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2007-09-29 あらためまして休眠のごあいさつ このエントリーを含むブックマーク

Retired | ブログ引退表明サービス

いやもう、ここに書き込まなくなってずいぶんになりますが、まだ見ていてくださる方がいらっしゃったら、申し訳ないことです。

たんじゅんに、以前はブログのために使えていた時間が完全にふっとんでしまっている状況なので、別に以前からここは休眠していたわけですが、いちおうちゃんと書いておいたほうがよいかな、と。ブログ引退表明サービスなんてものができているようなので、これも使ってみます。

それでは、また会うヒマで(と、この誤変換は残しておこう)。

猫屋猫屋 2007/10/02 09:59 了解。

odakinodakin 2007/10/10 15:40 再見 ノ

suesue 2007/10/11 21:45 了解しましたー残念ですが、仕方ないですよね。

…休眠中の自分を棚に上げて書いてますが、「時間が吹っ飛んで」というのは感覚として分かる気がします。
またどこかで。一路平安。

kmiurakmiura 2007/10/11 21:51 さまざまな刺激をいただいたことに感謝しています。
オープン飲み会なぞやるときには、またいつでも気軽にご参加ください。

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2007-03-01

「リアル『マトリックス』」の思い出 「リアル『マトリックス』」の思い出を含むブックマーク

 

 昼飯のあと、腹ごなしに図書館のなかをぶらついていたら、宮台真司『サブカル「真」論』asin:4901391666が目について手にとった。宮台真司がこういっていた。

 「(略)『マトリックス』は、社会的コクーニングです。生命維持装置につながれて、妄想的な夢を見せられているのは、個人ではなく、社会全体なんですね。

 日本のように社会全体がコクーニングしているようなところでは、洒落にならない話です。社会全体のコクーニングの中により小さなコクーン(まゆ)が生まれるのが、日本型オタク社会。そこでプラグインされた生命維持装置から注入されるのが妄想的マンガです。」 

 これに江川達也が「まさに日本社会はマトリックス社会ですよね」と同意する。

 

 数年前イギリスで、友人が入院していたので見舞いにいったとき、彼女が声をひそめてしてくれた話を思い出した。彼女が入院していた大きな病室には、中年から年配の女の人が20人ぐらいいたのだが、夜7時半になると、彼女たちの多くがいっせいに自分のベッドのそばのテレビのジャックにイヤホンをつけて、『コロネーション・ストリート』を見はじめる、というのだ。『コロネーション・ストリート』は、もう40年以上も、週3回ぐらいやっている連続テレビ小説みたいなもの―「ソープ(オペラ)」―だ。それを聞いて「『マトリックス』だね。こっちはリアルな。」といったら彼女は笑わないで、ほんとうに怖そうな顔をしていた。

 

 何日か前、彼女が先週その病院で亡くなったという知らせを受けた。退院してけっこう元気にやっていたはずだった。いろいろ他人を巻きこんで人騒がせなところもある彼女だったが、亡くなるとは。言葉がない。

jkjk 2011/01/17 13:54 古い記事だ。日本社会をマトリックスに例えるなら、さしずめサイコパスはエージェント・スミスってところでしょうか?

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2006-09-10

阿部謹也氏逝去 阿部謹也氏逝去を含むブックマーク

亡くなられたか。生前、直にお会いしたことが一度だけある。自分の書いたものをいつか読んでいただければよいなと、心のどこかで思っていたようだと逝去の報に接して思う。間に合わなかった。途中から学者としては「あがって」しまわれた感があったが、彼が提起した問題は考えつづけられねばならないと思っている。このサイトで氏にふれた文章としては以下の二つがある。

 

学問と「世間」(id:flapjack:20030915#p1)

網野善彦氏追悼関連(id:flapjack:20040302#p1)の2)

 

前者のエントリーとのつながりで、氏の名前に直接言及はしていないが、阿部世間論を批判的に検討したエントリーが以下のふたつ。

 

世間論(id:flapjack:20031027#p1)

世間と社会 (id:flapjack:20040224#p1)

 

さらに、時事的関連で、上のテーマにふれたエントリーとして:

 

共同体圧力の増大 (id:flapjack:20040318#p1)

 

彼の人と学問をしるには『自分のなかに歴史をよむ』(筑摩書房)(ISBN:448004115X)をまず勧める。昔、これを読んで、おれも学問していいのかな、と思った。

2006-08-12

既視感 既視感を含むブックマーク

ふーむ。イラク、レバノン、そして今度はイギリス。それからここのところの靖国神社のはなし。靖国神社は別にして、他のことは主に英語メディアを通じて注視しながら、うーむ、と考えていた。イラクはともかくとして、靖国のはなしにしてもイスラエル=レバノン、イスラエルをとめないアメリカにしても、問題の構造自体はすくなくともここ15年ぐらいはまったくかわっていないと思う。バランスがこっちにふれたりあっちにふれたりしているだけで、全体の構図としてはものすごい既視感がある。既視感といったって、そこで実際に人々が殺されているわけだから、しゃれになってない。しかし、ライス国務長官もすごいこというよな。恒久的な和平ができるための「産みの苦しみ」って。この現アメリカ政権のイスラエルべったりというのが問題の核で、いますぐストップといわない(いえない?)糊塗のいいっぷりが、このいいまわしだ。かなわんなー。

