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キリンが逆立ちしたピアス このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-09-23

[][]ちょっと待って、「女性器切除」の話題!

 匿名ダイアリーで、「女性器切除」の話題がブックマークを集めている。

「女性器切除」

http://anond.hatelabo.jp/20090923003429

 この記事によれば、勝間和代が「クーリエジャポン」で「女性器切除」の話題を紹介しているようだ。そちらがどのような記述になっているのか、まだ確認できていないが、少なくともこの匿名ダイアリーの記事は問題があるように思うので、フォローを書いておく。

 ネットで検索しても、「女性器切除」を廃絶する運動の記事が多い。虐げられた女性に対する同情と、そうする男性に対する怒りから、今すぐ「女性器切除を廃絶すべき」だという思いに駆られるかもしれない。第三世界では、いまだ古い掟にムスリム女性が縛られ、犠牲になっているという議論が始まるかもしれない。


 だけど、ちょっと待って。これは、フェミニズムの中で、大きな議論を巻き起こした問題なのだ。この問題をいち早く日本で提起し、今も最も鋭く第三世界フェミニズムに切り込んでいくのは、岡真理である。本来なら、岡さんの著作をそのまま読んでもらうほうがいいのだが、一部を紹介する。

彼女の「正しい」名前とは何か―第三世界フェミニズムの思想

彼女の「正しい」名前とは何か―第三世界フェミニズムの思想

 まず、「女性器切除」という、この行為の呼び名の問題から始めよう。日本のメディアではFGM(Female Genital Mutilationの略)の訳語として「女性器切除」という言葉が用いられている。だが、この呼び名に アフリカの女性から批判があることは押さえておくべきことである。Mutilationは、日本語の「切除」から想起される「腫瘍を切除する」というような意味合いではなく、「からだの一部を切断することで身体を不完全なものにするというニュアンスがある」*1という。アフリカの女性たちは、この行為が「切除(Mutilation)」ではないから、FGMという呼び名を批判しているわけではない。同じように、身体を切り取り加工する*2ために行われる美容整形を、先進工業国では「切除(Mutilation)」ではなく「手術(Surgery)」と呼ぶことを問題視している。これは、自文化で行われる切除を「手術(Surgery)」と呼び、アフリカの習慣で行われる切除を「切除(Mutilation)」と呼ぶことへの批判である。この語の選択には「自文化中心主義」があるというのだ。岡さんは以下のように書く。

 こうした批判から、Mutilationということばが検討に付され、自らの自文化中心主義を自覚し、これを批判していこうとする者たちが、この習慣をFGS(Sugery:手術)と呼ぶようになった。しかし、Surgeryということばは、近代的な病院における医療行為を連想させるが、「女性割礼」の実態は必ずしもそうではないため、このことばを不適切だと考える者もいる。現在ではMutilationのような「身体を不完全なものにする」というニュアンスのない、より中立的なものとして、FGC(Cutting:切ること)ということばも用いられていると聞く。

 「割礼」と呼ぶか、FGMと呼ぶか、あるいはFGS、FGCと呼ぶのか。こう呼ばねばならない、ということはないし、こう呼びさえすれば、いついかなる場合においてもあらゆる批判を免れる、ということもありえない。なぜなら、語るものそれぞれの位置やコンテクストが異なるからである。自社会の「伝統」擁護者に向かって、「これはMutilationだ」と語るアフリカフェミニストも、先進工業世界のフェミニストかその自文化中心主義に無自覚に、こんな暴力を少女に対してふるうアフリカ社会は野蛮で遅れているという潜在的メッセージを滲ませながら、これはMutilaitonだと語ることに対しては、「これは割礼であり、文化的な行為である」と言うかもしれない(それは「文化だからよいのだ」というのとは全然ちがうことだ)。私もまた、アフリカに対する潜在的レイシズムを表しているようなMutilationということばの使い方には意義を唱えつつ、しかし、あれはアフリカの「文化」だから「伝統」だから良いのだ、異文化の人間がとやかく言うことではない、と言う者がいるとすれば、それに対してはアフリカ社会のなかにあってさえ、この習慣に対する見方は多様であり、とくにこれをMutilationだと言って、その廃絶を求めているアフリカの女性たちがいるのだということ、そして「文化」も「伝統」も不変ではなく、歴史的につねに変容を被ってきたし、これからも変わるものであることを主張するだろう。*3

