Hatena::ブログ(Diary)

キリンが逆立ちしたピアス このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-01-08

[]男はフェミニストを続けうるか?

 最初に書いておくが、私はフェミニストである。さらに、「女だけフェミニズム」を批判し、ジェンダーアイデンティティに関わらず、フェミニストを名乗れて当たり前だと思っている。「フェミニズムはみんなのもの」(byベル・フックス)である。

 しかし、男とフェミニズムをやっていけるかというと、残念ながらまったく自信がない。私はジェンダーの問題を男性を議論するたびに、自分がすり減って、大事なものを奪われていくような感覚に陥ってきた。もちろん、そうでなくうまく議論できることもないわけではないが、そんなのは100回に1回ぐらいだろう。特に、ジェンダー違和のないヘテロ男性とは、どこから話していいのか皆目見当もつかない。最終的に「どうせ男にはわからないよ!」と叫びそうになり、「それだけは言っちゃいけないよ」と自制して、そう思ってしまったことに対して反省を繰り返す羽目になる。*1

 なぜならば、男性と女性の間には、権力関係があるからだ。そして、<私>が女として男に語るときには、自らを弱者として位置づけることが避けられないからだ。女の語りは、常に権力関係の転覆の試みでなくてはならず、失敗すればそのマイナスは自分に跳ね返り、より弱い立場に固定化される。これは女と言うポジションだけではなく、すべてのマイノリティとしてのポジションに言えることだ。いつも弱者は緊張し、抑圧をはねのけながら語らなければならない。それは、まるで権力関係がないかのごとく、<私>が女であることを不可視化しているときよりも、ずっと苦しい状況に自分を追い込む。それでも、私は女として男と語りたいと思っている。なぜなら、私はそれでも転覆に希望を抱き、賭けているからだ。

 そこまで覚悟を決めたとしても、なかなかうまいように事は運ばない。たとえば、id:ymitsunoさんの「男はフェミニストたりうるか?」という記事があがっている。ymitsunoさんは学生時代「かなりラディカルなフェミニスト」だったらしい。*2

 例えば、かつて東大に入った頃に、僕をガッカリさせたことの一つは、いわゆる「東大女子」という生き物が、案外フェミニストではないということだった。男子校で育った僕は、東大に入ったら眼鏡をかけた気の強い「東大女子」が難しい議論をふっかけてくるに違いないというステレオタイプに毒されていて、それを半ば楽しみにもしていたので、ゼミのような授業(基礎演習)で「東大女子」たちの多くが、なるべく目立たないように大人しくしているのを見て、なんだかガッカリしたのである。「男も女も関係ない。女子も、もうちょっと発言したらどうか?」とけしかけるハタ迷惑な東大男子であった。

なんかもう、想像しただけで血祭りにあげたくなるようなことが書いてある。しかし、これが典型的な「フェミニズムやってみました男子」の頭の中なのだろう。こういう男子をつぶすために、学生時代には躍起になって勉強していたようなものだ。どっから突っ込んでいいのかわからない。私にとっては、先日騒ぎになった「アニメのキャラクターが処女でなかったことに激怒する」人たちと同じ感性だとしか思えない。まあ、アニメのキャラクターは傷つかないからいいが、この人の披露したエピソードの相手は生身の人間である。こうして勝手に理想像を押し付け、勝手にガッカリし、「発言しろ」と強制することこそが女性差別そのものである。

 二十歳前後の私は卑屈だった。女として語ろうとすればするほど、対等にみせかけられた議論の中で、なんとか性について議論しようとした。ところが、性について語ろうとすればするほど、私は些細な男の言葉に傷つき、劣等感にさいなまされるようになった。弱い人間は従うしかないとあきらめ、生き残るためには「媚びるしかない」と思った。鏡の前で笑顔を作ってみたり、雑誌をみながら化粧の練習をした。居酒屋で飲み会となれば、注文をとりまとめ、皿を片づけ、グラスがからっぽになることがないように目配りしていた。私は自分が女として劣っていると思っていたので「せめて役に立つ女であろう」としたからだ。あれから数年がたったが、いまでも大人数の飲み会では緊張する。当時のことを思い出すからだ。私は、自分が男と性について話すときに緊張し、対等に話せないことを恥じていた。だが、フェミニズムは私の「女としての傷つきやすさ」が構造上のことだと教えてくれ、フェミニストはより自由に性について語る技術を与えてくれた。

 私にとってフェミニズムは、女であることから自由になるための教科書だった。男と同じになりたかったわけではない。女である限り、弱者であることを知ることにより、そのポジショナリティと自分のアイデンティティを切りはなしたかった。それは、社会的構築物と本質の切り離しである。「女であること」「私であること」「私は女であること」の3つの位相で、私の存在がどう引き裂かれているのかを、自分自身の目と手で描きなおしたかった。

 そうしてフェミニストになった私と、「「モテ」の前に、イデオロギーは敗れた」としてフェミニストでなくなったymitsunoさんが、対等に議論などできるのだろうか。そもそも、ymitsunoさんは学生時代に出会った女性たちがフェミニストでなかった*3から、(要するに女の側がフェミニズムを<ちゃんと>やってないから)、フェミニストをやめたと言いたいようだが、はたしてこの人は学生時代に本気で私みたいな女と出会いたかったろうか?こんな風にぼろくそに言われるのに?

 「男はフェミニストたりうるか?」という問いには、私は「男はフェミニストたりうる」と答える。また、私自身、日本人であり健常者でありながら、在日外国人や障害者をめぐる問題になんとかコミットしたいと思っている。そして、当事者から怒られる。特に私は気配りに欠けるので余計に迷惑をかけ、ほんとに申し訳ない。「たりうるか?」の問いに対する答えは明白で「たりうる」だが、これが「続けうるか?」の問いに対する答えは、グレーである。当事者でなければ逃げられる――ymitsunoさんが逃げたように。もちろん、逃げてもいいのだ。逃げる自由はある。すなわち、選択できるということだ。

 フェミニズムはイズムである。主義である。イデオロギーであり、本質ではない。だから、あらゆる人はフェミニズムにコミットできる。私は「男はフェミニストたりえない」とは言わない。ただ、言っておきたいことは、「それは単にあなたの選択で決めることだ」ということだ。モテるためにはフェミを捨てなくてはいけない、という状況があるのなら、その状況の中でこそ、あなたが決めればいい。何から逃げ、何を選ぶのか。

追記

ブックマークコメント

murashit

こういったことを考える度に男として生まれてきたことをコンプレックスにおもう、逃げ道がありつつも逃げない方法をしらなけりゃならないなとおもう。でもこれじたいがすでにアレなんだろうか

100パーセント弱者である人間も、100パーセント強者である人間もいない。弱者であり、強者であるそのはざまでゆらぎながら、何を選ぶのかそのたびに悩むしかないんじゃないかと、私は思っている。結局、すべてから逃げることも、すべてから逃げないこともできないんだろう。

追記その2

 コメント欄ブックマークコメントで「わからない」というコメントをしている方(推定男性)が何人かいらっしゃる。「絶対にお前にはわからせてやんない」と思ったけど、それもなんだかなので、一応「これ読んだらわかるかもよ?」という文献をあげておきます。

 『リブってなんですか』と聞いてくる男に、ともすればわかってもらいたいと思う気持ちがわいてくるからこそ、顔をそむけざるをえないあたしがいるのだ。男に評価されることが、一番の誇りになってしまっている女の歴史性が、口を開こうとするあたしの中に視えて、思わず絶句してしまうのだ。そこに、己れ一人だけ蜜をなめたいあたしが視えるからこそ、一度男に背を向けたところから出発せざるをえないあたしがいるのだ。(略)

『リブってなんですか』と聞いてくる男に、『わかってもらおうと思うは乞食の心』とつぶやいて、己の闇は己の闇、その中をひた走る中で、姉妹たちよ、あたしたちはまず己れ自身と出会っていかねばならない。女から逃げ続けてきた〈ここにいる女〉と出会っていかねばならない

(引用は文庫版より。八五〜八六頁)

