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1800-09-30 ”Jack Bauer and the Ethics of Urgency” このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

Jack Bauer and the Ethics of Urgency

ジャック・バウアーと緊急時の倫理

スラヴォイ・ジジェク

2006年1月27日

http://www.inthesetimes.com/site/main/article/2481/

(訳注:以下の文章は、テレビドラマ「24」シリーズについての広範囲にわたるネタバレを含みます。あ、重要なことを言いそびれていた。訳者は「24」シリーズを一切見てない状態で訳しております。なんということでしょう)

はてなブックマークに入れたいかたは、http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/flurry/180009 が便利です。

1800-09-29 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 驚異的な成功を収めた米FOX製作のテレビ・シリーズ「24」の第5シーズン第1回が2006年1月15日に放映された。1時間のエピソード24回からなるこのドラマは、ロサンゼルスに拠点を置く架空のテロ対策組織(CTU)が破壊的テロ活動を阻止せんと必死に取り組む1日の様子――第4シーズンにおいて彼らは、盗まれた核兵器がアメリカの主要都市の上空で爆発するのを阻止した――を時系列に沿って描いている。

 このドラマの「リアルタイム」な性質は視聴者に強い緊迫感を与える。デジタル時計のカチカチという音 点滅や、あるいは、複数のキャラクターの行動を手持ちカメラによるショットや分割画面で同時に映し出すことによって緊迫感が強調されているのだ。

temjinustemjinus 2006/08/25 17:57 デジタル時計のカチカチという音>デジタル時計には不可能なのでは?”tick”には別の意味もあるような・・・

flurryflurry 2006/08/25 21:54 きゃー!>デジタル時計はカチカチ鳴らない。お恥ずかしい次第です。ご指摘ありがとうございます。

temjinustemjinus 2006/08/25 22:57 いえ、とんでもない。翻訳ご苦労様でした。

通りすがり通りすがり 2006/11/28 00:20 「24」では、CMの前後にデジタル時計が画面に表示される時に、「ピッ、ピッ」と秒数にあわせて音がなります。ちなみに点滅はしません。

1800-09-28 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 コマーシャルさえもこの緊迫感に貢献している。コマーシャルの前に我々は、ドラマの場面内にあるデジタル時計の数字が「7:46」であるのを見る。番組が再開されたとき、その数字は「7:51」となっている。我々視聴者にとっての実時間における番組中断と正確に同じ時間だけ、ドラマの場面描写も――あたかもコマーシャルを見ている間にも事件が進行していたかのように、一時的に欠落するのだ。

 この演出によって、現在進行中の場面があまりに切迫しているために視聴者の実時間にまで溢れ出ててきたかのような効果がもたらされる。コマーシャルですらそれを妨げることが出来ないのだ。

1800-09-27 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 このことは重要な疑問をもたらす。緊迫感が全体に拡がっていくこの感覚は、倫理的には何を意味するのだろうか?

 事件の切迫感は圧倒的であり賭けられたものがあまりに大きいため、通常の倫理的な配慮は一時停止することを余儀なくされてしまう。結局のところ、数百万人の命が危機にさらされている状況下で道徳的な疑念を表明することは敵の利益となってしまうのだ。

1800-09-26 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 CTUのエージェントは法律の外の薄暗い舞台で行動し、テロリストの脅威から社会を救うために「単にやらなければならない」ことを行う。捕らえたテロリストを拷問するだけではなく、テロリストとの関連が疑われるCTUのメンバーやメンバーの近親者に対して拷問を加えることも、それには含まれている。

 第4シーズンにおいて拷問を加えられた人々には、国防長官の義理の息子と実の息子(両人とも国防長官が良く知る人物であり、彼の庇護のもとにある 両者に拷問を加えることを国防長官は知っており、それを支持した)およびCTUの女性職員が含まれる。彼女はテロリストに情報を流したという誤った疑惑をかけられたのだ。

(拷問が行われた後で新しい証拠によって彼女の無実が確認されたとき、彼女は職場復帰するように要請される。そして、これは緊急事態でありあらゆる人々が必要とされているとして、彼女は要請を受け入れるのだ!)

 CTUのエージェントはテロの容疑者のみを相手にしているわけではない。つまるところ、彼らは「カチカチと鳴る爆弾」――アラン・ダーショウィッツが著書 "Why Terrorism Works" において拷問を正当化するために作り出した状況――を相手にしているのだ。彼らは自分自身についても消耗品だと考えている。テロリストの行動を阻止するためならば、同僚および自分自身の生命をも捨て去る準備が彼らには出来ているのだ。

GomadintimeGomadintime 2006/08/27 00:28 お久しぶりです。アラン・ダーショウィッツはいろんな意味で注目してます。最近もこんなのを読みました。
http://billmon.org/archives/002554.html
(これはパロディで、ダーショウィッツ自身の記事はリンクからいけます)。

ところで、
>(両人とも国防長官が良く知る人物であり、彼の庇護のもとにある)
は、「両者に拷問を加えることを国防長官は知っており、それを支持した」ということじゃないでしょうか?

flurryflurry 2006/08/29 17:48 お久しぶりですー。
きゃあー。>「両者に拷問を加えることを国防長官は知っており、それを支持した」
まことにもってそのとおりだと思うです。ううう。

flurryflurry 2006/08/29 17:48 んで、ダーショウィッツさんですが、どういう人か知らなかったのでリンク先から記事を読んでみました。きゃああー! なにこのひとー!