こうしたどっちつかずの態度を、どう捉えるべきだろうか。いまも、この世界で、女性器を不潔なナイフで麻酔もなくカットされている少女たちがいる。刻々と犠牲者が出ている。彼女たちは抑圧され、「正しい医療的情報」も手に入れられない。それが犠牲であることすら気付かないのだ。こうした描写は、誤りだとは言えないだろう。「私たちは、かわいそうな少女たちを、救わなくてもよいのか?」あなたは、少女の人権と、イスラム文化のどちらを選ぶのか。こうした問いに対し、岡さんはこう書く。

 「フェミニズムイスラーム」「普遍的人権主義 対 文化相対主義」といった粗雑で安直な二分法――二分法とはえてして粗雑で安直なものだが――による議論は、したがって、問題の本質を隠蔽するための中立性、客観性を装った装置にすぎない。そこでは、ムスリム女性であることとフェミニストであることが、あるいは自文化の伝統に主体的に参与することと、普遍的人権を信じそれを実践することが、あたかも相互に排他的で、両立不可能なものとして前提されている。しかし、このようなパラダイムを無条件に前提とするということであり、そこで行使されている権力を無条件に承認するということである。こうした二項対立の議論の真の意図は、いずれの立場が正しいのか、を論じることにあるように見えて、実はそうではない。一方的かつ恣意的に他者を表象する権利に対する承認こそがひそかにもくろまれている。

 だから、この問いは罠である。彼は執拗に問うてくるだろう。「あなたはどちらの立場をとるのですか」と。中立性を装いながら、そして、あなたに主体的選択を保障しているように見せかけて、しかし実際のところ、この問いはいささかも中立ではない。だれしも正義の側に立ちたいものだ。「差別主義者」のレッテルを貼られるのが分かっているような立場を敢えてとるのは勇気がいる。だが、問題はそれだけではない。なぜなら、いずれの立場をあなたが「主体的に」選択するにせよ、このような議論のパラダイムに乗ってしまった瞬間、あなたは、だれが他者を表象する言説の主体になるべきかについての前提を承認してしまったことになるからだ。だから、私たちはこの問いに答えてはいけない。問題なのは、「普遍的人権主義」か「文化相対主義」か、なのでは、ない。このような二項対立的議論を生じせしめるような言説のトポス――他者を表象することで、これを支配したいという欲望が生じるトポス――をこそ、私たちは問わねばならない。*4


 ここで、もう一度、匿名ダイアリーの記事に、話をもどそう。この記事の書き手は、次のように書く。

僕にできることと言えば、こうしてブログの記事を通してこういった事が現実にあるということを知ってもらうことしかできない。ただ、このエントリを見た方がそれに続けて他でアウトプットしてもらえればさらに拡大する。まずは知ってもらうことくらいしかできないが、アフリカの伝統文化だから周囲の国々、個々人が手を出すものではないというのではなく、人間として、基本的尊厳として、こういった「ただの女性差別」、非人道的行動をいち早く無くす方向に持っていく必要があることは間違いない。

http://anond.hatelabo.jp/20090923003429

この「僕にできること」として書かれた行為は、「かわいそうな抑圧された少女たち」という像をインターネットを通じて複製し、流布させることである。ここで言われる「現実」とは「僕」が切り取り、「僕」の目を通して、痛ましさを付与された、犠牲者のイコンである。少女たちは声をあげられない。だから「僕」が代わりに語ってあげるのだ、声なき者たちの声にならない叫びを。こうして、彼女たちの声は、「僕」に奪われ消し去られていく。

 岡さんは、著作でエジプト女性作家ナワール・エル=サアダーウィーの作品が、「先進国フェミニストによってどう読解されたのかについて詳述している。結論をだけを抜き出そう。「先進国フェミニストたちは、サアダーウィーの作品から、北側先進国第三世界を新植民地主義により構造的に搾取し、政治的自律性を奪うことで第三世界の民衆を貧困と抑圧に追いやっている構図を消した。そして、第三世界が後進的であり、「イスラーム=抑圧的な宗教」「ムスリム女性=無力な犠牲者」という構図だけを言説化したのだ。また、サアダーウィーが「先進国」にある女性に対する抑圧を指摘すれば、パーソナルな女性という部分を抜き出し、「同じ女として」連帯しようとし、後進国とみなす自らの視線を隠蔽する。こうして、第三世界第三世界化され、女性たちは犠牲者化される。