この件については、「オルタ」にもう少し詳しく書いたので、興味ある方はどうぞ。

小松原織香「承認欲求の地獄から抜け出すために」(オルタ2008年11・12月号、PARK)

http://www.parc-jp.org/alter/2008/alter_2008_11-12.html

 私は「わかりたい」という男性を拒絶しようとは思わず、「わかってほしい」と思うけれど、「わからせてほしい」という男性には「わからせてやるもんか」と思う。ある人が、そのどちらかということは、個人的な関係であれば、何度も性について議論を繰り返し、あるときは「わかってもらえた」と思えたり「やっぱりわかってもらえない」と思ったりという、揺らいでいく中ではっきりと見えてくる。そうしてこの人は「わかりたい人」なんだと思える関係性を、一般的には信頼関係と呼ぶ。でも、インターネット上のこうしたやりとりだと、そんな信頼関係が築けるとは到底思えない。(少なくともブックマークコメント、コメント欄では)というわけで、自分は「わかりたい人なんだ」と思う人は、目の前の女性とやりとりを始めてみるといいと思う。

*1:正直言うと、何回か言いました。

*2:本人がそう書いている。一瞬、「ラディカルフェミニスト」だったのかと思って「マジで?」と思ったが、読み間違いだったようだ。

*3:っつーか、学歴フェミニズム関係ねーよ。確かに有名フェミニストは有名大学にいるけどさ。そりゃ、永田町に住んでたらみんな政治家になる、っていうのと同じレベルの勘違いだ。

son-of-laurenson-of-lauren 2009/01/08 16:14 こんにちは。初めてコメントさせていただきます。緊張しちゃいますね。
私の学生時代の同級生の男の発言で「女性はみんなフェミニスト」と言ってた人がいました。
これに私は納得しかけていたけど私の友人はこれに批判してた。友人の中にはきっとfon-daさんの言っているところの「主義としてコミットすることに当事者であらねばならない理由は無いということと、いわゆる本質主義的思考への批判」があったのだろうと思う。 今なら私も友人の意見に賛成ですが、当時の私が「女なら皆フェミニスト」に対して納得しかけた点にも若干、釈明して補足するなら私には「フェミニズムがその恩恵をもたらす最大の対象者が女の人全員であると想定できるという時点で、女は無条件的にフェミニズムの言説に絡めとられている」とは言えそうな気がして。女だからフェミニストでは無い。しかし、「フェミニズムってイデオロギーだから、いざとなれば逃げ出せば。。」と言いきることが男よりも女はしにくいのかなと。

font-dafont-da 2009/01/08 16:30 >son-of-laurenさん

コメントありがとうございます。

>「フェミニズムがその恩恵をもたらす最大の対象者が女の人全員であると想定できるという時点で、女は無条件的にフェミニズムの言説に絡めとられている」

この点は私も考えている途中です。女性が、フェミニズムから「恩恵を被る(贈与される)こと=負い目ができること」という問題は、フェミニズムが浸透してきたからこそ、出てきた問題でしょう。このことは、今の私をフェミニズムに留めておく一つの原因だとも思います。

ausserbetriebausserbetrieb 2009/01/08 19:31 >「かなりラディカルなフェミニスト」

ここでいう「ラディカル」とはどういう意味なのかしら、としばし考え込んでしまいました。
どうやら、ごく単純に「戦闘的」というか、「相手に疎まれたり、ケンカになることを厭わず、徹底的に対話を求め、議論を闘わせる」というような姿勢を「ラディカル」と称しているようなのですが、押し出しが論争的であることと当人の内面における「イズム」の徹底度とは必ずしも関係がないのでは??・・・などと、発言者ご本人を置き去りにして呟いてみても仕方ないわけですが(苦笑)・・・すみません、おじゃましました。

a-kubotaa-kubota 2009/01/08 21:15 >なぜならば、男性と女性の間には、権力関係があるからだ。そして、<私>が女として男に語るときには、自らを弱者として位置づけることが避けられないからだ。
そうですか? 最近は女性はそういう風には考えていないと思いますよ。
自分を弱者として位置付けているような女性っていうのは、昔はそれは避けられなかったかも知れませんが、今はそんな状況は少ないでしょう。
そのような今の状況こそがフェミニズムの成果に他ならないはずです。となれば、フェミニズムにはその状況を正当に把握してほしいものです。

>なんかもう、想像しただけで血祭りにあげたくなるようなことが書いてある。
確かに「勝手に期待すんな!」というのは分かりますが、血祭りにあげるほどのことでしょうか?
単に「それは勝手に期待しすぎ」と突っ込めば済むだけのように思います。
敵対的にならざるを得ない場面はしばしばありますが、不必要に敵対的であることが適切かというと、それは違うと思います。例えば敵対的でないと議論ができないというのはおかしいと思います。

男のモテについてはよく分かりませんが、フェミニズムがそれに適切にコミットできているかは大きな問題で、モテについて考えている男が「フェミニズムはこの問題について有意義に働かなかった」と失望するのは現時点では避けられないと思います。
ymitsuno氏の議論については知らないので何とも判断できませんが。

font-dafont-da 2009/01/08 22:12 >ausserbetriebさん

そうですね、私は今の方が断然喧嘩っ早いですが、卑屈でうじうじ一人で考えていた20代前半ときのほうが、思想的にはばりばりフェミニストって感じでした。むしろ個人的なことを無理やり政治の場に持ち込もうとして、(イケてない)ラディカリズム全開って感じでした。
「普通の女は論争しない」→「論争する女はフェミニスト」みたいな公式化がは働いているのかもしれませんね。論争すると目立つから、論争好きフェミニストばっかりに注目があつまる、とかそういうこともあるかもしれません。

font-dafont-da 2009/01/08 22:21 >a-kubotaさん

>最近は女性はそういう風には考えていないと思いますよ。

では、エビデンス出してください。っつーか、昔の状況って、何年代のどの社会階層の女性の話ですか?ILOが男女間の賃金格差について何度も勧告出してるんですが、その件は?あなたがフェミニスト以上に、男女差別の現状について正当に把握しているなら、どうぞお示しください。
ていうか、「女性は」の女性って誰ですか?あたしゃ女性じゃないのかよ。一応、女歴26年ですが?

男のモテについてよくわからないなら、わかるように調べて考え、ymitsunoさんの議論を知らないならきちっと読みましょう。別に男が失望するのは私にとって不利益ではないので、ハナからそんな話はしてません。

a-kubotaa-kubota 2009/01/08 22:47 そうですか。もう一度言いますと、敵対的でないと議論ができないというのはおかしいと思いますよ。
議論する気を削いだり煽ったりするというのは実に非問題解決的だと思いませんか。

font-dafont-da 2009/01/08 23:12 >a-kubotaさん

>そうですか

何が「そう」なんかさっぱりわからん。会話が成立しない人とどうやって議論すればいいのやら。私は誠実に問題に取り組む人としか議論する価値見出せません。以上。

なまえなまえ 2009/01/09 03:26 愚鈍で無思想な自分ですがフェミニズム始め大抵のものの考えかたには共感できる部分が有ると感じてます。
が、このエントリには共感できる部分がまるで有りませんでした。
これは自分が愚かで鈍い男だからかも知れませんが、出来る事なら
自分のような人間にも飲み込めるようにもう少し書いて頂きたい所です。
「男はフェミニストを続けうるか」という問題には若干の興味がありますので。

