Hatena::ブログ(Diary)

キリンが逆立ちしたピアス このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-12-08

[]性暴力は自衛可能か?

0.本文に入る前に

 最初にお断りをします。この記事では、直接的な性暴力の被害経験の触れています。性暴力についての記述を読んだときに、気分が悪くなったり感情がセーブできなくなったりすることがあります。被害経験がある人はもちろん、そうでない人もご注意ください。(そうした記述を、身を守るために読まない、という選択もあるべきだと、私は思っています)

 次に上記以外の理由で読む気がない人向けに、結論を書いておきます。

【結論】

 性暴力において、被害者を出さないための、決定的な方策はいまだみつかっていない。他者と信頼関係を結ぼうとする中で、加害者は被害者に性暴力をふるう。加害者が性暴力という行為に至るメカニズムは、判明していない。他者とのつながりを求める限り、親密な関係におけるレイプは、防ぎきれない。だが多くの人々は、他者との親密な関係を拒絶することを、選ばないだろう。そこで、性暴力の危険性を認知しながらも、それを避けようとする不断の努力が必要とされることになる。その努力とは、通俗的で女性抑圧的な、「夜道を歩かない」「ミニスカートをはかない」といった自衛策ではない。性教育をすすめ、性についてオープンに話をすることのできる空間を、維持することが、一つの対策となりえる。

 また、「性犯罪は自衛可能であるか」というフレーズで、議論が起きている。「性犯罪」は立件可能な性暴力というニュアンスを持つため、以下では「性暴力」と言い換えていく。性暴力の被害者の多くは、被害届を出すのも難しい状況におかれている。しかしながら、犯罪と認知されなくても、性暴力にさらされている人たちがたくさんいることを鑑みての判断である。

1.性暴力の実態

 まず、性暴力の実態について確認していこう。性暴力は、大別して二種に分けられる。一つ目が「見知らぬ者からの性暴力」であり、二つ目が「親密な関係における性暴力」である。

(1)見知らぬ者からの性暴力

 見知らぬ者からの性暴力は、ストリートレイプのイメージにより、広く一般的に認知されている。人気のない夜道を歩いている女性が、知らない男に強姦されるイメージである。露出が多い服を着ていたり、男性に対して誘惑的であったりする女性が、標的になるという言説も流布している。

 だが、実際に見知らぬ者からの性暴力を受けた被害者の服装には、共通性がない。むしろ、露出が少なく、おとなしそうな女性が狙われやすい、という傾向があるとも言われる。では、実際に見知らぬ者から性暴力の被害に遭った人は、どのような経験をしたのだろうか。小林美佳は「性犯罪被害にあうということ」で、自身の性暴力の被害の経験を、文章化している。

性犯罪被害にあうということ

性犯罪被害にあうということ

小林さんは、会社から自宅に帰宅する途中で被害に遭った。閑静な住宅街で、「治安が悪い」と言われたことのない場所だった。近くには交番もあった。そこで、道を尋ねてきた男に、小林さんはレイプされた。小林さんは、数年後にカウンセリングを受ける中で、次のように考えるようになったという。

 加害者が私に手をかけた瞬間は、加害者が、道を教えようとした私の信頼や親切を裏切った瞬間なのだ。

 私は、困っている人に手を差し伸べることは、正しいことだと思ってきた。私は、道を聞いてきた男が困っていると思ったのだ。困っている、と、信じたのだ。

 その一瞬の信頼を、裏切られた。

 私にとっては何よりも忘れられない瞬間で、ショックが大きかった。

 誰かに「裏切られた」という怒りを感じたことがあるだろうか。裏切りというのは、一対一もしくはごく少数の人間が一人の人間に対して行うことだろう。そして、裏切られた側には、相手を信じていたという前提がある。

 裏切られた人間は、大抵の場合、「非がない」と見られる。裏切った人間の「裏切る」という行為に焦点が当たり、その人の信用や評価に影響を及ぼすこともあるだろう。だから、裏切られた人間は、「あの人ひどいんだよ!」と公言することができる。

 しかしなぜだろう。

 性犯罪被害者には、それができない。

 「あなたは何も悪くない」と何度言われたことか。頭で理解できても、じゃあ、「私、人に道を教えたら、車に引き込まれてレイプされたの!」って言えるか?

 「もう誰にも話さないでちょうだいね」と母に言われた一言が、世の中の”常識”を感じさせてくれた。被害にあったと人に話すことが”恥ずかしいこと”なんだという圧力を感じた。

 『なんで?』

 『私は悪くないんじゃなかったの?』

 これが、ずっと私が感じてきた違和感なのだ。

 「人に言えない恥ずかしいことをした」という気持ちを抱えて生きることの屈辱と、理不尽な罪悪感をいつも持っていた。性犯罪の被害者の悩みは、ここなのだ。誰しもが持っている常識や習慣や文化が、こんなかたちで自分に降りかかるとは思わなかった。私も以前はその中で疑問を持たずに生きていたのだから。

(小林、141〜142ページ)

小林さんが被害に遭った原因は、服装や振る舞いではない。小林さんが、加害者の標的にされたきっかけは、親切に道を教えたことだった。では、自衛のために、道に迷って困っている人を放置しなければならなかったのだろうか。こうした被害の例は少なくないはずだ。こうした実際に性暴力の被害に遭った人の経験を知りながら、どうすれば性暴力を防げるのかについて考えなければならないだろう。

 なかには、性的な活発な女性を標的にするような、性暴力加害者もいるだろう。しかし、それは一般的事例ではない。まとめておこう。見知らぬ者からの性暴力において、女性の服装の露出が過多であるかどうかや、性的に活発であるかどうかは、重要な問題ではない。

(2)親密な関係における性暴力

 2008年に実施された「男女間の暴力に関する調査」*1で、次のようなデータが出た。異性から無理やりに性交された経験のある女性は、20代において11.4パーセントを占める。10人に1人以上の割合で、性暴力の被害を受けた若年女性がいることになる。さらに、被害者と加害者の関係性についての調査は、以下のような結果が出た。

