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藤井啓之ハイパー研究室本館

2011-06-18

ハシズム分析(5)―弱者が愛国心に飛びつく心理

ハシモトが庶民感情を投影しているとするなら、日の丸・君が代強制を主張するハシモトを支持する庶民感情とは何かを明らかにするという課題が残されていた。

さて、やや遠回りしたが、ここでその問題を論じてみたい。

まず、貧困であれば貧困であるほど、自信もなくなるし、様々なことを達成する力も意欲もなくなるということを確認しておきたい。

湯浅誠が書いているが、金持ちの子どもは、何か習い事などやりたいことがあったときに、親から「やってみたら」と言ってもらえる。お金持ちは、母親が家にいる可能性が高く、親子のコミュニケーションが豊かになり、できれば誉められ、できなければ励まされるという経験が多くなる。(この辺りは、経済格差と親子のコミュニケーションの調査研究の結果をみれば分かる。)当然、マクロに見れば、金持ちの子どもは、いろんなことに意欲的になるとともに、塾や習い事などで学力もその他のこともいろいろとできるようになり自信をもつことになる。

他方、貧困家庭の子どもは、習い事をしたくても「うちにはそんなお金はありません」と言われ、親は生活に追われて子どもとコミュニケーションをとる機会が少なくなり、忙しいので、子どもに対しても概してきつくあたるようになる。こうして自信も意欲もなくなっていく。

自信と意欲が無い人が、一番手っ取り早く自信をもつのは、虎の威を借りるということだ。

たとえば、中学生をじっくりと観察してみれば良い。本当に自信がある子どもは、自分が上級生というだけの理由で下級生に対して威張ったりはしない。そもそも自信がある生徒は、あまり威張らないことが多い。上学年であるという理由だけで威張りたがるのは、ほかに人に自慢するものがない子どもたちであることが一般的ではないだろうか。

そうだとするならば、自信のない人たちが一番てっとり早く自信の持つ方法は、「自分は日本人である」ということを自慢の種にすることだ。たまたま日本国籍の親のもと日本で生まれれば、何の苦労もなく日本人となることができる。逆に言えば、そうでない人は、どれだけ努力しても、日本人にはなれない(まあ、日本国籍を取るという方法もあるが…)。

つまり、「日本人は偉い」「日本人は素晴らしい」という考えを持つことで、何の努力もせずに、自分は他の人たちより偉いと思い込めるのだ。すこし前のブログで触れた「半島人」などということで他国籍の人を蔑視するのは、このような「日本人(である自分)は偉い」ということを確認する作業なのだ。

「日本人が偉い」ということを利用すれば、相手がどんなに有名で金持ちであっても「在日韓国人だ」「中国人だ」と批判できてしまう(西洋コンプレックスがあるので、あまりアメリカ人やヨーロッパ諸国の人をバカにしないのが痛いところだが)。

孫正義氏に対する誹謗中傷が多いのは、彼は日本国籍を取得したとはいえ、在日韓国人の子だからだ、ということがあるのではないか(事実、ネット上にはそういう書き込みがしばしば見られる。)

日本人でなかった人が日本国籍を取得してしまっても、それをさらに純化して「先祖代々日本人である」ということで差異化することができる。「万世一系の天皇」というのは、このひとつの象徴であり*1、だからこそ、日の丸・君が代を強制するハシモト(そしてイシハラ)への支持が高いのではないだろうか。


*1 明治以降の日本の保守派が、ことさらに「『万世一系』であることが日本の優越性だ」と騒ぎ立ててきたのは、現在の自分たちに対する自信のなさの裏返しであったと読むこともできるだろう。ちょうど西洋のモラルに匹敵するものの不在に愕然とした新渡戸稲造が、武士道という架空のモラルをでっち上げたのと同様に。


また、日の丸・君が代に敬意を払わない教員を批判するのは、自分より恵まれた生活をしている他人に対する嫉妬の心理もあるだろう。(現実には正規教員は時給何百円にしかならない3K労働で、とても恵まれているなどとは言えないのだが。)

ネオリベとネオコンの共同作業によって、多数の庶民を貧困に陥れて、人々から「自信」と「努力する意欲」を失わせ、そして、努力しないで自信回復するための「日本人」という記号に回収してしまう。見事な循環装置が作り上げられたものだ。