 靖国も、なんでいまごろ政治のメインの問題になっているのか。もちろん小泉と中国という外交の問題があるからだけど、それは実は本質の問題じゃなくて、本質はとっくの昔にでていたはずのような。靖国神社に一方的に合祀されたA級戦犯のひとりの親族はそれを快くおもっていないとか(これは知られるところでは以前から知られていたことだと思う)、同様にかってに合祀されたキリスト教徒の人とか、そういうはなしは以前からあって、そちらのほうが実は本質的には重要だと思う。なんでこれまでそういう人たちの意見は「無視」されてきたのか(たとえば、合祀とりけしをもとめた人たちは裁判で負けたんじゃなかったっけか?)、そっちのほうが気になる。(とはいえ、いまになって、そういう当たり前におもえることがけっこう広く理解されるようになっている気もしていて、遅いとはいえそういう動きは歓迎したいのだが。)

 小泉首相が「いつ靖国に参拝にいってもマスコミは批判するんだろ」と逆ギレしているのが報道されているけれど、それを報道するニュース番組で、だからそれは「いつ」という問題じゃないだろ、といっている人を目にしない。そこをつっこまないで首相付きの記者たちはなにをやっているのだろう? そこがいちばんおいしいはずじゃないの? そこで首相のいってることのナンセンスさがうきぼりになるはずなのに、結果的にいいぬけられて、構図がぼかされている気がするのだ。この感じにも既視感が。

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2006-08-11

学会の醍醐味 学会の醍醐味を含むブックマーク

 先月、一年ぶりにヨーロッパのある国でひらかれた学会で発表した。いつものことだが(今回は80人の参加者中)日本人ひとり。尊敬する研究者たちを目の前にしてしゃべり、そのあと彼等から笑顔で握手を求められる。非常にうれしい。その場になってみれば緊張はしなかった。多少ゆっくりしゃべっても時間オーバーしないぐらい、おもいきって刈り込み(それは非常につらい作業で極度の寝不足になったが)自分のいいたい論点を明確にできたので、早口になることもなく余裕をもってはなせた。やはり早口はいかん。あるアメリカ人の研究者の発表は僕がおもうにとてもよい内容だったが、早口すぎて多くの人々に十分に理解されず不評をかこっていた。最初にかましたジョークがうけたのもよかった。やはり早い時点での笑いは重要。

 他のひとの発表からいろいろ刺激をうける(でもダメなのもある)。こういうところにきて、自分も含め研究者たちの関心がいくつかの方向性にむかっていることを感じる。そのうちのあるものはかなり明確になっていて、その種の研究はすでに量産されかけている。大学院生たちの現在進行中の研究を展示しているポスターセッションをみていてもそれは明らかだ。しかし、まだそこにいる大多数の研究者にははっきりとは自覚されていない、まだぼんやりとした方向性があることも感じとれる。

 そのうちのひとつでも(そしてできればいくつかを)自分のマテリアルでだれよりもはやく形にし、ひらかれた議論のフォーラムにつけくわえること、それが「研究」であり academic contribution というものだ。刺激をうけ、刺激をかえす、そういう議論の場に参与すること、これである。とはいっても、自分の研究にいきつくまえにこなすべきことが山とあるのだが、バリバリこなして、研究にいきつこう。

 学会というのは楽しいところでもあるのだけれど、弱肉強食なところでもある。研究ができるかどうか(というかへたするとできそうにみえるかどうか)というところだけで、あからさまに序列関係ができあがってしまうところがある。ああいうところでの社交というのはけっこう戦場だったりもする(あんまり考え込むとそれはそれでよくないんだけど)。僕の関係するところは幸運なことにいい人たちがおおいんだけど、それでも、やはり人間である以上さけられない。そして、そこだけ見てしまうとほんとうにあほらしいし気疲れする。以前とはくらべものにならないけれど、いまでも気疲れする。だけど、みんなが探求している知の世界というのがあって、そこに直接自分が参与できた、できそうだ(と思える)ことがほんの数秒でもあると、すべてがまったくちがって見える。そのためにやってんだよ。ま、おたがいがんばりましょう(と、おれはだれに書いているんだろうか)。

 

Reza Aslan, No God but God: The Origins, Evolution, And Future of Islam (orig. 2005, 2006) No god but God: The Origins, Evolution, and Future of Islam Reza Aslan, No God but God: The Origins, Evolution, And Future of Islam (orig. 2005, 2006) を含むブックマーク

 かえりには飛行機の乗り換えでアムスによったのだけど、手もとにはそのまえの飛行機にのるときにもらったガーディアンと学会で買った本しかなかったので(それだけでも十分といえばそうなんだが)、もう一つなにか欲しいなと思い、スキポール空港内の書店をみてまわる。で、たまたま手にとったこの本を買った。あそこで英語の本をかうと割高なんだけど、しかたない。

 で、まだ読み終わってないんだけど、めっちゃおもしろい。問題がないわけではないらしいのだけど、とにかく読ませるイスラム入門書。これ日本語に翻訳されつつあるんだろうか(ぜひそうであってほしい)。この本についてはいろいろ書きたいのだけど、疲れたのでまた今度。

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