その出来事の加害者との面識の有無を聞いたところ(図5−2−1)、3人に2人は「よく知っている人」(66.7%)と答え、「顔見知り程度の人」(19.3%)という人は約2割で、『面識があった』人は9割近い。「まったく知らない人」(9.6%)という人は約1割である。

http://www.gender.go.jp/dv/pdf060424/h18report2-5.pdf

上のデータを見ると、90パーセント近くの性暴力は、親密な関係において起きている。森田ゆりが編集した「沈黙をやぶって」は、日本における性暴力被害告発パイオニア的な書籍である。

1992年に刊行されたこの本では、匿名・実名の被害者たちが、自らの経験を語っている。また、この本の特徴は、パート1「近親からの性暴力」、パート2「知人からの性暴力」と題し、親密な関係における性暴力にページを多く割いていることでもある。

 この本の中で、Mさんという高校3年生の女性は「体を切り離してしまいたい」というタイトルで、自らの被害経験を文章化している。Mさんは、中学2年生の時から拳法教室に通っていた。そこの先生から、高校2年生の時に被害に遭う。彼女は、上下関係に厳しいが冗談を良く言う先生を尊敬し、慕っていた。だが、先生が彼女に寄せる好意は過剰になっていき、つらさも感じていた。そんなある日、先生と二人で稽古した後、彼女はお金を無理やり渡される。以下は彼女の手記である。

 その後のことは書きたくないです。最後までじゃないけど、その一歩手前までされました。何が何だかわけがわからなくて、家に帰ってすぐお風呂に入りました。

 でも汚いんです。

 私の体が。

 洗っても洗ってもおちないんです。体を切り離してしまいたかった。吐き気がするほど汚くて、でも私の体なんです。一生、私の体なんです。

 次の日、私は家に帰らずに友達の家にいました。家に居ると、練習の時間には親が進んで娘をさし出してしまうんです。何も知らずに。先生を信じて。夜おそくに帰ると、練習はどうしたの、と親に言われました。何も言わずにだまっていると先生から電話がきていて、後で電話させるように言っていた、と言われました。できるわけ、ありません。次の日も、おなかが痛いといって行きませんでした。

 友達に相談したら、逃げていてもどうしようもない、先生にハッキリ言うべきだ、と言われます。どうしてその時、もっと死ぬ気で抵抗しなかったのか、っても言われました。たしかにそれは正論でしょう。けれど、どうしようもなかったんです。先生にはむかうなんてことは、今まで「拳法をやる者の礼儀」をたたきこまれた私には、できないんです。精一杯抵抗しても、先生の「俺を怒らせるな」っていう、それだけの、たったひと言で、体がいうことをきかなくなりました。何かが崩れていった気がしました。

 もともと力では、いいえ、それだけではなく、すべてのことにおいて、私は先生に勝てないんです。それは、弱かったっていう事は、私の罪ですか?ただの「逃げ」なんですか?自分から友達に相談したくせに、あんたに何がわかるっていうの?!って思ったんです。誰も守ってくれない、自分しかいない、って実感しました。先生に会うと絶対また何かされそうで、練習を休み続けました。それだけじゃなく、自分から練習にでていく、ということは、先生のしたことをゆるす、という風にとられそうで、同時に認める、というようにとられて、しょっ中されそうで…何より先生に会いたくなかったんです。心の底から、会いたくなかったんです。

 突然練習に行きたがらなくなった私を見て、母も感じ取ったのでしょう。けれど、直接私に聞くことができなかったのだと思います。母の想いは「生理きてるのかい?」という形で私にきました。その時の私の気持ちはとても説明なんてできやしません。くやしくて、はずかしてく、やりきれなくて、たまらなく、みじめで…。涙が止まらなかった。母が先生に私はもう拳法をする気がないようなので、やめさせると電話してくれて、最後のあいさつに菓子折りを一緒に持って行くように言われましたが、どうしても行けませんでした。

 四年も習っていたのだし、礼儀に反している、ケジメがつかない、と自分を説得しようとしましたが、私の体も、心も、すべてが拒絶していました。とにかくお金を返そうと、封筒に入れ、それと一緒に手紙を書きましたが、そのことについては何も書けず、「体を大事にして、いつまでも皆から尊敬される先生でいて下さい」と、それだけがやっとでした。そのひと言に私のどんな想いがあるか、先生ならわかるだろうと思いました。母にその封筒を渡して、ついでに先生に渡してきてくれるように頼みました。

 これですべてがおわったかと言うと、何もおわってないのです。私の体は汚いままなのです。「狂犬にかまれたのだと思って忘れなさい」なんて、よく言うけれど、そんなの不可能です。四年かけて信頼し、尊敬していた相手です。あんな怖い思いをしました。体を切り離してしまいたいくらい汚いと思いました。親とあんな会話をするなんて夢にも思いませんでした。けど相手は信頼して、尊敬していた恩師なんです。社会的地位もあり、経験もあり、お金もあり、家族もあり、力もあり、計算もある。私は忘れようとしてもがくしか手はないんです。こんなことになっても先生を尊敬している自分が憎いんです。

 先生には私と同い年の娘さんがいて、学校はちがうんですが、私と仲のいい人のうちの何人かと仲がよくて、みんなで遊ぶと娘さんも来たりします。その子には何の罪もないんですが、その子を見ると思いだしてしまいます。その子に対して怒りを感じることもあります。たまらないんです。たえきれません。やりきれないです。けど、言えない。その子にとったら、先生は一生の、信頼していく父親なんですよね。絶対、知られちゃいけないんですよね。

 今、先生の会社がホテルを建てています。通学バスは毎朝ホテルの前を通ります。会社はうまくいっているようです。拳法を習っている人達も、なにも知らずに純粋に先生を尊敬しているのでしょう。

 時間が傷をいやしてくれるんでしょうか?半年たちますが、なかなか私の所に時間は訪れてくれません。時間というのはどんな人なんでしょうね。被害者意識が強すぎるのでしょうか?どうして私だけがとり残されて、先生はどんどん先に進んでゆくんだろう、って、それは考え過ぎでしょうか?