Meat_eating_orchidMeat_eating_orchid 2008/12/06 11:10 はじめまして。ちょっと気になったので。
本エントリの第二 verse の「デジタル時計のカチカチという音」ですが、
この verse の「カチカチと鳴る爆弾」という表現と呼応しているので残したほうがいいんじゃないでしょうか?
どちらも原文では tick ですし。
ちなみに、この文章は編集されて、河出文庫『ロベスピエール / 毛沢東』の「幕間2」の中に収められていますが、
その長原豊・松本潤一郎訳では、前者は「時を刻む」と訳されていて、その横に「チクタク」とルビがふられており、
後者は「チクタク時計的な状況」と訳されています。

1800-09-25 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 キーファー・サザーランドによって演じられる特別捜査官ジャック・バウアーは、この態度をもっとも純粋な形で体現している。疑念無しに彼は他人を拷問し、また、上司が彼の人生を危地に追いやることを許可する。

 第4シーズンの終盤、中国の外交官を殺害したCTUの秘密工作のスケープゴートとして自らが中華人民共和国に引き渡されることに彼は同意する。彼は自分が拷問され刑務所に一生涯入れられるということを知っているが、アメリカの利益を損なうことは何も言わないと彼は約束するのだ。

 第4シーズンの結末においてジャックは典型的な状況に置かれる。親しい知人である合衆国前大統領が、政府の何者かがジャックの殺害を指示した(狡猾な中国の拷問者にジャックを引き渡すことは、安全保障上のリスクが大きすぎると考えたのだ)と知らせてきたとき、CTUにおけるジャックの親友2名は彼の偽装死を計画する。そして彼は、匿名かつ公式には存在しない――どこにも無い場所――へと消え去る。

1800-09-24 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「テロとの戦い*1」においては、テロリストだけでなくCTUのエージェントも哲学者のジョルジョ・アガンベンがホモ・サケル(homini sacer)と呼ぶもの――彼らを殺しても処罰されないような、法律的にはもはや人間と扱われないものたち――になる。エージェントは法権力の代わりとなって活動する一方で、彼らの行為はもはや法によって保護されることも拘束されることもない。彼らは法の領域の中にある空白のスペースで活動するのだ。

*1:"War on terror" イラク戦争開戦時に、アメリカのメディアによってしばしば使われたフレーズらしい。

Stock&FlowStock&Flow 2006/08/27 11:43 ”War on terror”という言葉は今もずっと使われていますよ。

1800-09-23 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 ここにおいて我々はこのドラマシリーズの根本的なイデオロギー的虚偽に直面する。自己を道具化する、この徹底して非情な態度にも関わらず、CTUのエージェント――とりわけジャック――は「普通」の人々が通常感じるであろう感情的なジレンマに囚われてしまうような「温かい人間」であり続けるのだ。

 彼らは妻や子どもを愛し、嫉妬に苦しむ。――しかし、たちどころに彼らは、愛する人たちを任務のための犠牲として喜んで捧げるのだ。彼らは精神分析的には「カフェイン抜きのコーヒー」の等価物のようなものである。置かれている状況において必要なあらゆる恐るべき事柄を彼らは行なうが、そのことに対する個人的な代償を支払うことは無いのだ。

1800-09-22 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 したがって「24」を、合衆国がテロとの戦いで用いている、問題のあるやりかたをポップカルチャー的に正当化するものだとして単純に退けるわけにはいかない。なぜなら、それよりもっと大きなものが問題となっているからだ。

 フランシス・フォード・コッポラの「地獄の黙示録」における教訓を思い出そう。カーツ大佐という存在は過去の野蛮な時代の生き残りではない。彼の存在は現代の西側権力の必然的結果なのだ。カーツは完璧な兵士だった――そして、それゆえに彼は軍事的権力に対して過剰に同一化してしまった。軍事システムは余計者として彼を殺さなければならなかったが、その作戦自体、表面上は敵対しているはずのカーツの無慈悲さを模倣するようなものなのだ。

1800-09-21 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 このことは権力者にとってのジレンマである。どうすればカーツ大佐を、彼の病理抜きに得ることが出来るだろうか?どのようにすれば人々を怪物に変えること無しに、必要な汚れ仕事をさせることが出来るだろうか?

