本当はお産に立ち会うだけでは不十分です。立ち会わないよりは立ち会ったほうがいいでしょうが、その場限りの体験になってしまっては、あまり意味はありません。


できれば妊娠中の早い段階で、一緒に健診に来てエコーを見える等、胎児の存在を実感できる機会をもつといいでしょう。一般には、健診に父親がついて来ても、医師は母親と会話するばかりで、父親は無視されるケースも多々あるようです。



な〜んだ、そんなこともうどこの施設でも対応していることではないですか。
「待合室の30年の変化」にも書いたように、父親が健診に同席することは珍しくないし、私が働いて来た施設では、父親にも丁寧に説明してくれる産科医や小児科医の先生がほとんどですけれど。


それに、健診に一緒に来れなくても、分娩や産後に「ここぞ」という時には妻や子どものために全力を出してくれますからね。



「胎内記憶」なんて大人の方便を使わなくても、相手に真摯に対応するで済む話ではないでしょうか?



「私はお産が上手」「私は母乳のことをよく知っている」「私は赤ちゃんのことをよく知っている」という思い込みが、本当はわからないことがたくさんあることを見失って自分を小さな神に仕立て上げやすいのかもしれません。



そして資格商売になっていく。




「簡単なことを難しくしているのではないか」まとめはこちら

2017-07-10

気持ちの問題 44 <子どもへのファンタジー>

うさぎ林檎さんのアンテナに引っかかった自主映画のサイトを見てみました。
ホント、こういうのは気が進まないのですが、案の定最初のナレーションの部分から泣きそうでした。

伝統的な和食で育った子どもたちが、キラキラ輝いて見えました。

優しい声の石田ゆり子さん、好きだったけれど「これはないよ」ですね。


キャプションの「感動で泣きました」とは全く正反対の、「泣きたい」でした。



「伝統的な和食で育った」の部分は、これまでもいろいろありましたね。
助産院で生まれた子」とか、「自然なお産で生まれた子」とか、「母乳だけで育った子」とか。


冒頭の自主映画も、消音にして予告編を見れば、うちの近くにある保育園子ども達とどこも変わらないと思えるのですが。



「○○で育ったからかわいい」がいかに子どもにとって残酷な意味を持っているかについては、マクロビベビーで書きました。

でも「△△をしたから、この子はかわいい」と、条件まではっきりつけて謂われてしまったらどうでしょうか?


それはこども自身の努力で変えられるものではないことです。
親の価値観でしかないのですから。


「△△をしなかったから(かわいいと思えない)」と親に思われていることを知った時の、子どもの絶望感を想像するだけでも泣けてきそうです。
そしてその絶望感は憎しみとなって、心に残り続けるかもしれません。




「マクロビベビー」という差別的な言葉まで生み出すマクロビオティックが、一部の人を引きつけるのはなぜなのでしょうか。


この映画に出てくる園長は私の母と同じ世代だけれど、もしかしたら「タンパク質が足りない」時代から一気に飽食の時代に変化したあたりの罪悪感からかもしれないと、勝手に想像しています。



子どもたちから元気をもらう
ピュア・ドキュメンタリーの誕生です。

「ピュア・ドキュメンタリー」という英語があるのかと検索してみたら、ほとんどがこの映画についてでした。


私には、現実から目をそらしたい大人が、子どもへのファンタジーで気を紛らわせているかのように感じました。





「気持ちの問題」まとめはこちら

2017-07-05

気持ちの問題 43 <何かをしているように見える人>

都議選は蓋を開けてびっくり。
私には「大山鳴動して鼠一匹」にしか見えないことを延々と主張してきた人たちが議席を伸ばしたのですから、本当に世の中は鵺のようですね。


まあ、毎日毎日、どのチャンネルに変えてもニュースの時間には必ず顔と発言が映し出されていれば、なんだかわからないけれど何かをしてくれているという印象を受けるのかもしれませんね。


都議選よりも少し前、6月初旬にもうひとつがっかりする選挙がありました。
日本看護協会長の選任で、院内助産とかアドバンス助産師を進めてきた方が選出されました。
選挙といっても対抗馬がなく、無投票で決まったようです。