 もう完成間近のホテルを見る度に、ぶちこわしてしまいたくなります。

(森田、107〜110ページ)

この性暴力は、親密な関係において、はっきりとした権力差がある中で起きている。尊敬する先生との関係で、MさんはNOが言えなかった。それは、性暴力が起きる前からある、固定された支配関係に原因がある。こうした師弟関係の問題点を批判することも可能だろう。だが、Mさんは今も継続して、先生を尊敬し続けている。それを洗脳であるとしてネガティブに言うべきなのだろうか。もし、性暴力が起きなければ、Mさんは先生と良好な関係を持ち続けただろう。こうした師弟関係が性暴力の温床となりやすいとしても、それ自体が悪いわけではないのだ。*2むしろ、Mさんにとって二人の関係は、信頼関係としてポジティブなものとしてとらえられるはずだったのだ。

 Mさんを苦しめているのは、師弟関係ではない。友達から「どうして抵抗しなかったのか」ことが、打撃になっている。そして、ここから先も、先生を含めた人間関係の中で、誰にも言えずに生きていかなければならないことが、彼女を苦しめる。忘れられない自分を責めている。トラウマそれ自体が苦しいのではなく、トラウマを乗り越えられない自分であることが苦しいのだ。

 Mさんは、どうすれば性暴力被害に遭わずにすんだのだろうか。先生を尊敬せず、信頼しなければよかったのだろうか。ここで、(1)で参照した小林さんの文章と重なる部分が出てくる。もちろん、性暴力それ自体は悲惨で残酷である。Mさんは、「体が汚い」という感覚に襲われ、苦しんでいる。だが小林さんやMさんの語りを読むと、「信じた人に裏切られたこと」も、性暴力被害に遭った人の苦しみに、大きく寄与していることがわかる。


 (1)と(2)を併せて考えると、次のようなことがわかる。まず、性暴力の9割は親密な関係において起きる。次に、性暴力の標的にされる原因は、服装や振る舞いではない。最後に、性暴力に遭った被害者は、「信じた人に裏切られたこと」の苦しみを語っている。

2.性暴力を防ぐために

 性暴力から自分の身を守るためにはどうすればいいだろうか。「自衛する」ためには、攻撃してくる敵を見定めなくてはならない。ここでは、データ上多いことが分かった、「親密な関係にある人」が対象となる。信頼関係を結ぶ相手こそを、疑わなければならない。

 多くの女性はこのことを知っているのではないか。男性と親しくなる際に、「この人は自分に暴力をふるわないだろう」という確信は重要である。そこで、男性に対して簡単に気を許すことなく、暴力の予兆に目を凝らし監視しなければならない。*3このような男性に対する心理的なガードを実行するかどうかは別として、多くの女性は知識として持っている自衛策だろう。痛くもない腹を探られる多くの男性にとって、愉快ではない自衛策である。だが、もっと愉快でない思いをしているのは女性自身である。好意を抱いた相手に、率直に心を開くことができないのだ。女性は、「男性を警戒する」という作業に労力を割かなければならない。男性より多くコストを支払うことになるのだ。

 性暴力をふるわない男性は、性暴力加害者ではない。それは明白である。だが、「信頼したい相手を、警戒する」というコストを支払わずに済む点で、男性は女性より優位にある。もちろん、男性であっても、信頼関係について不安や恐怖を持ち、相手を警戒する人はいるだろう。そうした男性は、性暴力において女性が支払わされているコストが、どれほど大きいものか理解できるだろう。そして、その原因が「女性である」ことの不条理さも想像できるのではないか。本来、「男性である」ことと「女性であること」とは、性暴力において重要な要素ではない。親密な関係において、どうやって暴力を避けるのか、という問題である。だが、現行社会においては、女性が性暴力にさらされやすく、自衛策をとらざるをなくなる。この不均衡があることが、男女平等ではなく、差別があるということである。そして、男性が女性に「コストを支払え」と要求することは、この差別を強化することになるのだ。

 ところで、性暴力問題の根本的な解決策は「性暴力を撲滅すること」だろう。では、どうすれば性暴力をなくすことができるのだろうか。この問題の答えは出ていない。なぜ男性が女性に性暴力をふるうのか、という理由がはっきりしないからである。男性の支配欲や嗜虐欲が原因であるという説が支持されたこともある。これらは「パワーレイプ」や「アンガーレイプ」と呼ばれ、「男性が女性をレイプするのは、性欲が原因ではない」という主張がなされた。

セックス神話解体新書 (ちくま文庫)

セックス神話解体新書 (ちくま文庫)

だが、この説には、統計による証明が不十分であるとの反論も出ている。

レイプの政治学

レイプの政治学

また、ホルモンであるテストテロンの影響や、遺伝学上の問題とされることもある。先に述べたように女性が加害者となる性暴力の事例はあるのだが、やはり数字上は男性が加害者となる性暴力の事例が圧倒的に多い。この謎に対する、クリアーな解は確定されていない。

 性暴力を撲滅するためには、三つの仕事を同時にしなければならない。一つ目は、いまだ不確定な性暴力が起きるメカニズムを明らかにすることである。二つ目は、男性の性暴力加害者が多い理由を考えることである。このことは、一つ目の普遍的な性暴力が起きるメカニズムを解明する糸口になるかもしれない。三つ目は、謎が解けてないにも関わらず、性暴力を減らすための努力をなすことである。一つ目、二つ目の問題は研究者に解明する責務があるだろう。三つ目については、すべての人が担うべき課題である。