 岡さんは、次のように書く。

 私たちは「第三世界」の女性たちにの現実について、よりよく知らねばならない。それは「第三世界」の女性たちの自己表象をめぐる上述のような困難な状況について認識するということでもある。だが、私たち北側先進工業世界の人間が「第三世界」について知ろうとするとき、「知る」という営為自体が実は、すでにさまざまなレベルで差別性を帯びてしまっているという事実に努めて自覚的であらねばならないだろう。いや、そもそも他者を知るという欲望が生起するトポス自体が中立的ではありえないのではないか。

(略)

 だが、このとき、こうした言説によって私たちが都合よく忘却の彼方に追いやってしまうことがある。それは、私たちの社会もまた、サアダーウィーが主張するように、アラブ社会やアフリカ社会と同じくらい、時にはそれ以上に、父権主義的で暴力的で野蛮であるという事実であり、さらに、私たちの「先進的」で豊かな暮らしが「第三世界」に対する構造的搾取の上に成立しており、アフリカの女性にとっては、そうした先進工業国の経済搾取による貧困化の問題も、性器手術にまさるとも劣らず重要な問題であるという事実である。*5


 言うまでもないことだが、「僕にできることと言えば、こうしてブログの記事を通してこういった事が現実にあるということを知ってもらうことしかできない」という認識は誤りである。まず、あなたは女性器切除の何を知ったのか。そして、できることは何なのか。私も、この書き手が悪意があったとは思わない。私も、女性器切除の話を聞いた時、同じことを思ったからだ。今、同じことを書かないのは岡さんが著作を通して、新しい知見を教えてくれたからだ。そして、何を知ったのか、という問いは、私にもまた投げ返されるだろう。できることは何なのか、という問いもしかりである。「知りたい」「なんとかしたい」という欲望もまた問われ、わかるのは自らが内面化した差別意識なのかもしれない。

 ただし、勝手に絶望したり、無力感に陥る必要はない。第三世界で人々は生きているからだ。私は無知である。だが、無知のままである必要はない。第三世界の人々が変わっていくように、私たちもまた変わっていくことができるからだ。


 ところで、勝間さんの記事は一度確認したほうがいいかもしれないと思っている。数年ごとに、こうした「かわいそうな少女たち」の話題は、紙メディアであがってくる。以前、私が紹介したのはこちら。

キャディ『切除されて』

http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070625/1182738048

*1:岡、54ページ

*2:いわゆる病気の治療ではない身体侵襲である

*3:岡、55ページ

*4:岡、44〜45ページ

*5:岡、53ページ

y_arimy_arim 2009/09/23 12:14 読んだ。感謝します。
リンク先も読んだ。ブクマコメントにレスしてなかったけど、gordiasにfont-daさんが参加してたことは知っていました。で、「単に「痛いから、いやだ!」というのは、どうなんでしょうね」というリンク先のコメントを読んで、単に「そんな痛そうなことするなよ!」ということは言えるのだろうか、と考えた。そういうプリミティヴなところにごちゃごちゃと小理屈をくっつけるから自文化中心主義に陥るのではないか、と。
……これもまた、搾取する側に「単に」言われたかねえ、という話になるかな。いや、でも、痛いのはいやだよ。

greenTgreenT 2009/09/23 12:50 興味深く拝見させていただきました。
しかし、興味深い一方で結論がわかりづらいので質問させてください。

> そして、何を知ったのか、という問いは、私にもまた投げ返されるだろう。できることは何なのか、

最終的にここのブログ主さんは何を知って何をしているのでしょう?
リンク先の匿名ダイアリーの人が間違っているのは具体的にどういう部分?

font-dafont-da 2009/09/23 12:56 >y_arimさん

「痛いから、いやだ!」は別の文脈で、私がどう考えるべきか迷っている問題です。(マゾヒズムの問題)「痛そうなこと」はもっと難しいですね。<私>の痛みは、他者に認識できないというのは、結論出ちゃいましたからね……どうしたもんかな。

font-dafont-da 2009/09/23 12:59 >greenTさん

その質問、国語の試験みたいですね(笑)試験と違って、時間制限はないので、よくお読みなるとわかると思いますよ。わからないのならば、岡さんの著作にあたってみてはいかがでしょう?2400円と学術書にしては安いですし、お近くの図書館にも蔵書があるのではないかと思います。