看護協会は看護師・助産師・保健師の3部会があります。
代替療法や自然なお産あるいは完全母乳といった迷走ばかりの助産師の世界に比べて、対象を観察しそこから理論を考えていくことを積み上げて来た看護師さん保健師さんからは立候補者もなく、まさかの助産師からの2代続けての会長選出です。
大丈夫でしょうか、看護協会。


私は個人会員として登録しているので、看護協会ニュースを読むぐらいしか関わることがないし、新会長のこともこうしたニュース媒体を通じてしか知らないのですが、助産師の現実にある多様な問題とは違う方向に導いて来たのではないかと思っています。


<鵺(ぬえ)のような社会のひとつの理由>


ここ20年から30年ほどの助産師の世界の方向性を作り上げて来た人たちと、今回の都議会第一党を生み出した人に共通点があるなあと思いました。


それは、「威勢がよい言葉が多い」こと「カタカナ語を多用すること」、そして「今までのやり方を批判し、覆すことが好き」なこと。


「院内助産」「アドバンス助産師」「助産師出向システム」といった新たな制度を打ち出す割には、その効果も看護協会ニュースを読む限り「大本営発表」の印象です。
「アドバンス」「オールジャパン」なんて意味のわからない英語で煙に巻いて、現場には必要のない高額な民間資格制度を導入しました。
何よりも、現場で社会の変化に試行錯誤してきた多くの助産師を、「自律していない助産師」であるかのように社会に印象づけたことも似ています。


業績の中身はともあれ、こういう立場の人がニュース記事としては移り映えが良いのでしょう。
繰り返し繰り返し聞かされれば、名前が記憶に残り、「何だかわからないけれど何かすごい人」と認知されていくのかもしれません。


そしてその責任はとらずに、いつの間にかまた次のポストを得て行くのでしょう。


選挙の翌日に「党首は辞めます」といっても、だまされたとも感じない社会。
そういう人が好きなことが、鵺のような社会が広がる理由かもしれないと思いました。




「気持ちの問題」のまとめはこちら

2016-06-18

母乳育児という言葉を問い直す 25 <「母乳権」と「成母期」>

前回に引き続き、「もっと知りたい母乳育児ーその原点と最新のトピック」(橋本武夫氏監修、2000年、メデイカ出版)から、「母乳権」の背景にある考え方を見てみようと思います。


本のタイトルや内容からは日本母乳の会が関係していることは見えにくいのですが、巻頭を読むと、この本が1999年に開かれた日本母乳の会の「学術的な発表の場としての日本母乳哺育学会」の内容をもとにしていることがわかります。


今回はその「第3章 母乳育児と母親支援」(福田雅文氏、重症心身障害児施設みさかえの園むつみの家、小児科)を紹介したいと思います。


どんな「母親支援」でしょうか?


<「人間性の回復のための母乳育児支援」>


まず最初に、「1.現代社会の親たちの特徴」として以下のように書かれています。

世の中は大きく変わろうとしています。人間性を無視し、経済を優先し、効率主義、競争社会で育てられた子どもたちが、母親、父親となっています。母と子、人と人の関係の大切さを無視した今の日本では「母と子の絆」「家族の絆」「人間の絆」は急速に破綻し始めています。現代の親たちの訴えは「自分の子どもの愛しかたがわからない」「わが子がかわいく思えない」「気がついたら子どもを虐待していた」など、子どもを産んでも母親、父親になれないで困惑している大人が急増しています。



それに対して、「2.人間性の回復のための母乳育児支援」としてこう書かれています。

母乳育児支援の根底は人間性の回復だと思います。出生早期からの直接授乳を介した母と子の濃厚なスキンシップからみえてくるものは、人間が哺乳動物として本能的、かつ潜在的にもっている「子どもへの強い愛着」が芽生え、自然に母性行動を呼び覚ましてくれるように思われます。


哺乳動物にとっても出生早期の母子接触が重要な意味を持っていることはすでに多くの報告がされています。乳幼児期における密接な接触が正常に満たされなかったメスは、成長してから自分の子どもと正常な接触関係を保つことができなくなってしまうと報告されています。(中略)