 どうすれば、性暴力を減らす努力ができるのだろうか。私が考えうる次善の策は、性教育の場を持つことである。以前に子どもに対する性的欲望について論じたときにも書いたが、性についてオープンに話し、考える場が必要である。好意を抱く相手と、どうやって暴力のない関係性を作るのか。私自身が、いつも迷っていることである。「私―あなた」の二者関係に閉じないことが一番大事なのではないだろうか。性的関係において、第三者を排し、密着状態になる過程に魅力を感じる人は多いだろう。だが、そこで常に別の場に回路を開いておくことが大事ではないか。つまり、性的関係の固有性や一瞬である部分を、普遍的に抽出し、他者と話すスキルを身につけるのである。それは、「セックス=コミュニケーション」と定式化するような、単純なリベラル契約主義とは違うかたちでの、性暴力を減らす方策になるのではないか、と私は考えている。

*1PDFで閲覧可能である。(http://www.gender.go.jp/dv/0604reprt.html)男女間の暴力に限定された不十分なデータであるが、この議論文脈上においては有用だと考えて提示した

*2:師弟関係以外においても性暴力が起きることを考えれば、明白である。

*3:実際には、女性から女性への性暴力もある。また女性が男性へと性暴力をふるうこともある。なので、この認識は問題をはらんでいる。典型的でない性暴力被害者をより抑圧する原因となる。しかし、圧倒的に男性から女性への性暴力の事例が多いことから、この意識が生み出されていることも書き添えておく。

霧原霧原 2009/12/08 21:08 少し考えたり知ったりすれば、あんなノリで「自衛論」だの「リスク管理論」なんて披露できないと思うんですがねえ。というか、逆に、考えたり知ったりすることを頑なに拒絶するゆえ、みたいなところもあるのかもしれないかなと思ったりもしました。考えたり知ったりすると今までのようなセカンドレイプができなくなっちゃうから。自覚があるかどうかはわかりませんが。


「自転車に鍵」とかもうトホホすぎて・・・なんですが、こういうこと言うのって、これも自覚があるかどうかわかりませんが、結局のところ、「結果」で判断して「性暴力被害者は自転車に鍵かけるくらい簡単な自衛もしなかった」ということにしてやろう、しちゃいたい、ってな欲望をダダ漏れにしているように見えました。

   2009/12/08 22:33 女性と男性が痴漢で揉めてる時に、周囲の男性は皆助けずにスルーしていた。という話があったけど、あれも男性は自衛のためにスルーした。と言う話がありましたね。
女性が困っていても助けない。助ける男は逆にそーいう男だと。

font-dafont-da 2009/12/08 23:02 >霧原さん
一昔まえならともかく、いまは情報も簡単にアクセスできるようになってますもんね。「沈黙をやぶって」なんて、どこの公立図書館にも入っているはず。知ろうと思えば、簡単にできることなのに、不思議ですね。

font-dafont-da 2009/12/08 23:03 > さん

 そんな話あるんですか。それは、自衛ではなくて「事なかれ主義」だと思いますが。
 目をそらしたことで、その人たちが目撃した性暴力はなかったことにはならないんですけどねー。

 2009/12/08 23:45 痴漢事件において、男性にとっての『事なかれ』と『自衛』って違う事なのですか?
>目をそらしたことで、その人たちが目撃した性暴力はなかったことにはならないんですけどねー。

たとえ他者を見殺しにしても、自分が痴漢事件に関わってなければ良いのでは?

今回のながく続く自衛論で、
男性方は必死に『女性に関わらない』という自衛をされていて、
女性方は自衛のしようがない。
という全くかみ合わない議論をしているのではないでしょうか?

font-dafont-da 2009/12/09 00:04 > さん
性暴力を放置する第三者は加害者ですからね。映画の「告発の行方」がオススメです。見て見ぬふりはやめよう!性暴力は、被害者―加害者だけの問題ではなく、この社会を作るみんなの問題です。一人の大人として社会的責任を果たしましょう。

 2009/12/09 00:56 >暴力を放置する第三者は加害者ですからね。
その加害者にはどんな罰が与えられますか?

他者を救助するためには、第一に自分の身の安全を確保した上で救助するのが鉄則です。

性暴力の場合は、
『自分は(性暴力)加害者ではない』『被疑者に対して暴力を加えた加害者ではない』という確たる証拠を確保した上で救助する必要があります。
確保できない場合はどうするのでしょう?

『「男は獣」だから隔離せよ』なんて話ありましたが、
男の方から可能な限り関わらないのも同じ話ですよね。
ただし、『性犯罪者を除く男の方から可能な限り関わらない』という事になってしまいますが。

 2009/12/09 02:56 南アフリカで開発されたRAPEXの様な物が進化して一般に認知される程流行していたらある意味最凶の性教育になっていたと思います

http://wiredvision.jp/blog/dangerroom/200705/20070523032110.html

font-dafont-da 2009/12/09 08:24 えーと、名前を空欄にするのは推奨しません。ここは匿名掲示板ではありません。私が管理しているブログのコメント欄です。

> さん(7つ目の書き込みの人)

そうした無視という暴力に与えられる刑事罰はありません。「通報の義務」ということで、刑事罰を科せられるようにする方法もあるかもしれませんが、そうしなくても性暴力を放置しない社会であるべきだと、私自身は思っています。どうしても、関与できないケースもあるでしょうが、それは正当化できません。目の前で起きている性暴力を放置することが悪であることは、法制度がなくても社会的に認知されるべきだと私は考えています。

その「必要」も「鉄則」も初耳ですが、その説は誰がどういう根拠で主張しているのでしょうか。「男のほうから<可能な限り>関わらない」のであれば、確かに予防拘禁と同じです。男性が社会に存在すること自体をやめてもらうしかないでしょうね。私は「関わらない」などという選択肢はとらないほうがいいと思いますが。

単純に単純に 2009/12/09 08:33 性犯罪者の金玉を手術でとってしまえばいいだけでは。あと、女性は金玉にだけに有効なスタンガンを所持することを認めればいいんではないでしょうか。笑