山下山下 2009/01/09 12:46 「100パーセント弱者である人間も、100パーセント強者である人間もいない」のに、「<私>が女として男に語るときには、自らを弱者として位置づけることが避けられないからだ。女の語りは、常に権力関係の転覆の試みでなくてはなら」なくて、「女である限り、弱者であること」を知らねばならない。…なんだか「女性は100パーセント弱者であり、男性は100パーセント強者である」みたいに聞こえます。そんなこと、もちろんないでしょう?
ならば本質は男-女ではなく、強-弱なのであって、例えば、勝手に本質的でないグループ分けを押し付け男女として語るのより、最初から強弱として語ったほうが話がくっきりするのではないかなあ…と思うのですが。いかがでしょうか。

font-dafont-da 2009/01/09 13:43 >山下さん

それは単純な論理的理解の範疇の問題です。
「<私>(という存在が)女として語るとき」という限定的な状況であれば、<私>は弱者です。でも、私は四六時中「女として」語ってるわけじゃありません。状況によっては「健常者として」「日本人として」「ヘテロとして」語ることがあります。そのとき私は強者になりえます。だから<私>という存在自体は100パーセントの強者でも弱者でもありません。

goukgouk 2009/01/09 19:07 はじめてコメント書かせてもらいます。

うちはずっといわゆる「女系家族」で女がものすごく権力を持っていたし、
これからの世の中は男女なんて関係ない、
女だからと甘えていたら社会で生きていけない、
という育てられ方をしました。

自分自身、社会の中で女として扱われるのは大変苦手で
「女としてこうあるべき」ということを言われると、
「私の個性を否定されても困るし、意味がわからん」と返していました。

で、そういうことは男性からも女性からも言われたことは確かだし、
その度に、面倒くさいなぁと思ったのも確か。

一方で、私に飲みの席で気遣いの必要性を教えてくれたのは
ゲイの人だったし、女が料理を自分たちのものにすることで
料理をしたいのに出来ない男性が、
裏でこっそり泣き言をいうのを聞いたりもしました。

とは言え性差ってのは確かにあるよな、と思うこともあるのですが、
font-daさんの「女として語るとき」にfont-daさんの思う権力?を持ちこんじゃうのは
男性的権力という考えが「ない」男性にとっては
話しにくいんじゃないかなぁと感じました。

また、自身は権力をかざす人の前でも折れることがないので
「男と話しているみたいだ」「てゆかお前、男だろう」
と言われることも確かなんですが、
その人が「私が女性らしくないことを理解できない」のも
仕方がないと思っています。それも個性だから。

本音言うと、そういう人の前では女性らしく振る舞えるなら
色々円滑なんだろうなぁとは思うんですが、
だからって演技して喜ばせて好かれでもしたらうざいし
そもそも、演技をしていたら本音で語り合う関係になれない。

要は「演技をするメリット」を感じないんです。

なぜ、font-daさんは「女として話す」のでしょうか。
もし、それがご自身の本質であるとしたら、
そこは否定するべきではないと思うし、
演技だとしたら、演技する意味は何なのでしょうか?

font-dafont-da 2009/01/09 19:39 >goukさん

一応問題を整理しますね。

(1)私であること
女性一般に期待される性役割を押し付けられることに拒否感がある
(2)女であること
社会的に男女間に格差がある。(例:賃金格差)その格差によって、男性一般と女性一般の間に力関係ができてしまう
(3)私が女であること
私自身が(2)の力関係の余波として、女性一般に属すために不利益を被る

この3つの位相があるわけです。

(1)に関しては、私がうまくやるしかないでしょう。goukさんが今、ふるまいについていろいろなことを諦めてきたように、私にも諦めはあります。(個性という言葉を使うかどうかは別にして)いろんなことを言ってくる男にイチイチ傷ついていたら身がもちません。

(2)に関しては、やはり法令や行政命令などが有効です。また、裁判を起こして世間に「これは不平等である」と知らしめることも有効ですし、マスコミを使うこともあるでしょう。そのために、フェミニストは運動として働きかけをします。

問題は(3)です。ここで私は「なぜ私は女なのか?」「なぜこうした扱いを受けるのか?」という怒りを生み出します。私の性自認が女であることは、偶然に決まったことであり、私には変えようがありません。(念のため書きますが、性自認です、性別ではありません)ですから、私は女として生きるしかない、しかし、女性一般に属するということは、(2)のように低い地位に自分を置くことになってしまします。ここに葛藤が起きます。

 しかし、そもそも(2)のように男女間格差がなければ、私は(1)のように女としてふるまおうが、(3)として性自認が女であろうが、不具合は起きないのです。ですから、(2)を変えるように努力しようとします。

 では(2)をどうすれば変えられるというのは、フェミニズムの長い闘いの歴史の中で、様々な挑戦がありました。ご興味ありましたら、文献などをあたってみてください。
 直接的な答えではありませんが、私にとって「女として当たること」は、本質とも演技とも言えないはざまでおきていることだと言いたくて長々書きました。

 それから、「女系家族」とは家長の継承のパターンの一つです。フェミニズムが批判してきた「家父長制」は、単純に「跡継ぎが男である」だけを指すわけではありません。(蛇足ですが。)

goukgouk 2009/01/09 20:21 font-daさん
説明ありがとうございます。

#すみません、女系家族&家父長制については
#認識が薄かった気がします。もっと軽い意味で使ってました。

----

うちの旦那は(彼がやりたい仕事に書類を送ったところ)
男性で30代のあなたにふさわしい賃金が払えないので、
という理由で落ちたことがありますw

「世の中的にはそういう構造になっているよね」というのは
大変よくわかる反面、要するにケースバイケースであるのに
画一的に「男性はこう」「女性はこう」と言うから
歪むんじゃないのかな、ってことであるように思っています。

#でもそこに感じるのは、男性的権力ではなくて、
#もっと別の違うものであることの方が多いですが。
#「たまたま」なんですかね。

----

今自分がいる業界では幸いなことに、
性別による格差は感じないのですが

こういう環境に居れるのは、仰るところの
(先人の)「挑戦」があったからこそであり、
その恩恵にあやかって生きていることは常々感じています。

また、仰る通り性別を理由に格差がある場所が存在することも
事実なのでしょうから、そういったものを目の当たりにした時は
「挑戦」しないといかんよな。とは思います。

ということで、とてもすっきりしました。
ありがとうございます。

font-dafont-da 2009/01/09 21:46 >goukさん

旦那さんの話は、そもそも男女間に賃金格差がなく、同一労働同一賃金であれば、起きなかった雇用機会の不平等です。女性の方が賃金安いから、女性を雇おう、っていうのは明らかに女性差別ですからね。女性一般に対する差別が、めぐりめぐって、結果的にある男性の不利益を引き起こした、いろんなフェミニストがいますが、いまの女性の労働運動では「同一労働同一賃金」を掲げている運動家が多いと思います。という風にみれば、典型的に(2)の問題でしょうね。

ほんとに「男性」「女性」を基準に雇用の可否を決めるのは不合理ですね。

天和天和 2009/01/10 02:36 >女の語りは、常に権力関係の転覆の試みでなくてはならず、失敗すればそのマイナスは自分に跳ね返り、より弱い立場に固定化される。
 この部分がよく分かりませんね。極端な父権主義者でもない限り昨今そう差別的な発言をする人がいるとは思えませんが、彼らが内心何を思うかは別として。その彼らの心中でより弱い立場に固定化されるのはフェミニズムの議論をしたからというより、空気が読めていなかったからでは。
 ymitsunoもフェミニスト以前に空気が読めていなかったからモテなかった、という気がします。
>こんな風にぼろくそに言われるのに?
 「議論=ぼろくそに言う」ではないでしょう?結局議論する相手の性格次第であると思いますが