わあ、「メス」ですか。
その根拠は次のように続いています。

1999年、マクギルダ医大(カナダ・モントリオール)発達神経内分泌研究所のMichael Meaneyらは、ラットの集団を数世代にわたって観察し、母性行動は遺伝ではなく、学習によって伝達されることをScience誌に報告しています。その仔が親になったときに示す母性行動パターンが出生早期に母親にどのような母性行動をされたかが重要であることを照明し、受け継がれる母性行動のパターンに与える因子として、出生早期の母性行動の大切さを強調しています。



ああ、びっくり。ラットの話だったのですね。


人間の新生児の場合、出生直後から激しく啼いて分娩台での授乳もさせてくれないことがあります。
そんなときには、立ち会われている夫や御家族に赤ちゃんの抱き方を教えてあやしてもらうこともあります。
「きっと、2〜3分したらピタッと泣き止んで、ゲフッとして、いきんで落ち着くと思います。人間の赤ちゃんの場合、『飲みたい』だけではないウンチとの闘いが始まっている赤ちゃんもいるようです」と説明して。


赤ちゃんが落ち着く様子を実際に経験した夫は、次回の面会時にもうまく赤ちゃんをあやしてくれるようになります。


その行動は、「母性」に限定しなくてもできる話。


そして哺乳類の動物は排泄も大事。



<「燃え上がる母性」と「成母期」>



さて、少し長いのですがこの第3章のまとめの部分をすべて引用します。

6. 燃え上がる母性


 「子育ては大変だから産後は休みなさい。母乳は時間を決めて、抱っこも抱き癖がつくから」といった指導をして、小児科医、産科医、その他多くの母子にかかわる医療スタッフは気付かないうちに、出産後の母と子の環境、その後の育児観を大きく変えてしまったのではないでしょうか。
 母と子を出生早期より一緒にして、「お母さんの好きなときに好きなだけ抱っこして、赤ちゃんが求めたら好きなだけ吸わせてあげてください」と制限をとってみると、確かに頻回の授乳で乳首は切れ、十分な睡眠もとれず、ときには赤ちゃんと一緒に涙を流しながら授乳させている母親もいます。でも、疲れきっているはずの母親から出てくる言葉に驚かされます。「お乳をやるのが嬉しい。子どもの世話をするのが楽しい。この子がかわいい」と、たった一週間で母と子の結びつきは驚くほど強くなっていくことがわかりました。
 出産後の濃厚な接触期間を過ごしたお母さんたちと話をしていると、子どもに対する温かく、ひたむきで、献身的な愛情こもった言葉が湧き出てくるような印象を強く感じます。


 山本高治郎先生の書かれた「母乳」を読んでいると、次の一節が目にとまりました。「母性愛とは、成母期という感受性において子どもが母親の胸にすがりついてその乳首を吸啜することによって点火する愛情にほかなりません」。
 人間社会では、昔から出生早期より母と子はいつも一緒であり、授乳をした母と子の濃厚なスキンシップによって母性愛は点火され、その火は出生後の数日間で、アッと言う間に激しく燃え上がるのだと。そして、まるで子どもを育てることが自分の生き甲斐、生きる喜びであるかのように燃え上がった母性愛は愛に飢えた赤ちゃんのこころをアッという間に満たし、その火は一生も得続けていくのではないかと。



山本高治郎氏は1988年に岩波新書から「母乳」という本を出された方のようです。



この章は「燃え上がる母性」という詩で締めくくられています。

「燃え上がる母性」



私は驚きました
これほどまでに女性が変わることを
これほどまでにやさしくなれることを
私は見ました
母親が率直な気持ちで涙を流す美しさを
子どものことを思い流す涙の美しさを
私は感じました
この時期ほど人のこころが無意識に変わることを
変われることを


私は知りました
生またての赤ちゃんがしっかり見つめ
抱いている人のこころを読みとることができることを
私たちのこころを清めてくれることを
そして、出産後の母と子を一緒にして、自然な環境をつくれれば
「燃え上がる母性」を感じることができることを