そもそも、こんなことネットで議論していてもうまくいくわけがありません。暴行したこともないし、暴行を受けたことがないものが、妄想で話しているだけですもの。疑似体験とか演劇でもいいですから、体験してみるといいですよ。ま、一番有効なのは、男性は、一生に一度でいいから、妊婦のように、上着の下に5キロぐらいの米袋を腹にしばりつけて、町を一日中歩くことを義務化すればいいんです。ようするに、お互いがお互いを知らなすぎる。とくに最近の草食系男子は、常に怯えているので、女子から強い意思表示を見せられると、ネットの中だけでは抵抗してみたくなるのでしょう。笑

本来、男は野獣です。野獣が知性でコントロールできるから尊敬の対象になるのであって、野獣を捨ててしまって、知性もへったくれもありません。野獣でしかない動物みたいな男は、調教するしかありません。ライオンだって、人間は調教できるのです。だから、調教するテクニックを学んだ方が、女性側は有利ですよ!

font-dafont-da 2009/12/09 08:33 > さん(8つ目の書き込みの人)

私は、このRAPEXについて初めて知りました。性教育とは関係ないと思いますが、これは面白いですね。どういうふうに考えればいいのか、興味を持ちます。
フェミニストのブログでも議論が起きてますね。
http://www.feministing.com/archives/004106.html
「こんなの付けてたら、加害者が激昂したり、罪を隠そうとしたりして、被害者を殺すんじゃないか」という懸念を示してる人が何人かいるみたいです。(ちらっとだけ読みました)
これは、思考実験のいいネタになるかもしれません。

font-dafont-da 2009/12/09 08:35 >単純に さん

でも、私には、大事な存在である男性がたくさんいますからねえ。私は彼らのことを尊敬しているし、ともに歩んでいきたいと思っています。

男側だけど男側だけど 2009/12/09 12:30 痴漢で「揉めてる時」は難しいよ。
9分9厘男が悪いとしても、通りすがりの人間にはどっちの決め付けも出来ない。
ここでは、女性を助けるべき、となっているから、恐らくその場でもそれが求められてしまうだろう。
でも、痴漢した男性は他に居たのかも知れない。

揉め事に関わるなら、警察が来るまで場つなぎして調停ってくらいしか出来ないが、調停という消極的なスタンスは、痴漢擁護と摩り替えられてしまうのではないかな?
ともすれば、警察まで付き合うことになるかも。

逃げてる男を捕まえる話はそれなりに聞くし、見たこともあるけどね。
その場を放置はしていても、駅員に知らせた人はいるかもしれない。
私は、もめてるときはそうすることにしている。

parallelfifthparallelfifth 2009/12/09 16:42 このはてな内の論争を追っていました。読むに耐えない『性暴力が起こるのはどちらかの"性"のせいである』といった責任のなすりつけあいや、一般化、レッテルの貼り合いが多い中、この記事でfont-daさんが加害者、被害者双方を冷静に分析し、理解しようとしているのを読んで嬉しく思いました。私は見知らぬ人と親しい人、両方からの性暴力を経験しました。私個人としては乗り越えた経験ですが、記事内の女性の性暴力を受ける原因と自衛に関する記述に非常に共感しました。

yokota_hajimeyokota_hajime 2009/12/09 17:47 「文章化している」という言葉が印象的でした。このエントリの最後に「私が考えうる次善の策」として提示されている「性教育の場を持つこと」「性についてオープンに話し、考える場」が必要であること、すなわち「『私―あなた』の二者関係に閉じないこと」「性的関係において[…]常に別の場に回路を開いておくこと」「性的関係の固有性や一瞬である部分を、普遍的に抽出し、他者と話すスキルを身につける」とはつまり『性犯罪被害にあうということ』を書いた小林美佳さんや『沈黙をやぶって』の中で「体を切り離してしまいたい」と名づけた文章を書いた「Mさん」のように、被害にあった女性自身が「自身の性暴力の被害の経験を」「自らの被害経験を」文章化することであるとこのエントリは思考している=志向しているとわたしは読んだのですが、いかがでしょうか。つまり性暴力の有無を、撲滅するのは無理とか無理じゃないとか蓋然性を問うのではなく、経験と自己の、自己と言葉の関係を問うこと、問いの場をひらくこと、ひらきつづけることである、と。「性暴力を撲滅する」こと、ただそればかりを志向することは「もう誰にも話さないでちょうだいね」や「狂犬にかまれたのだと思って忘れなさい」と同じ思考に足をとられ「世の中の”常識”」を強化することにしかならないのではないか。自身の上に起こった「性暴力」をなんとかして「撲滅」できないものかとどうしても考えてしまうことこそ被害にあった彼女たちの苦しみなのではないか。このエントリを読んでそんなことをわたしは考え(させられ)ました。

スノーボール同志スノーボール同志 2009/12/09 18:00 はじめまして、お初にコメントいたします。

私の知人に、大学院で第三世界のジェンダー問題を研究している若い
女性がいて、女性の権利の問題に関して自覚的な人ですが、高校時代に
受けた性教育について「男子と同席で試験管にコンドームを被せる
とか、正直セクハラとしか思えなかった」と吐き捨てるように
言っていました。

何が理由かはわかりませんが、どうも我が国の性教育の実情には問題が
あるのではないかという印象を受けました。性教育が非常に重要で
あることは論をまたないとしても、ここら辺のパフォーマンスを
改善する試みも必要ではないでしょうか。

とはいえ、具体的にどうすればいいのか、自分でも見当がつきません。
私自身、いい年のオッサンでありまして、性にかかわることを
「オッサン的下卑」に奔ることなく、率直に語ることへの強い抵抗
を感じるのも事実です。それに甘んじたままで良いとは思いませんが、
たとえば若い世代に「性と人権の問題に関して具体的に教えよ」
と言われても、どのような手法が効率的か、見当がつかないです。