結局男がフェミニストであり続けるのは難しいでしょうね、女性と違ってあまりメリットがないですから。それよりも男が行なうべきは、女性の社会進出のカウンターバランスとしての主夫権利の拡大だと思いますが、現実的には厳しいでしょうね。それによって恩恵を受ける男性はフェミニストの女性と違って消極的な人が多いでしょうし。まあ男女の雇用が均等化され、男性の育児休暇が認められる社会になるように祈るばかりです。

goukgouk 2009/01/10 06:56 font-daさん

旦那が応募した職業の場合は、
男女の問題ではなく年齢+性別が問題だったようです。

女性だけではなく(安く雇える)20代男、或いは
(昇給の必要がない)50代以降の男でもOKだった。

この返答から感じた印象は、
「30代男性(既婚者)は、これから子どもが生まれて
お金を稼ぐ必要があるだろう」という
既成概念の押し付けでした。

30代男性はそうでなければならない、という
男性に対する無言の抑圧の方が、強く感じたのです。

#少なくとも私の業種は完全に人手不足なので
#育児休暇がしっかりしていることを特徴とする会社も多いのですが。

#大変なのは、誰でも働ける、安い賃金の仕事であり
#そういう場所では、働きたい人が多い故に
#足元を見られる場合さえあるよう感じます。

#それは、今の社会問題ではありますが、
#ここで語ることではないので置いておくとして。

言いたいこととしては、天和さんの締めの部分
「男性の育児休暇が認められる社会になるように祈るばかり」
というところと全く一緒なのですが、

例えば、共働きを支援する策として、
男性が育児補佐休暇、みたいな形で
一か月に10日ぐらいでも休んでくれたら、
女性の育児負荷は相当減りますよね。

そういう要望を出していく時に、女だけが
主張していても、あまり意味がないと感じています。

なぜなら、男女平等というのは女だけの問題ではなくて、
「男女」の問題でなければいけないと思うから。

#で、そこにある壁に対してもがいているんだろうな、
#というのはよくわかるんですが。

だとしたら、そうでない男性はやりこめるのではなく
男性に問題意識を共有してもらうことが必要で、

聞く耳を持たない存在に対しては、直接対話より
「法令や行政命令」が有効であることは間違えないと思います。

----

男女間で、問題意識の形や持続力が違ってしまう事実は
どうにもならないとは思います。

でも、そういう勘違い?も全部ひっくるめて
理解を求め続けるしかないとは思います。

りょうりょう 2009/01/10 09:55 男は、フェミニストを続けうえるか?可能だと思います。
フェミニズムが、女性解放論とかそういう意味なら、私は男性のフェミニストです。

font-dafont-da 2009/01/10 10:25 >天和さん、goukさん

 男性にも育児休暇が必要、というのはもっともだと思います。では、その主張を天和さん、goukさんが自ら行い、社会を変えていってはどうでしょうか?

 フェミニズムに限りませんが、運動の基本は「やりたい人がやる」です。フェミニズムは、どこかに司令部があって、そこの命令を聞いて行われているわけではありません。ひとりひとりがフェミニストとなり、自ら問題を見出し、考え、実践を行っていくことが必要です。しかし、社会をひとりで変えることは非常に難しいです。ですから、似た問題を見出した人たちで連帯します。それがフェミニズムの運動体です。(っつーか、左翼の基本的な運動体はそうでしょう)フェミニズムに足りない所や、批判されるべき点があるならば、それをフェミニストに抗議するのではなく、自らがフェミニストとなり、新しいフェミニズムの看板をあげなければなりません。
 私はフェミニズムが力を失ったのは、フェミニズムの主義主張の内容や、スタイルの魅力が損なわれたからではないと思っています。なぜならば、フェミニズムだけではなく、多くの運動体は弱体化しているからです。社会的に、私たちの運動に対するスタンスが変わってしまったことが原因でしょう。その結果、「誰かに社会をよくして欲しい」と他人に運動を求めるのに、自分は運動しない人たちが増えました。(そのことの是非、これからの社会変動の予測はひとまず置いておきます)
 私自身は、その変動に伴い、運動を担ってきた人がそしりを受けることを良しとしません。たとえば、「男性に育児休暇」という発想そのものが、フェミニズムの家庭内労働に対する支配的な言説の解体が基盤にあります。怒り、女の語りを遂行してきた人たちの上に、私たちの生活があるのに、その礎である人たちを侮蔑する行為に私は加担したくありません。もし、フェミニストであることがそしられるのであれば、私はフェミニストを名乗ることで、そのそしりを少しでも共有したいと思っています。
 しかし、必ずしもフェミニストと名乗って、社会を変えていく必要はないでしょう。たとえば、男性の育児休暇に関しては、メンズリブがかなり熱心に活動を行ってきました。なんにせよ、誰かの運動を批判する前に、自分が立ちあがること、それが運動の基本にある、ということです。祈ってても社会変わりません。

 それから、私が男をやりこめる(?)ことになっているようですが、私は相当穏健なほうだと思いますよ……男の恋愛論の出版にさんざん協力もしてしまったこともあるし(いろいろ葛藤はあったけれど、協力して良かったと思っています)男性の恋愛の葛藤(それ女性蔑視じゃん、と言うのも含めて)に関しても、なんだかんだいって、話聞いてるほうじゃないかなあー。理解も求めてきたし、大変だけど、一緒にやっていこうと努力してるんだけどな。その挙句、こうした(引用したような)フェミ批判が出てくると、ゲンナリして、心が折れそうになるよね、折れないけどさ、というのが記事の内容だったのですが、イマイチ伝わりきれず。
 まあ、もうちょっと伝わる文章が書きたいです、という結論で。

>りょうさん
「女性解放論」がどういうことを指すのかは知りませんが、可能でしょうね。ただ、続けるのは大変だ、という話でした。

goukgouk 2009/01/10 16:37 font-daさん
「やりこめる」が不適当なら、「血祭りにあげたく」なり、
「ぼろくそに言う」でも良いです。

私がしたいのはフェミニズム批判ではなく
(私自身どっちかというとフェミニストだと思っていますから)

わからない人がわからないことに「怒る」ことでは
伝わることも伝わらないんじゃないかな?という思いと

事実、私自身に伝わってこなかった怒りの部分を
教えてもらうことで、font-daさんがこのエントリーで
何を言いたいのかを知りたかっただけです。

----

ただ、フェミニスト「運動」をするか否かについては、
私は「否」ですが、意識は持っていたいと思っています。

#運動しない理由は書く必要はありますか?

自分が不利益に被害をこうむる状況が起きた際は
権利の主張を行い、法的に争うことも何度かありました。
その結果も勝ったり負けたりいろいろでした。

#勝つの負けるのって表現も変ですが、便宜上そう書いておきます。

ただ同僚(男性)は、同じ被害に遭いつつ泣き寝入りをしました。

それに対しては、とても憤りを感じたし、
結局この人は、不利益を被っても
生きていけるだけの余裕があるんだな、と思いました。

その同僚は間違えているか?と言ったら
それも否。だと思うんですけどね。

言ってしまえば、先頭切って何かの主張を出来るほど
私は今の生活に余裕はありません。

ただ、意識を持って社会に臨むことには
それなりに意味があると思っているのですが。

----

意味。たとえば、

意識を持つ人の比率が高くなればなるほど、
逃げる自由を行使する意味がなくなっていく。

意識せずともそれが「当たり前」になること、
というのは、結構キモだと思っているのですが。

山下山下 2009/01/10 18:27 >「<私>(という存在が)女として語るとき」という限定的な状況であれば、<私>は弱者です。
ここがよくわからないのです。これは、
(1)女は「生得的に」「必ず」「あらゆる局面で」弱者である。ゆえに、<私>が女属性で語るのなら必然、弱者として語ることになる。(2)女は(実に弱者よりであるが)弱者でも強者でもありうる。が、こと<私>についていえば、「必ず」「あらゆる局面で」強者属性を獲得できず、「必ず」「あらゆる局面で」弱者属性しか得ない。(3)<私>は女が強者である局面については口を開かない。
のどれなのでしょうか? また男と女が権力関係であり、男と対して女が(女である限り)弱者であるなら、男は女に対して(男である限り)強者なのですよね。 女に対して弱者の男、強者でない男はあり得ないのですか?

font-dafont-da 2009/01/10 23:45 >山下さん

 三択の選択肢がすべて論理的に破たんしています。
(1)→「限定的な状況」であるのだから「あらゆる局面」という言葉は使えない
(2)→「〈私〉という存在」という抽象概念を指すので、「こと〈私〉」という限定辞のついた表現は使えない
(3)→引用部では女として語る内容については触れていない。よって引用部とは無関係。