tata 2009/09/23 14:49 逆に言えばイルカ問題みたいな感じでしょうかね・・・。

y_arimy_arim 2009/09/23 15:19 なんか違和感が残ったので、意見が対立するかもしれないけれども付記。
ルワンダとかボスニア・ヘルツェゴヴィナとかでの国連平和維持活動を思い出した。介入を躊躇しているうちに被害が拡大していった、というアレ。
(前の記事にある死刑執行停止の呼びかけも同じような話かもしれない。とりあえず『殺すな!』という話なわけだから。とりあえず『切るな!』とは言えないのだろうか、という……)
あと、最終的に「私たち」の「差別意識」が主題になっているように見えたのが腑に落ちないといえばそう。「人間を手段としてではなく目的として扱え」ってのがカントの言葉だけれども、「女性器切除」の当事者を、われわれが自らの差別意識や特権性について知るための手段にとどめおいてはならないと思う。いや、そんなことは先刻承知の上だとは思うけれども。岡さんの著作あたるしかないか。

font-dafont-da 2009/09/23 16:33 >y_arimさん
ルワンダは私はまったくわからないのだけれど、ユーゴ空爆についてはかなりの批判がすでに出ているはずです。また、セルビア人が「野蛮である」と西側諸国で表象されていたとの指摘もありますし、逆にセルビア人が戦争で得をしたとの指摘もあります。何かバシッと答えが言えるかというと、そう簡単には……
究極的に倫理的な問題としては「殺すな」と言うしかない、となるのだけれど、個別の問題についてはひとつずつ情報を積み上げて考えていくしかないんじゃないかなあ、と思っています。殺す/殺さないに至るまでに、たくさん考えるべきことがあって、「人道的介入は許されるのか」という問いを、簡単には問えないだろうというふうに。
ブックマークに「こまけぇことはいいんだよ」というコメントがあって、象徴的にネットって感じだなあーと思ったりもしました。こまかいし、矛盾するし、わけわからんくなるんだけど、それを避けようとするのは、結局問題から、当事者から逃げることなんだろうと思います。
というわけで、全然答えになってないですが。

後半のお話は、まったくもってその通りです。このあと、岡さんは「ではどうやって、彼女たちに出会うのか」という問いをたてます。そこから先は、岡さんの本を読んでいただいたほうがわかりよいと思います。

m26m26 2009/09/23 16:55 確かに、こういった行為が民族たちにとってみればデフォルトかもしれない。ただ、今は世界の情報が現地の人でも収集ができる。収集した上で彼女らが、取り込んで少数であろうが、亡命したいと思った人にはその道を用意してあげる必要がある。文化云々ではなく個人がそう思う以上手を差し伸べるべきだ。一方で、そんな思考がまだできない幼い少女が問題だ。その場合は親がなんとかするしかない。もしくは身内、周囲がそう思っているなら、少女に教え方向を変えてやるしかないと思う。こればっかりは大人次第になり、全世界共通になる。


それから、カワイソウ論の流布であるが、えーっと誰が言ったか忘れたが、そういった事柄についてのネグレクトが問題であって、勝間さんもそのネグレクトから光を見出す種(トリガー)になってるのだと思う。僕みたいに、よく調べず感情だけで数字も使わず書いたのは安易だったかもしれない、ただ、結果的に多少ははてな内だけかもしれないが、知らなかった人が「知った状態」になった。多少なりともネグレクトが緩和された事実に僕は正直にうれしく思う。

しかし、増田で書くことしか僕にはできないというのは、仰るとうり間違いだと今更ながら後悔している。ともあれ、種は認知度の高い勝間さんが巻いたのは事実、こっからどうすればいいのか、冒頭で述べたように、情報が手に入りやすくなったアフリカで、切除を嫌がる女性にどうやって僕ら(個人)が何かできるのか、そういったことを考える必要がるのは今でも変らない。