下らないことを書き連ねましたが、失礼がありましたらお許し下さい。

font-dafont-da 2009/12/09 19:42 >男側だけど さん

そうですね。実際に行動するときには迷いが出ますし、動けないこともあると思います。私自身、出来る限り声をかけることにしていますが、できなかったこともあります。(とても悔しいです……
ただ、上のほうに書き込みをされている方の言うような、「関わらないことを正当化する主張」には反対します。

font-dafont-da 2009/12/09 19:51 >parallelfifth さん

 コメントありがとうございます。ほめていただけてうれしいのと同時に、複雑な気持ちです。私がこのように冷静に(みえるように)振舞えるのは、私が特権的な位置にいるからです。
 Francesco3さんやmanysidedさんのように、当事者であることを名乗り、感情的であると見られることも厭わずに、怒りを表明されておられる方たちへの、敬意を絶対に忘れてはいけないと思っています。また、小林さんやMさんのような語りをお借りすることで、私は自分自身の感情を語ることなく、このような記事を書いています。性暴力への怒りや苦しみを当事者の方に語らせておいて、自らは冷静に振舞うことで評価を得る、というのは、ずるいことなのではないか、という思いもあります。
 それでもparallelfifth さんのように言って下さる方がいらっしゃるのは、本当に救われます。ありがとうございます。

font-dafont-da 2009/12/09 19:57 >yokota_hajime さん

丁寧な読解をありがとうございます。私自身は、そのような意図はなかったのですが、共感するところがあります。性暴力もまた、被害者―加害者の間だけの問題ではありません。社会がどう受け止め、どう考えていくのか、という問題としてとらえたいと思っています。
当事者にとって、「このようなことが、二度と起きてはいけない」という性暴力の撲滅を求める切実さと、なかなか変わっていかない社会や、なくならない性暴力に対する失望・絶望は表裏一体だと思います。被害者―加害者外にいる人達が問題を共有することで、場が開かれていくことは、私も望むところです。

font-dafont-da 2009/12/09 20:14 >スノーボール同志さん

 ご自身の感覚を率直に語ってくださって、ありがとうございます。世代の差は、実際に60代の女性たちとCR(コンシャスネスレイジング)をする中で、痛感したことがあります。性について語る経験を持たないまま、教育する側に立つことの困難は大変なものだと思います。

 ご紹介くださった女性のエピソードですが、もしかするとなにか段取りに問題があったのかもしれませんね。安全にセックスについて語ったり情報を共有する場でなければ、嫌な思いをする生徒もいると思います。また、教員がヘテロセクシズムに満ちた発言をしやすい実習でもあると思います。
 私は学校の性教育ではその実習をしたことがありません。しかし、中学生のときに、友人が親のコンドームを棚からかっぱらってきました。友人たちで説明書を読んだり、実際に突起物にかぶせてみたり、水を入れたり(ベタですね・笑)して遊びました。私はラッキーでした。コンドームに触れたり、使い方について話したりすることが恥ずかしいことだと思わずにすんだからです。
 ピルを病院でなければ手に入れることのできない現状で、コンドームは手軽で安価な避妊具です。またSTD・HIV対策にも有用です。しかし、正確に使わないと、避妊率はグッと落ちます。そういう意味で、(挿入セックスを志向する人は)セックスを始める前に、コンドームに慣れ親しんでおいたほうがいいと思います。ですので、私はこの実習すること自体は悪いと思っていません。

 良い性教育をするために最も効果的なことは、教える側が自らを教育することです。いまは、ずいぶん減ってしまったようですが、かつては男性学やメンズリブと銘打った団体がグループをやっていました。学びの場はまだまだ作っていけるのではないでしょうか。

 と、偉そうに言いながら、私も日々試行錯誤なんですが……

球太球太 2009/12/09 21:04 命を取られなかっただけでもよかったな、といったらだめですかねえ。

MeetReliaMeetRelia 2009/12/09 21:13 >その「必要」も「鉄則」も初耳ですが
いわゆる災害救助のお話では常識です。自ら危険に飛び込むわけですから、その危険に対し十全の予防を行い救助員の安全を確保すいるのは当たり前のことではあります。
程度こそ違え、「自らを危険にさらす」のであれば、それを防ぐ予防線は欲しいよねというお話では。さて、あなたが「痴漢で揉めてる時」に「行動」に出るとき、何を予防線に行動に出ますか? 
(余計なことを言わせてもらうと、もし「何もない」と言うのであれば、行動そのものではなく「何もない」という答えを導き足した事に「思慮不足」と言わざるを得ませんが。)

この点は要はコストのお話でしょう。「その」助け舟を出すという行為そのもののコストが世の中あまりにも不可解すぎる(現行犯ならともかく)。特に養うものを持つ立場の人(当然男女問わず)は、自分の正義感だけでおいそれと未知のコストに挑むわけにはいきません。冒険が過ぎます。(ちなみに、男と女では支払うコストの中身も違ってきます、当然。)
逆に言えば、コストの定型・可視化、しかもそれが社会人一般に受け入れられるレベルであれば、ある程度の解決を見るでしょうが、「人それぞれ」ゆえに難しい…いや、不可能でしょうね。
もうひとつは、個人で背負うことが無理なら「複数人」で背負うことです。しかしこれにも問題があって、事情聴取(後始末)の段階になると分けるどころか人数分コストが倍化するだけという点、もうひとつはそういう「横の意識」が都会になるほど公共の場では取りにくいとされている点。後始末のほうは、これこそコストを定型・可視化して「そんなに大変じゃないよ」ってみんな思うようにできれば解決できるかもしれないんですが。それが「横の連携」をしやすくなる土壌の一部になるかもしれないし。

font-dafont-da 2009/12/09 21:40 >球太さん

ケースバイケースでしょうねえ……うつ病の人に「がんばれ」って言っちゃいけない、という話があります。でも個別の事例には「がんばれ」という言葉がうれしかったうつ病の人もいるでしょう。だからと言って、一般化はできない、という……

font-dafont-da 2009/12/09 21:48 >MeetRelia さん

えーと、今は災害救助に向かう専門職の話ではなく、性暴力を目撃した一般市民の話をしてるんですよね?そりゃ、専門職と素人は違う行動原理になると思いますよ。一般市民がトリアージできないですからね。

