極端に誰かを、極端な誰かを、信じ易い人々が持つ理由とは

ネット上で偶然見かけた文章を取り上げます。執筆者が現実の誰かにそう言われたのか、あるいは執筆者の自問自答劇なのか定かではありませんが、非常に的を射ている文章であると感じました。原文は執筆者個人のデリケートな内容を含みますので、要点はそのままに、文体は大幅に変えて紹介致します。

「過去に辛い経験に遭い過ぎた人は、病的なほど人に対して疑ぐり深くなると同時に、病的なほど人を信じ易くなる

NPO不登校情報センターなどの残念な支援団体には、ある程度の期間関われば見過ごせない問題点が見えてくるはずですが、通うのを止めない人が居たとしましょう。その理由の大きな1つは、上記の文章で説明が付くと思います。
昔、支援団体の情報を交換するネット掲示板で「不登校情報センターは代表がいい加減過ぎる」とバッサリ斬って近づかない方を見かけましたが、その方は「過去に人並みの辛い経験はしたかも知れないが、幸運にも、人を見る目や行動に深刻な悪影響が出るほどの辛い経験には遭い過ぎて『いない人』」なのかも知れません。