飲食関係では、ほかにも時制のおかしな有名な言い回しがある。
「こちら、ホタテのグリルになります」
なに、「なります」って。これまだ「ホタテのグリル」になってないんかい。何分待ったらなるの? なってから持ってきてくれますか?
「よろしいですか?」が「よろしかったですか?」、「です」が「になります」。発音する音が増えている。つまり少し長たらしくいえば、丁寧でソフトに聞こえるだろうということだ。そうすればより良いと思って言っていることが自己満足に過ぎず、逆に相手をイラつかせているのである。
ohnosakiko「こちら、ホタテのグリルになります」『Ohnoblog 2』(http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20080113/1200245722)
偶然目にした記事だったが、下のid:BigHopeClasicさんのコメントが面白かった。過去形を敬語に用いる表現は、北海道由来の可能性があるらしい。
私は関西圏で生まれ育ち、現在も関西圏で暮らしている。敬語は苦手。特に「おっしゃる」という言葉に慣れず、気持ちが悪い。私の中では、「言う」の尊敬語は「言わはる」である。
「正しい敬語」と言われるものは、たいてい東京の山の手言葉だから、いつまでたっても外国語だ。だから、過去形への活用はよく間違う。時制も意識しないと一致しない。だから、「正しい/間違っている」ではなくて、よく耳にする慣用表現を優先して使っている。
最近、手に入れた慣用表現は「そーなんですね」。*1アパレル業界のお姉さんがすべからく相槌に「そーなんですね」と言うので、真似してみた。たいして興味もなく、よく知らない話題に対して、わざとらしく驚くでもなく、しらけた感じでもなく、話を流すときに使う。一番、私の中の言葉に近いのは「あー、そーなん」。これを敬意を払っている相手や、非関西人に対して使うようになった。*2
そもそも、居酒屋の店員もレストランの店員も、客を尊敬しているわけではなく、「そういうもんだから」敬語を話しているので、「そういうもんです」と言われれば、東京山の手言葉としては正しくなくても、それに倣うのではなかろうか。
私は、こういう「正しい日本語」を推奨する言説は、「日本人の英語発音が、いかにたどたどしいか」を揶揄する英語ネイティブスピーカーの言説に似ていると思う。(あと、いかに自分が苦労と努力をネイティブの発音をできるようになったか自慢する非ネイティブ。)
私には、「正しい敬語」を話せることより、言語のすばらしさを感じることがある。それは、言語というのは多少文法が間違っても通じるということである。
たとえ「こちら、ホタテのグリルになります」と言われて、違和感を持ったとしても、「今から、このホタテがグリルに変化するのか!」と思う人は(多分)いない。多くの人は、「ああ、これはホタテのグリルなんだな」と思うのだ。
だから、トイレに行きたいときには、正しくその意思を伝える必要はない。とりあえず「私はトイレに行きたい」ということが伝われば、伝わった相手がその措置を考えればいいのである。あとは、言う側が工夫することは、相手の気持ちを自分に有利に動かす言葉のチョイスである。敬語の正しさと、相手の気持ちを動かす力が正の相関関係にあるとは限らない。*3
結局は、お互いの言語習慣との兼ね合いである。非関西圏出身で、関西に住む人は、しばしば「関西弁がしゃべれない」ことをコンプレックスだと言う。しかし、関西弁のほとんどは、正しくない日本語である。
「郷に入れば郷に従え」といいたいわけでもない。どんな言葉を話すにも、その人のチョイスのセンスが問われるということである。「国語」文法を勉強すれば、より相手に自分の意思が伝わるほど、言語は単純じゃないという話である。
追記:
言葉の由来について面白いサイト見つけました。
「言の葉探訪」
http://www.geocities.jp/kotonohayuge/kotonoha.html
ここまで行くと、雑学として面白いです。