さて、MeetReliaさんは実際に性暴力の現場にはち合わせたことがありますか?私は盗撮の現場に居合わせたことがあります。その経験を踏まえて、簡単にいえば、性暴力の現場は極限状態です。予防線だ、コストだ、と思慮している余裕はありません。飛び込むか、飛びこまないか、という究極の二択です。
 私は、気が付いたら加害者に怒号を浴びせて取り押さえ、周囲の人に助けを求めてました。そうすれば、自然と人が集まって、協力してくれました。すぐに証拠も出ましたし、加害者は逮捕されました。我に返ったのは、現場を離れた後です。震えがきました。もし、加害者がナイフを持っていたら、刺されていたかもしれません。
 もちろん、訓練を受け、さらに制服や手帳といった権力を持つプロなら別でしょうが、私はそれ以上の思慮も判断も出来た気は、今もしません。

anhedoniaanhedonia 2009/12/09 22:38 初めまして。でははくて、以前、無痛界隈ですれ違っていた者です。
自衛厨の言い分が、よくありがちな、いじめっ子の言い訳「いじめられる方も悪い」とそっくりなので、なんとも嫌な気分になります。
この論考、中井久夫氏が「いじめの政治学」(『アリアドネからの糸』所収)で提示した「孤立化」「無力化」「透明化」の三段階のフレームで整理し直したら、もっと射程が広く深くなると思いました。


以前、私のブログに、娘さんを強姦された末に殺されたという方からコメントを頂いたことがあります。
私は、どのような返事をした良いのかわかりませんでした。考えあぐねて、「いつか、安らかに眠ることが出来る日が来ることを祈っています」とだけ書きました。それ以上のことは書けませんでした。

font-dafont-da 2009/12/09 22:47 >anhedonia さん

おお、そんなところで……最近めっきり掲示板も覗いておりません。
中井さんの本は未読です。チェックしてみたいです。

そうですね、言葉を失いますね……その方が、平穏な日々を取り戻されることを願います。

ちしゅーちしゅー 2009/12/09 22:47 森岡正博の、『草食系男子の恋愛学』の中で、男性が女性に対して配慮すべきことがいろいろ列挙される中、レイプにからめていろいろ、しかしあまりに「さらっ」と書いてあるところを読んで頭を「がんがんがん!」と殴られたような衝撃を覚えたことがあったんですが、今日の記事を読んで、あれと同じようなのを感じました。
(スミマセン、よくわからんですね。いま出先で手元に本がないのです。)。
「あれ」というのは、印象では「男は〈レイプされるかもしれない?〉とはふつう思わないが、女はふつう思う」?みたいなところです。男は気を付けても気を付けすぎることはないんだ、と思いました。
あと、fon-daさんが盗撮の現場に居合わせて、そこで行動を起こしたこと、読むと「当然だ」と思うんですが、自分がその場に居合わせた場合、そうできるのかどうか自信がありません。「え?え?これがあの「性犯罪」ってやつなの?」みたく思ってびっくりして体が動かなくなって何もできないかも?と。
「気が付いたら」っていうのは、大事だなあ、大切だなあ、と思います。

font-dafont-da 2009/12/09 23:01 >ちしゅーさん

森岡さんのあの本を読むまで、私のほうは男性がそういうふうに思っていないことを知りませんでした。言われてみればそうだなあ、というかんじです。話してみないとわからないこと、の一つになってるのかもしれません。

自分がなんで行動したのかというのは、今も謎です。家に帰って同居人には、ちょっと泣きそうな顔で「わかるけど、気をつけてね〜」って言われました。まったくですよね。でも、いまもああしてよかったとは思ってるんですけど……気が付いたら走ってました。いい思い出ではないですねえ……(その後、加害者が非人道的な扱いを受けることもわかっているわけですし。。。

赤いたぬき赤いたぬき 2009/12/23 11:27 私は男性なのですが、たまに女性を見て「SEXしたいな」と思う自分がいることがあります。それもかなり動物的な感情として。
性的欲求や性的衝動というのはあると思います。ない方もいると思いますが。そして正直コントロール出来る人もいれば出来ない人もいると思います。なのでこの問題の大部分は男性自身性的自己管理の問題だと思います。それゆえ男性が率先して考え、解決するべく努力する問題だと思います。
何はともあれそのこと抜きに云々出来ないと思いました。
ちなみに私は以前恐らく同性愛者と思われる方にセクハラを受けたことがあります。その時は話の延長線上でマッサージをしてあげるからと言われ関係ないところを触られました。
気が付いた時にもショックだったのですが、後に振り返ってみても騙された感があって悔しかったです。向こうからしてみればお試しだったのかな?と思いますが、見ず知らずの人に関係ない部分を触られるのはやはりショックでした。
自分の過失というものも多分にあるのかな?と思いますが、やはり動機というものが不純なわけで・・・。今でも凹みます。
私はその体験を経て痴漢を受けるのは相当なことだなと思いました。またそのリスクを背負いながら生きるのは半端じゃないなとも思いました。
男性は男性の性的欲求の現実を理解、把握すると共に、女性の被害者の声に耳を傾けるべきだと思います。
その上で性暴力犯罪に関しては重罰化するべきでだと思います。そもそもこの犯罪は人道に対する罪であり、尊厳の核心部分に対する罪でだと思うからです。
まずは当事者意識を持つことから始めないとなと思う次第です。

