「議論やめろ」三態(id:ueyamakzk:20050204#p1)

いろんな立場があって、それらの立場はかならずしも相互排他的ではないにもかかわらず、「議論やめろ」という人たち。そういう人たちは、自分たちの拠って立つ論理をきっちり詰めて提示することはあまりない。上山さんは、そちらがわの論理に一度寄り添ってできるだけフェアに記述したうえで、だけど、かならずしもそこで「黙る」必要はないという論拠を提示している。別にこのエントリーにかぎるわけではなくて、上山さんはたいへん重要な仕事をされていると思う。

以下は単なる自分用のメモ。
民主主義とかいうものは「黙る」「黙らせる」という選択とは両立しないと思う。それぞれの立場の人がそれぞれの立場でしゃべればよい、というのが民主主義の「暴力的」前提なのではないか、という気がする。つまり、しゃべらないかぎり問題は存在しないことになるというと意味で。しかし、もちろん「黙れ」というのも暴力だろう。民主主義(という言葉でいうのが適当なのかどうかよくわからないが)というのは「黙れ」という暴力を断固として否定し、「しゃべれ」という暴力を肯定するものではないだろうか。

あと、《中間集団》(id:ueyamakzk:20050203#p3)は、id:flapjack:20031211#p1あたりで考えていたこととかなりかぶっているような気もする。あれから、1年以上ほったらかしているのだけれども、また考えていかねばねば。