ですので、答えようがありません。

 後者は「である限り」という問題には私は触れていません。あくまでも「女として語る限り」であり、アイデンティティの問題ではなくポジショニングの問題として話を進めています。そもそも「男である」「女である」とは何か、という問題自体が非常に難しい問題ですから、そこには今回は言及していません。

font-dafont-da 2009/01/10 23:52 >goukさん

 「意識を持って生きる」ことが、「意識したつもりで自己満足」とどう違うのか、そのあたりが難しい問題じゃないか、とは思います。
 特に最後の5行の部分はもう少し伺いたい気がします。たぶん、共有できるものは何かあるのではないかと思います。ただ、米欄で書くのはもったいないので、ブログなんかの記事で書かれてはいかがでしょう。嫌味じゃなくそう思います。

山下山下 2009/01/11 01:33 ちょっと判らなくなってきました。「『<私>(という存在が)女として語るとき』という限定的な状況であれば、<私>は弱者です」から、それは「『<私>(という存在が)女として語るとき』という限定的な状況であれば、<私>は強者でない」ということでしょう? しかし女が「生得的に」「必ず」「あらゆる局面で」弱者であるとは限らないのであれば、「女として語る限定的な状況で、<私>は強者である」というのもありえるでしょう。なのにfont-daさんは違うといっておられるわけです。
(1)→「あらゆる局面」で女が弱者でないのなら、女が強者である局面もある。ならば「限定的な状況」で<私>が女として強者なこともあるはず。
(2)→なるほど、「<私>が女として男に語るときには~」の<私>はその前に出てくるカッコなしの【私】(=font-daさん。ややこしい表記になってしまった)とは別ものなのですね。「<私>という存在」という抽象概念、というのは、「任意の女性誰かの、そのひと自身」ということですか。ならば(1)といっしょ、その「限定的な状況」で<私>が女として強者なこともあるはずです。
(3)→「引用部」がどこの引用を指すのかよく判りませんが、「女として語る内容については触れていない」のならむろん私には「内容」が判らない。ですからなぜそれが弱者として限定、になるか判らない(女と言う強者としての「内容」もありそうなのに)。それは女が強者である局面については口を開かないから、ですか?
ということなのでございます。どうでしょう、まだ破綻しちゃってますか。くりかえし、なぜ「女として語るとき<私>は弱者です」といえるのですか?

後者について。え、「女である限り、弱者であることを知ることにより、そのポジショナリティと~」あたりでの話って「語る限り」、議論や討論のとき限定の話だったのですか? また、「アイデンティティの問題ではなくポジショニングの問題」ということは、ここでいう【男】はアイデンティティとしての男(生得的な意味?)でなくポジショニング(位置どり、政治的権力的位置)としての男ということですか。しかしそのときも【女】が弱者、【男】が強者であることは固定的で、強い【女】-弱い【男】という権力関係は存在しない、のでしょうか。
…しかしポジショニングとしての男という解釈をすると「男はフェミニストを続けうるか?」ってよく判りませんな。完璧にフェミニストになったら、それは男も女でもない何か、な気がします。

ngmkzngmkz 2009/01/11 21:55 note304のidでダイアリーを書いてますngmkzです。
コメントありがとうございました。
font-daさんの示唆する、告発(直)後の「出会い」や失われる「弱者性」という直感的な部分は実はぼくにもあって、そこを現場に立つ人間としては、理論、だけでなくスタンスとしてチームでどう共有して内在化していくか、いただいたコメントで少し(希望として)見えた気がします。
ひとつ、言語化するとしたら「当事者性」を、どう「許す」か、と言うこと。
「解体」じゃなくて、そうで「ある」ことを「許す」ことで、今の自分が抱くコンプレックスから「降りて」、違う水準で当事者性に向き合うことを「恊働」=関係性を得て向き合う、ことかな。って。
「許す」ことは、「解消」であり、「復興」に向けたステップであり、普通=そうでありたい、という希望への「リカバリー」でもあるんじゃないかなって。
だから、ぼくは自分の加害者性=暴力性を「許せる」まで言葉を吐き続けて、「降りる」準備をしているのかもしれません。
来るべき「復興」を、迎えるために、希望を失わないように。

追伸
「コミュニティーアート」はぼくも気になる分野でもあります。

KSKS 2009/01/12 20:59 三ツ野さんを見たこともあり、「ああいうシニカルな人」ということを知ってもいますが、シニカルな人をやっつけようとするのは「〜主義者」を批判するより面倒だということを感じもしますね。「頭の中」というよりは、ああいう「言葉を並べて」いられる立場がシニカルです。

goukgouk 2009/01/12 22:46 font-daさん
>「意識を持って生きる」ことが、「意識したつもりで自己満足」とどう違うのか

それは確かに言えてますね。

個人的には(前述のとおり)性別による差別を
受けたこと(言われたことはあるけど不利益を受けたこと)が
ない、と思っていますが、慣らされているだけなのかもしれないし
その他、思うところは色々あります。

また、逆に「権利」と「アイデンティティ」など
切り分けて考えた時に、どう向き合えばいいのかとかは
結構長い間、自分の中での課題で、未だに答えは出てないです。

ブログ(というかはてダ)については
思うところがあり、昨年末で閉鎖しちゃったのですが、
書けたら書いてみたいと思います。

font-dafont-da 2009/01/16 22:11 >KSさん

シニカルやアイロニカルって、そうしようとする意図が透けて見えると、単なる馬鹿丸出しなので、私はそういう態度はとらないようにしています。

font-dafont-da 2009/01/16 22:15 >ngmkzさん

>自分の加害者性=暴力性を「許せる」まで言葉を吐き続けて、「降りる」準備をしているのかもしれません。

その感覚、すごくわかります。私も、別の一件で、同じ気持ちを抱えています。加害者である自分を、自分で受け止めれるようになれば、先に進めるかもしれない、と信じてやっていこうと思っています。

通りすがり通りすがり 2009/01/18 15:39 はじめまして。
通りすがりですが、今回のエントリー大変興味深く読ませていただきました。
そしてこの記事に感銘を受けて、フェミニズムの本一冊読んでみました。

私は女ですが、「自分はどちらかと言うとフェミニストかな?」と今まで思ってたんですが、なんつーか、甘かった(笑)私が考えていたフェミニズムがいかに幼稚なものだったかというのがよく分かりました。
(でも知らず知らずのうちにフェミニズムを体現できてた部分(例えば「私は他の誰でもない。私は私である。」という部分。私は常にこれを意識して生きてきたので。)というのもあって、そういう意味では私もすでにフェミニストであるということもできるのかもしれません。フェミニズムって結局は個々人の問題に帰結するんですね。)

フェミニズムの本を読んで、フェミニストを続けることってきっと女の人であっても大変だろうなあ、何かをすり減らさないとやってけなさそう、という印象を持ちました。
しかしそれ以上に、フェミニズムによって救われた女性も多いだろう、そして現にフェミニズムを必要としている女性もたくさんいるだろう、ということもよく分かります。
私自身、本を読んで救われた、というか楽になった部分がありました。

ええと、もしかしてまったく的外れなことを言っていたらごめんなさい。
とにかくフェミニズムの思想に触れるきっかけを与えてくれたfont-daさんには感謝しています。そしてこれからのますますのご活躍、期待しています。

加納正和加納正和 2009/01/18 22:07 「フェミニスト女性と非モテ男子は手を結べるか」から飛んできましたが、日本に「フェミニスト」というのがまだ存在してたんだ?、というのが、このブログを見た感想です。

日本のように男女平等な国でも、せいぜい消費者団体レベルでの「フェミニスト」団体らしきものが必要なのは分かりますが。

日本が男女平等な国なのは、「女性専用列車」の存在を見れば明らかです。もちろん「女性専用列車」自体ではありません。

-「男性」への差別なのは明らかなのに存続できるぐらい、女性への存在が考慮されていること
-「女性専用列車」を非難する男性に「女々しい」などの批判が出来ること

男性には、それに比する社会の保障は全くありません。「派遣切り」にて男性が軽々と切り捨てられているのを見て分かるとおり。男性が困っていても、社会の保障がないのは明らかです。死にそうになってから派遣村ですからね。

