The Unthinking Majority

ヤジロベエ。 


2005年9月30日デンマークの新聞『Jyllands-Postens』の紙面上に12枚の風刺画が掲載されました。
2010年のその日、同紙文化部長Flemming Roseが発表した本
『Tavshedens tyranni(英訳Tyranny of Silence)』にも風刺画は転載されています。
これは必要なことだ、そう語る人もいます。
確かにその通りではありますが、ムハンマド風刺画問題が再熱する可能性を秘めています。
例えば外務省は中東地域への輸出はこの国の産業と密接な関係にあるとしていますが、
この問題の再発を回避する術は持ち合わせていません。


Flemming Roseはデンマークと諸外国が対立を繰り返すことはないとしています。
「まず第一に風刺画は何回も転載されているし、第二にこの本は問題とは無関係です」
この本は風刺画を守るためのものではなく、
地球が自転するよりも早く図面が世界中を駆けめぐり、
{あなたは風刺画を見たことがありますか?}と誰もが言えてしまうような
krænkelseskulturen(論争の文化?)を支配することにあるとしています。


数年前この本に取りかかり始めた彼は、
このままでは画家や編集者のなり手がいなくなってしまうと指摘しました。
あの行動は自身の自己検閲と戦うために取ったものだということです。
そして何らかの不安に対して議論することが許されないのならば、
それは沈黙の専制にあたるとしています。
「人はあらゆる文化を受け入れようとしているけれど、実際には失敗しています。
そしてそのグループには特定の権限を与えていることがあります。
私はそれはおかしいと思う」としています。


これは大きな枠組みからするとムハンマド風刺画問題の話といえます。
彼はより国際的にこのような議論が交わされることを期待していると言います。
この本に取りかかった時、彼にはアメリカ人の代理人が付き、
アメリカの3つの大手出版社が興味を示していました。
本の題名である『Tavsheden tyranni』は彼らによって付けられたものでしたが、
その後彼らからの連絡は途切れることになります。
本の本質については理解していましたが、勇気を欠いていたのかもしれません。


このムハンマド風刺画問題の背後にはあるメカニズムが存在していて、
民主主義がグローバリゼーションのなかで問題なく浸透していること、
それが明らかになったようにも見えます。
この指摘について彼はこう応じています。
「もし私があの風刺画を掲載していなければ、誰もが全体の意見に同調しています。
そして彼らはこう言うでしょう。
{なぜ風刺画を掲載しないのですか?}
その後の5年間をその説明に費やして風刺画のない本を発行できることでしょう。
それは悪の選択です」
我々はムハンマド風刺画問題に今一度向き合う必要があります。
そうでなければ「我々」は更に遠い存在になってしまいます。


この問題を振り返るためには確かにこのような本(当事者の著作物)は必要だとは思います。
それに風刺画が必要なのかどうかはまた別の話ではありますが。
ただ読みたくても日本語訳版は出ないでしょうね。
The Unthinking Majority / Serj Tankian 2007年