兄に教えてもらった、文系と理系のたったひとつの違い


ある日、真ん中の兄*1と話していました。

俺「俺って結構理系っぽい思考パターンしてると思うんやけど」

兄「それはない。」

俺「何で?論理的な思考は結構得意な方やと思うで?」

兄「お前は自分が正しいと思うかどうかで物事を考えてるやろ。
  それは典型的な文系型思考パターンや。」


この言葉で文系と理系の違いの本質に気づかされ、目の前が晴れた気がしました。

すなわち、文系と理系の違いは

文系・・・考えるときの基準が、自分の内心(自分が正しいと思うかどうか)
理系・・・考えるときの基準が、自分以外の客観的な事実

なのです。

一般に自然科学は理系といわれますが、この分野では実験で得られたデータや観察によって得られた客観的な事象を基に考察します。

一方社会科学や人文科学といったいわゆる文系の分野では、基本的に客観的なデータに基づいて考察することはせず*2、結論を出すに当たっては、客観的な事実と正しい論理を踏まえた上で、ある結論が妥当かどうか、それでいいと「自分が考えるかどうか」という価値判断を必ずします。
たとえば私が学んでいる法律学の分野の例を挙げると、法律学では至る所で学説の対立というものがあります。この法律学における学説の対立というのは、突き詰めれば「その学説を主張する人が正しいと思うから正しい」という価値判断に行き着くのです。ですので結論が正反対になる学説であっても、どちらかが間違いということは言えません。たとえ最高裁がどちらかの見解を支持しても、です。
これはおそらく他の社会科学でも同じではないのでしょうか。


一方理系の人は、「データがある事実を示しているから、自分の考えは正しい」と考えるのであって、「自分が正しいと思うから正しい」、とは考えないのです。


よく数学や理科が理系科目で国語や英語なんかは文系科目といわれますが、それは単にそれぞれの科目が理系の分野と文系の分野に属しているからそう呼ばれるだけで、逆に数学だから理系とかいうことではない*3のですね。
そして数学の問題を解くときに、「自分はこれが正しいと思うからこう解いてみた」と考える人は、結局数学が苦手になるというわけです。


また、かつての僕が考えていたように、論理的・分析的思考ができるから理系というわけでもありません。文系の科目でも(というかすべての科目において)論理的・分析的思考は必要です。
いわゆる理系の分野で使う手法を文系の分野で使うことはありますが、それは結論を導き出すためのツールの違いであって、根本的な思考の違いとは関係ありません。



このことを知った上で人と接すると、話しているうちに相手が理系的思考をするか文系的思考かが分かるので、それに応じた対応ができるようになります。(文系型思考をするから感情に流される傾向があるかもしれないな、とか)
逆に理系的思考の人は事実に基づいて話し、できるだけ感情を差し挟まないようにする傾向があるので文系的思考からするといらっとすることがあるのですが、「理系的思考をする人だから」とわかっていればこちらもできるだけ事実に即して話をする、というように対処することができます。




真ん中の兄は現在某国立大学の工学部で助教をしています。めちゃめちゃ頭いいです。一生勝てる気がしないですね。<追記>

heis101さんから頂いたトラックバック(「差別化はいくらでもできる」のは、なにも社会科学に限った話ではない)を見て、思ったことを書いておきます。

兄に教えてもらった、文系と理系のたったひとつの違い - 院生兼務取締役の独り言

すなわち、文系と理系の違いは

文系・・・考えるときの基準が、自分の内心(自分が正しいと思うかどうか)
理系・・・考えるときの基準が、自分以外の客観的な事実

なのです。


この指摘は、経験的には非常に的を射ているように思うのですが、一方でまた、この違いは、文系と理系の方法論の違いに由来する違いではないだろうとも思うのです。
すなわち、「関心がどれくらいかぶるか」の違いが、上のような経験的な違いを生み出しているのではなかろうかと思うわけです。


TAKESANさんへのコメント返しをしたあとにこのエントリーを拝見したのですが、このときにこんなことを考えていました。
それは何かというと、「文系と理系の違いが考えるときの基準に何をおくかで変わるのは何故か?」ということについて考え、その答えは「結局研究の対象となるものの性質によって変わるんじゃないのか?」というものです。つまり、いわゆる文系とされる学問分野で研究されている対象は結論がどう転んでも、その結論が客観的な事実と正しい論理に基づいている限り、研究対象の性質上誰もそれを間違いと言うことができないのではないか、ということです。
heis101さんへの応答としては、「関心がかぶっていない」場合はもちろんのこと、「関心がかぶっていたとしても」、研究対象の性質上間違っていると言うことはできないのではないか、ということになります。


うーん、何だかぐるっと回って出発点に戻ってきた気分です。

*1:うちは3人兄弟で、俺は末っ子

*2:もっとも説得するために理系分野で使う手法を用いることはありますが

*3:したがって、自然科学=理系、人文科学と社会科学=文系という枠組みは、分野のラベリングという意味しかない