 ナチスのSS長官であったハインリッヒ・ヒムラーは、これと同じジレンマに取り組んだ。ヨーロッパのユダヤ人を粛清するという任務に直面したとき、ヒムラーは「誰かが汚れ仕事をやらなければならないのだ。だから、さあそれに取り組もう!」という英雄的な態度――国家のために立派な行いをすることや自己犠牲を行うのは簡単だが、国家のために犯罪を犯すことはそれよりずっと難しいのだ――を採用した。

1800-09-20 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「イェルサレムのアイヒマン」においてハンナ・アーレントは、ナチスの処刑者たちが自らの恐るべき行為に耐えた方法を正確に説明した。彼らのほとんどは全然邪悪ではなかった。彼らは自らの行動が犠牲者に屈辱や苦しみや死をもたらすことを知っていた。この苦境に対する彼らの逃げ道はこうであった。

「『私は人々になんと恐ろしいことを行ったのだろう!』と言う代わりに、殺人者たちはこのように言うことが出来た。『職務を果たすときに、なんという恐るべきものを私は目撃しなければならないのだろう! 私の肩に背負われた務めの、なんと重大なことよ!』」

 このようにして彼らは、誘惑に抵抗するためのロジックを反転することができた。彼らの「倫理的」な努力は「殺さず、拷問せず、恥をかかせないという誘惑」への抵抗に向けられたのだ。こうして、哀れみや同情という自然な倫理的衝動に背くという、まさしくその行為こそが、倫理的に崇高であることを証明するものとなってしまった。職務を果たすことは、誰かに危害を加えるという重荷を引き受けることを意味したのだ。

1800-09-19 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 更なる「倫理的問題」がヒムラーには存在した。どのようにすれば、これらの恐るべき行為を行ったSSの処刑者たちが人間的で尊厳を保持したままでいることができるだろうか?

 ヒムラーの解答はバガヴァッド・ギーター*1(彼は革張りの特別版を常にポケットに入れていた)に発見された。その本の中ではクリシュナ神が「自らの行為に対して内なる距離を取らなければならず、行為に完全に巻き込まれては決してならない」とアルジュナ王子に説くのだ。

1800-09-18 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 これらのことは「24」における虚偽にも当てはまる。登場人物たちは恐るべき行為を成し遂げながらも人間の尊厳を保持することが可能だとされる。そしてまた、誠実な性格の登場人物が恐るべき行為を重大な職務として行うことで、悲劇的かつ倫理的な崇高さが彼に付与されるのだ。

 しかし、そのような距離が本当に可能だとしたらどうであろうか?

 ある人が、仕事の一部として恐るべき行為を行いながらも、プライベートでは愛すべき夫や良い親や思いやりのある友人であることが可能だとしたら、それは一体どういうことなのだろうか? アーレントが知っていたように、そのような行為を行いながらも正常さを保持することが出来ることで彼らが免罪されることはない。それどころか、まさにその事実こそが登場人物たちが道徳的なカタストロフ状態にあることの最終的な確証なのだ。

1800-09-17 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 では、拷問に関する懸念や重箱の隅をつつくような差異で拷問を区別しようとすることに対する、以下の回答――人気があり表面的には説得力のある――についてはどうであろうか。

「何を空騒ぎしているんだい? たった今、合衆国が拷問を行うことを公認したってだけじゃないか。少なくとも合衆国は黙認状態でつねに拷問を続けてきたし、他のあらゆる国家も拷問を行ってきたんだ。むしろ今の僕らは以前よりも偽善的では無くなったんだよ」

 これに対しては以下のような単純な反問を返すべきだろう。

「そのことが合衆国政府の声明が意味する唯一のことだったら、『なぜ』彼らは拷問を公認したんだ? 以前からそうしていたように、黙って拷問を続けていれば良いじゃないか」

1800-09-16 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「語る内容」と「語るという行為」との間に存在する、解消できない裂け目――たとえば「あなたはそのように語るけれど、でも、『なぜ』あなたはそのことを公然と私に語るのだろうか?」のような――は、人間の発話に内在しているものである。

 たとえば我々は皆、知人の話が退屈でバカバカしいことを婉曲に伝えるために「それってとても興味深いね」(“That was very interesting.” )という言い回しを用いることができることを知っている。もしその代わりに「退屈でバカバカしいよ」と公然と知人に語ったとしたら、彼は驚愕するだろう。何かを公言するという行為は決して中立なものではない。語るという行為は語った内容それ自体に影響を及ぼすのだ。

BigHopeClasicBigHopeClasic 2008/08/06 11:19 はじめまして。

昔大学の英語の授業で、外国人講師の求めた自由課題のレポートを提出したら、That was very interestingのコメントが付されてかえってきました。これってこの意味だったんだなと愕然としました。

と同時に、自分が本当に興味を持ったことにThat was very interestingと普通に答えてしまっていた事にショックを受けました。いったいなんて答えていたらよかったのでしょう。

1800-09-15 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 同じことが、最近、政府が拷問を行っていることを公認したことにも当てはまる。ディック・チェイニーが拷問の必要性についての猥褻な声明を行うとき、我々は問うべきであろう。

「なぜあなたはそれを公言するのか?」

 まさにそれこそが我々が為すべき質問である。あなたにその声明を行わせているのはいったい何者なのか? 「24」に関して本当に問題であるのは、番組が伝えているメッセージではなく、メッセージが公然と認められているという事実である。この事実は、倫理的・政治的な基準に関して我々が深く変化していることの嘆かわしい徴候なのだ。

(了)

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