私は、それぐらい「男性」が社会で軽く見られているから「男女平等」だと言ってます。

一応言っておきますが、女性の賃金格差が存在しないとか、そういう話ではありません。消費者団体のように物価を安くしてほしい、とかと同レベルでの「フェミニズム団体」のようなものは理解できます。が、個人で「自分はフェミニズムだ」と主張する意味は私には分かっていませんし、私ではわかりえないでしょう。「自分は消費者だ」と主張する意味が消費者として有利だからだろうなぁという意味しか把握しないのと同じです。

誰に聞くわけではありませんが、今の日本で「自分はフェミニズムだ」と言ってる人は、単に自分に有利な社会にしたい以外の論理構成はあるんですかね。最近のは全然知りませんので。

昔は確かに「男女差別」が明瞭に存在していましたが、今なら誰でも自由に結婚したい人と結婚できるし、仕事したければ出来るし(ちょっと給料が安いかもしれないが。ちなみに常に給料は安いと思うものだ)男女平等だとしか言えません。

え?まだいろいろ差別がある?それは「男女差別」ではなく、「個人差別」でしょう。必ずしも、女性という属性そのものににあるのではなく、女性という属性と個人の齟齬に差別があるのでしょう。

その「個人差別」は「フェミニズム団体」(婦人団体と少し違うような気がするのでこう書いているが)にて解消する類のもので、個人の思想として主張する意味は、あまりないような気がします。もちろん個人の思想は自由なので 持つなということではありませんが。

ということで男がフェミニストたりうることはないと思います。「経営者」が消費者団体の代表になれないのと同じ意味で。

昔々は「フェミニズム」とは、社会にある「女性」という属性自体への差別を解消する理論構成かと思ってました。

だから現在の日本に存在するのが「フェミニズム」といえるのが不思議に思ったような気がします。

font-dafont-da 2009/01/18 22:16 >通りすがりさん

コメントありがとうございます。通りすがりさんの得るものが私の記事にあったとしたら、うれしいです(^_^)

>加納正和さん

そうですね、そんな気がする人もいることでしょう。あと、知らないことは、本を読んで調べたり勉強するといいですよ。

山下山下 2009/01/19 21:39 んー、font-daさんは「根拠がないのに、ひとの性別をもって立場の強弱を規定するひと」なのだろうか。

absurditatabsurditat 2009/01/20 09:59 font-daさんはじめまして。
文章興味深く拝見させていただきました。
ただ一部コメントのやり取りを見ると、
男性が時に女性に対して投げかける「感情的だ」という表現の典型をあなたにみる気がします。

font-dafont-da 2009/01/20 19:23 >absurditatさん

そうですね。ついでに「ヒステリックだ」という表現の典型もみられるように思います。なんせ、リブはもともと、「ブスのヒステリー」と揶揄されてきた運動ですからね。いろんなことを言われながらやってかなきゃいけないから、大変ですね。

加納正和加納正和 2009/01/26 02:55 >そうですね、そんな気がする人もいることでしょう。

えと、私が言った「男がフェミニストたりえない」ことを、そのまま是認した仮定すると、そもそも何を根拠にトラックバック元を批判していたのでしょう。

何を根拠にしているか不明(というより以下に説明する通り、根拠が存在し得ない)ので「社会が自分の思い通りになんなくて、女性という立場上むかつく」こと「だけ」を根拠にしているように見えますが。

一方的に批判する根拠が存在し得ないのは、「フェミニズム」も「反フェミニズム」も同等の存在だからです。

私が例に出した「経営者」も「消費者団体」は、単に立場が違うというだけで、論理上は同等の存在です。対立軸はあるのでしょうが、所詮立場のみの問題です。どっちが悪いわけではないし、どっちも自由に行き出来る。例えば「経営者」からすれば物を作るのに金がかかってしょうがないから、もっと高くしたいぐらいが根拠で、大した根拠ではない。逆も同様です。

しかし、「男性」と「女性」は基本的に行き来できない。
それでも「フェミニズム」と「反フェミニズム」(==「フェミニズムやってみました男子」)が「経営者」と「消費者団体」の関係と同等になるとすれば

「フェミニズム」と「反フェミニズム」の関係も同等の存在となり、一方が一方的に批判する根拠を持ち得ないです。

よって「反フェミニズム」の言説についてなんとも言えないはずなのに、「フェミニズム」の人が単に無意味な理由を言って、大した根拠がなく否定している、ということになるのでは。

具体的には、ですが、
>なんかもう、想像しただけで血祭りにあげたくなるようなことが書いてある。

とあるけど、「血祭り」に出来る根拠が存在しないようです。
なぜって、今現在すでに男女平等な状態で、かつ「フェミニズム」を貶めているわけでもないのですから。

あと、この記事で書いてある例では「雑誌をみながら化粧の練習をした。」等がありますが「男性」が強制することはありえないことも、「血祭り」に出来る根拠がないことの査証です。

社会的に雰囲気がある気がする?ああ、それはもちろん否定しませんよ。上記で言ったとおり、言わば「経営者」が、言ってることですね。「化粧しろ」何ていうのは「男性」全部ではないし、今や社会的には無根拠であることは明らかだ。

しかも「フェミニズムやってみました男子」は、「化粧しろ」とは言いませんよ?だから何を「血祭り」に挙げて批判しているか不明なのですが。

不明というより、今はそんな批判対象は存在はいないのだが。。。もうそれこそ根こそぎ居ないんすけどね。

いろいろ言ってるやつは居るけど(おそらくどっかには)明らかに自分が無根拠であることを判って言ってますね。

KSKS 2009/01/26 11:06 >>加納さん
フェミニズム、というより現代の女性の状況について無知を晒すより、まず一般に経営者と労働者(消費者という言い方より文脈上正確です)の関係を「変える」ことを考えて見ればいいのではないですか。加納さん自身が経営者なのか労働者なのかは知りませんし、私自身も今「変える」ための行動はしていないけれど「考えて」はいます。女性の状況を本当に知る姿勢が無いのは、とりあえず私の立場からは不問に付しますが、経営者と労働者が論理的に同等、としても倫理的に同等なんですかね。もちろん経済的には「同等ではない」ということ自体がその定義です。

加納正和加納正和 2009/01/27 01:18 >加納さん自身が経営者なのか労働者なのかは知りませんし、

トラバ元の人が「非モテ」+「フェミニズムやってみました男子」という属性とすれば、私もほぼ同じ(でもないか、私はフェミニズムしてないけど)属性なので、いわば「ニート」です。「ニート」なので経営者でも、当然労働者でさえありません。(もちろん「ニート」は比喩で、私は平社員です)

わたしの不思議なのは「ニート」である「フェミニズムやってみました男子」に対して、何を根拠に批判しているのかさっぱり分からないことです。

「経営者」、いわば「男性優位主義者」の人に言うなら分かりますけど、なんで「ニート」に「物の値段を勝手に決めるな」とか、あさっての批判をするのだろう、と。

「経営者」に関しての批判は自明だろうけど、「ニート」に関しての批判としては、まとはずれというより、不思議でしょうがない。

「非モテ」の属性を持つ場合は、定義上女性に影響力があるというのは不条理でして。例えばだから「化粧をしろ」などということをいうはずがないわけです。

また、「モテ」の人が良く使う「同情」の類として「フェミニズムやってみました男子」をしているわけでもない。

トラバ元の人に対する、何を批判しているのだろう?