ただし、ハシモトは、富を集中させたい人にとってみると、実は不徹底なメッセンジャーであることも付け加えておきたい。なぜなら、米軍基地を大阪に持ってくるべきだとか、原発を廃止するか、必要なら大阪に持ってくるべきだなどと、資本家の利益に反することをときどき口走るからだ。そういう意味では、ハシモトは、その単純さが、庶民に親近感をもたせるという側面もあるだろう。


なお、ハシモト支持を生み出すメカニズムとして、ここでは論じられなかったが、権力者の側につくと自分がマジョリティであると感じられ、自分が強く(偉く)なった気分になれるということもあるだろう。自信のある人は一人になれるが、自信の無い人は一人だと不安で群れたがるものだ。

吉田吉田 2011/09/22 22:46 偏狭なナショナリズムは、劣等感から生じると思います。自信がない状況の中に、ハシズムが入り込んでいるように感じます。

fjhiro3fjhiro3 2011/09/23 05:33 コメントありがとうございます。
劣等感のあるところにうまくつけ込んでいますね。
たとえば、生活が苦しいのが、巧妙にグローバリゼーションのせいにされてる。
外国と競争しなければもっと苦しくなる、あるいは外国(といってもなぜか中韓なんですが)にだまされて金をむしり取られている、といったおきまりのフレーズがばらまかれ、それに飛びついている。それが、子どもたちに学力競争させなければ、とか、外国人を排斥しろという形で現れる。
ちょっと考えれば、それはグローバリゼーションのせいではなく、富裕層が貧困層からむしり取っているからなのですけどね。グローバリゼーションの中でも貧富の格差を減らし、国民が貧困に陥っていない国もあるというのに…。

あいうあいう 2011/09/25 08:09 「分析」といいつつ、一方的な僻みやっかみですね。
分析というなら、相手を否定するだけじゃなく良い面は肯定するのが筋じゃないですか?

fjhiro3fjhiro3 2011/09/25 08:25 どこをどう読んだら「僻みやっかみ」と読めるのかまったく理解できないのだが、それはさておき、橋下氏が、単純で、財界の広告塔としては出来損ないというのは、ある意味、本当の極悪人ではない、という意味で肯定的と取ってください(笑)

安東安東 2011/09/25 15:57 ハシズム分析シリーズ、大変勉強になりました。今まで「何故だ、何がハシモトやイシハラをそこまで支持させているのだ」と思っていましたがすごく納得できました。ネトウヨの言動も異常さが尋常ではなくムカツキましたがなんともお気の毒にさえ思えました。

本当はどうなのだろうか?本当はどうなのだろうか? 2011/09/25 15:58 橋本のような人格は今も昔も庶民には人気だと思います。そして英雄の登場を待ち望むのも庶民の本質だと思います。庶民自身が立ち上がることはよほど切迫しないとないと思います。日本の近代においては天皇制が庶民が立ち上がることを阻止してきたと考えます。現代においては体制の安全弁としての天皇制は不要になり、公共性という名の行政権力と大企業という複数権力による統治社会になっていると思います。庶民の多くは生活に本当に窮乏しないと立ち上がらないでしょう。そして自身のしんどい状況を何とかしてくれるように他者にお願いするでしょう。それはある意味での自助努力の放棄であると思います。ファシズムが愛国的なものを内包しているのに対してハシズムはどこかで打算的で利害の匂いがします。多分チンケな自己顕示欲と既得権益が結びついているのでしょう。
大衆の自分を救済して欲しいという甘い幻想がハシズムを支える本質であると思います。自分たち一人一人で何とかするしかないということと、そのための方法として行政を活用するという、そういう戦略を大衆自身が獲得しなければハシズムのようなものに安易にのっかってしまうのだと思います。
そのような意味で橋本が人気を得るという状況そのものが大阪の危機なのであり日本の地域の危機であり、そして大多数の日本人が自助努力を放棄していることの表れなのだと思います。
橋本を打倒することと自助努力と地域と日本人の再建は同じ線にあると思います。本当に強い人は弱い者いじめするのではなく弱い者を助ける者です。橋本の論理を左派自体が根源的に乗り越える必要があるのではないかと思いました。
長文失礼しました。

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