font-dafont-da 2009/12/23 23:37 >赤いたぬきさん

コメントありがとうございました。つらい経験をされたんですね。

男性からの取り組みは、現状を改善するための、大きな一歩になると思います。それぞれの立場で、状況を変えていければいいと、私も思います。

パンジーパンジー 2009/12/24 14:13  私も、性犯罪に近い経験は、何度かあります。
近いと言うのは、違うかも知れませんけど、いわゆる痴漢的なものです。
小学校の時、同級生の男子に、男性の性器を押し付けられたり、
別の男子からはフザあってる時、押し倒されたり、知らないおじさんから一人でいる時、
いやらしい電話があったり、学校の先生から身体測定の時、胸をジロジロ見られたりです。
一番嫌だったのは、高校のスキー教室で行った深夜バスの中で、同級生の男子が、私が寝ている間に、
隣に座って、私の体中を、服の上からですが触られたことです。私は目が覚めましたが、怖くて騒ぐことも出来ず、薄目を開けて後ろを見たら、同じ学校の先輩の男子が見ていたことです。
彼は驚いたような顔をしていましたが、助けてはくれませんでした。
深夜バスでしたので、他の誰もそんなことが起きたなんて分からなかったでしょう。
でも、私は帰ってすぐ、泣きながら体をゴシゴシ洗った覚えがあります。
それでもなにか不潔なものが私に有るようで、お風呂から出て吐いてしまいました。
そして、しばらくは、誰にもそのことを話せないでいました。
その後も彼は私の帰り道にいて、私を恐怖に突き落としたのです。
当然私も一人で帰ることはせず、大勢の女子と一緒だったので、彼が近づくことはありませんでしたが、
あの蛇のような目で私を見る目は忘れられません。
私は、別に美しいわけでも、肉感的というわけでもありません。
しいて言えば背が小さいくらいです。服装だって、男性を刺激するものを着ているわけでもないです。
肉感的でなかったため、電車内での痴漢にあうことはありませんでしたが、私の元同僚は毎朝、電車内で痴漢があると嘆いていました。確かに今考えると彼女は色っぽい体つきをしてたこと思い出されます。
でも、駅構内で胸を触られたことがあったので、痴漢にあわなっかったのは運がヨッカッタだけなのだと思います。
そして、痴漢に合わない、性犯罪に合わなかったというのは、なんの定義もなく、ただ運が良かっただけであって、合った人が責められるべき問題ではないのです。
問題なのは、加害者です。
あるテレビ番組で性犯罪の調査をしている人だったか忘れてしまいましたが、それに携わる仕事をする人が、それをする人(加害者)は無くなることがないのだから、女性側が犯罪に巻き込まれないための防御をしろと唱えていました。驚きました。確かに、防衛手段の策を女性側も考えることは必要です。
しかし、そういう男性は減らないのだからと言い切ったことにも疑問を覚えます。
それでは、そういう一部の卑劣な行為や考え方をする男性を肯定することにはならないのでしょうか?
そういう男性を作らない社会や、教育を、男性諸君に考えるさせる性教育も、必要ではないかと思います。
確かに、男性には女性が考えてる以上に、性欲があり、露な女性や美しい女性に目が行ってしまうのも分かりますが、聖書には、女性をやらしい目で見ることさえ罪だと言いました。
私も、はっきり申せば、愛する人に、そういうシチュエーションで気分が高揚してくれるのは嬉しいですが、ただ目の前にいる人に、いわば視姦されるのは好みません。
普通の女性なら、大抵は嫌なはずです。
嫌以前に、そんな想像されてるなんて、思いもよらないのが女性ですから。
だから、それだって、やはり罪作りなことでしょう。
目の前に本当に好きな女性がいれば、そういうことを想像してしまうことに恥じることはありませんか?
その女性を尊敬すればするほど、そういうことから遠ざけるのではないでしょうか?
性犯罪に合うのは、人間的にも自分を卑下された感覚に陥ることもあると思います。
それは、堪らない辛さです。
性犯罪にあって、命があってよかったね?で、済まされる問題でしょうか?
殺される恐怖が、殺されるかも知れない恐怖がどんなものか分かりますか?
私は、数年前にそういう命からがらの恐怖にあいました。それも、見も知らずの男性から、性犯罪がらみでです。
幸い、私はどれも大事には至らず、本当の恐怖には合いませんでしたが、ただ運が良かっただけです。
日本社会は、性犯罪に甘いし、撲滅運動をしているのかさえ疑問に思ってしまいます。

font-dafont-da 2009/12/24 16:42 >パンジーさん

大変な思いをされたのですね。性犯罪に対する撲滅運動は、今も行われています。私はコミットメントしていませんが「性暴力禁止法を作ろうネットワーク」という会も立ち上がっています。私も少しでもこのような被害者が苦しむ現状を変えていきたいと思っています。

あ 2011/07/18 21:56 ものすごく前のところだけど、検索で来ました。
議論のための議論みたい
議論するネタにされてるみたい

こんな事ごにょごにょ言ってても何かなるのかな

あ、わたしも軽く性暴力の被害者ではあります。未遂ですが

font-dafont-da 2011/07/20 14:30 >あさん

どの部分をもって「議論のための議論」だと感じられたのかわからないのですが、文章にしている時点でネタとして扱っているという批判はあると思います。
考えの違う人に、自分の考えを伝えるためにはたくさんの言葉を費やしてコストを惜しまないことが大事だと思っているので、長く書いています。

じゃいじゃい 2016/02/23 12:40 おっさんの私が中高生だったころ、女の子を初めて自分の部屋に入れるときには、ドアには鍵をかけず、少し開けたままにしておいて不安を少なくしてあげるのが優しさだ、というようなことを雑誌か何かで読んだことがあります。それは「俺は優しいだろ」というアピール目的のものだったと思いますが、男性にはあまりない視点で新鮮でした。
女性が自衛のためのコストを払っていることに我々男性はなかなか気付けません。文章化してくださることはとてもありがたいです。

投稿したコメントは管理者が承認するまで公開されません。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証