>女性の状況を本当に知る姿勢が無い

それはまさしくお互い様というものです。
「女性のことを知らない」と私に言う人間のほぼ100%、男性のことを知らないです。

昔々は「女性は差別されているのだから男性の状態をする必要はない」なという論理が幅を利かせていましたが、さすがに今だと無効でしょう。

>経営者と労働者が論理的に同等、としても倫理的に同等なんですかね。

各立場ごとに言い分はあるものでしょう。立場ごとに正しいと思う倫理を持つことを私は止めてません。ただし、その「立場ごとの倫理」を「経営者」が必ずしも聞く必要はない。「経営者」には「立場ごとの倫理」は無関係ですからね。

例えば「自分は能力があるはずだから事務員だけど給料を二倍にしろ」などという「立場ごとの倫理」を「経営者」が聞く必要はないでしょう。

もちろん逆に「女性だから給料が半分でいいだろう」なとという「倫理」も認められる理由はないわけです。

>もちろん経済的には「同等ではない」ということ自体がその定義です。

ええ、それは当然でそのために労働基準法があります。

「経営者」 == 「労働者」(+「労働基準法」)

という関係になっています。労働基準法は、民法を超える規定ですから、本来は労働基準法に反すると「経営者」はど負けするわけです。

その論理を敷衍すれば、女性差別の場合、労働基準法のような、社会的保障その他がすでに存在している、という話です。

その意味でも労働基準法と同じ、実効性をどのように担保するかという問題は「個々事案には」あるが基本的には「経営者」と「労働者」(+「労働基準法」)は同じ立場です。

だって当然でしょ?「経営者」だからといって、いきなり殴られたり血祭りに上げられる理由はないわけですから。

もうなんでもかんでも「経営者」のせいというのもおかしいですよ。必要なのは「立場ごとの倫理」ではなく論理。そして事実。

何度もいってるつもりですが、女性を活用しない企業等を擁護しているつもりは全くありませんよ?

加納正和加納正和 2009/01/27 01:43 >昔々は「女性は差別されているのだから男性の状態を「知る」必要はない」なという論理が幅を利かせていましたが、さすがに今だと無効でしょう。

上記に訂正。「する」じゃなくて「知る」だな。

あと補足。

>経営者と労働者の関係を「変える」ことを考えて見ればいいのではないですか。

その意味の「変える」の意味が、私にはよく分からないです。

どっか、あさっての対象に言ってませんか?私は「経営者」にはなりえませんよ、「非モテ」ですから。「労働者」さえ私から言わせれば不在です。関係を変えようがありません。

まあ普通の?男性なら女性との関係を見直すことも出来るのでしょうけど。(苦笑)

KSKS 2009/01/27 13:26 >加納さん

私が書いた経営者と労働者は、男女の比喩ではなくて、現実の経営者と労働者のことです。なぜそれを「『変える』ことを考えてみればいいのではないですか。」と方向を(「あさって」の方に?)転換することをお勧めしたかといえば、比喩として使う前に現実の労使関係(とりあえずはジェンダーの問題は抜きとしても)について考える方が、ジェンダーについて「あさっての対象」を見ているという他ない加納さんからでも、少しは実のあるご意見がうかがえると思ったからですよ。

加納正和加納正和 2009/01/28 02:45 じゃあ話が違うのね。なんのはなしだっけ?

>現実の労使関係

ほぼ「にーと」の私に労使関係なんて無関係なのだが。。
その会社の労働者になりたくなければ、辞めればいいのでは。

家族じゃないんだから、いくらでも辞められます。相手が労働基準法違反であれば、訴えればいいのでは。最近では裁判が増加してるそうです。小額訴訟もできるからやりたければやればいいでしょう。

一般的には関係を「変える」必要なんかありませんよ。労働者を「辞める」だけで問題ないでしょう。「経営者」と「労働者」の関係を変える努力をする必要性はどこにあるのですか。まぁ、特殊な関係ではあるのかもしれませんね。

私の基本的考えでは「経営者」が社員で「労働者」は社員の代行をしているに過ぎません。だから「労働者」は論理上「経営者」のコピーです。だから「労働者」になんら権限はありません。よって、関係を「変える」必要性も生じません。

まぁ、さすがにここまでドライに「経営者」が論理を敷衍すると
労働者がついていけないだろうから、オブラートにつつんで
コピーになってもらうべく福利厚生をつけてみたり、ちょっと権限をあげてみたり、労働者のご機嫌をとるのでしょう。

。。あんまり実のある話じゃないなぁ。

>ジェンダーについて「あさっての対象」を見ているという他ない

わはは(苦笑)、まさに「ということにしたいのですね」って文ですな。なんせ「「あさっての対象」を見ている」という根拠が全く書いていないのですから、苦笑するしかありませんね。
きっと書いた人には、その根拠は「当たり前」なのでしょうけど。

もちろん、そう簡単に「当たり前」などあるはずもない。それらの議論に備えて(?)ユニセフに毎月募金しているなんて、考慮の範囲外だろうから。あなたはエイズにおかされつつある貧しい東南アジア少年少女のために活動してますか(苦笑)

まさか夫が海外で買春してたりしないでしょうね?

話が変わりますがアエラで「女性150人の給与明細」という特集をやってましたね。相変わらず記事内容が低レベルですが。

給料が低いのは、日本の実体が年功序列だからでしょうに。男女格差じゃない一つーの。それが証拠に30代後半男性の私は年収400万ですから。男性だから年収が高いわけではない。女性もちゃんと高級な職種は年収高いようだし。

上司のおっさんとか、同期の男性が年収高いのを見て不公平感があるのでしょうけど。

そういうのも、やっぱりその対象をちゃんとは見てないんだよな〜。

KSKS 2009/01/28 18:46 確かに実がありません。同意します。会社が嫌なら辞めれば? ルイ16世の王妃みたいな人が、20世紀日本男性にいるんですね。そしてそれを比喩として男女関係を語ろうしていたのだから、論理的にいって、性差別問題についての加納さんの議論はさらに実がありませんね。

加納正和加納正和 2009/01/29 00:06 >会社が嫌なら辞めれば? ルイ16世の王妃みたいな人が、20世紀日本男性にいるんですね。

ほんとに男性のことなんか眼中になく、全く知らないようですね。男性ならどんなに不利の状況でも、常にずっと同じ会社に居るとでも思ったのですか。ちなみに「嫌」ならって、だれも感情的「だけ」で嫌とかだと言ってるわけではありません。「うつ病」で倒れるまで安月給でこき使われても、ずっと会社にいろと?で過労死しろと。まぁ男女は既に平等だという、あほなやつはさっとと死ねばいいのでしょうけどね。

>性差別問題についての加納さんの議論はさらに実がありませんね。

そりゃそうでしょうな。私の前提は男女は既に平等なことですから。私の論理が、「差別がある」という前提自身を実体のないものにしているのだから、「差別がある」と思ってる人の実になるわけがない。

で、一応重ねて聞いておきますが

>ジェンダーについて「あさっての対象」を見ているという他ない
と言われた人が、ユニセフに寄付している事実を論理的に敷衍すると

「ユニセフに寄付する行動」(==海外での少女買春の否定)は「ジェンダーについてあさっての対象を見ている人の行動」であることになり、「ジェンダーについてあさっての対象を見ている人」への否定的な言説からして、「ユニセフに寄付する行動」を否定することになると思いますが。

長年フェミニズムの人と議論したことはあれども、「ユニセフに寄付する行動」を否定されたのは初めてです。いわゆる最近のフェミニズムはそうなったのですか。

まさかとは思いますが、一応尋ねておきます。

加納正和加納正和 2009/01/29 00:33 一応補足しておこう。つーか蛇足に近いな。

>会社が嫌なら辞めれば? ルイ16世の王妃みたいな人が、20世紀日本男性にいるんですね。

そういえば性役割からの開放って「フェミニズムの論理」の一つじゃなかったですかね。「仕事をしなければならない」という男性性役割からの開放を主張したら、16世紀に戻るわけですか(笑)

昔は、「男性性役割からの開放」も「フェミニズムの論理」の一つだったはずですが。今は男性は無視ですか。仕事をより多くやれと。

女性だと「フェミニズムの論理」による行動を肯定し、男性だと「フェミニズムの論理」による行動を否定しているように見えます。

それだと明らかにダブルスタンダードであり、「フェミニズムの論理」自体、信頼される結果にはならないと思います。

なんか、ほんとに浦島太郎状態だな。。

加納正和加納正和 2009/01/29 01:05 こんどは完全に蛇足だ。。。

私が浦島太郎状態の理由は。

「いま・ここ」性とでもいうのか、各人目の前の現象を重視する考え方を、私が、もはや信じていないせいもあるような気がしてきた。

今の私は「いつでもない・どこか」性とでもいうのか、
私の目の前の現象は、単に私の前で偶然起こっているだけで一例に過ぎないと考えているようだ。まぁ良くないことばかりだったし(苦笑)

