今日の失業問題における議論の本質は何か?


失業問題における「自己責任」論は、間違いです。の続きです。


現在の失業問題における議論ではよく「正社員の雇用規制」とか「労働者の自己責任」とか「セーフティーネット」とかいうキーワードが出てくるのですが、これらの議論の本質は


「労働力の供給過剰という危険を誰が負担するか」


という点にあります。具体的に言えば、「労働力の供給過剰という危険」を

・労働者を雇うという形で企業が負担するのか、
・会社に雇ってもらえないという形で派遣労働者が負担するのか、
セーフティーネットという形で国家が負担するのか、


という問題なのです。


そして、このように考えると現在取るべき対策は、2種類しかないことが分かります。それは、以上にかかげた3つのうち

・労働者を雇うという形で企業が負担する
セーフティーネットという形で国家が負担する


です。

わかると思いますが、「雇ってもらえないという形で労働者が負担する」というのは、対策にはなり得ません。これはすなわち「『労働力の供給過剰』という問題をそのまま放置する」ということですから。
そして「セーフティーネットという形で国家が負担する」というのも、あまりいい対策ではありません。社会保障というものは社会復帰できるまでのあくまで一時的なサポートだからです。

とすれば、残りは「いかに企業に労働者の雇用という負担をさせるか」というところに行き着きます。つまり、現在の失業問題で議論するなら、テーマは「企業に労働者を雇用させるために、政府はいかなる対策を取るべきか」(+「その対策が効果を上げるまで失業者の保護をどうするか」)以外にはあり得ません。


ちなみに池田信夫先生の主張は、私の理解した範囲ですが、「正社員の解雇規制をゆるめることで正社員の賃金を下げ、その分会社がより多くの労働者を雇えるようにすれば(または正社員を減らしつつ派遣労働者を増やせば)失業者を減らすことができる」ということのように思われます。(経済学はかじった程度なので非常に自信がありませんが・・・)
つまり池田先生は国家が正社員の賃金を下げさせることで、会社に対してより多くの労働者を雇うよう仕向けるべき、という主張をされているのだと思います。(私の理解が正しければ、の話ですが)
([高校生の経済学] 需要と供給 - 池田信夫blog)


賃金を下げることはコストの低下であり、企業にとっては負担とはいえないかもしれませんが、国家が賃金の低下を認めることにより企業が実際に賃金を適法に下げることができたとしても、現実問題としては結構な負担(人事制度の変更や人材の流出リスク・従業員の不満の増大等)なのではないでしょうか。


解雇規制に関する池田先生の主張には少し物申したいことがあるのですが、それはさておき個人的には合理的な処方箋であるように感じられます。(私の理解に誤りがあれば、ぜひどなたかのご指摘を頂きたいと思います)

失業問題における「自己責任」論


失業問題において「自己責任」を唱える人たちは、「(正社員になるための努力をせず)すぐに切られる派遣という道を選んだ人が悪い」といったことを言うわけですが、これを上述の議論に当てはめれば「会社に雇ってもらえないという形で、労働力の供給過剰という危険を派遣労働者が負担すべき」という主張にあたると思います。この「自己責任」を掲げる主張が論外であることはすでに書いたとおりですが、さらに私は、この問題を論じるときに「労働者に対して矛先が向けられること」自体が誤りであると考えます。

理由は2つ。


ひとつは、前回のエントリーで書いたように労働者には何も責任がない=非難されるいわれはないから。
もうひとつは、現在職を失っている人に対して失業問題の矛先を向けたところで、彼らはどうしようもないからです。


たとえば「失業は労働者の自己責任なんだから、国家は労働者に手をさしのべるべきではない」と主張するのならば、まだわかります。この主張は問題解決という観点からはまるで意味はありませんが、その内容は「国家が危険を負担すべきではない=矛先は国家」ということですから。
しかし「失業は労働者の自己責任=矛先は労働者」という主張は、何も悪いことをしていない労働者を責めるという色彩を帯びるという点で無益どころか有害であるといえます。「努力しなかったこと」を非難している人もいますが、そもそも努力不足は放置=本人にリスクを負わせればよいだけで、それを超えて他人が非難することができるのでしょうか。


また、就職氷河期時代に正社員として採用されることができず、現在は派遣社員として生活せざるを得ない人たち(いわゆるロスジェネ世代)についても「大学受験・就職活動等での努力不足」といえるのでしょうか?私は兄がちょうどこの世代なので昔からずっと見てきたのですが、この世代は同い年の人が今の世代の倍くらいの人数(200万人)がいましたから、彼らは大学受験ですら半端じゃない競争を強いられてきているのです。



「自己責任」論の最大の問題は、どんなに努力したとしても事実上安定した雇用を得られることは不可能(労働力の需要がないから)であるにもかかわらず、派遣であるという結果「のみ」をとらえて、それを「自己責任」という言葉で片付けてしまっていることにあります。その結果思考停止に陥り、社会の問題として考えなければならない事柄を個人の問題として処理してしまっているのです。



一度「自己責任」という言葉について考えることで、現在の日本の状況について建設的な議論がされるようになってほしいと思います。


関連エントリー失業問題における「自己責任」論は、間違いです。