いやはや、母性とか母乳を語る人は熱いですね。






母乳育児という言葉を問い直す」まとめはこちら

2015-07-01

アドバンス助産師とは 3 <読めば読むほどわからない「助産師像」>

医学書院の「週刊医学界新聞 第3118号」(2015年3月23日)に、「今こそ、助産師像を描く必要がある」というインタビュー記事があります。


「『助産実践能力習熟段階(クリニカルラダー)』レベル3認証制度の開始迫る」というサブタイトルで日本看護協会常任理事の福井トシ子氏が、今回の認証制度について説明しています。
「同制度の準備の中心を担ってきた」方のようです。


<「助産師のキャリア開発にもかかわる取り組みの経緯」>


福井氏は経緯について以下のように答えています。

2003-4年ごろから、産科医と助産師の恊働によって、安心・安全に出産できる体制を作ろうという意識が高まってきました。産科医の不足が指摘される中、産科医と役割分担を図り、助産師が主導となって行う院内助産所や助産師外来の普及が社会的に叫ばれるようになったのです



こういう現場の感覚とは違うことをもっともらしく社会に言えることが「権力をもつ立場」というものなのではないかと、つくづく思うこのごろです。


2004年ごろの「産科崩壊」と言われた時期(それは今も続いているのですが)に、「院内助産で助産師に正常なお産を任せろ」と言い出した人たちがいることへの驚きについては、「院内助産という言葉の矛盾」に書きました。


当時のことは、機に乗じて「開業権を死守する」助産師の政治的な姿勢と私は受け止めました。


<「助産師の不安」「助産師の能力」へのすり替え>


院内助産については2000年代にはその言葉が広がり始めていましたが、産科医不足を追い風にしても、2012年の時点でも全国で「院内助産」と掲げている施設は82カ所(日本経済新聞、2015年6月7日の記事)だそうです。


2014年度はそれよりも増えたのでしょうか?増えていたら、きっと新聞記事でも多い方の数字をアピールするのではないかとは思いますが。


冒頭のインタビュー記事で、福井氏は「(院内助産の)この動きはスムーズには進んでいない」とし、その理由を以下のように説明しています。

当初こそ、その原因は現場の医師や病院側の管理職からの抵抗感にあると考えられがちでしたが、それは違いました。現場の助産師たちの話を聞いていくと、むしろ助産師側から聞こえる「自信がない」という声のほうが断然大きくて、助産師が抱える不安が根本的な理由であるとわかってきた。つまりローリスクの正常妊娠・正常分娩という基本的な助産ケアについて、自信を持って実践できる助産師が少ないという実態が浮き彫りになったのです



え?それは当たり前だと思います。
「自信」って何でしょうか?
私だっていまだに、お産が無事に終了するまでは「何が起きるかわからない」不安に緊張しますし、お母さん赤ちゃんの安全を守りながら、さらに妊婦さんやご家族の快適性や満足感にも十分に配慮できたのだろうかと試行錯誤の毎日です。


「自信をもって分娩介助する」そんな助産師像こそが、幻想なのではないでしょうか。


<「院内助産師認証制度」にすればよいのでは?>


このインタビュー記事を読んで、初めてこの認証制度がイメージする「助産師像」がわかりました。
こう明言されています。

今回、認証するレベル3は、責任を持って自律的に助産ケアを提供し、院内助産システムに従事できるだけの実践能力を持つ"一人前の助産師レベル"という位置づけです。




なんだ、それならそうはっきりわかるように「院内助産師認証制度」にすればよいのにと思います。
つまり、「院内助産システム」で正常なお産だけに関わりたい助産師が「最低限クリアしなければいけないレベル」の認証に。


そのあたりをうやむやにして全ての助産師向けの認証制度のようにアピールするから、現場は混乱しているのだと思います。



それにしても「アドバンス助産師」と誰かに認証してもらうと、自信につながるのでしょうか。


特に「暫定処置として2015・16年に限り、1助産学担当教員(産科臨床経験5年以上の助産師)、2看護管理者(臨床経験10年以上、うち産科臨床経験5年以上の助産師)、3助産所開設者(開業届けを出している助産師)からの申請にも対応する」対象の皆さんのように、お産の現場から離れている方々は。


「隗より始めよ」


現場の助産師が分娩介助に不安をもったり自信がないこと理解するためには、自ら分娩介助をしてみることではないでしょうか。
助産師像を描く必要があるのなら、まずはそこからではないでしょうか。




「アドバンス助産師とは」まとめはこちら