どっちが間違っているというわけでもないのだが
話が合わないのも確かだ。

ということで話が合うはずもない以上
なるべく消えます。お疲れ様でした。

font-dafont-da 2009/01/29 17:58 【注意】
ここは日記を書きこむ場所でも独りごとを書きこむ場所でもありません。以下、上に見られるような書き込みはすべてスルーしていきます。よろしく。

吉田吉田 2009/02/25 16:20 はじめまして。
font-daさんの、「自分がすり減って、大事なものを奪われていくような感覚」に強い共感を覚えましたので、コメントを残させていただきます。
私自身はフェミニズムに関しては『家父長制と資本主義』『発情装置』くらいしか読んだことがなく、不勉強にもほどがあるのですが、しばしば上の加納さんのような男性からこの手の話に関して議論を吹っ掛けられます。
大概の場合、その理由は、私が女性だからというだけの話です。
何も知らないのであれば、議論を吹っ掛けてくる前に本でも一冊読んできてほしいものです。
読みもしない、現状を知りもしない、知ろうとも思わないくせに、それが当然だと考えている。
ほかの分野であれば当然に許されないような議論の仕方をして、なんの疑問も抱かず、そしてそれ自体が批判されているというのにそれに気付かない。とても不思議です。
まさに「絶対にお前にはわからせてやらない」という気分になります。
長々と失礼いたしました。

とろとろ 2009/03/09 14:48 加納さんは 人を思いやらず人の立場を考えず想像力もない上 揚げ足取りと言葉遊びに始終し 他者に共感を示すことができず 常に他人を打ち負かすことを目的とし 女性の現状を理解しようともしないから 非モテなんだと思います。痴漢(男)がいなければ 女性専用車両なんて無くてもすむのに。自分がマッチョの巨体男に無理矢理カマ掘られて 痴漢される女性の苦しみをちょっとは味わったらどうですか?

hogehoge 2009/05/01 03:04 >>私はフェミニズムが力を失ったのは、フェミニズムの主義主張の内容や、スタイルの魅力が損なわれたからではないと思っています。(中略)その結果、「誰かに社会をよくして欲しい」と他人に運動を求めるのに、自分は運動しない人たちが増えました。

物凄く古いエントリーにレスしてしまってすいません。上の文章で異論があります。エントリー自体に異論は無いのですが、コメント欄の上記の書き込みに引っかかりました。

font-daさんは、私たちが利己的になってしまったとお考えかも知れませんが、それは私の実感からはずれます(私はプログラマーをしてます)。

例を挙げます。
たとえば、オープンソース運動、たとえば、コミックマーケットにおけるボランティアスタッフ。彼らは無償で精力的に活動しています。私自身もオープンソース運動に末席ながらかかわっています(ドキュメント翻訳したりライブラリの使い方書いたり)。

ですから、
>>「誰かに社会をよくして欲しい」と他人に運動を求めるのに、自分は運動しない人たちが増えました。
と書いてしまうのは若干勇み足だと感じました。
単に、自分の領域に人がコミットしてこないからと言って、すべての人が利己的であると考えるの危険です。
それは、自社製品が売れないのに、消費者が馬鹿になったと嘆く経営者みたいなものです。自分たちの商品を魅力あるものにしていこうとする契機を永遠に失ってしまいます。

多分、オープンソースにしろ、コミックマーケットにしろ、参加者のモチベーションをどのように高めるかと言う点で凄く良く出来た動員装置なのでしょう。
伽藍とバザールは、人にインセンティブを植え付けてどのように動員するかといった考察を行っています。
http://cruel.org/freeware/cathedral.html

フェミニズムの運動って、参加者をモチベートする仕組みってあるのでしょうか?

font-dafont-da 2009/05/01 09:17 >hogeさん

「オープンソース運動」や「コミックマーケットにおけるボランティアスタッフ」は社会のためになされているのですか?私は今までこうした動きにコミットする人たちは、「自分がやりたいから」=「自分のために」という風に動機を語っていたように思います。もし、「社会のために」そのような運動をおこなっているならば、面白いなあと興味を持ちました。
私は、自分の経験からは、「社会のために」ということは、とりわけ若い人たちにとって、偽善であり、恥ずかしいことだという感覚を伴うんじゃないかなあという気持ちがあります。(少なくとも私は以前そうでした)
そうでない人たちが、どこかに集団としているのならば、注目すべき事例だと思います。(私は関心持ちます)

フェミニズムの運動は、参加者をモチベートすることはありません。基本的には、「自分のために」運動に参加したメンバーが、CRなどで自らのポジショニングや、社会との関連性を問ううちに、「社会のために」という発想を持っていくことが理想とされています。(けっこう実現するのは難しいんですけどね)
私は、世の人がフェミの領域にコミットしてこなくても全然いいんですが、不満があるならそれを社会を変える力にしていきたいよね、と思っています。それがオープンソースやコミックマーケットから始まってもいいんですけど……もちろん、政治的に正しければですが。

通りすがり通りすがり 2010/02/15 18:42 議論を拝見していると、個人の実存の問題と社会(文化と言い換えても可)構造の問題を、ごっちゃにされてコメントしている方がいると思います。人が社会的動物である限り、両者の問題は必然的に重なりますが、同一視はできません。性差の問題が根深いのは、それが自我に関係し、自分と自分との関係をどう持つかという問題と不可分である上に、異性愛者にとってはエロス、あるいは愛の問題と必然的に結びつくからだと思います。この点において、性差の問題は、自己の様式及び、異性愛者にとっては他者との共同性や親密さという、個人の実存の問題に非常に大きく関係します。個人の実存の問題とあまりにも直接に結びつくので、抽象化された語りは難しいとは思いますが、議論の場は個人の実存を語る場ではないという大前提を共有しない限り、先に進めないかなとは思います。私が知る限りではありますが、リブやフェミの理論家の方々は、自らのルサンチマンと葛藤しつつ、ポジショニングの問題があるので口では別のことを言っていても、この構造として問題を語る議論の場を作りだそうとしていると思います。
蛇足ではありますが、現象学チックなことをおっしゃるわりに、加納氏は抽象概念を使っての思考ができない方のようです。批評家の宮崎哲弥氏が、像を頭に浮かべることができない、おそらく脳の器質的問題だろう、と言っていましたが、還元はできても抽象化、及び抽象概念による思考はできないという脳の器質的問題があるのかもしれませんね。

ここまで読んで思った。ここまで読んで思った。 2010/10/14 03:37 font-daさん=KSさん=とろさん=通りすがりさんではありませんか?
理由としては異論のある方に対しきちんとした返事をせずに大変失礼な言動を返す点と、改行を全く入れてない等の文章の癖が同じな点です。
まぁこれは管理者が承認しないと公開されないようなので多分載らないでしょうが。
一つ言えることはこのやり取りを見てフェミニストとは関わりたくないと思う人が増えたことですな。
このようなやり方では、font-daさんの目的は永遠に達成されなさそうですよ。
何よりわかり辛いのが致命的です。
自分で伝わり難く、わかり難く書いておきながら、いざ人がわからないと言うと難色を示す。
これは孔明の罠ですか。釣りですか。
本当の目的は何かを伝えることではなくて、ただ一方的に男性を叩きたいだけなんじゃないかと勘繰りたくもなりますよ。

font-daさんは異論のある人の方が失礼な物言いをしていると感じるでしょうが、それはそちらが先に不快になってもおかしくない煽り文句をおっしゃったからです。
せめて血祭り〜の下りだけでもなければ、まだ気遣いのある文章が返ってきたかもしれません。
人との関係はWeb上の掲示板やコメント欄でも鏡のようなもの。 悪意ある文章には悪意が返ってくるものでは。
私も鏡なので、もしこの文を公開なさる時にはおそらくfont-daさんも辛辣極まりない返事を書くのでしょうね。

投稿したコメントは管理者が承認するまで公開されません。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証