です、ます調じゃなくてすみません。

font-dafont-da 2009/09/23 17:13 >m26さん

匿名ダイアリーに記事を書いたかたですね。最終部分には同意します。このような問題に光を当てるのは重要ですし、何ができるのかを考えることは大事だと思います。はてな村のホットニュースになっただけでは、ネグレクトが緩和されたとは、私には全然思えないですが、その辺は個人の感覚もあるのでしょう。
後の部分は、上の記事の繰り返しになるので割愛します。「母たちの村」、とってもいい映画なのでオススメします。

snowburstsnowburst 2009/09/23 17:50 元増田さんの記事から飛んできました。
記事、興味深く読ませてもらいました。
ちょっと気になったのは、たとえばこのような儀式(と呼ばせてもらいます)が行われなくなった世界では、何が起こるのかです。
今は儀式的に行われていることでも元々は何か問題となる原因があったはずで、それを解消することなしに「やめたほうがいいよ」というのは何か違う気がします。(font-daさんが「やめたほうがいいよ」と主張しているといっているわけではないです)

font-dafont-da 2009/09/23 18:03 >snowburstさん
ごめんなさい、意味がちょっとわからないです。原因がある場合もない場合もあるでしょうし、何か起きる場合も起きない場合もあるでしょう。

snowburstsnowburst 2009/09/23 18:20 >>ごめんなさい、意味がちょっとわからないです。原因がある場合もない場合もあるでしょうし、何か起きる場合も起きない場合もあるでしょう。

すみません。分かりにくかったです。
そもそも儀式自体が自然発生的に行われたとすると、私の話自体が意味を成さなくなってしまいますが、儀式自体に何か問題解決的な側面があって実施されていたとします。
今回の例で言うと、儀式が行われる原因を「子供を産む数を減らすため」だと仮定します。
そうすると、
子供の産む数を減らすために行われていた儀式を中止した
→儀式を中止したことにより子供の数が増える
→飢えるものがますます飢える
という状況にならないでしょうか、ということです。

・・・と、ここまで書いてこのエントリに対するコメントとして相容れない気がしてきました。
ごめんなさい、忘れてください。

font-dafont-da 2009/09/23 20:30 >snowburstさん

了解です

kenshoFkenshoF 2009/09/23 21:49 >その質問、国語の試験みたいですね(笑)試験と違って、時間制限はないので、よくお読みなるとわかると思いますよ。

私も同じような国語の試験みたいな疑問を抱いたのですが、訊いたら笑われるんだろうか。それとも私のような無知な人間は敵とみなされているんだろうか。私は何か悪いことしたから責められているのだろうか。気分が悪いなら読むなということだろうか。

font-dafont-da 2009/09/23 23:29 >kenshoFさん

独りごとをコメント欄でつぶやくのは勘弁してください。

論ではない論ではない 2009/09/24 00:32 結論を前提条件としている。
結果、結論に対する論理的な説明は無い。

dotetinedotetine 2009/09/24 12:04 途上国で疫病予防ワクチンの接種を先進国が促すのと同じなのではないか。
モスリムやアフリカ原住民が宗教や価値観において、何をしようが勝手だと
思うし、彼らの文化を尊重すべき。しかし、呪術が疫病に屁の突っ張りほど
の効果もなく、近代医学によって治癒可能であることを啓蒙すべき。同様
割礼が医学的には個体に悪影響しかもたらさないことを医学先進国が啓発
すべき。
イスラムを呪術と比喩すると叱られそうだが。
割礼したければ分別が付く年齢に達してから、自己責任でやればいい。
割礼するしないなど、選択肢が多いことは豊かな人生だと思う。

工藤晴子工藤晴子 2009/09/24 12:12 font-daさん
初めてコメントさせていただきます。毎回投稿を拝見し、ぐるぐると思考するきっかけを沢山頂いております。ありがとうございます。実名で尚且つこうしたインターネット上でのにコメントにもきちんと反応されていて、敬服する限りです。

わたしはQueerに関して勉強しているのですが、自らが内面化する差別意識と、では当事者しか語れないのか、という問題に常に悩んでいます。岡真理さんの著作には是非当たりたいと思います。

ところで、今回の記事に関してのトラックバックへのコメント欄にて、二つの活動団体を挙げられていらっしゃいましたが、どういった点においてこれらの団体の活動に賛成されていないのかご教示頂ければ幸いです。

font-dafont-da 2009/09/24 18:55 >工藤晴子さん

コメントありがとうございます。

二つの活動団体は、「アフリカの女性たちを救う」という姿勢が顕著です。上の記事にも書きましたように、アフリカの女性たちの側から、「私たちが苦しんでいるのはFGMだけではない。先進国からの搾取によっても苦しんでいる」という異議申し立てがありました。
私もそうなのですが、女性の性器を切除する人たちに対し、多くの人は嫌悪や怒りを感じます。そして、自らを被害者の側に立つ者としてアイデンティファイしようとします。ですが、実際には、先進国の人たちは、カットされる女性の側ではなく、カットする側、つまり加害者の側に立っているのだと私は考えています。カットとは別の形で、アフリカの女性たちを苦しめています。そしてその行為は、当事者から「カットより軽いとは言えない」と指摘されているのです。
もちろん、FGMを肯定はできません。しかし、他の人がやっている暴力行為を止めさせることよりも、自らの暴力行為を止めることを優先すべきではないか、と私は思います。
もちろん、私はFGMについて、世界の人たちみんなが知るべきだし、みんなで解決すべきだと思っています。ですが、アフリカの貧困よりも、FGMの廃絶を優先しようとするとき、自らの加害者性を抹消しようという欲望が働いているのではないか、と私は自分を疑っています。
もちろん、そうではない場合もあるでしょう。ただ、こうした性に関するような人を感情的にさせる問題については、自分に負荷をかけたほうが良いと思っています。やりたい問題よりも、やりたくない問題を優先した方がいいのだろう、と。そのあたりが、二団体と考え方が違うように思います。
こう書くと、FGM廃絶について動くことを全否定しているようにとられるかもしれませんが、そういうわけでもありません。私は、自分がアフリカから遠い所にいると感じるだけに、そこで起きていることに、自らの加害者性を自覚しながら問題に取り組むのはあまりにも難しいと思っています。当事から「日本人」として名指されて批判される機会も少なすぎます。ですが、それを超えて活動にコミットする人がいることも事実ですし、それには敬意を払いたいと思っています。
(もし、私がアフリカの現地に入って研究や活動をしていれば、また話は別だろうと思います。)

まとまりませんが。

工藤晴子工藤晴子 2009/09/25 13:23 丁寧なレスポンスをありがとうございます。
わたくし自身も女性の性器を切除することに対し、嫌悪や怒りを感じます。
私の考え方でfont-daさんのご意見と異なる部分は、「切除を行う人」に対して怒っている自分は、決して当事者にはなれず、そうした場合FGMは他者の問題にしかなりえないという点です。

本当に自分は、名も知らぬ「切除を行う人」に対して怒りを感じているのか、それとも何か別のものに対して怒っているのかを突き詰めなければならないと思っています。

やや話が狭くなってしまいました。
これからも刺激的なご投稿を楽しみにしています。

font-dafont-da 2009/09/25 13:28 >工藤晴子さん

>本当に自分は、名も知らぬ「切除を行う人」に対して怒りを感じているのか、それとも何か別のものに対して怒っているのかを突き詰めなければならないと

これは大事な論点だと思います。こちらこそ、コメントありがとうございました。

greenTgreenT 2009/09/25 23:30 コメントいただきありがとうございます。

> その質問、国語の試験みたいですね(笑)試験

ああ、何か箇条書き風に自分が知りたいことばかり羅列したんで、威圧的に見えたかもしれない?ですね。そんな意図はなかったんです・・・m(_ _)m

さて、岡さんの著書に当たってみてとのことですが、私はfont-daさんの自身に興味を持ってこのブログを見にきたので、ぜひとも岡さんの著書や匿名ダイアリーに触れてfont-daさんが感じたことが知りたかったのです。

私がその岡さんの著書に触れても私が感じたことしかわからないから・・・

でもそれは私の個人的な興味なんで、font-daさんがもう喋ることに興味ないなら無視してもかまいませんよ。
ではでは。

通りすがり通りすがり 2009/10/02 01:10 元エントリ、「女性」を「同性愛者」に入れ替えたらそっくりそのまま通用しそうですねw
また、女子割礼には↓みたいな意見もあります。
http://www.jca.apc.org/praca/back_cont/02/02Sudan.html
「ヨーロッパのスーダン人は、貧しい人たちはこの習慣をやめたいと思っているのですが、裕福な人たちは、続けたいと望んでいます。その理由として彼女達は、経済的には不自由がなくても、差別されていることをはっきりと感じているのです。そのため、伝統的なほこりを捨てないためにも、割礼をおこなっているのです。

 それにたいし、スーダン国内では、貧しい人たちは習慣として続けようとしていますが、裕福な上層階級は悪い習慣としてやめたいと思っています。つまり、ヨーロッパ在住の人と、国内にいる人では、とらえかたが全く逆になっているのです。直接ヨーロッパの内にいるか、ヨーロッパの目を気にするかの違いです。」
これを読んで、イランの民主化を進めたいならオバマもまず、経済制裁をやめてイランに誤ったらどうかと思いました。

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